Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2016/12/05
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15.ブラディー・メアリー(Bloody Mary)

【現代の標準的なレシピ】 【スタイル】 シェイクまたはビルド

 「ブラディー・メアリー」は、現代でもかなり知名度のあるカクテルです。カクテルブックで「パリのハリーズ・ニューヨーク・バー(以下「HNB」と略すことも)のバーテンダーだったフェルナンド・プティオ(Fernand Petiot 1900~1975)が1920~21年頃に考案した」と紹介されることが多いです(プティオ自身も、後年、概ねそう証言しています)が、後述するように、プティオが後の渡米後、ニューヨークのセントレジス・ホテル(「キングコール・バー」)時代の1934年に考案したという説もあります(出典:Meehan's Bartender Manual<Jim Meehan著>)。

 「ブラディー」(Bloody=血まみれ、血みどろ)という名前は、16世紀半ばに、宗教弾圧で約300人ものプロテスタント教徒を処刑したという英女王メアリー1世(1516~1558)に由来し、その冷酷なイメージを表現したというのが定説となってきました(珍説としては、ベースであるウオッカの創業者「ウラジミール・スミルノフ」の名前が欧米人には発音しにくく、「ウラジミール」が転じて「ブラディー・メアリー」になったという話もあります → 出典:Wikipedia英語版)。

 しかし、1999年に出版された「Vintage Cocktails」(Susan Waggoner & Robert Markel著)や、2002年に米国の著名なカクテル研究家デイル・デグロフ(Dale Degroff)が著した「The Craft of the Cocktail」などは少し違う説を紹介しています。
 曰く、「(Bloody Maryは)当初、ハリーズ・バーでは『Bucket of Blood』(「バケツ一杯の血」の意)という名だった。しかし、その後常連客だったメアリーという女性の名にちなんで、『ブラディー・メアリー』に変わった。その客は相手の男性にいつも待ちぼうけを食わされ、寂しそうにプティオのつくるトマト・カクテルを飲んでいた。その様子がまるで、長期間幽閉されていた女王メアリーの孤独に相通じるものがあった」というです。えっ? 残酷な女王の「無慈悲」というイメージ由来ではなかったのか?

 極めつけが、2012年に出版されたハリーズ・ニューヨーク・バーの「100周年記念本(原題:HARRY’S BAR THE ORIGINAL)」。1967年発行の雑誌「News Week」の記事を引用する形で、プティオの驚くべき証言を紹介しています。プティオはハリーズ・バーを辞めた後、ロンドン・サヴォイホテルのバーを経て、1925年に米国へ渡り、1934年以降はニューヨークの「セントレジス(St. Regis)・ホテル」のバーでチーフ・バーテンダーとして活躍しました(このインタビュー時は66歳)。

 プティオはこう語っています。「(カクテル名は)ハリーズ・バーにいた若いスタッフが提案してきたんだ。(禁酒法時代、血生臭い事件が数多くあったシカゴのナイトクラブ)『Bucket of Blood Club』を思い起こさせるって。そして当時、彼にはメアリーという名前の恋人がいたんだよ」。本当なのかと思いたくなる証言の数々。今まで信じていた「メアリー1世」説は何だったのでしょうか…。

 なお、考案の経緯や作者については異説もあります。代表的な説として、以下のような4つの説が伝わっています。

(1)ジョージ・ジェッセル(George Jessel 1898~1981)という米国人喜劇俳優が1939年に考案し、フェルナンド・プティオに教えた(プティオ自身の後年の証言→出典:石垣憲一氏「カクテル ホントのうんちく話」=2008年刊)。ジェッセルのためにプティオが考案したという説も(出典:Wikipedia英語版)。
 ※同書によれば、プティオ自身は1964年、ある雑誌のインタビューで(ブラディー・メアリーが)自身の創作であることを否定し、「ジョージ・ジェッセルなる人物からレシピを教わった」と明かしているとのこと(ただし、一方で「現代的なブラディー・メアリーをつくったのは自分だ」とも語っている)。

(2)パリ・リッツホテルの「ヘミングウェイ・バー」で誕生した。考案の時期については不明(出典:Wikipedia英語版)。
 ※リッツホテルのチーフ・バーテンダー、コリン・ピーター・フィールド(Colin Peter Field)はその著書「The Cocktails of The Ritz Paris」(2001年刊)の中で、同ホテル内「プティ・バー」のバーテンダー、ベルナール・ベジタンの証言を元に、1940年代後半か1950年代初めに、常連客だった文豪ヘミングウェイのために考案したという説を紹介していますが、一方で、それを証明する証拠もないとも記しています。

(3)ニューヨークの社交クラブ「The 21 Club」のバーテンダーHenry Zbikiewiczというバーテンダーが1930年代に考案した(出典:同上)。※上記のジョージ・ジェッセルもこのクラブの常連客だったそうです。

(4)禁酒法時代(1920~33)に米国のもぐり酒場で生まれた「ブラディー・サム」(ジン&トマト・ジュース)のバリエーションとして、考案された。考案の時期自体は不明(出典:欧米の複数のカクテル専門サイト)。
 ※禁酒法時代、米国ではウオッカはほとんど流通していませんでした。もし、「ブラディー・サム」のバリエーションとして考案されたのだとしても、禁酒法廃止後の1935年以降のことでしょう(ウオッカが米国で本格的に普及するのは、第二次大戦後<1945年~>です)。

