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marnon1104 @ Re:パミール高原(12/02) New! 絹の道、シルクロードとは素敵でそして ピ…
パパゴリラ! @ Re:パミール高原(12/02) New! 楼蘭と云う小説さえ知りません。 過酷な砂…
marnon1104 @ Re:イタチかカワウソと間違えられる猫(12/01) New! 体長が65cmもあるのなら 結構大きいの…
空夢zone @ Re:イタチかカワウソと間違えられる猫(12/01) New! 子供はとっても可愛いですね。 何かいたち…
danmama313 @ Re:イタチかカワウソと間違えられる猫(12/01) New! ジャガランディ、なかなか眼光鋭いですね…
Dec 2, 2025
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カテゴリ: カテゴリ未分類
井上靖の作品に 彷徨える湖
敦煌よりさらに西、タクラマカン砂漠の東端にあった小国家が楼蘭。
中国王朝 漢が派遣した張騫の報告によって、漢の西域侵攻が始まり、そのときを境に小国家 楼蘭の苦難の歴史が始まりました。
紀元前77年、漢の侵攻に耐えかねた楼蘭最後の王 尉屠耆は、全楼蘭人を連れて楼蘭の南部にある伊循へ移り住みます。
しかし、彼らにとって楼蘭とはロプ湖ほとりの父祖の地のこと、必ずいつか帰る場所だったと云う物語。
この地こそ、新疆ウイグル自治区と云う中国政府によって、住人のウイグル人がQRコードで管理され、さまざまなハイテクで顔認証やDNA、声紋認証などによって一挙手一投足を監視される「世界でも類のない警察国家」「完全監視社会の実験場」と称される苛烈な人権問題が発生してる場所です。


小説「楼蘭」の舞台はシルクロード上にあります。
シルクロード=絹の道、中国産の絹を西域に運ぶときにたどった交易路を、ドイツの地理学者・リヒトホーフェンがそう命名しました。

シルクロードがもたらしたものは、絹、農産物、毛皮などだけでなく、言語や様式など文化の伝播もあった重要な交易路でした。
シルクロードは時代により変遷し、いくつにも枝分かれしますが主要なものは3本です。
紀元前200年頃にできた「中央路」(天山南路)は、もっとも重要な道筋で紀元300年代の前半まで盛んに使用されました。
敦煌を出た後、楼蘭、コルラをへて、天山山脈の南麓をたどってパミール高原に達します。

中央路よりやや以前からあったと推測されている「南方路」は、敦煌を出て、楼蘭で中央路と分岐、アルトゥン山脈・ 崑崙 山脈の山麓とタクラマカン砂漠との境を通過してパミール高原に達するもの。

一番新しい、といっても紀元後数年してできたのが「北方路」(天山北路)です。日本ではまだ弥生時代。
敦煌を出て、トルファンをへて、天山山脈の北麓をたどるもの。

シルクロードを通じて中国からは絹、サマルカンドからはブドウ、メロン、ザクロなどの果実や小麦と綿花。
インドからは香料、シベリアからは毛皮というように多種の商品が行き交いました。
文化も行き交い、ソグド文字はモンゴル文字や満洲文字の原型となり、 西遊記の三蔵法師のモデルである玄奘はインドにわたり仏典を中国にもたらしました。
シルクロードの大半が山脈と砂漠を避け、山脈の山麓部をたどっています。

そこに町ができて、町をつなぐ形でシルクロードができました。
そこの住民は周辺の騎馬遊牧民の保護をうけ、他地域の農耕民との商取引を始め、次第に大規模な隊商が組まれるようになります。
この隊商貿易(キャラバン貿易)が莫大な富を産んだため、オアシスは繁栄し都市化していきました。
隊商貿易は、3つの主要路から派生して、東は中国、日本、南はインド、西はビザンツ帝国(東ローマ帝国)にまで達します。
紀元前200年代中頃からのことです。

「パミール高原」です。
パミール高原はタジキスタン、アフガニスタン、中国などにまたがる平均標高5,000m に達する高原で、名前はタジク語で「世界の屋根」を意味します。
この高原から東北に向かって天山山脈、南方に向かって崑崙山脈、カラコルム山脈、ヒマラヤ山脈、西南に向かってヒンドゥークシュ山脈が伸びており、タクラマカン砂漠を通るシルクロードは、この高原を越えて東西を結んでいました。
パミール高原と云うと日本語では 高原 ですから、丘程度の高低差がある地域だと思いがちですが、タジキスタンの東部にあるパミール核心部は大きく東西で2つに区分できます。

東パミールは,年降水量が200mm 以下と,ものすごく乾燥した山岳砂漠からなっています。
そこは緩やかな山脈列とその間の比較的平坦な高地の集合体で、東パミールだけを見ると「高原」と呼んでもあまり違和感がありません。
ところが西パミールでは、高所の年降水量が2,000mm 以上に達すると云われており、そのため大きな氷河が発達しています。
地形的には6,000~7,000m 級の急峻な山並みが連なる大山岳地帯で、決して「高原」と呼べる地形をしていません。
実際、日本語では「パミール 高原 」と呼んでますが、英語では「Pamirs Plateau 」ですから、直訳すると高原に違いがありませんが、「 台地 」と云うニュアンスの高い言葉になります。

実際イスモイル・ソモニ峰(旧スターリン峰)なんて7,495m もあり、完全に登山家しか登れない山です。
初登頂は1933年にソ連の登山家がなしとげましたが、1976年には日本山岳会のメンバーも登頂をはたしてます。
そんな過酷なパミール高原のルートをたどると驚嘆する風景に出会います。
みなさんは2010年にディカプリオが主演した映画「インセプション」をご覧になられたことおありでしょうか。
「夢」を扱ったSFアクションなんですが、この映画で街がどんどん天に逆転していくシーンがでてきます。
シルクロードのパミール高原に入ると、この天地が逆転したような「デビルアイ」が出現するのです。


しかしパミール高原のルートでもっとも象徴的なのは新疆の「盤龍古道」でしょう。
新疆ウイグル自治区カシュガル地区にある、パミール高原の「天空の道」と呼ばれる山岳公路です。
全長約36km に600以上のS字やU字のカーブがあり、標高は約3,000m ~4,200m まで急上昇します。
空中から見ると、山間に巨大な龍がとぐろを巻くように見えることからこの名が付けられました。
冬季(11月~4月頃)は積雪のため通行止めになるし、標高が高いため、高山病に注意が必要な難所中の難所なんです。




こりゃあ日光の「いろは坂」なんてモンぢゃないですね。
こんな難所を古代のキャラバン隊は、ヤクや馬、ラクダで細い谷道を一歩ずつ越えていったのです。
パミール高原にはユキヒョウの生息が確認されています。









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Last updated  Dec 2, 2025 05:25:38 AM
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