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今日は昨日に続いて春のような陽気。ずっと原稿書きをしていたのですが、ちょっと飽きたので、午後、家内と近所の散歩に出掛けました。 で、このところずっと、散歩の時の楽しみにしているのが、地域猫との遭遇。野良ネコちゃんたちがたむろするちょっとした公園のようなところがあるので、そこで猫ちゃんたちとしばし戯れるのが楽しみなんです。 で、そちらの方に行ってみると、いたいた! いつもの三毛猫ちゃんが、日当たりのいい道路に寝そべっているではありませんか! ということで、家内と一緒にその猫ちゃんを撫でてやると、向こうも気持ちがいいのか、我々にスリスリしてくる。可愛いのう。 で、家内と二人で猫をさわさわしていると、ちょうどそこに学校帰りの小学生の一団が通りかかったわけ。 で、四、五人の女の子たちが我々を遠くから見て、「あ、猫がいる!」などとヒソヒソ言っている。そこで家内が、「猫ちゃん、かわいいよ。一緒に撫でてみる?」と声をかけてあげたわけ。すると・・・ 「いいです」だって! 多分、親に「野良猫は汚いから触っちゃだめ」などと教えられているんじゃないですかね。 まあね、衛生観念も大切だけど、それは家に帰って手を洗えばいいだけの話で、生き物を可愛がる、生き物を触るということも大事なんじゃないですかねえ・・・。 「いいです」という、変に大人びた返事をされて、なんとなく納得できない感じを受けたワタクシだったのでありました、とさ。
February 28, 2023
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先日、五十肩はもう治ったようなことを書きましたが、結局、あの後も痛みがぶり返しまして、相変わらずイタイイタイ病でございます。 その痛みなんですが、なんか位置が変わってきて、肩というよりは上腕二頭筋のあたりになってきたという。 で、それでふと思ったんですけど、私が今苦しんでいるのは、本当に五十肩なんだろうかと。 ひょっとして、ひょっとして・・・肉離れなんじゃね? 上腕の肉を触るとやたらに痛いぞ。 それであれこれ調べてみたところ、五十肩は温めた方がよくて、肉離れは冷やした方がいいんですと。 で、五十肩は動かした方がよくて、肉離れは動かさない方がいいんですと。 逆じゃん。それ逆じゃん。 ひょっとして、五十肩のつもりで温めて動かしたために、肉離れが悪化しとるんちゃうのん? っつーことで、一体私は、今自分はなんの痛みに苦しんでいるのか、余計分からなくなってきたのでした。痛いってことは確かなんだけどね・・・
February 27, 2023
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ヒルティ(この人、カール・ヒルティという名前なのですが、なぜか日本では「ヒルティ」と、姓の方だけで呼ばれるのを常とするのは一体いかなる理由なのでしょうか?)の『眠られぬ夜のために』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ヒルティは『幸福論』という本でも知られていますが、今が今、私に興味があるのは『眠られぬ夜のために』の方。というのは、これが一年365日、それぞれの日に割り振ってなにがしかの文章を綴った「日めくり式自己啓発本」だから。 この本、実は私の母方の祖母の愛読書でね。さすが、明治生まれにして高等教育を受けた女性ってのは、教養あるね。で、今回、この本を読んで、ようやく祖母に追いついたという。遅いわ。 で、私にとって「この文章はいいな」と思った文章――つまり、今風に言えば「イイね」ボタンを押し、リツイートしたくなった文章をご紹介しましょう。二月二十一日 いわゆる「人間的な」事柄で、一番われわれの心が慰められるのは、人びとをより深く知れば、たいてい彼らが評判よりも良い人間だということである。 二月二十六日 人間のあらゆる性質のなかで、最良のものは「誠実」である。この性質は、ほかのどんな性質の不足をも補うことができるが、この性質が欠けているとき、それをほかのもので補うわけにはいかない。 ところが残念ながら、この性質は人間にはむしろまれで、かえって動物の方にしばしば見られる。したがって、この大切な点で、人間は実は動物にまさっているわけではない。もし他のどんな点よりもこのことで人間がまさっているとすれば、すべての生物の段階的進化の説の成立を、私もまた承認するであろうに。 また感謝するということでも、一般的にいって、人間は他の高等動物よりもかえって劣っている。だから、他人の感謝を当てにしないがよい。しかし、あなた自身はつねにその名誉ある例外であるように努めなさい。忘恩の一番ありふれた形は、相手の人を訪問したり、その他の仕方で相手の恩を「表彰」することで、感謝の義務は終えられたと思うことである。例えば君主国では勲章を授与することもそうであるが、これによって感謝の関係が逆にさえなってしまう。われわれは、このようなあまりにも安価な返済はできるだけおことわりして、むしろ債権者のままでいるべきである。 四月五日 どんなに正しい人でも、その生涯のうちいつかは、「罪人のひとりに数えられる」にちがいない。もしこのことが起らなければ、かえってよい徴候とはいえない。このような場合、神を慰めとして持つならば、すなわち、あらゆる人間的批判をはるかに越えて力づけ給う神の慰めと、この助けを確信することから生じる清らかな良心(真に清らかな良心とはこれ以外にはない)とを与えられるならば、世人の批判にも容易に堪えられ、それも想像していたほど悪いものでも危険でもないことを悟るであろう。 ひとはこのような経験を経ることによってはじめて勇気ある人間となり、神がその戦いに用いることのできる者となる。それまでは、どんな人もみな臆病者であって、いざという時に神の味方に立つことを恐れるのである。 六月十七日 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇一一〇の待てという要求だけが、絶えまない導きとして役立つことがしばしばある。しかしそのあとで、突然、それとは反対の次の命令が下される、「さあ、わたしはあなたをエジプトにつかわそう」と。これに対して「主よ、他の人をやって下さい」と、答えることは許されない。この二つの命令によろこんで従い、両方の時を善用することができる者は、最もすみやかに内的進歩をとげる。しかし、一般の人たちはそのどちらにも従わないのである。(後略) 七月六日 あなたは一体何を欲するか。本当に落着いたときに、あなた自身にそれをたずね、そして正直に答えなさい。あなたは、働くこともいらず心配もないような、朝から晩まで享楽三昧の豪奢な生活を――もちろんそれを享受するだけの欲望と力とをつねに備えてのことだが――、たとえばマホメット教徒の空想するような天国に近いものを、願うであろうか。