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パパゴリラ! @ Re:老老介護の考え方(07/26) 病気が重篤になればなるほど、自宅での介…
Jun 16, 2026
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ここで云う中国軍と云うのは現在の中国共産党が統帥する組織で、正規軍である中国人民解放軍を中心に構成されている軍隊のことです。

と云うのは誤解で、日本軍と戦ったのは蒋介石ひきいる「国民革命軍」で、そのとき毛沢東ひきいる「中国共産党軍」は山奥に難を逃れて手出ししませんでした。


先ごろ、習近平は中国人民解放軍の最高幹部を次々と粛清しました。
粛清の理由は詳らかにされてませんが、英国BBCは巨額汚職と習近平の支配を脅かす組織内の派閥主義と推測してます。
台湾併合を目指している習近平がナゼこの時期に人民解放軍の戦力が弱るのもいとわず軍のトップたちを粛清したのか。
一節では人民解放軍のトップたちはこぞって台湾侵攻に反対だったとか。
台湾侵攻すればアメリカが出てくる可能性が高い。
対する人民解放軍は創設以来戦争に勝ったのは同じ中国人の国民革命軍とだけで、対外戦争に勝ったことは無いし、そもそも実戦経験者がいなくなってる。

人民解放軍が弱いもっとも良い例がベトナム戦争後に起こった「中越戦争」に集約されてます。
「中越」の中は中国ですが、「越」はベトナムのことです。
中国はベトナム戦争中、ベトナムを支援してましたが、戦争後いっきに関係が悪化して1979年、中国軍が一方的にベトナムを侵略したのですね。
中国軍は一時、ベトナム北部の主要都市を占領するのですが、後にベトナム側の対抗に苦戦し、すたこらと撤退してしまったのです。
ことの起こりは当時カンボジアを独裁支配してたポル・ポト率いるクメール・ルージュ政権に対するベトナムの侵攻です。
ポル・ポトは自国民に対して1日十数時間の過酷な強制労働を強いた上、国民は満足な食事や医療が与えられないどころか、少しのミスや政府への批判とみなされると次々と処刑や粛清を行ってきた史上最悪の人非人です。
ポル・ポトの政策によって餓死や病死を含め、最大200万人が死亡する大惨事となりました。
このポル・ポトを政権の座から追い落としたのがベトナムだったのです。
そもそも事の起こりはカンボジアが先に手を出したのが発端です。
理由はベトナム戦争後、ベトナム共産党が優勢な軍事力でインドシナ連邦を形成しようと策動していることを恐れたことから始まりました。
ベトナムの計画を阻止するため、クメール・ルージュ政権はベトナムで訓練を受けた同志を粛清し、1975年ベトナムに対する戦争を開始したのです。


たちまちクメール・ルージュは四分五裂し、カンボジアの国民は救われたのですね。
ところが、これを快く思わなかったのがクメール・ルージュ政権を支援してた鄧小平ひきいる中国。
「中越戦争」は中国がベトナムへ懲罰として侵攻することで始まりました。
実は、この戦争には中国、ソ連(ロシア)、そしてアメリカの存在が大きく関与してます。
1950年代まで中国とソ連は同じ社会主義の兄弟のような関係でした。

ソ連のフルシチョフが先代指導者スターリンの犯罪を告発したことがきっかけとなって、毛沢東はこれを社会主義の裏切りとみなしたのですね。

これが契機になって中ソ国境紛争にまで発展するのです。
1969年にはウスリー川の珍宝島で両国が交戦しました。
もはや中ソは敵同士に発展したワケです。
この時点でベトナムはソ連寄り、対するカンボジアは中国寄り。
これの前提が1972年にニクソン大統領が北京を訪問し、米中関係が劇的に改善したことです。
まだベトナム戦争が終結する前のことです。
ベトナムからすればアメリカと懸命に戦ってる最中、その敵であるアメリカと手を組んだ中国はもはや同盟国ではありません。
これが契機となってベトナムは1978年にソ連と友好協力条約を締結。
事実上の軍事同盟です。
これに対し当時の中国の指導者 鄧小平はアメリカを訪問します。
表向きの訪問理由は中米国交正常化の祝賀でしたが、カーター大統領との首脳会談で中国側はベトナムへの軍事行動を打ち明けたのです。
これが中国がベトナム侵攻の2周間前。
カーターは自制を促しましたが、明確に反対はしませんでした。

