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泊瀬の編(498年)
★
三輪山の南麓の 泊瀬川北岸、出雲の里の
仮宮で、
大嘗祭が催された。
この
大和の王朝は、
ましてや城壁で囲まれた城も構えていないにも拘わらず、
臣・連に加えて地方豪族がこぞって寄り集まっている。
渡来人・蘇我高麗は驚きを憶えた。
★
新たな王は、雄略天皇の遺言で結ばれた、
大和の財産継承者・春日大郎と、
弟から王位を受けた仁賢天皇との子供である。
待望の幼い理知的な王子の王位は、
先王の病死により10才で後継した武烈天皇である。
春日大郎は王家の家宰となった蘇我高麗を重用し、
幼帝政治は大連達が補佐していた。
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朝廷財産から地方へ財政支援を行うことで、
人材、富が中央に集中する流れが生まれ、
軍事的に 物部、大伴に対する新しい勢力が生まれた。
舎人という。
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・・・
有馬温泉で、春日大郎が極秘裏に生んだ男の子が、
蘇我高麗の嫡子・蘇我稲目である。
・・・
蘇我高麗は、蘇我の里の才伎長、
護衛の舎人長、王家の所領管理長、秘書役を配下に置き、
大陸には見られない、 その風土に合致した独自の律を
王家所領管理長・久米青梅に検討を開始させた。
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「和を以て貴しと為し・・」の七箇条を蘇我一族、および
王家所領の民の律として公布することに決したのである。
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七箇条の蘇我の律
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曰く、 和を以て貴しと為し
、忤(さから)うこと無きを宗と為す。
上和らぎて下睦びて、事を論ずるに諧(なら)へば事理自から通ず。
曰く、君を即ち天とし、臣を即ち地とす。天地を覆せば
壊わるるのみ、よって君言えば臣承わり、上行けば下
靡(なび)く、詔を承けては必ず謹め。
曰く、民を治(じす)る下(もと)必ず礼有り、上礼ならざれば下従わず、
下礼なければ必ず罪あり、群臣礼あれば位次乱れず、
百姓(ひゃくせい)礼あれば自から治まる。
曰く、人各々任あり、掌る所宜しく濫れざるべし。賢哲を
官にに任ずれば社稷(しゃしょく)危うからず。故に古の聖王官のために
人を求め、人のために官を求めず。
曰く、信はこれ義の本なり。事毎に信あれ。善悪成敗は必ず
信にあり。群臣ともに信あれば何事かならざらん。群臣信
なくば、万事悉く敗れん。
曰く、嫉(そね)み妬(たね)みの心は乱の本なり。我人を嫉めば人また我を
嫉む。嫉み妬む患(やまい)その極まりをしらず、ついには和を乱し
義を損ない、やがて信を失う。
曰く、大事を論ずるに及びては必ず衆とともに論ずべし。
衆とともにあい弁ずれば、辞(じ)則ち理を得ん。
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聖徳太子の十七箇条の憲法と比較すると似ている!
WIKIPEDIAに載っているので比較して欲しい。
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(呆けの写経は続く)
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