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「人生に失敗はない」私が何度もこれまで書いてきたテーマなのでまた〜という感じもありますがでもこれを頭での理解でなく腹で理解している人は、少ないなあと感じます。私たちは人生の中でいつも選択や決断を行っています。結婚するかどうか、仕事をやめるかどうか、子供を生むかどうか新たなビジネスを始めるかどうかなど、その決断によって大きく人生が変化するような時だけでなく人生はあらゆる瞬間において、選択の連続です。キネシオロジーのセッションの中でこの選択や決断が苦手な人を見ていくと最もあがってくる感情が「失敗することの恐れ」です。失敗への恐れがある、ということはこれまでの人生での選択に何か失敗があった、と感じているということです。そして、その根底には、人生には到達するべき目標や何かがあってそこにすぐに到達しなければ、失敗だと認識する、ということを意味します。ですが、人生はすべてプロセスです。例えば、ある人が今、Aの仕事にするか、Bの仕事にするか迷っていたとして本当の問題はどちらを選ぶか?ということではないのです。もしその人が迷ったあげく、Aの仕事を選んだとしてそれが上手くいかなかったとしたら「やっぱりBを選ぶべきだった」と後悔するかもしれません。その後悔を経験をすると、次はなかなか決断できない人になってゆきます。でも、実際は、もしBを選んだとしても上手くいかなかったかもしれないしAを選んでやってみたことで、そこから何かを得て新たにCという道が見えてくることもあるのです。上手くいかないことから学ぶことは、とても大きいのですが多くの人は最初から上手くいくことをよしとしてしまいます。自分の天職や使命を知りたい、という人は多いですが人が最も喜びに満ちてできる仕事を天職と呼ぶとしたらその天職にたどりつくために、他のことを学ぶ必要があることもあります。これも何度か以前に書いてきましたが今のヒーリングやセラピーの仕事は私にとっての天職だと思っていますがここに辿りつくまでにシンセサイザーのデモンストレーターや楽器の営業職やホステスや塾の講師やバーテンダーやウエイトレスなどいろんな仕事を経てきました。それらの仕事をやっている時に、これが天職だ、とは感じていなかったですがそれでもベストを尽くしてきたし、最大限に楽しんできました。何よりそれぞれの場所での人間関係やコミュニケーションから学んだことは今の私のヒーリングの仕事にすべてプラスになっていてそこでの学びがなければ、今の私はなかったと思うのです。もちろんこれは、ヒーラーになるためには、いろんな仕事を経験しなければということではありません。人によっては、一足飛びにヒーラーやセラピストへの道を歩む人もいるでしょうしそれはそれでその人にとってベストの道なのです。例え、今あなたが何をやっていたとしてもそれはあなたの人生で必要なプロセスです。ですから、決断できない人の問題は、どちらを選ぶか、ではなくなぜ決断できないか?ということにあります。例えば、AかBか迷っていて、サイキックや占いの人にあなたは「Aですよ」と言われて、Aを選んだとしても自分で決断できないことの問題はより深くなります。私のキネシオロジーのセッションで、その人の魂レベルではどちらを選択したいか?ということを身体に聞いていくこともありますがそれと同時に、その決断を防いでいるものが何かを見てそれを手放し、決断できる人になることが何よりも大切だと感じます。さて、決断できない人は本当の自分はどうしたいのか?が見えていないつまり前回書いたように内観の力の弱さとともに自分の選択を信頼することができない人が多いですが少し前に「自由でいたいという意識」のところで書いた他の人の感情にまで責任を取ろうとしている人も他者との関係において、決断力が弱くなります。会社で今後の新たな方針を決定する、などの大きな問題でなくても例えば、友人と食事に行くのに、自分がレストランを選ぶともしそのレストランの料理がおいしくなかったら困るなどと感じ、自分では決断できずいつも相手に任せるとしたらそれは、不要な責任を負っている、ということです。そういう人は相手がレストランを選んで、例えおいしくなかったとしてもいいのですが、自分が選んでおいしくなかったら責任を感じてしまうのでその責任(実際は負う必要がない)から自由でいるために、自分で決断できないのです。親が子供に対して、子供が失敗しないようにといつも気を使っているようなケースでは子供の決断力は弱くなる傾向にあり大人になっても決断できない人になってゆきます。親は、子供に対して「あなたは何をどうやっても大丈夫よ」と信頼し例え、上手くいかなかったとしても、あたふたせずにそれはそれで経験できてよかったね、というスタンスでいれば子供は失敗を恐れなくなるし、自分で決断することができるようになります。一方、キネシオロジーのセッションを受けて、多くの人たちが言われることの一つに「もっとこれを早く受けておけばよかった。なぜもっと早くこのヒーリングに出会わなかったのかしら?」ということがあります。すべてはベストのタイミングで起こることをよく知っているおさむでさえ「俺がもし子供の頃にこのヒーリングを受けていたとしたら小学校からずっと苦痛な学校生活を送る必要はなかったのに〜」と半分冗談、半分本気で言っていました。