おしゃれ手紙

2014.11.24
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テーマ: 関西(17)
カテゴリ: お出かけ
kaki201411
暮れてゆく秋を見ておこうと、夫と和歌山へ行った。
あえて高速道路を選ばず、細い山道の峠を越えて行く。
途中、家も途切れた所に2軒の店がある。
その家のそばにあった柿の木。
たわわに実をつけているが、実が小さく、商品価値のない柿は、誰もとらないようだ。
こんな柿の木が山のあちこちに残っている。
輸入物の珍しい果物よりも、日本で、地元で出来る果物を食べるの方が二酸化炭素の排出が少ないからいいのにな・・・。
sannmonn
根来寺に行った。
■ 根来寺 ■

室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した。
また、 根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られた 。
織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、信長没後、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の戦いにおいて徳川方に通じ留守の岸和田城を襲ったほか南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の雑賀攻めを招くこととなった。
生産地となった近在の雑賀荘の鉄砲隊とともに秀吉方に抵抗するが各地で敗れ、天正13年(1585年)、秀吉軍は根来寺に到達。
大師堂、大塔など数棟を残して寺は焼け落ちた。
根来寺における戦いでは寺衆はほとんど抵抗を行わなかったため焼き討ちの必要性は薄く、炎上の原因は、秀吉による焼き討ち、寺衆による自焼、兵士による放火など多説あるが、定かではない。
大坂の陣で豊臣家を滅びた後、徳川家康によって秀吉が鶴松を弔うために建立した祥雲禅寺が根来寺に寄進された。
江戸時代には紀州徳川家の庇護のもと一部が復興された。

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この写真は、上の写真の反対側からうつしたもの。

今回で2回目だけれど、なんか、すごい歴史のあるお寺。
さあ、中に入ってみよう。
靴 根来寺 ■
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Last updated  2014.11.27 01:25:45
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