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どうも、おばんでした。疲れてややしぼみがちのぱんち!改めぱんち↓です。今日は仕事の休憩中に、水谷修せんせいの本を読んでみました。がんばりました(´▽`) とっても心に響くメッセージの連続で、珍しく一気読みしてしまいましたわ☆今や「夜回り先生」名の知れた水谷さん(あえてこう呼びたい)の生い立ちや挫折、失敗についても赤裸々に書かれていて、僕もなんだか昔のことをちょびっと思い出していました。 自分が描いていたたくさんの夢と挫折。多くは自分の手で葬ってきたのですが...(;´д`)トホホ幼い頃の僕はとってもいけ好かない自信に満ちたガキでした。おつかいに来た近所のスーパーで、「おっ!ボクおつかいかーい?」なんて言われようもんなら「僕の名前はボクじゃないっ!」と大人たちに詰問するようなことは日常茶飯事w( ̄▽ ̄;)w!! 恥ずかしながら今でもはっきりと覚えています。そんな幼稚園児ってどーなの!?と我ながら...そんな自信家気質が死を招くことになろうとは ヾ(≧▽≦)ノ☆先日もチラッと書きましたが、物心ついた頃には「医者になる」と公言していました。その夢は高校2年生の頃まで細々と続いていくのでした☆ 動機は単純。父親の心臓病を治すため。そして高校2年の頃、長年続いていた父ちゃんとその兄との兄弟喧嘩が裁判沙汰までになり、またしても同じような理由で弁護士を志すのでした。実際にこの夢を果たすため大学は法学部に進んだのですが、皮肉にもこの頃には弁護士熱はすっかり冷めていました。医者にしても弁護士にしても決して「正義の味方」じゃないんだ。身近に接する機会を通してそんなことを思うようになっていたのです。そうです。僕はまさしく正義の味方になりかったんですねぇ。遺伝だなこりゃ(☆o☆) 法学部にさえ通う動機をなくした僕は、医学部、理学部、そして文学部の哲学科というあたりをうろつき、当時けっこう熱心に勉強していたフランス語を生かそうと、留学に淡い夢を抱き始めるのですが、どこに行こうが所詮自分は変わらないだろうなぁ...それに、勉強したいからといって大学に行く必要もホントはないんじゃないか...ごく自然とそんな考えに至り、大学さえもサヨナラしてしまうのでした☆それでもどこに行けばいいのかは見当つかず。正直、僕は途方に暮れた...小さな頃から平行して描いた夢はたくさんあった。バイクのレーサー、料理人、プロレスラー(学生時代にスカウトされたゾーっ!!微妙な自慢だな)、そして教師。若い自分としては、どれもなろうと思えばなれそうで、しかしそのための努力をするまでの魅力を見つけられなかった。というか努力すんのがめんどくさかったんだなきっと...その上、変なところで完璧主義が顔を出してしまい、ちょっとの失敗や不向きなところがあると思うとすぐに投げ出す性格だった。ホントに根性なしでした。そのクセ上手にできると何でも飽きてしまう...まったくタチが悪いよΣ(|||´■`|||;;Σ) 僕は自分を持て余していた。なんでもできるはずだった。ヤル気になれば。僕の頭の中で、イメージの中で生きている自分は、現実の自分を遥かに追い越してしまっていた。バブリィだったよなぁホント。そんな夢うつつバブリィの状態は、おそらく24、5歳の頃まで引きずっていたかなぁ。夢から覚めるキッカケは、やはり人との出会いだった。いろんな才能、いろんな特技、いろんな苦悩、いろんな価値観に出会いながら、少しずつ「身の程」を知ることになった。時には強烈な無力感を味わったし、逆に本当の自分を知らされることもあった。負けず嫌いと言えば聞こえはいいが、実のところ「負ける勝負」なんてしなかった。なんやかんや理由をつけてみたり、興味がないと言ってみたり。いつでも他人に勝る自分でいたかったんだろうねぇ。いやらしい...24歳の頃、路上で歌いながら生活をしていた奇特な僕のところに「コウジ」という一人の男の子が遊びにくるようになった。最初は気を遣ったようすで、ひたすら僕の話に合わせてるのがわかった。何度か僕のボロアパートまで足を運び、その度に僕もとりとめのない話をしていたんだけど、やっと彼が核心を口にする日がやってきた。おもむろにトレーナーの袖をまくりあげ「これなんだかわかりますか?」空手をやっていたという大柄なコウジの太い腕には、無数の切り傷があった。なにかの事故によるものでも、誰かにいじめられているわけでもないのはすぐにわかった。どの傷も同じ深さで手首からひじのところまで、まるで職人の手仕事みたくキレイに「引かれて」いたから。僕は彼のことを信頼していた。たとえ厳しいことを言おうとも彼には聞く耳があり、理解してみようという気構えがあるだろうと感じていた。なんとかしたい...そんな思いが伝わってきていたし。 思うまま感じるままに話しちゃえー☆☆☆「なにそれ?僕ははじめて見た。」きっと僕の口からあんなに冷たいトーンの言葉が出るとは思っていなかったろうなぁ。それでも彼は誤魔化そうともせず、悪びれることもなく、その傷を刻むに至った彼の過去について話しはじめた。ただ僕は黙って聞いていた。コウジも僕と同じだった。「こんなはずじゃなかった...本当の自分はこんなんじゃない...」そんな自責の念に行く手を阻まれていた。そしてその後悔や挫折・あきらめの多くが、僕と同じく自分の手で下してきたものだとわかった。 お互い一時は体育会系だったし、まぁそんなノリでこんな話をした。「僕は根性論なんか嫌いだ。想像しただけで虫唾が走る。でもね、今こうして路上で歌い始めて気づいたことがあんの。路上に出てしまえば誰も助けてくれるわけじゃない。でも逃げ出したくはない。目の前に聞いてくれる人が一人でもいれば、うまく歌うなんてことはできっこないと思ってるから、とりあえずできるかぎり大きな声を張り上げてる。今の僕にはこれしか出ません!って声で。ひとしきり歌い終わると、ひどい歌だったなぁなんて思うこともあるし、少しは伝えられたかなぁって思うこともごく稀にある。たいていは自分にダメ出ししてる。ホントにひどいなって思うから。でも何度歌ってみても、もっとできたんじゃないかってキモチが必ず心のどっかにあんのさ。 千本ノックってあるじゃない。根性論の権化みたいなやつ。最近ね、少しは意味あんじゃないかなって思うようになってきたんだ。ただし自分の意思で本気でやればね。あ、こりゃ捕れないわーって頭で決めてしまって捕りに行かなかったら、いつまでも自分の守備範囲ってわかんないんだよね。届きそうもないボールを追いかけてみてはじめてわかるんじゃないのかな?自分の実力って。あぁ、今はここどまりだって。誰だって、できる自分でいたいよ。でもやってみなきゃ自信を持つこともできないんじゃない?ここまでの範囲なら自分は大丈夫だ!って言えるようになることが、自分を見つけるってことなんじゃないのかなぁ... 僕自身、自分からはみ出していたような気がしてんの。やれないこともできるって言っちゃうのは悪いことじゃないと思うよ。それは若さに許されたことだろうし。でもね、誰かに理解される、自分を理解するってことは、できなかった自分を見つけることなんじゃないのかなーってこの頃思ってる。そっからスタートなんじゃないかって。コウジはたくさん見つけたんじゃないの?話してて伝わるもん。コウジは自分のことちゃんとわかってる...」こんな脈絡のない話をコウジは真剣に聞いてくれた。しかし、その後なにかが劇的に変わることはなかった。相変わらず女性恐怖症には悩まされていたし、いつも周りを見渡しながら、自分の主張を押し通すようなことはしない・できない優しいコだった。コウジとは正月だお盆だと1年に1度くらいは連絡を取り合い、うちに呼んでゴハンを作ってあげている。彼女ができたとウワサで聞いたが、僕の口から「つれて来いよ」とは言わないヽ(^ー^)ノ きっとまだ何かを考え模索しているだろうと思うから。でも、自信を持って僕に「対峙」してくれる日はそう遠くないかな☆今や、友達同士で揉め事があっても真っ先に間に入って話をまとめるらしいし。落ち着いたあの優しい口調で「ごぶさたしてました☆彡」とそろそろ電話がくるような気がする(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^) ナニ喰わしちゃろーかなー。 ↑読み返してみると...相変わらずお後がよろしくないようでー(o ̄∇ ̄o)マイペンライ
Mar 30, 2005
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やっとこさ8日目を終えて、かなり足にきている(〒_〒)ぱんち!です。今日もいろんな人が店の前を通り過ぎてゆきました。介護用品を扱っているせいか、障がいのある人たちをついつい目で追ってしまいます。多くは目の不自由な人。そして足の不自由な人を見かけます。みんな自分のペースでしっかりとした足どりに感じられて、なんだかとても力強いなぁ~って思います。もしも今の自分が同じような障がいを背負ったとしたら、乗り越えられるかなぁ、その事実を受け入れられるのかなぁ、と想像してしまいます。そしてつい心の中で「がんばって」と呟いてしまうのでした☆しかしこの「がんばれ」という言葉、心の問題を抱えている人には言っちゃいけません的なことをよく見聞きするようになったんだけど、本当にそうなのかな? ふと考えてしまった。なんかそれもマニュアル的なカンジがして、なんか素直には受け取れないな...なんたってひねくれもんだからm(。・ε・。)mホホホ僕は「がんばれ」って言葉はすごく好きだし、言われるとうれしい。自分でもよくよく使っていると思うんだけど、たしかに言われたときのことを思い返すと、ざっくり大まかに2通りあるような気がする。ひとつは、漠然と放り出されている「がんばれ」時にはひやかしめいた使い方をされたことも確かにあるかな。もうひとつは、進むべき方向を見据えた上で贈られる「がんばれ」本人が何かに向かっているときに贈られるものや、よかれと思う方向を指し示した上で贈られるもの。そして、「がんばれ」と言うからには行く末を見守る覚悟が必要なのだと思った。言うからにはちゃんと見てろと(o ̄∇ ̄o) そのとき初めて「がんばれ」っていう言葉に生命が吹き込まれるんじゃないだろうか☆ おおげさかな??(δ_δ?)?? でも、なんかそんな気がした。もちろんどんな言葉だって一方通行じゃなく、その先に続くものの方がいいんだろうけど。「がんばれ」って言葉をもっと素直に気兼ねなく使いたかったから、こんなこと考えちゃったのかもねー☆彡そんなことをグルグルやってるぱんち!の脳内では、なぜか知らんが(^o^)この曲が流れていました。泉谷しげるの「春夏秋冬」です♪初めて聴いたのは、たしか大学生の時だったかな? 泉谷しげるのセルフカヴァーアルバムにリメイクで収録されていたもの。フォーク調の原曲からかなりイメチェンされていて、とってもストレートで力強いロックになっています。ぜひ機会があればライヴで歌ってみたい曲のひとつです。 ←ホントに実現すんのかぁ~(¬¬)???ぜひ一度聴いてみてほしい1曲ですよ(^^) 『春夏秋冬』季節のない街に生まれ風のない丘に育ち夢のない家を出て愛のない人に会う人のために よかれと思い西から東へ かけずりまわるやっと見つけた やさしさはいともたやすく しなびた春を眺める 余裕もなく夏を乗り切る 力もなく秋の枯葉に 身をつつみ冬に骨身を さらけ出す今日ですべてが終わるさ今日ですべてが変わる今日ですべてが報われる今日ですべてが始まるさとなりを横目でのぞき自分の道をたしかめるまたひとつずるくなった当分てれ笑いがつづく今日ですべてが終わるさ今日ですべてが変わる今日ですべてが報われる今日ですべてが始まるさ 今でもとってもいいシンガーだと思います☆彡フジロックなんか出たんですね~( ̄。 ̄)ホーォ※4月9日に、「とまと畑」(札幌市中央区南4東3 PEOPLE3 1F)というところでライヴやります。急に決まりましたε=ヾ(;◎_◎)ノ ヤバヤバ 今回も大所帯ソウルパンチのメンバーが集まれないため、急造トリオ「ミコwithぱちん」(僕はギターとちょいヴォーカル)での出演となります。チケットは1000円くらいみたいなので、宝くじが当たった、もしくは使い切れないほどの財産があり、かつヒマでヒマでしょーがないという方は必ず来てください。連絡待ってます川 ̄ι ̄川ヒヒヒ... けっこう面白いもんですよ☆たぶん今日も4人もの知り合いに会いました。いよいよか...{{{{( ▽|||)}}}}ぞぉ~~~~~
Mar 29, 2005
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一日中お店に立っているといろんな人がやってくる。お店に来てくれた人には当然ながら「いらっしゃいませ」と声をかけるんだけど、多くの人はちょこっと会釈くらいはしてくれる。しかし中には恨みでもあるような目つきでムスっとしかめっ面の人も決して少なくない。とてもカンジが悪い(`□´)お店は僕らの家のようなものです。今日だって朝早くからモップをかけて、ホコリがかかっているところはちゃんと拭いてるし、少しでも入りやすいようにこまめに商品の配置も変えている。そんなことは手前の勝手だろうが、そこにズカズカと入ってきてあいさつも返さずムスっと突っ立ってられるのは正直気分が悪い。「お客様は神様です」なんてコトバがあるけど、冗談じゃない(`ヘ´) どっちも人間だ。人として最低限のことができないなら自販機に囲まれて生活してろ!なんて思ってしまう。夕方、40代くらいの女性がやってきて、店前に飾られた杖を眺めていた。そばに行ってあれこれと説明するが、いちいち挙げ足を取ったような物言いをする人だった。使いやすい適切な長さについて説明すれば「私が使うんじゃないから。母はほとんど歩けないし、長さなんてどうでもいいの。」「いえ、それでしたら尚のこと、ご家族の方が説明してあげるべきですよ。」何を言ってもため息まじりに否定的な言葉ばかりが返ってくる...でも、その人の横顔をふと見たときに、「あぁ、この人はとても疲れているんだなぁ」って感じた。ちょっと切なくなっちまったゼ(x_x;)しかめっ面のオトナたち。わけもなく急ぎ足で怪訝そうに人ごみをすり抜けてゆく人。なんだかみんなイラついていて余裕がなさそうだ。ホントに何かに追われてるの~?って訊いてみたいな。何かにせっつかれて、また誰かをせっついて...玉突き事故起こしますよ。ご注意を(ノ>(ェ)<。)いま僕が仕事をしている地下街には一種独特な空気がある。足がむくんでだるくなってくると軽く地下街を走ったりするんだけど、それだけで自分が浮いていて異質に感じる。わざと店の前でジャンプしてみたり、当店の専属モデルらく太郎さんを乗せて車椅子を押していることすら、「あれっ?これってルール違反ですか?」くらいの冷たい視線と威圧感めいたものを感じるのは僕だけだろうか。少しくらい笑ってくれたっていいっしょ? お向かいのお店に虚しくピースサインを送り続けるらく太郎さんがちょっと悲しかった(/。-)ハァ そろそろ気づいてよー!(>_
Mar 28, 2005
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やはり2日連続のビールは肌に合いませんでした。おばんです。ぱんち!です。腐れ縁Oさん(http://plaza.rakuten.co.jp/punchgo/diary/200503140001/ 参照)の店からぱんち号ともども無事帰還いたしました。 写真は、大好きなOさんに身の上相談するぱんち号ですホホホ!(^O^)話は変わりますが、役不足ながら店長を任されて今日で6日目。毎日少なくとも3人以上の「顔見知り」と出くわしています。人通りの多い立地のせいもあるかとは思いますが、決して「友達100人」いるタイプではないし (・_・; 冷静に考えてみると異常なまでの確率かもしれません。多い日には7人も会ったんですから☆ふと「あぁ、もしかしてボクちゃん死ぬの???」なんてこと考えてしまうってもんです。もしも今まで縁のあった人たちがみんな集まれたら、どれだけのことができるんだろうなぁ...なんて妄想してみたり。何かをはじめるときなのかも...なんて考えたりしています。それからそれから、やたらと話しかけられます(δ◇δ)おじいちゃんおばあちゃんはもとより、小学生やおそらく台湾や韓国からの観光客にいたるまで。ほとんどが道案内なんですが、地下街には警備員もいるし(キャッチセールス対策でうようよしておる)掲示板やフロアガイドなんかも充実しているのに。ちょっとコワそうに見られることがしばしばなので、これもなんだか不思議ですなぁ_(‥。 )昨日は通りすがりのおばあちゃんに、「財布忘れたから500円貸してもらえないか」なんて言われ、あげるつもりで一応「貸しました」(。・-・。)今日にいたっては、ホームレスのおじさんに話しかけられました。みな屈託なく笑う人たちで、道行くオトナたちの冷たい表情を思うと、なんだか微笑ましかったなぁ。地下街には、いわゆる「名物おじさん」と呼ばれる住人さんがたくさんいるようです。店の人たちと勝手に「先輩」と呼んでいます。今日はその中の一人、「フラワー先輩」をここにご紹介します☆彡 先輩はいつもたくさんの花をあしらったショッピングカートを引いて地下街を何週もしているのです。目的はいまのことろ定かではありませんが、今度話しかけてみようと思います。きっと何か壮大な計画があるに違いありません!(^(ェ)^*)※次回はぜひとも「物書き先輩」をご紹介したい!なんとしてもパパラッチせねば。気分を害されない程度に追ってみます パチリ /■\_・)
