めいてい君のブログ

めいてい君のブログ

PR

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

Category

寄稿(宇治見、マドレーヌ、トキめき橋氏ほか)

(64)

自由が丘氏寄稿文

(189)

Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など

(326)

政治・経済(国内統計etc.)

(654)

世界、国際比較(国際統計etc.)

(224)

生活全般

(125)

基本事情(各国)

(114)

アジア州

(248)

ヨーロッパ州

(275)

北米地区

(182)

中南米地区

(112)

オセアニア州

(95)

中東地区

(51)

アフリカ州

(126)

宇宙の不思議・開発etc.

(71)

気候変動など

(7)

津波・自然災害

(30)

自然の脅威、驚異etc.

(46)

資源・エネルギー(陸・海洋etc.)

(49)

発電・原発事故・放射能事故

(74)

金融(事件含む)

(128)

PC・家電

(229)

スポーツ・余暇・車

(262)

栄養・健康

(142)

病気・伝染病など

(182)

事故・災害

(102)

福祉・厚生・年金問題

(59)

公害

(15)

流通(商品)・廃棄関連

(17)

新技術

(30)

友人・知人・地縁等

(40)

土佐の高知

(63)

(49)

お墓・葬儀・戸籍

(24)

ガーデニング&DIY

(14)

TV番組

(15)

海外旅行

(6)

国防/テロなど

(41)

財政・税・電子証明など

(28)

自治体、地元、遺産など

(37)

店舗

(6)

公衆道徳/法律など

(26)

裁判/調停

(7)

宗教

(21)

ブログ

(31)

テンプレート(表形式etc.)

(3)

DVD収録など

(6)

ホームページ、ウエブ会議など

(48)

祝い事など

(13)

会社時代

(22)

学生時代

(7)

物語り

(43)

経済学研究

(26)

思考紀行

(73)

作業中マーク(終了次第削除)

(0)
Feb 7, 2021
XML
カテゴリ: 基本事情(各国)

​​

​19869年6月国名変更ビルマ→​
​ 仏教の国ミャンマーがクーデター

(仏: coup d'État)で揺れている。

 資料が古くなったので更新したい。






アウン・サン・スーチー氏が大統領になれない
制度的設定とは、
「ミャンマー以外の国籍を持つ子供が居る人は
 大統領になれない」
彼女は、英国人の夫との間に二人の子供が居る。




 旧日本軍が英国軍と対立し、ビルマ人の

仏教徒を支援し、英国軍がムスリム(ロヒンギャ)

を支援した経緯があり、そのしこりが尾を

引いている。

 英領のビルマ(現在のミャンマーとインド北東部)

で旧日本軍はインパール作戦で機先を制せんとしたが、

​へいたん​                ずさん
日本軍の兵站を無視し、精神論で杜撰に戦った

「ウ号作戦」 はことごとく失敗に終わり、

その撤退路は ​白 ​道​​ と呼ばれた。

​「史上最 の作戦」​ の別名があり、

ビルマの地での
日本軍将兵の死は16万人に及ぶ。

**********

(以下はWIKIPEDIAからの引用が大半である。)



ミャンマー西の国境(バングラデシュ東端)のロヒンギャ居住地区

​​​​​


 上記で見られるパゴダ、パトー(仏塔)群は
一般信者・在家信者が寄進、運営する。
出家の僧侶(和尚・ポンジーや見習い僧・コーイン)
が修行をおこなう寺院(ポンジーチャウン)・僧院
は別物である。



めんでん
ビルマは中国では漢字で緬甸と書かれた。
略称は日本でも「緬」が用いられた。
たいめん
泰緬鉄道=タイとビルマを結ぶ鉄道、
えいめん
英緬戦争=英国とビルマの戦争など。
​​​

