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「人は弱いものだから美しい」この言葉とても胸に残ってるんですよ。そんなことを言っていたのは、あの美輪明宏さんです。こないだNHK教育TVで久々に見ました。その番組では美意識や文化について語られていて、あいかわらずの説得力。やはりうなってしまうのでした。誰も聞きたくはないでしょうが(笑)、僕の初恋について多少書いてしまう?ことになります。どれをして「初恋」と呼ぶのかは別として、自分にとっては一番ココロに残っている衝撃的な恋心。高校1年のときのこと。相手はクラスメートの女の子。クラスの中ではかなり大人しいほうで、男子と話しているところなんか見たこともなかった。そして自分自身、彼女と何か言葉を交わす機会はなかなか訪れなかった。それでも僕はモーレツに恋してしまった!なにかキッカケがあったわけじゃなく正真正銘の「一目ぼれ」だった。「あいつなんか変じゃない?」周りにはすぐに気づかれてしまった。それでも僕はひた隠しにしていた。ホントは彼女が視界に入るだけで息が止まりそうだったのに。とにかく彼女の前だけは緊張して緊張してどーにもならない。恥ずかしくてしかたがない。単純に好きなんだってのはもちろんわかってる。でもなんなんだこのカンジは?自分の気持ちを振り返って考えるなんてことは、この時が初めてだったかもしれない。彼女を前にするとなぜだか自分がとても醜く思えてしまう。自分がとても「至らない」存在に思えてきて自己嫌悪。そんな自分の姿を見られちゃうのが恥ずかしくて怖かった。恋してからというもの、一人になると自己嫌悪する時間が増えていった。でも背中合わせに「変わらなきゃ」って焦っている自分もいた...彼女が英語が得意だと知った僕は突然がむしゃらに英語を勉強しはじめた。わー!単純ステキー☆(爆)そうすることで自分も少しは認めてもらえるんじゃないかってホント真剣だったなぁ。結局のところ彼女の前で緊張が解けることは全くなく(悲)告白することもできず。1度だけ電話をかけてデートに誘ってみたもののあえなく轟沈!!その後1,2回の事務的な会話をしただけで高校生活は終わってしまった。トホホそんな自分が美しかったということをみなさんに知っていただきたい!(ウソ)んじゃなくて!好きなもの・自分が美しいと感じるものに触れる瞬間ってきっと多かれ少なかれこんな気持ちなんじゃないだろうか。時にはそれが嫉妬となることもあるし、卑屈になっちゃったり、あえて遠ざけようとすることだってあると思う。でも根っこにあるのは同じ気持ちなんじゃないかな。逆に「自分もあんな風になりたい」っていう気持ちになれたり、自分に足りないものを見つめはじめたときの人間ってきっと美しいもんなんだろうなって思う。あー、またグダグダになってきたゾー。脈絡カムバァーック!ここんとこそんな「純」な気分ごぶさたであります。ホホホ追伸:実は高校卒業後に↑彼女に手紙を書きました。あらためてHOT!なころの気持ちを振り返って。やはり進展することはなかったけど(泣)何度か手紙のやりとりをして僕は少しだけ大人になりました(笑)おっと、美輪明宏さんのHPがありました。まさか引用された挙句こんな話の結末だったとは思うまい...http://www.o-miwa.co.jp/今日22:20よりNHK教育をチェケラッチョ無事に携帯からのUPを終えて、これから仕事で警察署に行かなくちゃいけない。ドキドキドキドキこれって恋でしょうか?(←バカ)
Feb 28, 2005
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今こうしてこの場に何かを書こうとする自分。何かを書かなくちゃとどこかで思っている自分。読んでもらうに耐え得るものを書かなくちゃいけないと思う自分。ホントのとこはそんなものないのかもしれないのに、「しかるべきもの」を書こうとしている。そんなんだとどうせロクなことは書けないだろうと早々に諦めて、やはり今思うままに行こうと再確認であります☆こうして日記を書くようになったおかげで、いろんな人たちと知り合ったり、話を聞かせてもらったりする機会がグーンと増えた。そんな中、そのページに定期的に訪問させてもらっているステキな女性がいます。お互い素性は知らず...おそらくは今後もお会いすることにはならない、そんな彼女が綴る日々の出来事を眺めるのが日課のようになりつつある。内容はいつも穏やかな日常のこと。これといったメッセージや何かしらの事件があるわけでもなく、いたって平和な彼女の一日。そしてそんな日常に向けられる彼女の優しい視線が好きなんです☆ふと考えてみる。「どうして自分はここに来るんだろう...」その理由を知ることが大事なこととは思わないけども。今年に入ってからたくさんの出会いのおかげで、僕は再びいろんなものに手を伸ばしはじめた。それと同時に「休みグセ」のついた自分を見つけた。これが「年とった」ということか...(苦)生きていく中で出会う様々な誘惑や刺激。かつての僕は、自分を持て余していたおかげで?後先考えずにいろんなものにかじりついてみた。「自分は孤独だ」と思いこんでたから、周りに対してなんの気兼ねもなく時には大きな間違いもして、たくさん迷惑もかけてしまったと思う。でも大きな間違いをした時ほど、ハッとして我に帰ることができたような気がする。大きく振り子を揺らすほど強烈に引き戻される場所があった。振り子がおさまろうとする場所。そこが良心という場所なのか、与えられた常識という場所だったのか、そのときはまだまだおぼろげだった。でもいつからか、僕は振り子を揺らさなくなっていた。そう、ついこないだまでの自分。いろんなことがもうわかったつもりでいた。わからないときもわかったフリしていた。「こうあるべきだ」と聞こえてくれば、うまくその風になびいてやろうという気持ちが芽生えていた...今の自分には、あえて他人を傷つけることはできない。でも知らず知らず傷つけることがたくさんある。悪いことする勇気がないのに、いいことする人間だと思っていたい...「所詮自分なんてそんなもんだ」と認めたくない自分が、また振り子を揺らそうとする手をつかむ。その手をキッパリ振り払って、もう一度振り子をブンブン揺らしちゃおうと決めちゃいました。そして今度はちゃんと見つけたいなぁ、目一杯振れた先で見るもの、そして振り子の中心に何があるのか。 だいぶ話がぶっ飛びましたが(笑)あいかわらずですまぬ。そして画像もすまぬ☆彼女の日々を読みながら、「疲れたらここに戻ってこよう。迷ったら来てみよう」そんなことを思ってるのかなぁ。今の僕が信じている・信じたいものがそこにあるような気がする。そして次に訪問するときも、またその次も「あぁ、やっぱりここがいいなぁ...」と思えたらいいななんて淡い期待があることに気づく。でも、僕の振り子がどこに落ち着くのかは全くわからない。想像もしていなかった新しい場所ならそれはそれでしかたないか。※画像は本文と関係ありません。(←だったら載せんな!)
