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以前、大和田菜穂さんのことを書いた時もそうだったけど 自分の感覚や感想を率直に伝えたいという思いに素直になっていくと それが、何かへの批判やジャッジになってしまうのではないか?と いう恐れが出てくることがあって、そうなると何も書けなくなってしまうので ええ~~い、例え、そうなったとしてもいいや~っと、勢いでアップするか いつの間にか、スルーしてしまうかになるわけです。 どちらにしても、すべてのことは、幻想と言えるわけで 私が感じていることも、これを読んだ方が感じていることも 実態のないイリュージョンと言えるわけですから そういう観点では、何を書いてもいいわけですけどね。 とはいえ、別の次元で見れば、 ブログという不特定多数の人が読む性質上 基本的に個人名は出せないし、内容も事柄によっては書けないこともあるわけで そのあたりを上手くスルーしつつ、伝える必要も出てくるのですが 昨日、まさにその辺の私の潜在的な恐れが夢に出てきました。 夢の中で、私は闇の世界を知って、それをみんなに知らせようとしていてその闇の勢力のある人から 「このことをブログにアップしたら、明日にはあなたの身体は川に浮かんでいるだろう」 という、まるで火曜サスペンスのセリフのような脅しの言葉を言われて 「ひゃ~やっぱり、もう書けない~」とおののきながら、目が覚めました。 いや〜〜何を書いたとしても、川に流されることはないだろうとは思いますが 意外にそんな恐れがあったのね~と、我ながら笑えました。 昔はよく、肝が座っていると言われていましたが ここ近年、父の性質である臆病さと、母の性質である達観癖が 両極端に出てくるのを感じていて、今後のテーマになりそうです。 さて、今回のハワイで、最も私が感じたのは 他の人に全く左右されず、自分の感覚を受け取ることというのは 難しいことだなあということでした。 私のこれまでの人生では、あまりそういう風に感じたことはなくて 誰がなんと言おうと、やりたくないことはやらない というのは私にとっての人生の鉄則だったし 自分がどう感じているのか?は、常に意識してきたこともあって それがよくわからない人の感覚の方が、よくわからなかったわけです。 でも、先日お話ししたように リーダーとしての責任、ということに関わると 自然と自分の本来の感覚や女性性を抑圧していたり また、尊敬する人が話している内容やエネルギーに 影響されて、自分本来の感覚を失っていたことに気づいてきたわけです。 それに気づくプロセスは、今回は決して楽ではなくて 一旦は、逆にわけが分からなくなる、というプロセスだったわけです。 これは、聖なる植物の影響なのか、それともクンダリーニ症候群なのか どちらにしても、グラウンディング力が極端に落ちていたところに その直後に行った3人へのセッションから(おさむを含めて) いろんなエネルギーの影響を受けてしまっていて DNAまでも変化してしまったことが カラニリトリートに入る前には、筋反射でわかっていました。 ですから、その調整が終わるまでの期間は、自分が何を感じているのか よくわからなかったのです。 例えば、宇宙人DNAで、シリウスやグレイなど これまでの私は持っていなかったDNAまで、クンダリーニ症候群の後の 自己ヒーリングで出てきて、ショックを受けたわけです。 これまで自己ヒーリングは、不十分感からではなく 能力や可能性を高めたり、さらに自由に解放してためであったのに 今回は、問題の修復のために、自己ヒーリングをすることとなり その期間は楽しんでやっていたというより、不十分感で一杯で とにかく一刻も早く元に回復するのが第一でした。 例えて言うなら、あるスポーツをやっている選手が それまでは、能力や感覚を高めるために、練習を続けてきたのに ある時に、交通事故に遭って、足が不自由になったことがきっかけで これからは、能力を高めるためではなく 元の状態に戻すために、リハビリや練習をしなければならなくなったかのような 気持ちになったと言えるかもしれません。 それで、気づいたのは、ここでショックを受けるということ自体、 私の中の「いつも前進、成長しなければ」という意識の表れなのだなあと。 そこに気づいてからは、焦ることなく 自己ヒーリングの’調整ができるようになったのですが 今回、こういったエネルギーを受けたことで これまで感じなかった感覚を感じることにもなったのでした。 例えば、グレイのエネルギーがあると 被害者意識や人への不信感になり、傷つきやすくなるのですが 私も、今回、おさむに対する不信感や被害者意識が出てきて、さらなる怒りへとつながり また、シリウス系のエネルギーは、自分の感覚の抑圧になるので 自分が何を感じているのかよくわからず 私は大丈夫、と達観してしまうのです。 こういう状態では、自分で自分のことは 本当にわかりづらいものなのだということが、よくわかったわけです。 だから、このクラスの参加者の中で 何人かの人が「のりこさんが弱っている~」 「のりこさん、大丈夫ですか?」と と声をかけてくださったことが 「やっぱり大丈夫じゃないよね~」という自分の感覚を再確認する上で 大きな助けになりました。 私がクラスの最初の頃に、自分の感覚を封印して オーガナイザーとしての役目を果たさなければとしていた時も 何人かの人に 「のりこさんが無理して(オーガナイズ役をやって)いるのが、ミエミエでした~」 と言われたり また、クラスの間、修との摩擦が大きくなった時も 「のりこさん、修さんと何かあったのですね?」とすぐに声をかけてくれたり すごい、みんな!何も言わなくても、私の状態や感じていることが そのまま伝わるのね~、と感動でした。 (って、単に見た目に分かりやすい人なのかもですが ) ほとんどが私のキネシオロジーのクラスを受けられた方たちでしたが そういった参加者の方々のおかげもあって あの状態から、ここまで回復できたのだなあと。 みんな私の生徒だけど、同時に私の先生だったということが これまでのキネシのクラスでもそうでしたが 今回はさらに感じたのでした。 さて、前回のお話は、アマテラスのことで終わりましたが 私はロンからアマテラスやアトランティスの話を聞くのは 今回で4回目でした。 1回目は2011年のATIH 2回目は2012年のフィボナッチのクラス そして、3回目が去年のハワイのクラスです。 最初の2回は、とにかく感動でワクワクして聞いていました。 私たちの魂のルーツ、アトランティスのこと、ロンとアマテラスとの関わり 宇宙とのつながり、ユニティ、ワンネス、リメンバリング(思い出すこと) ロンの話している、すべての話が、私にとって心を揺さぶられるものでした。 でも、今回のクラスでは、同じように感動している部分と全く違う角度から聞いている部分の二つが共存しているのを感じていました。 アトランティスに関しては、私は昔から強烈に惹かれていたし またクライアントさんのセッションでも、よく過去世として出てくることもあって そういったことは信頼しているのですが 一方で、アトランティスだけが私たちの魂のルーツではなく 一つのエネルギーにしか過ぎないということも ここ1、2年のワークを通じて、ひしひしと感じていたからです。 ヒーリングは「本来の自分を思い出すプロセス」であることは間違いないですが 「本来」というのが、一体何を指すか?によって 全く違うものになり得ます。 例えば、本来を赤ちゃんの頃の自分と設定したならば 胎児でお母さんのお腹にいる時にストレスを受けて 生まれてくる前に、原始反射や脳の問題があっても それは本来の自分になってしまい、変えれないものとなります。 また、過去世の自分が、本来の自分だと設定したなら そこからの要因や問題は、変えれないものとなるのです。 私にとっての「本来の自分」というのは 赤ちゃんや胎児の頃の自分ではなく、過去世の自分でもなく そういったことを超えたところにあると感じていたし (それが何かということは、言葉では言えないのだけど) 私がこれまでのセッションでやってきた中で フィボナッチは、アトランティス云々とは関係なく 多くの人にとって、有効なものであると感じていたこともあって すべてをアトランティスやレムリアという過去生に結びつけることに 少しずつ違和感を感じ始めていたのでした。 と言っても、ロンはホワイトブラザーフッドのエネルギーと 繋がっていることは感じるし アトランティスは、彼にとって最も大切なことであることも よくわかるのです。 ホワイトブラザーフッドというのはいわゆるアセンテッドマスターのグループ的なエネルギーですが ロンは18歳の頃から、ブラザーフッド・オブ・ホワイトテンプルという 学校で学んできた人なのです。 これは、モーリス・ドリールという人が設立したもので 今回のクラス1でロンは、ドリールことを話していましたが エジプトからトートが書いたアトランティス語で書かれた エメラルドタブレットを持ち返って翻訳し出版したという とても実在の人とは思えないような人で そんな人の元でずっと学んでいたわけですから ロンにとって、アトランティスがすべての根源であるのも納得で そこは打算でも何でもないわけです。 そして、このクラスの参加者のほとんどが このアトランティスとの関わりを深く感じていたと思うのですが 今回、クラス3では、去年クラス1を受けた方々が参加されていて 改めてわかったのが その多くの人が、このクラスを心から待ち望んでいて ここをホームだと感じている、ということでした。 そして、このレベル3のクラスに来るまでの日本での生活が苦しかった、と言われる方が 何人もいたことに、改めて驚いたのでした。 それで、だんだんと気づいたのが、このロンが求めていた 「一体感」ということの意味だったわけです。 ロンは、このクラスの最後にも 「私たちはチームです」と言われていたのですが つまりは、アトランティスから転生してきた魂が 今生では、人々の意識を高め、ユニティへと戻っていくプロセスのために ここに集い、一緒にワークしてゆく、ということでした。 これは、フィボナッチのクラスを受けたことがない、あるサイキックの方が 「フィボナッチは個人プレーではなく、集団的にやっていくものですね」 と言われていたのですが、まさにそういう意味でのチームだったわけです。 そして、だからこそ、去年のクラスでも みんながこのクラスで「一体感」を感じていたわけですが 一方で、クラスが終わって、日本やそれぞれの場所に戻ると 実際の生活では、アトランティスやレムリアとの深い関わりを感じている人ばかりが 周りにいるわけではないわけですし そうなると逆に周りとの分離感になっていく可能性があるのだなあと。 家庭や仕事場の中で、周りの人々と一体感を感じることができていれば 何があったとしても苦しくはならないし、常に幸せの中にいることができるからです。 私の場合は、これまでは、いつもおさむと一緒にクラスを受けてきたので そんな風には感じたことは一度もなかったのですが 今回、クラス2であるATIHは、ちょうど、私の父の四十九日と重なってしまったことで そのクラスの期間は、日本に戻ったため 私はATIHのクラスは受けず、おさむだけ受けたことがきっかけで この気づきにつながったのでした。 今回のハワイの旅の間、私とおさむの心が最も離れてしまったのは おさむがATIHを受けた直後だったからです。 ATIH自体は、私もロンから受けて、素晴らしいプログラムであることには間違いないと感じていますが 今回のクラスの直後、おさむはそこでの一体感に浸っていて それが、逆に今回、それを体験しなかった私との分離感を生み出し 彼が言葉で上手く伝えれないこともあって 彼にとって「のりこにはわかってもらえない感」になっていました。 また、私は私で、おさむからケアされていない という寂しさや悲しさにつながっていて私がその寂しいという感覚を伝えた時におさむから「俺には感じられないんだから、仕方ない」と言われさらに虚しい感覚になったわけです。 ハートを開くためのクラスであるATIHを受けたのになぜ、そんなことになったのか、その時は全くわかりませんでした。 もちろん、これらのクラスの中での一体感を感じつつも 家に戻って、家族や友人との深い一体感も 同時に感じることができる人もいるでしょうが 逆に周りとの分離感へとつながることもあるのだなあということが あとから、気づいたのでした。今回、私の父の四十九日が、ATIH と重なったというのも今から思うと、ここに気づくために、必然だったのかもなあと。 こうして、先日、説明した五行の怒りの感情が終わってからは 次は、虚しさや分離感となり 最後は悲しみというプロセスを辿って行ったのですが これまたシンクロなのか、その悲しみの中にいた最後の日に 参加者の中で、質疑応答の時間に、自分が感じたことをシェアするということで 性的な虐待について、話された方がいました。 彼女は、この人生で虐待された経験などなかったそうですが この惑星クラスの間にそういうエネルギーを感じたとのことでした。 そして、私がクンダリーニ症候群の直後に感じたエネルギーが まさにこの虐待されたという感覚だったわけです。 