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February 15, 2016
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カテゴリ: 今日もいい日だ
 では、私が人生の初めに見た家はどんなだったかと申しますと、これがまたちっぽけな、マッチ箱みたいな平屋一戸建ての借家でございました。だけど、まっさらな新築の建物ではあったので、気持ちはよかった。

 両親に言わせると、この家で良かったところは、風呂付であったこと。自分の家に風呂が付いているということが何よりの贅沢であったと。昭和40年代初頭というと、まだまだ家に風呂がなく、風呂は風呂屋に行って済ませるというのが珍しくなかったということですな。後に『時間ですよ』的な、風呂屋を舞台にしたテレビドラマが生まれるのも、それだけ風呂屋が当時の日本人にとって当たり前の存在だったからでございましょう。

 で、その風呂の沸かし方ですが、当然、石炭よ。風呂場のすぐ脇に、外付けで風呂釜があって、時間になると石炭をくべて風呂を沸かす。この釜はまた、使い方次第で色々用途が広がるので、我が家では父がたまにこの釜を使って銀杏を炒ったりしていたのを覚えております。でまた、当然釜には煙突があるわけですが、それは時々掃除をしないと危ない。で、まだ若かった母が果敢にも屋根に上って煙突掃除をしたものですが、屋根の上で煙突と格闘する獅子奮迅の母の姿は、幼心に頼もしく思えたものでございます。

 トイレは、当時としては当たり前ですが、水洗ではなくいわゆるボットンでしたねえ。何しろ人生最初のトイレがそれですから、別にだからどうということもなく、それが当たり前だと思っておりましたっけ。それから、そう、トイレット・ペーパーなんてものはなく、「ちり紙」だったなあ。

 台所で覚えているのは、コンロですが、もちろん都市ガスなんてものはなくプロパン。で、これはガス会社が定期的に交換してくれるのですが、たまに交換する前にガスが底をつくときがあって、朝の忙しい時にそんな風になると大騒ぎだったことを覚えております。今、この話をすると、コンロのつまみの形まで思い出すことができる。

 それから冷蔵庫ね。当時の冷蔵庫は大概そうだったと思いますが、冷凍庫というものが独立してついてなくて、冷蔵庫の上の方の一部が製氷室になっていた。当時は冷凍食品なんてものはなかったですから、冷凍庫の役割は氷を作ることだけ。だけど、その製氷室自体に氷が付着し、それがスズメ蜂の巣のようにどんどん大きくなってくるわけよ。だから、たまにその氷の塊を取るために、冷蔵庫の電源を切らないといけないことがよくあった。

 それから、温度調節がテキトーだったせいか、冬場など、冷蔵庫の室温が下がり過ぎることがあって、中に入れていたものが全部凍ってしまうことがあった。当時牛乳は牛乳屋さんが毎日届けてくれるビン牛乳しかなかったけれど、これが凍ると体積が増大して、紙の蓋を突き破ってしまう。そうなると仕方がないので、その凍った牛乳に砂糖を掛けて食べる、という事態になるのだけれど、これが子どもにとってはラッキーで、アイスクリームだ! などとアホなことを言いながら姉と一緒に食べたましたっけ。

 あと洗濯機も覚えていますが、これが例の「絞り機」が片側に付いている奴。回転する二本の棒の間に洗った洗濯物をはさみ、取っ手をグルグル回すと、その洗濯物がぺちゃんこになって出てくるというものですが、こんなものでも当時としては便利だと思われていたんでしょうな。

 そしてテレビ。当然、白黒。四本の足がついていて、画面は球面。ガチャガチャとチャンネルを回す奴。壊れる時は必ずこのチャンネル部分が壊れるので、そのたびに電気屋さんに来てもらって直したなあ。



 だけど、私にとってこのミシン台というのは、まずその上に乗り、首に巻いた風呂敷を翻しながらそこから飛び下りるためのものであって、飛び降りる度に「ピー、パピー!」と絶叫していたのは、当時のテレビアニメ『流星少年パピイ』(1965‐66年放映)の影響でありましょう。

 その他懐かしい家具としてはヤマハのピアノがありますが、これはこの家に引っ越してからしばらくして、姉が小学校に入ってピアノを習い出した頃に買ったもの。当時、ピアノは高価な買い物でしたけれども、これがあるということが当時の日本人にとって文化生活の要でありまして、多少なりとも志のある家では必ず買って、家の子弟子女を苦しめ、付近の住民を騒音地獄に陥れたものでありましたが、我が家もその例外ではなかった。

 で、アップライト・ピアノの上部にはビロードで出来たカバーみたいなのが麗々しく飾られ、専用のクリーナー、たしか「ユニコンS」という名前ではなかったかと思うのですが、この米の砥汁みたいなものでよくピアノを磨かせられたものでございます。

 昭和の家ってこんな感じよ。

 で、家は小さくて狭かったけれど、庭は広かった。何せ、お隣に大家さん(兼大工の棟梁)の家が一軒あるだけで、後は果てしなく野原が広がっているだけなんですから。まさに大草原の小さな家。

 もちろん芝生なんてものじゃなくて、ただの草っぱら。だけど、たまに大家さんが芝刈り機でその草っぱらを刈ってくれると、その何ともいえないいい匂いってあったもんじゃない。

 それに草っぱらはバッタの天国で、そこを歩く度に面白いようにバッタやコオロギが飛び出してくる。その種類も豊富で、15センチほどもある巨大なショウリョウバッタもいれば、飛翔力の強い「キチキチバッタ」とか殿様バッタ、小さなヒシバッタ、繊細なウマオイ、質量感たっぷりの閻魔コオロギ、鳴き声はするが姿は見えない鈴虫、その他ありとあらゆるバッタが幼い私の友だちでありました。

 そう、それからスミレね。父がスミレが好きだったので、春になると近所の森の中に入って行って、野生のスミレを根っこから掘り起し、家に持って帰って植えるの。それが我が家のガーデニング。

 そういや、近所の森の中に養鶏場があって、鶏とかウズラが飼われていましたっけ。たまに家の周りでウズラを見たけれど、あれは野生のウズラだったのか、それとも養鶏場から逃げてきた脱獄ウズラだったのか。

 昭和40年代初頭、私を取り巻く世界というのは、こんな感じでしたかねえ。





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Last updated  February 15, 2016 10:03:13 PM
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ゆりんいたりあ @ Re:スペイン優勝、そして早くもW杯ロス(07/20) 釈迦楽さん、 ご無沙汰しております。 お…
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