しかし、そんな生活は、現代の文明社会では、どこにももはや存在しないだろう。とにかく、あなたの境遇では、とうてい望めないものだろう。そんならむしろ仕事をもった生活を、しかし確実な導きのうちに、ひどい心配もなく、ほとんど変りのない心の晴やかさと落着きをもって続けることのできる生活を、なぜ欲しないのか。このような生活ならば、だれでも持つことができる。ただ、それを断固として欲し、そして与えられたその道を進まねばならないだけである。 世の多くの人びとは、自分が何を欲するかを、まるで知らない。また、それをよく考えることもほとんどしない。反対に、少数の人びとのなかのある者は、できもしないことを欲して、いたずらに力を消耗している。また、そうでない者も、その意欲がたえず動揺して、そのために何ごとをもなし遂げない。しかし、可能なこと、つまり、自分の力と現実の世界秩序とに相応したことを、確固として辛抱づよく欲する人びとは、常にその目的を達成してきた。(後略) 七月十一日 やむをえぬ理由から、古い友人や親戚の者と交わりを断たなければならないならば、何もいわずにそうするがよい。その前に議論などをかわせば、必ず問題のにがにがしさや醜さを増すか、あるいは別れるよりもなおわるい、中途半端な、いつわりの若いに終ることになる。 九月十一日 いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ、単なる幻想であり、自己欺瞞にすぎない。なぜなら、そんな場合は、ただ最も愛すべきものだけを愛するか、自分を愛してくれる者を愛するかにとどまり、いつでも、この前提条件がなくなったと思われるときは、驚くほど早く、愛を減らすか、あるいは全くそれをやめてしまおうと決心するからである。それとも、人間愛とは要するに、かなり冷淡な一般的好意をあらわす、やや美しい言葉にすぎない。それはむしろ、本来、猛獣ですら満腹すればその周囲に対して示すくらいの非攻撃的な態度のことである。 このような人間愛では、一方に年々幾百万の人たちが精神的あるいは肉体的に餓死することも起りうるし、しかも、人はそれをひどく悲しむこともなく、また自分はほんの僅かな不自由をも忍ぼうとしないのである。 九月十二日 「この世で幸福以上のなにかを求める人は、幸福が彼の分け前とならなくても、不平を言ってはならない。」(エマソン)。これは、おそらくいくらか「実利主義」的で嘲笑的な意味あいをふくんでいるが、真実の言葉であり、多くの失敗した人生を説明しうるものである。実際、われわれはこの「より以上」と「より以下」とのいずれかを選ばなくてはならない。 しかし、この言葉は幸福という事柄についての最後的な説明ではない。 世に幸福はあるが、われらはそれを知らぬ。 知っていても重んじない。 (ゲーテ『タッソー』) この方がはるかに真実な言葉である。しかし、もっと強く心をゆさぶる幸福をみずから一度も感じたことのない人たちは、それを想像することさえできず、ただ言い伝えの神話か誇張されたお喋りくらいにしか考えないが、しかしそれは健康な真実なのである。 九月十三日 多くの人たち、ときには、特別に天分のある人でさえ、自分が体験するすべてのことについて、即座に判断を下さなければならぬと思っている、たとえば、初めて会ったすべての人について、また二、三ページめくっただけのすべての書物についても。それだから、しばしば判断を誤って、あとになって訂正せざるをえなくなる。あるいは誤りとわかっても自分の考えを固執して、その結果、自分の品性をそこない、さらによくないことに、他人をもしばしば傷つけたりする。もしあなたがこのような習慣をもっているなら、しかも新聞通信員を職業としているというのでなければ、そのような癖をすててしまいなさい。 九月二十一日 なんの恩寵にもあずからない罪人の心の奥がどんなであるかを、実生活において精密に観察しなさい。そうすればあなたは、もはや憎しみを感じることなく、すべての人に深い同情を覚えるであろう。 なにかにつけて怒ることがある限り、まだ自分を支配しているのではない。どのような悪に対しても、静かな抵抗が最もよく勝利をおさめるものである。 十月十四日 「敵を愛する」というのは、キリスト教の教義が大いに自慢のたねにする美しい言葉である。しかし、キリスト教徒の実践を見ると、彼らが敵を愛するのを必ずしもあまり多くは見かけない。 実際に敵を愛するということは、われわれが神と結ばれることによって人間を恐れる習慣をすてた時にのみ、起るのである。そうなった時はじめて、私たちの生涯において敵が実に大きな役割をはたしてくれたことを悟り、相手がこちらの気持を誤解しなければ、それに感謝して敵を抱くこともできるような気分になれるのである。 十一月六日 実に理解しにくいことではあるが、しかし一旦それを理解すると、われわれの思考全体がそれによって大きな影響を与えられるのは次のような考え方である、すなわち、いきいきとした幸福感は、つねにただ新しい仕事や労苦、新しい悲しみを迎えるための元気づけや準備となるべきものであり(クロムウェルのいわゆる報酬の前払い)、一方、つらい試煉や意気消沈はいつも新しい、より大きな浄福と神の力とが加えられるための入口だということである。これが分れば、不幸に出会っても落着きを失わず、幸福であってもまじめで思慮深くなる。 ま、こんなところかな。このほかに、死の恐ろしさからの脱却を語った11月1日の項とか、「小さなもの」に対する愛を語った11月17日の項、それにダーウィンの進化論に反駁した11月30日など、興味深い文章が多々あり。 しかし、それにしてもエマソンの名声って、遠くスイスにまで飛んでいたのね。 とにかく、20世紀初頭の日めくり式自己啓発本ってのは、大体こんな感じ、というのが分かって、面白かったです。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓眠られぬ夜のために 1 (岩波文庫 青638-1) [ ヒルティ,C.(カール) ]
February 26, 2023
