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先日、金剛山(葛城山)登山記録記事で、
もう一人の旧友・故人寺尾公男氏を思い出し、
彼の著書を紐解いてみると、実に詳しく古代の状態が
書かれていることを再発見した。
小生には、人名・地名なども昔の名前で難しく書かれているので
非常に判りにくく感じる。
呆け頭の小生が、自分なりの言葉で再度ボチボチ理解するしかなさそうだ。
もちろん、浅学なので、賢明な諸兄は原文を詳しくご覧頂ければ幸いである。
<歴史上の方のお名前の敬称類は理解する上で極力省略している。>
・・・序章・・・
漢王朝は高祖劉邦以来緊縮財政を取り、財・武力を蓄積できた。
中興の祖・武帝の時代には拡張政策で周辺地を版図に組み込んだ。
朝鮮半島も例に漏れず4郡は漢軍の城に守られ、華北商人は
鉄の産地で莫大な独占利益を得、さらに海を越えて倭の国との交易(奴の津)
で危険は伴うものの莫大な利益を揚げていた。
///
奴の津まで漢人が出向き、倭人に融け込んでいた越人との交易を行っていた。
倭人は朝鮮半島南部にまで海路から進出していた。
///
名(奴)の津では、倭錦など絹織物、翡翠、琥珀、瑪瑙、水晶、真珠等玉石、
金、銀、同、朱丹、鉛、錫等金属類、貉、白・黒貂、白熊等鞣し革、
珊瑚、護宝螺、芋貝、子安貝等細工品、紫檀・黒檀等高級調度用の原木類
などの物産が集積され、交易されていた。
武帝死後、地球規模の寒冷化・黄巾の乱もあって、漢帝国は凋落、
人口も10分の一に減少、三国志演義時代には大陸史上最悪の世相となる。
後漢・光武帝時代には、朝鮮半島を遼東太守・公孫度が独立して支配し
交易は寂れたが、異民族共通語は残った。
日本列島では寒冷化に対して、稲の耐寒品種、山間部の狭隘地適応品種が
普及し始め、半島から倭人、韓人が大挙して移住できるようになった。
諸葛孔明の死後、魏が公孫度の孫・公孫淵を滅ぼした頃の日本列島は
倭国大乱の時代である。
魏により帯方郡太守に任じられた劉夏は、張政に漢代の交易路を調査させた。
張政は奴の津で住民を捕らえ、「倭国女王が天子に拝謁、朝献したい」旨の偽書を
添え、洛陽に送る。洛陽の天子、倭国の王に「親魏倭王の爵号、金印紫綬の印綬」を
送るべく、張政ら百人の漢人一行を使節とした。
倭国の女王・卑弥呼は老齢のため死去し、張政は幼い新女王「台与(臺與)」を擁し、
その軍事顧問として倭国を統制した。
句奴国との不和を解決すべく、隼人族の基地、日向・西都原に侵攻したが、
不毛の地で価値なしと見て引き上げ、他方で、漢時代の列島交易路を復活させた。
また、朝鮮半島から山師を迎えて列島の砂鉄や鉄の鉱脈を探させ、
倭国に踏鞴製鉄の技術者を移住させた。
張政は晩年帰国したが、倭国には鉱山開発、踏鞴制作者、木炭製造業、などの
基礎が醸成されて、製鉄により鉄製農具が普及し、半島南部からの地縁勢力が成長し、
倭人との複雑な血縁、地縁関係が錯綜していった。
半島では、4百年もの漢民族( 朝貢は残ったとしても、
直接)支配が終わり、
高句麗、百済、新羅、伽耶の 「 4国台頭時代
(WIKIPEDIAによる朝鮮半島三国時代の地図から4国台頭)
日本列島では、魏、晋、東晋など南朝に承認された「 倭の国
」(筑紫)と、
三輪山をご神体とする部族を祭主とする独特の信仰、風俗をもち
東国を押さえた新興「 大和
」の二大勢力に収斂しつつあった。
大和は王・仁徳天皇の時代に、物部一族を使用して河内の水田耕作、
瀬戸内海交易支配などで勢力を拡大したが、その後は、物部氏、大伴氏、
葛城氏などの豪族に浸食された。
(WEBより「古事記の神々(現代語で)」)
王族の中には、最有力豪族の葛城氏を滅ぼし専制政治を行った
雄略天皇もいたが、豪族が祭主権のみを王族に認めていたため、
王権は長続きできなかった。
/////////////////
(注)呆けの小生には、 倭国
が九州北部を中心とする 邪馬台国
を指し、
句奴国
(狗奴国)がその南の西都原や海(黒潮海流域)を支配した 隼人族
であり、
大和
が河内・奈良を中心とする 新興王族
であると推定する。
倭国と大和が主流になる中で、隼人族の首領・梟師が、朝鮮半島の
百済王国・住人の亡命を手助けし、大和朝廷に隼人の将来を託して、
大和盆地への 移民を手助けする姿が記述されているように思う。
/////////////////
(写経は続く)
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