背景

イギリスは1600年に東インド会社を設立した。
以降、継続的にインド、特に東部のベンガル地方
を植民地化。
東インド会社は19世紀初めまでにインドの大半を
支配下に置き、インドの盟主ムガル帝国の衰退は
著しかった。
ビルマは、1752年にアラウンパヤーが建てた
コンバウン王朝が興って以降、領土拡張を目指
して隣国シャムや清の雲南に侵攻を繰り返し、
西隣のインドをイギリスが駆逐する様子を見て、
これに乗じて領土を西方へ伸張を試みた。
 1818年にビルマ王はベンガル地方の東半分の
割譲を要求、イギリスは応じなかったことから、
1822年にビルマ軍はベンガルに侵入。
しかし、これは産業革命によって領土を一層欲す
イギリスを刺激する非常に無謀な行為だった。

第一次英緬戦争

1824年にイギリスがビルマ攻撃を開始、1826年
ヤンダボ条約を結び、ビルマはベンガルを諦め、
自国の最南部アラカンとテナセリムをイギリスに
占領された(第一次英緬戦争)。

​イギリスの貿易政策・拡張政策はさらに進み、
アヘン戦争(1840年 - 1842年)勝利で中国(清)
を開国、シク戦争 (1845年から1846年第一次、
1848年から1849年の第二次)の勝利でインドの
ほぼ全域を掌握し、イギリスの目は再び隣国ビルマ
に及ぶことになる。(雲南問題)
<​
​​ イギリス東インド会社と北西インドを支配して
 いたシク王国(シク教徒)との間に起った二次に
 わたる戦争。>

第二次英緬戦争

1852年、イギリスは再びビルマに侵攻ペグー占領、
海に面す下ビルマを自国領に併合(第二次英緬戦争、
Second Burmese War)。

イギリスはビルマ南部を手に、一層東アジア進出を
し、アロー戦争(1856年~1860年)でフランス
と共に清をさらに圧迫、有利な交易を展開した。
1857年インドのセポイの反乱を鎮圧しムガル帝国
を滅亡させ、1858年に東インド会社を解散させて
植民地経営と東方交易をイギリス政府の直轄とし、
1867年マライ海峡植民地を直轄領し制海権を手に、
フランスも同時期にベトナムへの侵略をはじめ、
清仏戦争(1884年~1885年)でインドシナの支配
権を確立。オランダはジャワ島からスマトラ島を
攻略して一大植民地を建設した。

第三次英緬戦争

1885年11月、イギリスはビルマ完全支配を目指し
三度目の侵攻を開始、翌1886年にはビルマ王が
イギリスに降伏し、上ビルマもイギリス領に併合、
イギリス領インドに組み込まれた。
一部の将兵がイギリスの占領に反攻戦闘を続けたが、
1890年完全に鎮圧、戦争が終結(第三次英緬戦争、
Third Burmese War)。
ビルマ王朝は滅亡し、1886年イギリス領インドに
併合されてその1州となる。
ビルマ国王夫妻はイギリス領インドのボンベイ流刑、
その地で死亡。王子は処刑、王女はイギリス軍士官
の従卒に与えられた。

​そして1886年7月、イギリスは北京にて清朝と
「ビルマとチベットに関する条約」を締結。
本条約では、
ビルマについては清朝はイギリスのビルマ併合を
認めビルマへの宗主権を主張しない、
清朝とビルマ間の朝貢貿易は引き続き行われる
ことを取り決めた。
同時に、清朝側のビルマに絡むこれらの譲歩の

​しふうじょうやく、チーフー条約、英語:Chefoo Convention、中国語:烟台条约)​

代わりに 芝罘条約 で取り決められたチベットへの
使節派遣特権及び通商権をイギリスが放棄する
ことを取り決めた。

ビルマは1937年にイギリス領インドから分離し
自治領となったが、完全な自主独立の回復は
1948年1月4日にイギリス連邦を離脱してから。




インパール作戦:WIKIPEDIA


ミャンマー付近の地図


インパール付近(インド北東部マニプル州都)



