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July 5, 2007
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カテゴリ: 教授の読書日記

 さて、昨日、偏狭な東大の学閥ヒエラルキーの中で由良君美が苛立ちを募らせ、アルコール依存の方向に向かっていたことを書きましたが、その影響なのかどうか、この頃から次第に彼の学内外での言動に奇矯なところが現れ始めるんです。

 そしてそうした言動は、四方田さんのような「元ゼミ生」にも向けられるようになるんですな。例えば韓国の大学での仕事から帰ったばかりの四方田さんが久しぶりに由良の元を訪れ、彼の地での経験などを興奮気味に語っても、由良の方ではどうも身を入れて聞いてくれない、というようなことが起こり出す。この時には、話を聞かないどころか、終いには四方田さんの韓国での経験を全否定するような茶々を入れたというのだから、四方田さんが由良さんに対して、「アレ?」と思うようになるのも無理はない。

 また後にフランスの新しい批評理論を取り入れた斬新な映画論を始めた四方田さんに対し、わざわざ一言、「全部でたらめ」と書いたハガキを送ってよこすというようなことも由良さんはしたらしい。そんなことがぽつぽつと起こるようになって、一体何が師匠の気に入らないのか、四方田さんの煩悶の日々が続きます。

 しかし、そうした予備的な、そして一方的な反目があった後、ついに由良さんと四方田さんが決定的な訣別を迎えることになります。

 その日、学会がらみの会合で、あるバーに行った四方田さんは、同じバーに若い女性連れで来ていた由良さんの姿を見かけるんです。で、色々妙なことはあったにせよ、一応は師匠ですから、挨拶に行かないとまずいと思った四方田さんは、由良さんのもとに行き、挨拶をした、と。

 しかし、それに対する由良の反応が酷かった。

 その時由良さんは、長年の弟子である四方田さんに対して、「きみは誰か?」と言ったというのです。「君は最近、ぼくの悪口ばかり言い回っているそうだな」と。そしてあっけにとられている四方田さんの腹を拳骨で殴ると、そのまま店を出ていった・・・。

 これが師匠と弟子の、そして二人の傑出した学徒の別れだったんですな。

 ちなみにこのある意味で『先生とわたし』のハイライトともなるシーンが、ワタクシにとって非常に印象的だったのは、この時由良さんと一緒に居た若い女性というのが、ワタクシの先輩だったからです。あらまー・・・。



 そして、その結果、四方田さんは「裏切られる師」というテーマに行き着くわけ。古今東西、大昔から師匠というのは、弟子に裏切られ続けているのだ、という命題に。

 で、そのことは四方田さん自身の経験にもよるんですな。というのも、その後、四方田さん自身もやがて大学で教えるようになって、自身「師」となり、「弟子」を持つ身になるわけなんですが、その過程で、自分の弟子たちがやがて一人前になり、自分の知らない世界、自分の知らない領域へとコマを進め、そこで華々しい活躍をするようになるケースも出てくるわけ。で、そういう弟子の活躍を漏れ聞くようになるにつれ、自分の中に彼らに対する羨望とか焦りとか、そういうものが生じるのを抑えられないこともあるわけですよ。彼らが、つまり弟子達が、師匠である自分を乗り越えてしまったのではないか、という焦りですな。

 で、その焦りを自分自身で感じた時に初めて、四方田さんはかつての師・由良さんの奇矯な行動の意味に思い当たるわけです。例えば、東大内部の学閥システムの中で苛立ちながら、仕事に忙殺され、思うような仕事ができずにいる由良さんの目に、新進気鋭の映画評論家として世に出始めた四方田さんの姿がどう映ったか。とりわけフランス語が苦手な由良さんにとって、フランス系批評理論をひっさげて映画論をぶつ四方田さんがどう見えたか。それを考えた時、お前の言っていることは「全部でたらめ」と言わざるを得なかった由良さんの気持ちも分からなくはないのではないか。

 四方田さんが学生だった時代には、由良さんが海外の新しい思想、新しい本を四方田さんに向かってどんどん紹介する立場にあったのに、今や逆に四方田さんの方が新しい知見を師の前に得意気にずらずらと並べるようになってしまった。その逆転劇を由良さんの立場に立って反芻すれば、由良さんの心に「弟子に追い越された」という忸怩たる思いが生じ、それ以後、四方田さんに以前のように素直に接することが出来なくなってしまったことも理解出来るのではないか。むしろ、「いつまでも自分が師であらなければならない」という真剣な思いが由良さんにあったからこそ、その思いがあのような理不尽な行動となって現れたのではないか。

 由良さんが亡くなってから今日までの間に四方田さんが師のことを思い、考えた結論がこのことだったんです。のっぴきならぬ師と弟子の関係、そして弟子は常に師を裏切り、乗り越えなければならないという必然。その避けられぬ必然のただ中で苦悩した師・由良君美への追悼。そしてそれはまた、「自分は今、かつて由良さんが自分のことをライバル視して焦燥に駆られた時以上に、真剣に自分の弟子と向き合っているか?」という反省でもある。

 結局、この本が伝えようとしているのは、そういう四方田さんの思いであるわけです。少なくとも私が受け取った限りは、ね。

 うーん、十分感動的じゃないですか!