Mar 27, 2005
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みんなラジオ体操は済んだかなー?僕も元気いっぱい☆額に「肉」のハンコをもらって上機嫌だよー。ゆうべはあまり得意ではないビールをずいぶん飲みまして、そのままフトンへ直行いたしました。おかげでスッキリしております。天気もいいみたいだし。いいダシ。今晩は久々に「腐れ縁」Oさんのバーへ行ってきます。厨房を任されていたAっち(仮名)の卒業式なのだそうです。「卒業=アイドル賞味期限切れ」的な発想をしてしまうぱんち!なのですが( ̄ρ ̄)))))ヒヒヒ 今日は晴れの門出を祝ってまいります。もちろんぱんち号もいっしょに参戦です☆彡 それでは仕事に(6日目)行ってきま~す。。。。(( T_T))
Mar 27, 2005
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今日はまともなことを書けそうにありません(;´д`)ひっさしぶりにムカつきましたわ。あー! なんなんだろ!?いきなり地面に叩きつけられたカンジです。
Mar 26, 2005
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ここのところ、仕事に長い時間を拘束され、バンドの練習・ライヴ、帰ってからはPCの前に座り込み...いっぱいいっぱい手前でなんとか踏みとどまっているナノミクロン新人のぱんち!です。今は朝の10時から20時までお店に貼りついているのですが、思ったほど客入りはなく、ちょっと退屈ぎみなのです。これがなんともつらいよ。生まれてこのかた、とにかくジッとしていることができない、落ち着きがない性格のため、人知れずつらい時間を過ごしているのであります(ノ_・;)ウーン とにかく時間の経過が遅い!遅い遅ーい! まいった。 去年、仕事を変えるまでは、いつも時間に追われておりました。退屈や暇などとはおよそ無縁の生活。家に帰れば「あぁ、あと○時間しか寝れない...」と就寝時間に追われ、いつ鳴るかもしれない職場からの携帯電話に怯え、たまの休日さえも刻々と近づく出勤日にため息...重度のサザエさん症候群なのでした(;´д`)ゲンナリ時間に追われる身を開放してくれた最たるものは、以前にも書いたようにバンド活動のスタートでした☆仕事仕事で時間なんてない!半ば「ムリだ!」と開き直ってはじめたバンド。とにかく時間を「捻出する」ことが大前提だったのです。いつもなら22時、23時に終わる仕事を、少しでも早く終わらせる方法を考え、それでも片付かない日は、あの手この手、たまには小粋でアメリカン☆なウソをついて(ー(ェ)ー;)強引に切り上げて深夜に及ぶ集合練習に途中参加する...探してみると結構あるもんですね、時間なんて。5分あれば譜面(まぁ、そんな立派なものじゃないが)が見れる。仕事の移動時間に1曲、2曲は聴ける...いつの間にか僕は、「時間に追われる憐れな子羊」から「時間を追い掛け回す牧羊犬」に\(\o-) → (-o/) ⇒(〇¥〇)!!変身していたわけです☆追われつづけてやみくもに過ごしてるうちに、いつしか一人勝手に惰性で逃げまわっていたような気がするなぁ。一息つくことも忘れていつもパタパタあたふたしていたような...(〃´o`)=3 フゥやりたいことなんてできるわけないよ...って決め付けていたし、思い切って決断できないのも時間がなくてゆっくり考えられないからだって、勝手に一人途方に暮れていたんだと思う。結果的には思い違いをしていたみたいヾ(´▽`;)ゝいま充実している!とか、満足だ、幸せだーとは決して言わない私ですが...少しずつ時間から「親離れ」をしているようには感じてる。なんか「親離れ」って言葉しっくりくるんだなぁ。限られてるものと知りながらなんでもかんでも時間のせいにして、自分からどうするこうするってことは避けていたんだねぇ、きっと。焦りを感じるのも、退屈を感じるのも、ホントは自分次第でどうにでもなることと知っているはずなのにサ。犬は飼い主に似るとよく言いますが、我がぱんち号も主人の落ち着きない気質をしっかりと受け継いでいるようで、今この瞬間も、モニターを見つめる主人をうらめしい目で見つめております▼-o-▼いやもしかすると、「じっとしていたくないんでしょ!?遊んであげるよ」なんて気を遣ってくれているのかも (*。◇。)ハッ! そのへんいかがなのでしょうか子犬どの?
Mar 25, 2005
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どうも藤岡弘です。3月27日札幌レッツ中央にて「青春ライブトーク」を開催します。とりあえず今宵もどんぶりめし片手にスタートです(*^O^)ノ ヨロシク! ゆうべ日記を更新したあと、とある掲示板を介してメール交換をはじめたRちゃんとはじめてお電話しました(δoδ)9"--- モシモシ・・・メールを読んでいると、なにかココロに引っかかったものがあるようで、高ぶって眠れないようでした。僕自身ちょっとしたことでバッチリ目が覚めてしまう性格だし、ゆうべはバンドの練習後ということもあり寝付けそうになかったので、思い切って電話をしてみたのです☆日記をご覧いただいてる方なら察しがつくでしょうが(^o^;)やはり脈絡無視のぱんち!トークが炸裂してしまいました...(;´д`)それでも一語一句慎重に聞いてくれるRちゃんにはマッコト申し訳ないキモチでありました(≧≦) 結局のところ、僕が感じていることや今後に向けて考えていることなどなどを温かく聞いてもらう時間となってしまったわけです...にしてもRちゃんの理解力、感性、発想にはあらためて感服しました。やはり「聞き手しだい」なのだと痛感ですねぇ。決して長い時間ではないのだけど、いくつかの貴重な発見・再発見がありましたよーっ☆彡ポンまた、その貴重な時間の産物として、今後の目標が生まれましたゾo(^∇^o)まずは日記を書く上でも「もっと笑いが必要だ」ということ。そして、僕にとってはなかなか濃密だったこの10数年を読み物にすること。僕に関わることとなったおよそ数十名の奇特な方たちをリレー形式で主人公にしてストーリーを進めていくというものです。狙ってます ̄m ̄ ってナニヲ??気づくと空には淡い青の光が広がりまじめていて、きっと意味のある時間を過ごしたおかげでしょうか...なんだか静謐なキモチになりましたね(*δ。δ)ポヮーンむかしは、あの夜明け前の空って、僕にとっては憂鬱と不安と焦燥の象徴でした... (参照)『おあいそ』http://plaza.rakuten.co.jp/punchgo/diary/200503110000/しかし今は、希望の夜明け前に感じているのです。ウソでないって(¬¬)
Mar 24, 2005
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すっかりバンド練習のことを忘れていた...20時をまわり、おぉ~長い一日オーツカーレチャーン( ̄ー ̄*)なんてちょいうかれちまったぜよ(;´д`)トホホ昨日書いたようにおやじ3人の殺風景な職場には花が必要であ~る!として、さっそく朝イチで近場の100円ショップに参ったのでござる。したらあるもんだねぇ☆彡侮れんぞ100円ショップ!時節柄、桜の造花がたくさん店内を飾っておったそうなぁ。タニシど~ん。 なかなかの出来映えですゾ。おやじ仕事で壁面やらボスターやらにペタペタとくくりつけて終了~つけた途端、お客さんの入り、反応に如実な変化がありましたわ。やっぱしディスプレイって大事なんだねぇ。勉強になりました。午前中にそんな作業を終え、午後には本日のメインイベントヽ(^^)(^^)ノ 大切なお客様のお出迎えであります☆ (σ。σ*)ある掲示板を通じて親しくさせてもらっている、照れ屋さんのミスピーチ桃姫の登場であります。およそ小学生以来の盛大なる「プレゼント交換」を果たし、私の2005年3月23日は感動のフィナーレを迎えたわけですo(^∇^o)(o^∇^)o ??そんなあったかな余韻に包まれて平和に帰宅するつもりでいたのに...突然の嵐みたいに 音をたてて崩れてく涙が出ないのはナゼ 教えてほしいだけさまったく僕のブロークンハートはラリー・カールトン♪ よくわからんが(δ_δ?)んで..........でしtあれぇ? 頭が回らないよ.........(ollllll_ _)o ドローンタイry区のgね会のよでうs(体力の限界のようです) そえでああたましたー追伸:桃ちゃん、今日はなにかと疲れたっしょ?ゆつくりお休みなはれ(・_・)/~~~~グンナーイ グンナーイイ ベイビィ
Mar 23, 2005
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僕ちゃん実は20歳くらいからいわゆる自称「エスパー真美」として生きているんですが、初歩的なエスパー真美として「シンクロ」っていうのがあるんです☆たとえば友達がケガをしたときに同じ箇所が痛んだりとか(実際にケガまではしない。しないと「決めた」から...コレ語るとまたややこしいのねん)、不意に誰かの思いを受けて悲しくなるとか... いわゆる虫の知らせみたいな。ただし誰にでもこの「シンクロ」が起こるわけじゃないみたいで、自分がココロを開いた人にだけ起こるものみたいなんですね☆逆に、ある人とシンクロを起こしたことで、その人にココロ開いたんだなぁって気づいたり、特別な縁があるとわかったりするんですよ。 自分にふしぎ発見! デーデッデデッデーン 没シュート♪ なんでよ?!ある意味テレパシーなんだべかねコレ?本当に仲のいい人とか好きな人に対してだと、サイコメトリーちっくな体験もけっこうあるんです。友達が座っていた椅子にかけたときにド━━━(゜ロ゜;)━━ン!!と悲しくなったりとか、イライラしてなんだかハラが立ってきた!なんてこともあるんです。自分としては別にフツーのことになっちゃってるんで、あえて話すこともなかったんですが、どうやら新たなシンクロニシチーが起こったようですゾ(。・-・。)フフワァオ!それから、関東の方々、地震に備えておくことをオススメします。関東に限定するほどの確信はいまのところないのですが、去年からずーっと地震を予知しつづけているのであります。近くの避難所どこか知ってますか?冬の路上生活なんてことになったら予想以上に大変ですゾ。 経験者は語る。 備えあれば憂いなし 憂いあれば備えなし (〃δ。δ)o_彡 ナルホドキンキン 以上 エセエスパーレポートでした☆
Mar 22, 2005
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やんや今日はまったく「ヒマ疲れ」さ~( ̄□ ̄;)明日はもうちょっと賑やかにいきたいもんさねぇ...遠巻きに眺めてはあっちゃこっちゃ配置を変えてみたり。しかしいかんせんセンスがないのよねん(ノ_-;)ハァー 自称「下町の元ファッションリーダー」たるものが...^(,_,*)(*,_,)^ダレダレ?なんとかあるものでカタチにはしたつもりなんだけど、なんか足りないんだよなぁ...と思ってまた眺める。そうだ!花がないんだなー。おやじ衆3人だし...って!そういう意味でなく、モノホンの花が欲しいなぁって思ったわあ☆できれば生きている花がいいよねー。って!だからそういう花でないんだってば。でもさっすがに30オトコに花を飾る習慣ないしなーo┤*´Д`*├o まぁなんかしら考えてみるさ(*δ-δ)カチカチ【ぶらり世界の途中下車の車窓から万歳!】喫煙所のある地下鉄出口の踊り場にて。地下街ではたらく人たちのグチやため息が充満しているんだけど、疲れてるなりに「生きてる人たち」の息遣いみたいなものを感じたよ☆彡そんな夜の地下階段。なんかちょっと切なくなる景色だったのでパチリ☆してみたジョ。
Mar 22, 2005
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僕がよく使っている心理テストを紹介します。わりとポピュラーなもんなので、ご存知の方もいるでしょうね。シンプルだからといって侮るなかれ☆ まずテキトーな(これがとっても大事)言葉を並べていきます。キーワードの数は2のX乗・・・つまり、2、4、8、16、32・・・といった具合です。多ければ多いほど精度はより高くなると言えます。 最初に並べた(今回はスペースの都合で)8つのキーワード。その隣り合う2つのキーワードから連想するものを書き出していくんです。同様に準優勝→優勝と進むほど(笑)深層心理で意識している言葉に近づくというものなんです。コツはとにかく「考えない」こと☆考えるほど表層心理の言葉が浮かんできてしまうからです。何度かやってるうちにスグ慣れます。キーワードが浮かばないなら、誰かにかいてもらったり、身近にあるもの、テレビに映っているものなんかでもかまいませんよー。なんかすっきりしない。なんかわかんないけど不安だ。そんなときにオススメなんですコレ☆という僕も今日は久々にやっとります。今日は気合入れて32個で♪⌒ヽ(*゜O゜)ノ行ってみよー☆ この図じゃわかりづらかったすかね(≧≦)
Mar 21, 2005
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いよいよ明日3月22日から31日まで札幌大通地下街オーロラタウン コミュニケーションスペースにて「春のらくらくフェア」という福祉用具の展示販売会を催します。僕は一応そこの店長として10日間オープンからクローズまで貼りつく予定です。1月にも1週間店長やらしてもらったんですが、前例のない僕の「呼び込み作戦」が見事に当たり予想の倍以上の客入りとなったもんで、今さら引けない状況なのです。ひしひし、否!ジリジリと要らぬ期待感が押し寄せております。おそらく初日は、テレビ、ラジオ、新聞、札幌市WEBページ等の対応が待っております。きゅっと一杯ひっかけていくつもりです Σ(='□'=)ウッソー!?おじいちゃんおばあちゃんのための催事とはいえ、コレがなかなか面白い!福祉用具(高齢者や障がいのある人たちの使う道具)を扱うお店はずいぶん増えたんですが、実際にお店に行くとカタログで選ばされるということが多いのが現実なんですね。使ってみたら合わなかったなんてこともよくあるのですよ。それに「詳しくはHPで」なんてことを平気でいいやがる業者もまだまだ多いのです( ̄ヘ ̄)そこで、「福祉のまちづくり」とのたまう札幌市に「協力させて」、見て試して買える場所を作ろうぜー!とこの企画がはじまったわけなんですが、前回はなかなか苦労しました。この業界の人たちって、「お客さんは黙ってても来る」的な発想が根強いんですねぇ/(。-。-。)\ そして、前代未聞(だったらしい)の来客数と売り上げに札幌市側も勢いづいてきた様子。このまま突き進んで、大通の一角に札幌市が経営に参画する「来て見て触って試して買える」福祉用具ショップをオープンさせるのが目下の野望なのです。それこそ前代未聞!実現すれば札幌市の快挙なんですから。なんとしても(δδ)☆あんまり意気込んじゃうとまた眠れなくなっちゃうなド━━━(゜ロ゜;)━━ン!!ま、楽しくするのも、退屈な時間にするのも自分次第ですかね☆ 退屈はイヤ。あぁ、でもちゃんと更新できるか...自信ないなぁ~(ノ_-;)
Mar 21, 2005
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しばらくでした☆主人にブログを乗っ取られぱなしのぱんち号1才です▼^o^▼実はちょっと気になってることがあるんですよー。ご主人ぱんちに「ダリ」っていう人に似てるって言われるんだけど、ダリって誰ですか?えらい人ですか? ↑この人がその「ダリ」って人なんだって_(‥。 )フーンんでもって、この人↓がダリさんのそっくりさんの大泉滉(あきら)さんだそうです。なぜかご主人ぱんちは「大泉せんせい」っていいます。でしなのかな?それともとってもえらい人なの? っていうかほんとなのかなぁ...