私自身も、虐待なんて、これまでの人生での経験はなかったですが なぜかそういうエネルギーとつながり、 それをクラスの間にシェアする間、ポロポロと涙が止まらなくなり 一方の私は「何がそんなに悲しいのかしら」とも思っているのですが 一方は、男性には決して理解してもらえないという深い悲しみを ひしひしと感じていたのでした。 こんな風にこのクラスは、フィボナッチやアトランティスということを超えて 深いエネルギーのシェアの場になり それぞれが自分の感覚を率直に伝えていて そのことに対して、ロンもとても感動していました。 今回のクラスが終わって、改めて気づいたのですが 私はこれまでは、ヒーリングをやるのが、とにかく楽しくて これをやったら、どうなるのかもっと知りたいという好奇心だけで どんどんやってきたのに、ふと気づくと いつの間にか、地球救済軍に入って働いていた、みたいな感覚でした。 そして、今回でオーガナイズをやめるということが その地球救済軍を抜ける、みたいな感覚にもなったのですが ちょっと辛かったのが、今回、参加された方々は 本当に素晴らしい感性の人たちで このクラスを通じて、深いつながりを感じたこともあって 来年もまたここで会いたい、という気持ちになったことでした。 はっきりと言えるのは、たとえ、アトランティスの過去生など全く関係なかったとしても 繋がっていたいと感じる方たちでした。 でも、私は地球救済軍も面白そうだけれど、やはり個人レベルで動いていきたいなあと。 セッションやクラスを通じて、それぞれが 自分の家族や友人や仕事場での深いつながりを感じたり病気や身体の不調を癒したり また、お金や豊かさを高めたりやりたいことだけを自由にやっていったり それぞれの才能を開花させたり、 そんな個人レベルでの解放と発展を通じて 結果的に、それが地球全体の意識を変化させることにつながれば嬉しいし たとえ、すぐには繋がらなくても、それはそれでいいなあと感じるのです。 もちろん、これからもフィボナッチは、セッションで使っていくでしょうが これからは、これを広めることよりも、もっと多くの人々が キネシオロジーの自己ヒーリングや家族や他の人へのヒーリングが できるように、私のクラスにフォーカスして行こうとようやくすっきりと決心ができたのです。 クラス3の時に、ロンにあのアマテラスの怒りに関して、どう捉えているのか 質問してみたのですが ロンからの答えは、 「アマテラスは、もう弱い存在ではなく、パワフルなのだということを伝えてきた。 そして、それをみんなに私から伝えなければならなかったのに 「こんなことを日本のアマテラスに詳しいみんなに伝えてもいいのだろうか」 という私のエゴで伝えなかったために、アマテラスが怒ったのです。あれは適切な怒りでした」という捉え方でした。 それは、私があの時に受け取ったメッセージとは違っていたのですが それはそれでいいなあと。 「アマテラスを超えてゆけ」が ロンにとってはどういう意味を持ったのかは、もう私にはどうでもよくて それぞれにとってのメッセージが大切なのであって私にとっては、そのメッセージは 「アトランティスを超えてゆけ」でもあったし また「ロンを超えてゆけ」でもあったのだなあと。 ある意味では「ユニティを超えてゆけ」とも言えるのかもしれません。 ユニティのために何かをやって行く のではなく、それぞれが自由に解放されていった結果 ユニティへとつながってゆくというか。どちらにしても、私たちは深いレベルで繋がっているのですから。 今回のクラスの中での深いつながり感だけではなく 先日、日本で家族とのつながりも深く感じたし また、日本を発つ前に、30年来の友人と成田で話しをしたのですが 彼女とも魂レベルのつながりを感じたし また、ニューヨークでの飲み仲間や友人とも また、キネシオロジーのクラスやセッションを受けに来られる方々とも またブログを読んで、共感してくれている方々とも、感じるのです。 それは、私たちの魂がどこから来たか?なんてことには全く関係なく、ただつながっているという感覚です。 そして、不思議なことに、クンダリーニ症候群の後の自己ヒーリングでは アトランティスの過去世が全く上がってこなくなったのでした。 それまでは、アトランティスの過去世は、毎回のように 自己ヒーリングでも、おさむから受けるセッションでも上がってきていて これは、一生出てくるんじゃないか、というぐらいでした。もしかして、ようやくここを抜けたのか それとも今のところだけ出て来ないのかは、わかりませんが。 ということで、クラスの間、感じていたことを、ざっとまとめてみたのですが (これで短くまとめたつもりなの ) こう長いと途中で挫折するよね。 ここまで、読んでくださった方、ありがとうございます さて、私とおさむは明日、ニューヨークに戻るので 今日は1日は、ニックさんの家で、荷物の整理などをやっています。 (って、途中でやめて、こうしてブログアップしているけど) きっとニューヨークは、これからの季節、春の訪れで心地よいことでしょう。 これからのセッションも楽しみだし、みんなと飲みに行くのも楽しみだし また家の植物を新たに買いに行ったりするのも楽しみ。 (毎回、ハワイに行く度に、家の植物を人にあげてしまうので) ちなみに、ダーリンは、ここしばらくずっと私のケアをしてくれて とても優しいです。 マイダーリンは、私のエネルギーが変化すれば それに合わせて、すぐに変化してしまうという単細胞生物なので 私が大変な時に支える強さや安定感はないものの 先日、惑星のチャートを読んでもらった占星術では「秘書としては最適な人」な人なんだそう。 確かに、今回のクラスでも、みんなの送り迎えの手配から何から 細かくケアできていたし結構、そういったことを楽しんでやれる人なんだなあと。’ ふふ、これからも当分は、私が引っ張ってゆくのです~ ロンのいうとおり、女性はパワフルなのですから。 ということで、キネシオロジーのクラスへのモチベーションが ものすごく高まっています。 詳細はまたアップしますね~。 Photo by Kazumi Sakurai
2017年04月30日
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昨日、ハワイ島のコナから、ヒロサイドのカポホに戻ってきました。 というのも、先日、おさむが私のバースデープレゼントとして 2泊3日でコナのホテルに泊まろうということになり 急遽、コナのホテルを予約してくれたからです。 私たちは、このハワイ島に3か月間、滞在していることもあって セッション道具なども含め、大量の荷物を持ってきているのですが 今回は、カポホの一軒家に、ほとんどの荷物を置いて 小さなスーツケースに入る分だけの荷物だけで、コナに出かけたので 身軽なショートトリップという感じで、とても良かったです。 (いつも、民族大移動みたいになるので ) さて、前回の続きをアップしようと思いつつ ここ数日、コナへのトリップとともに 10月の計画に意識が集中していたこともあって まだ、なかなか感覚と言葉が繋がらないでいます。 ということで、その話は、後ほどにして 今日はコナでの写真などをアップして、ごまかしておこうかと。 (って、ごまかす必要はないのか ) 今回、コナで宿泊したのは、ハプナビーチプリンスホテル。 これまでハワイであちこち泊まっていますが、ほとんどはAirbnbで予約した 一軒家やコンドミニアムだったので、考えてみれば ハワイでこういう普通のリゾートホテルに、宿泊するのは初めてなのだなあと。 ホテルのロビーからの眺めを見て、一気にリゾート気分が高まります♪ 部屋は広くはなかったですが (ずっと一軒家に泊まっているから、そう感じるのかもだけど) オーシャンビューで気持ちの良い部屋でした。 部屋のラナイからの眺め。 そして、何よりも良かったのが、ここのビーチ。 ハプナビーチは、全米でも有名なビーチだそうで 真っ白できめ細やかな砂浜が広がっていました。 と、このパラソルの下で、のんびりしよう〜と一旦は座ったのですがふと 右の方に歩いていくと、小さな湾になっているところを見つけました。 これを見た瞬間、私のお気に入りビーチに♪ 湾になっているので波がないし、砂浜もあって 岩場があるから魚もいるので、シュノーケリングに最高なのです。 しかも、このあたりは、ホテルのプライベートビーチの端の方なのでほとんど人もいない。 どこまでも透明な水。浅瀬にいる魚は、白くて透明な魚。 入江の周りの方は、岩場になっていて、急に深くなります。 魚は深いところにたくさんいたのですが、深すぎて私はそこまで行けず、写真ではあまり撮れませんでしたが。 次の日の早朝には、このビーチにカメがお昼寝していました。(朝だったから、朝寝か ) 初日は、ホテルのプールサイドでワインを飲みながら、夕日を見ました。 これは二日目にビーチで見た夕日。 実は、昔から、私はこういった大型ホテルはあまりピンと来ない人だったのですが今回、宿泊してみて、やはりサービスはいいし、ビーチはきれいだしハワイという場所ということもあってたまにはこういうホテル滞在もいいものだなあと。長期滞在だと、やはり広くて、キッチン付きが必須になるのですけどね。 でも、さっと自己浄化しようと、持ってきたサウンドオブゴッドの音叉を鳴らしていたら隣の部屋の人からすぐに注意されたので、やっぱりこう言ったホテルでは音を鳴らすのは無理だなあと。(アーキュトニックなどの身体に当てる音叉だったら、大丈夫なのだけど) 食事は、ホテルのプールサイドのレストランで食べたり部屋のラナイで、海を眺めながらワイン飲んだり。 ここの近くにある、マウナラニホテル内にあるTommy Bahamaのレストランが 周りの緑と風が、心地よくて良かったです。 また友人が勧めてくれたので、ヒロへの帰りに立ち寄ったワイメアのレストラン「Merriman』 も美味しかった。 この旅では、和美ちゃんに撮ってもらった以外は 二人のツーショットを撮っていなかったので、撮ってもらいました。 そして、帰りに寄った、ヒロに近いハワイ南国植物園。 自然のままのジャングルを生かした植物園の中には ハワイ原産の珍しい植物がいっぱいで、遊歩道をお散歩がてら見て歩くのは、気持ちよかった〜♪ ということで、今回はハワイ島、リゾートの巻の3日間でした いろんなハワイ滞在がありますね。 さて、明日は、このカポホの家を出て ヒロのニックさんの家に移動して、そこで2泊した後、ニューヨークに戻ります。 もうすぐ、この激動のハワイの旅も終わるのか〜と思うと名残惜しくもあり、ブルックリンのホームに早く帰りたい気持ちもあり何とも言えない気持ちです。
2017年04月28日
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さて、ブログでロンのこと直接知らない人たちに話すのはいろんな誤解を生むなあということは、百も承知なんですがそれでもわかる人にはきっと伝わるし今の私の感じていることを記しておきますがこれは後から変化するかもしれませんから、話半分に聞いておいてね今回、クラス3の参加者の中で、占星術に詳しい人がいらっしゃってクラス全員の鑑定をしてくれたのですが私も最後の近い日に、クラスが終わった後、見てもらいました。占星術の鑑定や惑星音叉の仕事としてもされているYさんとアロマテラピーと音叉のお仕事をされているMさんという二人が同時にチャートを読んでくれたのですがこれが本当に素晴らしかった。私の性質や性格はもちろん、人間関係やこれからの方向性なども細かく見てくれて、それを聞くたびに「そうそうそうなの、すごい、こんなことまでわかるのね~」と感動だったでした。それで、二人に言われたのが、私は開拓者であって、常に何かを新しく始めていく人であるということ直感力があり、サイキック的な力もあるのでそれをさらに生かしていくのがいいがこれからは、社会的な成功というところにフォーカスした方がよく例えば、本を書くなどやっていくのがいいということ。正直、私は自分が好きなヒーリングさえできていればそれでよかったわけでそういった意味では、十分に成功していると感じていたこともあって社会的な成功というのは、どこかで避けていたことでした。 サイキック力に関しては、自分ではずっと私はサイキックではないと否定してきたことですが、今回、ドロシーとのことでそこに関わっていた過去世を手放すことにもなったことも、一つのメッセージとも言えるし星のチャートにも出ているというのは、やはり受け入れることが必要ということなのか。社会的な成功にしても、サイキックにしても、共通してあるのはもしそうなれば「自由でなくなってしまう」という感覚なのです。こんな風に好きなことを自由に書いたり、言ったりできなくなってしまうのが怖いのかもしれません。 また伝えてもらったのは、私の星的なことで言えば何か新しいことを始めるのは得意でもそれを長く続けることができない性質であるので土の要素を持つ人と組んだ方がいいということ。そして、人間関係に関して、言われたのが、乙女座の人との関係ではちゃぶ台をひっくり返すようなことになる、ということ。ひゃ~~、ロンは乙女座で、おさむも乙女座なのです。。。。こういう内容でブログを書いていること自体ちゃぶ台を引っくり返していることになるのか。。。