Feb 27, 2005
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久々の脳内ジュークボックスです。決してご好評をいただいていないジュークボックスであります。本日のDJは、ワタクシDJこと道玄坂ジョージです。 先日、仕事に合間に立ち寄ったツタヤの「買い手がつきません困った中古CDコーナー」にて JUNGLE SMILEというバンドのアルバムを発見し衝動買い☆ 実はもうだいぶ前のことですが、職場の仲間たちとカラオケに行った際、バイトの女の子がこのバンド(グループ?)の曲を歌っていたんですよ。その後の数年間、頭から離れず気になっていたのです。 しかしなにせ1回聴いたきり、歌詞の一片もわからずといった具合。買ったCDにだってお目当ての曲が入っているのかもわからず。かすかな希望は、「ヒットシングル~と~収録」みたいなうたい文句。このバンドおそらくはそんなに多くのヒット曲を持っていないだろうという淡い期待で早速車内で聴き始めたところラッキー☆2曲目にその『おなじ星』が入っていました! 淡くも長く求めていたせいか、いたくいたく感動してしまいましたわー!!たしかにいい曲ですよコレ! 女の子の歌声も洗練されていなくて必死さみたいのが伝わってすんごく切ない。歌詞も決してキレイにまとまったカンジじゃないのがかえって自分にはHitでした! たしか北海道では当時なにかのCMに起用されていたような気がするので聴けばなんとなくわかるという方もいるでしょう。 残念ながらこのバンドはつい最近活動を休止してしまったようですが、コアなファンがいたであろうと想像できます。 ここで試聴してみよー☆ それではシェケナベイベナ(お聴きください)!っていうか、地球、危ないよね。http://www.jvcmusic.co.jp/speedstar/-/Artist/A008953.html
Feb 26, 2005
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自分の声って聞いたことある?ありゃなんだろうね?自分が聞いている声とぜんぜん違う!はじめてテープに吹き込んだ自分の声を聞いたときはショックだったなぁ。「なんじゃこのオカマ声!?」(全国のオカマちゃん諸君すまぬ)けっこう落ち込んでしまって、歌うのイヤんなちゃったもんねぇ...自分が聞いている声は、自分の体に響いている分、他人が聞いている(実際の声)とはどうしても違ってしまうらしいね。にしてもフシギなもんで、大抵の人は「ホントの自分の声」を聞くとガッカリするみたい。もしかしたら「自分の声ってホントはこんなにいい声だったんだー」なんてナルシーなことは言いづらいのかもしれないけど...そんなことを思ったのはですね、学生時代の友達に会ってあることを思い出したからなのですな☆ある友達が映画研究会というサークルに入っていて、ある時、自主制作で短編映画を撮るという話になった。8ミリのフィルムってすんごく高いらしくて、当時の経済力では30分が限界だったらしい。最初はその脚本を書いてくれないかという嬉しいお誘いだったはずが、お互いの力不足のおかげで(!)いつの間にかその頃はやっていた映画のパロディを作ることになっちゃった。当然僕の出る幕はなくなったんだけど、その代わりに出演する流れになってしまった。しかも!役は僕そのもの。役作りの必要なーし!友人なりに精一杯のド素人に対する心遣いだったはずが、これがなんとも苦労したもんですばい。渡されたセリフはたったの2、3行ながら、いざフィルムが回るとNGの連続。監督である友人からのダメ出し、それに負けじと自分もダメ出しを連発!(笑)「そんなのお前らしくないよー」「えーっ?普段通りだっつーの!」「セリフが良くないんだよ。こんなキザなこと言わないもん。セリフ変えてもう一回いい?」「いや、いつもそんな感じだって!」こんな先行きの見えない押し問答が延々と続いたのは言う迄もない...しかし、自分を演じるってのは、やってみるとこれ至難の業ですよホント。結局は妥協するしかない。でも、できる人はできるもんなのかなぁー?どうなんだろ。たしかに普段の生活の中でいろんな自分を演技しているような気はしてたのにさー。時と場所、多くは相手によって自分を演じわけているように思うんだけど、いざ演技!となると他人の目には不自然に映っているらしい。おっ!ついでにこんなことも思い出したゾー。こないだも書いたんだけど、以前ホテルで働いていた時のこと。接客業なんてゼッタイ無理だ!なんて思っていた自分も、毎日毎日緊張しながら(←ちょっとは慣れろよ^^)なんとかそれなりの仕事は覚えた。何年か経って、新人が入ってくると僕が基本を教えるような機会が巡ってきた。