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なんか一仕事終わった時、私はよく文房具屋さんに行って、筆記具を買います。まあ、気分を変えるというか、頑張った自分へのご褒美というか。 で、最近、こまごまとした仕事が幾つか片付いたもので、最寄りの本屋さん兼文房具屋さんに行って、あれこれ試し書きした挙句、サクラクレパスのボールペン(ボールサインiD)を買っちゃった。これこれ! ↓サクラクレパス 限定 ボールサイン iD プラス 0.5mm 水性【フォレストブラック】 255034【あす楽対応】 これ、インクに特色があって、黒いインクに色々な種類がある。「ナイト・ブラック」「ピュア・ブラック」「モカ・ブラック」「カシス・ブラック」「ミステリアス・ブラック」と言った調子。 で、私が選んだのは「フォレスト・ブラック」という奴。これね、限りなく黒に近いグリーン、みたいな色なのよ。言われないと気づかないけど、よく見ると、ふーむ、たしかに緑だなと。そこがフォレストの名の由来なのでありましょう。 で、新しい筆記具を手に入れると、やたらに書きたくなるじゃない? というわけで、今、このボールペンと蜜月時代のワタクシ、紙にアイディアなどを書きつけて、本の執筆の助けにしております。 ま、三百円ちょっとの贅沢だけど、いい気分転換にはなりますね。
February 25, 2023
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私の住んでいる名古屋のマンションは、半年に一回、火災報知器と避難階段の点検があり、今日はその点検日でございました。 で、そうなりますと、当然、各戸のすべての部屋の火災報知機を係員さんがチェックすることになるのですが、私の書斎はもう、部屋中、足の踏み場もないほど本がとっちらかっておりまして、これを人に見られるのは嫌だなと。っていうか、この惨状を見た人は、つい昨日、泥棒に荒らされたのではないかと思うことでありましょう。 っつーことで、私も重い腰を上げまして、本の整理にかかりました。 と言っても、もう本を収納する空き本棚なんてものはない。だから、低層のアパートのように部屋中に広がっていた本の山を、高層マンションのように上に上に高く積み上げる方式で、多少なりとも整理を試みたと。 すると・・・ これがね、よくしたもんで、意外に収まるのよ。おかげで今までの部屋の惨状がウソのように、とってもきれいに片付いたのでした。 で、こういう時に、「ルパンの言ったことは本当だな」と痛感します。 『ルパン三世』の1stシリーズの第17話「罠にかかったルパン」で、星影銀子の罠にはまったルパンが自分の命と引き換えに30億円を要求された際、切羽詰まって造幣局に忍び込み、そこで自ら30億円分のお札を刷るんですけど、それを運ぶ段階で警察に追われることになったルパンは、その30億円分の札束を、とある倉庫に隠すわけ。 で、それを見抜いた銭形警部が、後でその倉庫を調べるのですが、倉庫は一見もぬけの殻。 しかし、ルパンはちゃんとその倉庫に30億円分の札束を隠していたわけ。ではどうやって隠したのか。 実は、ルパンは札束を縦に積んで、壁の裏側に隠していたんですな。で、そこで名セリフ「札束ってのはな、縦に積むと案外、場所を取らないんだ」が出る。 ね。私が今日、蔵書の整理をする際に念頭に置いていたのは、このルパンの名言だったというわけ。札束がそうなら、本だってそうに違いないと。実際、ルパンの言う通りでした。よかった、ルパンのファンで。 こういうのを、「A little language goes a long way.」(by Hiroko Kubota)っていうんじゃないんですかね・・・。
February 24, 2023
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このところ、英語科の紀要の編集の仕事が続いていた一方、来年度の授業のシラバスを書かなくてはならないとか、あれこれ仕事があって、新書本の原稿の執筆に手が回らない日が何日か続いておったんですわ。 で、昨日、紀要の編集が終わり、今日の午前中にシラバスを書き上げてしまったので、午後から原稿に戻ったのよ。 そしたら。 まあ、筆が進む、進む。あれよあれよという間に、3600字くらい書いちゃった。3600字というと、400字詰め原稿用紙で9枚ですわな。 一日の仕事で原稿用紙9枚。完璧でしょう。 で、思ったのだけど、原稿書きには時に「飢え」が必要だなと。 何日も続けて原稿を書いていると、書き疲れが出て筆の進みが鈍るのですが、逆に何日間か強制的に原稿書きから離れると、そこで「飢え」が生じ、次に書く時が来ると、飢えた人の前に食事が出された時のように、ガツガツと書けてしまうっていう。 そういう意味では、時にはわざと原稿書きから離れるというのも、本を書くテクニックとしてはあるのかもね。 ま、とにかく、新書本の最後の章がこれで半分くらい書けた感じ。あと、4日くらいあれば、とりあえず新書本一冊分の原稿が揃うかな。 しかし、もちろん、そこから気の狂ったような推敲作業が始まるのですが、形のあるものを直すのは楽。苦しいのは、とりあえずの形を作るところまで、ですからね。とりあえず3月初旬までにラフな原稿を書き上げ、3月4月で推敲するという流れを作りたいものでございます。
February 23, 2023
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ええと、昨日、このブログに五十肩が辛い、本当に辛いという話を書きました。実際、もう3カ月くらいこの状態が続き、どんどん悪化していくような感じだったので、文章に書いている以上に落ち込んでいたのよ。 ところが。今日になったら、治っていたと。五十肩が。 まあ、治ったというのは大げさだけど、昨日までの状態からしたら天国と地獄ほど違う。昨日なんか、コンビニでお金を払うのに、お尻のポケットに入れた財布を出すといった動きだけでも、人前で大声を出しそうになるくらい激痛を感じていたんだから。 さて、では、昨日、私は五十肩改善のために何をやったか。 「ザ・ポジティヴ」と自他共に認めるワタクシ、もうね、ありとあらゆる五十肩の治療法、改善法を日々試しているわけ。で、昨日も新たな取り組みを4つ、取り入れました。 一つは、昨日のブログにも書きましたが、漢方薬を飲み始めたこと。小林製薬の「シジラック」。これこれ! ↓【第2類医薬品】小林製薬 シジラック (84錠) 【セルフメディケーション税制対象商品】 で、二つ目は、ツボを押してみました。これこれ! ↓五十肩を治すツボ 三つ目は、五十肩を治すストレッチ体操にトライしました。これこれ! ↓五十肩を治すストレッチ体操 四つ目は、家の近くにある白山神社の隣にある小さなサブ神社に、「痛み止めの石」があるので、そこにお賽銭を奮発して、石を触った布で自分の右肩をさすりました。 ・・・というわけで、「漢方薬」、「ツボ」、「ストレッチ」、「神頼み」の四種類を昨日は試してみたのですが、さて、この中のどれが効いたのかはわかりません。どれかが効いたのかもしれないし、複合技が決まったのかもしれない。とにかく、何かがめちゃくちゃ効いたんでしょうね。 ま、どれが特に効果があったのかは知りませんが、とにかく、昨日と比べて今日は劇的に改善したのだから、ここしばらくはこの4つを続けていくしかない! もしこの調子で完治したら、感激もんだよ~!
