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March 12, 2016
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カテゴリ: 教授の雑感
 昭和40年代、すなわち私が小学生の時代に何を食べていたかを思い出しております。

 まず自宅での朝・昼・晩の食事のことを考えてみると、もちろんそれほど洒落たものは食べておりませんでしたが、かといって、現代の食生活といかほど違ったかと考えてみると、それほどの違いはないかなと。

 ただ、小学校3年生まではそれこそ畳の部屋で、一家4人ちゃぶ台を囲んで、という、典型的な昭和の風景が我が家でも見られて、そこが一番の違いかなと。

 で、今もよく思い出すのは、この平屋の借家に住んでいた頃、母ご愛用の料理本がありまして。時々、この料理本のレシピでなにかご馳走を作ってくれたこと。

 例えばプリンとかね。

 だけど、その料理本のレシピによるプリンは、今我々が食べているようなカスタード・プリンではなくて、なんか、食パンをベースにしたもので、蒸かしたフレンチトーストのようなものだった。多分、当時の日本では各家庭にオーブンなんかなかっただろうし、フライパンと蒸し器と、そんなものだけで西洋のお菓子を作るにはどうしたらいいか、知恵を絞って方法を案出していたんでしょうな。

 そういう、ちょっとこう涙ぐましい文化があったのよ、昭和には。

 でも、今になってみると、そういう時代のことが懐かしくて、古本屋さんとかでこの母愛用の料理本が売りに出てないかな、なんて探してみたりするんですけど、そういうものって案外残ってないんだよね。古本好きには男が多いから、料理本というジャンルまで目が届かず、消失するに任せてしまったのではないかと。

 ま、それはともかく、1973年、私が小学校4年生の時にマンションに引っ越してからは、わが家も大分、文明化し、ダイニング・ルームでテーブルに椅子という生活になり、オーブンもあったし、オーブントースターもあったので、食生活も大分モダンになって、それこそ今とあまり変わらない感じになってきた。



 いや、冷凍食品のみならず、インスタント食品も普通のものになったかなあ。日曜日の昼とか、袋もののインスタントラーメンとか、インスタント焼きそばとかで済ませてしまうことも多かったし。ちなみに明星ラーメンが1962年発売でしょ。日清のインスタント焼きそばが1963年。私と同い年。1968年には「ゴマラー油入り」が売りの「出前一丁」発売。これ、よく食べたなあ。そしてカップヌードルが1971年発売となると、まさに私の世代はインスタント・ラーメンと一緒に育ったと言ってもいい。


 あと、食に関するもう一つの側面として「外食」ということがあるわけですけれども、私が住んでいた当時の東林間には、そんなに洒落たレストランなんてものはなくて、外で食べると言えば、例えば蕎麦屋とか、中華そば屋とか、そんな感じ。具体的には、今も東林間に残る蕎麦屋の巴屋さんとか、ラーメンの三福とか、あるいは今は無き東珍軒とか、そんなところに行きましたね。あと、これらのお店から店屋物を取る、ということもよくありました。店屋物といえば、たまにお寿司も取ったかなあ。吾妻寿司。あと駅前に鰻屋さんもあって、たまに行ったけれど、ここは数年前に潰れたようですね。

 で、それよりももう少し洒落た・・・というか、洋食が食べたい時などによく行ったのは、町田ね。

 で、町田で食べるという時、我が家がよく行ったのは、昔の「さいか屋」(今の「ジョルナ」ですな)の地下にあった「お好み食堂」。食券を買って空いているテーブルにつくと、係の人が券をもぎりに来るの。半券をもぎって行って、料理を出す時に残りの半券を持って行くシステム。ここではよく「スパゲティ・ミートソース」を食べたものですよ。そう、さいか屋には3階にも洋食レストランがあって、そこではスパゲティ・ポロネーズをよく食べました。後、グラタンも食べたか。

 あと、これはもう少し後になってからですけど、やはりさいか屋の中にステーキの店の「ズム・ズム」というのが出来た時代があって、ここで「ランプ・ステーキ・セット」というのを食べるのは、地下のお好み食堂でミートソースを食べるよりぜいたくな気がして嬉しかったことを覚えております。

 町田での外食でもう一軒思い出すのは、もっと駅に近いところ、たしか久美堂書店の近くの地下にあったのですが、「山のグリル」というお店ね。ここのハンバーグがめちゃくちゃ美味しかった。ソースに独特の風味がありましてね。で、店が地下にあるし、照明もわざと落としていて全体的に暗いのですけど、一つの壁に大きな、多分スイスあたりの山の写真のパネルがあって、そのパネルを内側から蛍光灯でバックライト的に照らしていて、これが暗めの店内ですごく目立つわけ。そうした店内のしつらえが、なんだかすごく高級感があったんですわ。ここで食べるのは、ちょっと奮発したご馳走、という感じがしたものです。 


 外食と言えば、ファースト・フードが登場したのも昭和40年代後半、すなわち1970年代初頭でしたねえ。マクドナルドが銀座1号店を出したのが1971年。

 ちなみに私が最初に食べたハンバーガーは、マクドナルドではなくて、ロッテリアだった気がする。ロッテリアも創業は1972年で、マクドナルドにそれほど遅れを取ってないですからね。やはり町田のロッテリアで食べた。その時の印象では、ハンバーガーもさることながら、「シェーキ」ってのはとんでもなく旨いなと思ったことをよく覚えております。

 それからね、ファースト・フードで言えば、ピザのこともよく覚えていて、私が最初にピザという食べ物を食べたのは小学校6年生の時、つまり1975年ですよ。これは神戸で食べた。この頃、神戸でピザを食べさせる店が出来たってのが評判になって、京都の親戚の家に行った時に、従姉のお姉さんが大騒ぎして、彼女に引っ張られるようにみんなで食べに行ったので、多分、日本でのピザ普及のごく初期のことだったと思います。そう、それでその時に初めて「タバスコ」の存在を知ったのよ。で、最初のピザ体験の時にタバスコをかけてしまったので、私のDNAの中でピザとタバスコはペアになっているわけ。その意味で、私のピザ概念はどうあがいたってアメリカ風なんですよね。ピザの本場イタリアにタバスコなんかないって言うじゃない?

 とにかく食文化全般を通じて一つ言えるのは、日本の食卓の西洋化とインスタント化、冷凍化、ファーストフード化は、すべて私の世代から始まったってことですよ。それが良いことか悪いことかは別として、その変化の波を目撃し、それに最初乗ったのは我々昭和後期の世代なわけ。



 すごいかどうかはアレですけど、変化に立ち会ったっていう意識、それはありますね。こんなに沢山、変化に立ち会った世代って、我々の世代以外にないと思うしね。


 さて、食文化の話の中で、「町田」という都市に言及しているうちに、この面白い町のことについても書き残して置きたくなってきました。ので、次回は町田について語りましょうか。





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Last updated  March 13, 2016 01:31:13 PM
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Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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