うまいことやベテランのようなウンチクはなかったから、自分が感じていたことをそのまま話していた。こんなカンジ。接客業に限ったことじゃなく、人に対する時はだいたい正面に立って相手を見るでしょ。でもここに陥りやすいワナがあるんだよねぇ。ベテランと呼ばれる人や、「接客なんてどうってことない」とタカを括っている人ほどハマリやすいワナ。こわ~。それは、「他人っていつも自分を正面から見ているもんだ」という錯覚。でも実際にはさ、ほとんどの人って自分が気づかない死角から、自分の横顔や後ろ姿を見ているんだよね。他人が抱いているイメージと自分が思い込んでいるイメージとのギャップは、もしかしたらそんなところにあるのかもしれないな、なんて思う。そして、緊張のない状態の横顔や後ろ姿がホントの自分の姿なんじゃないかな?とも思う。実際、接客の現場に立って他の人たちを見ているといろんな発見があったなぁ。キッチリこなしているようでも、普段の姿やその場の心理状態がどこかに表れてるのかもねー。そんなことを考えながら人に相対するのは正直疲れる。緊張感が抜けない。現場に入る直前、いつも手にびっしょり汗をかいて心拍数が上がっていた。のどが渇いてその日最初の「いらっしゃいませ」がなかなか出てこない...ホテルに勤めた3年あまり、結局最後の日まで僕は接客業に慣れることができませんでした。トホホ他人の視線が気になるとか、不安や緊張が消えないとか。それはあなたの感性がとっても優れている証拠です!(キッパリ)自分を感じ取ろうとする感性はとてもとても大切なことだと思いますよ。手前ミソですが...ホホホホホ(^。^) たいくつモードのぱんち号です☆眠いのこらえてます。☆ありがとうっス!もうすぐ1000アクセスだにょ~☆やっぱしタイトル変更しました。
Feb 24, 2005
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今日の札幌は大雪だった。朝から降り続いて夕方になってもまだ止む気配なし。そんな中でも仕事でクルマを走らせなくちゃいけない。道路はすべるし視界も悪い。どこを走ってもノロノロだからどうしてもイライラしちゃうのはわかる。にしてもマナー悪いヤツが多くて困る!ゆっくり安全運転ならまだしも、こんな状況がわかっていながら焦った運転をする人が目立つ。みんないっしょなのにさー。どこまでも渋滞してんだから進みようがないっちゅーのにイライラ運転してる人。1台譲れば流れるのに意地悪してる人。みんないい大人だろうにさ。「何にそんな追われてるの?」って一人ずつ聞いてやりたい気分。いつもはスイスイ流れる道だから?仕事ですか?時間に追われてるの?そりゃ人間生きてりゃ何かに追われる。時間に追われる。勉強に追われる。ルールに追われる。なんかわかんないけどなんかに追われてるってのもよくある。でもどうせなら、何か自分の好きなものを追っかけてる方がいいな。好きなもののために追われるなら納得できるなぁ...いやホントは何にも追われてないんじゃないの?だって自分もよーくあるから☆たいして忙しくもないのに、汗かいてパニクってみたり。誰に言われたわけでもないのに、必要以上の自分でいようとしてみたり。それはある面、向上心なのかもしれない。まじめさの表れなのかもしれない。けど、それが習慣に・クセみたくなっちゃうことってない?ふぅ、と一息ついてみる。これだって大事な習慣かな。あんまりやりすぎると「さぼんなー!」って言われそうだけど(笑)ときどき振り返ったり、今の自分を・状況をぐるっと見渡してみると、以外に「なーんも問題ないじゃん☆」ってことあるっしょ?逆にそこで問題があったとしても、ずいぶん冷静になって考えることができるかもしれない。もうだいぶ前のことになるけど、ある人にこんなことを言われた。「いつも上ばっかり見てジタバタしてるんじゃない!しがみついてる手を離してごらん。足元を見てごらんって!地に足が着いてるでしょ!」完璧主義でいつも「自分はこうあるべきだ!」なんて力んでいた当時の自分には、とても染み入る一言だった。すぅーっと、肩の荷が下りたようだった。そしてその荷物の多くは自分が知らず知らずに背負い込んだもの...あなたはいま何に追われていますか?ただあくせく走るんじゃただ逃げているみたいなので、追っかけてくる物の正体を僕のこの際じっくり眺めてやろうと思います。 なんのこっちゃこりゃこりゃ。
Feb 23, 2005