そして、あなたは表裏が全くない人なので打算的なものを受けいれられないということ。あ~~打算的なものがダメだということ。実は、今回、もっともロンに対して受け入れられなかったのはこの「打算的なこと」だったのでした。今から、考えてみると人間なのだから時には打算的になってもいいわけで、それが嫌だということ自体いい悪いの二元的だということだなあと。そして問題が複雑になるは(実際は問題ではないとも言えるけど)彼の打算は、決して、ロンの個人的な欲やエゴ例えば、お金とか地位とかを求めるが故のものではないということなのです。これは、クラスでロンの話を聞いていても伝わってくることだし私がこれまで、ロンとあれこれをやってきた中でも「あ~この人にとって、本当にお金なんてどうでもいいだなあ」と感じることは何度もありました。(だからといって、お金を求めることが悪いということではなく)だから、彼の打算的なものを感じた時に、逆に混乱したというか私の中での抵抗が起こったわけですがそれでは、何のための打算なのか?そのことをお話しする前に、クラスの中でのことを。クラス1がスタートしてからというもの先日、お話ししたように私はここにいない感や不安感や恐れの中にいたのですがそういう時というのは、自分自身が何を感じているのかはよくわからないのに相手のエネルギーに対しては、敏感になっていたりするわけです。そして、去年とは全く違うロンのエネルギーに一体、何が起こっているのかよくわからずそれは、さらに私を落ち込ませました。でも、これは、私の感じ方の問題だから、と言い聞かせていたわけです。ところが、今回、クラス1に参加した方の中で、5、6人から「のりこさん、私が想像していたロンとは違いました」とか「エリンを見ていると、ハートが開いてきて、涙が出てくるのですがロンにはハートが開く感じにならないのは、私の問題でしょうか』とか『なんだかロンがこのクラスにいないという感じがしてしまうんです」などの言葉を次々に言われました。あ~、これを感じているのは私だけではないのだなあと。そして、クラス1の人たちは、今回、初めてロンと会ったのにそんな風に感じるなんて、なんという鋭い感性、というか逆に言えば、敏感すぎるというか、エンパスなので相手のエネルギーに同化してしまうということでもあるわけです。なぜ、ロンがそうなのかは、私にはわかりませんでしたが一つだけ言えるのは、ロンは、このクラスに意識を集中するよりこれを次のクラスにつなげようと、焦っている感じがするということでした。クラスの中で、ほぼ毎日のように、次のレベル2、3はいかに素晴らしいかまたATIHを受けたら、どんなに素晴らしいことが起こるかを伝えていたし私は今回、早い段階で、次のクラスのオーガナイズはやらないことを彼に伝えていたこともあって、次のオーガナイザーになる人がこの中からいないか、また他に知らないかどうかを参加者に尋ねていました。私にとっては、必要とあれば、自然にオーガナザーは現れるだろうし次のクラスの宣伝をしなくても、参加者の人たちが、クラスの中での実践やそれぞれ日本やニューヨークに戻ってから、このヒーリングを使ってみてその素晴らしさを実感したら、今後、さらに深めたいと思うのは自然なことですからなぜ、ロンほどのすごい叡智と力を持った人がそこまで必死になって次に繋げようとするのか、レットゴーできないのか最初は理解できませんでした。(とはいえ、何となくはわかっていたのですが)そして、クラスの中でのみんなからの質問に関するロンの答えというのが何とも的を得ないことが多かったこともありました。例えば、アトランティスやアマテラスの話などに関するものだったら質問者が求めていた答えを話してくれるのですが臨床的なことや症例などの質問になると答えが全く質問者の求めているものとは、違った方向になってゆくのです。例えば、私がクンダリーニ症候群に対して、もし具体的な対応の仕方などあれば教えてください、とクラス1で質問した時のロンの答えは「この世にボランティアでやってきた魂の中には自らが症例になって辛い経験をすることで結果的に、人々をヘルプしていくというお役目を買って出た人たちがいます。(つまりは、私がクンダリーニ症候群を体験したことでそういう体験をする人たちをヘルプするということ)それは、本当に素晴らしいことなのですが、私ならヘルプするのはいいけど、もう少し、お手柔らかに、と伝えるでしょう。一つのところに向かうのに、もっと楽しく進むこともできるのです)という答えでした。いや、確かに私自身は楽に生きようと思っていてもそうはならないこともいろいろあったし(だからこそ、このオーガナイズもやることになったわけで)そのおかげで、人に対してのヒーリングも深くなったわけでそういう意味で、それは私のハイヤーセルフなんだか魂レベルでの導きとも言えるけれどもういい加減「お手柔らかに」と言いたいというのはもっともなことで、とても納得するわけです。で、その場はそうだよなあと納得して終わったのですがいや、待てよ、私がここで聞きたかったことは、そこじゃなかったんだけど。。。と、そんな感じで、こういったロンの傾向は、去年もあったものの今年はさらにそれが大きく出ていました。おさむに言わせれば、「ロンは、創始者だけど、ヒーラーとしての臨床経験が多いわけではないし先生だから質問されたら、何か答えなきゃいけないと思って自分が答えることができることを、適当に答えているだけなんじゃない?」というのですがいや~、それは違うんじゃない、ロンはわからないことはわからないという人だしそんな単純なものじゃないと思うんだけど~と思っていたら、他の人たちはこれに関して、それぞれ違った見解を持っていました。例えば、ある人は「あれは禅問答みたいなもので、私が質問したことの答えは得られないのだけど ロンの答えを聞いているうちに、自分が質問したかったことが何だったかも わからなくなって、いつの間にか、ロンの答えに ああ、これが聞きたかったのだ、と納得してしまうのです」またある人は「偉大なるマスターは、答えを言わずにヒントだけを与えて相手が自分で答えを見つけるようにしたりそれを聞く人たちが、もっと聞きたいという思いを抱かせたりするのよ」と言い、なるほどなあと。で、私はどう感じたのかというとロンが何のために打算的になっているのか?ということを感じていった時に、ハッとわかったのはロンと私たちが捉えているヒーリングというものに対する捉え方が全く違うのだということに気づきました。ロンにとっては、症例とか、これにどう対応するか、とかさらに言えば、病気やいろんな問題を癒すとかそういった個人的な幸せや喜びは、どうだっていいのだ、ということでした。いや、どうだっていいというのが語弊がありますが少なくとも、彼がこのフィボナッチやATIHやアーキュトニックを広げようとしているメインの意図ではないというということです。そして、そのメインの意図のためにロンが(無意識的に)使っていたものその一つがアマテラスの存在だったのではないかということでした。さて、このクラスには、サイキック力のある人が何人かいたのですが(いや、潜在的なサイキック力という意味で言えば、ほぼみんなそうでしたが)クラス1に参加された方の中で、上からのメッセージをチャネリングする方(Nさん)がいました。彼女とは、お会いするのは、これで3回目でしたが2回目は、前回の東京初級クラスに参加されて私との過去世を覚えていた方です。正直なところ、このチャネリングというのは私はそこまで信じておらず、というのもそのチャネリングしている人、いわゆる媒体になっている人のエネルギーに左右されることが大きいのでその媒体になる人によっては、高次の意識にチャネリングしているようでいて実は違っていた、なんてことも起こりえるからです。これまで、そこまで完全なピュアなエネルギーの状態でいるチャネラーにはほとんど出会ったことはなかったしそれぞれに偏ったものになってしまうのも、仕方ないなあと感じていました。さて、そのNさんがロンに対して何らかの納得できない感情を持っていることは初日の自己紹介の時にも彼女がみんなの前で伝えたこともありわかっていましたが、それは彼女の個人的な問題から来ているものなのだろうと思っていました。彼女の問題として、一度、チャネリングが始めるとそれを自分の意思では、止めることができなくなる、ということとそして、降ろしてきたメッセージについて彼女自身が全ての意味を理解できないので、相手にきちんとそれが伝わらないということがありました。そして、クラス1の最終日のこと。質疑応答の時だったか、何の時だったかもう忘れてしまったのですが突然、Nさんが「もう抑えられない」と言い出しいきなり、チャネリングがスタートしました。それは、私は全く聞いたことがない言語で、彼女はそれを明らかに怒りに満ちた激しい口調で語りながらロンに近づき、ロンに対して、激しく迫りました。そして、ロンの前の机にあった細胞の模型やグラスなどをつかみ周りに投げ捨て、激しい怒りをあらわにしたのでした。それをロンは落ち着いて、静かにそれを聞きて受け取り、頭を下げていました。クラスの中で、何人かがすすり泣いていてその時、みんなが、どういう思いだったのかはわかりませんでしたが私は「あ~やっぱり来たなあ」とこの事態になることをどこかで知っていたように感じて全く驚きませんでした。むしろ意識のどこかに「ロンは怒られて当然」みたいな感覚があったのに、後から気付きました。ただ、Nさんに対して、こんな思いをするのはさぞ大変だろうなあと彼女の心が癒されることを祈っていました。Nさんは最後に「アマテラスを超えてゆけ!」と日本語でのメッセージを伝えると全てのチャネリングが終わり、すっかりいつもの自分を取り戻しロンに対して謝っていました。全てが収まった後、ロンはみんなに「今の言葉は、たぶん、マウリ語です。マウリは、レムリアとの深い関わりを持っている民族です。マウリの人たちは、最初に出会う人に怒りを見せて、相手に自分を見せろ、と伝えるのです。それに対して、恐れたり、怒ったりすることなく自分を見せたら、マウリの人たちは受け入れてくれるのです」と話してくれました。そして、そのクラスの後、ロンが話してくれたのは「最初は私もどうしたらいいか、わからなかった。でも気づいたのだ。ああ、彼女は、本当にアマテラスのエネルギーのチャネリングをしているということを。あの日の朝、私はアマテラスからのコンタクトがあったのです。そして、それをどうみんなに伝えていいのか、わからないでいました。そして、そのエネルギーとリンクしていたのです」その時は、私自身はあのエネルギーをどう捉えていいのかよくわからず、最後に彼女の言った言葉「アマテラスを超えてゆく」ということの意味もどういうことなのか、わかりませんでした。それでも、直接、そのことについて彼女と話すチャンスはなくクラス1が終了し、その次の日、私は父の四十九日のためにカラニを出発して、日本に向かいました。私は参加者の中で二人と同じ飛行機だったのでおさむに送ってもらって、ハワイのヒロ空港で、おさむと別れそのあと、空港で3人で話しながら、搭乗時間までの時間を過ごしていました。そして、あと10分で搭乗が始まるという時でした。Nさんが後ろから駆け込んできたのでした。彼女は次の飛行機だったのですが少し早く空港に着いたとのこと。そして私と会話しているうちにまた何かが降りてきたと、幾つかのメッセージを伝えてくれて「のりこさん、もっともっと正直になって」と伝えてくれました。「いや、もう私があれこれと言うことではないから」といった時に彼女は私の手を取って「みんなあなたを信頼しているから、ここまで来た。あなたが正直にならなければ、違った方向に行ってしまう」と言いました。私は、彼女の目を見つめた途端、ど~~っと涙が溢れてきました。 「ああ、そうだったのだ」と改めて気付いたのでした。 そうして、私は、あの時、なぜアマテラスが怒っていたのか彼女の目を見ていて、やっと理解できたのでした。「私は正直になりたいから、今回でこのオーガナイズをやめるの」と彼女に伝えました。実は、こういったロンとのやり取りを含めこれはあくまでも私の見方であり感じ方でしかないので私の胸のうちにしまっておこうと思っていたのですが彼女に言われたことで、私はより正直に生きる勇気を頂いたのです。(ちゃぶ台、引っくり返すことになってしまうかもだけど )これまでのアマテラスとロンとの深い関係に関しては嘘はありませんでした。だからこそ、今回、アマテラスの怒りがあったのでしょうから。ただ、もうアマテラスを使うのはやめてロン自身で勝負しろ、というメッセージだったのではないかと。それが、アマテラスを超えてゆけ、という言葉に現れたのではないかと。 物語は続きます~~。
2017年04月24日