Mar 21, 2005
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今日、とある掲示板を通して交流してもらっている女性の日記を読ませてもらいました。赤裸々に語られるその内容は、通常では経験しえない、おそらく軽々しい想像や感情移入も許されないほどの、かなり過酷な内容でした。そこにどれだけの慟哭があったかは窺い知れぬほどです。しかしなぜでしょう、僕は心静かに読みすすめました。筆舌しがたいやるせなさや痛々しさが渦巻いてあふれているのに。読みすすめる僕の脳裏にはまだ見ぬ彼女の姿があります。(彼女は否定するのかもしれませんが...)優れた洞察力、豊かな感性、羞恥心、奥深さ、謙虚さ、そして優しさをまとった彼女の姿を浮かべながら、僕はいろんなことを納得したように思うのです。不謹慎な言い方でしょうが、彼女ならそれだけの経験をしてきたのも頷ける、そんな気持ちが消せません。僕はそんな彼女をますます尊敬ぜずにはいられなかった。わかったようなことを言わせてもらえば、その人のキャパ以上の問題なんて、実は決して訪れないものです。解決できない・受け入れられない問題は、関わることも悩むことすらも許してくれません。僕にはフジテレビのことも日本の経済のことも悩みようがないんです。想像や妄想が限界でしょう。彼女はいったん自分史を清書しているのかもしれません。とても大切なことと思います。そこに語られる悲しみの物語に彼女はいま涙しているのかもしれません。しかし、どんなにつらく悲しいエピソードが埋め尽くそうとも、美しい一遍の物語に変わりはないと僕は信じます。きっとおそろしく辛いでしょう。もう一度あの痛みを味わう思いかもしれません。しかし、どんな経験であれ、否定して受け入れることはできないんです。飲み込むなら肯定するしかない。しかし中にはトゲトゲのやつもあるから、なかなかしんどい。できるだけ僕は彼女の力になりたいと思うんです。もしかしたら上手な飲み干し方があるのかもしれないし、のどが詰まったら背中をさすってあげたい。振り返る価値のある素晴らしい人生だねと、あえて僕は言いたいんです。「もういいから!」と言われるまで称えたい気持ちです。こんなブキッチョな思いをそのまま書き連ねることができるのも、彼女の人格あってこそなんですから。 またまたうまいことは言えないんですが(;´д`)
Mar 20, 2005
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あっ、食べながらでスイマセン。 超ミクロ新人のぱんち!です。 悲しいお知らせです(・・、)連休明けの22日から31日までの10日間、休みなくぶっ通しでロバのように働かせることとなりました。日々更新する気力がもつかどうか...甚だ自信がございません(;´д`)トホホ根を詰めるほど息抜きを忘れる体質のため、今からやや不安であります。誰か遊びに飲みに誘ってください。軽いウソでもいいから今日は一日張りつめた気持ちでいたい♪...なんて歌っとる場合じゃないのですよー!せいぜいこの連休を(といっても今日は休日返上でしたがっ!)満喫しようと、あてもなくただ夜更かしをするのみであります。ったく、みんなわかっちゃいない(`□´)俺はマシンじゃないんだ~(`0´)! とりあえず おかわり! (@⌒¬⌒@)!!
Mar 19, 2005
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おなか回りが気になる小型新人のぱんち!です。今朝玄関を出ると、一面雪景色でした。あー、またか...しかし日差しはすでに春のそれだったおかげで、道路はグチャグチャ、シャーベット状になっていました。目の前を走るトラックが跳ね上げるしぶきに虹がかかっておりました。昨夜「グラディエーター」という映画を見ました。珍しくエンディングまで見通しました☆けっこう面白かったんですが、ついついクセで考え事をしておりました。グラディエーターの時代背景は古代ローマ帝国。屈強な肉体に屈強な精神を宿したマキシマス(たしか)将軍が主人公。ふと「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉を思い出していたのです。A sound mind in a sound body.っちゅうやつです。おおざっぱに「肉体と精神」という風に考えてみると、学生時代の経験が浮かんでくる。当時の僕は哲学や心理学に興味を持ち、講義だけでは飽き足らず、独学で方々漁っていた。哲学の講義でディスカッションする機会が何度かあったんだけど、そこで僕はどうにも拭えない温度差を感じていた。結局のところ「ここに答えなんかあるわけない」と、僕の「熱」はあっさりと冷めてしまうこととなるのですが。その温度差、違和感の原因はおそらく、実践しているのかいないのか、その通りに生きてみたのか、頭の中で完結しているのかそんな違いだったように思う。先日ふと殴り書きしたけれど、やはり名前や概念というのは恐ろしいもんです。例えば、ある哲学の勉強をはじめる。一度そこにある思想や概念を受け入れてしまうと、知らず知らず、その哲学からはみ出さなくなってしまう。あえて疑問を抱こうとしない。しかしどんな哲学や宗教、思想、常識であれ、説かれているものは良くも悪くも「キレイごと」。肉体を持って現実世界を生きていれば必ず疑問にぶつかる。そこでその疑問を解決できなければ、その哲学や宗教はそれまでだと思う。しかし信じるものを失うのはかなり怖いもんですよ。支えにしていた「つっかえ棒」を払われるようなもんだから。だからあえて疑問を抱かない。おかしなもんだけど、そういう人はハッキリ言って腐るほどいる。いや、そうじゃない人を捜す方が難しいのかもしれない。当時、僕の「精神」は哲学に触れながら、「肉体」はかなりハードに酷使していた。部活での練習では飽き足らず肉体をいじめるようなところがあったし、ケガも数え切れなかった。バイトも積極的に肉体労働を選んだ。当時は無意識にだったが、今なら理由も察しがつく。その頃の名残は今もカラダに残っている。指も首も曲がっているし、骨折してもほったらかしていたせいで、今も左のくるぶしが時々焼かれたように痛む。肘のえぐれた痕は消えないし、右肩もある方向には自分の意志で動かせない。「あ、外れるな」ってわかるから。一時期寝る間を惜しんで仕事をしたせいだと思うんだけど、その頃から徐々に、ひそかに自慢だった平衡(バランス)感覚を失ってしまったみたいで、時々意味もなくふらつきやがります。肉体を酷使することは、語り合える人のいなかった(遠ざけていた)当時の僕にとって何かを確認する唯一の手段だった。それは生きているという実感のためでもあったし、「本当のところはどうなんだろう?」という単純な疑問を消化していくためでもあった。頭の中で日々膨らんでいく想像が、自分を追い越して自分を飲み込もうとする。自分の想像力とつりあいをとるために、僕は自分のカラダをいじめていたんだと思うな。まだ現役選手だった頃、高校の同級生にバッタリ会った。彼女は幼い頃からバレェをやっていたらしく、近々開催される大きな公演に誘われた。ロシアから男性ダンサーを招待しての公演なんだとか。週末は練習もバイトも忙しく時間がないと言うと、数日後にリハーサルがあるからのぞいてみたら?と言ってくれた。正直、心の中では「ピチピチモッコリパンツかよ」とバカにする気持ちがあった。女の子は良しとして、男がバレェ踊るのって何なの?自分はもっと男らしく鍛えてるゾ的な自惚れがあったように思うが、好奇心には勝てず、会場へ足を運んでいた...会場に入ると、早速お目当て?のロシア人ダンサーがソロで踊りはじめた。はじめて間近で見るその肉体と躍動感に僕はあっさり圧倒されていた。言葉にできないほどの感動があった。このしなやかで無駄なく鍛え上げられた肉体を見るだけでも価値があると思った。なんというのか、あの肉体には知性みたいなものが確かにあった。ひとつの目的のため鍛えられた肉体。その過程で重ねられた痛みや喜び、感情のすべてが伝わってくるようだった。我に返ると僕は、だんだん自分のカラダが不細工に思えてきた。僕のカラダは見た目はずいぶん立派だったかもしれないが、僕の迷いそのものなんだなぁとわかってきた。ここでの思いは、後々部活をやめたあとの「断食」へとつながる。いつもながら話があっちゃこっちゃ吹っ飛びますが、ご勘弁を。また書き直しかな。ホホホ 僕なりの自傷行為かな?先日、ある掲示板にこんな書き込みがありました。「なぜリスカはいけないんでしょうか?教えて下さい。」残念ながら、レスがひとつもありませんでした。それまではずいぶんと賑やかだったのに...という僕も今一度考えなきゃいけないなと思ったんですが。大人たちの中では、いまだに「手首=自殺」というイメージが強く、それが理解の邪魔をしている一因のようでもある。しかしリスカなどの自傷行為は、あなたにとっての貧乏ゆすりなのかもしれないし、ツメを噛むクセかもしれない。タトゥーやピアッシング、あるいは止められない喫煙なのかもしれない。「自傷行為」という括り方(名づけ方)は、ちょっと大げさな気がしてきている。逆に、誰もリスカに抵抗を感じなくなった、リスカが市民権を得ましたよ、リスカ歓迎です、となった時、リスカは自傷行為として選ばれるのだろうか?そんな疑問がふと湧いてきた。言葉は悪いが、そこには一種トリックめいたものと、あの質問への解答が潜んでいる気がする。
Mar 19, 2005
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料理が好きすぎる中型新人ぱんち!です。今日は念願の☆オリジナル手料理について日記を書いてみます。料理は和洋中創作なんでも作りたがりなぱんち!なのですが、記念すべき第一回目の今日は、いろんな料理のベースとして使っているぱんち!レシピのチキンスープについて書いてみます ヾ(@⌒¬⌒@)ノ <材料>チキンレッグ 2本ニンニク 1欠片しょうが ニンニクと同量ホワイトペッパー 適量 お好みで白ワイン 適量 お好みで とまぁ、かなりアバウトな分量ですが、こんなものは「好み」とカンでいいのですよ。補足すると、チキンレッグは他の部分でも代用できます。もも肉でもいいし、手羽先や手羽元なんかも非常にいいダシが出ます。洋食調理の世界では、ひき肉を使うこともあるようです。 ニンニク、しょうがはパウダー状のものでも可。白ワインはあまり酸味のきつくないものが無難でしょう。<手順>1.鍋にチキンレッグが十分浸るくらいの水を張り、ひとつまみの塩を入れて沸騰させます。2.お湯が沸いたら躊躇なくチキンレッグをぶっこみましょう。冷凍モノを使う場合はここで火をゆるめないのがコツ。ガクンと温度が落ちないように前もっての解凍が理想的。鍋にフタをして再び湧き上がりを待ちます。3.再び沸騰したのを確認できたら、肉の表面だけが固くならないように、少し火加減を手加減してあげてください。フタを少し開けてやるのもいいでしょう。見ながら確認もできますし。4.4~5分もすれば、少しずつアクが浮いてきます。火は弱火にします。そしてこのタイミングを逃さず、次の作業を抜かりなく行うことが大切。チキンレッグは鶏の太ももとスネから成ります。それぞれ付け根には血管の集中しているところがあるので、そこを菜箸などでつっついて血抜きをしましょう。丁寧に抜くほど澄んだ雑味のないスープに仕上がります。上手にその部分にヒットすると、アクがぶくぶくと浮いてきて、ちょっとしたシューティングゲーム気分が味わえるでしょう(。・-・。) (参照) ※肉の質にもよりますが、けっこうアクのやつしつこいです/(-_-)\ 一通り気が済むまでアク取りすることをオススメします。5.ここからは味付けに入ります。またこの工程は、よりよくスープを引き出す作業でもあります。アクを取り終えて弱火にかけたままのスープに、ニンニク、しょうが、白ワインを加えます。白ワインを加えたところで再び温度が下がりますから、沸騰するまでの少しの間強火にしましょう。軽くお湯が沸きあがったら弱火に戻してかまいません。ここで初めての味見です。どうですか?好みに応じて塩・ホワイトペッパーを加えます。そのままスープとして食するなら、しっかりとした味付けを。なにか他の料理のベースにするなら、塩加減はほどほどに☆こればっかりは取り返しがつきませんので。スープを薄めるしかありませんからね。※ぱんち!スペシャルでは、ここで長ねぎ(青い部分)、セロリ(葉の部分)、ザク切りのタマネギやにんじんを加えます。また手に入るようなら、ローリエ(ベイリーフ・月桂樹)、バジル、コリアンダー(東南アジアではパクチーという)、ナムプラー(ナンプラー、ニョクマム)、昆布茶などもオススメです。また、海産物系のものはよくダシが出るのですが、香りが強いものが多く、チキンの風味を損ねかねないのでご注意を。6.これでスープはほぼ完成といっていいのですが、できるならここからじっくりと時間をかけることです。煮込み料理の良さは時間をかけてゆっくり愛情を注ぐことにあります。目を離さず、何度も味見を繰り返して具材や味の変化を感じるのはとても奥深く楽しいものですよ。また、チキンは取り出してしまってもかまいません。逆に、そのまま5~6分も煮込めば程よい味付けがされて、その後の料理の具材としても活躍してくれることでしょう。僕のレシピではこんなカンジです。このスープ、ラーメンにしてもいいし、リゾットなんか最高です(..)(^^)(^。^) 元々はスープカレー用ですが☆ただし注意してもらいたいのは、チキンスープは他のスープと比べて「足がはやい」のが特徴です。残したものを翌日に持ち越すならば、一度火にかけて沸騰させておくのがいいでしょうね。今回はチキンを素材としていますが、牛肉でも豚肉でも、そして野菜でも同様の工程でスープ(フォン、ブイヨン、中華でいえば湯・上湯)ができます。少しばかり加えるスパイスと工程にかける時間に違いがあるものの、カンタンに応用できるでしょう。ミ★(*б-б)v Thanks!!★彡以上!カゼをひいたときや、食欲のないときなどにオススメの一品でした。次回はこのスープを使った一品を紹介しまーす(^o^)ちなみに、僕のレシピが現実に商品化されるかもしれません。先日そんなお話をいただきました。どうなることやら('ε') 楽しみ☆
Mar 18, 2005
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PCにずっと向かっていたせいか...( ̄m ̄* )ムフッ♪ 読んじゃうっしょコレー!健康食品もここまで来たか!?なんて妙に納得しかかったんだゾー(`□´) いくらなんでもこれはないんでない(笑)もしや...あえてこのネーミングで来ましたか♪⌒ヽ(*゜O゜)ノ ホー
Mar 18, 2005