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ストレスっていう言葉、耳になじんだのはそんなに昔のことではない気がする。子供時分には聞いたことがない。それがいつ頃からなのか、やたらとストレスという言葉があらゆる場面で使われるようになった。「ストレス」という言葉がまだ市民権を得ていなかった頃、ストレス状態はなんて呼ばれていたんだろう?けっこう気になる。もしかしたらストレスなんか感じていなかったかも!なんて半ば真剣に思ってしまう。これは病名にも同じことが言えるかもしれない。もう一昨年のことになるけど、半年もの間、原因不明の高熱にうなされていた。そんな状態で人並みに仕事はしていたんだけど、やっぱり気になってしまう。それは微熱なんていうものじゃなく、だいたい日中でも38度以上あった。でも熱以外にはこれといった症状がなかった。病院を変えながら3度精密検査を受けた。何が原因なのかわからないことが唯一悩みのタネだったから。どこへ行っても同じことを言われた。「数値は正常です」「特に悪いところはありません」あの時ばかりは何が医学だバカヤロー!って思ったねー。「正常です」って、体温計見たっしょ??半ばあきらめかけていた頃、なんと言おうか、いわゆる霊能力というか超能力というか、世間では不思議と言われる能力を持っている知人に見てもらうことにした。かねてから親しくしていたおじさんなんだけど、いつも取り巻きになんだかんだとすがられて疲れていたので、一度も「見て欲しい」とお願いすることはなかった。多少僕にも近い能力があったのでなんとなく気持ちがわかるようで気が引けていた。それがお互いの信頼関係の基本でもあったかな。僕の体に手を当てて一言「知恵熱だなこりゃ(笑)」「えーーーーっ!?知恵熱ーー?」その名づけのセンスがさすがだなって思った。「で、どうすればいいの?」「なんでも深く考えるな。たまには酒でも飲みに行け」と。その頃、僕の仕事はまさしく殺人的だった。肉体的にも精神的にも。それでもなまじっか体力があるせいか続いていたというカンジ。仕事が終わっても、遊ぶ気にはなれず、まして時間がないと思い込んでいた。そんな僕の習性は付き合いの中でおじさんもわかっていただろう。真に受けて、その日は友達を道連れに近所のお店でお酒を飲んだ。すると翌朝、なんだか昨日より体が軽い!目覚まし時計で起きたのも久しぶりだった。いつも目覚ましが鳴る直前に起きていたから(爆)なーんだ、こんなことか!自己暗示の意味もあった。それからも忙しい日々が続いたけど、バンドをはじめるキッカケにもなった。僕のストレス体験。恥ずかしい話だけど、その頃の仕事は自分にとってやり甲斐のあるものじゃなかった。勉強と思って続けてはいたけど、それも一つのいい訳だったかな。どんなに汗をかいて頑張っても、結果が出ても、報われた気がしなかった。癒される瞬間はなかった。結果として高熱が治まった半年後に退職した。人間はストレスから離れられない動物だと思う。いや、きっと生きているものはみなそうだろう。しかしそれが「ストレス」と呼ばれるものなのか、好きな人を前にしたときの緊張感なのか、目標に向かっているときの苦労なのか、種類はさまざまだ。ストレスから解放されるのは、きっと生きることをやめたときだろうと思う。でも、どうせストレスといっしょに生きるなら、何かが残る、何か・誰かのためになるものの方がいいに決まっている。今、愛犬ぱんち号が目の前にいる。僕はきっとどの飼い主よりもぱんちには厳しかったと思う。ぱんちが暮らしやすいように、寂しくならないようにいくつもルールを決めては根気強く、厳しく教えなきゃいけなかった。今のぱんちはとってもとってもガマン強いコです。その上ものすごく性格が明るい。そしてどうしてルールを守らなきゃいけないのか少しずつ理解しはじめているようにさえ見える。はしゃぐときは目一杯はしゃぐ。はじめての人には必ず「あいさつさせろ!」とアピールして聞かない(笑)エライぞ!ぱんち号☆僕はお前を見習っているぞー(笑)そしてぱんち号から学んだ、再確認した一番大切なことは、「誰かのためになる」ってことがうれしさやよろこびの正体なんだってこと。昨日、前の職場の後輩からメールが来ていた。「疲れました。今日は一睡もできませんでした。近いうちにお会いしたいです。癒してください。」半分冗談、でも半分は本気なんだなと思った。僕は彼のことを信頼してこう返した。今の自分のことも振り返って。「きっと近くに疲れている人がいるはずだから、その人を癒してやって。そしたらきっと君も癒されると思うから。」なんだよ、冷てーなー!って思ってるかもしれない(笑)でも彼ならすぐにわかってくれるだろうと僕は信じちゃってるからせがんでも無駄無駄、ご愁傷様です(笑)厳しい先輩を持った自分を恨みなさいウホホホホ...今、どうしようもなく辛い時間を過ごしているなら、出口が見つかりそうにないなら、出来る限り力になりたいと思っています。それは僕のためでもあるんです。遠慮なんて必要ありません!