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今回のカポホの一軒家は広くて 周りには家もなく、ただ緑が広がっています。 この静けさと安らぎの中にいると、先日までのことが、まるで嘘みたいに感じられます。 ここに着いた直後に引いたマップカードは 「のんびり、ゆっくりと進みなさい」というメッセージで 「そうだよね~、しばらくの間、のんびり過ごそう」と この2日間はブログをアップした他は、ボーっとしたり 自己ヒーリングしたり、おさむにセッションをやったりしていましたが (のんびりしていても、結局セッションをやってるのも、笑えるけど ) 今朝は、何だかアクティブな気持ちになってきたので 試しに再び、カードを引いてみたら出てきたのが 「今は新しいアイデアを生み出したり、新しい人間関係や 仕事を開始したり、あらゆる冒険に出かけるのに最適な時期です」 展開、早っ! ということで、早速、10月にニューヨークと東京で行う予定の キネシオロジー初級クラス、中級クラスについての アイデアや企画をおさむと話しつつ、そのための行動をスタートしてみたら あ~やっぱり、ワクワクする~ 思えば、このフィボナッチやアーキュトニックのクラスのオーガナイズは このわくわく感ではなく これが私のお役目なのだから、と割り切って、やってきたのだなあと。 もちろん、ここでの体験によって、いろんな人たちと深いレベルで繋がることができたし また、私自身の深いレベルでの解放につながったので 結果的にはすべてよかったのですが これからは、結果論やお役目ではなく プロセスそのものを楽しめるものにフォーカスしていこうと。 ということで、今後は、フィボナッチやアーキュトニックのオーガナイズをするのは 今回で終わることに決めたわけです。 さて、怒りの話の途中でしたが、今は、すっかり怒りがなくなってしまった後 それについて思い出して書くのは、例えて言うなら 覚醒体験をした後に、その時の感覚について伝えるようなもので 個人的な体験だし、伝えなくてもいいかなあという 気持ちに何度もなったのですが その度に「きちんと自分の思いを伝えること」という身体からの メッセージがあり、これをアップするモチベーションになっています。 怒りというのは、その時は、 誰かに対して向けられているようで 実際は、自分自身が持っている何かに対しての感情なのですよね。 例えば、先日、書いたように、表面的にはおさむに対して、怒っていても それを紐解いていくと、私自身が女性性を抑圧してきたことに対する怒りだった というように、今回、ロンに対して感じた怒りも、ロンが問題ではなく あくまでも私の問題であり、私自身に対する怒りなのです。 今回、私が最も受け入れられなかったことは ロンはいつもハートにいる人ではなかった ということでした。 そんなことは私もそうだし、人間なのだから、誰でも当たり前のことなのですが ロンに関しては、常にハートスペースにいる人なのだ と、これまで私は感じていて、つまり、それはある意味で 彼を神格化してしまっていたわけで そこに気づいた時、自分自身への怒りがわき上がってきたわけです。 ロンに対しては、2011年に受けたATIHのクラスの時のロンの印象が 強烈だったので、その印象が強く残っていたこともありました。 人はいろんな側面を持っているのが自然だし またどんどんと変化していくわけで、出会う時期によって また出会う場所や状況によって 全く違った印象を受けるものだなあと。 そのことに少しずつ気づき始めたのは 去年のフィボナッチのクラスが終わってから ロンとのメールのやり取りをやっていていろんな場面で何となく感じてきたことでした。 今となっては、その経緯自体は、全くどうでもいいことなのですが それを説明しないと、伝わりづらいかもしれないので書きますが これは、あくまでも私から見たものや感じたことであって いわば私の幻想のストーリーとも言えるので、真実とは違うことを 念のためにお伝えしておきます。 真実は、個人の経験や感覚の中にはないものですから。 さて、最初の年は、ロンとのメールのやり取りだけで、いろんな気づきがあったり オーガナイズのプロセスも、全てがスムーズに動いていったのですが 今回は、様々なことがタイミングが悪かったり ロンとの認識の違いから来る行き違いが起こっていて これはどういうことだろうと感じ始めていました。 特に大きかったのは、アーキュトニックのレベル3で行う あるプログラムに関してのやり取りを行った時のことでした。 それは、参加者が一人一人、音楽や音に関するパフォーマンスをクラス内で行うというもので、それは正規のアーキュトニックの プログラムではないとのことですが ロンは前回のカナダでとてもそれを気にいっていて 今回のハワイでも、ぜひそれをやりたいので、クラスのみんなにその旨を伝えて欲しいと ある日、私にメールで伝えてきました。 私はカナダでロンと話していて、カナダのクラスでは 実践の時間が少なかったので、今回のハワイのクラスでは、もっと実践を増やして欲しいこと また、惑星音叉を使った放射線除去や松果体の活性化 自己ヒーリングなどのプロトコルを加えて欲しいこと ということを伝えていました。 去年のフィボナッチのクラスでも、実践をもっとやりたかったという声が あったこともあるし、クラスの中での実践が少ないと、クラスが終わって戻ってから いざやろうとしても、なかなかピンと来なかったりするからです。 ロンは、それは快く了承してくれて、ぜひやろうと言ってくれたのですが そのためには、これまでのクラスの中で、何かの時間を削る必要がありました。 カナダでは、たった6人の参加者でしたが、音のパフォーマンスだけに 半日間を費やしたので、今回のハワイではレベル3の参加者は16人だし もし、これを行えば丸1日かかってしまって 実践はほとんどできなくなってしまうことは、目に見えていたこともあり その実践を削ってでも、このパフォーマンスが必要なプログラムであるとは 私とおさむには、どうしても思えなかったのです。 また、今回の参加者の中には、人前でのパフォーマンスに ストレスを感じている人たちが何人かいたこともあり 私は、日本からクラスの参加者たちが何を求めているのか?といったことも含めて ロンに伝え、音のパフォーマンスは、今回のプログラムからは外して欲しい ということを伝えたのでした。 ところが、ロンは、例え、参加者にとってストレスになったとしても 必要なものはやる、と伝えてきました。 そういったロンの強い意思表示は、これまでも何度かあり 私は、結果的には、ほとんどロンの意向に従ってきたので 今度も、そこまでロンがやりたいのなら、まあいいか、と思ったのですが 今回は、何かが私の中で引っかかったので、筋反射で身体に聞いてみると 「自分の意見を主張することが必要」と出てきました。 それで、参加者の人たちにメールを送り このパフォーマンスに関してどう思うか?のアンケートをとってみると 16人のうち、やりたいという人は2名で、どちらでもいいという人が4、5名 あとはやりたくない、中にはそれを考えただけでも大きなストレスになる という人もいました。 それで、この結果をロンに伝えたわけですが ロンから「人前でのパフォーマンスが そこまでのストレスになるということが、私には理解できない」ということや 「オーガナイザーは、先生の意向に従い 先生の意向を生徒に伝え、クラスを円滑にするために存在するのであって 先生に対して、指示をするものではない」 というような、ちょっと厳しいエネルギーのメールを受け取ったのでした。 あ~、だからオーガナイズの役なんて、私には無理だったのだ ということを改めて思い知らされたわけです。 去年のハワイで、私がロンに伝えた言葉は 「ロンに対する忠誠心があるゆえに 私は自分の自由感を失ってしまうし、それが嫌だから オーガナイズをやりたくないと躊躇したけれど その忠誠心を手放す調整を行ったので これからは、自由感を持ってオーガナイズすることにします」 ということで引き受けて、ロンもそれをとても喜んでくれたのですが 結局、私は自由感を失うことになったのだなあと。 それでロンに対して 「私の英語力の欠如ゆえに、そういう風に聞こえたかもしれないし そうだったら申し訳ないけれど、もちろんこれは指示ではなく オーガナイザーとしての要望で、もしできるなら 何らかの妥協案(希望者だけパフォーマンスを行うことなど)を提示してもらえたら嬉しい」 というメールを送ったのですが その後、ロンから、そのことに対する返事はありませんでした。 おさむはと言えは、そのロンからのメールを読んで「このエネルギーに俺はもう耐えれない」とすっかりクラスを行うことへモチベーションを失ってしまっていました。 ですが、それから、私たちのハワイでのリトリートがスタートし 父が亡くなったり、なんだかんだで、そのメールのことも私の意識から吹っ飛んでしまったのですが そのあと、しばらくして私は 『ロンは、大きな視点で物事を見ている人だから あのパフォーマンスを行うことが、プログラムや学びよりも 高次のレベルで、参加者みんなにとって必要なことだったのかもしれない。 それなのに、私は自分の経験や直感だけで それを阻止したことになってしまったのかもしれない」 という罪悪感や迷いのようなものが出てきました。 でも、もうクラスまでの日程も迫っていて 今更、そのプログラムを実行するには遅すぎたこともあって もうこの流れを受け入れるしかなかったし きっとこういった私の思いも、実際にロンにあったら すべて解消するのだろうと思っていたのです。 メールというのは、言葉だけで、相手のエネルギーは直接感じれないのでお互いに誤解を招きやすいものだしきっと会って話せば、ロンのハートに触れられるのだろうなあと。 ところが、今回、ロンとカラニで出会った瞬間に ロンのエネルギーが去年とは全く違うことを感じて 「ああ、やっぱり」という失望感と 「なぜ、私はこのクラスをオーガナイズしているのだろう」と’いう 自己否定や虚しさが出てきたのですが その直後に受けたドロシーのセッションから数日は すっかり自分自身ではなくなってしまっていたので 自分がどう感じているのかも、わからなくなっていました。 それで、クラスが始まる前日に、おさむに対して 「私たちは、参加者のみんなが、ここに来て本当によかった~と 喜んでもらうために、このクラスを開いているのよ。 だから、私たちの個人的な思いや感情は、ここにいる間は封印して オーガナイザーとしての仕事を最後までちゃんとやろうよ」 などと伝えたわけです。 は~、結果的には、私は何も封印できなかったし オーガナイザーとしての役目という意味でも失格でしたが (こう言う事をここで書いていること自体、完全に失格だし ) それでも、参加者のほとんどは、ここに参加できて本当によかった~と 本当に喜んでくれました。 考えてみれば、魂の導きによって、それぞれ来られているのだから 私が妙な責任感を持つ必要なんて、全くなかったのだなあと。 そして、また結果的には、今回のクラスのプログラムは 東洋医学に深く精通しているエリンの存在もあり よりさらに充実していて、実践やプロトコルも多く これまでのクラスの中でも最高のものとなったのでした。 最終日に、ロンに 「私はここに来る前は、あなたの意向に従うことをしなかったから ギルティ感があったのだけれど 今はこれで良かったとホッとしています」 と伝えたら、ロンは 「いや、どちらにしてもあのパフォーマンスを行う時間はなかったよ。 (あの~、そのことをずっと伝えてきたつもりだったんですけど~~ ) あれは、音のパフォーマンスが大事ということより あれをやると、一人ひとりが自分のことを語り、表現することになるから やりたかったのだよ。でも、このクラスの参加者は みんな自分を表現できる人たちだったので あのプログラムがなくても良かったよ」 という爽やかな答えが返ってきました。 それを聞いて なぜロンがそこまで、音のパフォーマンスをやりたかったのか?が ようやく納得できたわけです。 ロンが求めていたのは、クラスの参加者たちとの一体感だったのだなあと。ロンにとっては、プログラムより何より、一体感の方が大事なことだったのです。 私自身は、例えば私のクラスで、参加者が結果的に 一体感を感じることができれば、もちろん嬉しいことだけれど たとえ、分離感を感じていたとしても、それはそれで必要なプロセスや気づきに繋がるわけで クラスの中での、それぞれの自己表現や一体感を大切だと感じたことはなかったこともあって ロンの意図に全く気づかなかったのでした。 そして、なぜロンがそこまで一体感を求めていたのかも このクラス全体を通じて観えてきました。 こういった認識の違いから来る行き違いに関しては 怒りは感じなかったし、むしろ私自身の不十分感の方が大きかったのですが 今回、私が感じた怒りの感情は ロンとアマテラスとの関係から、表に出てきたのでした。 ということで、物語の続きはまた~~
2017年04月22日