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ここのところ脳ミソが便秘でした。その詰まりモノの端っこが見えてきました。誰しもが持っている自分の名前。モノにつけられた名前、ペットにつける名前、あるいはカタチのないものに便宜上つけられる名前、そして病名etc...キリがありませんねε=( ̄。 ̄;A フゥ…まだちょっと捉えきれてないのですが、名前にはそれぞれ、祈りに似た一面と呪いのような一面があるような気がするのですよ。だからこそ迂闊に名づけることには躊躇してしまいます。たしかに愛犬ぱんち号の名前に込められているのは僕の祈りでしょう。しかし、背負っていくのはたいてい「つけられた側」です。つける側の責任は意外と刹那的なものかもしれません。祈りとするか、呪いとして背負うかはまさしく表裏一体。「束縛」と言うとどうもマイナスなイメージがつきまとうのですが、名前にはそんな力があるようです。やはり単なる文字列とは括りがたいものです。僕はマニュアルが大嫌いです。マニュアルは名前(定義)の羅列。うんざりです。人間をすっかり飲み込んでしまった自然科学なるものは、いわばマニュアルの化け物でしょうか。知り合いの教師が、自分の生徒の一人をつかまえて「問題児」と言いました。「問題を抱えているコ」「問題を抱えているというサインを出しているコ」の名前が「問題児」なんか!?詰問してみても、彼の顔には???がいっぱい((“o(>ω
Mar 17, 2005
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ほとんどドラマなど見ない大型新人のぱんち!です。そんな僕が「H2」を都合4、5回は見ています。というのも、あの国見比呂役の山田“やきうどんベイベ”孝之にやや注目しているからなのであります。 さしあたってこれという理由なんてものはありませんが、彼の目つき、表情はなかなかいい( ̄ー ̄ ) なんとなく物悲しくて好きですね。在りし日の自分を思い出す...]lll^0^)o なんてなーっ!!何をやってもキ○タクとか、何をやっても織○~とはちょい違いますなぁ☆ドラマの作り自体は、ちょっと物足りないところもありますが、来週はいよいよ最終回のようなので、気づいたら見てみようと意気込んでいるのであります。←そんなもんか!?エンディングテーマもいいじゃんねぇ。ところで今日は我がぱんち号の誕生日前夜祭なのですよ。そこで今日は、同じものを食べようシリーズで、ユッケを作ってみました。あまりのウマさに余韻に浸るWぱんちなのでした。うまかったなぁ?ぱんち。
Mar 17, 2005
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久々の脳内ジュークボックスです。決してご好評をいただいていないジュークボックスであります。本日のDJは、ワタクシDJこと道玄坂ジョージです。 先日、仕事に合間に立ち寄ったツタヤの「買い手がつきません困った中古CDコーナー」にて JUNGLE SMILEというバンドのアルバムを発見し衝動買い☆ 実はもうだいぶ前のことですが、職場の仲間たちとカラオケに行った際、バイトの女の子がこのバンド(グループ?)の曲を歌っていたんですよ。その後の数年間、頭から離れず気になっていたのです。 しかしなにせ1回聴いたきり、歌詞の一片もわからずといった具合。買ったCDにだってお目当ての曲が入っているのかもわからず。かすかな希望は、「ヒットシングル~と~収録」みたいなうたい文句。このバンドおそらくはそんなに多くのヒット曲を持っていないだろうという淡い期待で早速車内で聴き始めたところラッキー☆2曲目にその『おなじ星』が入っていました! 淡くも長く求めていたせいか、いたくいたく感動してしまいましたわー!!たしかにいい曲ですよコレ! 女の子の歌声も洗練されていなくて必死さみたいのが伝わってすんごく切ない。歌詞も決してキレイにまとまったカンジじゃないのがかえって自分にはHitでした! たしか北海道では当時なにかのCMに起用されていたような気がするので聴けばなんとなくわかるという方もいるでしょう。 残念ながらこのバンドはつい最近活動を休止してしまったようですが、コアなファンがいたであろうと想像できます。 ここで試聴してみよー☆ それではシェケナベイベナ(お聴きください)!っていうか、地球、危ないよね。http://www.jvcmusic.co.jp/speedstar/-/Artist/A008953.html
Mar 17, 2005
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「ソウルパンチ」とは、僕が所属しているバンドの名前です☆結成のきっかけは一昨年の春。 友人がやっている近所の飲み屋での会話。 当時、僕は仕事に忙しく家に帰っても寝るだけ、しまいにはストレスのせいで半年間に渡り高熱にうなされていた。 たまの休日に訪れたその酒場で居合わせたのが今のバンマスK君。何年も前からお互い顔は合わせていたものの、なにかと共通点の多い二人が言葉を交わす機会は不思議と巡ってきていなかったのです。男同士、こんな緊張感を持ち続ける関係ってのは、まぁたまにあるんですが...独特の世界観や価値観を持っているとなおさらなんでしょう。 K君は地元で割と名の知れた老舗バンドのメンバーで、ファンも多かったしウワサは自分の耳にも届いていた。 二人で語る話題といえば当然のように音楽。 驚くほど似通った趣向と同い年ということもあり、お互いのテンションは上がりまくり、つい自分の口からこんな言葉が。 「あぁ、またバンドやりたいなぁ...ソウルバンド、いいなぁ」 しかし自分はもう6年ほど楽器を触ることもなく、できるとしても下手クソなギターと歌くらい。まして仕事の忙しさを思えば夢のような話と知りながら。その言葉はその場の戯言として自分の中では忘れ去られていたのでした。 それから数ヶ月したある日のこと。 おそらくはK君と語り合って以来訪れたその酒場でひとり飲んでいると、ひょいとK君がやって来ていきなりこう言ったのです。 「バンド作ったから。バンド名はソウルパンチでどう?もうメンバー集まっちゃったからね!」 驚きと感動で不安など感じる暇もなく二つ返事で当然のごとくオーケー。 しかも!!集ったメンバーは錚々たる総勢11名の精鋭(たぶん)|‐∠‐∥さらに!!2ヶ月後の11月末には、M-BAND(ご存知の方いますか?)の復活ライヴのオープニングアクトが決定しているとのこと!! 勢い(もう「若さ」とは言えないし)とは恐ろしいもので、メンバーの構成を聞き、それなら自分はトロンボーンで行こう!と即決したのでありました。初めての楽器と練習時間のない焦り。その後の不安と仕事の合間の練習の過酷さは言うまでもない...しかしまぁ、なんとかなるもんですなー☆時間があったらきっとできなかった。ギターや歌なら手を抜いてたのかもしれない。それは確信するね(^。^)週1回・3時間の練習。メンバー間の自己紹介さえも許されぬほどの厳しいスケジュールを突き進み、いざデビュー本番。ソウルパンチと僕にとっての人生初ステージに立つこととなるのでした(^-^) 画像は愛と友情のバンドあの!?「トンズラブラザーズ」です。そんなイメージですソウルパンチ(。・-・。) MOTHER3はいつ出るのだ!?そしてぱんち号の名の由来はもちろんこの「ソウルパンチ」なのですホホホ!(^O^) つづく の?
Mar 16, 2005
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間違いなく僕にもっとも大きな影響を与えた人です。ガキ大将がそのまま大きくなったような、今では愛すべき存在です☆ものすごく正義感が強く、何度も現場を見たがケンカも半端じゃなく強かった。父の友人・知人からいまだにその武勇伝を聞かされるほどです。しかし、酒もタバコもやらず、スキあらば掃除、洗濯、裁縫とばあちゃん直伝の技を駆使する奇妙な人でもあります。実は、とてつもなく優しくて、デリケートな人だったと気づいたのは僕が家族を離れてから、ずいぶんと時間がかかったものです。「理想の親でいる必要なんかない。俺は反面教師でいいんだ」といつも得意気でした。実際に幼い僕をあらゆる場面に連れて行ってくれた。悩んでいたであろうその姿以外はすべて僕に見せてくれたと思うほど。 (( 父ちゃん略歴プロフ ))父ちゃんは函館に近い小さな町で生まれた。小学生のころには父親を亡くし、9人兄弟の末っ子として母親に甘えながら自由奔放に育ったらしい。学生時代はスポーツでその才能を発揮して、スキー・水泳・陸上とやるものすべて国体選手という異常さ(笑)高校を出ると船乗りになりたい一心で東京商船大学を受験。しかし当時大黒柱となっていた長兄の「そんなゼンコ(お金)どこさあるんだば!!こんちきしょ!運動すんなら野球でもやってゼンコ稼げ!」という一言で、貧しい漁師の家に生まれた青年の夢はもろくも崩れ去ったのであります。本人こそ口にしないが、その後函館に戻ってからは相当荒れたらしい。そんなすさんだ生活をしていたある日、函館市内の映画館で、行儀の悪い地元のゴロツキと一悶着。もちろん圧勝だったのはいいのだけれど、相手は相当なケガをしたらしく、すぐに「死んじゃった」という噂が街を駆け巡ったそうだ。その噂はさっきの長兄(僕のおじさんね)の耳にも入り、船を手配すると父ちゃんに「船さ乗って逃げれ!」と一言。パニクったまま乗り込んだ船の向かった先は真冬のカムチャッカ半島。そう!密漁船だったのだー!やむなくタラやオヒョウ(巨大なヒラメの一種)などの漁に勤しむこととなる。帰港の途上「函館には帰れんべ...」と、途中「浦河」という町で下船した。慣れない作業のため、一時期療養を余儀なくされ、一番近くにある大きな病院を探し居ついたのが、僕の出身地である苫小牧というところ。新天地でも父ちゃんの腕っ節の強さは目を引いたみたい。地元のヤクザ連中に一歩も引かず、何度も死ぬ目に遭ったそうだ。父ちゃんの体や顔にはその名残がしっかり残っている。そんな中で一人の大切な人と出会う。その人はのちのち全国に名を馳せる「大親分」となる人で、Nさんという。お互いの気骨に惚れ込んで、いわゆる「カタギ(一般ピープル)」とヤクザが兄弟分になっちゃった。流行ってたのかー?ふふふ本人にもそんな気はなかったろうが、Nさんは父ちゃんにいつも口酸っぱく「ヤクザにはなるなよ」といい続けたそうだ。小柄ながら貫禄充分、学生ころはボクシングの名選手だったというNさん、当たり前だが(笑)タダモノじゃない。カタギの人たちに迷惑をかけること、特に覚せい剤を売ることを断固拒否しつづけ、晩年は表舞台から消えることとなったんだが、僕のような青二才と話していても、おごったところがひとつもない。若さに任せていっぱしなことを僕が語ってみても「そうか...そうか...でもな、オレはまぁお前みたいに学はないけどな、~~~と思うぞ。自分でちゃんと考えて、思うようにやればいい」と、いつもこんな穏やかな調子。気がかりなのは、Nさんには僕よりひとつ年下の息子がいるんだが、過保護にしてしまったんじゃないかといつも悩んでいた。Nさんのおかげで、「その道」に染まることなく奔放に生きていたマイ父ちゃんだが、事業が軌道に乗ると(世間から見れば当時)とんでもないことをはじめた。ヤクザから足を洗いたい人や、覚せい剤中毒の人たちのために、共同生活できるアパートを家の裏に建ててしまった。スゴイぞ父ちゃん☆僕が物心ついたころアパートに住んでいた個性的な面々。Tさんはいわゆる「鉄砲玉」として3人を殺し、出所したものの社会に復帰できずにいた。Kさんという人は、チンピラ時代からの覚せい剤がやめられず、うちで働きながらリハビリをしていた。Tさんはとにかくまじめで融通の利かない人。しきたりや礼節を通すことにかけては譲るということがなく、それが原因で社会になじめずにいた。現場仕事は天下一品の働き者なのに、「なめられた」といっては喰らいつき、偉そうなヤツが現場にいると「許さん」といって聞かない。でも心の優しい純粋な人には違いない。とにかく僕の面倒を見てくれた。夏のある日、ランニング(決してタンクトップではない!)姿で現れたTさんを見て、Tさんに会うのがうれしかった小学生の僕は「おじさーん!今日のシャツ派手だね!!」と声をかけた。一同大爆笑。そして一部は沈黙。Tさんの全身には見事な「タトゥー」があったから。もちろん知ってて僕は言った。おそらく父ちゃんがそんなことを冗談にしてしまう人だったから、平気だったんだろう。それでもTさんはやはりうれしそうに「いやぁあ、まいったなー。かなわんなー」そう言って笑い転げるのだった。本当に申し訳ないくらい(そんなこと思ってないが...へへへ)ノールールな小学生だった私。Tさんがスケートリンクに連れてってやると助手席に乗り込んだ僕は「ナイスジョーク」をひらめき、シフトノブにかけたTさんの手を見て「おじさん!なんで指短いのー?」そんなことばっかし。でもね、これ大切なことだと思うよ。いっしょに笑ってみーんなで受け入れちゃったんだもん。そこにあるのは暗い過去の遺物じゃない。極上の「笑いのネタ」だ。父ちゃんが教えてくれた「極上のデリカシー」だと僕は思う。僕にとって貴重な時間だった。父ちゃんはいつも公言していた。「男の子なんだから、こいつには何でも見せてやる。いいか悪いかは自分で決めればいい」実際にそうだった。家庭環境が激変し、バイクに乗って遊びまわる僕の周りには、いつしか「不良」呼ばわりされる友達が集まっていた。そんな時でも「いいか悪いかは自分で見極めろ。友達が悪いことしてると思ったら引き止めてやればいい。できるかできないかやってみればいい」そんな父ちゃんだった。そこには「最後には俺がなんとかしてやるからな」という包容力があったんじゃないだろうかなぁ。放任主義とはちょと違う。かなり覚悟が必要だったろうと今なら思う。でも当時の僕には知る由もなく、崩れて離れていく家族関係にただ心を閉じていくばかりだった。勉強には口うるさい人でした。それでもだいぶセーブしてたみたいだけど。「残してやれるものは、健康な体と学問しかない」が口癖だった。当時思いつきで、バイクのレーサーになりたいからまずは整備士になろうと「工業高校に行きたい」って言ったら猛反対された。あんときは「夢を潰されたー!」ってかなりしょげたけどね。たらればなんか好きじゃないが、あれで良かったのかもなぁって思ってるよ。恥ずかしげもなく書くけど...物心ついたころから「人のためになりたいから医者になる」と言ってはばからなかった生意気な僕の姿、そして幼いなりにも抱いたそのときの気持ちを捨てるな!ってことだたんでしょう?医者どころか、その後に描いた夢の一つも実現させず今日に至るが(笑)、結果としては、幼いころに抱いたものに僕は戻ってきたのかもしれない。離婚した本当の理由は聞いたことがない。話せる時には話してくれるだろうと信じているから。うすうすは僕もわかってきた。父ちゃんはきっと、「信じ待ち許してくれる」母親を求めていたんだろう。そして、結果として同じ思いを僕に抱かせてしまったと悩んでいるんだ。だから父ちゃんの前で僕はいつも片意地張っていた。本心をのぞかせまいとするあまり、いらんとこまでガラガラピシャンとシャッターを下ろしてしまっていた。辛かったなんて悟られまい!と僕なりに必死でした。でもきっとそんなことまで気づいてただろうね。一見、すっかり自立していた僕のことをずーっと心配してたもんね。気にしていたんだね、きっと。もっとも悩まされる時間を過ごした思春期の僕にとって、父ちゃんは敵であり、反面教師でした。父親のようにはなるまい!と戦った時間でもあります。しかしその手を離れて、時間が過ぎていくほどに、父ちゃんが持っている「熱いなにか」が自分の中にあるとひしひし感じるのです。あーこりゃ遺伝でしょうな。あきらめましょう。P.S.あっ、それから父ちゃん。僕はずっと「A型だ」って言われてたけど、去年調べたらO型でしたからー!ざんねー--ん!!これでいいのかー?