Feb 21, 2005
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いろんな人たちとの交流のおかげで、もう一度ココロを裸にしてやろう!という意気込みは見事なぱんちです。この場を借りてお礼を言わせてください。 ありがとう☆そんなカンジで日々いろんなものを眺めている。ここのところのニュースはあまりにも暗いものばっかり。そんなことにも慣れつつある自分も気持ち悪い。朝っぱらからテレビをつければ、犯罪者の素顔を暴こうと、その生い立ちや普段の生活ぶり、趣味だのなんだのと私生活までさらしてはなんだかんだと騒いでいる。プロファイリングごっこはまだまだ流行の最先端か?で、それで何がわかったんだろう。何が解決したんだろうね。もうこれで悲しい事件は起きませんってか。なんだろうこの無責任さ。このお気楽さはなんなのかね。やっぱり重い話になってきたか!(笑)でもね、ちょっとだけ焦点を奥のほうに合わせてみたら、こんなものが見えてきた。誰かを責める、怒る、腹が立つっていう感情のしっぽをつかまえた気がしたな。僕自身、ルールを守らない人に対してやっぱり腹が立つ。「自分は守ってんのになんでお前は破るんだよ!」みんな空腹でパンが1個しかない。そのパンを誰かがこっそり食べました!そりゃふざけんなよ!って思うわな。でも視線を変えた先には、他の人を差し置いて「食ってしまいたい」と思っていた自分が確かにいるはず。それを無視して犯人を祭り上げるなんて、なんかしらけちゃう。でも実際のとこ、ぶっちゃけそんなもんかなって...でも大人の顔してる人はさすがにそんな言い方しない。もっとそれらしく法律だの正義だの、ひどいときには「そういうもんなんだからっ!」って頭ごなし。守りたくもないものを守っていたり、信じられないものを信じさせられたりしているのかな。なんでかは知らんが守らなきゃいけないなんてまるで奴隷みたいなもんだ。みんなが疲れているのかもしれないな...きっちりルールを守りきっている人が偉いなんてこれぽっちも思わない。そんな人より、たくさん間違って間違い続けて恥をかいたけど、こうしたい!こういう風になりたい!ってものを見つけた人たちの方がずっとずっとステキだ。今まで出会った「大人」と呼びたい人たちにはそんな共通点があった。失敗して恥をかいてきたからこそ、なぜ?に対して自分なりの答えを持っている。そして、辛い思いをしてきたからこそ、失敗を受け入れてくれる包容力を持っていた。僕もそんな風になりたいなって、自然に思った。いま辛く大変な時期を過ごしている人に、ぱんちは希望を感じます!本当に。あなたにはそれに耐え抜く心と体がすでに備わっているんです!これだけは信じてほしい。傷ついた人の力になる時が必ず来るっていうことを!それは決して遠い将来のことじゃない。5分後のことなのかもしれない。あなたの中にはもうすでにその答えが埋まっている。一人では長く辛い作業になるなら手をあげてほしいなって思ってる☆反面教師ばかりの世の中じゃ寂しいゾ!!あなたたちも辛く癒されたいんだっつーのはわかってきた。そこを頼むぞ大人たちよー! はい。
Feb 20, 2005
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ふと思い出したことがある。ずいぶん前に、ある西洋哲学の勉強をしてみた。まず、「自分」っていうものが社会との関係で定義づけられるものとあった。○○市に住んでるとか、○○学校に通ってるとか、親につけてもらった名前もそのひとつかな。いわゆるプロフィールをたくさん並べることで、自分の姿が浮かびあがってくるという考え方。でも、プロフィールを数えあげたところでそれがなんなの?こりゃどうもしっくり来ない気がしていた。自分ってなんなんだろう?生きていればいやでも考えちゃうこと。自分が他の誰とも違うなんて物心ついた時から知っているのに、その答えってなかなかめぐり会えない。「自分探し」に興味を持ち始めたころ、ある一冊の本に出会った。書いたのはチベットのお坊さん。しかしその中身はお坊さんのイメージとはかけ離れた、厳しく過激なメッセージに当時は思えた。今の自分なりにその一端を書いてみます。今朝、家の前、いつもの道で石ころにつまづいて転んでしまった。原因ってなんだろう?そこに石ころがあったから?いつもの時間じゃなかったから?学校に行かなくていいならそもそも転ぶことなんてなかった?いや、やっぱりこれは自分の不注意だ...こんなことを考えてみると、原因なんてその時の自分の都合で選んでんだなーって思う。また起こったとしても気にしないような問題であれば、その場でテキトーな理由をつけてしまう。でも解決しなくちゃ前に進めない深刻な問題・特に心の問題にぶつかっているなら、テキトーな理由でしのぐわけにもいかない。お坊さんはこう言う。「問題を解決するなら、まず原因が自分にあることを認めなくてはいけない。そしてそんな自分を認め・許すこと。」大切な人を傷つけてしまった。もしかしたら、売り言葉に買い言葉、相手があんなことしなければ・言わなければ傷つけたりしなかったのに.....なんてこともよくある。良く言えば「正当防衛」だ。それで事を片付けてしまうことだってできる。でも何かが解決する・何かが変わるわけじゃない。解決する第一歩は、傷つけた傷つけようとした自分をちゃんと見つけ出すこと。そしてそれが、環境や状況まして他人のせいではない、本当の自分の姿・自分の一面なんだと認める。きっと誰だってそんな自分の姿は認めたくない。嫌いだ。変えよう・変わろうという気持ちがなければ自己嫌悪すれば満足かもしれない。