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2021/06/29
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カテゴリ: ITTETSU GALLERY
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 ITTETSU GALLERY:もう一つの成田一徹(241)~(260)

 バー・シーンを描いた切り絵で有名な成田一徹(1949~2012)ですが、実は、バー以外をテーマにした幅広いジャンルの切り絵も、数多く手掛けています。花、鳥、動物、職人の仕事、街の風景、庶民の暮らし、歴史、時代物(江戸情緒など)、歴史上の人物、伝統行事・習俗、生まれ故郷の神戸、小説やエッセイの挿絵、切り絵教則本のためのお手本等々。

 今回、バー・シーンとは一味違った「一徹アート」の魅力を、一人でも多くの皆さんに知ってもらいたいと願って、膨大な作品群のなかから、厳選した逸品を1点ずつ紹介していこうと思います(※一部、バー関係をテーマにした作品も含まれますが、ご了承ください)。
※故・成田一徹氏の切り絵など作品の著作権は、「Office Ittetsu」が所有しております。許可のない転載・複製や二次利用は著作権法違反であり、固くお断りいたします。


(241)金魚(「アークヒルズ秋まつり」のポスターのために)  2004年
 ※どういう経緯かは不詳だが、2004年8月、一徹氏は東京・港区赤坂にある「アークヒルズ」から「秋まつり(9月18日・19日開催)のポスターに使う切り絵」の依頼を受けた。そして、一徹氏が選んだモチーフは金魚。当日は縁日のような屋台が並ぶのでぴったりと考えたプランは、そのまま採用された。カラーのポスターなので、グラデーションもふんだんに使いながら、華麗に描いている。出来上がったポスターは下の画像をご参照。
 ちなみに、秋まつりの会場でもある「ARK KARAJAN PLACE」とは、アークヒルズにあるサントリー・ホールの設計でアドバイザーをつとめた世界的指揮者、故ヘルベルト・フォン・カラヤンの名にちなむ「カラヤン広場」のこと。








(242)「酒場漂流:函館」のための挿絵  1998年
 ※季刊誌「サントリー・クオータリー」1998年冬号に掲載されたノンフィクション作家・海老沢泰久氏(1950~2009)のエッセイ「酒場漂流:函館」の挿絵として制作された。「サントリー・クオータリー」はサントリー社が1979年に創刊。開高健、山口瞳、柳原良平らサントリー宣伝部の元中心メンバーだった才人たちが編集に関わった。かの伝説の雑誌「洋酒天国」のスピリットを伝える貴重な”大人の文化誌”だった。
 しかし出版不況や、2000年代後半のウイスキー消費の落ち込みもあって、惜しまれながら2009年に休刊となった。こういうクオリティの高い雑誌の存在自体は、その国の「文化度のバロメーター」でもある。休刊は今でも本当に残念というしかない。










(243)龍神沼(連作)  1990年代前半
 ※「龍神沼」伝説の類は、全国各地に様々な形で伝わっている。概略どういう話かと言えば-ー。例えば以下のように。
 「昔々、村の沼の主である龍は、女の姿になってしばしば村に出没し、親切にしてもらっていた。ある年、村はひどい干ばつに見舞われた。雨乞いは功を奏さず、水田は干からびて、村人達は餓死を覚悟した。龍は、村への恩返しとして雨を降らせること。しかし、『雨を止めているのは大龍王。雨を降らせれば自分は(大龍王の)怒りを買い、体を裂かれるだろう』と話し、姿を消した。間もなく空が雲に覆われ雨が降り出した。喜んでいた村人達は、龍が天に昇って雲の中に消え、直後、稲妻の光の中で龍の体が三つに裂かれるのを見た」。
 この切り絵は、おそらく小説かエッセイの挿絵、または絵本のために制作したと思われる。「龍」は、一徹氏がたびたび手掛けた得意のモチーフ。このような絵はまさにお手の物だったろう。