February 22, 2023
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相変わらず五十肩で不調でございます。 もうね、最近は、お尻のポケットに入れた財布を取り出すのも骨。レジで財布を出そうとして、変な風に体をよじってうめき声を出す始末。店員さんに怪しまれるよね・・。 先日、病院では貼り薬を処方されたけれど、そんなもん、なんの役にも立たん。 で、こんなの効きはしないんだろうなと思いつつ、今日はドラッグストアで「四十肩・五十肩に飲んで効く」的な薬まで買っちゃった。これこれ ↓【第2類医薬品】小林製薬 シジラック 84錠【五十肩】【四十肩】【肩の痛み】 漢方薬だからねえ、即効性はないんだろうけれども。もう、藁をも縋る思いでっていう。 いやあ、五十肩がこれほどツラいとは思わなんだ・・・。なってみないと、わからんもんですのう。
February 21, 2023
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ひと月ほど前に映画館に観に行き、チケット完売で結局観られなかったといういわくつきのインド映画、『RRR』をついに観て参りました。いや~、面白かった! これは評判になるのも分かるわ。圧倒的に面白いもん。以下ネタバレ注意で。 時は1920年代、イギリス支配下のインドなんですが、史実かどうかはともかく、映画の中ではイギリスによる横暴な支配にインドの民は苦しめられていたと。特に時の総督、およびその奥さんというのが特にひどい連中で、インド人をひどい目に逢わせていたわけ。そのため、革命の兆しが徐々に高まりつつあった。 で、そんな中、インドの部族の中でもとりわけ穏やかな部族がありまして、総督とその奥方がその地方に行った時、絵を描くのが器用な小さな娘を気に入り、その娘をコインで2枚ほどのわずかな金とひきかえに連れ帰っちゃうんですな。で、この部族は穏やかではあるのだけど、仲間を失うとなると、その奪還のために「羊飼い」と呼ばれるリーダーがその仲間を取り返しに来るというしきたりがある。しかも羊飼いはいかなる艱難辛苦もものともせず、どんな手を使ってでも奪還に来るらしい・・・。 で、実際、ビームという名の男が羊飼いとして、連れ去られた少女マッリの奪還のために、総督のいるデリーにやってきて、少数の仲間たちと密かに奪還のための策を練っていると。 ところが、支配者側にもすごい奴が一人いたんです。 このラーマという男、インド人ではあるのですが、イギリス警察に勤めていて、まさに出世の鬼。出世のためならどんなことでもするという冷血漢。総督の命令ひとつで、自分の身の危険も顧みず、どんな困難な状況でも、命令を執行する。まさに狂気の男。 さて、そんなおっそろしいラーマがビーム一味掃討に動いている中で、ビーム一行は、無事、部族の娘マッリを奪還できるのか? ・・・というようなお話し。 ・・・なんだけど、実はそういう単純な話ではない、というのが分かってくるのよ! まあ手に汗握る、笑いと涙とまた笑い、みたいな。 いやはや、ワタクシは森に生まれて無知だったため、インド映画の実力を存じでおりませんでした。まじでお見逸れしました。 とにかくね、3時間の上映時間が短く感じるほどの、壮絶感動面白巨編でございます。これを観ずして映画好きだなどというなかれ。不幸にしてまだご存じない方は是非、映画館へ Go!これこれ! ↓映画『RRR』
February 20, 2023
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ラッセル・コンウェルという人が今から百年ほど前に書いた自己啓発本の傑作、『ダイヤモンドを探せ』が、2月24日に角川文庫から発売されます。 この本、以前にも邦訳が出たことがあって、表紙にダイヤモンド(もちろん模造品)が埋め込まれた凝った装丁で面白かったのですが、絶版になっていたんですね。で、それを角川文庫が新訳で復刻したと。 で、それに合わせて、角川書店のサイト「カドブン」に、某アメリカ文学研究者が解説を寄せているんですけど、これが実に面白い! ということでまずはこちらをご覧あれ!これこれ! ↓『ダイヤモンドを探せ』解説 と言うことで、百年以上にわたって読み継がれているアメリカ・自己啓発本の傑作『ダイヤモンドを探せ』、数日後には発売されますので、上の解説を読まれて興味を持たれた方は是非、書店ないしアマゾンなどのネット書店にてご予約を!!
February 19, 2023
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昨夜も五十肩の痛みで熟睡できず、3時間ほど眠った後、朝6時頃起床。やれやれ、私のQOLは大分低迷しておりますな。 それでも、今朝は7時頃から書き物を始め、3日分くらい捗ったという・・・。朝の執筆って、こんなに冴えているんだ・・・。まあ、気を散らすものがないからねえ。今後もこの調子で五十肩が続くと、私は1年で3年分くらいのモノが書けるのかもね。 さて、そんな調子で捗ってしまったので、今日は夕食後、アマプラで映画を観ることに。観たのはカンバーバッチ主演映画の『クーリエ』です。以下、ネタバレ注意ということで。 これ、米ソ冷戦時代を象徴するキューバ危機の時の実話なんですが、ソ連の政府上層部にアレックスなる良識的な男がいて、彼がフルシチョフの暴走を止め、世界を第三次世界大戦から救おうとしているわけ。で、彼がソ連の機密情報を西側に流すことになるのですが、その受け手として、東欧諸国と取引のあるイギリスの某ビジネスマンが選ばれる。それがカンバーバッチ演じるウィンなんですけども、彼はCIAともMI6とも関係のない一般人なので、KGBにも怪しまれないだろうということで、彼がアレックスとCIA/MI6との間の橋渡し役、運び屋となる。 で、ウィンはアレックスと接触し、その任務を終えるのですが、その過程でアレックスの人となりに触れ、友情を抱くようになる。で、アレックスがいずれ家族と共に西側に亡命できることを望むのですが、そこでキューバ危機が勃発して、KGBがソ連上層部に西側に情報を漏らしているヤツがいるということに気づいてしまうわけ。 で、アレックスの身に危険が迫っていることを知ったウィンは、最後の仕事として、アレックスの国外脱出の手助けをする任務を自ら買って出る。 さて、アレックスはKGBの手を逃れて亡命できるのか? それを助けるウィンは、うまいこと仕事を済ませてソ連から脱出できるのか? っていう話。 まあ、実話ですからね。変に脚色して、結末を変えることは出来ないわけでありまして、アレックスもウィンも、結局数奇な運命に翻弄されることになるのですけれども、しかし、ソ連/ロシアってのは、昔から変わらないね・・・。ろくなもんじゃ・・・。 というわけで、いい人たちがとっても嫌な目に逢うという意味で、ハラドキ映画だったのでした。ま、あんまりカタストロフィを感じられる映画じゃないけどね。007やトム・クルーズが助けに来てくれるわけじゃないから。これこれ! ↓クーリエ:最高機密の運び屋 [ ベネディクト・カンバーバッチ ]
February 18, 2023