**********



讀賣新聞7~8面から
2021/2/5





​​​

ヤンゴン=旧名称「ラングーン」






以上、讀賣新聞2021/2/5朝刊国際面、経済面





讀賣新聞 2021/2/09 05:00



  ミャンマーの中国へのパイプラインは

1.米軍によるマラッカ海峡封鎖の場合に

  中東方面からの原油を供給(2017年から)

2.同じく、ミャンマー沿岸で採掘した天然ガス

  を送るパイプが並走(2013年から)・・

そのほかにも、中国がミャンマー西岸の深海港

を対インド戦略で利用、経済回廊建設、中国製

対潜ミサイル・戦闘機などの供給先として中国は

ミャンマーが重要な友好国なのであり、

ミャンマーの軍事政権、スーチー政権の両面を

支援せざるを得ない。





★​​


ミャンマー連邦共和国の基本情報(2020年)

  <外務省、新聞社>

国名

ミャンマー連邦共和国

日本国外務大臣談話

本日(2021年2月1日)、ミャンマーに
おいて、
緊急事態が宣言され、民主化プロ
セスが
損なわれる事態が生じていることに
対し、
重大な懸念を有している。
また、本日
拘束されたアウン・サン・
スー・チー
国家最高顧問を含む関係者の解
放を求める。

日本政府は、これまで、ミャンマーにおけ
民主化プロセスを強く支持してきてお
り、
これに逆行する動きに反対する。
我が国は、
ミャンマーにおいて民主的な政
治体制が
早期に回復されることを、改めて
国軍に対し
強く求める。

在ミャンマー日本大使館を通じ、在留邦人
対して、情報提供、注意喚起の対応を行
って
いるところであり、これまでのとこ
ろ、在留
邦人に被害等が出たとの情報はな
い。

引き続き、ミャンマー側に対しても邦人の
安全確保を要請しているところであり、
人の安全には最大限の注意を払っていく。

略史

諸部族割拠時代を経て11世紀半ば頃に最初
ビルマ族による統一王朝(パガン王朝,
1044年~1287年)が成立。 その後タウングー王朝,コンバウン王朝等
を経て,
1886年に英領インドに編入され,
1948年1月4日
に独立。
(1600年からは別記上述)。

​1962年 クーデターで発足 の社会主義経済政策のネ・ウイン政権​ は、閉鎖的経済政策失敗などで、
1988年9月 国軍の
クーデター に倒れ、アウン・サン・スーチー氏は国民民主連盟・書記長となり、経済開放に転じたものの硬直的​ な経済構造が障害となった。89年6月に国名をビルマからミャンマーに変更。

​​ 更に、スーチー氏の拘束が米国、ECなどの 経済制裁措置の強化を招き、国内産業の打撃と なった。
2010年11月の総選挙で連邦連帯開発党が
8割の議席を得、 スーチー 氏の自宅軟禁も解除され、 ​​翌11年​ 3月に軍事政権を解除、
元軍人のテイン・セイン による 民政移管 が​​
発足した。
米国の経済制裁も緩和に向かっている。
新政府は軍関係者が多数を占めており、実
質的な
軍政支配が続くともみられた。
軟禁状態を解かれた
スーチーは、政治活動の再開をめぐり 政府との軋轢もあったが、7月になり両者の対話が 実現、国家の発展のため協力し合うことで合意。
10月12日には政治犯を含む受刑者6359人
が恩赦に
よって釈放された。
11月4日、テイン・セイン大統領は、政党
登録法
の一部改正(服役囚に党員資格を与
えないとした
条項の削除)を承認。
また2008年憲法の「順守」
を「尊重する」
に緩和した。

11月25日、NLD は全国代表者会議 を開き、長年認められなかった政党(野党)として の再登録を完了した。
年内にも行われる国会補選に
​参加すること
を決めた。
その後、 2016年3月 30日​
NLDが選出したティンチョーが54年 ​ぶり 文民大統領、ス-チー氏が国家顧問に就任。
2021年2月1日、​
軍事クーデターが発生 、ミャンマー国軍総司令官が 全権を掌握した。
*******
旧日本軍が仏教徒主体のビルマ人を支援し
英国からの独立を支援し、英国はムスリ
ムを
組織して奪還作戦を展開したことが発
端で
ロヒンギャ問題は根が深い。
日本は中国と並び
ミャンマーへのODA最大
拠出国である。
​​​

