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2009年05月11日
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またまたアミシリーズから
今回はエゴについて、書いてみたいなあと。


うーん、これは簡単には説明できない、
とても大きな問題ですよね~。


エゴを手放していかない限り、私たちの精神レベル、
つまり愛のレベルを高めることはできません。


でも、エゴはいろんなところに、いろんな形で潜んでいるので
最初は、自分でこれがエゴとは見分けられないほどなんですよね。


アミシリーズの中でも、第2巻『もどってきたアミ」で
アミが、ペドゥリートの潜在的に持っているエゴについて
指摘をする箇所があります。

指摘されたペドゥリートは、ショックを受け、
次に、それを指摘したアミに対して強い怒りを覚えます。

この「怒りを覚える」
このことがエゴである証拠なんですね。

エゴは、傷つけられたと感じると、それを怒りに変換させて
エゴ自体を守ろうとするのです。
「私は悪くない」と。


なので、誰かに欠点を指摘されて、それに対して怒りを感じるようなら
それはまさに図星なのです。
怒りを感じるのは、それが一番認めたくない部分だからなんですよね。


反対にアミは、ペドゥリートから

『やい、いい子ぶった宇宙人。
愛を語り、大げさに愛を吹聴するけど、じっさいに
やることといったら、人の欠点をあげつらって非難すること
だけじゃないか。
きみに愛なんてあるはずはない」

とののしられても怒りは感じません。
でも、悲しげな顔をするのです。

『ペドゥリート、心が痛むのはよくわかるよ。
でも、これもすべてきみのことを思ってのことなんだよ。
ごめんね』


そう、本当に相手のために想ってやったり、
言ったりしたことが
相手に理解されなかった場合、
怒りではなく、悲しい気持ち
それも、相手のことを想うがゆえの
悲しみの気持ちが湧いてくるのですね。


一方、この「相手のために何かをやる」ということにも
エゴが隠れている場合があります。

「相手のため」と言いながら、
実は、自分をよく見せたい気持ちからだったり
単なる自己満足だったり。

よく親が子どもに
『これはあなたのために言っているのよ』
なんてことを言いますが、
よくよく見てみると
案外、親の面目のためだったりしますよね。


なので、それが自分のエゴの気持ちからでなく
本当に相手を想う気持ちからなのかどうか、
きちんと自分自身の内側を見つめてみることが大切だと感じます。


でも、だからといって、
自分自身の感情や気持ちを尊重せず、
相手のために、完全に自分を犠牲にして何かをやるというのも
本来あるべき自然な形ではありません。

アミも、ビンカとペドゥリートに対して
自分を愛する度合いと他人を愛する度合いの
バランスが取れていなければならないことを
きちんと説明しています。


そのあたりのバランスというか
「誰かのために」何かをやる場合
相手のためにやっていることが、自分自身の喜び
であることを、しっかりと認識した上で、
例え、相手がすぐにはそれを理解しなかったとしても
それはそれでよしとすることが大切だなあ、
と思うのです。
(いや、むしろ理解されないことの方が多いのかもしれませんが)


そして、相手がそれを理解するのがあまりにも難しいと
感じる場合は、やはりその時は
相手のためにも自分のためにも、
少し時期を待った方がよさそうですね。

アミも言っていますが、
いきなり、相手のエゴを刺激するような言葉を放つと
とてもショックで、相手は決して受け入れられないし
単に反発されるだけのことになってしまうのです。
(以前は、私もそんな失敗を何度もやりました

アミ曰く、

『ある程度までの水準の人生において、
エゴは一緒の「救命具」のような保護者的な役割を持っている。
でも、もし、もっと上の水準に進歩したければ
その重い「救命具」つまりエゴを
一緒に持っていくことはできないんだ。
いつか、二者択一をしなければならない時機というものが
やってくるんだよ」



う~ん、なるほど~
深く納得です。
自分のエゴを満足させるために、がんばって何かをやるというのは
多くの人たちにとって、最初は必要なことなのでしょう。

アミは、そのあたりのバランスを上手くとりつつ
相手の進歩の度合いによって
忍耐強く、少しずつレベルアップさせていく
そのあたりのやり方が、すばらしいなあと感じます。
(もちろん、アミは、ペドゥリートが持っている本来の力を
見通しているからなのですが)

何より、どんなことでもアミが説明すると、
とてもわかりやすいですしね


そして、精神レベルが上がってきた人たちが
陥りやすい最後のエゴと言われるのが
精神的(スピリチュアルな)エゴ。

他の人より何かをよく知っているとか
特別な経験をしたとかいうことで、
自分が相手より優れている存在であると感じるエゴです。

どんな人も同じように、輝く魂を持っていますが
それがこの世に生まれて、いろんな環境で暮らしていると、
見えなくなってしまうこともあります。
でも、最終的に、みんなが到達するところは同じだし
単に人それぞれ、学びのスピードやタイミングや方法が
違うだけなのですが、
それを相手より自分が優れていると錯覚してしまうのが
精神的エゴ。


精神レベル=愛のレベルですから、
本当に精神レベルが高い人は、相手を見下すことはしないのです。


精神的エゴに関しては、以前読んだ

「からだの声を聞きなさい」by リズブルボー

という本もお勧めです。

私も時々、内観しては

『はは~~まだ、こんなところにエゴが隠れていたのね~』

と見つけだすことがあります


自分の中のエゴを認めることは、
けして楽しい作業ではありません。
むしろ、その時は、胸がキリキリと痛むような
とても辛い思いをすることになることがあります。

誰だって、自分はいつも清い人間だ、正しい人間だ
特別な人間だと、思いたいものですものね。


でも、そのエゴを認めて、受け入れ、手放していくことで
私たちは本来誰もが持っている
ピュアな魂の状態により近づいていくことができるのだな~
と思うのです。


エゴが隠れている時は
必ず、認めたくないという気持ちがどこかで働きますので
ちょっとした勇気を持って、内観してみることが大事ですね。
(でも、これもちょっと練習すれば、それほど
辛い思いをせずに、認めることに慣れてきますけどね


そして、それを勇気を持って、手放した後は
いつも、とてもすがすがしい気持ちになります。
ああ、また一つ軽くなった~という感じです。


と、これを書きながら、これを書くという行為において
どこかにエゴは隠れていないかどうか、チェックしてみる私です
(もしかしてこの文は自分をよく見せようというエゴ?
エゴなの~~~?)←かなり考えすぎ




それぞれみんなが、愛の度数を高めていって
世界をよい方向へ変えてゆくことができますように


読んでくださって、ありがとう


CSC_2327 のコピー 1.JPG
こんな小さな花たちが持っている、愛と奉仕の気持ちがあったなら、
たぶんそれだけで充分なんだよね









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最終更新日  2010年08月23日 11時58分24秒
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