おしゃれ手紙

2017.12.02
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カテゴリ: 読書


17歳での結婚、やがて訪れた破局、百円玉一つ握りしめての家出、そして再婚・・・。
現在の平穏な夫婦生活の中で、自らのたどってきた道のりを振り返りながら語る様々な出会いと想い。
愛、結婚、夫と妻、母と子、作家であること、孤独、故郷、なつかしい風景、土の匂い・・・現代を代表する女流作家の細やかな筆致でつづった種語句のエッセイ39編を収録。


宮尾登美子のエッセイ集を読んだ。
同感したので記録しておく。(★)
☆は感想。

★(略)妻を索漠たる孤独を地獄に陥らせて気づかないような男は、
最初から結婚の資格などないといってもいいのではないだろうか。

☆よく言った!!

★激務といわれる保育所の保母を七年、その他に編集者、公務員などの務めから始まって、ルポライター、原稿のリライト、ドラマ書きなど(略)

☆宮尾登美子の職業。

★(萩原)朔太郎夫人稲子は、夫との間に 二女を挙げたのち、ダンスに凝ったのがもとで家も夫も子も捨てて若い青年と出奔した。

☆朔太郎の妻もダンスに凝ったのか!
娘の葉子も物書きで、ダンスをしていた。
(フラメンコだったと思う。)
葉子のダンス好きは母親譲りだったのだ!!

葉子の息子、萩原朔美は、美青年でエッセイを書いていた。(1970年代)華麗なる一族だ。

★私など、子供の頃から劣等感のかたまりのようなものだったが、世間に対するものは別とし、夫に対し昔から抱き続けている大きなひけめには、私の病弱という点がある。

☆私も同感!

★このときから私にとっての唯一の救いは、一日のうちたとえ僅かな時間でもノートに向かって文章を綴ることになり、以来三十四年を経た今日では、文章で身を立てる職業作家になってしまった。

☆まったく同感。
私も40年ほど前から文章を書くことで心を落ち着かせ、生きる希望にしていた。■ 「ひととき」
今もその名残にblogを書いている。
その頃の文章は今もあるので今度アップしよう。

ただ違うのは私はプロになる才能がないこと。

★(略)人はその生涯で、全エネルギーを燃焼させて何かに立ち向かった期間を持つのは一つの幸福とはいえないだろうか。

☆私の40歳から50歳までの(本当は40前から50過ぎまで)の約10年は
市街地に奇跡のように残った■ 一万坪の里山を公園にしよう


こんな公園あったらいいな・・・。
とチラシを配ったり、対市交渉、会議、イベント・・・。
そのため■ 公園 ■について学んだり、公園を見に行ったりした。



★同じ縞でも玄人が着れば唐桟(とうざん)という呼び名になり、素人のそれはただの縞になるのはやはり着る人の心意気によるのだろうか。

☆唐桟は、玄人衆の着物だったのか・・・。
 私は、宮尾登美子の作品は、新聞に連載されていた
 「きのね」しか読んだことがない。
これを機にいろいろ読んでみたい。
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Last updated  2017.12.02 00:32:51
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