でもそこはいつだって袋小路だ。出口を見つけるには、傷ついた相手がいることを思い出すのがいい。傷つけた自分を認めて謝ることは、傷つけた自分を許すことになる. . . . . ガツーン!!衝撃的だった。でも実際にこうするのは大変だなこりゃ、とも思った。実際2、3日もすると忘れていたし(笑)それでも少しずつ、身内に対しては正直照れくさい気持ちがあったから、新しく知り合う人に対してはこういう姿勢でいようと決めた。決めてみた。そしたら早速、自分のある一面に出くわした。初対面のMさんという人と話していたときのこと。やたらと自信たっぷり一方的にしゃべり続ける相手が気に入らなくて、あれこれ揚げ足取るようなことを言ってしまった。お互い気分悪くなってしまった。「しまったなぁ。ちょっとカッコ悪いな今の自分」見栄っ張りで自分の意見が通らないと気がすまない自分がいた。はじめは認められなかった。認めたくなかった。本当はもっと自分は謙虚で穏やかなんだと思い込んでいたかった。正直あの本さえめくりたくなかった。でも一度見つけてしまったあんな自分の一面がだんだん憎たらしくなってきた。「あぁどうせこんな人間だよ!生まれつきなんだよー!」なんて片付けたらこのままか.....後日、Mさんと再会して、思い切って「先日は変なこと言ってすいません。」と切り出してみた。初対面の印象からすると、素直に聞いてくれないだろーなぁって半ば開き直って(笑)。するとあっさりMさんは「かえってゴメンね。自分でもわかってるんだけどさぁ、しゃべると熱くなって止まんないんだよねー」だって!さすがに、認めなさい!そして許しなさい!!とは言わなかったけど(笑)そう言われちゃうと逆にあらためて「本当にすいませんでした。ありがとう。」って気持ちになれたなぁ。そして嫌だなって思う自分の一面を見つけてしまうと、ふとしたときにその引き出しに手を添えておくことができるんだなってことがわかった。そして相手に対しても「こうした方いいんじゃない?」ってことを穏やかに伝えることできるんじゃないかな。まぁ、そんなことをひとつずつコツコツとやっているうちに自分の正体みたいなものがだんだんと見えてきたのです。じゃあ今度は自分が傷つけられた場合はどうだろう?これはもっともっときついかもしれないね。これは本当に本当に厳しいメッセージになると思う。傷ついてなお解決しようと立ち上がるにはパワーが必要だもんね。「何と言おうが私は被害者です!」相手が罰を受ける。相手に償わせる。これで何か解決するんだろうか?それで相手のことを許せるんだろうか?残念だけど今の世の中のルールってこんなもん。カタチは立派でもそこに心があるんだろうか?って思っちゃうなぁ。自分が傷ついた場合の例として、これは自分のことを書くのが一番かな。僕は14歳の時、母親に見放された。「こんな子はいらない。この子がいるから問題が起きる」と。それから何年も、家族とは離れて伝える相手もなくこのことは忘れていた。あえて忘れようとした記憶もないけど、思い出すことはなかった。耐えられなくて無意識に無視しつづけていたんだと今ならわかる。母親にはそれから一度も会っていない。声すら聞いたことないし、家族を通してうわさを聞くこともない。それで僕も落ち着いていたし、むしろそんな風にいられたらいいなと心のどこかで思っていた。人に語らなければいけないときは「きっと母親もつらい状況だったんだと思う。」なーんて大人ぶった言い方をしてフタをした。なぜかと言うと、思い出せばゼッタイに母親を憎むから。いまさら憎むなんてのはめんどくさい。これ本音。憎む自分の一面なんて見たくない!そんな醜い自分の姿を知られたくない!これは自分にとってかなり根が深い問題。自分の人格が壊されるような恐怖感さえある。でも憎む気持ちは必要だ。嫌でもなんでも思い出さないといけない。でなくちゃ本当に母親を許すことはできない。僕が受けた傷は、「こんなに辛くて憎んだんだ!」ってことを母親に知ってもらわない限り癒されることがない。そして僕の傷が癒えた時に、僕の母親もきっと自分自身を許してあげられるんだろうなって勝手に(笑)思っている。母親のためでもあると思えば、少し力が湧きそうな気がするなんて人間不思議なもんだね。自分に不思議発見!だこりゃ。ぱんちも頑張ってみます。溢れそうな気持ちは思う存分吐き出してほしいと思うとります。溜めちゃあいけない。それは心の底からの大切なメッセージ。自分自身を見つけるための手がかりなんでしょう。ありがとう。僕自身少し楽になれました☆
Feb 18, 2005
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昨日、仕事の合間に通りがかりの古着屋に入った。入り口から見る限りお客さんがいる気配はなく、一通りながめながら店の奥に進んだ。ちょうど死角になっていたスペースに一人だけ客らしき女の子がいた。年はハタチかそこらかな。とても澄んだ空気をまとっているカンジがした。彼女を見ていると、どうも前に会ったような気が、なんて安いナンパ師みたいだけど!でも思い出す気配もなく...目ぼしいものがないのでその店を出た。1丁となりのビルにある仕事先に向かい、あいさつを終えてビルを出たのはだいたい30分後。ビルの玄関を出ると、さっきのコが通りがかった。「あら、さっきのコだ」ま、そんな程度の印象だった。さらに別の客先へ向かうため女の子が歩いていく反対の方向へ。用件を終えてビルのドアを開けると、またさっきのコが!さすがに向こうも気づいたみたい。一瞬目を見合わせた。しかしさすがに何か話すわけもなくすれ違っていった。確かにその時、またどこかで会うような気がした。