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やっと再び家からネット接続できる状況になりました!嬉しいよ~。韓国を去ってからはトロいダイヤル接続の日々。そして南方から北上するまでの間は自分のコンピューターをネットに接続すらできなかった日々・・・。待ちに待ったよ、この日を。って、早速コンピューターの調子がおかしいので、これもどれだけ続くかは疑問だけど。まっ、とりあえずはお祝いです。
2004年08月31日
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私は付き合っている人がいない期間というのが長期にわたることがよくある。最初に付き合ったのは部活の先輩。アタックしたのは私だった。別に、嫌われたらどうしよう、とか思わなかったので、ひたむきでも何でもないいわばかわいげのない相手だったかもしれない。私的には思いつめた末での告白、とか勇気を振り絞っての行動、とかじゃなかったのだ。もともと小さい部活で、先輩後輩の仲もすこぶる良く、適度に内緒にしていたので部活のみんなにばれるのにもちょっと時間がかかった。でも、ばれたからって何も気まずくなりはせず、たまにからかわれるぐらいでそれもたいしたことなかったなぁ~。私は、先輩の猫の口に似た口元が特に好きだった。なんだか気取ってて、地元の人たちともほとんど交流のない人たちばっかりのうちの学校で数少ない、まだ地元の人たちと交流を持ってるうちの一人だったところもすごく好きだった。私を「ばかな小娘」だとか「たかが女」だとか「未熟な後輩」だとかいうふうに扱わず対等に話してくれて、私の話も親身になって聞いてくれるところも良かった。部活のほかにも科学が好きで、科学の問題や科学現象の話なんかをしてくれるのを聞いてるのも面白かった。部活のことと科学の話をしているときにはいつも一生懸命になっているのがわかってとても面白かった。その先輩とは8ヶ月ほど付き合って別れた。約1年2ヵ月後に付き合いだしたのはまつげが長くて、背が高くてヒョロッとした、パキスタン人。私が付き合った人の中では一番わかりやすくかっこいい人。いたずらっぽい目と笑みが良かった。とっても深く愛してくれて私も一時期それに酔ったけど、若さゆえのうそに彩られていて、付き合い始めてわずか3ヶ月後に(一時的な)遠距離になってしまったときに若さゆえの怠惰ゆえ徐々に崩壊してしまった。そして高校最後の年、大学、大学卒業後2年間半、合計7年近く、私はずっとフリーで過ごした。大学時代には好きな人もできたけど、友達だと思っていた人のひどい裏切りにあい、苦しんだ。大学卒業後は、夏に韓国に行ったときに出会った人に恋をした。ここまで狂おしいほどの片思いをした相手はいない。すごく苦しかった。今考えてもまだ苦しくて、今更どうなるわけでもないと頭ではわかっているのに、それでも「あの時、ああしていたら結果は違っただろうか」と今でも考えてしまう。その後に何回会っても取り乱してしまい、まったく普通にできなくて、憎まれ口をたたいてしまう。あきれられたと思う。今では音信普通になってしまっているけど、また普通に連絡がやり取りできるくらいにはなるだろうか。あの時、あなたは私をどう思っていたの?と聞いてみたい衝動に駆られるが、今更聞いても仕方がないし、と言うことは多分、向こうも本当の答えがどうであれ、「どうって。仲のいい友達としか思ってなかったよ」としか答えないだろう今、私の当時の気持ちを今更伝えても迷惑がられるだけだろうことを考えると聞くにも聞けない。と、まあなかなか苦い片思いを経験したりしてる間、もちろん私はずっとフリーで。でも、友人・知人の恋愛関係の揉め事などを聞いてると、恋愛って時間も労力も使うなぁ~、大変だぁ~、よっぽどな相手じゃなきゃそんなに自分を消費するようなことはしたくないなぁ~と思っていたりとかした。人と付き合うってのはやっぱり一種の「おしごと」だなぁ~と思えてきちゃって、すごく億劫になってきていた。ところが去年の11月、どうしても何かを言わずにいられない相手が現れてしまった。何だかかっこいい、好みだわ!-が、反応はあるのに振り向かない・・・振り向かせてみたい!!!に発展し、振り向かせるのに成功したとたん、なんだかすごいことになってました。びっくりです。そういうことってあるんだね。まあ、いつまで続くが見ものです。(って、とりあえずは今までの誰よりも長く続いてるけどね。記録はどんどん更新されていくのかな?)
