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慶州の編(511年)
★
太宰府の倭国は 日本国を宣言
し、大陸の呪縛を解きはなった。
(当面本稿では倭国のままとする)
倭国は朝鮮半島では、金海(キメ)地域にあった金官伽那(かや)を支援し、
新羅軍の侵入を察知する烽火台を設置、邀撃する体制を敷いている。
南伽那の残りの5ヶ国には固城に倭館を築いて、
九州山鹿の物部系穂積氏を将軍に任じ、軍事・治安に当たらせている。
< 4~5C半ばの朝鮮半島南部
(WIKIPEDIAより)
(本文の伽那の位置は上図では、ほぼ「加羅+任那」のゾーンに近い。
津島は対馬、地図の欄外には上部に高句麗がいて、下部左に済州島がある。)
百済国境の西3ヶ国は百済に割譲したいが、他の伽那国とのメンツもあり、
タダで呉れてやることは不味い。倭国は、日本国と宣言した以上、文化的な面で
大陸に引けを取らない人材が欲しい。百済が北魏で学ばせたものの、余りに
優秀すぎるために、持て余していた五経博士・段楊爾(だんように)を1年かけて、
この3ヶ国と交換して貰うことに成功した。
百済と、「優秀な人材との3国交換」に時間を割いている間に、高句麗が急遽
南下侵入し、百済の北方の守りの、2城を壊滅して引き上げた。
百済は南方3ヶ国を獲たばかりに、北方の2城を失ってしまった。
倭国には、北伽那に興味がないことがハッキリしたことで、大伽那を中心に
纏まりを図っていたところ、かつて倭人を恐れていた新羅人、特に慶州人は
好機と見て、新羅の智証王が攻め込んで、洛東江以東を支配してしまった。
新羅と金官伽那の戦いが迫った2年後、倭国の宗像や物部水軍の救援隊が
加わり、浦項に上陸し、都の 慶州(古代には金城・クムソン)
を襲撃して引き上げた。
背後からの奇襲作戦は大成功であり、この戦いで智証王は傷死した。
翌年、新羅では若い法興王が王位に就いた。
★・★・★・★・★・★・
<新羅の都・慶州(キョンジュ)の仏国寺石窟庵:WEBより>
★
(呆けの写経は続く)
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