PR
Calendar
Keyword Search
Comments
Freepage List
Category
国名:トルコ共和国・・・第一次世界大戦WWI以前(その1)
略史<外務省、WIKIPEDIAなど>
年月 |
略史 |
---|---|
10世紀後半 |
中央アジアから遊牧民・トルコ語系民族が西に移動 |
11世紀 |
遊牧生活を送りながらイスラム教に改宗し、アフガニスタンとイラン付近に セルジューク朝を建国(1038年) 、1040年にはダンダーナカーンの戦いでホラーサーン地方(現トルクメニスタン)を治め、さらに、イラン(1050年)・イラク地方(メソポタミア)に拡大、イスラム系の世界で重要な都市バクダードを征服(1055年)し、首都に定める。アッバース朝カリフからスルタンの称号を得る |
1071年 |
セルジューク帝国が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)にトルコ東部のマラズギルトの戦いで勝利し、コンスタンチノープルに迫る アナトリアではセルジューク王権を好まないテュルク系が流入しトルコ化が進む。 セルジューク朝の権威は西にはアナトリア、シリア、ヒジャーズにおよび、東にはトランスオクシアナ(アム川とシル川の間=現・ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン南部、クルグズスタンの一部)までの、中央アジア~地中海にわたる大帝国に及んだ。 アナトリアに流入した トゥルクマンの一集団( =テュルクに似たものでその一部が」セルジューク朝などイスラーム王朝を建設 )が聖地エルサレムを占領したことで、西欧にトルコ人がキリスト教巡礼が妨害される噂が流れ、東ローマ皇帝が西ローマ教皇にアナトリア奪回の援軍を要請し、1096年の第一回十字軍が編成される。 1099年には第一回十字軍にエルサレムを奪回される。 内紛を経て1123年には大セルジューク朝が復活したが、第8代スルタンのサンジャル(在位1118-1157)を実質的な最後の王として分裂状態となる。 |
14世紀 |
セルジューク帝国が絶滅記に入る中でアナトリア地域に小国家(藩のようなもの)が乱立するが、マルマラ海(イスタンブール南)の南に 1299年に出来たオスマン藩 (オスマン1世)が近くの藩を次々と征服し、トルコ民族として初めてダーダネルス海峡を渡海し、ヨーロッパ大陸に国土を拡大 |
1453年 |
コンスタンチノープル(東方キリスト教会の拠点)を東西から包囲したオスマントルコのメフメト2世が陥落させ、ビザンツ帝国を滅亡させる <西側はポルトガル、スペインの大航海時代(15C半ば~17C半ば)> |
1473年 |
バシュケントの戦いでアク・コユンル朝(=白羊朝・・・東部アナトリア、イラク、イラン、アゼルバイジャンを支配したオグズ・トルクメン系王朝)に勝利 |
1514年 |
チャルディラーンの戦いでサファヴィー朝(白羊朝を破った王朝で、現在のイランを中心とした地域=ペルシャを支配したシーア派の十二イマーム派を国教とする王朝)に勝利 |
1517年 |
エジプト征服、マムルーク朝(エジプトを中心にシリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝、スルタンが奴隷身分の騎兵=マムルーク出身)の滅亡 |
1526年 |
モチーハの戦いでハンガリーを領土 |
1656年 |
オスマン帝国の世襲貴族キョプリュリュ家の首相・時代 でオスマン朝はバルカン、アナトリア、メソポタミア、北アフリカ、アラビア半島にまで及ぶ最大版図(ウイーン~スーダンまたはコーサカス・カスピ海~アルジェリア)を支配・・・<中東中心の支配体制> <西側はルネッサンス(14~16C)で栄える> |
1699年 |
カルロヴィッツ条約でハンガリーを失う |
1703年 |
アメフット3世即位、チューリップ時代(~30) |
1768年 |
第一次露土戦争(~74)、キュチュク・カイナルジ条約締結(露の勝利、クリミヤ半島ほかは露領に併合) <西側は産業革命(18C半ば~19C)で隆盛> |
1839年 |
ギュルハネ勅令発布、タンズィマート改革始まる (カリフ制宗教国家からの近代化勅令) |
1876年 |
ミドハト憲法発布、ミドハト・パシャ大宰相(~77)(西洋列強の干渉を避ける近代的な憲法) |
1908年 |
青年トルコ大革命(青年将校らがスルタンに専制政治を放棄させた)、ミドハト憲法復活 |
1914~1918年 |
WWI・・・連合国側の勝利 ・ 連合国 (協商国)=フランス共和国、イギリス帝国、ロシア帝国、セルビア、モンテネグロ王国、ベルギー、イタリア王国、日本、ルーマニア王国、ポルトガル共和国、アメリカ合衆国、ギリシャ王国、中華民国、ほか多数 ・ 中央同盟国 (同盟国)=ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、 オスマン帝国 、ブルガリア王国 |
(その2)に続く
★ 参考1 ★WIKIPEDIAから
< セルジューク朝(1038~1308年)最大版図・・・1092年 >
★
★ 参考2 ★
・< オスマン帝国(1299~1922年)最大版図・・・1683年 >
★
★ 参考3 ★
< イスラム帝国(=622~1258*年;サラセン帝国・大食)の最大版図 >
・ ムハンマド下に於ける領土拡大 622~632年
・ 正統カリフ時代に於ける領土拡大 632~661年
・ ウマイヤ朝時代に於ける領土拡大 661~750年
* イベリア半島ではイスラム侵入(711年)から
レコンキスタでのグラナダ陥落(1492年)となり、
同半島から離脱、
9世紀から統一は次第に地方で失われていき、
1055年にはセルジューク朝にスルタンの称号を授与し、
カリフとして名目的にとどまるものの、
1258年、モンゴル帝国によりイスラム帝国は滅亡
以上は漠然とした説明に過ぎない。
より正確には、WIKIPEDIAをご覧下さい。
★
★ 参考4 ★
・< モンゴル帝国(1206~1634年) の最大版図 >
★
セーシェル共和国の基本情報の更新と同国… Apr 10, 2021 コメント(3)
ミャンマー連邦共和国の基本事情(202… Feb 7, 2021 コメント(4)
「ナイジェリア連邦共和国」の資料改訂 Dec 18, 2020