Mar 16, 2005
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どうも、春の陽気にうかれ気味のぱんちです。 こんな格好ですんません。普段着です。春にして君を想う(いい映画だった...)シリーーーーズ(δ_δ?)?第一弾春はぱんちにとってブツブツ...のシーズンであります。この時期になると思い出す人について、思うままに。中学の同級生にヨーコ(敬称略)という女の子がいた。何をやってもズバ抜けているような優等生タイプの女の子。おまけに気立てがよくてかわいかった(。∂∂。)ポックラスには一人だけ彼女と仲良くしている子はいたんだけど、みんななんとなく距離を置いているところがあって、ちょっと孤独なカンジは否めなかった。それでも暗い表情ひとつ見せなかったのは、彼女の頑張り屋な一面だったように今は思う。中学生当時の僕はまさしく自由奔放な「おバカ」(後日詳しく)で誰とでも打ち解けられたし、女だらけの家庭だったおかげで女子(なつかしいなぁ!この響き)に対しても緊張したり構えたりすることがなかった。ヨーコにとっても僕はきっと気兼ねなく話せる数少ない男子だったと思う。ヨーコと話すのは、ほとんどが勉強についての話題だったけど、僕はどうもそれが苦手でm(_ _;)m いつも及び腰(>< )じっくり話すということがなかったね。ホントはもっと他に話したい切実なことがあったんだよね、きっと...そんなことに気づきはじめたのは中学3年の終わり、いよいよ家族がバラバラになり、ひとり札幌に移ってからだった。カヤの外の孤独感。初めて過ごす辛い時間。離れてやっとヨーコが何を言おうとしていたのか、なんとなくわかってきたのでした。札幌の中学に転校したのが中3の11月。僕はヨーコにも、付き合っていた彼女にも、もちろんクラスにも手紙を書く気持ちにはなれなかった。それから間もなく届いたヨーコからの年賀状。すんごく心にしみてうれしくって、ちょっとはずかしかったよ。遠まわしに書かれた励ましのメッセージ。僕はなんにも聞いてやれなかったのにさ...うれしかったなぁ。忘れられない。彼女でもない女の子に連絡を取り続けるのは変だろうなぁ、という僕のまこと勝手な判断で、電話も手紙も中断した。硬派ですからっ☆ ←そういう問題か??その後連絡を取ったのは高校3年の卒業間際。新聞に掲載された横浜某大学の合格者名簿に彼女の名前を見つけたからだった。中学の卒業アルバムを開き、久々にヨーコの声を聞いた。相変わらずヨーコは先手を打って、ただ楽しく明るく話そうと努めていたんだよね。かなわんよ。正直言うとさ、かく言う僕もただうれしくて、何話したのかも今じゃよく覚えてないわ(○゜ε゜○)ぷぷぷ 僕のことだから、なんか変なこと言ったかもねー。今でも思い出すのはなんでだろうね?恋心を抱いていたわけでもなく、特に思い出となるような時間を過ごしたこともないのに。あの時、ヨーコの想いに気づいて振り返った自分を忘れたくないのかな。いや、ひょっとすると、ヨーコの話をちゃんと聞いていたら、当時隠し通していた僕自身の悩みや苦しみも分け合えたんじゃないか?っていう甘酸っぱい後悔なのかもしれないなぁ。ヨーコならきっと何事も努力で乗り切っているだろうね。でも、そう信じるほど、たまにこうして思い出すと心配してしまうのも事実。 っていうか、アンタあの娘の何なのさ (。・o・;)ハッ たしかに まぁ、いつか会える日を楽しみに☆
Mar 15, 2005
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札幌はやっと春の日差しというカンジの一日でした。外はこの時間でもあたたかく、見上げる三日月には靄がかかっています。ホント久しぶりに土のにおいを嗅いだなぁ☆なんだろうこのワクワク感。まぁ毎年のことだけどね。春といってもまだまだ寒い北海道。一瞬の夏までのカウントダウンが、ぱんちの中ではもうはじまりましたわいヾ(llllll´▽`llllll)わーい 今年は桜を撮りまくるゾー!
Mar 15, 2005
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ただいま遅い昼休みのぱんちです。ついさきほどまで、取引先のKさんという方とお話していました。仕事の話でうかがったんですが、お得意の脱線トークで、しまいにはお互い生い立ちにまで雑談は続きました。初対面のころから「どこか違うな」と感じていたものの正体をつかんだ気がします☆とにかく博学で臨機応変、どんな人でも話でも受け入れる器量の大きい人なので、僕はてっきりいろんな職業を経験しているものと思い込んでいたんだけど、実際には高校を出てからずっとその会社にいるとのことだった。しかしその経験からくる感性のようなものは、やはり苦労の中で培われたものだった。Kさんが小学生のころ、お母さんが作ってしまった膨大な借金を返すため、お父さんは退職金を当てようと会社を辞めた。その後家族は親戚を頼りながら北海道中を転々としたそうだ。Kさんが10歳の時、ご両親は北海道のはずれで心中をはかったらしい。片田舎の交番に兄弟を引き連れて向かった道中が今も忘れられないという。その後、お父さんは心を入れ替え、札幌郊外の温泉街に職を求め、そこに根を下ろした。そんな背景にあってKさんは、すぐに就職しなくてはという一心で商業高校に入学。しかし高校生になるとバイトに明け暮れて、高校は年間200日!休んでいたそうだ。スゲーな!それでも相次ぐ補習を乗り切ってなんとか高校を卒業し、現在にいたるのだった。人に歴史ありだなぁ。まさかそんな経験をしていたなんて、もちろん知る由もなかった...単純に考えれば「強い人だ」という印象だろう。でも、そんな忘れられない話を僕に切々と語ってくれるKさんを見ていると、そうじゃないんだなってよーくわかる。「強い人」なんじゃない。「強くなろう」「強くならなきゃ」って思いながら生きてきた人なんだ。僕自身ずっと、自分が弱い人間だと思ってきた。気にしなくてもいいことを気にする。考えなくてもいいことで悩む。あきらめきれずにくよくよしている自分がとてもイヤで小さくて情けない存在だと思っていた。僕の場合はいろんな人を好きになる中で、そんな考え方を少しずつ崩すことができたように思う。自分にはわかる、でも他の人にはわからない相手の魅力。感じれてよかったな☆って思えた。気づいてしまう、感じてしまう、悩んでしまう自分を、もう責めなくたっていいんじゃないか...そう思えるようになった。ピンチの時は誰でも自分自身の無力感を味わうよ。でもね、感じない人もたくさんいるってこと。小さなことで悩んでしまう。そんなつらい時だって、気づかない人には手に入れられないものが必ずそこにある。なんのために自分は存在しているんだろう...? 何度もそんなことを思った。でももしかしたら、そんなことを考えるために僕は存在しているんじゃないだろうか。その問いを発することができたのは、そろそろ自分に解ける問題だったからじゃないのか。 なんか そんな気がしている☆
Mar 15, 2005
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腐れ縁とはずいぶんなタイトルですが、そうとしか言い様のない人間関係の一端を...僕が今一番信頼を置いている友人Oさんについて。彼との出合いはかれこれもう9年も前になるのか...Oさんがやってるバーに僕がふらっと行き着いたのが「腐れ縁」のはじまり。その頃の僕はまったくお酒を飲まなかった。何年もの間「酔える気分」にはなれなかったからだ。思い返せば、僕のココロは張り詰めっぱなしでかなり参っていたんだろう。まるで魔がさしたように、僕はふらっと彼の店に入った。特に話をするわけでもなく、おそらくは「からみづら~い」空気を漂わせていたから話しかけられなかったのかな(≧≦) その日はビールを3杯飲んだだけでヘロヘロになって帰った。その後、週に1回くらいのペースで顔を出し、少しずつOさんと言葉を交わすようになった。しかし「常連」という人たちの打ち解けた雰囲気にはしばらく馴染めなかったなぁ。店が混みあってくると逃げるように帰宅するのでした。(;´д`)トホホ時間とともに、一人また一人と顔見知りが増えて、少しずつ僕も落ち着いてその場にいられるようになった。Oさんとも連絡を取り合うようになり、休みの日には男二人でぶらぶらするようになった。このOさん。気立てがよく根っから優しい男なんだけど、なかなかの見栄っ張りで強情なところがあり、そのことが原因でしばしば激突した。彼を信頼すればこそ僕も深く傷ついて、その分本気でやり返してしまう。いままで何度「絶交」したのかねぇOさん ̄m ̄ フフフでもね、「絶交」するたびに、6歳も年上のOさんが先に謝ってくるんだよ~。これにはいつもいつも「あー、やられたなぁ。かなわねぇなぁ...」って思わされる。一度ヘソを曲げるとテコでも動かない僕をはじめて動かした(動かしてくれた)人だなぁ。負けたー!って思った☆ケンカするほど仲良くなったそんな頃、僕らの共通の友人が亡くなった。 耳を疑った。 自殺だった。 あまりにも唐突な。その知らせを受けたOさんは真っ先に僕に連絡してくれたらしく、僕は電話を早々に切って彼の店まで走った。正直言って電話で知らせを聞いた瞬間は、悲しいというより先に、Oさんのことが心配だった。すぐにそばに行ってやらないと!その一心だった...全力疾走の勢いそのままに店の中に飛び込むと、Oさんは僕に抱きついてきて泣きじゃくった。「ずるいよ! ずるいよあの人!...自分だけ最後までカッコつけてさ!!ずるい...」僕よりずっと華奢なOさんを抱えながら、その叫びが自分に向けられているような気がして、僕はただボーっと立ち尽くすしかなかった。僕はふたたび、言葉では言い表せない大切なものをOさんに教えられたなような気がしていた。僕が完全に欠落していたもの。忘れてしまっていたこと。Oさんは意識してはいなかったろうけど、僕はOさんといる時間が「リハビリ」のように思えていた。人間らしさを、血の気を取り戻すための貴重な時間だったと思う。僕のいないところでは、いっつもいっつも僕の話をしてくれていたらしいね。いつもポーカーフェイスで弱音の「よ」の字も出さない僕が憎たらしかったこともきっと数え切れないでしょうなぁホホホ!(^O^)僕に弱音を吐かせたいんだってね?よーし望みを叶えてあげよう。そのうちね☆フフッでもさ、ホント感謝しているんだー。決してそんなことは口に出さないような関係になったけどさー(o ̄∇ ̄o)フ そして僕はココロひそかに決めているんだ。ずっと世話になってやるとな☆ヒヒヒP.S.そういえば最近激突してないよねぇ......?そろそろか? お互いもういい年だからやめとっか?
Mar 14, 2005
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大ウソです。一世一代の大ウソをついてみましたm(_ _;)m ゴメン本当のこと言うと、小さい頃から本が大キライです(^O^;)苦手なんですね。まず、ジッとしていることが不可能ですから...そのおかげで、誘われてもパチンコなんぞは行きません。無理ですから...面白いなぁ、という本には何度か出会いはしたんだけど、後が続かない。やはり極力避けているものと思われます(笑)なぜそこまで逃げるのか、じっくり紐解いてみますれば、性格的な要素が浮かんできます。とにかく他人に教えられるのがイヤー!なんですな。物心ついた頃から。かわいくねぇ~(δ_δメ)>でもね、必要だとは思ってるよー。避けられないなーって感じることあるし。助けられることだってあるだろうなって思う。そこに何か大切なことが書いてあるのかもしれないなぁ、とも思う。またそう思えば思うほど、その存在がややウザく感じることもこれ事実☆なんかさぁ、こうやって考えてみると、「親の存在」となんかかぶるなぁ~('ヘ`;)かろうじてエッセイのようなものは読むことあります。知らない誰かが見聞きしたものには興味があるんでしょうね。なにか出会いに似たところがあるのかな。中でも気に入ったのが、小林秀雄の「考えるヒント」という本。このタイトルかなりイケテナイと思うんだけど...決してハウツーもんじゃありません。タイトルも小林氏によるものではないでしょう、明らかに。もうちょいマシなのなかったんかい(`□´)もう。まぁ、タイトルのことはとりあえず置いといて...これが今までで唯一読み返した本ですねー☆感慨深く、小林氏の優しい視線を感じます。ものを考える人の視線は、こう温かく穏やかであってほしいものだとしみじみ感じます。←って(▼▼;)σ オマエが言うな! この本との出合いは大きかったかもしれない。斜に構えて読み始めた僕のココロのバリアをあっさり溶かしてしまったからねぇ。ぜひぜひお読みになることをオススメしたします。タイトルはイマイチですが(しつこい)長く読み返せる本だと思います!たぶん。 たぶん?