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アロハ~~ みなさま、いかがお過ごしですか~? 先日、アーキュトニックのすべてのクラスが終了し 私とおさむは、昨日、カラニリトリートを出てパホアの村から車で15分ぐらい走ったところにある 閑静な森の中の広い一軒家に移って 愛と平穏と官能の日々を送っております。 (ふふ、官能っていうのが、ミソね ) って、前回のブログと180度違うエネルギーに 「一体、どうなってんの?』と思われる方もいるかもしれません。 前回のアップの後「ハラハラしています」とメールをくださったり その時の私の感覚と深く共感してくださった方もいて 本当に遠く離れていても、繋がっているのだなあと感じています。 ありがとうございます いや~、いつもそうだけど、またまた濃~い日々でした。 今回、私が感じたことに関しては、何からお話しすれば、上手く伝わるのかよくわからないし 実際、これは、いろんな角度から捉えることができるので どの視点からお伝えするかによって、全く違ったように表現されるわけで 言葉でお伝えするのは難しいところなのですが それでも、こうして言葉にすることで、私の中で またさらに理解も深まってゆくかなあと。 ですから、お伝えする言葉そのものではなく その奥にあるものを感じてくださったら嬉しいです。 さて、まずは、感情という観点からお話しようと思いますが 今回、去年と引き続きロンとアーキュトニックのクラスの先生として参加してくれたエリンは セラピストであると同時に、東洋医学や惑星に関しての素晴らしい研究者であり 彼女がクラスの中で、奇経八脈のことを話してくれた時に 彼女自身が歩んできたプロセスを話してくれたのですが 今から思うのは、私が今回、体験したのは まさに、そういったプロセスの一つだったのだなあということでした。 東洋医学での陰陽五行というのは、多くの方がご存知のことだと思いますが いわゆる、木火土金水(もっかどごんすい) で、それらは、私たちの様々な側面に現れているわけです。 簡単に説明すると 例えば、感情という面で五行をみてみると、それぞれの要素は 木ー怒り 火ー喜び(がない) 土ー心配、不安 金ー悲しみ、罪悪感 水ー恐れ といったものと結びついています。一方、奇経八脈はすべての根源ともいうべき「大いなる空」からの流れなので この陰陽五行を超えたところにあるものというわけです。 エリンは、それぞれの感情に関して、深いレベルで受け入れ、それぞれを感じきり 奇経八脈との関わりを感覚的に見つけ、その後、理論的に証明していくという プロセスをやってきたそうで そこから得た気づきや洞察は、何千年の東洋医学の叡智を統合し されにそれを超えたところにあって クラスの間中、エリンの発していた愛のエネルギーや人知を超えた洞察力は 参加者のみんなを感動の渦へとに巻き込んでいました。 私のキネシオロジーのセッションでも、クライアントさんによく出てくるのが 「恐れを感じることの恐れ」があるのですが 恐れを感じないようにを排除しようとすればするほど その感情や感覚はさらに抑圧され、奥の方にとどまって大きくなり 抜けることができずに、大いなる空の意識への道が閉ざされるわけです。 エリンは、例えば「恐れ」という感情と向かいあうのに 何ヶ月もかけて、徹底的に感じきってきたそうで だからこそ、すべてを受け入れそれを超えたところが観えているのだなあと。 で、その話は、去年にもエリンは話してくれたので ある程度、知ってはいたのですが 今回、私がクンダリーニ症候群になった後に この五行の感情を徹底的に見せられそれらを受け入れるというプロセスになっていたことに 今さらながら、気づいたわけです。 例えば 木ー大事にされなかった、守られていないという怒り(特におさむを含めた男性全体に対して) 火ー喜びがないという虚無感、虚しさ 土ーいつになったら元の私に戻ることができるのか?という不安感 金ー女性性が抑圧されたことへの深い悲しみやこんな私はダメだという罪悪感 水ー見捨てられることへの恐れ 思えば、私のこれまでの人生の中で 怒りや悲しみという感情は十分に感じきってきたと思うのですが 恐れや不安や虚無感といった感覚や感情は、ほとんど感じたことがなかったということに 今回、改めて気づきました。 これまで私は自分を、そして自分の人生を信頼してきたし 何が起こっても絶対に大丈夫だという感覚は、いつもどこかにあったので 恐れや虚無感というのは、私の中で、あまり感じれない感覚だったのです。 だからこそ、今回、それらを全て深いレベルで感じることができたたことは 本当に大きな宝の体験だったのだなあと。 もちろん、それらの感情や感覚が起こっている最中は 「わ~恐れがやってきた。嬉しいな~」なんてことにはならないわけで ドーンとその感覚の中に入っているわけなんですが 一方で、「いや~、こんな感覚が私の中にあるなんて~。すごい」 と感動もしていたのですよね。 さて、カラニリトリートに移ってからも 私はこの感覚や感情を、また別の形で体験することになり それらを駆け抜けた感じでした。 ちょうど、前回のブログのアップした時は、木火土金水の中で、金の感情である 抑圧された女性性と、男女がわかりあえないことへ悲しみを感じていた時期の 最後の日であって、次の日、そこから一気に抜けて 今は一通りのプロセスが終わった感じです。 ということで、まずは最初から説明すると 今回、カラニに入って、私が最初に感じたのは五行で言えば、水の要素である「恐れ」でした。 これまで、私は子供の頃から、人が怖いと感じたことはあまりないし 例えば、私の父はとても厳しい人でしたが、それでも怖いという感覚はなかったのですが 今回、人に対して怖いという感覚を、生まれて始めて、まともに感じたかもしれません。 しかも、決して嫌いではなく、むしろ大好きな人に対して 怖いという感覚を感じていました。 そして、そのきっかけとなったのが、ロンのパートナーであるドロシーの存在でした。 ドロシーは、私やおさむから見ると、およそ一般的なアメリカ人らしくないというか 多くのアメリカ人にありがちな自己主張やプライドの強さがなく 謙虚で、献身的で、感受性が強く、人情深く、とてもキュートな女性で 私はすぐに彼女が好きになりました。 でも、一方で、彼女の大きな目だけは、そう言った性質とは違って 魔女の目というのか、いわゆるサイキックであることは エネルギーにある程度、敏感な人ならすぐにわかるだろうなあと思います。 実際、彼女はそのサイキック力を生かして、セッションを行っているわけで それ自体は、とても素晴らしい才能です。 そして、少し前のブログにアップしたようにクラス1がスタートする前日 ドロシーのセッションを受けた私は、家系の問題を奥深くまで探り癒していくという素晴らしい経験をしたのですが その直後に私はひどい頭痛に見舞われました。 部屋に戻って、筋反射で見てみると 出てきたのは、魔女系エネルギーというのか いわゆる、呪いやサイキックアタックといったエネルギーでした。 ちなみに、呪いやサイキックアタックなどのエネルギーは 特に珍しいものではなく、サイキック的な力があったり ヒーリングに深いレベルで関わっている方の多くは 魔女狩りやそういった過去世と繋がっていることが多いし 私もこれまで何度か出てきたことがあります。 むしろ、サイキックでそういった過去世と、一度も繋がったことがない人の方が 珍しいかもしれません。 私の身体が伝えてきたのは、ドロシーのセッションを受けている中で 私の過去世とドロシーの持っている何らかのエネルギーがリンクして 私のエネルギーフィールドに入ってきたもしくは私の奥深くから出てきたということでした。 もちろん、これはドロシーの問題ではなく、私の問題であるわけで それらの過去世とエネルギーを解放すると、すぐに頭痛は治まったのですが それから数日間、ドロシーの目を合わせるのが怖いという感覚が 自分の中にあるのに気付きました。 彼女の目は、まっすぐに私の奥に入ってくるのですが その目をまともに見ると、何らかのエネルギーが入ってくる感覚があり フラフラしてきて、目が見えなくなるのです。 恐れがあれば、エネルギーを受けるということはよくわかっていましたが だからといって、恐れを感じないようにしても意味はないこともわかっていたので クラス1がスタートしてからの3日間は それを受け入れながら、夜になると私のエネルギーフィールドにあるものを浄化していくということをやっていました。 この間の私の感覚は、人に対する恐れだけではなく何とも言えない「ここにいない感」や「不安感」の中にいて自分が何者なのか、何を感じているのかもよくわからないのです。まるで、泥の中に首まではまって、どこから抜け出せばいいのかわからなくなってしまった感じでした。 その間、私は何も言わなったですが、参加者の数人から 「こんなに弱っているのりこさん、初めて見ました」 「わざと気配を消しているのかと思って、話しかけられませんでした」とか 「いつもと違って、あまりにも存在感が薄くなっているのにびっくりしました」 などという声をかけてくれて あ~わかる人にはちゃんとわかるんだなあと。 (肝心のおさむは、わかっていなかったのだけどね ) で、日々、少しずつキネシで自己ヒーリングをやっていたのですが クラスがスタートして3日目の夜に 「どんなにセッションが長くなっても 今夜中にはここから抜けよう」と決めて 夕食の後、部屋で自己ヒーリングをしました。 私の身体は「第6チャクラを調整しなさい」と伝えてきたので 一応、チャクラ活性率を見てみると、いつもは第6チャクラは最低でも90%以上の活性率なのに なんと20%代まで落ちていたことがわかり あ~だから暗闇の中にいるような感覚でいたし存在感もなくなっていたはずだよなあと気づいたわけです。 例えば、とても美人なのに、存在感がないなあというような人は 第6チャクラが閉じていることがほとんどで 第6チャクラの開き具合は、その人の存在感に出てくるのです。 (ちなみに、 チャクラの活性率はそれを測る人によって変わってくるので 例えば、私自身が私を見て90%以上であっても もし私より第6チャクラが活性化している人から見れば 数値は下がりますから、あくまでも相対的な数値です) それで、なぜここまで第6チャクラが封印されているのかを見ていって 出てきた要因がやはり、呪い系、特にマインドコントロールや 洗脳的なエネルギーでした。 最初そのエネルギーがどこから来ているのか、わからなかったのですが 筋反射で、だんだんそれが解き明かされてきて(ここでは説明できないのだけど) それらのエネルギーを解除していくにつれて 第6チャクラは、どんどん開いて行き、その日のうちに、90%代に戻りました。 それらが抜けた時の解放感は、もう例えようもなく その日、真夜中の1時を過ぎて、調整が終わった時には 「あ~やった~抜けた~」という喜びに満ち溢れていました。 そして次の日の朝、やはり私が何も言わないうちに、数人の参加者が私を見て 「わ〜、のりこさんが戻ってきた~」 「元気になって、良かったですね~」と言われました。 とにかく、今回のクラスの参加者は、素晴らしい感性の持ち主が多く私は、みんなに救われた感じでした。 それからは、ドロシーの目を見ても、恐れを感じることはなくなりました。 その後、通訳のナツコさんに相談して 彼女の勧めもあって、ドロシーに私がセッション後に感じたことを伝えました。 日本語でも上手く伝えられるかわからない内容だし ナツコさんにサポートしてもらいながら、伝えたのですが ドロシーは、真摯に受け止めてくれて、 彼女自身の家系の問題や男性から抑圧された体験やシャーマニックなワークのこと など語ってくれた後 「だから、のりこと何らかの形でリンクしたのも無理はないわ、 シェアしてくれてありがとう」と私に言ってくれました。 私と彼女が、ヒーリングやエネルギーにおいて見ている観点が違うのは 当然なので、彼女がどう捉えても良かったし、私は彼女に伝えたことで すでに満足していました。 ただ、私がもう一つ、恐れていたことがあって それは、参加者の中で、私のように彼女のエネルギーとリンクして 大変になってしまう人がいるのではないか?ということでした。 ドロシーは、クラス2のATIHの先生であって クラス1は教えなかったので、クラス1の最初の頃にロンから 「クラスが終わった後、ドロシーは個人セッションを受け付けるから クラスのみんなにドロシーを紹介してほしい」と言われ 私はみんなの前で、ドロシーのセッションの素晴らしい体験を話し、紹介したものの その後に私が感じたことに関しては、当然、話せなかったのです。 私の中には、大好きなドロシーのためにセッションを紹介したいという思いと もし、誰かドロシーのエネルギーとリンクして大変になったら セッションを勧めた私の責任だという罪悪感にも近い感覚がありました。 エリン曰く、恐れは、極性で言えば「信頼」の対局にあるものだということを話していましたが それも信頼の欠如から来ている恐れでした。 私自身は、あの地獄のようなクンダリーニ症候群の最中にあっても 自己ヒーリングできることはわかっているので そこは信頼できているのですが 他の人の力は、まだ完全に信頼できていなかったのだなあと。 結局、クラス1で5、6人の人が、ドロシーの個人セッションを受けましたが それぞれ、素晴らしい体験をしたようで その後も具合が悪くなった人はいませんでした。 ただ、クラス3では、数名が、ドロシーとエネルギー的なリンクをしてエネルギーが上がってきているのを感じたのですが それもまたそれが必要な時期に、解放されていくのだろうと。 今は、すべては完璧なプロセスの中にいることを信頼しています。 ということで、恐れが終わった直後から、私が感じることになったのは 「怒り」でした。 恐れの中にいる間は、感じなかった怒りの感情が 恐れから抜けた後、わき上がってきました。 まずは、ドロシーのセッションの後、一旦は収まったおさむへの怒りが再び出てきました。 ドロシーのセッション直後に私が自分自身を完全に見失っている時期にも おさむは私の感覚に、あまり気づいておらず この期間、夜、毎日、自己調整していた私に対して 「いつもいつもよくやるね~」ぐらいの感じで何も言わず、さっさと眠ってしまっていました。 3日目の夜に、私が抜けた後もみんなは私が何も言わなくてもすぐに気づいたのに おさむは私が伝えなければわからないわけです。 女性性と男性性の違いは、ここまでもよくわかっていましたが 本当に男は感じれない生き物なのだなあと。 私がそれを伝えても 「じゃあ、俺にどうしろというのだ」ということになって 要求されている、責められていると受け取ってしまったり今度は逆に腫れ物扱いになったりしてしまうので 女性が求めているケアは得られくなるのですよね。 女性にとっては、共感してくれること、寄り添ってくれることが大切なことで 「今、どんな感じ?大丈夫?」と声をかけてくれたり「今は大変だけど、大丈夫だからね』とハグしてくれたり、共感してくれれば それで十分なのですが、男性にとっては 女性が何を今、感じているのかがわからないわけですから 寄り添いたくても、できないのですよね。 もちろん、そう言ったことは、これまでもよくわかっていたわけでこれまでは、そこを私が甘えてみたり、伝えたりしてきたわけですが今回は、そんな余裕も私にはなくまた、おさむ自身もいろいろなエネルギーの影響を受けていたのでいつもより大変になってしまったわけです。(あ、ちなみに今は、怒りも悲しみもなく、笑いになっていますが ) そして、おさむへの怒りとは別に 私が感じた怒りは、ロンに対してでした。 あ~またまた長い。長すぎる。。 ということで、続きはまた~~ マハロ~~