ですが、やはりヒーリングやセラピーを受けるタイミングもすべて完璧であって失敗はないのです。おさむは、その辛い子供時代を過ごしてきてヒーリングでそれらの抑圧された感情や思い込みを手放して人とコミュニケーションを楽しむ自分に変化したことでより今の喜びを感じることができるしそして、それは彼がセラピーをやっていく上で同じ問題を抱えた人たちの要因がどこにあるのかが見えてきます。(その問題を抱えたままでは、何も見えてきませんが)そして、私はそのおさむを通じて人とのコミュニケーションが上手く取れない人たちの問題に気づくことができるのです。例えば、自分への深い信頼、ということにおいて私はこれまでの人生で、何かができないから自分はだめだと感じたことは、たぶん一度もないように思います。キネシオロジーのセッションを始めたばかりの時も当然、筋反射を上手く取れないこともあったし、目標設定が上手くできないことも何度もありましたが、私にとってはそれはそういうもので、いずれ見えてくるだろうと思っていたので、どんどんセッションを重ねることができたしだからこそ、今、ここまでやれるようになったわけです。一方、おさむは、今は変わりましたが以前は、簡単に落ち込む人ですぐに「おれはだめだ〜」になってしまう人なので私はよく「ひゃ〜また落ち込んでる〜(エネルギーがよどんでいるので)近寄らんどこ〜」などと冗談で言っていました(←慰めないひどいやつ?)彼の場合は、何かが上手くできないということが自分への不信頼につながるのです。おさむだけではなく、簡単に落ち込んだり挫折する人は多いです。例えば、ヒーリングのクラスなどで新たな技術を学んできて実際に家族や友人にやってみると、クラスの中では簡単にできたことが上手くいかない、などということが起こります。そして、何人か続けて上手くいかないと「私にはこれは向いてない」とやめてしまう人が多いのです。たった3人ぐらいで挫折する人が多いので「3人挫折パターン」と私は呼んでいますがそういった人たちの何が根本的な問題なのか?例え、私自身の経験からはわからなくても、おさむや他の人たちを通じて、見えてきます。人はその1回の人生では、すべてを経験することはできません。ですが、出会う人たちを通じて自分が学んでいないものに気づくことができます。先日、クライアントさんで「夫と価値観が違うのですが」と言われた方がいらっしゃったのですが私から見ると、最初から周りの人たちと全く同じ価値観だなんてなんとおもしろくない人生かしら?と思います。違う価値観、違う人生経験、違う考え方、だからこそ自分が気づかなかった意識を知ることができて人生はより深く、豊かになってゆくのですから。一方で、また話がちょっとずれてしまうかもですが「人生に失敗はない」のは普遍的な真理ですがかといって「人は経験から学ぶ」とは限らないということです。苦労や辛い経験を超えた人が、何か真理を学んでいるわけではありません。ここを理解していないと、苦労自慢する人になったり困難を乗り越えなければ人として成長しないなどという歪んだ信念体系ができあがります。人は時にその経験から学ぶべきこととは、全く違うことを「学んで」います。あるクライアントさんでその方は、以前、自分がわくわくする分野で得意だと感じていたことを学んだ後それを仕事をしようとあらゆることをあれこれやってみたけれど結局、上手く行かず挫折して今は他にやりたいことを探しています、という方がいました。その方は、自分はさんざん努力してもだめだった、もう他には道がなかったと「その経験から学んだ」と思っているのですが身体の声を聞いてゆくと、要因は別のところにありました。上手くいかなかったのは、その人が、人からのサポートを得ることをせず自分だけの頭で考えて、あれこれやってきたことにあったのです。人が自分で知っていることなんて、ほんのわずかなものですがいろんな人の力やアイデアを得ることができれば自分の得意な分野でそれを生かしてゆく道が必ずあります。その人がその経験から学ぶべきことは「その仕事は自分には向いてない」ということではなく「自分一人でやらず、他の人とつながって人からのアイデアや力を得る」ということでした。でも、例えその方が今、キネシオロジーのセッションを受けなかったとしてもいずれ、あれこれと他の仕事を探してみて、結局、自分にはこれしかなかったということに気づくかもしれません。それが何年先か、今すぐか、の違いだけです。そして何年先になったとしても、そのプロセスもまた必要ということです。キネシオロジーは、その人の人生での学びのプロセスを加速させると私は感じています。時には、その人が何年もかけて気づいてくることをたった1回のセッションで気づくことにもなります。もしも、おさむが子供の頃にこういうセラピーを受けて人とのコミュニケーションを楽しむことができたとしたら全く違う人生になったことは間違いないですが結論から言うと、どちらでもいいのです。ゲームのステージ1からスタートするのもステージ7からスタートするのも両方のよさがあります。人生はすべて自分の選択の結果だとも言えるし、その選択するということも含めて人生はすべて運命で決まっている、とも言えます。ですから、小さな子供の頃にセッションを受けてもそれはそれでベストのタイミングです。わざわざ苦労や困難を経験してから、それを癒すというプロセスを経てゆく必要はありません。子供の頃からこういうセッションを受けていればより楽に人生を歩くことができますがまた別のレベルでの学びが必ず待っていますから。困難から学ぶ、というあり方ではなく喜びから学ぶというあり方です。人生は何かを達成したら終わりではなく、永遠にプロセスです。ですから、今、あなたがどんな場所にいても完璧であって何を選択したとしても、何一つ失敗はないのです
