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何だか がっくりした今日の出来事、もう80過ぎのお爺さんの話し、私なんか 年金がもらえるかどうかも不安だというのにうちのお爺さんの話なんだけど、と聞いた話が・・・80過ぎのおじいさんが 「たったこれしかもらえない 」「俺はたくさん収めたんだ、」聞けば そのお爺さんは 高額年金をもらってるらしいのですが(職業と勤続年数から想像)高額というのが いったいいくらなのか私には分からないのですがそれでも「たったこれしか」 だなんて 自分の価値は相当高いという 勘違いしてる事なのかしら?一体いくらもらえれば満足するのかしら、あなたの孫は あなたに吸い取られ年金もらえるかどうか分からないんだよ と思いましたが、孫の為に もらった年金を貯めこんで 贈与しておきたいのかな?うちのおじいさんは 全然もらえてないんだよ、と真顔で言ってるそのおじいさんの 50代後半の娘さんにもがっくり80歳過ぎの人は 自分が支払った以上、何倍かの年金を受給されてると どこでも聞くのだけどそれでは全然足りないだなんて・・・お爺さんにも その娘さんにも 50も後半になって 何を言ってるの~?久々に がっくりきました、私がおかしいのかな?
2016/03/25
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白菊会というのは 大学病院内にある献体の団体名(でいいのかな…)2年3ヶ月前亡くなった姑さんは 大学病院の検体に数十年も前に申し込んでいたので亡くなると直ぐに白菊会へ連絡を入れました。そして葬儀屋さんの車で 大学病院へ行ってしまったのですが今にして思うと 直葬よりすごいかもしれません亡くなってから2時間後には 病室のベッドから棺に入り大学病院へ行ってしまったので夫とその兄、私の3人だけで 病院の駐車場から 見送ってお終い・・・あっと言う間の出来事でした本当に亡くなったのか まるで失踪しちゃったような気持ちが何とも変な感じで落ち着かなかったのですが、当時は粛々と相続問題をこなすことで心は落ち着いていった記憶です。やはり葬儀は必要なのかもしれませんね、もしくはお別れの会でもいいので 火葬も 心の整理には 必要なのかもしれません。白菊会からは 献体は長くて3年かかると聞いていたのですが 2年ちょっとで連絡が来ました。遺骨返還式には 夫と2人で出席してきました。兄夫婦は仕事のため出席できず・・・ 夫の兄は8年もの間一度も施設を訪れることのなかったので仕方ないのです。その辺は諦めです。面倒な事には関わりたくない性格なのです。結局、最後まで夫と私で姑さんのお世話をした事になりますが、お墓の件は兄夫婦に完全にお任せしてあります。返還式では 大きなホールのステージに白菊が飾られ たくさんの遺骨が並んでいました。合同葬のような、卒業式のような、そんな感じでした 遺骨を受け取りに来た方々は葬儀に参列するような感じで 一族でいらしてる方々、数人でいらした方 それぞれの様子でした。代表一名がステージに上がりました。ステージの椅子に座ることになった夫は 何となく緊張気味でしたが1時間半くらいだったかな・・・式は滞りなく終了、そして姑さんは我が家に一緒に帰宅しました。生前は一度だけ我家に上がったことがあるのですが それ以来ですね色々な事情で 親族のお位牌がある我が家なのですが 隣に並べて遺骨を置いてみました。一週間、お位牌と遺骨を並べていたのですが 不思議な事に遺骨を夫の兄宅に届けに行った日の夜、お位牌までもが一斉に帰ってしまいました。数年ぶりに甥っ子がやって来て お位牌を持って行ってくれました。何年もの間、誰も引き取らないお位牌をどうしようかと思い 我が家のリビングに置いていたのですが、まさか一斉に本来あるべき所に戻って行くとは思いませんでした。遺骨として戻ってきた姑さんと ご先祖様が話し合ったかのようでした。甥っ子が引き取ってくれるとは思ってもいなかったので何があったのか、まさか同じ日にご先祖様全員が出て行ってしまうとは・・・何度思い出しても不思議な日でした。これで白菊会とのお付き合いもお終いです。今のところ 私も夫も献体を希望していません。でも、もしかすると将来はどうなるか分かりませんね姑さんのおかげで いろいろ勉強になりました。
2016/03/21
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もう5年が過ぎたとは あまり変わってないような気持ちとどこか心の奥では 無かった事になってるような気持といろんな思いが複雑な入り組んでいて 未だ整理できてないようです実家からの帰り道で あの地震と同じ時間になりましたが農家のおばあさんが 東の空を仰ぎながら畑の中で手を合わせていました。沿岸部の親戚が多かったので 思い出す事も辛いです 親戚はもっと辛いと思います身近な人がたくさん亡くなり その後も大変なことになっていて・・・たくさんの人の話の中から感じたことは結局、頑張っていくのは自分自身でいつまでも助けてはくれないんです。寄り添ってくれることはあっても 最後は自分自身だということ基本的で当たり前な事が いかに難しい事かということなんですね子育てにも通じていて 時々私は生き抜く力のあるよう子供達を育てることができただろうか?不安に感じたりしています。嫌な震災でしたが その後たくさんの事を学んでいるようです。子供たちはどんな事を思い出していたかな・・・そのうち帰省したら話してみようと思います。
2016/03/11
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この冬は雪が少なかったので雪掻きも数回だけ 楽ちんだったよかったな~、と思っていたら あっという間に雑草が顔を出してました草取りシーズン到来、田んぼの畦道に咲く この青い花が好きです調べたら オオイヌノフグリ という名前だそう ネットは便利ですね
2016/03/08
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