通貨

チャット(Kyat)

1ドル=1320.9チャット
(中央銀行レート)
(2020.12.1)

国花

サラノキ、カリン(マメ科)、

「沙羅双樹の花」
日本の菊、桜に相当と言われる

国旗

上から黄色、緑、赤に塗られた三色旗の上
に、
大きな白星が描かれている。黄色は国
民の団結、
緑は平和と豊かな自然環境、赤
は勇気と決断力を
象徴し、三色の帯にまた
がる
白星はミャンマーが
地理的・民族的に一体
化する意義を示している。

面積:平方キロ

680,000平方km

日本の1.8倍

人口

5,141万人 2014年9月
(ミャンマー入国管理・人口省発表)

人口密度:/平方キロ

75.6人

首都

ネーピドー(ネーピードー)
<旧名称:ラングーン>

2005年11月首都をヤンゴン
から北方300kmに
遷都

東京からの大気圏距離:
4,607km

時差:JST-2時間半

サマータイムなし

民族

ビルマ族(約70%)
その他多くの少数民族 ロヒンギャに国籍を
認めるかが最大の国際問題。

言語

ミャンマー語 、シャン語、カレン語、英語

宗教

仏教(90%)、キリスト教、イスラム教等

政体

大統領制,共和制

元首= 大統領

テイン・セイン
(軍事政権:任期切れ)

→ティン・チョー(NLD)
(2016.3.30就任)

<アウン・サン・スーチー党首の側近> →ウィン・ミン大統領

(2018.3.30就任)
→2021年2月1日
ミャンマー軍は大統領と
国家顧問を拘束し
全権を掌握したと発表。

これにより国軍最高司令官 が事実上の国
家の
指導者となった。
クーデター

​< ミン・アウン・フライン最高司令官>

*******
要件
ミャンマー以外の国籍を持つ子供を有するものは大統領になれない→スーチー氏の大統領になれない理由

議会

​​

二院制

上院(民族代表院) 定数224(選挙議席
168、軍人代表議席56)
下院(国民代表院) 定数440 (選挙議席
330、軍人代表議席110)

​<軍人が議員の1/4を制度上保有>​
​​

​政権
クーデターで
軍事政権下

<クーデター直前>

(1)元首 
ウィン・ミン大統領

国家最高顧問、外相

 アウン・サン・スー・チー

副大統領

 ミン・スエ

副大統領

 ヘンリー・ヴァン・ティオ

下院議長

 ティ・クン・ミャ

上院議長

 マン・ウィン・カイン・タン

(2) 1990年には総選挙が実施され, アウ
ン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連
(NLD)が圧勝したものの,政府は民政
移管のた
めには堅固な憲法が必要であると
して政権移譲を
行わなかった。スー・チー
氏に自宅軟禁措置を課す
(2003年5月~
2010年11月13日)。

2008年5月10日,新憲法草案採択のための
国民
投票を実施(一部地域は24日に実
施)。
92.4%の賛成票で(投票率99%)
で新憲法承認。

2010年11月7日,総選挙が実施されたが,
スー・チー氏率いるNLDは総選挙をボイコ
ット。

2012年4月1日,議会補欠選挙が開催され,
スー・チー氏率いるNLDが45議席中43議席
を獲得。

(3)ティン・セイン政権による、少数民族との対話
は、
主要10民族(カレン民族同盟<KNUな
ど>)とは
停戦協定は結んだものの、政治
的対話は進まず
、戦闘状態のカチン独立機
構<KIO>とは交渉が
正式に進まない停滞
状態にある。カレン州、
シャシ州で小競り
合い、衝突があり死傷者が出て
いる。民主
化、経済自由化と共に、少数民族との
和解
を改革の主柱とする大統領の和平協議は
足踏
み状態にある。