 ま、上のようにまとめてしまうとアレですけど、なかなか書けないことだと思いますよ。由良さんを脅かすだけのことをした、という自負がないと、そもそもこの本は書けませんしね。それに、こういう形で由良さんのことを描くとなれば、由良さんのプライべーとな部分を描かざるを得ない所がありますから、そこも書きようによっては、変な誤解を招くことになるかも知れない。難しい綱渡りです。そう考えると、私はこの本、なかなか上手に、かつ感動的に書けていると思います。

 実際、はじめにも言った通り、この本の中にはあの伝説的な由良君美という人物の、少なくともある一面が生き生きと描かれていますから、「へー、そういう人だったのー・・・」という感慨もありますしね。

 ただ、これを言ってしまうと「ないものねだり」になってしまうんですが、この本で描かれている由良さんの姿というのは、やっぱりあくまでも「外から見た由良君美」なんですよね・・・。彼に教えを請い、長い時間身近に接した四方田さんであるとは言え、やはりそれ以上ではない、というところがある。だから、最終的な結論の部分にしても、どこか理知的な結論になっているわけですよ。

 では、この本を越えるような人物伝ってあるのか、と言われるかも知れませんが、私はあると思います。例えばボズウェルの描く『サミュエル・ヂョンスン伝』(岩波文庫)がそうですが、もっと身近なところで言えば、岡野弘彦の『折口信夫の晩年』(中公文庫)がそう。これらの本の著者は、自分の師匠に教わったというだけでなく、長年にわたって生活を共にしてきたというところに共通点があるわけですが、やっぱり、「一緒に暮らす」というところまで行かないと、本当のところは分からない、というところはあるんじゃないですかね。



 というわけで、四方田犬彦著『先生とわたし』、相当面白いです。教授のおすすめ!です。興味のある方はぜひ!

これこれ!
 ↓

先生とわたし


 ところで、これはまた雑談なんですが、この四方田さんの文章が最初に『新潮』に掲載された時、読んだ人の感想を漏れ聞いた印象としては、むしろ批判の方が多いという感じでした。私はその時はまだ現物を読んでいなかったので、何とも言えなかったのですが、今、この本を読んだ後で思うに、一体この本のどこが批判の対象になるのか、逆に分からないというところがあります。そんな、批判するほど、変な本じゃないじゃん! ・・とワタクシは思うのですが。というわけで、いずれ改めてこの本に対する書評などが出た段階で、人は一体この本のどこが気に入らないのか、ワタクシとしても検討してみたいと思っているところです。





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Last updated  July 5, 2007 04:24:09 PM
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研究課題  
尽きることがありませんなぁ (July 6, 2007 06:15:50 AM)

Re:研究課題(07/05)  
釈迦楽  さん
Mike23さん

とりあえず『波』7月号に四方田犬彦氏と巽孝之氏の対談が組まれているので、それを読んでみることにします。 (July 6, 2007 11:34:26 AM)

色白  
チャールズ・ラムちゃん さん
英語科主任になったとか(主任になってアル中になるなら、毎年アル中が出るはず)、学閥(そもそもほぼ全員が東大卒の社会において学閥なんて機能しようがない)、弟子に追い抜かされた(著者の思い込み?)などという低次元の問題に「由良狂せり」を帰するのは、留学中の生活費の不足に「夏目狂せり」を帰すようなものちゃうの?私奴は由良ゼミの選抜に落ちたので、色白のおじいちゃんという印象しかないけど、受かった友人は奇人ぶりを教えてくれたので、四方田氏の言う時期よりももっと早くから奇行は始まっていたのかも。 (July 6, 2007 02:58:23 PM)

Re:色白(07/05)  
釈迦楽  さん
チャールズ・ラムちゃんさん

由良さんって、こっちにも教えに来ていたんだけど、ちょうど必修の別な授業と重なっていて、結局とれなかった・・・。休講がやけに多いような感じだったけどね。どんな奇人だったのか、実際に体験してみたかったな。 (July 6, 2007 11:52:02 PM)

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