(244)蒸留所の守護神  1996年
 ※ノンフィクション作家・伊藤精介氏(故人、1951~2003)の連載エッセイ「今宵どこかのBARで」(漫画誌スーパージャンプ誌上)の第30回のための挿絵。この回は「2匹の猫」がテーマだった。ただし猫は猫でも「蒸留所の守護神」の役割を持つ猫である。
 1匹は、英スコットランドで現存最古のモルトウイスキー蒸留所「グレンタレット(Glenturret)」にいた「タウザー(Towser)」という名の雌猫(下の写真ご参照 = (C) Asahi.com)
)。彼女は23年と11カ月(1963年4月~1987年3月)の生涯で、3万匹近いネズミを捕まえたという伝説を持ち、ギネスブックにも「最も多くのネズミを捕らえた猫」として認定されている。
 そしてもう1匹は、1993年に米国ケンタッキー州の蒸留所からバーボンの空樽に隠れて大西洋を渡り、スコットランドの蒸留所まで運ばれた猫。この切り絵に描かれたのは、おそらくこの2匹で、上の黒い方がタウザーである。後者のまだ名前のない猫は、その空樽を発注したスコットランドの蒸留所が引き取ったというが、どこの蒸留所だったのかについて、このエッセイは触れていない。いまだに気になって頭の片隅から消えない。















(245)夏目 漱石  1994年~2001年
 ※夏目漱石(なつめ そうせき、1867~1916)は、言うまでもなく近代日本を代表する文豪。一徹氏にとっても、最も好きな作家だったようで、生涯にたびたび切り絵作品にしている。
 本名は夏目金之助(なつめ きんのすけ)。東京・牛込生まれ。1893年(明治26年)、東京帝国大学英文科を卒業後、松山の中学校で英語教師、熊本の第五高等学校で教授をつとめたあと、1900年に、文部省の海外派遣留学生として、英国留学を命じられる。
 約2年間の留学を終えた後、東京帝大講師として英文学を講じていた時、持病の神経衰弱の治療の一環として友人の高浜虚子から創作を勧められ、俳句雑誌「ホトトギス」誌上で、処女作になる『吾輩は猫である』の連載を始めた。その後、同誌上で『坊ちゃん』『野分』を執筆。好評を博したため、作家として生きていくことを決めた。
 そして1907年、一切の教職を辞し、朝日新聞社に入社。本格的に職業作家としての道を歩み始める。同年6月、初めての作品『虞美人草』の連載を朝日新聞紙上で開始。その後も、『三四郎』『こころ』『それから』『門』『彼岸過迄』などの名作を次々と執筆した。途中には、何度か体調不良(神経衰弱や胃潰瘍)に見舞われたが、約8年間ほぼ絶え間なく、連載小説を手掛け、人気作家の地位を不動のものにした。1916年(大正5年)12月、『道草』の連載途中に体内出血を起こし、自宅で死去(享年49歳)。
 1枚目は漫画雑誌「スーパージャンプ」での連載「The Cigar Story-ー葉巻をめぐる偉人伝」(2001年、城アラキ氏とのコラボ作品)のために制作したもの。2~3枚目もほぼ同時期の作品だが、結果的に連載には使用されなかった(3枚目の原画は現在、母校・大阪経済大学「成田一徹」ギャラリー所蔵)。4~5枚目は半藤一利氏の連載エッセイ「歴史探偵かんじん帳」(毎日新聞日曜版)の挿絵(1994年)として制作したもの。






(246)海王丸(スケッチ)  1980年代前半 筆ペン
 ※帆船とは、一徹氏にとっては格好の画材(モチーフ)だったのだろう。神戸港振興協会に勤めていた頃、職場の側にある突堤に帆船「海王丸」が来港するたび、しばしばスケッチブックを持って接遇に出かけた。第97回で紹介した海王丸のペン画(下の画像ご参照)は彩色しているが、こちらは筆ペンでさらさらっと描いたスケッチ。どちらも味わい溢れる作品に仕上がっている。







(247)朝顔  1990年代前半
  ※以前、一度紹介した朝顔(第33回、第34回=下の画像ご参照)とは違う構図。ただ、バックに簾(すだれ)を配したのは同じ手法だ。切り絵で表現するためには、直線が並行する簾は脇役として最適だったのだろう。落款付きなので、おそらく何かのエッセイの挿絵として制作されたと思われる。









(248)白いハト  1995年頃
  ※一徹氏が遺した作品の数々には、制作時期や意図はもちろん、どの媒体のために制作したのかが不明なものが多い。一徹氏が遺した作品整理の作業には、そうした不明なデータの特定も含めて「謎解き」の楽しみもある。
 この「白いハト」は96年に著した「切り絵12カ月1000カット」という自著に収録されている。しかし必ずしも「お手本として」を目的として制作したのではなく、何かの媒体で使用した後、「お手本」として再録するケースもある。まぁ、見る人にとっては、作品が素晴らしければそんなことはどうでもいいのかもしれないが…。






(249)海辺の二人  1990年代前半
 ※夏の砂浜のパラソルの下で、水平線を見つめながら肩寄せ合う二人は兄と妹か、それともちょっと若い恋人たちか。ほのぼのとした雰囲気と、爽やかな海風が感じられる作品。後ろ姿で描いて、あとは見る人の想像力に任せるのは一徹氏の得意技だ。この絵も切り絵技法書の「お手本」として自著に収録している。





(250)カニと遊んだ夏  1990年代前半
 ※昨日に続いて夏の海辺(または川辺)が舞台。例によって正面ではなく、後ろから見た姿。麦わら帽子をかぶった子どもがいる。描かれているのは頭と手、雲、そして手はカニを掴(つか)んでいる。あとは見る人の想像力に任せる手法。「紙焼きの写真」上の画像で見せて、「夏休みでの楽しい思い出」のように描いた一徹流の”演出”が心憎い。





(251)かき氷屋の幟  1990年代前半
 ※専業のかき氷屋さんというのも、近頃あまり見なくなったが、昔は夏場、街を歩くと必ず何軒かに出くわした(冬場はたこ焼きに商売替えしていた)。そして、その軒先にはこんな宣伝幟(のぼり)がよくかかっていた。何度か紹介している毎日新聞の休刊日お知らせチラシのために制作した作品。
 しかし、よくよく見れば幟の下の方に描かれた波は、幟の本体からはみ出している。なぜこのような不思議な幟にしたのかは、いまとなっては一徹氏に尋ねるしかないが、「僕はチラシだからと言って手は抜かないよ。読者に『あれぇ、何だろう?不思議な絵だなぁ…』と言わせたいんだよ」とでも言うのかな。





(252)空襲の記憶  2005年
 ※落語家・九代目桂文楽さんの連載エッセイ「四角い顔DEまぁーるいイキ噺」(週刊実話誌上、2005年4月~07年3月、計95回連載)の第33回のために制作された作品。エッセイは、文楽さんが7歳の頃の米軍の本土空襲の悲しい記憶をつづった内容。当時浅草に住んでいた筆者は空襲で家を焼かれ、たくさんの空襲犠牲者の遺体を見てしまった。「戦争は始めたら最後、いいも悪いもない。悲惨な事態に遭ったものでないと分からない地獄が待っているだけ」と訴える。
 戦後76年、悲惨な戦争に二度と巻き込まれないために、21世紀を生きる私たちが貫かなければならないことは、ただ一つだと改めて思う。それは、議会制民主主義と文民統制(シビリアンコントロール)と基本的人権の大切さを最後まで守ってくれる政治家を選ぶことだ。だからこそ、選挙での一票は大事なのだと肝に銘じたい。





(253)浴衣姿  1980年代後半
 ※プロデビュー(1988年)の前から、一徹氏が力を入れた課題の一つに「女性をいかに美しく表現するか」というのがあった。その努力は年々実を結び、デビューした頃には、ここまで「艶っぽさ」を出すことに成功している。この作品は自身のポストカードにも使われた。





(254)謎のオブジェ  1996年
 ※一徹氏が遺した作品の中には、時々「何を切った(描いた)のだろうか?」と首をひねるようなものがある。この「八・一トリオ」京都展の告知はがき用に制作した絵もそんな一作。石材がねじれて絡み合ったような不思議な絵。じっと見ていても、いったい何を意味しているのか、私はさっぱり分からない。どなたか、何かヒントをご教示くださいませ。





(255)謎のフクロウ  1990年代後半
 ※昨日に続き、「何を切った(描いた)のだろうか?」と首をひねるような作品をもう一つ。フクロウがいるが、顔は二つに分かれている。大きな羽根も1本見える。他にも様々な物体がつながっている。一体これは何なんだ? 本日もfacebookの友人の皆さまのお知恵を拝借です。この絵はいったい何を意味しているのか、何を表現したかったのか、私にはさっぱり分からない。どなたか、何かヒントをご教示くださいませ。