2004年08月24日
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こないだM氏に「経験豊富なかぐや」と呼ばれてしまいました。いや、それは違うと思う。と、ここで抗議しておこう。(笑)私は間違っても経験は豊富じゃないとは思いますが、魅力のある人やきれいな人を見つけるのは好きだし、「見るだけなら減るもんじゃないし」と言ってはばからないタイプの人ではあります。それに私にとっては目の保養は一種の心の憩いなので格別「好き!」と心底ほれ込むことのできる人のいない、気持ち的にドライ・モード期間に入ってしまっているときの私というのは(これが何年間とか長期間で続くからやんなるんだけど)しっかりとそれに見合っただけの数の「見るだけで元気になれちゃう」人たちをマークしておく、というシステムができてます。こう、恋愛でも擬似恋愛でもいいんだけど、そういうエネルギーを使ってる部分がないと元気がなくなるし、機嫌も悪くなる。って別に難しいことは何もなくて、単に自分にとって魅力のある人を見ることで生きる活力を与えてもらってる、と感じるまでなんですが。今となってはそういう気持ちを全部つぎ込める相手ができたので、わざわざこう、うまいこと分散させなくてすむ、というのはずいぶん気楽ですが、その「見るだけで私に活力を与えてくれる魅力のある人たち」の一般像を描いてみると、きれいな目をしている(深みのある色が好きだけど、実際の色はほとんど関係ない。暖かそうな表情をする目が好き。)適度に筋肉がついているんだけど、どちらかと言えばヒョロッとしてるほう。こっちを向いて、人懐っこそうに笑う人。というぐらいか。見かけ的には好みが幅広すぎて何も言えん。自分が見かけで判断されてきて、いやな思いをしてきただけにそれを他人に押し付ける気がさらさらなく、結果的には人のことは行動や表情や体表現から読み取るようになりました。あ、でも、場違いなほどきちっとした格好をする人も、汚い格好をする人にもあまり魅力は感じないなぁ。適度に気楽、でも清潔な格好をする人が好きです。
2004年08月23日
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コリアンを習ってると言うと、いつも聞かれるのが「どうして?」だ。この質問にはいつも困る。と言うのもはっきりした理由なんてないから。強いて言えば、「好きだから」なんだけどそれではなかなか納得してもらえないのが常だ。韓国の語学学校に行ってたときには韓国人の人が好きなのか、とか好きになったことがあるのか、とか聞かれたりとかしたけれど・・・。(確かにそこでは韓国人の彼氏・彼女持ちは多かった。)在外韓国人の人なら、一人だけ強烈に好きになり、(でもそれは私が臆病になったことでぶち壊した。)もう一人、とっても惹かれた人がいる。(その人との出会いはAとマジで付き合い始めた直後。もう少し前に出会っていたらどうなってただろう、と思う。)でも、その出会いは両方ともすでに韓国語を習いに韓国に行っていたときのことだから、それは韓国語に興味を持ったきっかけというよりも興味を持った結果、起きたもの。だから私の韓国語学習意欲には無関係。その二人とも韓国語は別にネィティブじゃなかったし。どうしてこんなことを考え出したかというと最近した引越しのおかげで大学時代のものとかを箱から引っ張り出しているときに大学入学時にアドバイザーを割り当てる上での必要な資料として大学側から要請された自分の性格・趣味・興味に関するアンケートが浮上したからだ。それを見てびっくり。そこには「韓国語が習いたい」としっかり書いてあった。「今の時点では、主にどの分野に興味を持っているか」という問いに対した最後の答えで、その前に挙げたものは「人類学、哲学、宗教学、文学」となってる。(今でも興味は違うようで全然変わってない。(笑)それもどういうもんかと思うが・・・。)とにかく、最近あまりに「なんで韓国語なんか?」と(韓国人にも韓国人でない人にも)いぶかしく聞かれるもので、もしかして私の興味は案外最近強くなったもの?と勘違いしそうになっていた。でも、実際のところ、大学一年目の時にも韓国語は取ろうとしたんだよね。その前にも小3から小6の間に韓国語を習っていたりもした。そのとき教えてもらってた先生とも、今回私が韓国に留学してる間にまた連絡がついて感動の再開を果たしたりとかもしたんだけど。小3のときに韓国語を習うきっかけになったのは小学校に入って最初にできた親友のZちゃんだった。Zちゃんはお父さんの仕事の関係で3~4歳ぐらいから地元の幼稚園に通っていたから小学校に入学するころまでには、もちろん日本語は問題なく話せた。で、何がきっかけってわけでもなかったんだけど、(小さかったからよく覚えてないだけかもしれないけど)いつの間にかZちゃんと親友になっていて、放課後なんかもよくお互いのうちに遊びに行ったりした。今でもZちゃんの家に遊びに行ったときにZちゃんが元気よくおうちに走りこんで「アッパ~!」(パパ~!)とさも嬉しそうに大声を張り上げてるときの顔が忘れられない。Zちゃんは元気で感情表現の豊かな子で、私もいっしょにいるのがとても楽しかった。私の学年では外国籍の子や、海外生活経験のある子、ハーフ・ダブルの子、精神や身体障害のある子とかがそこここにちょこちょこいたから別にZちゃんが特別目立ってたようなことはなかったと思う。地元の出身の子なんてそもそもほとんどいなかったから地元出身じゃないとかそうだとか転校生だとか言うことも問題にならなかった。