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本日も石巻周辺の友人や親せきの無事を確認することができました。ずっと緊張感に包まれていた体から少し力が抜けました。連絡がとれず絶望的な場所もあります。よく釣りをした場所が壊滅しているニュースばかりです。帰省時の鳴瀬川河口や石巻港、女川の釣りも以前載せましたね。。。。マリンパル女川からはよく父が海産物を買って送ってくれました。もうあの光景はありません。生きていればいつかは連絡がとれます。連絡がないのは、通信・通話手段がないから。そう信じるしかありません。友人の話では宮城県は内陸のほうは無事でも、食料が無いそうです。都内も神奈川県内もカップめんや乾電池が根こそぎなくなっておりますが、もうやめよう。車が無くても山形経由でバス等をつかって宮城県入りできるようです。だけどとにかく今は我慢。私よりも行ってほしい人、行きたい人がいる、その人たちが優先。地震以来何度も思い出す光景があるのです。牡鹿半島の携帯電話の基地局の塔。コバルトラインの最初のほう、たぶん渡波~小竹浜とかそのへんに行くまでのルートにあったはず。違ったかな。なぜかこれをよく。そして「宮城の海釣り」という本のページをめくっている子供の自分を思い出すのです。女川や志津川や気仙沼や雄勝の釣り場を紹介しているページを見ていた自分を。直接現地へ釣りに行っているのに、それよりも本を思い出すのです。不思議です。しかし現地の人は感傷に浸ることなど無いでしょう。そんなヒマもない。この私の感傷自体贅沢なのです。被災地、原発の現場で懸命の作業をしている人たち、救いを求める人たちに比べればなんと贅沢な私たち。しかしこれは特権ではない。いま東北で起きている光景は、東海、東南海が起きれば、私たちが遭遇する光景なのだから。私たちは生かされているに過ぎない、と教える宗教もあるそうですが。猶予が与えられているだけに過ぎない。そんな気がする。その日がくるまで私たちにどんな備えができるか。この地震の多大な犠牲から学者や行政だけでなく、個人も何かを学ばなければ。そしていつかくるその時に、一人でも多く生き残らなければ。今回津波が襲った地域は、これまでもたくさん津波の犠牲があって、それで津波対策をかなりしていた地域だ。それでも想定外の津波が襲って壊滅した。だが、巨大な堤防が、水門が、防風林や防砂林がほんの1秒でも津波を長く止めていたのなら、「高い所へ登れ」という教えが、一歩でも二歩でも人の歩みを進めたのなら、対策は絶対無駄じゃなかった。先人たちの犠牲は絶対無駄じゃなかった。防災対策をしている人たちの無力感は想像できる。だけど皆さんのしてきたことは絶対に無駄じゃない。だから今回の犠牲も絶対に無駄にしない。そうでしょう?
2011.03.15
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少しでも役に立てばよいです。東松島に入った弟や父の情報をまとめます。父は地震が起きたとき利府街道から東松島へ入りまして無事です。私の実家は仙石線の東矢本~陸前赤井駅付近。実家の状態は1Fが浸水。水は引きました。父が片づけ中。母は近くの田んぼの中の施設で手伝い中。しかし携帯電話はまったく通じません。ガス・電気なども通じていません。弟は、地震で若林区のアパートが津波の直撃。別のアパートへ避難。本日、弟は東松島へ出発。鳴瀬川は鳴瀬大橋が落ちたとの情報(確認できてません)海岸付近が壊滅しているため、上流の橋を使って矢本へ。両親の無事を確認し、石巻へ。しかし石巻へは立入禁止です。両親情報では石巻市役所近く、日和山のふもとの祖母は無事。ただしその祖母が避難したため無事なのか、どういった状況で無事なのかは不明。弟は今後飲料食を持って東松島を往復する模様。ただし仙台の弟とも携帯電話は何度も途切れます。
2011.03.13
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弟経由で連絡がきましたしかし弟の家は津波に飲まれたようです実家の家の状態は不明ですが山西造船の船が津波で流されたところをみると家も飲まれてそうです大曲浜はどうなっているのか弟は仙台、両親は仙台や石巻ですが無事だったようですしかし油断はできません親戚、友人や知り合いはどれだけ無事なのか。。出発準備を進めていますが、津波でルートがやられているようです私の職場も私の部屋も本棚が崩れていましたがどうでもいいですね早く夜が明けて欲しい
2011.03.11
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