2017年04月20日
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さて、話は前後しますが、私がクンダリーニ症候群になった経緯を説明する前に Sacred Plants(聖なる植物)のお話を。 以前、よくブログに書いてきたように、古くから先住民やネイティブたちは 大地とのつながりや祖先への敬意、意識の覚醒などのために 様々な植物をセレモニーで使ってきました。 その中でも最も有名な植物として ペルーや南米で使われているアヤワスカがありますが、 今回のクラスの中で、ロンがアヤワスカをペルーで体験した時の話をしてくれましたが アヤワスカを採取することで、音をビジョンとして観ることができるということを シピボ族はわかっていて、それを布やアートに表現してきたわけです。 私とおさむも、以前、アヤワスカやサンペドロや その他の聖なるプラントを体験してみて それは体験としては素晴らしかったですが 私自身は、ここ何年か、そういう体験に対して あまり興味がなくなっていました。 というのも、そういったプラントは、セレモニーや神聖な場所で使ったり ごくたまに体験するぐらいなら問題ないものの もし頻繁に摂取すれば、脳やエネルギーフィールドに 様々な影響があることがわかってきたからです。 以前、カナダで出会った人で、アヤワスカのセレモニーを頻繁に行っている シャーマンがいたのですが ある独特のエネルギーがあって、何と説明したらいいかわかりませんが あえて例えるなら、妖怪のようなエネルギーでした。 もちろん、それが悪いとか良いとかいうことではないし シャーマンとして生きていくのは、それが自然かもしれませんが 私とおさむにとっては、ちょっとヘビーで近寄れない感じでした。 ちなみに、国によって法律が違うので、アヤワスカは ペルーでは合法ですが、アメリカでは違法です。 また、例えば、カンナピズ(大麻)も古くから聖なる植物として使われてきたものですが 日本では違法ですが、アメリカは州によって法律が違って 医療大麻は、過半数の州で認可されていて また嗜好用を認可している州もあります。 ちなみにカンナビスの愛好家たちは、依存性がないことや 身体に無害であることを主張していて 私も昔は、そういうものだと思っていたのですが 決してそうではなく、様々な影響があるのです。 例えば、アルコール中毒のように、アルコールが切れると身体が震える というような依存でなくても、頻繁に摂取すれば、 それがないと、安心感やリラックスできない、ということになり それは依存となります。 また、左右の脳をつないでいる脳梁や交連のつながりを弱くするので 集中力やオーガナイズ力、判断力なども弱くなり 当然、グランディングも弱くなるので 常用すれば、ある種のエンティティがついてしまうことも多いです。 私も、ニューヨークにやってきたばかりの20代の頃 周りの友人たちに誘われて何度かやって 例えば、音が良く聴こえたり、意識が広がるような感覚になったり ビジョンが見えたり、体験としては良かったですが それを取った次の日には、だるくなったり ボーっとしたり、何もする気がしなくなってしまうので、一切やらなくなりました。 もうかれこれ、25年ぐらい前の話なので、当時は何も知りませんでしたが 今から思うと、あの頃、カンナビスを常用していた友人たちの中には エンティティ系のエネルギーが’強い人が何人もいたなあと思います。 さて、話は戻りますが おさむは、ハワイに来る度に、あるプラントを常用していました。 それは、ハワイのジャングルには、自然に自生しているもので ニックさんや他の何人もの方たちは、認可を取って 合法的に栽培されているのですが 私は、おさむに、ハワイに着く前に リトリートの前には、決して取らないように と伝えていました。 特に、今回、私がおさむと共同でワークしたかったことの一つに 宇宙人DNAの調整があるのですが、この調整には かなりの集中力と忍耐力を必要とするので そういったプラントを摂取すれば、とても集中力が続かなくなるのは わかっていたからです。 ところが、おさむはハワイに着いてすぐに、人からそれをもらって すぐにそれを摂取していました。 それを見て、私は「あ~、ダメだこりゃ~」と思っていたのですが 「まあ、いいか」と、その時は、彼にそれほど強く言いませんでした。 ちなみに「まあ、いいか」は、女性性の抑圧に 最も有効な言葉の一つと言えるかもしれません。 「まあ、いいか」と自分の感覚を封印し、感性を鈍らせてしまうのです。 でも、おさむ自身が止めたいと思わなければ 私がとやかく言っても仕方ないと 感覚を抑えていたわけですが 思えば、その時、すでに私の中で、おさむに対しての不信感がありました。 もちろん、私たちは完璧ではないですから 浄化したつもりでいても、何か残ってしまうことはあるし その時々によって、いろんなものが出てくるのは仕方ないことですが セラピストとして、自分のエネルギーに責任を持つのは当たり前のことで ほんの短い間でも自制できず、そういう状態で 人に対してセッションを行うことも許せなかったし そして、リトリートを開催する立場としての意識やそして、私を支えるという気持ちもないことに ある種の失望感を感じていました。 ですから、リトリートの間中 「彼には頼れないから、私がやらなければ」 という意識でいたこともあって、さらに私の責任感は大きくなり それぞれのセッションも長時間になりました。 実際、クラスが終わってから、具合が悪くなった人を 私とおさむでセッションする、ということになった時に おさむにはもう集中力や持続力がなかったので 私がしっかりするしかなかったわけです。 特にリトリートの最中に、父が亡くなった直後は 私自身もぐらついていたこともあって その時期に、精神的に彼に頼ることができなかったことは 正直、辛かったものの ただ「責任感」で自分自身を保っていた感じでした。 こうして、カポホでのリトリートが終わってから、数日経ったある日 おさむはそのプラントを 「のりこもたまには一緒に取ろうよ」と持ってきました。 私はもうプラントはやらないと決めていたのでもしおさむだけだったら、やらなかったでしょうが 一緒にいた他の2人もやるということもあって 「私があまり固いことばかり言っても、みんなが楽しめないな~。 後でキネシで脳の調整をすればいいか」 と、つい一口、小さなかけらを食べてしまったのでした。 そして、しばらく経って、だんだんと意識が朦朧とし始めた時に おさむが部屋に入ってきて、メイクラブをしようと、私のあそこに触れていて 私も最初は気持ちいい感覚になっていたのですが ある瞬間から、訳がわからなくなり、気がつくと嘔吐を繰り返していたわけです。 それがクンダリーニ症候群だったと筋反射で上がってきてわかったのが それから2日後でした。 よくよく考えてみれば、クンダリーニは、性エネルギーですから そういう意識の覚醒に影響するプラントを取って 仙骨のアクセスや性的なアプローチを行えば クンダリーニが活性化してもおかしくはないわけですが その時は、一体どうしてこうなったのか、何が起こっているのか 全くわかりませんでした。 それと同時に、この仙骨にあるブロックとして 男性から守られなかった過去世のエネルギーが 浮上してきたことに加え クンダリーニ症候群で神経系がやられていたので 周りのエネルギーに過剰に敏感となって おさむが持っていたエンティティ系のエネルギーなどが とても不快に感じられて 私もおさむに対する不信感はマックスとなっていたわけです。 そして、おさむのエネルギーが苦しかったので 少し私の身体の状態が落ち着いてきてから、おさむへのセッションを行いました。 すると、おさむのプラントへの依存の問題が浮上してきて おさむの身体は、それをもう完全にやめることが必要だと伝えてきました。 今回、私がクンダリーニ症候群を起こしたのは 私自身のブロックの問題であることもわかってはいましたが 一方で、おさむがその決断をするためには、私がこの体験をする必要があったのかもしれない などと思っていました。 ところが、私が思っていた以上に、おさむはプラントに依存状態に近い状態になっていたため そう簡単には、やめることができませんでした。 なぜやめることができないのか、おさむの身体に聞いて出てきたのは 「つながり感」や「誇らしい気持ち」などでした。 私はそういうプラントを常用している人たちが 共通して持っているプライドやエゴがあるのを感じていました。 プラントは、意識を覚醒する作用があるので そういう体験をすることで まるで、自分は世界を知っているかのような錯覚をするのです。 そして、そういうものを取っている人同士のつながり感。 おさむは、そういったものに依存していたのでした。 それから、2、3度セッションを行って、おさむはそれをやめる決心をしました。 そして、先日のドロシーのセッションで彼女から 「男性の弱さをあなたが抱え込んでサポートする必要はないのよ。 おさむに『これはあなたの問題よ』と言って返すのよ」 と言われたのでした。 クンダリーニ症候群になってから 体調がすっかり戻った後も 私の中で、どこかで抑えていた感覚が出てきて 何かが変わり始めました。「まあ、いいか」と達観することができなくなったのです。 これまでも達観せずに、感じてきたつもりだったけれどいつの間にか達観して、事なかれ主義になっていたことを思い知らされました。いかに今まで、自分の女性性を抑えてきたのかに改めて気づいたのでした。 そして、それに加えて、今回のフィボナッチのクラスでの ロンとの関係で、私はさらにつながり感を失ってゆきました。でも、おさむには、私の変化や感覚を受け止めることができる強さや余裕は ありませんでした。彼にとってもまた、今回の一連のことが、精神的に大きなストレスになっていたし私の言葉や対応が、彼にとって負担になっていました。 そうして、私は深い孤独感へと陥って行きました。 は~、なんというストーリーなのか。この常夏のハワイで、どうして、こんなストーリーにはまっているのかしらん そして、このストーリーは、一体、どういう結末を迎えるのかしら? 自分自身に正直に生きたい。自分を偽らず、誠実でいたい。 その思いはどんな時も私の中にあってその生き方に悔いはないけれど 時として、偽っていた方が楽に生きられるのだなあと。だから、偽って生きる人が多いのですね。 でも、それでも私は真摯に生きたいなあと。 だから、このブログもできるだけありのままにアップすることにしたわけなんですが自分のことだけではないから、どこまで書くのかは難しいです。 ということで、クラスのことなど、お話の続きはまた~~
2017年04月13日