で、本題に戻るとそのZちゃんだが、3年生にあがる直前の3月に韓国の新学期開始時に合わせて韓国に帰ってしまった。で、私は、「遊びに行く!韓国に遊びに行ってZちゃんと再会する!!」と考えたわけ。で、訪問先の国の言葉を少しでも知っておくのは常識と思っていた私だから(そこに母の入れ知恵も多少あったような気がするのは気のせいか??)韓国語を習いたい、と母親に希望を述べたら(おもちゃはどんなに駄々をこねてもたとえ買ってくれたとしたって数年は待たせた親が)何ヶ月か後にはしっかり、とっても有能で美人な韓国語の先生を見つけてきてくれていた。(初めて先生に会ったときに、私は開口一番「きれい~」と言って見惚れたそうです。(先生談。)変わってないところが怖いかも・・・。笑)で、その先生について、(途中からは興味を持った幼なじみも加わって)その先生も韓国に帰国されてしまうまで韓国語を習ったんですねぇ。心意気はあったくせに学校でも一度も宿題なるものを提出したことのなかった私は宿題をサボることもしょっちゅうで、先生をかなり困らせ(&悲しがらせ)ました。って、今となってはそんなのもご愛嬌になってますが。(笑)そんなこんなでこれ、ってきっかけはないけど私は昔から韓国と縁が濃かった。小3の春休みに韓国に旅行することもできてそのときに街中にあふれてるハングルが読めたのも嬉しくて学習意欲がよけい刺激されたんだけど、刺激されただけでその後の効果はあまりなかったよ・・・。そのときの韓国はソウルオリンピックが近づいていていろんなものが整備されだしていたりオリンピックムードで盛り上がりを見せたりしてるときだったりしてすごく楽しかったのを覚えてる。中心地から離れた旅館で日本人だという理由で(しかも韓国人に連れられた)宿泊を拒否されそうになって私たちを案内してくれていた人と旅館の人がすごい怒鳴りあいになったところもちょこっと見た。Zちゃんにも会ったけど、ご両親に催促されても日本語を話したがらなかったからほとんど話せずに終わってしまったけど、子供心にも「きっと転校なんかで大変なんだろうな」と思った。今になって考えてみたら、地方都市にいたので日本に長年住んでいて、日本語のほうが得意なぐらいだったことで(要は帰国子女だったんだよね)非国民だの、本当は韓国人でないだのと言ってひどいいじめにあっただろうことぐらいは容易に想像できるのだけどそのころはそこまで詳しい状況もわからないしとりあえず相手がしたいようなまま、ほとんど話さずに終わってしまった。楽しいばかりの旅行でもなかったのだけれど、楽しいこともいっぱいいっぱい経験した旅行でもあった。小6のときにだめにしてしまうまでずっとお気に入りだったデニムのスカートはそこで買った。ソウルオリンピックのマスコットだった虎グッズも買った。民族村で書ききれないぐらいに面白いものを見たり体験した。お化け屋敷に入るのが怖くて仕方がなくて、入ろうかどうしようか迷ってたときに(お姉ちゃんやほかの年上の人たちに置いてきぼりにされたくなかった)「手をかしてあげるよ」と手を貸してくれた(ちょうど私ぐらいの娘が自分にもいると言っていた)米軍兵の手を汗と涙でぐしょぐしょにしてしまったのも、本物の米兵に初めて会ったのもその民族村でだった。もちろん、おいしい料理も毎日たらふくごちそうになった。言葉が通じないのに、一生懸命こっちを見て話してくれる人たちにもたくさんあった。とっても寒いけど活気のある街が良かった。日本とは違う、乾いた厳しい寒さが新鮮だった。そこで得た経験を日本に帰ってからもまた話す相手(韓国語の先生)がいたのも良かったのかもしれない。小6になって、その先生も韓国に帰ってしまってからも私は、「また韓国語が習いたいなぁ」と思ってはいたのだけれど、小学校卒業の時期、と言うのは時期的に区切れが良すぎたり、中学生になる、ということで他のことがもっと大事に感じられるような時期にあたってたりで、「機会があればまた韓国語学習を再開したいもんだ」という漠然とした気持ちを抱いたまま、はたと気づいたら、なんと、すでに大学生になってしまっていた。さて、その小6のころからまた韓国語学習を再開する10年間の間に覚えていたのはハングルの読み方、1~5までの数え方(自分で勝手に歌を作ってたまに歌ってたからだろうなぁ)、「コヤギ」(ねこ)、「コグマ」(さつまいも)、というボキャブラリーだけ。韓国語の時間に習ったことで覚えてたものと言えば、漢字は日本から中国に直接渡来してきたものでなくて古朝鮮を通して伝来されたものであること。(実際は中国から直接伝来されてきたものもあるらしいけど。)それと母音と子音のコンセプトだった。(どれだけ的確に把握していたかは甚だ怪しいけどとりあえず韓国語相手だったらちゃんと区別はついた。日本語・英語でその区別がつくようになるのはそのはるか後。)ちょ~簡単な「ネー」(はい)も「アニヨ」(いいえ)も最初の何年かで忘れてしまってた。「さようなら」も家に残る人と家から出る人は言うことが(ちらっと)違うので毎回毎回混乱してて、それでもまだ小学生だったある日、やっと覚えたものだったのに、(やっと覚えた感覚は覚えてるくせに内容は忘れてる!!)やっぱり最初の何年かですっかり忘れてしまっていた。こうして書き連ねてみると、韓国語を習いたいと思ったのもやっぱり・・・・。っていうか、わかんな~い!!私の感覚で行くと、好きだから、の一言に尽きてしまうんだけど。ほかの人から見たら明らかなのかな?
