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国府(日本国・国府)の編(507年)
★
昨年末の大和・幼帝の訃報が太宰府に届いたのは、翌年2月末であった。
・
交易船が「 難波津 」から「 名(奴)の津 」に着き、噂が船乗りから商人に伝わり、
「 太宰府 」に知れたのだった。
亡き大和幼帝は妃は決まったばかりで、もちろん世継ぎはおらず、
係累も少なく、王家は断絶の憂き目を彷徨い、
物部・大伴の豪族は王統の曾孫を担ぎ睨み合い、内乱の様相さえ呈している。
一方、太宰府の 物部氏
は本家として絶大な勢力があり、同じく、規模は
さほどでないが 大伴氏
も同様であり、この際に東進派が倭国内の勢力を強める
可能性がある・・・との情報を倭王磐井はもっている。
・・・ 吉備の国
磐井は、倭国と大和の中間に位置する「 吉備の国
」の動きが気に懸かる。
吉備は大和から姫を受け入れたばかり。瀬戸内にある吉備というと、
そこを通過する交易船から通過税を徴収でき、
気候温暖で海山の幸で溢れており、
扇状地が時間と伴に自然に水田となって、作物は自給体制がとられており、
鉄、塩も産出しているために、大和や倭に属しない 中立国
として存立している。
・・・従って、 吉備は倭国の東進策には同乗しまい
・・・、となる。
<岡山県古代吉備文化センター>
★・・ 各地の王陵建設事情
磐井の命で王陵の建設を準備している「土師師の長」が来て、
各地の陵の情報を伝えた。
・吉備の国
・・・数基、しかも大型を同時に製作中である。
・大和の国
・・・幼帝は死後の準備も無く身罷ったので、王母が自分の墓を造り
一緒に埋葬との考えである。物部氏と大伴氏は内乱をもたらしては、倭国の
本家に乗っ取られるので、互いに不利として抑制的である。
大和では、王母が卑弥呼のように振る舞うような可能性もある。
・隼人の国
・・・西都原に隼人梟師の陵墓を建築中
・武左の国
・・・武蔵の国の埼玉古墳群で、蝦夷に対する物見台のような墓がある。
大和を心の支えにして貢いでいるように思える。
★・・・ 半島情勢
金海派遣軍の長・宗像一族による朝鮮半島情勢報告
・新羅
・・・全土に軍制を敷き、軍民の心を集中させ、伽那の小国を併呑しつつある。
・金海
・・・新羅が金官伽那を囲むべく、2つの県城を築城したのに対して、
山城を築城して対抗しようとしている。倭国に資金供与と派兵を要請してきている。
・他の南伽那
・・・住民の多数を占めている倭人の保護が最も重要な課題である。
倭人住民を保護するためには倭国から派兵が必要である。
5ヶ国に国守を配して、伽那人に代わり倭国が守るべきである。
住民のうち韓人を牟婁に移住させることを同時に行えば治安がしやすい。
・北伽那
・・・大伽那などの内陸地方は魅力が薄く、放棄すべきとも考える。
・牟婁
・・・西海岸は倭人・韓人が入り乱れて生活しており、見分けが付かない。
耕地が少なく、人数も多くないので希望者を「倭人」とみなして倭国に移住させる。
・百済
・・・羅州で倭国と形式上の睨み合い中であるが、羅州以南の統治権を
百済に与え、代わりに倭国が羅州の鉄を年貢として受取る。木浦を交易湊とし、
倭国が徴税権を持つこととする。
★・・・ 日本国の誕生と、国府・太宰府
< 倭国王
から「 日本国王
」に独立宣言など>
1. 豪族達の眷属を集めて太宰府に王の親衛隊を常備させることにした。
2. 倭国では、隼人の国を切り取り後、豪族達が開墾に人力を必要としているが、
朝鮮半島から移民する倭人をあてがえばよい。その豪族から兵を調達できる。
南伽那では韓人を牟婁に移住させることで治めやすくなる。
3.半島では、 新羅が新しい国名を命名した。百済も統一したら
「朝鮮国」(朝日が鮮やかな国) にしたいという。
倭国も独立した国家として「日本国」(日の本の国)と名乗ればよい。
どこからも支配は受けていない
のだから。
太宰府を「国府」とする。
豪族を集めて宣言をすればよい。
4.倭王磐井が諸豪族長の前で「日本国」の命名を行い、
自らを「 日本国王 」であると宣言した。
★・・・捕捉説明・・・
倭国は、東の果ての倭人(小さい人)が住む 倭国と大陸から呼ばれる呪縛
から
日本国宣言で遂に脱皮したのである。大陸は、半島を属国(朝貢国)扱いし、
倭国を小さい国と認識してきたが、
「 日出る国の天子として、
日沈む国の天子に
対等の関係で外交交渉をしていく 」
姿勢に脱皮したのである・・
(呆けの写経は続く)
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