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世に「日めくり式自己啓発本」というジャンルがありまして、例えばよくお寺さんなんかで配っている日めくり式(あるいは月めくり?)のカレンダーに、啓発的な教訓(「一隅を照らせ」的な)が載っていたりするのがある。それが日めくり式自己啓発本ね。 で、日めくり式自己啓発本というのは、自己啓発本出版史からすると、非常に面白いところがある。というのも、ベンジャミン・フランクリンの書いた『貧しいリチャードの暦(アルマナック)』というのが、世にいう自己啓発本の最初期の一例だから。つまり、自己啓発本は、日めくり式のそれから始まったと言っていい。 そもそもアメリカのような農業大国では、暦(アルマナック)というのはとっても重要なのね。どういう野菜の苗をいつ植えればいい、なんて情報がアルマナックには満載されているから。で、そこに啓発的な教訓の一つも載っていれば、ますます重宝というわけでね。 というわけで、今、そんな日めくり式自己啓発本をあれこれ読み漁っているのですけれども、その一つが、ヒルティの『眠られぬ夜のために』という本だったと。 この本、実は私の母方の祖母の愛読書、というか、枕頭の書でありましてね。そのことをその昔、母から聞いた時は、さすが、明治の女性は教養があるなあと感心したものでございます。 ま、そんなわけで、私も祖母に倣ってこのところこの本を読んでいるのですが、この本の冒頭に「眠れない夜は、無理して眠ろうとせず、むしろ起きて良い本(たとえば聖書)でも読んで、その意味をかみしめるがいい」みたいなことが書いてある。 で、そこを読んで私はハタと思ったのでございます。 いやね、実は最近、年齢のせいか、私も眠りが浅くてですね。サプリを飲むので寝入りはいいのだけれど、4時間もすると起きてしまって、再び眠りに就くことができないのよ。で、毎日のように明け方、ベッドの中で輾転反側するんだけど、これはこれで苦しくて。 で、先のヒルティの一節を読んで、よーし、もうこの先、起きてしまったら観念して、とっとと仕事を始めようと思ったわけ。 そんなわけで、今朝も早くからごそごそ起き出して、書き物を始めてしまった次第。おかげで今日は仕事がはかどりました。 ってなわけで、ヒルティの『眠られぬ夜のために』、私には早速役に立った次第。大変啓発的でございました。皆さんもいかがですか? 一日一言、一年365日分の説話が読めるこの本、一読してみては?これこれ! ↓眠られぬ夜のために 1 (岩波文庫 青638-1) [ ヒルティ,C.(カール) ]
February 17, 2023
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まだ暖かいとは言えないけれど、春っぽい日差しを見ていたら、ちょうど30年前の春休みのことを思い出しました。 当時29歳だった私は、初めて就職した名古屋の大学での1年目を終えたところで、クルマを買い替えようとしていたのでした。 その頃乗っていたのは、いすゞの「ジェミニ」。「街の遊撃手」と呼ばれていたヤツで1.5リッター、3速ATのハッチバック車。すごく気に入って乗り回していたのですが、名古屋と東京の実家を頻繁に往復するようになって、少しパワーが足りないなと思うようになっていた。もう少しパワーのある、ゆったりした大型のクルマに乗りたいなと。 で、春休み。実家に戻ってあちこちのディーラー巡りをしたわけ。 候補に挙がっていたのは、まずクライスラーの「チェロキー」ね。確かテレビ・ドラマで主人公が乗っていたことで人気が上がっていたんじゃなかったかな? それからスバルの「レガシー・ワゴン」。当時はスキー・ブームで、四輪駆動のスバル車の人気が上がっていた。それからマツダの「ユーノス500」。これは1.8リッターの小排気量ながらV型6気筒エンジンというところがすごかったし、何よりも日本車離れしたデザインが素晴らしかった。 ですが、結局私が選んだのは、ホンダの「ビガー」。これはホンダ車のデザインが最高にキレていた頃のもので、伸びやかでカッコよく、2.5リッターの直列5気筒エンジンをフロント・ミッドシップに縦置きしたFF車という非常に変わった構成のクルマであることも私にはアピールした。そして何より、試乗した瞬間「これだ!」と思うほど、乗り心地が良かった。ジェミニはジェミニで、北欧デザインのようなシンプルですっきりした内装でしたけれども、ビガーの木目調の内装の豪華さにもやられてしまった。 で、これを買うことにしたのですが、もう一つ特筆すべきは、ビガーは私が自分の給料で買った最初のクルマだったこと。ジェミニは大学院の頃に乗っていたので、お金がなく、半分は私がアルバイトで得たお金で支払いましたが、半分は親に出してもらっていた。だから、自力で買ったクルマとなると、ビガーが最初だったわけ。 だから、何となく誇らしかったのよ。ついに自分の金でこんな豪華なクルマが買えるようになったんだ、っていうね。 で、クルマが実家に届いたのが、4月初旬のワタクシの誕生日。この日、私は30歳になったのでした。で、父と母を連れて近所のお寿司屋さんかどこかでお祝いをしてもらって、それから、私はビガーに乗って名古屋に戻ったんですわ。190馬力のパワーと抜群の乗り心地を感じながら。 あーー、あれから30年が経ったのね・・・。あの頃は若かったなあ。まだ研究者としては何者でもなかったけれど、これから頑張るという、春らしい胎動を自分の中に感じていた。 その頃のことを思い出していたら、何だか力が湧いてきた。もうすぐ還暦とはいえ、季節はめぐってもうすぐ春。60歳のジジイが春の胎動を感じて何が悪い? よーし、頑張って、何かを生み出すぞ。本を書くぞ!
February 16, 2023
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実家の姉からラインがあり、「今日、久々に多摩センターに行ったら、京王プラザホテルが閉館してた」とのこと。 え¨ーーーーーーー! マジか?! このホテル、1990年代初頭からお隣のそごうデパートと共に多摩センターのランドマークとして親しまれて参りました。我が家も、一体、何度訪れたことか・・・。 もちろん、家の近くですから宿泊するということはないのですが、我が家が利用したのはホテル内のレストランね。 まずは中国料理の南園。姪っ子が二十歳になったお祝いも、それから父の葬儀の時も、ここの個室を予約して食事会をしたものでした。もちろん、普通に立ち寄ってお昼を食べたことも数知れず。 そしてお隣の「樹林」。高級フレンチ、というほどではないものの、気軽な洋食系レストランとしてはなかなかのクオリティー。ここにも父と母と私の三人でよく行ったものでございます。特に父のお気に入りで、一人でもフラっと立ち寄っていたようでした。店長(というか、南園も含めたホテル内レストランの統括部長のような人だったかも)が実に面白い紳士キャラで、表向きぶっきらぼうのようでいて、上客の父に対しては愛想が良かった。その人に「いつもの」と頼めば、万事、いい具合に食べられると、父もご機嫌でした。 また一階下の「デュエット」は、基本、喫茶室なんだけど、ここは昼時になると「ビーフステーキ丼」みたいなのを提供していて、それも結構旨かった。 それから、ホテルとしては、私の家内が初めて私の実家に挨拶に訪れた時も、ここに宿泊したのでした。その意味では家内が我が家で唯一、ここに宿泊したことになるのかな。 そんな思い入れのあるホテルが閉館したとなると、私としては非常に寂しい。いや、「寂しい」以上かな。仮にこの先実家がなくなったとしても、友達に会いに上京する時はここに泊まればいいな、なんて思っていたこともあって、頼みの綱が切れちゃったような、何とも言えない頼りなさがあります。 そうかーーー。京王プラザホテル多摩、閉館しちゃったのか・・・。 お隣のそごうデパートも随分前に無くなってしまったけど、これで多摩センター発展の中心が二つとも消えたわけだ。街もいい時代は長くは続かないんですかね。 私がまだ実家にいた学生・院生時代の頃の、そして多摩センターという街がまだ出来立ての若々しい街だった頃の、発展の象徴だった京王プラザホテル多摩の閉館を、複雑な思いで追悼したいと思います。さようなら! そして今までありがとう!