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昨日、4月8日に父の四十九日が終わりました。 その話の前に、まずは、カラニリトリートに入ってすぐに受けた ドロシーとのセッションのことをお話しようと思います。 カラニリトリートで、カナダから来られたロンとエリン そして、イタリアから来られている通訳のなつこさんと再会し そして、今回、ATIHの先生として来てくれている ロンのパートナーのドロシーと初対面しました。 ドロシーは、シャーマンワークにも精通している、心理セラピストでもあります。 いかにもサイキックという鋭い大きな目で 人のエネルギーを読んでいるのが、すぐにわかりました。 夕食の時、私がクンダリーニ症候群になった経緯を二人に話すとロンとドロシーから、それは是非、ドロシーのワークを受けることをお勧めする言われ 次の日、参加者が到着する日の朝に、セッションを受けることになりました。 ドロシーは、家系のカルマや、その家系に代々受け継がれている問題を ワークすることが多いそうとのこと。 深い意識状態でのワークになるので、通訳があった方がいいということで なつこさんが、セッション中の通訳をやってくれることになりました。 まずは、私は目隠しをして、椅子に座り ドロシーは、ヒプノセラピーのように 私がリラックス状態になるように、言葉で誘導してくれます。 私は、すぐに瞑想的なリラックス状態になりました。 ドロシーの質問に答えながら 私とドロシーのビジョンを合わせていく感じなのですが この時、まだ言語中枢や脳梁などがダメージを受けていたこともあって 感覚と言葉が上手く繋がらずドロシーから質問されても、上手く答えれないことがよくありました。 ドロシー「身体のどこかにブロックしている箇所や 気になるところがありますか?」 私 しばらく意識を身体に向けてみる。 「… 仙骨」 ドロシー『その仙骨の色は、何色ですか?」 私 色を見ようするけれど、よくわからない 「… くすんでいて色はよく見えません」 ドロシー「そうですね。くすんでいますね。 それではそこにあるエネルギーの大きさはどのくらいですか?」 私 大きさ? よくわからない 「… よくわかりません」 ドロシー「それでは、その仙骨に意識を下ろして行ってください」 私は意識を仙骨に向けて、下ろしていこうとすると いきなり、深い悲しみがやってきて、ポロポロと涙が止まらなくなり しゃくりあげ始めました。 不思議な感覚でした。 なぜそんな悲しい感覚があるのか全くわからないのですが、仙骨に意識を向けて 仙骨に近づけていくだけで、悲しみはさらに深くなってゆきました。 一方、その悲しみの中に入っている私とは別にそれを冷静に見ている私もいて 「何なの?この感覚は?どこから来るのかしら?」と思っているのです。 ドロシーはしばらく私を泣かせてくれた後、彼女のビジョンを伝えてくれました。 ドロシー「小さな女の子が見えます。 「その子は、弱くて一人ぼっちです」 私は、弱くて一人ぼっちの女の子を見ようとしたのですが そこにはリンとして意思の強い子がいるだけで 弱い女の子はどこにもいませんでした。 私 「… その子は一人だけど、弱くはない。 とても強い子です」 ドロシー 「弱さも感じれないほどになっているのですね。 それでは、なぜその子は、強くある必要があるのですか?」 私 「なぜ?」 しばらく意識をそこに向けてみる。 「… 強くなければ、他の人が幸せでなくなる、、、」 ドロシー 「なるほど。 では、その中でも、最も幸せでいてほしい人は誰ですか?」 私はまたしばらくの間、誰なのか見つけようとしました。 そうして、突然ふっと出てきたのが 「お父さん」 でした。 私の口から父が出てきた時、冷静な方の私は 「は~これまで、散々、インナーチャイルドワークはやってきたのに まだ、お父さんなのね~。 亡くなったばかりだから、出てくるのは無理もないけど」 と思っていました。 ドロシー「それでは、お父さんと手をつなぎ、お父さんの中に入って行って お父さんと一体化しましょう」 こうして、私は父と一つの意識に繋がりました。 もともと、父とは子供の頃から、深いつながりを感じていたし 父と一つになるのは、私にとって特に難しいことではなく 自然に感じれました。 すると、突然、ドロシーが 「あなたのおじいさんが見えます」 と言い出しました。 すぐに私の中にも祖父のエネルギーが感じられました。 ドロシー「おじいさんは、とても厳しい、強い人でした。 おじいさんは女性性をその全く受けいれられませんでした。 そのために、周りの人たちが犠牲になってしまった。 彼は今、とても後悔しています」 もちろん、祖父がどんな人であるのかなんて、事前にドロシーには伝えていませんが ドロシーは、祖父のエネルギーをよく理解していました。 私の父方の祖父とは、私は子供の頃のことを覚えていますが 確かにとても厳しい人でした。 昔、父が、子供の頃、よく祖父に、怒られて、一晩、木にくくりつけられて 過ごしたこともある、などと話してくれましたがその当時の鹿児島の男性ですから 本当に厳しかったのです。 冷静な方の私は 「は~、ここでおじいちゃんが現れるのね~」 と感心しているのですが、一方で、ドロシーの誘導で、私は次第に おじいちゃんと一体化していました。 彼の深い罪悪感と後悔の念がひしひしと感じられました。 時代ゆえに、また育てられた環境ゆえに、強く厳しくならざるをえなかったこと それがゆえに、父が抑圧されそれが受け継がれて、私の中の女性性の抑圧となっていたこと。 「本当に申し訳ない」 何度もなんども、おじいちゃんからの言葉がドロシーの口から伝えられました。 ドロシーもまた泣いていました。 その時、私は、私自身の女性性の抑圧よりも、父がかわいそうという気持ちの方が 大きく出ていました。 祖父に厳しく育てられ、自らも決して楽に生きることを許さなかった父。 それゆえに病気となり、最後まで安らぐことがなかった父の人生を思い 涙が止まりませんでした。 私は祖父そのものとなり「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。 同時に、こんなにも後悔し、罪悪感を抱いている祖父に対しても 哀れに感じていました。 それから、ドロシーの誘導で、私は 私と父と祖父の3人で手を取り合って、静かに座っていました。 幼い私は、白い服を着て、父と祖父を優しく包み込むように そこにいました。 それは、とても安らかで穏やかな風景でした。 これは、後からドロシーに聞いた話なのですが 私の祖父は、セッションに半ば強引に入ってきた感じで あの時、ドロシーも、完全に私の祖父と一体化していたとのことでした。 「あの時、私はあなたの祖父と一体になっていました。 彼は、本当に癒されることを切望していました。 この時をずっと待っていたのです。 あなたがそれをできることを知っていたからです。 このセッションの中で、結局、あなたが 父方の家系を遡っていて、すべてを癒していったのです」 セッションの間、祖父や父の感覚など、私ははっきりと感じられることが多かったのですが 時々、自分自身の感覚は、よくわからなくなることがありました。 ドロシーが「お父さんにどうして欲しかったですか?」 と尋ねた時、私自身が父に何を求めていたのか、どうして欲しかったのか よくわかりませんでした。 しばらく感じてみても、はっきりと見えなかったので 「優しくして欲しかった」と答えましたが 言ってすぐに、自分は決して、そう感じてはいなかったこともわかっていました。 私は一体、どうして欲しかったのだろう? それから、ドロシーは場面を変えました。 ドロシー「それでは、おさむをここに呼んでみましょう」 もちろん、実際におさむを呼ぶのではなく、私の意識の中で彼の存在を呼ぶということです。 ドロシー「それではおさむと一つになってみましょう」 どんな感覚が湧きあがってきますか?」 私「怒りを感じます」 この質問には、私は即座に答えました。 その怒りは、私がクンダリーニ症候群になってから、大きくなったものの いつもどこかにある感覚でした。 ドロシー「大丈夫です。怒りを受け入れてください。 「なぜ怒っているのか、わかりますか?」 私「…守ってくれなかったから?」 ドロシー「そうですね。 あなたは、お父さんには怒りを表せなかった。 でも、もう大人になったあなたは、安心して怒りを表せるようになったのですね」 それは、明らかに違っていました。 私は父に対して、子供の頃から、戦ってきたし、怒りもよく表していました。 私はドロシーに何も言わず、その怒りがどこからくるのか、感じようとしていました。 ドロシー「あなたの中で、受け入れられないものは何ですか』 何だろう?何を私は受け入れられないのだろう? それもよくわからず、しばらくの間、意識を集中させていました。 そして、出てきたのが「男性性のエゴ」でした。 でも、その言葉と概念が、私の感覚を正しく言い表しているのかよくわからず まだクリアではありませんでした。 そうしているうちに、ドロシーの誘導で次第にわかってきたのが おさむの弱さ、でした。 ドロシーがそこを指摘して 「ああ、彼はとても弱かったから、あなたが守らなければならなかったのね」 と伝えました。 そこで、私の父と祖父の中に内在していた弱さと すべてがつながってきました。 ドロシー「そうだったのね。 あなたは子供の頃から、お父さんやおじいちゃんの中にあった弱さを感じていた。 だからこそ、あなたが強くなければならなかった。 あなたが男性たちを守らなければならなかったのです」 ドロシーの言葉がストンと、私の胸に響いてきました。 幼い頃の私にとって、父はとても厳しくて強い人でしたが 同時にどこか父の弱さや傷つきやすさを、いつも感じていました。 それは、結局、男性性の弱さであり、思考で物事を選択するものの弱さであって だから、私は父を恐れたことは一度もなかったし、私の直感に従って動けば それが、たとえ父への反発となり、父と戦うことになったとしても それが父の意識を変えるために、必要であることを いつもどこかで感じていたのだ、ということに改めて気づきました。 だからこそ、父に打たれても殴られても、私は傷つくことはなかったし 実際、父はいつも必ず、最終的には、私の選ぶ道を理解し、信頼してくれたのでした。 だから、私は父に甘えることができなかったけれど 甘えたいとも感じていなかったのだなあと。 ですから、男性に抑えられて、女性性を発揮できなかった、というより 男性を導き、守るために、自らの女性性を抑えた、というのが、最も近い表現でした。 おさむに対しては、いつもいろんな場面んで甘えているけれど やはり、いざという時は、私が導かなければ、強くなければ と感じてきたわけで だからこそ、おさむから守ってもらえないという現実を生み出したのだなあと。 その時、ようやく、私の中から 「ああ、やっとわかってもらえた」 という思いが出てきました。 怒りは、おさむに対してというより 私自身が、私の女性性を抑えてきたことから出てくるの怒りでした。 でも、逆の見方をすれば、思考で判断するしかない男性を導いてゆくことこそが 本来の女性の役割とも言えるのかもしれないなあと。 その日のセッションを境に、今回、ハワイに来てからずっと抱えていた 私のおさむへの怒りはすっかり消えました。 すべては完璧でした。 父を癒し、父方の家系を癒し、そして、私自身を癒すために 父が亡くなってすぐに、このセッションを受けることができたのは 天の祝福だったなあと。 そして、なつこさんの通訳も素晴らしかった。 セッション中、ドロシーの言葉のほとんどは、理解できたものの なつこさんの訳が入ることで、さらに深く私の中に入ってきたし セッション中の変性意識状態では、日本語でさえ 上手く出てこない場面が多かったので 彼女がいてくれたことは、大きな安心感になりました。 そして、彼女自身の感情を入れず、淡々と通訳を行ってくれたことも セッション中、余計なエネルギーを感じることなく 入り込めた要因でした。 しかし、一方で、もともとグラウンディングが弱っていたところに このディープなセッションを受けたことで、さらにグラウンディングは弱くなり セッション中に、ドロシーの持っていたエネルギーと 私の過去世とつながったこともあり (これはセッション後にクリアになってきたことでしたが) セッション後の丸3日間、私は完全に自分を見失ってしまいました。 そこで何が出てきたのかについては、また後ほどお伝えするとして その次の日からクラス1(アーキュトニックのレベル1とフィボナッチのクラス) が6日間、行われました。 そして、クラス1が終了し、父の四十九日のために クラス2の間、私はハワイを出て ここ福岡に戻ってきたのでした。 4月6日の夜に福岡に到着し、ご仏前の前で手を合わせて 父の位牌の前で「ただいま」の挨拶をしました。 少し前までは、ハワイから家に戻って、父の前で手を合わせたら 「ようやく戻ってくることができた」 という思いがこみ上げてくるだろう と思っていたのですが ドロシーのセッションで、もう十分に父の意識とつながることができたこともあって すでに私は満たされていました。 母から、父の最後の様子や安らかに眠るように逝ったこと 最後まで、看護婦さんが冷たい足をさすってくれたこと お葬式でいとこが素晴らしい挨拶をしたこと お葬式には、遠くからたくさんの人が足を運んでくださったこと など、いろんな話を聞きました。 そのいとこと父は、昔はよく議論を交わして、昔、とても頑固だった父は 彼の進路に関して「親の面倒を見なければならない」と 他の進路を選ぼうとしていた彼を説き伏せたそうで 「他人の人生を自分の考え通りに動かそうとするなんて 本当ひどい話だよね~」と母と父の悪口を言って、笑いました。 