PR
Calendar
Keyword Search
Comments
Freepage List
Category
小生は、なぜか「生産的な」とか「非生産的」なというような
「非生産的な言葉使い」に拘る。
「華奢な若者」は、タレントなどのサービス業が好きなようであり、
”非生産的な分野”を選びたいようである、というように。
それを選択するのも重要な合理的価値判断であろう。
「生産的」や「非生産的」という価値判断はGDPの世界では
すでに無用であり、希少性から順序付けられる価値として
概念づけられているのである。
ただし、「希少性」故にだれでも選ぶことが出来る分野でなく、
「だれでも出来る希少性の少ない分野」はいくらでも広がるだけに
経済的合理性が通用しない分野となろう。
呆けの小生には、CES生産関数 * が「生産効率」に「希少性」を
どのように取り込んでいるかは判らない。希少性を考慮した後に、
要素の代替性を勘案するのだろうか。
*Constant Elasticity Substitution Production
Function
ただ、希少な資源(=生産要素)の組み合わせを手段として最適に
生産活動を行い市場に供給し、生産要素に分配する行動を、
需要・供給の市場を通じて最適化する経済体制を分析したい。
代替性においては、捨てられる代替物を完全に知っていて
合理的に選択することを意味する。
このような知識を前提とした合理的仮定のもとに、 個人 は
自分の選好内容を「 選択において順序付けが可能 」であると見る。
経済学は、経済目的選択の意味内容を把握し、それらの価値に
順序づけをおこない、最良の選択をアドバイスする点で、社会科学
足りうるのである。
個人が順序づけ可能な価値を判断するのだから、
別の個人には適用されないというわけでもない。
合理的な仮定をとるということは対象となる人間の合理的行動を
観察するのであり、そこでは個人主義でありながら、人間全般に
適用しうるものと解されよう。
さらには、個人的自由主義にとどまらず、 社会 の福祉・厚生などまでに
視野を広げれば、社会改革という「 規範的な選択の概念 」を
取り込まなくてはいけない。
ここには、個人としての「相対的価値判断」と
それを超越した社会の「規範的価値判断」、
両者の「 二重構造 」を社会科学としての
経済学は取り込まなくてはいけない。
つまり、・・・
財の希少性のなかで分業により、生産効率をあげるという
< 効率=Efficiency >、
社会全体が希少資源から最大限の恩恵をうけることも大事だが、
それによる経済的繁栄が社会構成員(=生産要素構成員)の間に
公平に分配されるか等の
< 公平性=Equity >,
の両面=「 経済的効率 」VS「 社会的公平性 」の トレード・オフ を
研究することも大事である。
EconomicsからPolitical Economicsへの昇華が
経済学を学ぶ姿勢でありたい。
・・・だれかの「 経済学の本質と意義 」に書いてあったかも。
だれか=ライオネル・ロビンズである。
脱線した!
/////////////////
追補1:
最近のTVを賑わす話題が「自分を辨えない犯罪」である。
通常ならば、近寄ることもままならない見も知らない女性に対して、
まるで恋人でもあったような錯覚を起こす時代である。
通常ならば自分の財布にお金が少なければ「希少性」から節約するが、
泡のようにお金を使える身分になると、公のお金を遠慮無く使う癖となる。
「希少性」という概念で「相対的価値判断」をするのが人間である。
個人は「希少性」の観点で「相対的に価値判断」するものであるが、
TVの普及で「希少性」感覚が薄れて自分が見えないようになる。
本来は「希少性」を発揮できない人物が「希少性」を誤って発揮し
犯罪を起こすように思う。
すこしでも自分の「希少性」を発揮しうる特性を持ちたいモノである。
自分の「希少性」を見つめ直すことで、
他人の「希少性」にも気づくのではないだろうか。
「希少性」を感じなくなった場合に、自分のお金でない「公金」の
「規範的価値判断」も忘れてしまう人もいるようである。
★
お恥ずかしいが、小生は田舎モノで勉強などは受験の高校時代でも
しないから、親父に高校の英語教師を家庭教師にあてがわれたほどである。
そのときは全国模試でせいぜい300位くらいだったろうか。
時期は異なるが、全国2位?を譲らなかったという人が
現在の有名な都知事であり、
学生時代は「希少性」を理解する節倹な学生であったが、
地位が高まるにつれて「希少性」をすっかり忘れたようである。
ついでに「 規範的価値判断 」も「 第三者任せ 」になってしまった。
人間とは 金に慣れると価値判断が鈍る 恐ろしいイキモノである。
またまた、脱線した!
★
追補2.
「社会的公平」を追求する段階で、なぜ理想主義者の
ライオネル・ロビンズが共産主義、社会主義的な公平を
選ばなかったのであろう。
//////
いや、一時はそれらにも期待を寄せた時期はある。
しかし、財産の国有化、産業統制を労働組合に任せる
と言うところで彼らの理想は「尻切れトンボ」に終わっているのに、
彼らは何も疑問に思わない・・・それにロビンズは失望したのである。
「資本論」が「尻切れトンボ」であることに失望したと、言えるかも。
///
資本論物語のエピローグで、主人公が不在となり、読者が都合良く
物語の終末の筋書きを書き加えるという不気味さ・・・
///
富が国有化されても、「国民に公平に配分される方法」は
捨て置かれている。
国有化した富には、
どう猛で専横なライオンがかぶりついているだけかも知れない。
このことは、現共産主義国家のトップが牛耳る社会の仕組み
を観察すれば一目瞭然である。
公平を目途としている? No!
自分の家族を優先したり、
自分の主義を優先したり、自分の会派を優先したりするなどを
世間に露出している? !
/////
そしてロビンズは、再び個人的自由主義にもどり、
社会主義とは違うが、社会改革の意志は固く、「効率」と「公平」を
トレード・オフの関係で検討したのである。
個人主義を尊重しながら、社会的な公平をいかに保っていくのかの
バランス感覚が、極めて緻密に検討されている。
呆けが言っても仕方がない。
★
2024年10月31日 に[S. Dogders] が 「… Oct 30, 2024
Ⅰ.私立大病院の診察~1.腰部は脊柱管狭… Oct 3, 2024
Ⅰ.2024年8月分の鉱工業生産指数 &… Oct 2, 2024