2013年10月29日
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東洋医学の主要経絡の中で、三焦経という経絡があります。腎臓に対応している腎経、胃に対応している胃経というように他の経絡が身体の器官に対応しているのに対し三焦経は直接の身体の器官には対応していない経絡です。この三焦経の調整が選ばれる時というのはその方が頭であれこれと考えて混沌としている状態だったり心が不安定な状態だったりまたは働き過ぎで過労の時だったりしますがその他、三焦経に関連する要因として「渇望」というのがあります。「情熱」が、満足に基づいたものであるのに対して渇望は、欠乏感に基づいたものです。渇望している限り、真の情熱は生まれてきませんから行動も今一つ、停滞してしまいがちです。引き寄せの法則や願いを叶える様々な方法に関する本やセミナーは数多くありますがそれでも多くの人は、それぞれの願いを叶えることができないでいます。それは、その願いが「渇望」であるからことが多いからです。つまり、今の現状に何か不満や満たされないものがあってそこから逃れるための「目標」や「夢」や「希望」が渇望です。スピリチュアルでよく言われている「わくわくすることをやってゆく」の落とし穴がここにあります。自分がわくわくする、と感じていることが実は、今の現状から逃れるための手段であって本当の自分はそれをやりたいとは感じていない、ということもよくあるからです。(その反対に、今わくわくしないことが、本当は魂が求めていることというのもあります)例えば、今の仕事が嫌でたまらない、今すぐにでもやめたいという状態の時に何かをしようとすれば、根底に欠乏感があるので、渇望になります。潜在意識で感じていることは実現しますがこの欠乏感がもとになっていれば負のエネルギーがあり上手くいかないことが’多いのです。渇望状態の人は例えば「お金ができたら素敵な部屋に住もう」とか「ヒーリングが上手くなったら、ヒーラーとしてやっていこう」などと、いつも意識が今ではなく、未来にあります。でも、今すぐそれをやっていない限り、その未来は永遠にやってきません。それに対して、情熱の状態の人はただ今、それをやりたいから無我夢中でやっている、という状態なので例え、それが自分の理想の状況とは違ったとしてもそれをやらずにはいられない状態です。ですから、願いを叶えるのに最も大切なことは渇望を手放すことつまり今、すぐに満たされた状態になることです。いつかではなく、今すぐ満たされた意識でいることが、未来を創ってゆくのです。お金や彼や仕事など何かを得ることができたから、満たされるのではなく今満たされているから、未来がより満たされたものになってゆきます。これは旅行中だけ満たされる、というものではなく日々の生活が満たされたものであるということです。今やっている仕事が例えその人にとっての天職でなくても今それを最大限に楽しんで行うことはできます。すべてはその人の意識にあります。ですが、これがもし「この状況でも満足しなければ」とマインドで満足しようとすると逆に自分の可能性や真の幸せを求めることをあきらめて何も行動を起こさなくなってしまうので要注意です。「私の置かれている状況なんて、世の中の多くの人に比べて恵まれている状況なのだから、満足しなければ、感謝しなければ」というのも、実は欠乏感の裏返しです。本当に満たされている時には他との比較ではなく、周りが何と評価しようとただ満たされています。私がこれまでキネシオロジーのセッションをやってきた中で感じているのは例えば「今の仕事の人間関係が嫌でたまらないのでとりあえずやめようかと思っているのですが」というような方の身体の声を聞いてみると今すぐ仕事をやめることよりも、そこでの人間関係を楽しむ自分に変化して今の仕事を続けながら、本当に自分がやりたいことに向かって着実なプロセスを歩みなさい、と出てくるケースがけっこう多いですが反対に、例えば、ある仕事で長年技術や経験を積んできてそこでの待遇や人間関係もそこそこは満足しているけれどどこか満たされないものがある、というような方の場合は「独立に向けて今すぐ行動を起こしなさい」などと身体がメッセージを伝えてくることがあります。人それぞれ行動を起こすべきタイミングもプロセスも違うのです。ここで大切なのは、自分にとって本当にやりたいことは何なのかまた今の自分がそれに向けてどう行動すればいいのかということを理解し、判断する力ですがこれは洞察力と内観の力だと私は捉えています。「本当の自分がやりたいことがよくわからない」という問題は奥深く、根本的な要因としては、グラウンディング力の弱さや自己価値や自己評価の低さなどがありますがこの内観の力や洞察力、つまり知性が大きく左右します。キネシオロジーのセッションをしていく中で自分はこれが嫌いだとか好きだ、とか感じる感性はあるのにではそれに向けて今、自分はどうしたらいいのか自分の中の何を変化させる必要があるのか?を判断するための知性に欠けている人がかなり多いということに、最近あらためて感じています。そういう方は、今の状況にフラストレーションや不満を抱えつついつかこうなったらいいなあ、という「希望」という名の渇望を持ってずっとその状況に居続けてしまいます。この内観する力、洞察力は脳の調整が必ず出てくるのですがもともとその力を失わせる要因となっているものはほとんどの場合、両親との関係から来ています。両親のどちらか、または両方がその子が本当に何を感じているのか?をしっかり見てあげていなければ子供は、その子自身の内面を見る力を失ってゆくことが多いのです。そして、この内観の力、洞察力がないと人とのコミュニケーションが難しくなってしまいます。人とのコミュニケーションや自己表現が苦手な状態ではほとんどの仕事で、問題が出てきます。そういう方は、例えば「自然の中で人と関わらず、やっていける仕事をしたい」とか「人と関わらない仕事をやっていきたい」などという希望を持っていたりするのですが例え、場所を変えても、仕事を変えても基本的に私たちは人とのコミュニケーションは人としての学びの一つなので、問題はどこに行ってもついてきます。自分の中の自然なコミュニケーションや自己表現を防いでいるものを手放してゆくのが豊かな人生を送るために、一番確実で早いのです。ということで、あれこれと思いつくまま書いてきましたが願いを叶えるために私が大切だと感じているのは自分の中の渇望ー欠乏感を手放すこと。内観、洞察力を高めること。自由な自己表現とコミュニケーションの力を持つこと。つまり自分の内面を変化させることだけです。内面が変化すれば、行動も変わりますし状況もいずれ必ず変化してきます。よく瞑想をしたら、内観する力が高まりますか?というご質問を頂きますが瞑想の方法にもよるし、その人が今持っている力にもよると思います。瞑想が妄想になっている状態では、いくら瞑想しても何も意識は変わらないことが多いです。思考のプロセスを変化させない限りいつも同じ思考パターンに陥ってしまいます。心の問題も大切ですが、この思考プロセスを変えることが大切だということに気づいてから私のセッションは、感情面、精神面の調整だけでなく脳の思考プロセスを変化させる調整が多くなりました。ではそれに向けて、自分でできることは何ですか?と聞かれることが多いですが正直、自分でワークしてある程度まで行ける場合とその人一人で何をやっても難しい場合とあります。例えば、以前、私がご紹介した『マネーゲームから脱出する方法」ですがその中のワークを実践して、ある程度の効果を実感できる方とやっても効果が出ない方と、そのワークそのものが上手くいかない方といます。ある程度の感性や知性があれば自分でのワークもある程度、効果がありますがそうでない状態の時は、やはりプロの助けを得るのが早いと思います。いくらスピリチュアルな本を読んだとしても理屈だけわかったつもりになっているだけで、内面はほとんど変化していないだけでなくその本を読んだことで、新たな思い込みのパターンを増やすだけの場合もあります。自分でどうやったらいいですか?という方の多くは、人からのサポートを得ることが苦手で何でも自分でやろうとする問題を持っている方が多いのですがたまに、お金がない、という方もいます。でも、そういう方を見ていると、本当にお金がないのではなくセッションに受けるためのお金はない、ということでその方にとっての優先が自分の内面を変化させることにはない、という方がほとんどのような気がします。自分の内面を変化させなければ、永遠に満たされた状態にはならないのですがかといって、それがけして悪いということではなくそれもその人にとって、必要なプロセスですから周りが心配したり、とやかく言ったりすることではないのです。ヒーリングのプロセス自体は、プロの助けを得ることができますがそれを受けるという決断は、その人自身にしかできません。プロの助けを得る、ということも含めて、自分自身の力なのです。でも不思議なことに、自分では全くこういったヒーリングを信じず人にサポートを求めることも苦手なのに友人にぜひ行ってみて、何度も言われてしぶしぶセッションを受けて、1回目は、それほどピンと来なかったのになぜか2回目も予約して、いつのまにか、自分がどんどんと変わっているのに気づき周りとの関係や仕事も良好になってきて今では、すっかり自分の内面の変化が楽しみになっていますという方もいます。すべてはその方自身の決断ですが、時にはその方のマインドでは準備できていなくても何か友人からの強い勧めなどという形で魂レベルで無理矢理でも変化させられることがあるのが人生のおもしろさだなあと。なので、今日、私がここに書いていることも、あくまでもある一つの傾向であってすべてそうだというわけではないですから渇望ー欠乏感を持っていても、願いがかなうことも当然あります。(それは、たぶん自分では意識していない、何か大きな力が働いているからなのですが)さて、ヒーラーやセラピストになりたい方というのも最近、私の周りに増えてきました。特にキネシオロジストになりたい方たちも増えてきて、とてもうれしいです。ただ、これまで様々なクラスやセミナーを受けて、技術を習得しているにも関わらずほとんどできていない方といくつかのクラスを取って、ある程度の訓練をしただけですぐにプロとして独立してやっていける方といます。もちろん家族や友人に趣味や楽しみとしてやっていくのは、いつでもどんな状態でもできますがプロとしてやっていくためにはある程度の意識が必要となってくるようです。これまで見てきて、ヒーラーやセラピストにとって一番大切だと私が思うのは、「セラピスト意識」を持っているかどうかですがそれには、やはり感性と知性の両方が必要だと感じます。(これもすべてのケースに当てはまるわけではありません)自分の内観ができていない状態では、洞察力もないですしコミュニケーションにも問題は出てきますのでプロとして他の人にセラピーをする、という段階にはいないことが多いのです。その『セラピスト意識」については、またいつか詳しくお伝えしていこうと思いますが今日はこのあたりで〜あ〜、話があちこち飛び過ぎで、上手くまとめれなかったですが時間がないので、とりあえず勢いでアップします〜伝えたい話の論点をクリアにし、必要なことを端的に伝えるという私の知性はいったいどうなっているのかしらん
2013年10月24日
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NYはすっかり秋も深まってきました。年々、時が過ぎるスピードは早くなってゆくようで今年もあと2ヶ月ちょっとで終わりだなんて、信じられないです。昨日はレイキのレベル2のクラスでした。今回の参加者は6人。昔は一人一人としっかり向き合いたい、とプライベートクラスにこだわっていたのですが私のスケジュールがキネシオロジーの予約でかなり先まで埋まるようになってからプライベートでのレイキのクラスを行うことは難しくなり何人かのグループクラスにするようになったわけですがグループはグループでしかできないこともあるので最近、私にとってはグループの方がおもしろいです。クラスを受けられる方にとっても、他の方の意見や感想を聞くことでモチベーションも高まったりするしまた同じクラスを受けた人たちでつながってレイキを練習し合ったりもできたり。プライベートで受けたい方や、すぐにクラスを受けたい方はおさむを紹介しているので、それはそれでまたいいし。一時は、レイキはすべておさむに任せて、キネシオロジーに専念しようかとも思っていたのですがやはり、たまにレイキのクラスを行うと、私自身もまたリフレッシュするのでこのままグループでのレイキのクラスは続けていこうと思っています。それにしても、もう来年3月の予約もほぼ埋まってきたのですぐにでも来年4月以降の予定を立てなければ〜、と思いながら最近の忙しさで、なかなか先のことに意識が回らない状態です。問題なのは、みなさん数ヶ月前に予約されることもあって人によっては、当日、予約を忘れてしまっていたりまた私がクライアントさんの予約の変更や何かでスケジュールを調整しているうちにいつのまにかダブルブッキングになってしまっていたり。ダブルブッキングだけにはならないように、細心の注意を払っているものの今日、ダブルブッキングになっていて、私のオフの日に変更してもらったもののほんと申し訳ない。これからは、予約の確認メールを送ったりする必要がありそうですが時間はないので面倒なことはできるだけ避けたいのでどうしたものかしらと。さて、弟のゆうすけがこの3ヶ月間、NYに滞在していましたがあっという間に日々がすぎ、もうあと10日ほどで日本に戻ることになりました。その間、弟と一緒に飲んだり、食べたり、キネシのセッションをしたり楽しい日々でした。先日は、ゆうすけとおさむと3人でクラブ(ライブハウス)に踊りに行くというちょっとあり得ないシチュエーションもありました。ゆうすけは、昔、こういったクラブで働いていたのでこの業界に詳しいこともあって、今回こういう流れになったわけですが私にとって踊りに行くなんて、たぶん20年ぶりぐらい?おさむと一緒に踊りに行ったことは、これまで一度もなかったので初です。知り合いのミュージシャンの方がまわしているライブだったのですが音楽も素晴らしく、超盛り上がっていて、久々に踊るのが楽しい〜〜と心から感じました。3人のDJの方が交互にまわしていたのですが知り合いの方がまわす時は、とてもネイティブというかアフリカンなディープなリズムで、しかも高音域も派手〜な感じで身体がわくわくして動くのが感じられて、あ〜こんなリズムを私の身体は求めていたんだなあ、などいろいろ感じることができて、おもしろかったです。たまには、踊りに行くという楽しみもいいものだね〜とおさむと話したのですが果たしてこれから二人で行くことがあるかしらん。そして、この3ヶ月、ゆうすけをを見ていて彼が持っている気質と同じようなところを私も持っているなあ、とあらためて気づくことも多かったです。特に酒飲みに関しては、二人ともかなり中村家の気質を受け継いでいるもよう人から勧められた酒は断らない、とか人におもてなしする時はとことん料理を出す、とか人と一緒に飲む時は、とことん飲んで飲む、とか私もゆうすけも、家で一人の時はけして飲まないので酒はあくまでも人と一緒に楽しむものなのです。そうそう、もう1ヶ月も前になりますが、9月22日はおさむの誕生日だったのでみんなを呼んで、サプライズのパーティを行いました。時間がないので、始めは簡単な料理を作るつもりだったのだけど結局、数回に分けて大量に食材を買いすべて手作りして、10名分の料理、18品作りました。準備しながら「この超忙しい中、ここまでするか〜」と思いつつもやっぱり、やらずにはいられないのですよね〜。結局、その日は、すべての料理を出し切れず(途中ですっかり酔っぱらって、料理を出すのが面倒になったのもあり)その後、数日間は、残った料理でまた飲み会でした。これは、まさに私の両親から受け継いだ気質、というか両親の振る舞いを小さい頃から見ていて私の脳に埋め込まれているゲシュタルト(知覚)から来る性格です。私の母は、お客が来ると、もうありとあらゆる料理を出していたし父なんて、昔の口癖が「酒を飲まないやつは信用できない」でしたから、そういう言葉を聞いて育った私やゆうすけにそういうゲシュタルトができるのも自然だなあと。もっとも私はレイキやヒーリングを初めてからは週に1、2度ぐらいしか飲まなくなったし(最近はちょっと飲む機会が多いけど)もちろん、酒を飲まなくても人とつきあえるようになりましたが。ということで、酒に関しては楽しいからいいか〜と、まだ調整はしていないのですがある意味「自己破壊プログラム」かも。でも、そのプログラムのおかげ?で今回おさむも最高のバースデーだったと喜んでくれて(これだけ大量の料理を作っていても、みんなが来ることは最後までバレなかったし)その夜は、最高に盛り上がって、楽しい誕生会でした。さて、弟と言えば、私が今年5月に日本で会った時の印象とはかなり変化しています。おさむと話していたのですが、以前は、なんというかまるで「千と千尋の神隠し」に出てくる八百万の神のような様々な垢や重いエネルギーが、どよ〜んと背中に乗っかっている感じだったのがここ最近は、すっかりデトックスされて、爽やかさと若さが戻ってきました。けっこう太っていたのですが、この3ヶ月の間、ダイエットし1日1万歩以上歩いて、NYに来てから体重は13キロ痩せたとのこと。このまま日本に戻ってから、リバウンドしなければいいのだけどね。最近の彼は、すっかりNYでの生活も慣れてNYでの新たな仕事の可能性も出てきています。またNYに戻ってくるかどうかはまだはっきりしないもののこの3ヶ月でのNY生活は、彼にとって新たな視点を広げることや気づきにつながったのではないかなあと。ということで、とりあえずは彼のことも一安心。(といっても、始めから心配していたわけではないけど)私も人のことばかりやってないで、自分のために生きなさいというメッセージが、最近やたらと出てくるのでそろそろまた絵や音楽もやってゆきたいなあと。とはいえ、また明日の夜は、クライアントさんのセッションが終わってからおさむのセッションを行う予定です。おさむも彼自身のブログに書いているようにここ最近のおさむは、思春期に持っていた性の抑圧などこれまで出てこなかったディープなテーマが出てきていました。でも、彼がここまでしっかりと、自分の闇もさらけ出してブログに書くことができている、というのを見てもヒーラーとしてもセラピストとしてもかなり抜けてきているなあと。こういうブログでは、自分の闇の部分や問題は出さずにいいことばかり書いているヒーラーやセラピストがほとんどですしね。(会えばすぐにわかるけど、読んでいてもそういうものは、ある程度伝わってくるものだし)とはいえ、私がセッションを行うと、そういう彼の過去の抑圧やけして知りたくはない問題なども出てくるわけでこれがクライアントさんの問題だったら、全く何とも思わないですが妻としての意識だと、何とも辛いものがあるわけです。私との関係性においての問題では、時々、筋反射で出てくる言葉を見て「え〜こんな風に私のことを思っていたの〜」と怒りがこみ上げてきたり「こんな自己中心的な男だったのね」とうんざりしたり。たぶん普通だったら、これは別れてしまうシチュエーションかも、ということも多いしおさむのセッションで出てきた内容によっては、私が傷つくこともあり場合によっては、その後、私の感情も調整、ヒーリング’する必要が出てくるわけでおさむによって傷ついた要因を、今度はおさむ自身が私の筋反射を取りながら見てゆくという、ちょっと普通じゃないカップルだなあと。「俺の闇は、のりこを一流のヒーラーにするために必要だったんだよ」などと、おさむは言うのですが確かに、ありとあらゆる闇を持っていた男をここまでヒーリングしてきたことで、私のヒーラーとしてのテクニックや洞察力や様々な気づきがあったのは確かだなあと。そして、彼の中から何が出てきたとしても私が彼に対して先入観を持たないでいられるかどこまで愛の状態でいれるかも、毎回試されてきたのだなあと。でも、もうこれ以上は、気づきも訓練もいらないから、もうこのあたりで勘弁して〜っていう感じなのだけどねそして、これだけ彼の中から深いものが出てきたということは今後、彼自身がクライアントさんに行ってゆくセッションがさらに深くなってゆくということなのです。結局、ヒーラー、セラピストは常に自分の内面を見てゆくしかないのですから。ということで、何を書くともなく、あれこれと長くなってしまいましたがこのあたりで〜
2013年10月18日
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キネシオロジーのセッションで例えば、グラウンディングや結婚や仕事に関連して問題となっている感情や意識を見ていく中でよく出てくるものとして「自由でいたい」という思いが上がってくることがよくあります。上がってくるというのは、身体が反応して伝えてくるという意味です。この「自由でいたい」という思いが意識の根底にあると例えば、結婚が苦手、とか、結婚しても子供は生みたくない、とかグループでの活動が苦手とか、一つの仕事を長く続けれない、深く関われないなどという問題が出てきます。結婚=自由でいれなくなる、グループでいると自由でいれなくなる一つの仕事を続けていると自由でなくなると潜在意識では感じてしまうということです。以前は私自身もそうだったのですが、こういう人は例え好きな人と結婚しても、束縛を感じてしまい離婚になったりまたは結婚したいと頭では思っているのにいつも相手としてコミットメントできないような人を引き寄せたりまたは、仕事も一つのことを深く極めたり、長く続けることができなかったりします。また大抵の場合、自由でいたい人は、人からのサポートを受け入れるのが苦手です。人からサポートを受けると、相手にお返ししたりしなければならないという意識で自由を感じれなくなるので、人に頼んだりせず何でも自分でやろうとするのです。つまり、自由でいたい、と潜在的に感じているということは言い換えれば、私は自由ではない、という意識の現れです。過去に自由ではなかった何らかの抑圧があるということなのです。その抑圧されたエネルギーが残っているので自由でいたい、と無意識に感じてしまうのです。宇宙の真理から言えば(この言い方は微妙ですが、私たちの本質という意味で)「自由でいる」ということは、環境や状況によるものではなく私たちの意識のあり方です。お金があるから自由でいられる、わけでもなく一人でいるから自由が得れる、わけでもありません。自分自身が自分を制限しているものがなければ、自由なのです。例え、子供がいようと、結婚していようと、一つの仕事に深くコミットしていようと「私は自由である」という感覚を持つことはできます。でも、過去に抑圧されたものがの残っていると、真の自由な感覚が持てないので一人でいるとか、結婚しない、とか子供がいない、とか一つの仕事にコミットしない、など、無意識のうちに自分の状況や環境によって自由感を得ようとしてしまうのです。自由と責任というのは、よく潜在意識の中でセットに捉えられています。例えば、何か新しい仕事にチャレンジしたいと思っていても自分の力がまだ十分でないので、相手に迷惑がかかるなどと感じていれば、その責任感に縛られるのが嫌なのでなかなか始めることができない、などということになります。つまり、その人の潜在意識の中では、チャレンジしないことや何も行動を起こさないことが自由でいることになっているということです。このチャレンジに関わらず「自由でいたい」と感じている人は案外、責任感が強い人が多いです。もし「君の人生に責任が負えないから、私は君と結婚できない」と彼が言ったとしたら、その彼は責任感がないのではなく責任感が強すぎる、というより、責任を負う必要のないところに負わなければならないと感じているということです。実際は、その方が意識のどこかで感じている「責任」というものは幻想であって存在しません。前にも書きましたが、責任は自分の人生に対して取るべきものであって(自分の感情の責任は自分にあることを認識する、ということや起こっていることをただ受け入れるという意味ですが)他人の人生や他人の思いに取ろうとしても、その実態はどこにもないのです。例えば「私が今やりたいことをやってその結果、他の人にとって満足がいかないものになったら恐い」などと感じている人がいますがこれは他人の人生や感情に責任を取ろうとしていることになります。また、例えば、人と深く関われば自由でなくなる、などと感じているとしたら「相手を喜ばせるためには、自分の言いたいことを自由に言うことができない」とか「相手に合わせなければならない」となどという自分の意識が、自分をがんじがらめにしているのであって自由を失わせているのは、ただ自分自身のマインドなのです。例えどんな人の前でも、自分が感じたことを感じたように伝えることができたとしたら、自由でいられるのです。ですから、私のキネシオロジーの調整では自由でいたい、という思いを潜在的に持っている方は「私は(どんな状況であっても)すでに自由である」という意識に変化させてゆきます。結婚していようが、一つの仕事に深くコミットメントしようがそれらは自分自身が選んだことであって本当に相手のことが嫌になったり、仕事が嫌になればいつだってやめることはできるし、不要な責任感はもう必要ないのだ相手に合わせて自分を抑える必要はないのだということを深いレベルで理解した時私たちは、真の自由な意識になることができます。むしろ、自由でいたいという意識のままでは、自分が人生を歩いてゆきたい人と一緒にいることを選択できなかったり本当にやりたい仕事に、深く携わることができなかったりと真の自由さからは離れてゆくのです。ではなぜ、自由でいたい、と感じるようになってしまうのか?なのですが多くの要因は、子供時代にあります。子供の頃、コミュニケーションにおいて自由に自己表現ができなかったり何らかの抑圧を感じていれば自由でいたい意識が芽生えてきます。ですから、今、自由な意識を持つためには過去の抑圧された意識を解放してゆくしかないのです。