2004年08月22日
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最近、おもしろくもない近況報告ばかりですが、今日もまた然り。えっと、やっと引越しも一段落終えました。完全なる仕上げは、今度インドに行く友人が家具をくれると言うので、それをくれる今月末まで待たなきゃならないんだけど。あ、あと、まだ家からネット接続できない!これも早くどうにかしなければ。でも、一応寝るところもあって、簡単なお料理もできるところがあって、約2週間ぶりの落ち着いた生活が嬉しいよぉ。倉庫に保管してあった荷物なんかは月曜日にお母さんとAが持ち出してくれました。といっても、本や資料のぎっしり詰まった箱は重すぎてほとんどAが一人で運んでくれたんだけど・・・。本当にありがたいわ。まだ体が完全に回復してなかった私は、Aとお母さんの二人が倉庫に行って、私の荷物を取り出してくれてる間に家でのんびり本を読んだりしてました。やっと術後の体調も落ち着いた今、今度は風邪をひいてしまった。情けなや・・・。いや、単に荷物を整理していたら、寒くなってきちゃって、それに対して暖かくする、とかいう対策を練らなかった私のせいなんですが。でも、こんな簡単に風邪ひいちゃうなんて、やっぱりまだ本調子じゃないんだなぁ。もう日本に帰った母、再び南下したA両方ともに自分を大切にしなきゃだめだよ、と言われてる。わかってる。ちゃんと生姜茶飲んで、にんにく食べて、暖かい飲み物飲んで、暖かくして、いぱい休まなきゃね。まあ、すぐに良くなると思います。
2004年08月20日
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何か難しいことばかり話題にしていて自分でやってることなのに疲れてきてしまった。ちょっと、オフライン生活がかなりごたごたしてることと関係しているかもしれない。8月1日に南方のお家から引っ越して北方にやって来たはいいけれど、その時点で居住先が見つかってなかったのよね。それで困って、友人にヘルプコールをしてみたら、ちょうどお出かけするところだって言うじゃない?それで、その友人の部屋に部屋探ししながら、Aと一緒に二泊させてもらった。どうして二泊だけかというと、私が3日の朝一番でおじいちゃん、おばあちゃんのいるここよりさらに北方の地に赴かなきゃならなかったから。おじいちゃん、おばあちゃん家に向かう途中で、日本から来た両親と合流。これはこれでなかなか楽しい。お互い飛行機を乗り換えて来るので、おじいちゃん、おばあちゃん家の住む所に向かう飛行機のゲートのところで久しぶりに集合、って感じで何かオツなんだよねぇ。って若干一名抜けてる人(姉)もいますが。そして、おばあちゃんの生まれ故郷で簡単とはいえ、結構疲れた術後の体を休ませて・・・。毎晩、家の親か、親戚の作ったおいしい食事を食べて、ゴロゴロする。お母さんがね、「なめてかかっちゃだめ」って過保護なぐらい私を大切にしてくれたので、本当にのんびりできました。内心、後ろめたく感じちゃったんだけどね、体は正直で、痛みとかはほとんどないんだけど、ちょっと重いものを持っただけで本当に出血しちゃうんだよね。痛くはないんだよ。でも、そういうのを見てたりとかしてたら、ああ、やっぱり自分を労わらなきゃならないんだな、って思って・・・。本当に全てを他人任せにしてました。まだあと1~2週間ぐらいは甘えさせてもらうつもり・・・。9日の晩にお父さんとおじいちゃん、おばあちゃん宅を出る。お母さんはまだもうちょっと居残り。9日はお父さんが私の住む新しい地で一泊して、次の日は日本に向けて出発。10日からはお母さんの南下してくる12日まで、結局またおじいちゃん・おばあちゃん家に行く前にお世話になった友人のところにまた泊まらせてもらう。私の予定、大狂い。その影響で泊めてくれる友人に迷惑かけっぱなし。ごめんねぇぇぇ~~。(ってその友人は日本語を読めやしないのだけど・・・。)さて、それで明日はお母さんの到着。日曜日はAが来てくれて、倉庫に入れておいた私の大荷物をみんなで私の新居に移す予定。インターネットとか電話線とかもつなげなきゃならないので、一体どれだけお休みするかは定かじゃありませんが、まあ、一日に一回ぐらいは眺めに来てます、何も書けなくても。(笑)というわけで、大体の近況報告です。
2004年08月12日
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やっと復活しました。これからなんだか最近賑っている(笑)掲示板のほうとか、日記コメントのほうに返事しますね。あと、またしばらくネットから消える気配もあるので、そうなる前に書き溜めたもののアップとか、近況報告とか・・・。またすぐ書き足します。
2004年08月11日