私は、昔から、決して父の言うことに従わず 自分で生きたい進路を選ぶことができたけれど 父の子供でもないのに、父に従って人生を選んだ人たちもいるのだなあと。 それも二人とも男性だったから、これは男性性の闇の一つの表れだったのか どちらにしても、それぞれの人生で必然の流れだったのでしょう。 それにしても、さすが私の母は、すでに清々しい感じで 父の遺品もすべて処分し、父の子供の頃のアルバムなども すべて捨ててしまったそうで 弟夫婦にも 「アルバムまで捨てることないのに~」と言われたんだそう。 みんなにそう言われても 「写真は少しだけ残しておけば、十分よ。 アルバムなんて持っていても見ることないし、いらないわよ」と あっさりと笑っている母を見ていると 感傷的で人情深く、思い出や情に浸っていた父とは対照的で ああ、だから私は、子供の頃から 母を通じて、女性のうちに秘めた強さを感じてきたのだなあと。 そして、私自身は、その両方を受け継いできたわけです。 母は、早速、6月には友人たちとオーストラリアに旅行するそうで この9年間、父の介護のために、全く外に出れなかった母は やっと自由になれたわけですから これから、よりパワフルに生きていってほしいなあと。 そして、7日は、弟夫婦と子供が京都からやってきました。 1歳7か月の甥っ子は、去年の10月に会った時には 全くおしゃべりしていなかったのに 今回は、ペチャクチャとおしゃべりしていて、むちゃ可愛いです。 弟の話で、骨壷に入れるために、父のお骨を小さく砕かなければならなかったという 話がとても印象的でした。 父は身体はすべてボロボロだったのに、骨だけはしっかりしていたそうで なかなか崩れなかったそう。 自分の父の骨を砕くという作業に、弟は 「自分の感情を感じないようにして行わなければならなかった」と 話し、私は弟のその時の思いが伝わってきて 弟がその辛い役をやってくれたことに、本当に感謝でした。 そして、4月8日、父の四十九日を家で行いました。 お坊さんがお経を唱えている間、甥っ子は楽しそうにおしゃべりしながら 走り回り、お坊さんに触りたくてたまらない様子で その甥っ子を見ているとおかしくて 事前にイメージしていたような、静かに父への祈りを捧げるセレモニーではなく とても賑やかな四十九日となりました。 きっと父も賑やかな四十九日を楽しんだことでしょう。 納骨した場所には、美しく桜が満開でした。桜が好きだった父は、この時期に見送って欲しかったのかなあと。 納骨した後、みんなで志賀島の和食の店に行き、懐石料理を頂いて 四十九日は終わりました。 そして、今日、4月9日は、私の誕生日。 たまたま、私の誕生日の前日が、父の四十九日にあたるなんて これも宇宙の計らいなのか、父の魂の導きなのか。 49日を終えて、私もまた新たに生まれ変わった気持ちでいます。 今日は、こうしてブログをアップしたり、弟へのセッションを行ったりして 家族とゆっくり過ごす予定です。 (音叉を自己調整のために少しだけ持ってきたのだけど つい目の前にいる人のセッションをしたくなってしまうのよね~ ) 夜は、みんなでお祝いしてくれるのだそう。 そして、また明日の朝には、福岡を出発して、ハワイに戻り 次の日からは、アーキュトニックのクラス3のスタートします。 これから、クラス1のことや ロンのことやドロシーのセッションの後日談など またハワイに戻ってから、アップするつもりです。 実は、このクラス1の間、私はこれまでにはなかった感覚があり 最初は、それはどう受け止めていいのかわからなかったのですが 少しづつ、私の中の感覚もクリアになってきています。 は~久々にむちゃ長くなった~。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます~
2017年04月09日
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アロハ~。久々のブログアップですが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか?私とおさむは、3月28日に、ここハワイ島のカラパナの近くにあるカラニリトリートにチェックインして次の日から、アーキュトニックのレベル1、そしてフィボナッチのクラスのオーガナイズのために滞在しています。このクラスのことも、お伝えしたいことはたくさんあるのですがとりあえず、このクラスが始まる前、私とおさむのバケーション最中に起こったことを、お話してみますね。ブログという誰が見るのかわからない媒体を通じて一体、どこまで本音でお伝えすることができるのか?すべてのことは私だけのことではなく他の人も様々な形で関わっていることが多いので難しいところでもあるのですができる限り、率直にお伝えしたいなあと。前回もお話ししたようにリトリート最中に、父が亡くなり、日本に戻れなかったことは残念だったもののいろんな方からの温かなエネルギーや家族のサポートもあって私の中で、父との思い出や記憶とともに暖かなメモリーとして残り、ただただ感謝でした。そして、私とおさむにとって、このハワイの旅での試練というべき経験は、リトリートが終わった後に起こりました。その一つが、いわゆる、クンダリーニ症候群と呼ばれるような症状だったわけです。それが起こったのは、ここカラニに入る3週間ぐらい前のことであることがきっかけで起こったのですがそのことに関しては、また後でご説明するとしてまずはクンダリーニについて、ご存知の方も多いでしょうがクンダリーニというのは、仙骨にある生命エネルギーであってそれが螺旋状に上昇して、百会に抜けると言われていて 古代からクンダリーニを覚醒させるためにヨガや瞑想や様々な修行が行われてきたわけです。ところが、何らかのブロックがあると、それが上昇しきれずクンダリーニ症候群と呼ばれる症状を引き起こします。私自身は、クンダリーニにそれほど興味があったわけではなかったのですが去年、私のクライアントさんや友人の中で、3人の方がクンダリーニ症候群を起こしたこともあってそれから、クンダリーニ症候群を調整する方法も含めてそれまで以上にあれこれと調べていたわけですがまさか、今回、私自身がそういったことを体験することになるとは夢にも思っていませんでした。その3人とも、クンダリーニ症候群を起こしたきっかけはフィボナッチヒーリングでした。私から直接、フィボナッチを受けたのは、そのうち一人で他の二人は日本在住だったのですが私から受けたクライアントさんは、昔、気功をやっていて仙骨から百会にエネルギーを抜けるためのトレーニングなどされていたということだったのでクンダリーニが上がりやすくなっていた、とも言えるわけですが他の二人は、それまで特にそう言ったワークをされていたわけではなくたまたまフィボナッチを受けた直後に、そういう症状が出てきたとのことでした。クンダリーニ症候群は、人によっては、何年間も回復できず様々な症状に苦しむことになるそうで日本にいる私の友人も、何ヶ月間も仕事を休むことになり大変な思いをしていました。ですから、今回、ハワイに来る前に、事前にロンにメールをしていてクンダリーニ症候群に対して、どう対応したらいいのかということも含めてできればみんなに詳しく説明してほしいと伝えていたのですがまさに、このクラスの直前に、私自身がそれを体感することになるなんてなんというタイミングなのかしらと。 クンダリーニ症候群自体は、転んで尾てい骨を強く打ったり交通事故などでも起こるものだそうで 中には、クンダリーニ症候群とはわからずに、病院に行って治療してもらっても、なかなか治らずさらにひどいことになってしまうケースもあります。そして、私がそうなった要因はフィボナッチでもなければ、スピリチュアルなワークでもなくこんなことでクンダリーニ症候群になるとは夢にも思わなかったものでしたがともかく、その症状の辛さといったら、多分、これまでの人生でこんなに辛い経験はなかったと言っても過言でないぐらい大変なものでした。まず、それが起こった瞬間から、嘔吐が始まりその時は、自分に一体、何が起こっているのが全くわからなかったのですが最初は、おさむがヒーリングしてくれて何とか嘔吐は止まったもののその後、ひどい疲労感や不安、怒り、深い悲しみ、虚無感そして、何より、まるで何か、ひどい虐待を受けたかのような深い絶望感という感情が、次々と私を襲ってきて数日間は、一種のうつ病のようになりました。そして、その時はわからなかったのですがおさむやその他の人からのエネルギーが私の中に流れ込んできて細胞ごと変化していくような感覚でした。(実際、私のDNAも変化したのが、後からわかったのですが)嘔吐が起こっていた時は、おさむが一度、調整してくれましたがその後、少し落ち着いてくると私はおさむに対して、強烈な抵抗感があり私の身体は完全におさむをブロックして、筋反射が取れない状態となったので私は倒れそうになりながらも、自己ヒーリングをしていくしかありませんでした。そして、2度目のセッションの時に私の身体からの声として、スキャンリストから選ばれたのが「クンダリーニ症候群」でその時に初めて「これがクンダリーニ症候群なのか」とわかったのでした。クンダリーニ症候群の方が、病院に行くと自律神経失調症と診断されるというのは、全く納得で実際、私の自律神経は、ほぼ完全に機能不全に陥っていてまさに自律神経失調症になっていたのでまずは自律神経の調整からスタートしました。そして、身体的には、脊髄と脊髄神経のダメージが大きくまた、脳神経や脳幹へのダメージ、セロトニン分泌の減少、その他の神経伝達物質の乱れ甲状腺、胸腺、松果体、視床下部といった内分泌系や女性ホルモンなどの機能不全などありとあらゆるところが一気にやられてしまったためグラウンディング力は大幅に落ちていわゆる、ひどいエンパス体質となり霊的なエネルギーやエンティティそして、宇宙人的なエネルギーなどが一気に私のエネルギーフィールドに流れ込んできて一体、自分が何者なのか、全くわからなくなってしまったわけです。それとともに、過去世の強烈なトラウマのようなものも上がってきてそれが、虐待されたかのような絶望感を生み出していました。これまでの人生いろんなことがありましたがここまでの絶望感や無価値感などを味わったことは、これまで一度もなかったので最初は、とても受け入れがたいことでした。今、振り返ってみると、それらもまた私たちにとって必要なプロセスの一つだったのだなあとわかるのですがその最中というのは、辛いものだなあと。 そして、エンパス体質は過去最悪の状態になりかなり脊髄神経がやられていたこともあって、半径5メートル以内に誰か人が近くと背中がむずむずと気持ち悪くて、いても立ってもいられなくなりおさむでさえ、近くにいると、気持ち悪く感じて一緒にいられませんでした。実際、私の身体は、おさむが近くにいると、自己ヒーリングのセッションを行うことを許可しなかったので自己ヒーリングの調整中は、毎回、おさむに車でどこかに行ってもらっていました。 そして、何よりも辛かったのは、私がこのクンダリーニ症候群を起こしたことでおさむが内在していた問題が、浮上してきていやが応でも、それと向き合わざるをえないことになったことでした。私自身、これまで「まあいいか」と彼の中に見ないようにしてきたものをこれでもか~と見せられたこともあって私はおさむに対しての信頼を、ほぼ完全に失ってしまいもはや離婚するしかないかも、という気持ちにさえなっていました。それでも、コナに滞在している間に、毎日、自己ヒーリングを行い身体的な調整とともに、過去世や私に流れこんできたあらゆるエネルギーを浄化しそれによって変化したDNAなどを調整していく中で徐々に体調も戻ってきて、不安感や絶望感もなくなってきたのでおさむへのセッションをスタートして少しずつ彼への信頼も取り戻してきました。あの最悪の状態から、こんなに短期間で、回復できたのはまさに奇跡的で、もしこのキネシオロジーがなかったらしばらく廃人みたいになっていたのではないかなあと。それでも、まだ他の人のエネルギーをすぐに受けてしまうような状態だったので果たして、こんな状態で、アーキュトニックとフィボナッチのクラスのオーガナイズなんてやれるのか?という思いも若干あったもののまあ、実際のクラスが始まれば、私がやらなければならないことはほとんどないのでもし具合が悪くなれば、部屋で休むことにしようとと、このカラニにやってきたわけです。ということで、ここに来るまでのの流れをざざっとご説明しましたがこのクラスがスタートする前に、もう一つの体験が私を待っていました。 その話もまた長くなってしまうので、今日はこのあたりで終了するとして続きは福岡でアップできたらいいな~と。 は〜、それにしても、今回のハワイもいろいろあるな〜。この波乱万丈の旅を現実化しているのは私自身(の無意識)だからね そして、いよいよ明日(と言っても、もう今日だけど)には、このフィボナッチのクラスが終了し明後日には、父の四十九日のためハワイを出発して、福岡に向かいます。あ、ちなみに、今は、体調も完全に復帰しておさむとの信頼関係も取り戻し、とてもハッピーでいます
2017年04月03日
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