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八女の編 (502年)
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矢部一族が領する八女丘陵から西を眺めれば、有明湾を抱いて
筑紫大平原が拡がり、中央を筑紫川が悠然と流れている。
その地は、太宰府に遷都する以前の倭国の王達の墳陵が大小3百基あり、
「王家の谷」(エジプトにも同名の谷があるが)
と呼ばれている。
いま、倭王磐井が、王家の谷を預かる部下であり、軍の総指揮者である
五百手と「王家の谷」を訪れて、 倭王磐井の大陵墓の建設
について
工事業者の土師師達と相談している。
それまでの、土による円墓に加えて
最近流行の台形の王族の祭祀場を設けること、埴輪を減らして石像を★
< 現代に見る大陵墓 >
手前にみえ、台形(社務所など)の上に陵墓のある森である>
<現代に見る石像のひとつ>
(資料:岩戸山古墳についてWEBより)
<ときどき入る写真は小生が理解するためにWEBから借用したものである>
★
伽那六国リーダーである 金官伽那の都・
従来は新羅・百済の緩衝地帯として軍事的に中立というより、無力で
あった伽那六国がそれぞれ中国の斉や魏に朝貢したことで新羅・百済を
刺激し、軍事力が必要になった。金官伽那は鉄鉱脈があっても、
木炭原料の樹木が枯渇し鉄の精錬ができなくなっているために、
雨の多い倭国などに 原木を
求めている有様。伽那六国を治める金官伽那は
倭国の救援を得るために、絶世の美女で名高い王女を倭王に差し出すという。
伽那国は、倭人が7割、韓人が2割、伽那人1割の構成で、支配層は伽那、
農耕・漁労・交易は倭人と、倭人に乗っかった国勢である。
倭王は伽那の王女を王妃に迎えることを承諾。
新羅が軍拡政策に動いたために朝鮮半島のみでなく、
倭国にも波乱が及んできたのである。
★
ところで、中国の南朝はと言うと、 斉
王の圧政、腐敗した貴族社会
は崩壊。代わって 梁
が、文治主義を全面に押し出し、
智慧、武力の国造りに
邁進していた。
★
現代に戻っての参考資料:WEBよりBack to the present age in Kyushu
★
(呆けの写経は続く)
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