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私の経験からして、海外で食べる日本食・和食って言うのは大体、日本にあるものを一生懸命マネしようとしてるものと、日本食の意気を違うものに移し変えてるものとに二分されてる、ような気がする・・・。で、私はどちらかと言えば、日本食の意気をその新しい地に移し変えられるところが好き。そっちのほうが安いし、新鮮で、おいしいことが多いから。(いろんな意味で無理が少ないから、コストも押さえられる。)それに、これは私の変なところなんだけど、あまり外食する時に大枚はたくのって好きじゃないんだよね。その分、おいしいはずだろう、って期待しちゃうからさ。そういうところって、作ってる側のがんばりはすごく伝わるんだけど、その期待に添えられるほどのところってあまりないからさ。で、こっちは大枚をはたく機会がそんなにないわけだから、実験気分にも慣れなくて、すごく損しちゃった気分になるわけだ。でも、普段は私の徘徊してるエリアを特定し過ぎないように気をつけてる私も、ここだけは特別。ここはね、ここに来れる人はみんな来てほしい。日本から遊びに来た幼なじみも、次の日は日本に帰るお父さんもお母さんも連れて行ったよ!和食だけど、ここ以外のどこでも食べられない、と思える。日本だから、日本じゃないから、というのとはまた全然別の次元です。ここで食べられる食事は、日本で同じものを食べようとしたら、普通に数万円は行くだろうという品々。でも、和食の真似事でもなく、しっかり「自分」を持ったカリフォルニアのおいしいおいしい和食。私にしてはちょっと値段の張ったところなので、ちょっと特別な機会でもない限り、行きはしないんだけど、行くと必ず大満足で帰ってくる。だって、おいしくて、おいしくて、おいしくて!!!ちょっとレビューを見たいわ、って方はこちらをどうぞ。そう言えば、お店がちょっと空きだすと、シェフの方が出てきてお話してくれたりするんだけどね、この間のお話では、とにかく子供の頃からお料理するのが大好きで小学校4年生の頃から某有名料理家のところで毎晩お料理してました、って聞いた。その瞬間、思い出したのは、槙村さとる先生の「おいしい関係」。ほほぉ~~、そんな世界が本当にあるのね、といたく感心。と同時に、納得しました。素晴らしい食事だもん、だって。行ける人は、誰だって、超オススメです!!
2004年08月10日
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読まなきゃいいのに読み続けてるリストのやり取り。しゃくにさわるのなら、読むのをよせばいいのに、といつも言われ、私も納得してる。でも、止められない。たとえ私自身が冷たくあしらわれても、その場で自分の居場所を見つけられる人たちがいる。そんな場がどういうふうに成長していくか見守りたいから。そこで発見するのは私がごく近しい関係にいる人たちが尊敬されてる事実。でも、最初に向こうのあまりにもネチケットを無視したやり方に怒った私を(多分)「関りになりたくないお堅い奴」で片づけて、それでも協力体制をしこう、と持ちかけた私をうっとうしがった向こうはそれを知らない。私の、その人たちの尊敬してる人たちのつながりを今更言ってみたって仕方のないことけれど、それを最初に言っていたらどうだったろう、とは思う。そしたら少しは丁寧に扱ってくれたのだろうか。私は、使えるコネは使ったほうがいい、と人に言って憚らないし、自分のためにもそう思っている。人間、利用できるものは何でも利用した方がいいと思う。コネって、ずるいものってイメージがあるけれど、自分で勝ち取ったコネだってあるし、(それはその人の実力の現われだと思う)単に誰かを知っている、という程度じゃコネにはなり得ないから、それを利用できるぐらいの努力はしてきた、ということになると思う。そうじゃないコネももちろんあるけれど。でも、今話題にしているような人の前では、全く無関係であるコネを振りかざすのはバカバカしいと思うし、それで丁寧に扱われても、利用されそうになるだけだろう。なんだか頭に来るだけだ。あ~、読むの止めないとな。偉そうな口調で、自分だけが知っている、みたいな感じでいろいろとお説教しているのを読むのも、いちいち腹立つし。(私は説教節になってしまってないでしょうか???ちょっと不安ですばい・・・)ううう~~~。
2004年08月09日
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おばあちゃんがお買い物から帰ってきて、勝手口に立っていたとき。突然、「いたっ!!」と言ってうなじの辺りをパンッとはたいた。「えっ?どうしたの?」と言ったら、「スズメバチにやられた」と言う。「え~~~!!大変じゃん!」と言ってどうしようかと思っておろおろしていたら、おばあちゃんが台所に立っていたお母さんに「玉ねぎ切ってくれる?」と頼み、お母さんが切った玉ねぎを首筋に当てて、険しい表情のまま(痛いんだと思う)ソファに座りにいった。び、びびった。さすがカウガールおばあちゃん。しばらくしてから台所に戻ってきて首の辺りを探って、なんだか黒っぽいとげのようなものを探り当て、首筋にもう何も残っていないかを私に確認してもらい普通の生活に戻っていった。すごいなぁ~。
2004年08月08日
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I am away for a while where I don't have regular internet access and no ability to write in Japanese. I will be back on-line as soon as I am back in the city where I've moved to (on the first), found a place to live in, and hooked up with internet on my computer!Until then, enjoy my past writings and don't hesitate to tell me what you think!
2004年08月05日
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自分でこの言葉を使っていて、しかもその言葉を使うリングに参加していて、ちょっと批判的なことを書くのもどうかと思うかもしれないが、実は最近、気づいてしまってことがある。この「多文化」とか「多民族」という言葉、のどの奥の魚の小骨状態に陥っていたんだけど、最近、それがポロッと取れた。「多文化」とか「多民族」って「共生」って言葉と使われることが多いんだけれど、それはつまり、それぞれの「文化」や「民族」がそれぞれ別個のものとして存在し続けることを前提としてるんだよね。だから、梅干もキムチも食卓に並ぶ在日コリアンの家庭風景は映されない。クリスマスもお正月も祝う現代日本の若者の姿も映されない。英語と日本語をチャンポンにして話すアメリカン・スクール生の姿も映されない。こういう、チャンポン状態やスワール状態にある人間の存在は無視されてるのかなぁ?と思う。だから、在日コリアンだと言うと、「え?じゃあ、ハングルしゃべれるの?」と来るんだろうし、子供の頃をほとんど海外で過ごした人でも、日本人の両親を持った人ならば、もちろん日本語が「普通に」話せることを期待されるのだろう。だから「多文化・多民族共生を目指して」系の呼びかけには、日本における最大のマイノリティ民族の家庭に存在する梅干とキムチの並列(そしてお祝いの日に登場するケーキ)も、(英語系)インターナショナル・スクール生のジャパリッシュ(日英語)も、朝鮮学校生の在日ウリマル(朝鮮語日本語)も、ないものとみなされているような気がする。みんな、日本ではマイノリティ(少数派)だから、マジョリティ(多数派)である日本文化から何かを引き継ぐのは当たり前なんだけど・・・。「多」文化・「多」民族共生の呼びかけは、個々の文化・民族が「個別」であり続けることを期待してる。それには、「違い」を強調する面がある。「違い」が「異質」なことと捉えられているところで。「異質」なことは「良い」とされるにしろ、「悪い」とされるにしろ、「普通」ではないとされている。そういう意味では、良い・悪いの価値基準に関係なく、突出したものとみなされている。付加価値、というのはコロコロと変わるものだ。かわいさ余って憎さ百倍、とはよく言ったものだが、要は、好きも嫌いも同じ感情の裏表なだけであって、その裏表と言うのは、本当につまらない、ひょんなことで変わってしまえる。例えば、今のハーフというのも戦後しばらくは蔑み半分で「混血児」と呼ばれ、「すごく悪いこと」「恥ずかしいこと」と思われていたのが、1970年代になって突然、、ナウいカタカ表記の「ハーフ」になって、「すごくいいこと」「うらやましいこと」に変わった。でも、「ハーフ」が珍しいこと、特殊なこと、という元々の意識に変化はない。だから今の「かっこいい」が、また「恥ずかしい。日本人の恥」にいつ変わってもおかしくはないと思う。「ハーフ」である人を、そのカテゴリに入れて、周りから眺めることだけで満足する、と言う行為を止めない限り、「ハーフ」の子はそれだけで終わってしまうから、その人の思いも、考えも何も伝わってこない。結局はその人の個人性を奪って終るだけ。そういう中では、意識の変革は起こらない。同じように、今の韓国ブームだって、その韓国ブームに乗って、韓国人の知り合いを作ったり、韓国にいくようになって、韓国と自分との個人的なつながりを深めたり、ということにつながっていくならいいと思う。でも、テレビで放映されてる「韓国の~」を喜んで見ていて、自分のイメージを壊すような韓国像や韓国人を受け付けずにいたら、結局は自分の作りあげた「韓国」に恋してるだけで、それは飽きるのも早いだろうし、実際の韓国や韓国人に出会ったときのリアクションがちょっと心配。で、「多」文化・「多」民族という言葉についてだけど・・・。でもねぇ、行政的にはそう使われてるような気もするんだけど、私はそういうつもりは全くしないし、他に使ってる人の中にも、そういうつもり全くなしの人が多いような気がするんだよねぇ。使うの止める気にならないなぁ。「混」文化って手もあるにはあるんだけど、それはしっくり来ない。私は、自分が現代の他の人が経験したことのない、特別な存在だとは到底思えない。この場では何度も言ってることだけれど、日本出身の現代の30代以下のハーフやダブルといわれる人たちは、戦後の在日コリアン社会から学ぶことがいっぱいある。