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尾張の編(496年)
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「古志の編」で述べたが、琵琶湖畔の息長一族の長・真手王は
子が無いため、弟の子を後継者に期待していた。
一方、古志の三尾一族は琵琶湖畔に進出するために、息長に姫を嫁がせ、
カップルから男子が産まれた。男子は父の死に際して、母の意向で、
三尾および三尾一族の出身地である朝鮮半島の伽那(*)で育てることになった。
男子は大陸の文化を吸収し、商業、航海術を学んだ、逞しい大柄な王子に成長した。
男大迹
(おおどの)王子という。(後の 継体天皇
であるので注目)。
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(*)朝鮮半島の「 伽那
」は高句麗、新羅、百済の三国に対して、
韓人や倭人達が混在支配する南部の地域である。
下図では、高句麗が百済を南に押しやり(漢城を失う)、百済が伽那に少し
南東に押し入った形の時代の歴史地図である。伽那国が複雑な状態にあり、
最後には、新羅、百済により滅ぼされるので、これを無視できると見て
朝鮮半島では 三国時代
(WIKIPEDIAによる朝鮮半島の三国時代より。細かく見れば、4国台頭時代でもある)
///
★
息長一族が勢力を持つのは伊吹山どまりであり、
その先は小牧を本拠に、尾張・美濃地区を治める旧・葛城一族系の草香王の
支配が及んでいる。
息長一族の長・真手王が、帰国した 男大迹王子
と共に、
草香王のもとに出向いて、互いの境界を友好的に引こうとしている。
木曽川流域は、草香王の先代から治水、灌漑工事が進められており、
大和から持ち込んだ挺鉄を熱田で蹈鞴により鋳直し、大量の農耕具に
変えることで、尾張は大穀倉地帯に変身した。
真手王達が土産としたのは生きた松葉蟹で、開かれた宴では、
地元の伊勢海老との食べ比べなどが豪勢に振る舞われた。
★
酔いの中で、密かに結ばれたもののうち、当人達ははじめは
互いに気づかなかったが、男大迹王子と、草香王の娘・目子姫がいた。
(写経は続く)
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