Mar 14, 2005
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実はちょっと気になってることが。と言っても全くわるいことじゃないんだけど...訪問してくれるみなさんのプロフなどを拝見するに、水瓶座 次いで 山羊座 の方が圧倒的に多いのですよ\(。・o◎)/!特に自分と同じく水瓶座の方が、印象的には8割くらいに感じています。 昔お会いした方が熱心に語っていた「アクエリアス革命」という言葉を思い出しました。 (δ-δ;)なんだか不思議だぞ~☆ ※いずれ「アク~」にも触れなきゃいかんなと思っとります。
Mar 13, 2005
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僕は自他ともに認めるヘビースモーカーです。恥ずかしながら以前は、歩きタバコもポイ捨ても平気なだらしな~いスモーカーでした。今は更正しましたが(*_ _)タバコを吸い始めたのは、たしか20歳の終わり頃だったかな。自立するまでタバコも酒も買わないと決めていたので、意外と遅咲き?なデビューでした。とにかく四六時中スッパスパ。手元にタバコがないだけでイライラ落ち着かないという無様さ(llllll´ρ`llllll)しかしある時、ひょんなことから昔の仲間でバスケチームを結成することになり、体力維持を考えて禁煙をした。大好きなバスケのため、いやいやもっともっと上手くなって活躍したいという自分の欲のために( ̄∇ ̄;)禁煙は1年ほど続いた。まぁ、ここまで来ると「禁煙」ではないのかも。その後ある大会に出てそこそこ満足のいく成績を残しチームは解散。バスケをしない生活に戻り、僕は迷っていた。「タバコどうしようかな?」バカだねぇ。そのままやめりゃあいいものを。でもやっぱり好きだったんだねぇ。たしかにもう「やめる理由」がないから...あっさり復帰いたしました(*^^*)身体によくない(らしい)のはわかってますよ。わかってますとも。でも吸わない方が精神衛生上よくないのですよ。はははのんびりじっくりと、やめる理由でも探しますかー。結局のところ「自分のため」と思えなければ、僕のような凡人には土台無理なのですよ。ホホホ 以前、あるボランティア団体のおエライ方とお会いしました。さぞかし名のある方らしいですが、なかなかハナにつく人でもありました(-"-;)初対面でズカズカと会の趣旨を話し終えると、「君も参加しなさい」確かに趣旨はわかります。結構なことでございます。しかしなんだろう?「参加しない君はおかしい」ような言い草はカンベンだよね~。「それってマルチ商法で学んだトークですか?」くらい言っておけばよかったかなと少し後悔。このホトケのぱんち(*^日^*)゛もちょいとムカっときましたわい。フー「僕は僕なりに自分の足元を見ながら、できる範囲でやっていくしかないんでで......そりゃボランティアとも呼べないようなことですが...」言いました☆もちろんたっぷり皮肉を込めて(^^)誰かのため誰かのためって、そりゃ僕だって口では言うけどさー、それってひとつの「建前」だよ。本当は「自分のため」だもん。んじゃなきゃできないって...誰かに手を貸すのは、お互い様だと思うから、いつかは自分も助けてもらうだろうと思うからでしょ。そんな時に「僕はボランティアでやりましたよー。頑張りましたよー」なんて言えますかって。破廉恥ですゾ(`□´)! 今日はこの辺にしというてやろう...  ̄m ̄フフフんで得意の極論ですが、「誰かのためです」という理由づけって、「誰かのせいで...」っていうのとおんなじ根っこにつながっているような気がするけどどうだろう...(δ-δ;)カッコいいことは言っても、結局のところ僕は「自分のため」という方がややこしくなくって楽チンだからそうしているんだろうけどねー(^O^)にしてもなかなか(`×´)丿ウザかったゾー
Mar 13, 2005
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勝手にリンクさせてもらっている(多忙な方なので了解もらうのが後手になってる)伝説のアラキさんと先日お会いした。札幌の姉妹都市ポートランド在住のアラキさんが、いくつかの講演のため北海道に帰ってきた折、少しばかりのお手伝いをさせてもらった。かと言って、ゆっくりお話をするような余裕などなく、アラキさんの元には次から次と何かしら言葉を交わしたいという人が後をたたないのだった。やはりアラキさんという人には「引力」のようなものがある。初対面の時にもそれは感じていたが、近くにその存在を感じながら、それがなんなのか少しばかり考えていた。それは「信念」のようなものなのか、その人が持つ優しさや愛情なのか。もちろん、どれか一つと限ったことじゃないだろうけど。自分が惹かれる人たちのことを考えてみる。もちろん僕の単純な「好み」ということもあるからかなり歪んだ考察かも☆共通しているなぁと感じる部分は、「何かを信じている」ということか。中には、僕の考えや信条とは決して相容れないものを信じている人もいる。ある宗教に入信していたり、お金が全てと決め付けていたり、いわゆるマルチ商法にどっぷりな人もいる。はっきり言って彼らの信じているものを僕は信じていない。でも彼らのことは好きだ。それは、僕が大切に思っていることを彼らも大切に思っているだろうからという単純な理由だけではない気がする。何かを信じるいうことは、歩くこと・進むことなんだと思う。信じた瞬間に人は歩き出すんじゃないだろうか。何も信じないということは、立ち止まっていることなのかもしれない。迷ってると言ってもいいのかもしれないな。もちろん時には立ち止まる。そしてまた歩く。でもやっぱり、迷い続けるならどちらかに進む(進んでしまう)方がいい。「あーっ、やっぱし違った~☆」なんてことは何度あったってかまわない。極端に言えば、ユーモアや知恵なんてきっとそんなところからしか生まれないんじゃないのかな。ふとそんなこと思った。乱暴な言い方だけど、信じるものなんて何だっていいんだと思うな。ウン。歩きだして行き詰った時に、何かひとつだけでも気づけばいいだけの話だろうと。これってO型だからかな^^;誰かに決められた「正しい道」を歩くのが立派なこととはぜーんぜん思わない。「これが正しいのです!」なんて強迫観念にかられて生きる方がよっぽど怖い。「信じられるもの」は必ずそばにある。絶望の淵にあっても、信じるものは必ずあるはず。 それはきっと絶望の裏側にあるもの。 自分から離れていった望み。 今はまだ手の届かないもの。 僕はそれを信じる。僕が好きな人たち、コケちゃったら漏れなく報告ヨロシク☆僕がちゃんと笑ってフォローしたげます(笑)負けないように僕も見事なコケっぷりを披露してみせますから☆そして僕でよければ手を貸すよ。いっしょにコケたらいっしょに爆笑しちゃえばいい^0^これでいーーーのだ。 アラキさんのブログより「「 中心性 」」とっても面白いです。今度じっくりいじらせていただきまーす^0^http://plaza.rakuten.co.jp/arakiai5/13005実写版なーーーのだ(ウソ☆)
Mar 13, 2005
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ぱんちの仕事は本をつくることです。いつかネタにしたいな~と思って、ここのところはペットのことを調べてます。愛犬ぱんち号のおかげで☆かなり濃~い内容となりそう。手始めに、ネットで「ペット」と検索してしらみつぶしにみたら...意外と多いのが「ペットボトル」(笑)ついつい見てしまうわ~。しかしこれがなかなか興味深い。環境問題を追いかけてみると、今度は「環境指標」という言葉にぶつかる。「環境指標」とは、例えばタガメという昆虫が棲めるかどうかで、その川の汚染状態を確認する。タガメがいればキレイな川。いなければなにかしら汚染されているということになる。この場合「タガメちゃん」が環境指標動物にあたるわけね。ふむふむ。なるほど。ということは犬や猫だって人間社会の環境指標なのかもしれないな...よし!こんなネタで行こう!となったわけです。しかし、本当に気になったことは、環境問題に取り組む人たちの「論理」というやつ。「がーっ!こんなに地球を汚しちゃダメでしょ!!見てみなさいこのゴミの山、汚れた海...このままじゃヤバイヨヤバイヨ~」それってきっとみんなわかってんだと思うよ。わかっててやってんだもん。別にそれでいいんじゃな~いってくらいに思ってる結果なんじゃないの?こないだの京都議定書のニュース。バッカじゃないのアメリカ!ってふつうに思うもん。わかってるから。でも取り組まないのさ。そこに「ナゼ??」が必要なんじゃないのかねぇ。どうもヒステリックなんだよなぁ。←「ヒステリック」って差別用語でしょうか「あー、ひどい。あー、こりゃ大変だ」だったらさ、「頑張って取り組めば、ほら☆こんなにキレイになるよー」って方が僕は好きだなぁ。何のためにそうするのか。やったらどうなんのかは教えてくれないのかい?こういうことって、いろんな場面で目につくんだよねぇ。大事な大事な教育の現場だって、政治の現場だてきっとそんなもんだろうなぁって思う。で、ここで自分も失望しているだけじゃいけないんだよな。自分が望む世界をしっかりイメージして、もっともっとリアリティーのあるイメージにしていかなくちゃいけない。そのためにいろんな人の意見を聞いたり、本当にそれでいいのか確かめようと経験を積むんじゃないのかな。どうかな? かなり漠然とはしてますが、せっかく植えるなら希望のタネがいいでしょう。絶望をエネルギーにできたら、誰も苦しい思いはしないもんね。
Mar 12, 2005
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こんばんは。息詰まるこの数週間が終わろうとしています。本当に忙しくバタバタな日々でした...といいながら、明日も休日出勤なのですが。そんな忙しい日々の到来を知りながら、2月20日と、3月8日に無理やり組んだライヴスケジュールは、期待していたものとは違いながら、それなりに意味ありげなものでした。一つは、こないだの日記に書いた「再会」劇。そしてもう一つは、また歌いたいなぁ...と思ったこと。路上で歌いながらの生活は、かれこれもう7年も前のこと。歌うために寝て、歌うために食べる、歌のために思いを巡らせ、へとへとになるまで歌って帰る...食べるもの飲むもの見るもの聞くものみんな「歌」のため...そんな不器用すぎたあの頃の生活が、今ではやっと懐かしく愛おしく思えるようになってきた。結果としては、路上での活動は1年半で終止符を打った。もうやめようと考えていたある日、通りがかり、一人のおじさんが僕に声をかけてきた。「君は自分の歌をうたっているの?」「はい」「ちょっと時間あるかな。何か食べに行かないかい?」いわゆる逆ナンというやつか(笑) 違うっつーの!ススキノの外れ、古めかしい焼き鳥屋さんに連れていってもらった。ちょっと遅れての自己紹介で、僕はおじさんが誰なのかがやっとわかった。地元では今でもラジオ番組のパーソナリティをしていて、僕でも口ずさめるような「ヒット曲」のある人だった。しかしあまり露出するのが好きでないらしく、実際に顔を見るのははじめてだった。遠慮しながらも2、3本串をつまむ。楽しく会話がはずむわけでもない。とても落ち着いた気分だった。「君はどうして夜のススキノなんかで歌ってるんだい?君は昼の大通(札幌中心部 大通公園)で歌ったほうがいいんじゃないか」たしかに、なぜススキノなのか?と訊かれても、まともな理由があったわけじゃない。「実は僕も毎年、ニューヨークの地下鉄ホームでストリートライヴをやってるんだ」聞けば、ニューヨークの地下鉄構内は、非公式のようだがミュージシャンのために実質「開放」されているらしい。キップ一枚がエントリー料がわりなんだとか。その後、他にお客さんがいなく、お店の方の好意もあって、お互いに一曲ずつ披露することに。いやぁあ、緊張したなー。そしておじさんの歌がとてつもなく良かった。「あぁ、歌ってこういうもんか」はっきりと説明できないが、深く感じ入るものがあった。おじさんの歌に圧倒され、僕はすっかり「やめようと思ってる」その一言をいいそびれてしまった。それから程なく、やはり僕はやめる決意をした。歌うことがなくなったから、という理由で。たしかに自分のことを歌おうと思えばできたはず。でも、誰かに聴かせたい、聴いてもらいたいことが自分の生活の中にはもうないと思った。普通に生きていく中で感じるはずの感情が、僕の「つめた」生活にはなかった。自分のためだけに集中していた生活には、伝えたいメッセージが生まれる余裕やすき間がなかったのかも。ホントに空しいキモチしかなかったな。実質1年半という短い時間の中で、それでもいくつかの歌が生まれて、今もふとした時に頭の中を流れてくる。これは「歌」に限った話ではないだろうけど、生まれた瞬間に歌の中の時間は止まってしまう。生まれた瞬間に死んでしまう。僕にとって「歌」とはそういうものだった。それは一つ一つが過去の思い出のようなもの。だから、その「歌たち」を路上でうたうことは、変な表現かもしれないが、過去の自分に成仏してもらうための作業だったと言ってもいい。 ってか書いてみるとホントに変な表現だな^^でも中には、生まれ変わったり、生き続けているのもあったりする☆そんな歌がいくつかあって、今では「本当に自分が作ったんだっけこれ??」みたいな感覚になる。現在の自分をズバリ見透かしていたり、やさしく癒してくれたり......なんか不思議だのう。そう。そんないくつかの歌を、また歌ってみたいなぁと、密かに思い始めているのですよ。とても恥ずかしいんだけど☆今なら、あの頃よりもっともっと「よく」「深く」「理解しあって」歌うことができるんじゃないだろうか...いろんなカタチの表現や創作物がある中で、歌が持っている独特の面白さや奥深さって、もしかするとそんなところにあるのかもねぇ。10年後も20年後も、その時の自分が歌うことに意味があるのかもね。あの頃の僕は、一生懸命、そのときその場の出来る限りで作った(生まれた)歌を、他のものと比較しては、平気で「ダメ」だの「カッコ悪い」だのと決めつけていたように思う。でも今なら、それがどんなに平凡でありふれたメロディーや詩であっても、それを作った自分、生まれてきた歌を、照れながらでも「いいな」「好きだな」って言えそうだ。せっかくなので、1曲ここに「カミングアウト」させていただきます。 『おあいそ』 真夜中を すこし過ぎて 生まれ変わる 予感を かすりもしないで 恥かしく 星をながめ なにも 言えなくなるさ... 溜息の ベルを聞いて いつか うなされるよな 長いセリフのあとで ひと呼吸 眠りを聞いて なにも 見えなくなれば 全てが とてもキレイだ...おー!恥かしいゾー^^何がイイって、このタイトル(笑)この詩もそうだし、メロディーもホントに自分が作ったのかなぁってカンジなのよ。さぁ、どんどんカミングアウトするゾー ウヒィーッ^^
Mar 11, 2005
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昨夜というか今朝、日記を書いている間、僕の脳内ジュークボックスでは、こんな曲が流れていた。「ガラス越しに消えた夏」もうけっこう前なんだねー。当時歌っていたのは鈴木雅之。その後、中西“どこいった?”圭三氏もカヴァーしていたらしい。とくに好きで聴いていたわけじゃないけど、いい歌だなぁとは思っていた。しかし作曲者を見て、あぁ納得。僕の音楽史に燦然と輝く名曲「そして僕は途方に暮れる」の作曲者である大沢誉志幸(おおさわ よしゆき)の手によるものだったらしい。やがて 夜が明ける 今は 冷めた色次の カーブ切れば あの日 消えた夏君は 先を急ぎ 僕は 振り向きすぎていた知らずに 別の道 いつからか 離れていったサヨナラを くりかえし君は 大人になるときめきと とまどいをその胸に しのばせて...歌詞はこんなカンジ☆もちろんこの歌詞も素敵だけど、やっぱりこの曲のミソはメロディーだなぁ。大沢氏の☆☆☆もし、どうしよーもなく暇で、たまたまレンタルCDショップに立ち寄ったという奇跡的な瞬間があれば(!?)聴いてみてくださいまし。そしてこの曲もやはり、名曲がズラリで有名なあの「カップヌードル」のCMタイアップだったのね。今後の脳内ジュークシリーズ(まだやんのか??)にもたくさん登場するであろうカップヌードルシリーズ。あの選曲センスはおそろしいほど。 ゴクリ 写真は大沢誉志幸そういえば去年だったか、NHKのポップジャムかなんかで中森明菜の「1/2の神話」(たしか大沢氏が作曲)をセルフカヴァーしていた。当然ながらカッコよすぎでした。テレビなんぞに出るのがもったいないくらいでしたハイ。おっ。今日は短くていいねぇ(笑)
Mar 10, 2005