アイデンティティ面では特に。在日コリアンの場合は、両親共に朝鮮半島出身か在日コリアンである場合が多いから、在日コリアンにとっての「育ちの国」と「母国」との葛藤を、「育ちの国(片方の母国)」と「もう片方の母国」に置きなおさなければならないかもしれないけど、個人的な悩みの違いなんてそんなもんだと思う。いじめとか差別問題については、またいろいろと違うけどね。とにかく、共通点はすごく多いと思う。と、とにかく、また横道にそれちゃったけどさぁ、多文化・多民族、という言葉のちょっといやぁ~なところを発見しちゃったはしちゃったんだけど、使うの止める気にもならないわぁ~、ってのがとりあえずは今のところの結論です。なんかね、また自分を「特殊の」とか「新しい」存在と名づけて、またこう細かく細分化していくのが嫌なのね。いいじゃない、いろんな文化の総合の人なら総合の人で、と言う感じかなぁ?ああ、思いっきりひとり言・トゥナイト。
2004年08月03日
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こないだは偉そうに「宗教」ということを話題にしたけれども、そこでのキーワードは宗教を「どう定義するか」ということだった。今ではもう5年以上前の話になってしまったオウム真理教のサリン事件だが、それまでの戦後日本では「宗教」という言葉ってあまり問題にされてなかったと言うか、一般的には「宗教」というものに関する関心は薄かったような気がする。それが、オウムと言うカルトを通じて、突然「宗教団体」というものに焦点があてられた。まだ20代に仲間入りしたての私の幼なじみは、ちょうどそれが私の今までのいくつかの不可解な行動が「宗教」にも根ざしていることを知った時に、冗談交じりに「お願いだからオウムみたいにはまっちゃわないでよ」と言ったものだった。それは、宗教=カルトという簡単すぎるが鮮明な図式を露にしてるようだった。そしてもちろん、宗教=宗教団体という図式をも。って、宗教と宗教団体が同一視されるのは当然と思われるかもしれないけれど、<宗教と国際問題>でもちょっと書いたけど、理想的に言えば、宗教団体とは宗教の教えんとすることを忠実に具現化するはずのもの、という点で宗教と宗教団体って同一化されても仕方ないことだと思うけど、実際には、ねぇ・・・。私の意見は、やっぱり宗教団体だって団体だ、というところから揺るがない。というわけで、(いろいろと解釈のできる)宗教の教えと宗教団体そのものも別物、と考えてたりする。宗教=カルト、というのには、当然だけど同じものだと思っていない。重なる所もあるにはあるけど、それは哲学や思想と宗教の教えに共通することがあったり、政治団体と宗教団体に共通することがあったりするようにで、それ以上の共通点は見出せない。というわけで、もちろん私の頭の中に宗教=カルト、という図式はない。私の中での「カルト」は、極端な思想を盲信することの強制や自我の喪失の強制(=いいなりになること)をする。ここでちょっと横道にそれますが、私、留学して以来、宗教学・哲学やアジア地域学の授業を取るたびに、ちょっとした問題提起としていつも授業の最初に投げかけられてた質問がある。「東アジアの仏教・道教・儒教などは宗教と呼べるでしょうか?それとも一種の哲学でしょうか?」最初は着目点の面白さに感心していろいろと考えてみた質問だけれど、その後、いろいろな授業を受けたり、人と話していくうちに形成した自分の意見というものは、「そもそも英語でのreligion(和訳:宗教)とphilosophy(和訳:哲学)というのは、ヨーロッパのルネッサンス期にできた分類の仕方で、しかもphilosophyはtheology(和訳:神学)から派生したものじゃないか」と発見した辺りでね、「ああ、この『宗教』と『哲学』という分け方とかはとっても西洋中心・プロテスタント中心主義なのね」と思うようになったんです。そもそも宗教と文化と生活様式とかそういったものをそんなきれいに切り離して考えられるものでないと思う。って言うのは、大学時代に最初の二年間は、比較宗教学専攻にするぞおぉぉ~、むおぉぉぉ~!!!!って気張って、宗教学の授業を取りまくったんです・・・。で、私の大学での宗教学は、文化人類学的な宗教学を教えてて、それに多大なる影響を受けた、ってこともあったりするんだけど・・・。