February 15, 2023
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今年度後期、私は「アメリカ・ジャズ史入門」「アメリカ・ロック史入門」「アメリカ映画史入門」という3つの一般教養系の授業を担当したのですが、前の二つに関しては、授業外の課題として何冊かの関連する新書本を提示し、授業期間中にこれらの新書本の中から1冊を読んで感想を書け、的な課題を出したわけ。 ところが。 ジャズの入門書とか、ビートルズの解説書なんかは沢山あるのに、最後の「アメリカ映画史入門」だけは、学生に課題として出すにふさわしい新書本(あるいは文庫本)が見当たらなかったんですわ。 いや、アメリカ映画に関する本は沢山あるのよ。だけど、どれも専門的過ぎるというのか、研究者的な分析の仕方が提示されていたり、そもそも分析する映画のセレクトがマニアック過ぎたりして、「アメリカ映画はおろか、洋画自体、一本も観たことありませーん」という近頃の学生たちに読ませるには難しすぎるんですな。 そういうのじゃなくて、20世紀後半以降のアメリカ映画の有名どころをさらっと紹介しているような新書本・文庫本がいいのよ。だけど、そういうのって意外に存在しない。 ひと昔前だと、田山力哉氏の『アメリカンニューシネマ名作全史(1~3)』(教養文庫)とか、長坂寿久氏の『映画で読むアメリカ』(朝日文庫)などがあったのだけど、これらは今は絶版でね。これこれ! ↓【中古】 アメリカン・ニューシネマ名作全史 2 / 田山 力哉 / 社会思想社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】【中古】 映画で読むアメリカ / 長坂 寿久 / 朝日新聞社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】 いやあ、不思議だなあ。なんでないんだろう、簡単なアメリカ映画の入門書。 っていうか、書けばいいのにね。誰か。 今、アメリカ文学研究って、全般的に行き詰っていて、多くの研究者がもうやることが思いつかないから、文学の代わりにアメリカ映画の研究なんか始めちゃっているケースが結構あるんだけど、そういう人たちこそ、新書版/文庫版の『アメリカ映画入門』みたいな本を書けばいいのに。 ひょっとして、アメリカ映画自体に、既に需要がないのかな・・・。
February 14, 2023
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最近我が家では・・・って言うか、私は、なんですけど、空前の甘酒ブームでありまして。 先日、リカマンで買った甘酒が実に旨くてですね、もう立て続けに買って、もはや常備状態。この大関の「灘の蔵元造り」という銘柄が実に旨いのよ。これこれ! ↓灘の蔵元造り で、私はこの甘酒を、冷たいまま、なんと、豆乳で割るの。半々くらいで。すると、もう、何だかバニラのような風味が生まれてですね、実に逸品でございます。 で、その冷たい甘酒豆乳を朝に晩に楽しんでおるのですが、ふと、これを温かくして、汁粉的に餅でも浮かべて食べたら美味しいのではないかと思いついた。 で、今日、実際にやってみたわけ。 はい、作り方ですが、甘酒と豆乳を2対1くらいの割合で割り、それを小鍋で温めて器に入れます。で、そこに焼いた餅を入れ、さらに缶入りの茹で小豆(要するに粒あん)を大匙山盛り一杯を投入して完成! もうね、甘酒と豆乳、そしてアンコの三味が一体となり、甘さもほどよく、非常に旨い汁粉が爆誕したのでございます。 まじ旨いので、騙されたと思ってお試しあれ!
February 13, 2023
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私は YouTube で、その辺にある木の枝なんかを使って森の中に一晩過ごせる程度の隠れ家的なモノを作る動画が好きで、よく見ているのですが、そのせいか、その種の動画がやたらにおススメされてくる。 で、そんなおススメ動画の中で、極め付きなのを見つけてしまった。 アジア系の二人の若い男が、地中に居心地のいいプール付きの家?を作るという動画なんですけど、もうね、これを観たら、驚愕するよ。絶対驚愕する。私なんか、何度「え?」「えーーーー?!」っと驚きの声を上げてしまったことか。 私がしばしば素っ頓狂な声を出すもので、なんだなんだとやってきた家内が、同じ動画を見て、「え?」「えーーーー?!」となっていましたから、多分、誰が見ても驚愕すると思う。 とりあえず私の発見した驚愕の動画をご覧ください。これこれ! ↓アジアの森の片隅にパラダイスを作る
February 12, 2023
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作曲家のバート・バカラックが亡くなりました。享年94。 バカラックというと、もう、私にとっては70年代なんだよなあ。70年代って、つまり私が小学生になったところから始まり、高校生まで続く時代。いわば、思春期ですな。 なにせ70年は大阪万博の年だからね。「人類の進歩と調和」ということが信じられた時代。60年代の政治の時代が終わり、学生運動も終わり、束の間の平和な時代。ジャズで言えば、フュージョンの時代。それぞれの音楽ジャンルが仲良く手を結び、「かもめのアルバム」ことチック・コリアの『リターン・トゥー・フォーエヴァー』がバカ売れしていた頃。「What Game Shall We Play Today」だからね。今日は何のお遊びをしましょうかって。日本では西城秀樹・野口五郎・郷ひろみの新御三家、女性陣では山口百恵・桜田淳子・森昌子の中三トリオが活躍し始める頃。 70年代はまた、日本のテレビCMも全盛期でした。例えばネスカフェのCMで流れたロバータ・フラックの「Killing Me Softly with His Song」とかね。あるいはケンメリ・スカイラインのCMとか。これらを聴くだけで、70年代がどういう時代だったかを私などは思い出す。これこれ! ↓ネスカフェCMケンメリCM そしてそして、この時代を代表する音の一つが、バート・バカラックだったのよ。転調の多い独特のメロディー・ラインは、私の中では70年代と決定的に結びついているんですわ。これこれ! ↓カーペンターズ「Close to You」ワーウィック「I'll Never Fall in Love Again」The Look of Love いい時代だったねえ。あの頃、まだ私は子どもだったけれども、世界はどんどん良くなるんだとばかり思っていた。まさかこの先、かつてのナチスのような悪の帝国があちこちに現れて、悪いことばーーっかりするようになる、なんてことが起こるとは思っていませんでした。そういうのは過去の遺物なんだと思っていた。あるいは、『仮面ライダー』の中に出てくる「ショッカー」のような、子ども騙しの架空の物語の中だけに出てくるもんだと。 70年代って、今思えば、すごい時代でしたよ。その時代に思春期を迎えていた私は、ある意味、幸せでした。 だからバート・バカラックって、私にとっては「幸福の音」なんですな。「幸福ってこういう音がする」っていう具体的なイメージ。 この、きな臭い時代に、幸福の音を創り出した男が死ぬって・・・。なんか象徴的ではありませんか。 というわけで、「世界はどんどん良くなる」って思えなくなってしまった時代の中で、バカラックの死を、切ない思いで悼みたいと思います。合掌。
February 11, 2023