(256)壊れた?腕時計  1980年代後半~90年代前半
 ※一昨日、昨日に続き、もう一つ難解な作品を紹介。文字盤からはみ出た針や数字、バラバラに切れたベルト。これも見れば見るほどおかしな絵だ。何のために、何の媒体のために切った(描いた)のかは不明(個人的には、SF小説の挿絵ではないかと想像するが…)。制作年代も推定である。この絵に関して、何か心当たりのある方は私まで、教示くださいませ。





(257)薬師寺大講堂・落慶法要  2003年
 ※朝日新聞夕刊(大阪本社版)で2002年4月から03年3月の約1年間、週1回連載された「どこへ一徹 切り絵旅」。これはその最終回(第46回目)に掲載された作品。ユネスコの世界遺産にも登録されている薬師寺は、天武天皇九年(680年)に創建された法相宗大本山。この切り絵は、白鳳伽藍再建事業の一つ、大講堂落慶法要(2003年)の様子を描いている。
 この「切り絵旅」はフルカラーでの連載だったので、一徹氏は連載中時折り金色を使ったが、2000年代前半、新聞紙の上では「金色」を表現するのは簡単ではなかった(現在の技術ではそう困難ではないが…)。「新聞の輪転機(印刷機械)で金色が紙にうまく出るかなぁ…」と不安そうな言葉も口にしていたが、新聞社の印刷技術者はそのプライドにかけて、当時の技術を駆使し、一徹氏の望み通り金色を見事に「発色」させた。





(258)マンハッタン  1990年代前半
 ※たびたび訪れたニューヨーク。その摩天楼のビル群は一徹氏にとって、格好のモチーフだった。たびたび切り絵にしているが、バックの白い紙の代わりに、英字紙のコピーを使って表現した。ビルの高低に合わせて、コピーの縮小・拡大機能を使って、左から右へ活字の大きく変化させたのが小技だ。「活字のドットの大小でグラデーションを表現してみた」とは一徹氏自身の解説。93年に出版した「最新切り絵教室」にも作例として収録している。







(259)「事故車の証言」のための表紙&挿絵  1999年
 ※作家・北上秋彦氏(1950~)の連載小説「疑惑の傷痕:事故車の証言」(月刊「小説現代」掲載)のための表紙と挿絵。





(260)「溶接作業」教育ビデオのための表紙  1988~89年頃?
 ※きょうは「こんな仕事もやっていたんだー!」と私も驚いた一枚。「技能教育訓練ビデオシリーズ:アーク溶接の基本<溶接作業の安全>」というタイトルのビデオのための表紙絵である。言葉は悪いが、非常にマニアックで、マイナーな仕事。ギャラも推して知るべしだったろう。企画したのは神奈川県労務安全衛生協会、制作・著作・販売は安井電子出版という会社。
 一徹氏が、どういう繋がりでこの表紙絵を頼まれたのかは分からない。神奈川県の協会からの依頼ということもあり、時期的にはおそらく、プロデビュー後上京(1988年)して間もない頃ではないかと想像する。「もちろんギャラも大事だけれど、求められたら、どんな仕事でもやる。小さな仕事でも手は抜かない」。終生そのポリシーを貫いた一徹氏にとっては、ある意味「原点」と言える作品だったかもしれない。
 ※ちなみに、この神奈川県の協会が制作した「アーク溶接の基本」という研修教材はDVDに姿を変えて現在でも販売されており、業界ではロングセラー商品になっているという(残念ながら、もはや一徹氏の切り絵は表紙に使われていないが…)。



★過去の総集編ページをご覧になりたい方は、 こちらへ。

【Office Ittetsuからのお願い】成田一徹が残したバー以外のジャンルの切り絵について、近い将来「作品集」の刊行を計画しております。もしこの企画に乗ってくださる出版社がございましたら、arkwez@gmail.com までご連絡ください。

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kopn0822 @ 1929年当時のカポネの年収 (1929年当時) 1ドル=2.5円 10ドル=25円 10…
汪(ワン) @ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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▼Bar UKでも愛用のBIRDYのグラスタオル。二度拭き不要でピカピカになる優れものです。値段は少々高めですが、値段に見合う価値有りです(Lサイズもありますが、ご家庭ではこのMサイズが使いやすいでしょう)。 ▼切り絵作家・成田一徹氏にとって「バー空間」と並び終生のテーマだったのは「故郷・神戸」。これはその集大成と言える本です(続編「新・神戸の残り香」もぜひ!)。
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