(笑)同時に、宗教も、それに付随する哲学やなんやかんやも、文化も、きれいに切り離して考えられるものではない、ということは自らの経験や観察からしてもしっくり来たから、今でもそういう前提に立って話をする、という側面もある。今でも宗教・文化・個人的な信条・倫理観などの間ってきれいに線引きできると思っていない。ただ、宗教や宗教団体やその宗教を信仰する人々が、個々の生活の中にどういうふうに宗教を溶け込ませてきたか、という違いから、どこに「宗教色」がより強くにじみ出てくるようになったかは違ってくるよねぇ。それはそれで面白いと思う。前にいったことの繰り返しになるけれど、「宗教色のない国・地域」なんてないに等しいと思う。旧ソ連がそうだったように、政治思想自体が宗教色を帯びているところは別として(そういうところは、それはそれで、その思想が「宗教」とみなしていいのだと思うけど、どう?)元々いろんな「宗教」なり「伝統文化」が同時に生息していたり、面白く混じった形で生息している場合はすごく多いから、一つの宗教名で括れるかどうかは別として、ほとんどの国は宗教色というものを持っている。でも、信仰・表現の自由をみんなに(できるだけ)等しく保障するには、国家(または国家に代わる統治団体)と宗教団体は提携してはいけないと思う。絶対に。それは確かに宗教の名の下に悲劇を繰り返す可能性を最大限に引き出してしまうと思う。さて、ちょっと軌道修正して宗教とは何か、という話に戻ると、私にとっては、宗教と信じてることは同義語じゃないし、それは私一人だけに限ったことじゃないという自信もある。「宗教」ってひと括りにされてるものの中には、いろんなものが含まれてると思う。信じることだけじゃないんだよね、全然。宗教に影響を受けるものとしては、価値観、食べるもの、着るもの、などの日常的に「する」こと、「考える」こと、「感じる」ことだって含まれると思う。でも、これには個人の選択や育った環境・体験なんかも関係があるから、「~教だと・・・」という括り方もしづらい。それもあって、宗教の信仰とか、信者、ってことばも、私にとってはあまりしっくり来ない。だって「信じる」って漢字が入ってるでしょ?私はどちらかと言えば、自分のルーツに関係のある宗教団体に属することで、そのルーツとのつながりを強めたり、その団体を通して、この世の中にもう一つだけ、自分でいて気持ちの良い場所を作っている。私にとっての宗教団体っていうのはそんなもんだ。そんなにお軽いものでもないけど。私の宗教、というか信条はと言えば、やはり両親に教えられた人道主義じゃないか。それと、『平家物語』の「盛者必衰の理あり」にも代表されるような、とても仏教的な「この世はしょせん、はかない無常の世よ」的な心持か。(これも実はお坊さんになるはずだった祖父も持つものとしては、しっかりルーツに入ってるかも知れない・・・笑。でも、この思想だって、その気になって探せば、いろんな宗教や現代哲学・倫理の「教え」に含まれてるものでもある。)私の信条は、わりと私の宗教団体の「宗教」の部分にはあまり色濃く反映されてない。というか、一応「西洋宗教」の域には入るので、簡単に言ってしまえば「この世はうつろいやすいけれど、我々の神は永遠」。その割に、私はその「神様」の存在をあまり気にしてない。私は目に見える、直にふれることのできる人間や動物や植物や自然の存在の方がずっと気になる。だから、宗教団体も信条ではなくて、私の家族、そこにいる人間をモトに決める。それでも私が、その宗教団体に属することに違和感を感じない理由の一つに、その宗教団体には、私とそっくりの理由(家族との絆との関係)でその団体に参加していたり、私とすごく似た信条を持った人たちがゴロゴロいて、それが堂々と発言されることが憚れなかったりするからかもしれない。宗教団体の公式な「教え」と団体に属してる人たちの信条にズレがあることが普通に知られてる。でも、そんなもんなんだと思う。ここまでそれが団体のリーダーにまで承認されてしまっていることはちょっと特殊かもしれないけれど、でも結局は個人の信じてることなんて、本当にコントロールできるものではないし、(本当にコントロールしようとしたら、マインド・コントロール、洗脳の世界じゃん?)団体の「公式な意見・信条」と個々人に意見や信条を聞いた時にズレがあるのは当然だと思う。とと、なんだか、まとまりがつかなくなってしまった・・・。ここらへんで一区切りつけるかな。
2004年08月01日
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