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今日は辛い辛い期末レポート採点作業。で、あんまり辛いので、午後、さぼってネットフリックスでライアン・ゴズリング主演の『グレイマン』という映画を観てしまいました。以下、ネタバレ注意。 ライアンは弟と共に子どもの頃からマッチョな親父に鍛え上げられたものの、弟があやうく殺されかけるほどの訓練に危険を感じ、親父を殺してしまったという過去の持主。それで刑務所に入っていたところをCIAのフィッツなる人物からスカウトされ、「シックス」としてターゲットの殺害を請け負うエージェントとして働くことになるんですな。 で、今回もとあるターゲットの殺害を請け負い、実際に殺すのですが、そのターゲットは息を引き取る前に、自分もかつて「フォー」というエージェントであったと告白する。そしてフォーはCIA内部の腐敗をネタにかつての上司を強請っていたところ、逆に殺されることになったとシックスに伝え、その腐敗のネタが入ったチップをシックスに託すわけ。 で、シックスはそのチップの中身を確かめるべく、CIAにはそれを渡さなかったんですな。で、そのために今度はシックスがターゲットになり、世界中のやばい連中に狙われる羽目に。 で、特にロイドという、CIA内部の悪い奴から汚い仕事を請け負っているヤツがやばくて、このロイドがシックスの元上司で、ある意味彼の親代わりのようなフィッツと、フィッツが面倒を見ている姪っ子を誘拐、二人を人質にしてシックスを始末しようとする。 さて、シックスはCIAの送り込む殺し屋たちの攻撃をかわし、フィッツと姪っ子を救い出し、さらにロイドの上に居るヤツ、あるいはさらにその上に居る悪い奴らをやっつけることは出来るでしょうか? ・・・っていう話。 まあ、よくあるCIAもので、テーマ的には何一つ目新しいものはないのですが、採点疲れを癒す程度には面白かったです。 それにしても、CIAは、ちゃんと人事をしっかりした方がいいよね! 最近の映画、いっつも悪い奴はCIA内部のお偉いさんじゃん。もう、社会人なんだから、ちゃんとしよう!これこれ! ↓『グレイマン』
February 10, 2023
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今日は道場の日だったのですが、このところの五十肩で、全力で技をかけあうことができない状態が続いております。 が! 今日はねえ、充実の稽古が出来たのよ。こういう日は、一年に何度あるかっていうような。 稽古ってのは、誰と稽古するかというのが結構重要なのですが、今日は幸い、親しい兄弟弟子のOさんと当たりまして。 で、そのOさんが日頃の研究を惜しげもなく教えてくれるもので、今日はその恩恵を十分に受け、技に対する理解が格段に進みました。 我々のやっている流派の技は、ホントに細かいコツの積み重ねでありまして、ちょっとしたコツで技の効果が全然違ってくる。それも一つの技に一つのコツ、というのではなく、一つの技に5個くらいのコツが必要なんですが、今日はOさんからそういうコツの中でも飛び切りのヤツを幾つか教えてもらえたのが大きかった。 肩が痛いと、相手の技もまともに受けられないし、却って稽古の邪魔になるから休もうかな、なんて思う日もあるのですが、そういうのを押して稽古に出て良かった! こういう大進展の日があるから、稽古はあきらめずに続けないとね。
February 9, 2023
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たまたまある文庫本を読んでいて、読み終わって、文庫本の巻末についている既刊案内を眺めていたら、なんだか懐かしさがこみ上げてきまして。 私は小学校5年生の時に急に文庫本というものに興味を持ち、親の書棚から抜き出した文庫本を読んだのがきっかけで、いきなり読書家になってしまったのですが、その頃、文庫本を一冊読み終わるたびに、巻末の既刊案内の羅列を眺めて、次はどれを読むかを決めるのが、ことの他楽しかった。 今読んだばかりの感動がまだ心の内に残っていて、そのじんわりした感じがまだ去らないうちに、次の本への期待を高まらせる、あの感じ。ちょっとだけ内容紹介してある文章を読んで、面白そうか、自分の興味に合いそうかを判断するスリル。あれはたまらなかった。 思えば、今、そういう純粋な読書の楽しみを味わってないなと。やはりあれは素人の楽しみなのであって、プロになっちゃうともう、ああいう楽しみはないのかな。いまはもう、「次は何を読もうかな」とか悠長なこと言ってられないもんね。次に読まなくちゃいけない本が100冊ぐらい溜まっていて、それをいかに効率よくこなしていくか、ということでしかない。 悲しいね。 いつか、こういう状態を脱して、昔のように、文庫本の巻末の既刊リストに胸をときめかすような読書に戻れる日は来るのかね。どうなんだろう。わからんね。
February 8, 2023
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今日の午前中、大学に出勤がてら、近刊予定の拙著の再校校正済みゲラを版元に送ってしまいました。再校が著者校正の最後となるので、この原稿はついに私の手元を離れたことになる。もう表紙も決まっているし、あとはもう、実際に出版されて市場に出回るのを待つ以外にない。 要するに、この仕事に関しては、私のやるべきことはすべて終了したってことですな。 さて、この先ですけれども、今年中に出す予定の新書の執筆をガンガン進めなくてはならないのですが、その前にまだやることがいくつか。 まずは期末試験の採点! これが面倒臭い。 そして科が毎年出す紀要の編集! これが面倒臭い。 私は、同時に二つのことを同程度の情熱をもって押し進めることができないたちなので、これらを放置したまま、原稿の執筆はできないの。だから、まず期末試験と紀要の編集を先に片付けなくては・・・。 まあ、何でもそうだけど、ひとつひとつだね。一つ一つ、やるべきことを淡々と片付けていく。そういえば、亡くなった父もよく言ってましたな、「ひとつひとつ」って。 とりあえず、採点作業に入りますか・・・。
February 7, 2023
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昨年末から右肩に異様な痛みがあるもので、周囲の皆からは「はい、五十肩」と冷やかされながらも、そんなはずはない、これは骨にヒビでも入っているに違いないと、今日は形成外科に行ってみました。 で、レントゲン撮って、エコーとって、下された診断は・・・「五十肩です」(爆!) で、そのままシップ貰って帰っても良かったのですが、先生に「電気治療、試してみます?」と言われたので、噂に聞くその電気治療なるものを我もやってみんとて、喜び勇んでハイハイと答えたワタクシ。 で、実際に電気治療ってのをやってみたのですが、まーあ、これが。超ーーー気持ちイイ。 なんつーの? 普通にマッサージするのとは異なり、筋肉の内側まで響くような感じでトントン叩いたり、ぶるぶるとマッサージしたり、ギュワーンと締め付けたり、様々なパターンで凝り固まった筋肉をほぐしていく感じ。至福の10分間でしたわ。 で、あとは自宅で出来る五十肩用のストレッチなども教えていただき、帰路に就いた次第。 まあ、痛みの原因が分かって良かったけれど、楽しかったのは電気治療だけで、これからは痛みに耐えてリハビリしていかなくちゃ。やれやれ・・・。
February 6, 2023