いや、「また会うんだな」って思った。以前ホテルに勤めていた。きっかけはと言うと、当時路上で歌いながら生活していたんだけど、さすがに真冬はいろんな面で厳しかったから、年末年始の10日間ほどバイトして少し稼いでおこうということだった。面接に立ち会った人事部長さんはとても気さくで、僕が学校やめて路上で歌っていることや、臆面もなくあらわに語られるバイト歴がよほど面白かったらしく、結局ただそんな雑談をしただけで「キミ採用だから」ってことになった(笑)配属先の職場には偶然にもドンパ(同い年)の社員が5人もいて仕事がしやすかった。初対面とは思えないほど親しく迎えてもらったのでとても助けられたなぁ。元旦にバイトが終わり、ホントなら事務所に顔を出して「お世話になりました」の一言も言わなきゃいけないんだけど、その時はとても不思議な感覚だった。「どうせまたここに来ることになるからなぁ...」あいさつする習慣はいろんなバイトを経験する中で身についていたし、それがとても大事なことだと人一倍思っていた自分が。今思ってもなんだか不思議。また路上生活に戻っていた3月の半ば、あの人事部長さんから電話があった。聞けば僕が配属されていたバイト先に異動になったらしい。そこで一緒に仕事してみないかということだった。ホント鳥肌立ったねー!!ホントに来たよー!ってカンジ。こんな縁はないと思って二つ返事で引き受けた。接客業なんて絶対ムリ!とか思ってたのに、そんなことすーっかり忘れてた(爆)3年勤めてそのホテルは退職した。その後2度の転職をしているんだけど、そのホテルとは仕事でもプライベートでも縁が切れることがなく現在にいたっている。こないだネットうろうろしていて、札幌のとあるセラピストのページに行き着いた。カウンセリングやセラピーといったメニューのひとつに「前世療法」というものがあった。ご批判いとわずに書かせてもらうけど、そこの主宰と思われる人の写真を見たとき、実はちょっとした「違和感」をおぼえたので、あまり詳しいところまでは見なかった。すまんな。あくまでも僕が思うに、前世辿ってみたってな~んにも特別なメッセージや何がしかの答えがあるとは思えない。前の世界に生きていた自分って、きっと今の等身大の自分とな~んも変わらないだろうなって感じる。でも今回の人生の中で、なんかひとつ新しいこと発見したり、ひとつ問題を解決したり、前の世界では分かり合えなかった人を理解したり、自分の性(さが)を許してあげられたら、いわゆる今回の人生って意味があるんじゃないだろうか。生きることに意味やテーマがあるとしたら、(当人にしてみれば)ぜんぜん大それたことじゃなく、そんな身近で起こりえるような些細なことなんだろうなぁ、なんて思いマッスル北村☆(年バレるな...) っていうか、話題重いかな?
Feb 17, 2005
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昨日訪問した掲示板のメッセージを見て、ふとこんなことを考えた。「謝るということ」誰かを傷つけてしまったとき、不愉快にさせてしまったとき、人はその相手に対して自分の誠意を伝える。そんなことだろうか。ずいぶん前になるけど、当時お世話になっていた人にいつも口すっぱく言われていこと。傷つけようとして傷つけるのはまったくの悪意にしてもそこには何かしらのメッセージや意図がある。これは別として、たいていはその気がなかったのに相手を傷つけてしまったと後で気づくものだ。「たとえば電車に乗っていて隣の人の足を踏んづけてしまった。もちろんそんな気はなかったにせよ、相手は痛い・イヤな思いをする。もしかしたら何か特別な想いのこもった大切な靴だったかもしれないし、足にケガをしていたかもしれない。そこで「一言」謝れば済んでしまうこともあるが、そうはいかない場合だってある。自分が想像する以上に相手が傷ついてしまったときは、相手が納得して許してくれるまで謝らなきゃいけない。」そのときは、「厳しーな。めんどくさいな。そこまでするか?」なんてのが本心だった。でもようやくわかってきた気がする。誰かを傷つけてしまったら、相手の気持ちを本当に癒せるのは自分だけなんだと。その相手は納得いかず誰かに愚痴ったり何かに八つ当たりして一時のことと忘れてくれるのかもしれないけど、本当にその傷が癒されるわけじゃない。謝ってるのにとヘソ曲げたり逆ギレするのは謝らなかったのと同じことなんだなぁ。もちろん誰に対してもこういう姿勢でいられるのが理想だけど、近しい人や親しい人との間ではなおさら大切なことだと思う。ケンカするなんてのはお互いを知るためのひとつのイベントみたいなもの。でも信頼した人ほどお互いを知るからこそ、傷は深くなる。確認の意味もあって書いてみました☆自分も忘れかけていたんだなぁ、きっと。
Feb 16, 2005