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本当なら、ここに昨夜の楽しいライヴレポートなんか書きたかったんだけど、そうはいかない出来事があったのです...すれ違いを再会と呼ぶのは強引だとは思うけど、たとえそれが数秒間の出来事であっても、自分の思い込みだったとしても、ココロが動いてしまったからには、やはり「再会」と書きたい...そんな心境。昨夜、仕事を強引に切り上げたのが、20時を少し過ぎたころ。出番が21時だったから、かなりバタバタしたまま会場入り。その頃はもうすでに、自分たちの前のバンド、当日のメインバンドといっていい「カーリィガーリィ」が1曲目の演奏を始めていた。カーリィガーリィは、あくまでローカル中心の活動ながら、アルバムをすでに3枚もリリースしている。当然たいそうな客入りだろうと想像していたら、かなり拍子抜けしてしまった。おそらくは10人程度。ものものしい地元ケーブル局のカメラが静かな空間で浮いていた。ほとんど一息つく間もなく出番となりステージへ。慌ててギターをチューニング。髪をセット。もっと余裕もってやれよ!って我ながら思うが、まぁいつものことだ(笑)ステージに上がると、リハーサルができなかったので、マイクやら何やらセッティングでしばらくバタバタ。ふぅ。ふと客席を見ると、最前列、つまり僕の目の前の席に懐かしい顔が...「あーっ!!」声にもならず心の中で叫んでいた。そこにいたのは、もうかれこれ7年ぶりに見るYちゃんだった。僕にとって、どうしても忘れられない人。しかもこの数日ことあるごとに彼女のことを思い出していたから、その衝撃はひとしおだった。「声をかけようか...」正直、僕は少し躊躇していた。なぜなら、彼女の顔、いや目つきというのか、まるで別人を見てるようだったから。大人になったから、というだけじゃない。その目に僕はなにかひんやりしたものを感じていた。 ~Yちゃんと会ったのは、僕がまだ路上で歌をうたいながら生活していた頃~当時近所に、通信制の高校に通っているT君という男の子がいて、よくよく友達を連れてはうちに遊びに来ていた。YちゃんはそのT君のの彼女として紹介された。元気そのもので好奇心が強そうな光った瞳が印象的だった。彼女にしてみれば相当珍しい人種を見つけたらしく(笑)次から次と僕は質問責めに遭いながらも、その純粋さに心打たれるものが確かにあった。考えてみると、大学をやめて気ままにフリーター、果ては路上でうたって生活しているいい年こいた男なんて当時はきっとまだまだ珍しかったろうし、迷いや不安を持っている彼らにしてみれば、「型通りでない」ということがとっつきやすかったんだろうなぁ^^;世間的には、たしかに少しはみ出たコが多かったけど、みな個性的で、同年代の頃の自分と比較するとなんだか羨ましいなぁと思っていた。Yちゃんに会うのは、週に1度くらいだったろうか。たまにしか顔を見せない理由を、当時の僕はまだ知らなかった。ある日K君が、ふらっとうちにやって来た。「今日は一人かい?男ふたりじゃ殺風景だなぁ(笑)」「ねぇ、ぱんちさんは、鬱ってわかる?」何事にもめげず、いつも明るいのが取り柄のK君がはじめて見せる沈んだ顔。僕は「わかる」とも「わからない」とも、安易に答えられる状況じゃないなと思った。リストカットという言葉を知ったのも、そのときがはじめて。とにかく何を問いかけても口を開かないんだという彼女の姿を、僕はまったく想像することができなかったし、その数日後、何事もなかったかのように元気なYちゃん再びに会うと、「大げさに言ってるんじゃないか」と正直疑いたくなる気持ちを消せなかった。僕の前に現れるYちゃんは、やはり元気で好奇心が強く、それでいて気持ちの細やかな女の子だった。落ち着いた時間を過ごせそうなときは、何度かそれとなく彼女が抱えている別の一面に触れようと話を振ることはあった。しかしいつも元気に笑い飛ばされて終わる...そんな繰り返しだった。だんだん僕は、そこに触れなくなっていた。たしかに彼女はなにがしかの問題を抱えてはいたけど、彼女にとってそこは「侵されたくない場所」なんじゃないだろうか...そんな気がしてきたからだ。もちろんこれはあくまで僕が直観的に感じていたことだから、あとから論理づけようなんてイヤらしい気はない。でも彼女にとって心のトラブルは、(辛かったんだともちろん思うが)彼女が彼女であるための、なにか大切なものなんじゃないだろうかと思うようになっていた。もしかしたら、「傷ついている」からこそ自分は特別に受け入れてもらえるんだ...そんなことを思っていたんじゃないかと。知り合っておそらく半年くらいだろうか、K君たちは別れることとなり、その後Yちゃんの姿を見ることはなかった。そう、あれからもう7年も過ぎたんだ...K君は、今でもたまに仕事が落ち着いたといってはうちに遊びにくる。もちろんいっしょに来る女の子はYちゃんじゃない。そして、今でも二人きりになると、やはり口をついて出てしまう。「Yちゃん、元気にしてるのかねぇ?」すると決まってK君は「うん...どうしてんのかなぁ...」と言ったきり黙ってしまう。その先のことを誰が知るわけでもないのに、そんな意地悪なことを訊いてしまう自分。申し訳ないと思いながら......間違いなく僕は後悔している。心残り。何もできなかった。こんな乱暴な言い方がいいとは思わないが、時には胸グラをつかんででも...心を引きずり出さなきゃいけない時もあると、今は正直思っている。あの頃の僕には、精一杯笑い飛ばす彼女を引き寄せる勇気がなかっただけなんじゃないのか。ステージ上で戸惑っている自分のもとへアシスタントの男の子がやってきて「マイク位置は大丈夫ですか?」「モニターには何の音返しますか...」と、慌しく世話を焼いてくれている。「キーボードだけちょうだい。あとは大丈夫だから」おそらくは数秒間のそんなやりとりをしながらも、僕はYちゃんのことを考えて上の空だった。「彼女に声をかけなくちゃ」意を決して客席に目を向ける。しかしもうすでに、そこに彼女の姿はなかった。きっとあの頃のYちゃんなら、すぐに僕と気づいただろう。もしかすると、僕に気づいて帰ったのかもしれない。自意識過剰かもしれないが。彼女にとって今の僕は、招かれざる過去の人間だったのかもしれない。それでも、僕は声をかけたかった。どうしてもかけたかったのに。なんでためらったんだ!?また、できなかった。後悔に後悔を上塗りしてしまった。あぁ...どうする?いっそう大きくなってしまった心残りを再び抱えていくんだろうか。あぁ...あぁ...あぁ...いや、めげてる場合じゃない。僕はこの7年間、心を閉じないで来たんだろ?あきらめないでいたんだろ? そうだ。また忘れずにこのまま行くしかないんだ...Yちゃんは今どんな景色の中で、何を想い感じながら生きているんだろう。速くて便利で快適な流行りの乗り物を見つけて飛び乗ったんだろうか。たくさんのものを置き去りにして走りすぎる景色には何が映っているだろう。数秒のうちに駆け巡った7年間のことを、そしてどんなカタチであれ再び遭遇したことを想いながら...そんなことを考えずにはいられなかった。 これじゃライヴレポートとしてあまりにもヒドイので、 カーリィガーリィの勇姿をピンボケにてどーぞ。 「若いっていいねぇ~」なんて思ってたのに、聞けば ドンパだって言うじゃないの、え~! WHAT A ワカヅクリ YOU ARE! ビツクリデ~ス☆ 代表曲は「テレビ父さんのうた」だそうです。
Mar 9, 2005
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大学入ってすぐに、小さな塾で講師のアルバイトをはじめた。札幌のはずれにあった、個人経営の小さな塾。 類は友を呼ぶ?のか、とにかく個性的な子どもたちが多かったー^^;最初は自分もいっちょまえに先生ヅラしてみたが、すぐに「勉強が好きなわけないんだから...」と気楽に構えるようになった。早ぇ~「明日体力測定だ」と言われれば、授業の時間を削って、高く遠くに跳ぶコツを教えてみたり、学校の先生には聞けないことや・教えてもらえそうにないことになると僕もつい熱心に耳を傾けるような、はた目から見ればとんでもない名ばかりの「学習塾」だった(笑)そのうち、子どもたちの口コミで、「勉強したくないのに、塾に行かされる」子たちが続々と集まってきた。そこには朝鮮学校の子も数人いて、生徒といっしょにハングルを教えてもらったり、まぁとてもとても賑やかで楽しい塾だった。中3の子たちはさすがに3学期ともなると、やはり空気が変わってくる。中には、入れる高校がないと本人は薄々わかっているのに、「どこでもいいから高校行って!」という親との間で苦しんでいる子たちも一人や二人ではなかった。残りの中学生活をどう過ごしてもらおうか、何を話すのがいいのか、人知れず悩む時間が続いた。当時まさに大学を辞めようと考えてバイトに明け暮れていた自分は結局のところ、「社会に出て働くことの大変さと意味」を伝えなきゃいけないんだよな、と腹を括った。とにかく自分が味わっていることを伝えようと。みんな少しは気が楽になったようだった。聞きたかったけど、親の目・学校の目が「それはタブー」だとプレッシャーをかけていたんだというのが痛いほどわかった。そんなある日、一人の女の子が核心に迫る質問をとうとうぶつけてきた☆「先生、なんで勉強しなきゃいけないの?」「なんで高校行かなきゃいけないの?」その子は将来マンガ家になることを夢見ていて、答案用紙には必ず何かしらの絵を書いてくれた。僕も小学生の頃はマンガ家か絵描きになりたいと思っていたから、できるだけ絵を描いて返すようにしていた。当時の僕は、マンガ家になりたかった小学生時代、医者になるものと思い込んでいた中学・高校時代を経て、こっそり詩や小説を書くようになっていた。きっと自分を何かで表現したかったというだけで、文学でも音楽でも絵でもなんでも構わなかったんだと思う。たまたま「上手だね」と言われたことをやってみたとか、誰かの影響を受けたとか、違いといってもそんなもん。ただ、自分を表現するということと、誰かに伝えるということは切り離せないものだ。せっかく自己表現するなら、より深く伝えられる方がいい。例えは悪いかもしれないけど、英語しかわからない人に何かを伝えるには英語で伝えるのがいいし、ボキャブラリーは多い方がいい。そんなカンジか。 あ、そっか☆「将来マンガを通して人に何かを伝えたいと思うなら、いろんな知識を持っていた方がいい。いろんな人に読んでもらいたいならなおさら。物語の背景や設定を考えるときも、たくさんの登場人物を描くためにも、できるだけ経験や知識の引き出しを持っておいた方がいいとは思う。」「ふーん...」勉強が好きになる理由としてはきっと失格だと思う。でもそれが当時の精一杯だったし、押し付けるというんじゃなく、自分が感じていたことをそのまま伝えられたような気がした。僕自身、勉強することが楽しいと思ったこともないし、高校も大学も自発的に「行きたい」から行ったわけじゃなかった。高校受験の時も大学受験の時も「落ちたら落ちたで、それもまたいいかな」って思ってた。「勉強しようと思えば一人でもできる。学校は、勉強する方法を学ぶところだったんだな」と思って大学を中退した時は、「やっと自分の進む道を自分で決められた」と感じたし、はじめて自分で「決断」できたんじゃないかと思った。僕にとって学校はもちろん「知識を与えられる場所」だったけど、一番の収穫は、勉強する方法を学んだということ。何か知りたいことがあれば、何で調べるのか、何から調べるのか、どこに行けばいいのか、どうやって身につけるのか、そんなことを学ぶ場所だったと思う。言われるがまま詰め込んだことなんかはそのうちどうしたって忘れちゃう。でも「忘れちゃうことを勉強してもしょうがない」とか「社会で役に立たない・使わないから」というのはたしかにそうだと思うけど、「だから意味がない」とは言い切れない、ちゅーのが僕の実感かな。 なんか教師っぽくてキモチ悪いからもう止めよう☆っていうか、別にこんなこと書こうとは思ってなかったのに...^^; 基っ!僕はここ数年、ちょこちょこと詩を書いているんだけど、例えば「黒」という色ひとつ表現しようとした時でも、いくつも選択肢があるいいなぁってしみじみ思うもんねぇ...自己表現のために勉強するんだったら、もうちょっと楽しく勉強できたのかもしれないなぁ... 相変わらず退屈な日記になってしまった...ぱんち号は愛想つかして寝てしまいました。さぶっ文章の書き方を教えておくれ☆
Mar 6, 2005
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ちょくちょく書いておりますが、自分が19、20歳のころのこと。大学に入ると、誘われるがまま僕はアメリカンフットボール部に入った。ピアノを始めたいと軽音楽部の説明会に行く途中、肩を叩かれまんまと口車に乗ってしまった(笑)「軽音に入ってアメフトはできないが、アメフトやりながらでもピアノはできるゾ」...ウソだった(爆)実際はじめてみると、とてもじゃないがそんな時間や体力の余裕なんかぜ~んぜんなかった。それでも人一倍練習して上達するとだんだんハマッていく自分がいた。そのころの自分は、体育会系のさわやかさん☆とは決して呼べない精神状態だった。大学生活に描いていた理想と現実のギャップに失望していて、部活内でも和気あいあいなんてできるわけもなく、超ハードな練習メニュー+部活後ひとりきりのトレーニングは自分を追い詰めるためのものでしかなかった。同期の人間に「さん」づけで呼ばれていたことを振り返ってみても、当時の自分って余程とっつきづらかったんだろうなぁ...トホホそんな孤独満開な部活ライフの中、一人だけ「本音で話してみたい」と思える人がいた。同期のマネージャーMちゃん。とても世話好きながら自己主張するわけでもなく、いつもやさしくみんなを見守ってくれてるカンジだった。でもどこか「間違ったときは正しいことを教えてくれる」ような気がする、なんというか、お母さんみたいな女の子だった。実際に彼女とは気兼ねなくいろんなことを話した。やはり「うんうん。」といつも頷いてくれるような人だった...1年がむしゃらに練習をこなしてきた結果が出てきていたのに、僕は「それがどうした?」と卑屈になるのが精一杯、嬉しいわけでも満たされるわけでもなかった。元々誰かに認められたいなんて気持ちがなかったから。モクモクと練習するせいか、1年生にして「将来の主将はお前だ」的なことまで言われながら、当の僕は「いよいよ大学なんて辞めてしまおう」と、そんなことばかり考えていた。部活が終わりバイトを終えてクタクタになって家で一人になると、自分の期待通りでないと理由で環境や周りの人間を責めてみては「死んでしまいたい」という気持ちだけが部屋に充満していた。程なく、先日の日記にある「死にかけた」体験を経て、実際に僕は大学も、当然部活からも完全に離れてしまった。正直、一人でいる方が他人に煩わされることが少なくてずいぶんマシだと、まだそんなことを思っていた。そんな宙ぶらりんな生活をはじめていたある日、部活時代の友人から電話が。「Mちゃん入院してるんだよ。脳腫瘍だって...明日手術らしい。会えるのは今日だけかもしれないって...」部活関係の人たちに面会が許された。おそらく十数人が続けざまに病室に入っては、落胆した顔で出てきた。これも何かの因縁だろうか...最後に会うのが僕だった。ご両親にあいさつし病室に入ると、頭に包帯を巻いたMちゃんの姿。ベッドから起き上がりこちらの方を見ているが、焦点が定まらないのがすごく切なかった。入院生活でふっくらしただけじゃない、確かに顔つきが変わってしまっていた。それでもその声は相変わらず優しかった。「優しさ」そのものだった...「大丈夫かい」「うん。ひさしぶりね。元気だった?」「うん、元気だよ。心配しないでがんばってきてね。みんな待ってるから...」時間が迫っていた。そして彼女も精一杯応えてくれているのがわかったから、気持ちを押し殺して、それでも僕はシャンと顔を上げて部屋を出た。会った瞬間、たしかに予感するものはあった...帰りはやはり皆から離れて一人で帰った。鬱々としていた。暗い冬の夕方、街路樹の枝に積もる雪が、「バサァーッ」と、真下にたたずむ僕の体を打ち付けた。そのことさえ悲しくて、もうおかしくなりそうだったけど、ふとまた彼女の姿が浮かぶ。「彼女がそんなこと望むわけがない...」「いま彼女は何を思っているんだろう...」僕は時間が永遠にあると錯覚していた。人生がいつか終わるなんて、そりゃ理屈では誰しもわかっていること。でも、たしかに僕はわかってなかった。ぜんぜんわかってなかった。「いつか」がいつのことなんてわからないのにサ。彼女が僕に教えてくれたこと。命の代償としては小さすぎるでしょうか...彼女は、望まれたから死んだのでしょうか...あれからずいぶんと時間が過ぎていったけど、「うんうん」「ホントにそれでいいの?」迷うたび、笑ってそう言ってくれてるような気がします。救ってくれて、本当にありがとう。相変わらずコメントしづらい日記ですが(苦)どうしても今日書くべきなような気がして。 そして追加ですが...昨日TVで「I am SAM」見ちゃった。目玉がジュワジュワでしたね。よかった。サントラは発売後すぐ買ったのに、映画は結局TVで(笑) なんじゃそりゃ!?