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交通違反(軽微なヤツ)でおまわりにつかまるほど嫌なことはないね。 ま、それはいいんだけど、こういう風にしたらどうだろうか。 交通違反の罰金は、すべて何か「いいこと」に使うという。 その「いいこと」も、罰金を支払う側が選択できるというのはどうだろうか。 たとえ罰金を払うにしても、その罰金が「盲導犬育成」のために使われるのだったら、支払うのに抵抗が少なくなるような気がする。あるいは「交通遺児の奨学金(返還不要)」に使われるとか。「少子化対策」でもいいし、「赤十字への献金」でもいい。「ウクライナ支援」とか。 とにかく、様々な「いいこと」の項目があって、選択できるのだったら、同じ罰金を払うにしても、気分がいいよね。 どう、このアイディア? 宝くじ買って外れたとしても、そのお金が何かいいことに使われるのだったら、まあいいかなって思うじゃん? それと同じで、癪に障る交通チケットも、そういう風だったら、まあいいかなって思えるような気がするのだが。
February 6, 2023
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近々出る拙著の再校ゲラの校正をしております。なんか変な感じですよね、だってもうアマゾンとかでは予約が始まっているのに、実際にはまだ校正をしている段階なんだから。 それはともかく、もう何度も見直したつもりだったのに、まだいろいろ直すべきところが出てくるんだなあ・・・。 例えば、「客に接客する」なんて書いてある。あるいは「客観視して見る」とか。それぞれ「客に接する」「客観的に見る」に変えましたけど・・・。 あるいは「私だけがそう思っているだけ」とかね。「だけ」が重なって、見苦しい! そういう細かいところを詰めて詰めて、大分、改善されたかな? とはいえ、これだけ根を詰めて校正しても、実際に本として発売されたのをパッと開くと、その開いたページに誤植があったりするんだよなあ・・・。 でも、まあ、現在自分にできる限りの校正作業はこれで終わったのではないかと。あとはもう、なるようになれ、じゃないけど、出版社の方にお任せで。 しかし、今回改めて全体を通しで読んでみて、まあ、相変わらず妙な本だなと思います。こういう妙な本は、私にしか書けないね。まともじゃないから。 さあ、果たしてこの妙な本が、市場には受け容れられるのかどうか。 ツボにはまれば受けると思うのだけど、世間に気づかれないうちに闇に消える可能性もあるよね。市場なんてそういうもんだから。 だけど・・・そうはいっても、やっぱり売れてほしい。親心としてはね。情報満載な本ではあるのだから、買って損はないと思うんですよね。 ま、しかし、それはもう運を天に任せるしかない。マルクス・アウレリウスも言っているけど、宇宙はちゃんと全部考えて運航されているのだから、人間ごときがそれに注文をつける筋合いはないのよね。なるようにしかならないのだからね。
February 4, 2023
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2月の第1日曜日は小学校時代の恩師の墓参なので、今日、実家に戻ってきました。日曜日までこちらに滞在する予定。 で、今日は母や姉と夕食を食べていたのですが、その際、セーターや上着をどう着るか、という話題になりまして。 セーターで言うと、まず両袖に腕を通してから頭をセーターの首に頭を通すか、あるいは最初に頭を出してしまってから両袖に腕を通すか。 上着で言うと、最初に片腕を袖に通し、それから逆側の袖に腕を通すか、それとも、闘牛士がマントを翻すように着るか。 私に関しては、両方とも後者です。 姉はセーターは後者、上着は前者とのこと。 同じ姉弟でも、着方が違うというのは面白いなと。 ところで、セーターの方はまだいいとして、上着を着るのに、闘牛士スタイルで着る人の割合というのはどのくらいのものなのかなと。 映画とかテレビで、人が上着を着るシーンを思い返してみても、闘牛士スタイルで着ている人を、そう言えば、見たことがないなと。ひょっとして、こういう風に着るのは邪道なのかしら? しかし、子供の頃からしみついた着方なので、今更、片袖ずつ腕を通すやり方にするというのは、なかなか難しいような気が・・・。 今まであまり気にしてこなかったですが、これから、少し気にして、他人がどのように上着を着るか、観察しなくちゃ!
February 3, 2023
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回転すしチェーンでの迷惑行為の話、業界として毅然とした措置に出るということらしいですけど、まあ、それが正解でしょうなあ。親と一緒に謝りに来ました、では済まされないほどの打撃を業界として被ったわけだから。 当人としたらちょっとした出来心からの悪ふざけ、のつもりでしょうけれども、その愚行のツケがどの程度のものか、一般に知れ渡るようにした方がいいよね。何千万、あるいは億単位の賠償を請求され、しかも自己破産は許さないということになれば、少しは抑止力になるでしょうからね。 しかし、それはそれとして、今回の件でもその馬鹿なヤツの親は仰天するだろうね。バカ息子のおかげで、老後の資金もパー。それどころか、自宅すらも売らなければならない、なんてことになるとしたら――その可能性は十分にありそうだけど――顔面蒼白だろうな。 そうなったら気の毒だけど、しかし、そういう子に育てたというのもツケだから。観念してもらうしかないな。 これがいい薬になって、世の中からこの種の愚行がなくなればいいな。そうじゃなきゃ、おちおち回転ずしにも行けないもんね。
February 2, 2023
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今日は野暮用で、県内の某看護専門学校に行っておりました。 で、そこの偉い人とお話をしていたのですが、談、たまたま自己啓発の話になりまして。 で、私が、自己啓発本の研究を続けてきて一つ明らかになったのは、人が生きがいを感じるのは、自分が何かすごいことを達成した時ではなく、自分が他人の役に立っていると実感した時だ、というような趣旨のことを言ったわけ。でまた、だからこそ、職業に貴賤がないのだと。総理大臣であれ、医者であれ、弁護士であれ、学校の先生であれ、はたまた料理人であれ、コンビニの店員であれ、誰かの役に立っているという実感を得ることは出来るので、その意味ですべての職業は同等であると。 で、私がそういうことを言うと、看護学校のその偉い先生が深く納得され、こういうお話をして下さった。 看護学校では、学生が研修として、附属病院に入院されている患者さんのお世話をすることがある。つまり、患者さんとしては受動的なんだけど、学生の方は患者さんのお世話をすることで、将来看護師になるための勉強をしているわけですな。 その意味で、患者さんは、学生さんのために役立っているわけ。 その役割を果たしている患者さんは、自分が病気であり、人の世話にならなければならないという立場でありながら、それでもなお、看護師の卵の学生さんたちの役に立っているわけです。 だから、そういう立場の患者さんたちは、その立場に立つことで、すごく生き生きするというんです。こんな病人の自分でも人の役に立っているんだ、という実感がありますからね。だから、中には、研修生が注射の練習をするのを励まして、「おお、いいぞいいぞ、失敗したってなんてことないよ。上手になるまで、俺に何度でも注射針を刺してくれ」なんて言う患者さんもいらっしゃるんですって。 で、その話を看護学校の偉い先生から伺って、私は自分が研究してきたことの正しさが実証されたような気がして、非常に感銘を受けた次第。 まあ、それはともかく、いい話でしょ、これ? やっぱり、人間というのは、人の役に立つということがとってもとっても、大切なのね・・・。今日、このお話を伺って、私も大いに勉強になりました。ありがとうございました、ですよ。
February 1, 2023
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