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消えてしまったようなので再度書き込みます(泣) アルバイトを始めた頃、かねてからの想いを実現すべく、ピアノ教室に通う決意をした。家庭が崩壊するのと同時に札幌で一人暮らしをはじめた。14歳の時だ。当時の部屋にはラジカセさえなく、同世代の人たちに比べると、音楽に触れる機会は少なかったかもしれない。そんな自分でもピアノがメインの曲には惹かれるものがあった。高校3年生の終わり頃、やっとCDラジカセを買ったものの、なにから聴いたらいいのかもよくわからず、ピアノだったらベートーヴェンかな?くらいのカンジで手に入れた980円のCD.その中にあった「月光」という曲にえらく感動してしまった。そんな流れで、深く考えることもなくピアノ教室に通い始めたものの、家に鍵盤があるわけじゃなし、練習という練習もできず、同室の3、4歳の子供たちにもついていけず、いつも先生に怒られていた。ちょっとムリあったよなぁという反省とともにピアノ教室はやめることにした。でも一度楽器に触れるとたびたび発作が起きた。「やっぱしなんか楽器やりたいなぁ...」金銭的な面と家で一人でできるだろうということで、安いギターを手に入れた。しかし当時すでに人との接触は極力避けていたくらいで、バンドやろうなんて気はサラサラなく、これといって弾きたい・歌いたい曲があるわけでもなかった。で、どーする?結局、ギターといっしょに買った「ギターコードブック」なるものに従って、ひたすらコードの押さえ方を練習した。1ヶ月もすれば指先にタコができるし、コードもひととおり押さえられるようになる。んで、どーすんの?今度はテキトーにその覚えたてのコードをつなげて曲らしきものを作りはじめた。なんの予備知識もないから、なんだかそれなりに聴こえていたんだなぁ。曲ができると歌詞が欲しい。当時つけていた日記とは呼べない殴り書きのノートから気に入ったフレーズを引っ張り出して、つぎはぎの詩を乗せる。これまたド素人の恐ろしさ!斬新というかかなりハチャメチャな歌がいくつかできあがった。その頃のバイト先で知り合った、音楽を志しているという年下の男の子にギターを練習していることを告白すると、いっしょに練習しようと彼の自宅に誘われた。彼は僕とは正反対。とても純粋で優しい人だった。彼の部屋にはCDショップかここは!ってくらいのライブラリがあって、家族みな音楽に対して理解の深い家庭だった。ちなみに妹さんは現在メジャーシーンで立派に活躍されとります☆彼の家に遊びに行っても、ギターを練習するというわけでもなく、ひたすらレコードやCDを聴かせてもらっていた。ギターを始めて3ヶ月くらい経った頃、10曲ほどできあがっていた僕の歌を彼の自宅でテープに落としてみようということになった。緊張した!人前で歌うのもギターを弾くのもはじめてだった。まして自分の詩を他人に聞かせるなんて!顔面がバックドラフト状態だ。ガチガチのままひとしきり歌い終わると、彼は満面の笑顔でこう言った。「ホントにギター下手だね~!」それを聞いた僕の反応は....大大大爆笑!腹が立つとか悔しいなんてのはこれぽっちもなかったなー。自分なりに一生懸命練習もしていたし、うまく弾こううまく歌わないと!って真剣だった。なのにその言い草(笑)知らず知らず自分を追い込むことに慣れてしまっていたんだなって気がついた。もちろんあの時腹が立たなかったのは、彼の人柄も大きい。ちゃんと僕のことを見届けて素直に言ってもらえたことは、自分が他人にありのままを認めてもらえたようで嬉しかった。やるだけやったんだけどしょーがねーべや!っていっしょに笑い転げた。あのときの「あきらめ」ついた清清しさが忘れられないなぁ。その後も僕は時間があるとギターの手入れをして歌もすこしずつ増えていった。もしあの時「下手だね~!」って言われてなかったら、どっかで飽きて投げ出してただろうなぁって思う。彼と出会ってから3年後、ぱんち!は満を持して、たまりにたまった歌たちを成仏させるべく、ススキノの路上にひとり立つこととなるのでした。なんだこりゃ?連ドラか?
Feb 15, 2005
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札幌は雪景色。それもけっこーな吹雪!冬に生まれたせいではないだろうけど、いままで人生の転機と呼べるものは決まってこんな冬に訪れたなぁ...フシギ数えれば3度、心から信頼を置いていた人たちと、ある時は自分から、ある時はどうにもならないカタチでお別れしたのも冬だった。人生の転機と大げさに言うのは、自分なりに真剣に悩みぬいたつもりだから。その度いつも思っていた。「なんで自分はこんなことで悩むんだろう?どうして見過ごしたり忘れたりできなんだろう?」それが自分の弱さとしか考えられなかった。行き詰まれば当然そこから逃げ出したくなるし、「死」がとても恋しく(?)なったりした。孤独ならなおさらだ。それでも僕の場合は経験や時間が手伝って「忘れられないものはもうしょうがない。だったら辛いこと悲しいこと悔しいことも忘れないで生きてやろー!逆境カモーン!」って思えるようになってきた。その「気構え」はいまでも良かったなって思う。他の人にはちょっと...ってことも話してもらえる機会に恵まれたし、先入観や偏見を持たなくても静かに他人を受け入れられるようになったから。いま自分が関わる人たちの多くは、自分自身の多感さを持て余して疲れてしまっているような気がする。もちろんゆったりと受け入れられない環境=社会にも大きな原因があるけど、変えていくには傷ついた人たち自身の声がどうしても必要だ。「わかってくれない」あるいは「わかるようにしろ」とお互いに言い合う世の中はもうそろそろ限界に来ているじゃないだろうか。僕はとりあえず、どちらかと言うなら「傷ついた人」、どっちに行くと訊かれれば「めんどくさい方」に進んでみようと思う。まぁ、それには休憩も必要っしょ?
Feb 14, 2005
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みなさんはじめまして。日々思ったことや叫びたいことなんでもありでスタートします。たくさんの人が訪問してくれるように頑張ります。
Feb 13, 2005
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