 前述のように、プティオが働いていたパリのハリーズ・バーでは、当初「バケット・オブ・ブラッド」と呼ばれていました。店ではそれなりに飲まれていたはずですが、1920~30年代(米国は禁酒法時代)の欧州で幅広く普及しなかったことは、この時期、欧米で出版されたカクテルブックに「ブラッディ・メアリー」を収録している例が見当たらないことからも明らかです。

 個人的にはこれが不思議でしたが、探っていくうちその理由がいくつか見えてきました。まず、20年代前半の欧州では、特定の季節しか新鮮なトマトが入らず、「トマト・ジュースを使うカクテル」をバーで年間通して提供することはとても難しいことでした。米国で(カクテルにも使える)手軽な缶入りのトマト・ジュースが誕生し、欧州に輸入されるようになったのは、1925年以降です。

 また、ベースとなる酒であるウオッカも、ロシア革命(1917年)後、ソビエト連邦が生産を一時禁止したため、西欧地域では急激な供給不足に陥りました。スミルノフ家などロシアから逃れた実業家が、ポーランドやフランスでウオッカ生産を再開するのは、1920年代半ば~後半になってからで、生産量もまだ需要を満たす程ではありませんでした。なので20年代、ハリーズ・バーで「ブラディー・メアリー」が提供できたとしても、その量はおそらくは限定的だったでしょう。

 プティオにはさらにもう一つ、予期せぬ出来事が起こります。1934年、渡米後迎えられたニューヨークのセントレジス・ホテルのオーナーから、「ブラディーという名は印象が良くない。カクテル名を変えるように」と強く要請されます。プティオは仕方なく、「レッド・スナッパー(Red Snapper)」という名に変更します。加えて、当時の米国ではウオッカがまだ十分出回っておらず、ベースもジンに変えざるを得ませんでした(なので、30年代の本では「レッド・スナッパー」の名で登場することはあっても、「ブラディー・メアリー」で紹介されることはなかったのです)。

 「レッド・スナッパー」は当初、米国では「味が平凡だ」と不評でした。そこでプティオは、塩、胡椒、レモンジュース、ウスターソースなどを加えて、味を複雑にする工夫を加えました。これが「トレンディ好き」なニューヨーカーに受けました。1939年、スミルノフ・ウオッカの米国内での輸入がスタート。翌年1940年には、米国で出版されたカクテルブック「The Official Mixer's Manual」(パトリック・ダフィー著)の第2版で、「ブラディー・メアリー」として初めて活字で紹介されました。
 そのレシピは、「ウオッカ1ジガー、トマト・ジュース2ジガー、レモン・ジュース3分の1ジガー、ウースター・ソース1dash、塩、胡椒(シェイク)」となっています。第二次大戦後には、輸入業者から「ブラッディ・メアリー」が「販促カクテル」として採用され、プティオの米国流アレンジは、まもなく欧州にも幅広く普及し、再び注目されるようになりました。

 ご参考までに、1940~50年代に欧米で出版された主なカクテルブックでの「ブラディー・メアリー」を紹介しておきましょう。

 ・「The Stork Club Bar Book」(ルキアス・ビーブ著、1946年刊)米 
 ウオッカ3オンス、トマト・ジュース6オンス、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、レモン・ジュース2分の1個分(シェイク)

 ・「Trader Vic's Bartender Guide」(ヴィクター・バージェロン著、1947年刊)米
 ウオッカ1オンス、トマトレ・ジュース適量、レモン・ジュース2分の1オンス、ウースター・ソース1tsp、タバスコ1drop、塩、胡椒(シェイク)

 ・「Old Mr. Boston Official Bartender's Guide」(1953年版)米
 ウオッカ45ml、トマト・ジュース45ml、レモン・ジュース1dash(ビルド)

 ・「Esquire Drink Book」(フレデリック・バーミンガム編、1956年刊)米
 ウオッカ1ジガー、トマト・ジュース2ジガー、レモン・ジュース3分の1ジガー、ウースター・ソース1dash、塩、胡椒(シェイク)

 ちなみに、「HNB」のオーナー、ハリー・マッケルホーンが著した「ABC of Mixing Cocktails」(1919年初版刊)では、初版も含め20年代に何度か重版が出た際も「ブラディー・メアリー」は収録されていません。1986年の改訂版になってようやく初めて登場しました。

 なお、プロのバーテンダーなら常識でしょうが、トマト・ジュースを「クラマト・トマトジュース」(貝のエキス入り)に替えると、「ブラディー・シーザー」という名に変わります。また、ベースをテキーラに替えると「ストロー・ハット」に、ビールに替えると「レッド・アイ」に、また、ブラディー・マリーそのものをビールで割ると「レッド・バード」というカクテルになります。

 日本で比較的知られるようになったのは、終戦後の1950年代からと思われますが、文献で登場するのは60年代に入ってからです。

【確認できる日本初出資料】 「カクテール全書」(木村与三男著、1962年刊)。レシピは「ウオッカ45ml、トマト・ジュース200ml、レモン・ジュース1tsp、ウースター・ソース、塩、胡椒各お好みで」となっています。



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うらんかんろ

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kopn0822 @ 1929年当時のカポネの年収 (1929年当時) 1ドル=2.5円 10ドル=25円 10…
汪(ワン) @ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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