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「 こころの友 」 の写経シリーズ
・ 8.1 私のProfile ・
以下においては、ブロッガー本人世代までの
画像・文章は残してありますが、次世代のものは
全て外しました。
小生としては、PRIVACYには興味がありません。
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・・・ 今までのブログで「分割してある画像が見づらいときの注意」・・・
その画像部分にマウスを当て、右クリックして
「新しいタブで画像を開く(I)」
を選択すると
新しいタブとして選択した画像だけが大きく開きます。
そのタブをクリックすれば、中の文字も鮮明に見えます。
・・・・・・・・・・
本文には次の5つのJPGファイルが填め込まれています。
aed0167f00865b110d5d0f21b9cbc・・.JPG
9feb4c757ef6606ae0bd3e4183f485・・.JPG
f34a41d2f32d949d47bd24143af3c6・・.JPG
266f70697983bd59f7897503db202・・.JPG
e4bb8cae50000f89788d24ff6bf052・・.JPG
これ以外の画像は、本文にはないはずです。
右クリックした段階で新しいタグが上方にできるので
クリックして「原寸大のHPの分割部分」をご覧下さい。
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番外の画像:土佐の生んだ経済人
岩崎弥太郎(WIKIPEDIA)
1835.1.9-1885.2.7
土佐国安芸郡井ノ口村(現・高知県安芸市。赤塗り部分)生まれ。
地下浪人(ジゲロウニン=生活難渋のため郷士の地位を百両くらいで
売った浪人もの)の子として生まれるが、藩主から文才を認められ、
江戸に遊学、父の酒席での喧嘩・投獄で帰郷し、冤罪を訴え
自らも投獄されたが、そこで算術・商法を同房の商人から伝授。
出獄後、蟄居中の吉田東洋の少林塾に学び、後藤象二郎らの
知遇をえる。東洋が参政となると長崎に派遣される。
東洋が暗殺されると、犯人探索に派遣される。
京大阪での犯人探索の任務放棄・長崎放蕩で役職を辞す。
坂本龍馬が脱藩の罪を許され、長崎で「亀山社中」を設立し、
海援隊が土佐藩の外郭団体となると、
後藤象二郎に藩の商務組織である土佐商会の長崎留守居役
に任じられ、経理役を担当する。不仲といわれたとはいえ、
二人は酒を酌み交わし、弥太郎は多額の餞別を龍馬に贈っている。
土佐商会が閉鎖後、大阪の藩の出張所、大阪商会に移り、
そこを九十九商会と改称し、海運業に従事する。
廃藩置県後、後藤象二郎の肝いりで、土佐藩の旧債肩代わりで
船2隻を所有し、三菱商会を個人創業。
新政府が紙幣貨幣統一することの情報を
後藤象二郎から極秘に知った弥太郎は
藩札を大量に買い占めた。
それを新政府に買い取らせて、莫大な利益を得た。
台湾出兵(1878)、西南戦争(1877)でも利益を殖やしたが、
大久保利通暗殺(1878)、大隈重信失脚(1881)で後援者を失う。
その後、渋沢栄一などが共同運輸会社を設立し、三菱と対抗した。
ライバルとの競争の最中、51才で病死した。
弥太郎の死後に、彼の補佐役として尽くしてきた、弟・ 弥之助
(1851.2.8-1908.3.25) が指揮を執り、
敵対勢力と、政府の後援で合併し日本郵船ができた。
同社は三菱財閥の源流といわれる。
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上記が見づらいので、右クリックして
新しいタブで画像を「原寸大」に開いて見てください。
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<以上はWIKIPEDIAなどを抜粋>
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本文
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「 こころの友 」 の写経シリーズ
・ 8.2 : 私の Profile ・ 最終版
に続く
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