Mar 4, 2005
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おかげさんで、だいぶ具合がよくなってきました☆今日の本題じゃないんだけど、「決闘罪」って知ってた?昨日のニュースで初めて知ったんだけど、バカらしいのであまり触れませんが。気になる方は「決闘罪」で検索かけてみることをオススメします。ただいまワタクシ心がやや便秘ぎみ。出かかってるのに涙が出ません。たくさん出したいんだけどねぇ...出ないのはけっこう苦しいもんです。だんだん胸が詰まってくるみたいで。表現上「泣いちゃった」「泣けちゃった」ってコトバを使ってはいるんだけど、実は涙が出ないワタクシであります。決してウソではないんだけど...たしかに心は感動して揺さぶられて泣いているんだけど、涙が出ない。なぜ出ないのか?理由はハッキリしてる。それは、ある時「そう決めた」から。もともと赤ちゃんのころから泣かなかったらしく、周りの人たちもずいぶん心配したもんだと後々聞いたことがある。そんな素地があったのかもしれないけどね。13歳の時。いよいよ家庭崩壊という頃、毎日家の中では家族誰がしかの怒声が飛んでいた。みんなそれぞれの思いを一番幼い僕にぶつけては同意を求めようとしていた。説き伏せられようとすると僕は、「信じたい、信じたくない、みんな勝手でどこか違う気がする、でもどうしたらいいのかはわからない...」そんなゴチャゴチャの気持ちがいっぱいいっぱいになっては泣き出してしまっていた。そんな中でのある日、僕は「もう泣かない。感情に振り回されるのはイヤだ!」と心に決めてしまった。見事なもんですよ。本当にそれ以来涙が出なくなった。友達との別れの時も、誰かが悲しんでいる時も、近しい人が亡くなろうとも、僕は涙が出なかった。一滴も。「泣くべき」時も「泣きたい」時でさえも泣けなくなっていた。さすがに学校なんかだと、それで恥ずかしく気まずい思いもたくさんした。人格が疑われてるんじゃないかと感じることも今までたくさんあった。それでも泣きません!エライ子です(笑)でも、泣かないおかげで?いつもその感情の裏側にあるものを冷めた目で見られるようにはなった。良し悪しだけどねホント。今はそれでもなんとか泣くことができるようになりつつある。でもいまだに泣く前には「さぁバルブを開くゾ」的なワンクッションが確実にあるんだけど...ここに書いたことは、あくまでも「決める」ことの「呪い」的な一面でしょう。裏を返せば、「決める」ということには「奇跡」的な顔もある。あくまでも理想を言えば、「迷う」よりはどちらかに・どれかに「決めてしまう」のがいい。正しかったらさらに進む。間違ってたら曲がる。もちろんできれば誰しも「いい方」に進みたいから、見分けがつかない時は歩みだせず迷ってしまう。進めば必ずなにがしかの答えはあるだろう。にしても「とりあえず進めー!」はちょっと乱暴な気がするな。軍隊じゃないんだから。実際には僕も「いいから進んでみな」って言うことあるけど、そう言うからには自分にだって覚悟がいる。もし何かあったらそれは自分の責任だと。そこで手のひら返して「自分で決めたことでしょ?他人のせいにするんじゃない」なんて言っちゃう人がいる。たしかにそれも本当だとは思うけど、決めさせた自分・信じさせた自分を棚に上げるのはどうなんだろう?なんて思う。そりゃ「吐き捨て」ってもんだ。よくよく考えてみると、人間って実はたくさんのことをすでに「決めて」しまいながら生きてるんじゃないかな?「私はこうする」「私はそれはしない」ということ。自分が決めたことであれ、周りから知らずに受け取ったものであれ。いつかはその「決め事」をブチ壊さなきゃいけないときが来るかもしれない。きっとそれは必要に応じてやってくるんだろう。その時なにかシグナルがあるはず。変わろうとしなければきっと見えないもの。今たくさんの人たちが迷っている。僕だってもちろん迷っている。僕自身のことを言えば、辿り着きたいと思う場所がない。こうありたいとあこがれる人がいない。だからいつも手探りするしかない。大げさに言えば、自分が作るしかないし、自分がそんなものになるしかない。しかしこりゃなかなか漠然としていて途方に暮れる。「存在」というのは言葉や理屈をはるかに越えるもののはず。食べ物のうまさを伝えるなら、言葉や理屈より、実際によだれ垂らしながら食べてみせることには到底かなわない。「好きだ」と言葉巧みに伝えようとしても、潤んだ目で甘えて擦り寄るぱんち号には歯が立たないのです(笑)「存在」というか「リアリティー」というか、そんなものが目の前にあれば、きっと何も疑わず素直に受け入れることができるんだろう。相変わらず話が飛びつつ...そして恥ずかしげもなくここに書いちゃうわけですが^^ ソウイウモノニ ワタシハナリタイ 無理か!? かもねー。 がんばって泣いてやる!あと!昨日の地震予知はお騒がせしました。どうやらなんともないようですが...
Mar 3, 2005
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今日たびたび偏頭痛に襲われた。こんな頭痛を感じたのは、おそらく10年以来のことのように思う。かつて自分が偏頭痛というものを知ったのは大学に入ったころ。 当時の僕は、朝は早起きして勉強、夕方から部活でアメフト、夜は塾でバイト、という生活を送っていた。どれも人一倍打ち込みながら、それでもどこか満たされないキモチが消えず、しかし誰にも何にも頼りたくないという性格も手伝っていたのか、いつも死ぬことに憧れていた。描いていた理想の自分に追いつけないという焦りもあったように今は振り返る。ハードな生活は僕なりの自傷行為だったと思う。 その日は冬の週末で、部活は屋内練習。早々に息が上がり、休まなければと思いながら、ひたすらダーッシュ!を繰り返すかなり自虐的なメニューをモクモクとこなしていたのでした。 虫の息でまたスタート位置についた時、 「あぁ、これを走るのはヤバイなぁ」 と感じるものがありながら、いや、そう感じたからこそ自分は走ったんだろう。 走りきったかという頃、目を開いているはずが、次第に視界が閉ざされていき、ついには真っ暗闇の中「ひとり」に。いわゆる心臓発作でした。 カラダの感覚をすっかり失った暗闇の中で、僕はかつてないほどに冷静だった。肉体の感覚がないと痛みがない。それだけで人間は非常に冷静になれるみたい。余談ですが断食した時もこんな感覚でしたワ☆食欲と同時に性欲、その他いろんな欲が消えていって、もんのすごーく的確な考察と判断ができるようになったことがあります。基! 「ちょっとマズイことになってるかな」 このまま死ぬかもしれない。生きようとするか死んでしまうか、どちらか選択する時なんだと感じた。 実際には、ものの5~10分ほどの出来事と後で知らされた。 しかしとても長い時間、そのときに自分が抱えて消化できずにいた問題が次々と浮かんでくる。(長いので割愛☆) そのひとつひとつ、絡まった糸をいともカンタンにほぐしながら、解決策と今後どうするべきかを決めていく作業が続き、だんだんその根っこにあるものが見えてきた。 そして何故今自分の置かれている場h祖が真っ暗闇なのかもわかった! 自分には知識はある。しかし血の通った知識ではない。 激しい感情があるのに、抑えつけてしまっている。 「その場」では、リアリティのない、信念のないものは決して現れないんだとわかる。例えば、「死んだら自分は天国に行く」という信念とリアリティある(これをうまく説明しなきゃなー)イメージを持つ人なら、「その場」が天国なのかもしれないんだな。 「真っ暗はいやだ。なんだこの虚無感、いや敗北感は...」 たくさんの(その時点での)答えを手にして、僕は「よし、戻ろう」と思いました。そしてその時、心臓発作も自分が起こしたもの、治すかどうかも自分が決めるものなんだということが「わかった」。 その後、このことがひとつのキッカケとなり大学を中退。自分が進む方向を見つけたので全く迷いはなかった。 そのときの「教訓」をもとに、何か表面的に変わったことと言えば「オレ」から「僕」と言うようにに変えた。そうすることで自分の感情をずいぶんコントロールできるなとわかったんから。周りにはかなり気味悪がられたよー!傲慢チキなヤツが突然「僕はね☆」って言い出したわけですから!当時は某新興宗教全盛?だったので、自分についてのあらぬウワサもずいぶん聞いたもんです。 今でもこの体験は僕の骨子になっていると思う。しかし、たまたま、たかがという気持ちもたしかにある。 特別な死というものは確かにあるけど、死ぬこと自体が特別なんじゃない、そう実感できたことは大きかったなぁと思ってる。 僕はまた脱皮しなきゃいけないみたいです。やるっスよ。って言うか、もしかしたら地震が来るかも!そんな予感がひさしぶりに襲ってきてます。偏頭痛の原因だったりして...とりあえずご注意を。
Mar 2, 2005
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昨日今日と仕事がらみで公共の~というところへ行く機会があったんだけど、どうしてもそこいらで受けた印象について書いておきたい!まんず!昨日ね、不祥事で名高い?北海道警察本部(通称 道警)に行ってまいりました!(敬礼)受付には女の子が二人、このいたいけな小市民を座ったままでのお出迎えです。「取材のお願いにあがったのですが、担当する部課をご紹介いただけますか?」その一言でなぜだかみんなてんやわんや!なんで?そんなの決まってんじゃないのかい!?しまいには受付裏の部屋から上司と思われるオジさんが出てきて「奥に相談センターっていうところがあるから、そこで聞いてみてくれないか」と。タライ回しの予感...「へ?なんで?ここ受付ですよね?ここじゃわからないんですか?」「いやぁあ...」とワケのわからぬ苦笑いまでされちゃった。「ま、とりあえずこの先にあるから。そこで聞いてみて」だって。「バッカじゃねーの?」と内心思いながら、言われたまま奥の相談センターなる部屋へ。応対に出てきたのはやはり50代のオジさん。用件を伝えてみても、オジさんはどうも理解できないらしく、奥から代打オジさんが登場。めんどくさそうに「応接にどうぞ」もう一度用件を一から話すことに。「北海道内でのオレオレ恐喝(詐欺というのが一般的だけど)の被害件数と相談件数を教えていただきたいのですが」このオッサン(←悪い意味で格上げ!)もどうやらもうじきバッテリーが切れるらしい。来客に対して名刺さえも出したくないらしく「名刺持ってないんで...」と苦しい言い訳。こりゃ困った。まともなのがいないのか!?と半ギレ状態になったとき、状況を察したかのように代打の代打が登場。現れたのは30代の男性。当たり前なんだけど、まずは名刺をさしだしてお互い自己紹介。名刺には「警部」とあり、おそらくは若いながら「チーム・オッサン」の上司だったみたい。ははぁーん。部下と思われたくないばっかりに名刺出さないんだな...たぶん。さーてまたまた一から用件をお話。今度の代打はすぐに内容を理解したらしく、「ワタシが窓口で対応しますから...」と一言。なんとか進展できそうなので退散することに。帰り際、受付で借りたバッジをお返し。「はいよ!ごくろーさん!」とバシッ!見送る顔が引きつっていたのは言うまでもない。そしてオマケも充実☆駐車場を出るときに、駐車券を受け取りに来た警官の顔を見ると高校の同級生だったー!!「いやぁ見事にタライ回しにされたよ!いい思い出になったわ~。」「それはどうもご苦労さんでした」ってわかってんだかわかってないんだか...そして今日は北海道立消費生活センターというところへ資料をいただきに。そこのロビーに、北海道内のNPO法人の情報交換スペースがありました。メンタルヘルス系のNPOのチラシをいくつか手にとって眺めてみる。中には自宅のすぐ近所のものもある。 ん??? でもさ、こんな団体があるなんて見たことも聞いたこともなーいんだけど?必要なら調べろや!ってことなのかねぇ?こんなのってお役所の常套手段でしょ。「ちゃんと告知していますよ。○月○日に広報に掲載しています」とか「詳しくは○○課まで」とか書きながら電話番号すら書いてなかったりする...ましてや「詳しくはHPで」なんて差別もはなはだしいんだっちゅーの!そりゃ何かを告知するってのはお金も手間もかかるのかもしれないよ。でもね、なにか志を持って取り込んでいるのだろうと信じるからこそ!ここはあえて厳しく言いたいッ! そんな自己満足でどーすんの?誰かのためにってスタートしてんだよね?いろんな大人に会えたのはいい経験だったと諦めるのはもう止めよう...「おーいダイジョウブかー?」今度「チーム・オッサン」に会う時には、こう優しく囁いてあげるんだー☆ホントしっかりしてくれよー! 画像は北海道警察ご自慢のキャラクター「ほくとくん」です。http://www.police.pref.hokkaido.jp/Hokuto/hokutokun.html画像ちゃんとUPされるか心配です。
Mar 1, 2005
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