自由に関する調整では、前世とのつながりもよく出てきますがこれも過去の抑圧されたエネルギーであって前世というよりも、誰もが持っている集合無意識とも言えるものです。束縛された自由でなかった前世とつながっている人は多く私たちの多くがいかに自由がなくなることを恐れているか?がよくわかります。そういえば、私も昔、意識のどこかに持っていたものとして「刑務所に入る恐れ」というのがありました。(もちろん、刑務所に入らなければならないようなことはしていないけどね)大学時代にえん罪について調べていて何の罪もないのに自由を奪われることの怒りや絶望感というのはどんなに大きなものだろう、と思ったことを覚えています。私が刑務所に入った前世とつながっていたのかそれとも刑務所=自由がない象徴としてなのかはわかりませんがこういうヒーリングをやるようになってから自然とその恐れはなくなっていました。私が長い間、警察や権威的なものに対する抵抗が大きかったのも権威=自由を奪うもの、という認識が強かったからだなあと。と、私も以前「自由でいたい」人だったのでそのあたりの心理やメカニズムは、ずっと探求してきたというのもあります。以前の私にとっては、結婚や安定した生活なども、全く魅力的ではなかったし安定は自分の成長を妨げるものだ、という認識がありました。私が最初に結婚しようとしたのは、大学卒業2年後ぐらいでしたがその時は、相手がコミットメントできない人で結婚を決めた後、彼がやめると言い出し、別れたのですがその時の私は傷つきながらも、人生が安定しなかったことに対してどこかでほっとしていました。自分の意識がコミットメントできない相手を引き寄せていたわけのです。次に結婚しようと決めた相手は、コミットメントできる人で彼自身は、私を守りながらも、私を自由にさせてくれる人でしたが彼の家庭環境が私を自由にさせないものであったために(というより、私がそれに合わせなければいけないと必要以上に負担に感じていたために)私の方がコミットメントできず、結婚しませんでした。そうして出会ったおさむは、これまでもブログに書いてきましたが全くもってコミットメントできない男で私よりもさらに自由でいたい意識、つまり自由ではない意識を持っている人でした。今は、もちろん二人でいろんなことを楽しむことができますが昔は、例えば、彼のギターを弾きたい時間に、私が食事に誘ったりすればおさむは「俺の自由を奪おうとしている」と感じてしまい不機嫌になっていたし、彼のそういう意識は長い間、何かにつけて出てきました。その当時は、それが過去の抑圧された思いから来ているとは全くわからなかったしそれでも、よく18年もつきあってきたものだなあと決断力、行動力はあるけど、忍耐力はなかった私なので(最近は少しはあるかなあ)自分でも不思議です。「自由でいたい意識」を持っている男性は、けして女性を守ることはできません。女性は、いつ相手が自分から去っていくかもしれないという状況の中で守られる意識を持つことはないからです。おさむとつきあう中で、男性に守られるという私の女性性がどんどん失われていって、いつ別れてもいいように経済的にも精神的にも自立していったわけです。一見、それはお互いに自由な存在であるかのように感じていて頭の意識では満足していたのですが男女の深いつながりというところで、気がつかないうちにひずみをもたらしていました。近年、そのことに気づいて女性性のワークやセッションをあれこれやってきてそれと同時に、私の中の「自由でいたい意識」もだんだん変化してきました。それまでは波瀾万丈の人生こそが、自分を成長させてくれるという意識がいつもどこかにあったのですが安定を受け入れ、それとともに常に変容してゆくという意識に変化してきたのだと感じます。(まだ、若干、波瀾万丈の気はあるのだけどね)今回のイタリアの旅を通じて、さらに深いレベルでおさむから守られるという意識を持てるかどうか、のレッスンがありました。それに関しては、おさむの準備ができたらまたいつかゆっくり書こうと思っていますが。安定していても、人生は常にチャレンジなのです。「自由でいたい」という意識は同時に孤独感にもつながっています。属したくない、深く関わりたくない、その意識を持っている限り孤独からは逃れられません。そして、この孤独ー分離感こそが私たちが抱えているほとんどの問題の源なのです。例えば、お金は、生存に関わる恐れとして認識されているケースが多いです。つまり、お金がなくなる=生きていけなくなる、という恐れです。でも、もし例え、その人が、お金がなかったとしても周りに助けてくれる友人や家族がたくさんいていつでも喜んでヘルプを与え合うことができる環境にいたとしたらお金の問題は、生存の恐怖として認識されないのです。今回の旅で、ダマヌールのコミュニティを通じて人と深いレベルで関わってゆくことの大切さをあらためて感じました。そこに住む人々の意識が自由であるからこういうコミュニティに深く関わってゆけるのだなあと。自由な感覚と一体感を持つこと。一見、矛盾するように見えるこの意識は、実は全く矛盾していないのです。すでに私たちは自由な存在でありそして、孤独な存在ではないのです。
2013年10月07日
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