なぜアメリカの了承を中国が得ようとしたのかはソ連の存在です。
中国がベトナムに侵攻したとき、ソ連がベトナム側につくと両面戦争をしなければなりません。
これでは中国が勝てるワケないので、アメリカを巻き込んで、中国・アメリカ・ソ連の三つ巴の体制を作ろうとしたのですね。
これによってソ連は安易にベトナム派兵ができなくなると、敵はベトナム一国。
力の差が歴然としてます。
こうして1979年2月15日、鄧小平はベトナムに対する懲罰的軍事行動を発表します。
中国の投入兵力は20万人以上、対するベトナムの国境守備隊は10万人に満たない。
中国は自信満々で中越戦争に臨んだのですね。
そして中越国境で人民解放軍の1,500門の大砲が一斉に火を噴きました。
それに続いて歩兵部隊が3方向からベトナムに突入します。
彼らは国境沿いの主要都市を制圧してたちまち撤退する計画で、長くても2周間で片付くハズでした。
ところが最初の3日間で中国軍は数千人の死傷者を出します。
予想もしなかった損害です。
その理由は人民解放軍が本格的な戦闘を経験したのは26年前の朝鮮戦争が最後、朝鮮戦争当時と同じ人海戦術で突撃を繰り返すばかり。
対するベトナム軍はベトナム戦争で大国アメリカ相手に互角以上の力を発揮したつわ者ぞろいです。
しかもベトナムの地形はほとんどが山岳地帯とジャングルで、戦車や装甲車両の待ち伏せ攻撃は容易ですが、敵を発見するのは困難です。
ゲリラ戦にたけたベトナム軍はRPGロケットランチャーで数十両の戦車と装甲車が最初の数日間で破壊されたと云います。
しかもこの時点で国境を守ってたのは、国境警備隊、地方軍、民兵中心で、ベトナム正規軍主力はカンボジアに駐留したままだったのですね。
人民解放軍が膨大な損害を出しながらも人海戦術でなんとか首都ハノイに近い距離まで進軍したとき、カンボジアに展開していたベトナム正規軍が到着したのです。
ソ連が大規模な空輸をおこない、カンボジアからベトナム北部に兵員を急遽輸送したのです。

人民解放軍はこの時点で深刻な状態にありました。
ベトナム軍の二軍との戦闘で推定2万6,000人が戦死し、しかも兵站線は延び切り弾薬と食料の補給が困難な状態に。
そこにベトナム正規軍が投入されたのです。
中国共産党中央軍事委員会は決断せざるを得ませんでした。
中国政府はベトナムへの軍事的懲罰は終了したと宣言し、全軍に撤退を命じざるを得なかったのです。
西側の軍事専門家たちは、人民解放軍の近代戦に対する無能ぶりに驚嘆したと記録してます。

まさにプーチンが約2周間で終了すると断言してたウクライナ侵攻が、ウクライナ軍の抵抗で足掛け5年経っても勝てない。
トランプが1周間もあればイランは降伏すると云ってたのに、3ヶ月経ってもラチがあかない。
弱小国だと見くびっていると、手痛いシッペ返しをくらうのですね。
その後、中越両国は関係改善の兆しを見せ、1991年には両国関係を正常化しました。
しかし西沙諸島や南沙諸島では両国の領土問題は改善されず、ますます紛争がエスカレートしてます。





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Last updated  Jun 16, 2026 05:15:11 AM
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