(4)2015年11月の総選挙でNLDが上下両
院の
過半数を占め、憲法の制約で大統領に
なれない
スー・チー氏に最も近いティン・チョー氏が
来月には大統領
に就任となる。
(5)2016年3月30日、
アウン・サン・スー・
チー氏側近のティ
ン・チョウ氏を大統領とする
新政権が発
足。アウン・サン・スー・チー氏は、
国家
最高顧問、外務大臣及び大統領府大臣に就
任。
ミャンマーにおいて約半世紀ぶりに国
民の大多数
の支持を得て誕生した新政権
は、民主化の定着、
国民和解、経済発展の
ための諸施策を遂行。

(6)2018年8月25日、ラカイン州北部に
おける
治安拠点への連続襲撃事件が発生。
その後の情勢
不安定化により、70万人以上
の避難民がバングラ
デシュに流出。
(7)2020年11月8日、総選挙開催。アウ
ン・
サン・スー・チー議長率いるNLDが再び大勝。

​<クーデター>​

(8)2021年2月2日、ミャンマー国軍は、
軍幹部ら16人による 国家行政評議会 を設置
した
と発表した。この機関は閣僚の人事権
も握って
おり、軍事政権における行政の最
高機関になって
いるとみられている。

軍事

(1)予算

23.5億ドル(2019/20)
***
年度:10月1日~翌年9月末
***

(2)兵力

40.6万人
(2020年版ミリタリー・バランス)
***********
​<軍人が国会で1/4の議席を保証され、憲法改正には3/4以上の賛成が必要であり、憲法上の優先権が自動的に軍事政権に与えられている。>​

主要産業

​農業、天然ガス、製造業​

GDP

約772億ドル(2020/21年度、IMF推計)

一人当たりGDP

1,441ドル(2020/21年度、IMF推計)

実質GDP成長率

5.7%(2020/21年度、IMF推計)
(6.5% 2019年 IMF-讀賣新聞)

物価上昇率

6.2%(2020/21年度、IMF推計)

失業率

​約4.0%(2020/21年度、IMF推計)​

輸出

約171億ドル
ミャンマー中央統計局
(20189/19年度)

輸入

​約181億ドル​

輸出 品目

​天然ガス、衣類、米、豆類、鉱物​

輸入 品目

​機械類、精油、製造品、化学品、食品​

輸出 相手国

中国、タイ、日本、米国、インド、
ドイツミャンマー中央統計局
(2018/19年度)

輸入 相手国

中国、シンガポール、タイ、
インドネシア、マレーシア、インド

対日輸出
(2018/19年度)

14.2億ドル

内訳

​衣類、魚介類、農産品​

対日輸入

​4.8億ドル​

内訳

​自動車、機械類​

二国間関係

歴史的な友好関係を基に、二国間関係を包
括的に強化。
2011年以後のテイン・セイン政権による改
革の進展を受け、同国における民主化、経
済改革及び国民和解の進展を後押ししてき
た。2016年3月、国民の大多数の支持を受
ける形で、アウン・サン・スー・チー国家
最高顧問率いる新政権が発足。
地政学的重要性及び経済発展への大きな潜
在力を有する同国の安定は、地域全体の安
定と繁栄に直結するとの認識に立ち、ミャ
ンマー政府による民主化、国民和解、経済
発展のための取組を、官民を挙げて全面的
に支援する方針。

日本からの直接投資 (ティラワ経済特区経由
及び第三国経由を除く)

768百万ドル(2019/20年度)
ミャンマー中央統計局

​​ 日系進出企業:436社
2021/1/31
JETRO(10年で8倍超)
​​

在留邦人

3,505人
(2020年12月現在)

在日ミャンマー人数

32,049人· (2019年






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Feb 9, 2021 11:06:49 PM
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: