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さて、言語化において大切なのは自分が気持ちや感覚を言語化することと人が話した言葉の真意を理解する力はリンクしていると言うことです。(なんの前振りもないのに、いきなり「さて」で始まるのも、どうかと思いつつ私の中では、以前の話題とまだ繋がっているので🤣)言語化には、インナーチャイルドの問題が関わっていることは、以前にも書きましたが遺伝的な問題で言えば言語能力そのものが低い未確認型の宇宙系遺伝や言葉そのものに囚われてしまう冥王星遺伝人の言葉を被害的に捉えるグレイ遺伝自分自身の内からの言葉でなく一般的な正論でしか話せないマーカビアン&ゼータレチクル遺伝などいろんな遺伝が関わっています。この中で、冥王星遺伝が強いと言葉そのものに囚われ相手の伝えたい本質や感覚を理解せず理屈づけてしまう傾向にあるので冥王星遺伝が強ければ、強いほど人とのコミュニケーションは楽しくないものになるのです。私の母は、冥王星の性質はほとんど出ていない人で(遺伝としては持っていますが)何にしても、こだわりがないし私の子供の頃から「人の話は話半分よ~」と、人の話を聞き流すように母が言っていたこともあって私も、相手の言葉そのものをまともに受け取らないことが多かったのですが問題なのは、相手もそうだと思っていたので私が言った言葉を、曲解して受け取られることがあるということになかなか気づくことができなかったことです。例えば、私の言った言葉の中である部分だけ切り取られて「のりこさんに、以前、こんな風に言われて私は~~なのだと思って、落ち込みました」と言われたことがあるのですが私は、その言葉を~~~のつもりで言ったわけでは全くなく、深い意味はなくて全体の会話の流れの中で、その言葉を使っただけで私の意図とは違うように受け取られていたということが、何度かありました。つまり、冥王星遺伝が強く言葉に囚われてしまう人に対しては慎重に言葉を選ぶ必要があるということを私は、理解する必要があったのです。レベル1で言語化のクラスを開催したことで改めて自分の言語化について理解したのは、私の元々持っていた言語能力の低い遺伝に加え私の言葉を、相手もエネルギーで受け取ると思っていたことが問題だったということでした。それで、ああ、そうかとわかったのは私が子供の頃、親の言葉によって傷ついたことが、一度もなかったのは決して、親が適切な言葉を使っていたからではなく私は子供の頃から言葉そのものを受け取っていなかったからということでした。私は、親の言葉の奥にあるものを子供の頃から、いつも受け取ってきたのです。そんなことを思っていたら参加者の方から、以前、頂いたメールでこんな文章がありました。(掲載の了承をもらってから、かなり過ぎているけど)母から8年ぶりくらいに電話がきて父とも10数年ぶりに話しました。もう縁は切れたと思ってたので、連絡がきたことにびっくりで最初は何かあったのかと思いましたが両親とも元気でした。父の第一声が「なんだ、まだ生きてたのか」で相変わらずだな~と思いましたが私と話せたのが嬉しいのが伝わってきてあぁ~きっと私は父のこういう言葉を言葉そのもので受け取っていて傷付いていたんだなぁと思いました。母に近況を話したら、「すごいじゃん!」と何度も言ってくれて子供の頃に褒められた記憶が全く無かったので驚きました。父の言葉通りでなく受け取れたので私の冥王星もちょっと抜けてきたのかな~と思えてちょっと嬉しかったのですがまだまだガッツリ冥王星でした~😅それから母はナチュラルにこちらが罪悪感を持つような話し方をするので私の罪悪感癖は育てられ方からも来ているな~と気付きました。(男の子はお母さん大好きで優しいからいい私(母)は男の子持てなかったからとか)母には言葉そのものじゃなくて母の気持ちを受け取ってたんだな~と思いました。逆ならよかったのにです😂海王星~言語化のクラスのおかげでまた少し気付けるようになった気がします。マル回も海王星も神回だったし、毎回神回です😆彼女が、自分の言語化を見直すことを通じて親の言葉そのものではなく奥にある愛を受け取ることができたことが本当によかった😭今、私たちが知る必要があるのは私たちも、そして、私たちの親も言語化が上手くできていなかったし本当に伝えたいことを伝えていたわけじゃないということなのです。結局、言語化を突き詰めてゆくと自分や相手の伝える言語の奥にあるものが愛であるのか、そうじゃないのかそこに尽きるなあと。これを読んで、思い出したのは「なんだ、まだ生きてたのか」これ、まさに私の父が言いそうな言葉で(っていうか、多分、一度や二度は言っているはず)私は、そんな父の言葉を聞くと傷つくどころか照れ隠しに、そんなことを言う父を愛おしく感じていたし言葉にできない父の深い愛情を受けとっていました。(でも、私の方も、「お父さんこそ、しぶとく生きてたのね〜」ぐらいの言葉は、きっと返しただろうなと。そうしたら、きっと父は笑うだろうし)では、どうして私は、父のそういう言葉そのものを受け取らずに、愛を受け取ることができたのだろう?と思い返してみると、子供の頃のある風景を思い出しました。私には、3歳下の妹がいるのですが私は、父とキャッチボールしたり一緒に算数の問題を解いたりして触れ合うことが多かったのですが父は、妹とは、ほとんど関わろうとせず子供の頃、私は「お父さんは、Kちゃんのことがあまり好きじゃないのかしら?」と気になっていました。そんなある日の夜夜中にふと目が覚めてリビングから、父と母の話し声が聞こえたのでリビングに行こうとして母の話が耳に入ってきました。それは、妹が病院の検査で脳腫瘍が見つかったという話を母が父に報告していたところでした。それを聞いて、父は隣の部屋で寝ている私たちに気づかれないように声を押し殺して肩を震わせて、泣いていたのです。それを見たとき妹が、そんな病気になってしまったことへのショックと同時にああ、お父さんは、こんなにKちゃんのことが好きなのに、それを上手く言葉や表情で表現することができないんだなということでした。妹の病気はショックだけど父の妹への愛を感じたことはなぜか嬉しかったのです。 でも、妹には、父の愛は伝わっていないこともわかっていたのでもどかしい気持ちでした。今から思えば、子供の頃の私は男の子のような意識や性質だったので父も接しやすかったのだろうけど妹には、どう接したらいいかよくわからなかったのだろうなと。結局、その後の検査で病院側の検査ミスで妹は、脳腫瘍ではなかったことがわかったので、ほっとしてそのことは、忘れてしまったのですがほっとした時のことは覚えていないのに肩を震わせて泣いていた父の姿ははっきりと覚えているのです。その時の経験から私が無意識に学んでいたのは「人は、愛情を持っていても素直に、それを表現することができない」ということでした、だから、親がどんな言葉を使ったとしても私は傷つくことはなかったのだなあと。考えてみれば、古い昭和の男なんて愛情を素直に表現できない人の方がずっと多いのですよね。いや、古い男だけでなく女性でも愛情を上手く言語化できないのです。彼女のこのメールにあった文章で「男の子はお母さん大好きで優しいからいい私(母)は男の子持てなかったから」 この言葉を言葉通りに受け取って「女の子で生まれて申し訳ない」なんて、罪悪感を感じるなんて全く意味がなくてお母さんは、本当にそう思っているわけじゃないし多分、このお母さんの根底にあるのは「私のことを好きでいてほしい」と言う想い。子供が親を好きなのは当たり前なのにそれを感じられず、確認したかったのが「男の子は、お母さん大好きだし」など、他の人の言葉を持ち出してこんな皮肉めいた言葉として出てきてしまったのだろうなと。だから、このお母さんが本当は、彼女から聞きたかった言葉は「お母さん大好き」というシンプルな言葉であってそれは、お母さんが「〜〜ちゃん大好き」と伝えていれば、受け取れる言葉だったのだけど上手く愛情を言語化できなかったのですよね。そういえば、こういうところ私の母も似たような言い回しをすることがあったなあと。私の母の場合は、父とは違っていて笑いを取るために相手をいじってみたり自虐的な言い方をしたりするのでそう言う言葉も私は、まともに受けとっておらず愛情ゆえの半分愚痴、半分ジョークと受けとって、聞き流したり逆に、そう言う母をいじって笑いにしていました。例えば「男の子はお母さん大好きで優しいからいい私(母)は男の子持てなかったから」 もし、こんな風に言われたなら「お母さんは、男の子には優しくなるそうだし私も、男の子で生まれたら優しいお母さんを持てたのになあ。女の子として生まれて残念〜」(全く思ってないけど)みたいな感じで返してただろうな〜と。でも、今ならきっと「あら、私は女の子だけどお母さんのこと大好きだけどね。この愛が伝わってないの残念〜」って伝えるだろうな〜と。冥王星遺伝の性質が強ければ真面目に言葉そのものを捉えてしまうので傷つきやすくなったりずっと、その言葉が引っかかったり逆に自分の言った言葉を、後から「あんな言い方をしなければよかった」などと、あれこれを考えたりしがちなので人とコミュニケーションが楽しめないのです。もちろん、相手が自分をおとしめようと言う悪意があったりすればどんな言葉であれ、楽しむことはできないし傷つくのも当たり前なのですがそうでなくて、受け取り方の問題であるケースが多いのです。もちろん、伝える方も、伝える言葉を適切なものを選ぶ力は必要なのですが発する言葉を気にしていると気軽に言葉を発せず気を使うことになってしまいがちなので私は、やはり気軽なコミュニケーションが好きだなあと。自分の本当の気持ちや感覚を言語化することを通じて高まってゆくのは相手の言葉の奥にある愛や本当の気持ちを受け取る力。結局「私は愛されている」という意識が全てなのですが私たちは、言語の使い方や理解の仕方によって愛を与え、受け取ることができなくなっていることが多いのです。そのことに、レベル1のクラスでの学びを通じて気づき、変化する人たちが少しずつ増えて嬉しいです。(私のこれまでの言語化のまずさを言い訳するつもりはないけどね。だから、常々「私の話は話半分に聞いといて」って言ってたんだよぉ〜〜🤣)
2024年05月02日
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さて、先日の言語化のクラスが終わってからも私の言語化の気づきと学びは、続いています。私自身のこれまでの体験や経験を今回、改めて言語化して気づいたことに加えてみなさんから頂いた感想やメールなどからの気づきも加わって、その学びは、とどまることなく続く感じがしています。自分のために言語化する場合と相手に伝えるための言語化とでは全くそこにかかる負荷は違うわけである意味、人間関係の問題のほとんどはこの言語化の行き違いと言っても過言ではないなあと。また、相手に伝えるのもこうして文章で伝えるのと話して伝えるのでは、全く違ってきます。話して伝える方が、書かれた言葉よりも話し手のエネルギーが伝わるのでより伝えやすい部分もあるし一方で、会話というのはどんどん流れてゆくものなので瞬時に自分の思いを言語化することの難しさもあります。どちらにしても相手にどう伝えたら真意が伝わるのか?とかこの言葉は、目の前の相手にはどう伝わるのか?を理解して言語化しなければ誤解が生じてしまう、ということをこれまで、何度も体験してきました。相手との関係の深さに加え大切なのは、その伝える相手の「言葉に対する受け取り方」を理解しておくことだなとつくづく感じています。家族や古くからの親しい友人など関係性が深ければ何をどう伝えても伝わるというのはありますが親しい家族や友人の中でも言葉の受け取り方には違いはあります。確か、1、2年ぐらい前だったか私の親しい友人が「(私に)言ったら止められると思ったから言わなかったんだけど実は、~~をしていたの。そうしたらやっぱり上手くいかなくて傷ついた」ということをラインで伝えてきたことがありました。私は、その友人に「~~はしてはダメだよ。結果的に傷つくことになるのだから」と事前にアドバイスしていたのでした。私は、彼女がそのアドバイスを守らなかったことよりも彼女が自分自身を傷つける選択をしたことに腹が立って、(本当に怒っていたわけじゃないけど)その時、結構、厳しい言葉を伝えました。具体的に何を言ったかはよく覚えてないのですが覚えているのは「何度も同じ過ちを犯して自分を傷つけるなんて学習能力がないのよ。スズメの脳しかないんかい!」というようなことも言ったと思います。客観的に見れば「スズメの脳」だなんて冗談にしても、ひどい言葉ですがそんな言葉まで使ったのは私と彼女の関係性は何があっても壊れないということをわかっていたし彼女が、言葉そのものではなく言葉の奥にあるエネルギーを受け取ることができる人であることもわかっていたからでした。そして、彼女がラインで返信してきたのは「今、号泣してる。めちゃくちゃ胸が痛い。でも、こんなにはっきりと伝えてくれる人は他にはいない。めっちゃ愛を感じてる」ということでした。多分、彼女が号泣したのは私が厳しい言葉を伝えたことで自分がどれだけ自分を傷つけることをやっていたのかに改めて気づいたからだろうなと思うのです。でも、もしこれが例えば、オンラインでしか話したことがないぐらいの関係性の人に対して伝えたりもしくは、相手が言葉そのものに囚われてしまう人だったりすればもう完全アウトです。こちらの愛は伝わることもなく例えば「学習能力がない」「スズメの脳」とか、いくつかの言葉そのものを切り取られて傷つけてしまうことになり、下手すれば一生恨まれるようなことにもなってしまいます。関係性に関しては一緒にご飯を何度も食べたり旅行に行ったり同じ空間で時間を過ごしていると肌で、相手のエネルギーを知ることができるので、大丈夫なことが多いのですがオンラインやメールだけだといくら深い内容のことをやり取りしていてもこちらの真意を伝えるのは難しいなと感じることが多いです。特に、気を使う必要があるのは相手が、言葉そのものに囚われてしまう冥王星遺伝の性質を強く持っている場合です。冥王星遺伝は、基本的に人の言葉をネガティブに受け取りさらには、深読みしてしまうので「え~あの言葉をそう捉えたの~?』となる確率が、非常に高くなります。厳しい言葉を言ったつもりは全くないのに「厳しい」と受け取られたりするので私のその相手に対する認識の甘さと言葉の選択ミスを知ることになるのです。つまり、言語化の難しさは受け取る側は、言葉の奥にあるエネルギーをどれだけ受け取ることができるか?であるし伝える側は、相手との関係の深さや相手の言葉に対する受け取り方や感じ方をどれだけ感じ、理解しているのか?であって、結局、共鳴力や感覚を受け取る力が基本なので言葉そのものじゃないということ。あ~、ここで時間になった。まだまだ書きたいことあったのだけど切りのいいところで、続きはまた~(まだ続きがあるんかい!)PS やっぱ、不特定多数に向けてブログ書くのは、めっちゃラクだなあ。一人一人に合わせて言葉発しているわけではないのでただ、自分の感覚を言語化すればいいだけなので。毎回、ろくに読み返しもせずアップするのですがたまに、過去のものを読んでみたりしたりすると私の言語化のまずさにヒャ〜となります。なので、その辺りどうか言葉そのものじゃなくエネルギーで受け取ってくださいませ。(←完全に言い訳😅)
2024年03月31日
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日々、ヒーリングやトランスフォーメーションを行っている中で劇的に変化を感じることもありますが時には、自分の成長や変化に気づきにくいこともあります。特に、そのことを意識していなかったにも関わらず、何かの拍子に、あ~そういえばこの部分、結構、変わっているなあと思うようなことはよくあります。さて、前回のリトリートに引き続きこのレベル1クラスでも毎回のように、動画を制作してクラスで使っているわけですがその中で気づいたことは前回のリトリートの時より今回の方が、マスターたちとのつながりが深くなっていることでした。それはいろんな場面で気づくのですが例えば、以前のやり方だと「恐れのワーク」に関して動画で5曲使うとしてまずは、5つのテーマを選びその後で、それぞれのテーマのワークをサポートしてくれるマスターを選ぶところまでは同じなのですがその後、以前なら、全て筋反射でマスターたちからのメッセージを拾い、それらをつなぎ合わせてナレーションを作ってゆくというプロセスだったのが今回は、テーマとマスターが決まると筋反射をとらずに、ほぼ何も考えず自動的に、マスターたちからのメッセージがどど~と降りて来るのでそれをタイプしその後で、足りない言葉を筋反射で選んで、いくつか足したり修正したりして、ナレーションを作るので以前に比べると、かなりプロセスが早いのです。そうしようと思って変えたわけではなくいつの間にか自然にそうやっていたのです。そして、ナレーションに合わせた曲を選びまずは、その曲に合わせながらナレーションを録音してみるのですがもうその時点で、マスターのエネルギーが一気に降りてきていきなり号泣することも多く。その時の感覚によってはあ~この内容に関してまだ私、何かありそうだな~と感じて「ホルス、このまま私ナレーションやれる?」などと、と聞くと「いや、カルマがあるからワークした方がいい」と答えてくれたり。やっぱり。この感覚はそうだよね。それで、一旦、ナレーションの録音をやめ自己ヒーリングへと突入するわけです。その自己ヒーリングで解放された後受け取ったメッセージの内容をより理解するということが何度かありました。私自身のマスターたちへの理解やつながりが深くなっていることでクラスの参加者も、より深く理解したりつながることができるということを改めて感じています。さて、次回のクラスは、海王星遺伝なのですがこれまで私は、海王星遺伝の何を見てきたんだろう、と思えるほどこの動画作成を通じて、気づいたことがたくさんありました。実は、私自身の海王星遺伝はインプラントまではワークして他の人の調整もやってはいたのですが自分の海王星遺伝のDNAや脳の調整まではやっていなかったこともあって(完全にこの遺伝を手放すことに抵抗があり)日本から戻ってから全てを調整し終わったことでやっと見えてきた部分もあるのかもしれません。だから、日本の滞在中、全体的に重い空気感を結構辛く感じていたんだなあと。そう考えるともともとエンパス体質の人って生きづらいだろうなあと。ということで、昨日、海王星遺伝のための全てのナレーションが終わったのでこれから映像の素材を探してくれちゃんとの動画制作です。このナレーションと音楽に合った素材を探すのが、毎回、大変でいつもクラスまでに間に合うのかな~と思うのですがなんだかんだで、いつも間に合っているので今回もそれを信頼して頑張ります。ということで、レベル1クラスの海王星人の方々楽しみに待っててね。
2024年03月04日
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毎朝のルーティーンの中で今日、やりたいことを書いて優先順にやってゆくようにしています。日々、感じること、気づいたことが次々と出てくるのでその毎朝のリストの中には、大抵「ブログ」を入れているのですが今は、どうしても優先がクラスの準備なので、1日の中で筋トレやその他に必要な時間をバランスよく入れていると夜には、もうブログを書く時間(エネルギー)がなくなり、また明日~となっていました。でも、そろそろ一旦、感覚と言葉をつなげておかないと落ち着かない感じがするので今日は、もうブログ優先で行こう~と朝から、アップしています。さて、今日は、どんなところに行き着くのかしら。(タイプしながら言葉を紡いでゆく感じなのでまだ今日の結論が見えてこない🤣)まず、前回のブログをアップした時に私が引っかかっていたのは彼女のメールでご紹介した方の感想の中にあった「のりこさんのようなブログの書き方はのりこさんが才能があるからそこから集客できるんだ。私はできないからコンサルさんの言う通りにしなければ」という文章でした。その見方そのものが「ブログは集客のため」という彼女のこれまでの意識を反映していてそこは、私のブログとの向き合い方の違いを感じたのですが彼女に限らず、セラピストさんで集客しなきゃ~というストレスを抱えている人って、多いのだなあとつくづく思います。そして「ヒーリングの才能があるから、人が集まる」わけじゃないことはもう私自身が十分に体験してきたしいろんな人を見ても、そう思うのですがなぜか、みんなそう考えてしまうんですね。じゃあ、どこが違うんだろうなぜ、私は、ほとんど実力もない時から集客のストレスを抱えることもなくここまでやって来ることができたのだろうと。何かそこに法則みたいなものがあるのかしら?と。根底にあるお金に対する意識の違いとかヒーリングへの捉え方とか人とのつながり方とか色々な要素が関わっていることは確かであるにしてももともと、ヒーリングの才能なんて自分にあると思ったことはなかったしお金に関しても、昔から心配や不安はあまりなかったものの実際問題、お金はなかったわけでヒーリングを始めた頃は、ほぼ貯金もないような状態だったなあと。でも、一つ、大きな要因として考えられるのは私がヒーリングを始めた頃はまだSNSなどが、今ほどなくて情報が、ほとんど共有されていない時代だったということ。(そこがラッキーだったわけだけど)つまり「他の人と比較する」ということがなかったので何か焦ったり余計な情報で惑わされたりしなかったということが大きかったようにも思うのです。もともと、私がヒーリングで独立したのはレイキでしたがそれも、最初はレイキを仕事にしようと思って始めたわけじゃなくただ興味本意で始めたものがだんだん面白くなってやっていたらいつの間にか、人が来てくれるようになって少しずつ仕事になっていたという感じでした。それでも最初はレイキに人がわんさか来て仕事になるようなイメージはなかったので週に2回のレストランの仕事は続けていました。当時は、レイキは、週2回ぐらいのペースでセッションやクラスをやっていましたが週2回レストランでバイトすれば生活はできたしレストランの仕事自体も楽しかったのでストレスもなく続けていました。でも、いつか、このコンフォートゾーンを抜けなきゃいけないんだろうな~と何となくは思っていたのですがある時、その時がやってきました。確か、ペルーの旅だったと思うのですが私の予定していた旅の日程と丸かぶりでレストランの他の人も飛行機のチケットを買っていてもし、私がその旅行に行くのなら代わりのシフトに入る人がいないので新しい人を雇うしかなく私は辞めるしかないということになりそれで辞める決心を決めたのです。週2回ぐらいのレイキの仕事だけでは生活は厳しいのはわかっていたので正直、不安が全くなかったわけではないのですがレストランのオーナーが「のりちゃん、もし、生活に行き詰まったら戻ってきていいんだよ。その時にまたシフト空いてるかもしれないから」と言ってくれたのは少なからず、当時の私の安心につながっていたなあと今も感謝しています。(二度と戻ることはなかったけれど)で、それから、レイキの仕事は週2回ほどなのでほぼ週休5日になりいきなり時間に余裕ができたわけです。今思えば、この時間の余裕とリラックスが、その頃の私にとって大切だったんじゃないかなと思うのです。インターネットはありましたが今のようにユーチューブなどもなくスマートフォンもない時代のこと。朝起きて「今日は何をしようかな~」と気分次第で決める感じでしたが基本、お金はないのでどこかに行くこともなくよく近くの公園に行ってレイキやヨガや瞑想をしたりアセンテッドマスターや天使とつながったりしてました。(と言っても、今みたいにメッセージを受け取ることはできなかったですが)今、思えば、超絶、海王星人🤣お金や仕事にあまり興味がなくそのための行動もせず宙に浮いちゃってたわけですがある意味、この時期はそれでよかったなあと。病気になったからと言うような理由だけでなく人生の中で、だだのんびりとゆっくりと過ごす時期は多くの人にとって必要なのではないかなと私は思っているのです。ただ、エネルギーをチャージする期間というか。そんな時期にSNSや情報がなかったことは私にとってラッキーだったんじゃないかなと。当時、仲良くさせてもらっていた方にサイキックで足揉みのミカさんと言う方がいらっしゃったのですが彼女に「何か問題ありますか?」と聞かれた時に「特にないんですが、めっちゃ暇なんです~」と答えたことがありました。すると彼女が「あ~近いうちに、忙しくなってきますよ。そして、どんどん忙しくなっていずれ、めちゃめちゃ忙しくなります」と言うのです。私は、このまるで老後の生活のような状態からめちゃくちゃ忙しくなる未来は、予想できず半信半疑でした。でも、彼女の言った通りその後、半年後ぐらいからレイキのクライアントが増え出して週に5日ぐらいレイキのお仕事をするようになりました。それですっかり満足してこれで一生、レイキティーチャーとしてやっていこう、と何年か続けていたわけですがレイキだけでは、クライアントさんの全ての問題が解決できるわけじゃないことはわかっていたのであれこれと、自分なりのアイデアを加えながら、色々試していました。そしてレイキのプラスになるかも?と始めたキネシオロジー。タッチフォーヘルスを学びIHヒーリングを学んでからあれよあれよと言う間にクライアントさんが増えて私は、一度もレイキのクライアントさんに「IH ヒーリングを始めました」というお知らせメールを送ることもないままいつの間にか、セッションの予約は10ヶ月待ちとなり1日約12時間、週6日時には、週7日セッションという超絶忙しい日々となっていました。最初は、筋反射もおぼつかず何をどう目標設定したらいいのかもよくわからず全く実力も何もないうちから無我夢中でやっていただけでクライアントさんはどんどん増えて行ったのです。当時のクライアントさんはブログではなくほとんど口コミだけでした。急激にクライアントさんが増えてセッションの予約が取りづらくなったことで私としては、目の前のクライアントさんに次はいつセッションできるかわからないのでこの1回のセッションに全てをかけてやろうという気持ちが強くなりまた、この人に戻ってきて欲しいという気持ちは全くなかったのがよかったのかもしれません。(そこは基本、今も変わらないところなのですが)だから、才能や実力があるから集客できるというのは全く違うと私は思っているのです。そもそも才能があるとかないという発想自体が、昔からあまりなかったかもしれません。(私は、ヒーラーには向いてないなとはずっと思っていましたが)比較対象がなかったというのか。もちろん、例えば、IH にしても何にしても、私より早くはじめてずっと実力があった人はいたのですが近くにいたわけじゃないし情報もないし比較しようがなかったというか。初めて集客ということを考えたのは2016年に多次元キネシオロジーのクラスをスタートしてからですが当時は、対面クラスで席数に限りがあって、毎回すぐに定員は埋まってしまっていたのでそこまで実感としてはなく。そして、ここ最近になってガイドに多次元キネシオローをもっと広めるための活動もやりなさいと言われ確かに、この時代にブログだけじゃなあと多次元インスタなども始めてみたわけですがやってみると、インスタの動画作り自体が楽しくなって広めるために、という意識は薄いかもしれません。(広げるというより、すでに多次元をやっている人たちへ深めるためのメッセージになっているのかも?)だから、広がりはスローなのですがもし、キャッチーなフレーズで人が集まったとしてもそこで集まって来るような人は結局、長くは続かないだろうと私は思っているので本当に率直に伝えたメッセージに何かを感じて来てくださる方が少しでもいたらいいなあという気持ちでいます。つい先日も、インスタで見て多次元をやってみたくなりましたという方が、レベル1に入って来てくださったのですがだからこそ、嬉しいと感じるのです。うーん、こうして振り返ってみると今でこそ、ヒーリングの実力もついて来たかなあと、思うのですが長い間、私が持っていた才能は「人と比較しないという才能」「上手く行かなくても、諦めずやり続ける才能」「先のことをあれこれと心配しない才能」ぐらいだなあと。でも、その才能って本来は、誰でも持てるものなんですよね。って、散々、ダラダラ書いた結論がそれ?という感じですが😅今、身体の調子が悪くて仕事できない、とか頑張っているけど、上手く行かないとか、そういう人はまずは、周りと比較するのをやめてリラックスしましょう。(と、そのリラックスができないからヒーリングが必要となるわけだけど)集客しなきゃマインドは結局のところ、貧困意識マインドだし例え、一時的に人が増えたとしてもその意識のままではずっと精神的に苦しいサイクルになるような気がします。ということで、なんか上手くまとまらなかったけど、今日はここまで〜(とりあえず、前回、引っかかっていたことを少し文章化して、落ち着いた〜)
2024年03月03日
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今回、日本に戻った時に実家のキッチン、ダイニングの断捨離を行った話を書きましたがその後、注文していた残りの家具も届き残っていたもう一つの大きな食器棚もなくなって、さらに広々となったダイニングの様子を先日、義妹のYちゃんが写真に送ってくれました。さらに、今回のことで「物を捨てることで、心がスッキリする」ということを味わった母は捨てスイッチが入り一人で、アルバムの整理も始めたのだそう。母は、海外旅行の時の写真が結構あって一回の旅行に一つのアルバムを作っていたそうですがよく撮れている写真だけ数枚ずつ選んで全てを一冊のアルバムに収め残りは全て捨てたとのこと。あの着物の処分の時も紙で包んである中身の着物を見ないで一気に、ゴミ袋に入れていた姿を見て思ったのはさすが母、一旦、やる気になればいさぎいいなあ~と。でも、実は、母の捨てスイッチが入ったのは私の話からだけでなく私が買って、母に読んでもらった雑誌や本の影響もあるのです。佐賀へ、弟家族とみんなで旅行に行った時途中でコンビニに寄ってたまたま、見かけた雑誌に60代からの片付け特集みたいなものがあってまあ、少しでも母のモチベーションになればと購入したのですがこの雑誌が予想以上によくて書いてある内容も物を捨てる必要性だけでなく「周りに流されず自分が心地よいと思うことをやること」や「人に迷惑をかけてもいい」ということや「ストレスになる人とは離れて、本当に心地よい人間関係だけを続けること」や「医者の言う数値だけに捉われず自分にとって心地よい健康法を楽しく続けてゆくこと」など書かれてあって母は「この雑誌すごく良かった~一部は、すでにやっていたことでこれで良かったのだな、という確認にもなったし、新しい考えもあった~」と何度も読んでいました。この雑誌がきっかけで母の捨てスイッチが入ったのでさらに、私はネットで調べて多分、この方の本は母にいいんじゃないかなと、大崎博子という方が書かれた「89歳、ひとり暮らし。お金がなくても幸せな日々の作りかた」という本をオーダーして母に読んでもらったのですがこれも良かったです。この大崎博子さんは現在91歳ですが物を減らし、お花を飾って部屋を美しく整えながら毎日8000歩、歩いたり、太極拳をして、健康を楽しみ一方で、毎日、晩酌を楽しみメイクやファッションを楽しみさらに、BTSなど、推し活も楽しみ78歳からTwitterをスタートし毎日、Twitterして現在15万人のフォロワーがいるとのこと。日々をハッピーに過ごすコツが書かれてあり、彼女曰く今が人生で一番幸せとのこと。私の母も、毎日水泳して毎日、友達とお喋りし推し活としては翔平くんやソフトバンクの選手の応援を楽しみにし料理することやお酒も楽しむことができる人ですがさすがにこの年代になると周りは、亡くなったり病気になったり、ボケたりする人たちも多くなりやはり、死を意識するようになってきて「もうどうせ長くはないのだから」などと諦めの言葉が、時々出てくることが私がここ2年ぐらい気になっていたことでした。前回、お伝えしたように私が母に、これまでも何度となく伝えていたのは日々の生活を最高に心地よくすることそのために、もういらない物不要なものは手放すことそして、やりたいこと、欲しいものを我慢したり、諦めたりせずに取り入れてゆくこと。これが、娘の私から伝えるのと同年代の人の言っていることではやっぱり響き方が違うのだなと改めて思いました。さらに、母は、この本を同年代の母の親友に貸したそうでその親友が、ものすごくこの本を気に入ってその方も、物を捨てれない人で娘さんからいつも言われていてもなかなかできなかったのがこの本で、処分する気になったとのことで何より、大崎さんの90歳になっても日々を最大限に楽しみ新しいものに挑戦するあり方に感銘を受けて、自分でもその本を購入したとのこと。母も、親友がポジティブになってとても嬉しそうでした。私が昔から思っているのは、もう80代後半にになったら「闇や問題を見つめましょう」とか「自分の中にある不安や恐れに向かい合いましょう」などという事は必要なくて恐れをカモフラージュしてもいいしできる限りポジティブに楽しいことだけに意識を向けて日々を過ごすことができればそれで十分だと言うこと。闇や自分の問題を見つめる必要があるのは成長したり、進化するため、魂の道に従って変容し最大限に自己実現し自分の人生を豊かに自由にしてゆくためです。私自身は、100歳になっても成長進化し続けることができたらいいな~と今は、思っていますが果たして、どこまで変容していけるのかな~☺️ということで実家の親が物を捨てられない、とか何もやる気がなく、諦めモード、などそう言う方は、親の年代に響く気楽に読める雑誌や本をさりげなくお勧めしてみるのもいいかも?というお話でした。(あくまでも、さりげなく、がミソです。強要されると抵抗が起こってしまうので)
2024年02月05日
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先日、トートからは、「エジプトに来て古代の叡智をもっと学びなさい」と言われペレからは「ハワイに住んで、大地と繋がり女性性を高めなさい」と言われてなるほど、アセンテッドマスターによってそれぞれ違うメッセージが来るのだなあということを改めて認識したのですがもし、私が、そのどちらのメッセージに従ったとしても、多分、私は幸せで「この選択をしてよかったな~」となるんだろうな、と思います。つまり、私たちは魂レベルで、今生での大体の方向性は決めていてもその過程での細かな選択肢は無限に近いほどあるわけです。でも、一方で、多くのマスターたちが同じメッセージを伝えてくる場面もこれまで、何度もあってその時は、その人に取ってその選択しかないというのもわかるのです。例えば、これまで、行ったクラスやリトリートでの個人リーディングで私は、その方の具体的な話をほとんど知らないのに遠隔でリーディングしてみると何人ものマスターたちが「離婚しなければずっと苦労します」「離婚することでいろんなことが好転します」などと、同じメッセージを伝えてくることがあって、そういう時は「ここまで、いろんなマスターが言っているのだから離婚なんだろうな」と私も確信して初めて会った方なのに「離婚しかありません」などと、きっぱりとお伝えできるわけです。これが、一度だけ情報として「離婚する」というのが上がってきた程度だとまだ具体的に話を聞いてみないとどういうことなのかわからないな〜となるわけでここまで何人ものマスターたちが同じことを伝えてくる場合はこの選択しかないと言う確信になるのです。その人に取って幸せになる道は無限にあるけれど必ずやめなければならない選択と言うのがあって私は、大抵、セッションでもリーディングでも、その人の「やめなければならない選択」を見つけることからスタートすることが多いです。去年、ある多次元を学んだ方から連絡があり「築何十年で、長い間、廃家になっていた家に引越ししてから体調が悪く、起き上がれなくなり浄化しても浄化しても治りませんので一度、見て頂けないでしょうか?」というセッションの依頼があった時がありました。ガイドや高次元の存在たちに聞いてみると「その土地は地縛霊、浮遊霊の溜まり場になっていて、遠隔で土地の浄化はできないしその中で、セッションをやっていくら浄化しても無駄だ。そのままそこに住み続ければ病気になるだろう。引越す選択しかない」と強く言われたので、セッションはお引き受けできないことをお伝えしました。結局、その方も、どこかではそうではないかと気づいていたということで、引越しされたのですがこういうことも幸せに生きるためにやめなければならない選択と言えます。この「やめなければならない選択」は、もちろん、人それぞれ違うわけですが「このケースだと大抵、この選択しかないな」と言うようなこともあります。例えば、「体調が悪かったり、病み上がりなのに仕事を無理して行っている」とか「旦那が仕事が続かず、お金を家にほとんど入れないので(奥さんである)彼女が一家を支えるために頑張って仕事をしている」とかそういうケースでは大抵は、それをやめなければならないと伝えられるのです。また例えば「もう夫婦の愛は覚めて何年も前に別居して離婚状態なのにお金や子供のことでまだ離婚の手続きをしていない」などもそのエネルギーがつながったままだとあらゆることが滞ってしまうので早く離婚の手続きをするように伝えられることが、ほとんどです。また、これもよくあるケースですが「もういい歳になっているのにずっと親元に住んでいる」というのも、ほとんどの場合早く家を出て自立するように伝えられます。ずっと親元に住んでいる人はほとんどの場合仕事やお金の問題を抱え自己実現できない人生になってしまうのです。だから、例え、自分の子供が社会人になってまだ十分にお金を稼いでいなくてもその子が健康なら、親は子供を叩き出すぐらいの気持ちで自立させなければ子供は、自分の好きなことで自由に生きていくことができない人になってしまうしまた、逆に、子供の立場で「私が実家を出ると母が一人になるから可哀想」などと言う気持ちで親と一緒に暮らしている人もそのままでは自分の人生を犠牲にすることになり結果的に、そんな子供にしてしまった親も可哀想なので実家を出る選択しかないのです。これまで、そう言ったケースでその人のハイヤーセルフや高次元の存在から伝えられるメッセージはほとんど同じなのでもはや宇宙の法則なんだなあと。その人に取って「絶対にやってはいけない選択」を手放してしまえば幸せへと続く道は、無限にあるのですがその選択を続けている限りは何をどうやっても上手くは行かないのです。そして、今、辛い状況にいる人はこの「やってはいけない選択」を選択していることがほとんど。幸せに生きるためにはその選択を手放すことが第一歩なのですが様々な思い込みや恐れがあるとその選択を手放せない人も多いのも確かです。だから、ずっと辛い人生が続いてしまう。私は、そう言った選択をしている方々が幸せの第一歩を踏み出すことができるように多次元キネシオロジーのセラピストを育てていきたい、と思っているわけですがもし、セラピスト自身が「やってはいけない選択」をしているならクライアントの問題も見えて来ないのです。私に取ってはポジティブな言葉で元気付けるのが、セラピストやヒーラーの役目ではなくまずは、その人の「やってはいけない選択」を見つけてそれをスムーズにやめることができるように癒したり、導いてゆくことだなあと思うのです。
2024年02月02日
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今回の日本で、一つだけ心残りなことがありました。去年、このブログで、家系のカルマ1家系のカルマ2と二つに分けて書いた母の実家、熊本の神社のことです。ニューヨークを発つ前にガイドに聞いてみたら「熊本に行く」と出たので母に電話して熊本の叔父の電話番号を尋ねました。元ボディビルダーの叔父は神社の跡地の一角に住んでいます。叔父に最後に会ったのは、もう10年以上前になりますが叔父は、当時、霊気をやっていたり波動の研究をしていた人なのできっと、話をすれば理解してくれるだろうなと。でも、母が「日本に戻ってから電話すれば?」と言うので、そうすることにして日本に戻ったのでした。1泊2日で熊本に行くとして3週間の日本での滞在中に、どこかで行けるだろうと思っていました。でも、年明けにインフルエンザにかかったことや後半は、母と片付けをすることになったし、福岡の最後はできるだけ母と過ごしたかったこともあり、結局その2日間が取れませんでした。何よりも、今回、日本に来てからなぜか、これまでにないぐらいグラウンディング力が下がっていてちょっと店に入ったり人混みに入るとクラクラするほどでこんな状態では、とても土地の浄化は無理である事は明らかだったので今回の滞在では熊本への訪問は諦めることにしたのでした。オフ会でも、私のブログの内容を覚えてくれている人がいて「神社の事はどうなりました?』と質問されたのでもう前のことなのに覚えてくれていたのだなあと。さて、日本を発つ日その日は、夜のフライトだったので昼に、古くからの友人であるともちゃんと会ってレストランで食事をしていました。いろんな話をしたのですが食事が終わった頃ともちゃんが「そういえば、のりこちゃん、熊本のことはどうなったの?」と聞いてきたので今回は、行くことができなかったと説明しました。そして「でも、私はひいおばあちゃんとつながっているから」と、何も考えず「ひいおばあちゃん」と言う言葉を発したその瞬間私は、慈愛のエネルギーに包まれて、突然ボロボロと涙が溢れてきました。一瞬、わけがわからず「え?私どうして泣いているの?」と言いながら自然と溢れてくる涙を止められないでいました。あの時と同じエネルギーひいおばあちゃんでした。なんて、暖かく優しいエネルギーなんだろう。ひいおばあちゃん約束したのにお役目を果たせなくてごめんなさい、この時、初めて自分が今回、熊本に行けなかったことに罪悪感を持っていたことに気づき同時に、ひいおばあちゃんがそんな罪悪感は必要ないことを伝えようとしていることにも気づきました。ただ泣いている私にともちゃんが「本当につながっているんだね。血の繋がった人が気にかけてくれていると言うだけでひいおばあちゃんは嬉しいのよ」と言ってくれてああ、ともちゃん本当その通りなんだよと、泣きながら感じていました。私はこの愛でいつも、ひいおばあちゃんに見守られ、愛されていているということを全身で受け取りながらなぜ、普段は、そこに意識が向かないのだろう?と。もし、この愛のエネルギーといつも繋がっているなら私は、いつも愛の人でいることができるのに。これは後から思ったことですがひいおばあちゃんが私を愛し、守ってくれているのなら私の母に対しても守ってくれているのだろうなと。子供の頃父からは、情の深さや慈愛を感じていたけれど母はあっけらかんとして明るいけど、ドライなエネルギーを感じていたのですがここ近年、歳を重ねるにつれ母の中に、慈愛を感じるようになっていました。母の中にも、ひいおばあちゃんの愛は受け継がれているのだなあと言うことに、この日改めて気づきました。今も、思い出すと暖かなエネルギーに包まれて涙が溢れてきます。この日の事は私にとってまた忘れられないことになりました。一方、その前日、東京での滞在中多次元キネシオロジーの上級クラスのメンバーで集まったのですが、それもまた、忘れられないことになりました。長くなったので、また次回書きます。ということで、今日からハワイのオアフ島に来ています。東京からたった6時間で、ここは、また別世界です。
2024年01月23日
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明後日は、冬至です。昨日、インスタで、古代遺跡の動画と共にガイドから聞いた「冬至に行うワーク」をご紹介したのですがインスタの動画を制作するためにこれまで撮った写真や動画を探しているとあ~またイースター島に行きたい、アイルランドにもまた行きたいという気持ちが高まってきました。イースター島は、できれば来年行きたいな~と思っているのですがでも、来年もきっと、またエジプトに行くことになるのだろうし、果たしてどうなるのか。この冬至に行うことの中の一つに「今年の振り返り」というのがあるのですがこれは、今年の出来事からの感情やエネルギーでまだクリアになっていないものがあればこの冬至にしっかりと向かい合い浄化したり、癒したりする必要があるとのこと。これは、冬至当日でなくても、その前後なら大丈夫なのですがそれが新しい年の流れに影響してくるのだろうなあと感じます。私にとって、この1年は、新しい挑戦もありながらこれまでやってきたことを、さらに深めたり広げていった1年でした。2023年は、日本、ハワイから幕を開けて最初は、のんびりスタートだったのですが何といっても、4月からのエジプトと5月のレベル5(上級)クラスこれは、今から思えば、よくがんばったなあと今、自分で自分を褒めています。エジプトは、4回目でしたが今回もエジプトに着いてのワークの後すぐにデトックスだったしその後の新たな学びは、予想していた以上でした。そして、あのエジプトのアチューメントの祝福は忘れられません。参加者も、クラス前後のデトックスも含めみんな本当にがんばったなあと。今回、初めて上級クラスを開いてみて今後の上級クラスに向けての新たな課題も、クリアにわかってきました。そして、6月、7月に3回行ったレベル3クラス。これは、開いてみてわかったのは新規の方だけでなく再受講の方に取っても必要なクラスだったことでした。そして、8月から9月にかけてエジプトのボブと旅したトルコそして、一人でのギリシャ。これによって、私の恋愛やパートナーシップに関するテーマが上がってきて何度か自己調整しましたがこれは、もう少し、今後の調整が必要なところだなあと感じています。ボブは、相変わらず頻繁にエジプトの動画やボイスメールを送ってきてくれますが彼との付き合いを通じてエジプト人とエジプトへの理解をより深めているように思います。そして、10月からスタートしたレベル1クラス。何度かお話ししたようにこのレベル1は、前回のリトリートの内容だったので、リトリートの動画や資料をそのまま使うつもりでした。前回、この動画作りが本当に大変だったのでリトリートが終わった直後はもう二度と、この大変さを味わいたくないというのもあったしこれ以上のものはできないとやり尽くした感もあったからです。ですが、クラスがスタートし以前の動画やプログラムを見直して見ると「あ~ここ、今度はこうしたい!」と新たに動画を作り直している自分がいました。そして、前回よりも、ずっと楽に行うことができています。この1年で、私の意識が広がって同じ内容でも、少し違うアプローチや違う角度から動画やプログラムを作成することができたことでああ、1年で、これだけ自分の意識は変化し、広がっていたのだなということを改めて実感しています。自分自身の意識の変化って、わかりづらいものなのですがこうして過去に作ったものを見直して見ることでたった1年でも、明らかに以前とは違う意識で物事を見ている自分に気づくことができるのですね。よくよく考えるともうすぐ還暦という年になって今でも学び、成長し、変化し続けることができていること自体が本当にラッキーなことなのだなあと。創造性やアイデアやインスピレーションなども、確実に昔より今の方があると思えるし判断力や記憶力、共感力などもさらに高めてゆくことができることを実感しています。年齢に関係なく、もともと持っている性質や知性や能力を超えて、高めてゆくことができるこれが、遺伝調整は最強だと私が思っている理由の一つです。(もちろん、遺伝調整だけでなく癒しや浄化、リリースなどあらゆることが関連しているのですが)もちろん、みなさんからの変化や気づきの感想を頂くことで、さらにやる気や情熱が高まりますがでも何よりも、自分自身がここまで実感して、していなければこのヒーリングをここまで広げて行きたいという情熱は持てないだろうなと思うのです。これからもいろんな課題はありますが今年の充実度と祝福は半端なく関わってくださった全ての人に感謝しかありません。ということで、今日は私の記録としての振り返り言わば、独り言にお付き合いくださった方はありがとうございます🙏明後日の冬至の次の日はレベル1クラスの前半の最後のクラス。冬至や年の締めとしてのワークも少し取り入れています。まだ動画は完成していないのですが今年、最後のクラスに向けてしっかり行おうと思います。みなさま、どうぞ素敵な冬至の日をお過ごし下さいますように。(冬至のワーク、忘れないでやってみてね)
2023年12月19日
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先日のレベル1クラスの第5回目が終わってからみなさんからのシェアを聞いていろんな気づきがありました。その話もしたいのですが今日は、私個人のことをシェアしたいなと思いたったので、聞いてくださいね。第4回目のインナーチャイルドの回の動画を作成している時に私の中に、まだ癒されずに残っている一人の女の子がいるのに気づきました。これまで、子供の頃の罪悪感などはかなり癒してきたのですがその残っているその子が感じているのは一言で言うなら、孤独感でした。私は子供の頃、親からも信頼され認められていたしこうしなさいと言われたこともなく小学校では、生徒会の書記長として全校生徒の前で司会を務めるような立場にいてクラスメートや友人からも尊敬されていていわゆる、優等生だったと言えると思います。一緒に遊ぶ友達もいたし友人関係で嫌な思いをしたこともないのですがでも、不思議なことに小学校6年間の友人で、顔や名前を覚えている人が小学校5年生の時の初恋の男の子を除いてはたった一人もいないのです。幼稚園の頃の友人は何人も覚えているのに、です。それは、小学校の頃は、友人と一緒に遊んでいてもどこかで本当には繋がっていないという孤独感を感じていたからなのだなと。小学校の頃、私が思っていたことではっきりと覚えているのは「人はいつか必ず死ぬのに、なぜ生まれてくるのだろう?なぜ、ここに生まれなければならないのか?』ということでした。でも、その問いに答えることができる人が大人も含め、私の周りには誰もいないということも感じていたので、誰にもその問いを言ったことはありませんでした。唯一、父ならわかってくれるかも?、というのはどこかにありましたが、父にそんなことを聞けば余計な気遣いをさせてしまいそうな気がして言いませんでした。そして、私は、そんなことを考えてしまうことが何か子供らしくなく、ひねくれもののような気がしてそういう自分が嫌いだったのです。さらに、先生やみんなに認められている自分が私は、偽善者ではないかという気がしていてそれも嫌いでした。だから、私のこれまでの人生の中で自分のことが一番嫌いだった時期が小学校の時期でした。私の中で、リーダーになれば孤独尊敬されれば孤独になるという無意識の図式がありました。それで、中学校、高校、大学と進むに連れて私が常に心がけていたのは自分のダメな部分や問題をさらけ出すこと人に認められるために、何かをしないこと正直に相手に自分の思いを伝えることでした。そして、それを実践してゆく中で私は自分自身を大好きになったのです。できるフリとか、絶対にしないしできないものはできないと正直に伝えることができる自分のことが好きになり、周りに愛されていることをより感じるようになり自己信頼も高まってゆきました。すでに大学の頃には、私は自分のことが大好きになっていたのですがそのプロセスは、30代まで続いていました。ヒーリングを行うようになって私自身のインナーチャイルド の癒しの中で、私が自分のインナーチャイルドに声をかけた言葉で、一番泣いたのが「あなたは、偽善者ではないよ」でした。その時、気づいたのはああ、私は、これまで、偽善者にならないためにどれだけのエネルギーを使ってきたのだろうと。だから、どんなダークさであっても本音で語る人が、大好きだし本音で語っていない人をどこかですぐに見分けてしまうのも私が、本音のコミュニケーションにこだわってきたからなのだなと。おかげで、私の今の周りの友人は本音で語ることができる人が多くなったのだなと。それと同時に、本音で語ることができない人たちも、なぜ、そうなっているのかをより理解できるようになり、それはそれで一つのプロセスだな、と受け入れられるようになりました。でも、なぜか「リーダーになると孤独になる」という感覚は、まだ残っていました。例えば、リトリートやクラスで参加者同士が繋がって、プライベートでも仲良くなったというご報告をもらうとボロボロと涙が出るほど、嬉しいのです。ある時「なぜ、それがこんなに嬉しいんだろう」と思った時に、気づいたのは私自身には、ヒーリングを始めてからそういう仲間はいなくてずっと一人でやってきたという感覚があるからだということ気づきました。例え、いろんな疑問が湧いてもそれを質問することができる人もそれを分かち合うことができる人もいなかったしひたすら、クライアントさんへのセッションや自己ヒーリングの中での気づきや学びをもとに思考錯誤してきました。だから、参加者同士が心からつながって、何でもわかちあえることが私のどこかで感じていた孤独感が癒され仲間と繋がれるように感じて嬉しかったのだなあと。・この「リーダーとしての孤独感」は特に宇宙系遺伝という概念にたどり着いた2016年から、大きくなっていました。「これを遺伝というコンセプトで進めていいのか?何か私の勘違いではないのか?」と何度も何度も自問自答したり検証してきてもし勘違いだったら、それで他の人たちを振り回してしまうという責任を感じていたからです。それでも、たくさんの人へのセッションを通じての臨床結果もあったし自分自身の変化も実感していたので本音で語りたいという気持ちからこのブログにも書き始めましたが当初は「これで、クライアントさんやクラスの参加者の多くは、私の元から去るだろう」と思っていました。そして、実際に、当時のクライアントさんやクラスを受けた方の多くの人が去りました。ずっと後になって「のりこさんが、宇宙人のことを書き始めたのを見て、ああ、これはついていけないと思いました」と伝えてくれた人が、何人もいました。だから、2016年以前から、変わらず私を信頼してくれて多次元キネシオロジーを実践してくれている人たちに対する感謝はもう言葉では言い表せないです。’そして、一時的には人が離れたとしても正直に伝えたことでより多くの人たちと出会い、共感しつながることになってきました。2017年にアルクトゥルスのガイドがついてからは「私一人ではない高次元はいつも見守ってくれている」という安心感や信頼はありましたが一方で、ガイドから「これはまだ人には伝えてはいけない」と言われることも多くなりどんなことも周りと分かちあいたい私には逆にそれが、リーダーとしての孤独にも繋がっていたことに気づいていました。今は、全ての人ではないにしても多次元を受けてくださっている方の多くがこのコンセプトを理解したりこのヒーリングの効果を実感してくれているという事実を目の当たりにして本当に私はどれだけ恵まれているんだろうと。そして、今回出てきた私の孤独だったインナーチャイルドは「リーダーとして孤独だった前世」というカルマとモロにリンクしていました。そのカルマをリリースした後ずっとなんと声をかけてあげたらいいのかがわからなかった私の孤独なインナーチャイルドにやっと伝えることができたのです。それは「あなたは「人はなぜ生まれてくるのだろう?」その問いを持っていていいんだよ。あなたが、これからたくさんのことを経験したり、感じる中で必ず、その答えは見えてくるから。そして、あなたは、これから先にそれを分かち合うことができる仲間に必ず出会うことになるの。あなたは、一人ではないんだよ」という言葉でした。もしその言葉を聞けたなら子供の頃の私はどれだけ安心できたのだろうと。そして、同時に、それを聞けなかったからこそここまでのプロセスを経験するできたのだなということも。そして、人はなぜ生まれてくるのか?という命題の答えを今、見つけることができたことに宇宙からの祝福を感じるとともに今回のグレイの回を終えてああ、本音でわかちあえる仲間たちがこんなにも増えている、ということに改めて感謝でした。多次元を理解したり、実感している人たちだけでなく多次元的な世界を理解できず、去っていった人たちも含めてそれが、全て、ここまでの私自身の学びと気づきに繋がってきたことを、心から感謝しています。本当にありがとうございます🙏
2023年12月11日
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みなさんからのインナーチャイルドの回の感想の中に「のりこママに育て直されてます」という言葉があってああ、今生で、私自身は自分の子供を持たなかったけどこうして、魂の子供たちに出会えて幸せだなあと、喜びを噛みしめていました。多くの親たちが、子育てを通じて自分自身を見つめ直し学んでゆくように私も、多次元の世界をみなさんに伝えることを通じて、自分自身を見つめ直し学ばせてもらっているのだなあと感謝で一杯です。さて、今回のレベル1クラスには初めて私の家族が参加してくれていてそれは、私の弟の奥さん、つまり私にとっては義理の妹なのですが実は、彼女の存在が、レベル1クラスをこの10月から絶対にスタートさせようと私が思っていた理由でした。彼女が、今年の夏に「私、のりこさんのヒーリングを学んでみたい」と言い出したからです。結局、蓋を開けてみれば、今120人以上の人が参加してくれていますが募集する前は、それほど多くの人からこのクラスの開催を求められていたわけではなくそれよりも、何人もの人が望んでいたレベル4のクラスを開催する方が先かな?とも思っていたのですが彼女の一言で(ガイドの許可もあり)こちらを先に開催することにしたわけです。私は、これまで多次元の内容などは彼女に詳しく話したことはないし一度も勧めたこともなかったのですが嬉しかったのは、彼女が「これまで、スピリチュアルなことは信じてないわけじゃないけどどこか距離を置いてきたのだけどのりこさんを見ていてああ、スピリチュアルなことって大切なんだなあと思ったんです」と言ってくれたことでした。私の弟は、とても愛情深い人なのだけど私の父のレプの性質をもろに受け継いでいて時々、息子(私の甥っ子)に切れてしまうことがあり私も母も、甥っ子がかわいそうになってしまうことが多々あったのですが彼女は、その分、甥っ子に優しく愛情を示していつも明るくいてくれて私と母にとっては、彼女はまるで救世主みたいな存在でした。私は、彼女、Yちゃんには血のつながり以上のシンパシーを感じているので、彼女に「もし(弟との関係で)何かあったら私も母も100%、Yちゃんの味方だからね」と伝えていたのですが一方で、私にとっては、7つ年下の弟は子供の頃から、可愛くて仕方ない存在だったので弟と話せば、弟の気持ちもよくわかるので「うんうん、よくわかるよ~」となってしまい、全く厳しいことは言えず。彼女は『Y君(私の弟)もすごく優しいとこあるんですよ~」と伝えてくれるのだけど私は、Yちゃんに我慢させてしまっているのではないかと、どこか申し訳ない気持ちになることがあったのだけど今回のクラスを受けて、彼女が自分自身を癒しもっとわがままに生きてくれたら本当に嬉しいなあと。Yちゃんの実のお母さんはもう亡くなっているのですがとても厳しい人だったのでこれまで彼女は人に甘えることができなかったのです。そして、彼女が今年の夏に電話で伝えてくれた言葉が「私、Y君と結婚して、本当によかったなと思うことがお義母さん(私の母)に出会えたことなんです。私、お義母さんに出会って、生まれて初めて「お母さん」というものがわかったんです。ああ、これが「お母さん」なんだなって」と言ってくれたことでした。その言葉を聞いて、涙がボロボロ流れました。私の母が、血のつながっていない彼女にとっても「お母さん」でいてくれることが本当に嬉しくて、ありがたくて。彼女が、実のお母さんからは得られなった「お母さん」の愛や優しさを受け取ることができて本当によかったなと。彼女は自分のインナーチャイルドが傷ついていることはよくわかっていてそこは、これからももっと癒してゆきたいと言っているけれどでも、私の母が彼女が甘えることができるお母さんでいてくれて彼女にとっての癒しになっていることがわかって、本当に嬉しかったです。子供の頃の私は母は、ごく平凡で普通のお母さんだと思っていたし特に母をすごいと思ったことは、全くなかったのだけどでも、今、改めて思うのはこのごく普通のお母さんでいることがどれだけ普通じゃなかったのかということなのです。私は、50代を過ぎた頃からは、母を喜ばせようと旅行に連れて行ったりもしていますがそれまでは、母を喜ばせるためにと何かを頑張ったことなんてほとんどなくて母に対しては罪悪感を感じることもなく自由に生きてきました。(父に対しては罪悪感あったのだけれど)なぜなら、私が特に何もしなくても母は、私が楽しんでいることを喜んでくれたし母自身も楽しんでくれていたから。私は、母からは、一度も「こうなって欲しい」という期待を感じたことがないのでだから、母の期待にそうために何一つ無理をする必要はなかったなあと。今でも、日本に戻ると「まあ、遠いのに帰ってきてくれて。本当大変だったね〜」と感謝されるのでいやいや、長い間、海外に暮らしているんだから年に一度ぐらい帰るでしょ〜相変わらず期待値、低!と思うのだけどだからこそ、私は存在するだけでよかったんだなと。以前も書いたけど子供の頃、母が、祖母(父の母)から、物やお金が送られてきた時に私たち子供に、よく言っていた言葉で「(お返しをしたりせず)ただありがたく、親から受け取ることが親孝行なのよ」というのがありました。いつまで経っても親は、子供に何かをしてあげたいと願うもの。だから、子供がそれを受け取ってくれることが親にとっては嬉しいことなのでそれが親孝行ということ。だから、私は、今でも、実家に帰れば全く料理も洗濯もせず料理好きな母の料理をありがたく頂いているのです。私の母は、ずっと専業主婦で何も成し遂げたりはしていないけれど私にとっては、世界中で一番尊敬する人です。だから、世界中のお母さんに伝えてゆきたいなと。何か子供のために無理して頑張ったり子供のことを心配したりすることは決して、子供のためにはならないということ。お母さんが、子供の楽しんでいる姿を喜びそして、お母さん自身が人生を楽しんでいること。それが子供にとって、最大のギフトだなあと思うのです。
2023年11月30日
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また、久々のブロググアップ。ここ最近、2日に1回の割合でインスタアップしていることで動画作成だけでなく概要欄に、ちょっと説明として書いたりすると私の「書きたい欲」が満たされるのかブログは、また今度、になっていることに気づきました。なので、インスタアップの前に今日は、ブログアップ。でも、やっぱり、ブログってこうやって、何も考えずダラダラと綴ってる感じがいいなと。ただ自動的に私の思考がタイプされてる感じでまとめなくていいから、楽だし。と、読んでる側からしたら、まとめろよ!って感じか~😅要するに、あまり内容がないところも多いわけでこれが良し悪しなんだろうな。(だから、私の友人何人かは、インスタは見てくれるけどブログは読んでくれなかったりするのか?)もともと、多次元を広めてゆこう!という目的のために、初めた多次元公式インスタだけど今となっては、もはや、動画作りそのものが楽しいのでそこの目的は薄れてしまっている感があります。少し前に、一応「流行るインスタの作り方」みたいなものを読んでみたけど、例えば、10万再生以上の流行りの洋楽を使うとか、30秒以内に収めるとかそんなことが書かれてあって私が使っている音楽は、10人も再生されてないようなマイナーなものも多いしインスタ最大動画時間の1分30秒のギリギリまで使ってたりで、全く逆でした。でも、そこを変えようとは全く思わずやっぱり、本当に伝えたいメッセージを伝えようと思ったら、そこは妥協したくないしどちらにしても、多次元にたどり着く人はブログであれ、なんであれたどり着いてくれるんだよなと私が作りたいように作ってゆくつもりです。でも、インスタを始める前には全く予想していなかった効果として前回のブログに掲載した感想の方もそうだけどすでに多次元をやっている方たちのモチベーションアップや気づきになっているとみなさんから伝えられたのは本当に嬉しいことでした。先日も、多次元をやっている方からユニプロ(ユニバーサルプロジェクト)のインスタで「自制心を高めなさい」という動画をみてから、「自制心、自制心」と肝に銘じて少しずつスマホから離れられるようになってきました。ユニプロのインスタはメッセージのタイミングがピッタリすぎて、心に響き号泣したり、励まされたり、ハッとしたりヒ~!!としたり、宇宙から見透かされている!サポートされていると感じながら見ています。とメールをくださいました。私が、インスタでアップしている内容はいつもクラスやセッションの中でまたは、このブログの中で折に触れて、お伝えしていることが多いので多次元やっている人たちからみるともう特に新しい発見はないだろうな、と思っていたのでそんな風に感じてくれる人がいるのは本当に予想外のことでなんと、嬉しいことなんだろうと。友人も、少し前に私がインスタであげた「35分モーニングルーティーン」を始めてから仕事もラッキーなことがたくさん起こって愛されている感、半端ない、と伝えてきてくれてお~まじか~(続けることができない)彼女がちゃんと続けてるのすごいな~と感動。この朝のルーティーンは35分やるだけで、例え、その日、他のことを何もできなくても今日1日充実した、という満たされ感や幸せ感があるので本当におすすめなのです。昨日、他の方のメールでも改めて思ったのは人って、その言葉を自分にとって必要なタイミングで受け取らなければ、響かないんだなあということ。「あの時、のりこさんが言っていたことはこういうことだったんですね」と、言われる事は以前からよくあったけれどその人にとって、ベストのタイミングでそれを聞けば、スーッと取り入れられたり気づきや解放が起こったりするけれどまだ、そのタイミングでなければそれを聞いても、ピンと来ないんですよね。もちろん、これは、私自身も同じことで。ずっと前からわかっていたことなのに自己ヒーリングや、いろんな出来事やマスターからのメッセージや他の人の気づきの言葉などを通じて改めて、ああ、そうか~そうだよね!と何かと何かがつながる瞬間ってほぼ毎日のようにあります。それは、まるで神経細胞のシナプスがつながる瞬間のような感覚。スピリチュアルなことに限らずですがこういう気づきや発見の喜びがなければ日々の生活は、無意味で味気ないものになってしまうからこれが生きていることの喜びなのだなあと。あ~、なんか、思いつくまま書いていたら今日、書こうと思っていた内容とは全然、違う内容で書いていてすでに書きすぎてしまった😅ほぼ、内容のないブログだけど今から、次のやりたいことに取り掛かるのでこのままアップして明日、また続きアップします~(ここは自制心、自制心)今日は、今から、次のクラスのインナーチャイルド動画のナレーション作成と録音を行います。(できれば、インスタもアップしたいけど)あ~全然、内容のないブログだけどでも、やっぱり、この目的地にたどり着くかどうかわからない、ブログのダラダラ感、好きかも。(とりあえず、今日の「書きたい欲」は満たされた〜)
2023年11月15日
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先ほど、インスタで「毎日、奇跡を受け取る方法」ということでアップしたのですが気がつけば、シンクロや小さな奇跡を含めるとほぼ毎日のように、何しかしら奇跡を受け取っているなあと感じます。昨日も、いくつかあったのですがその中の一つをお話しするとここ最近、レベル1クラスのためのサウンドヒーリングを録音していて「ああ、もう一つ、クリスタルトーン社のアルケミークリスタルボールあったらいいのになあ」と思っていました。ずっと欲しいと思っていたのですがアメリカのクリスタルトーン社は在庫の問い合わせとかも含めてメールでやり取りに時間がかかるので買い損ねていたのです。ところが、つい先日ちさっちゃんから「とうとう、クリスタルボール届いた~」とラインが入り、ビデオで音を聞いたら、すごくいい。インディゴプラチナのクリスタルボールでしかも、A#(クリスタルボールは、チャクラに対応しているので音階があります)私が持っているインディゴゴールドのクリスタルボールもA#で1オクターブ違いなのです。これは彼女のクリスタルボールとダブルで鳴らして録音できる!ということで、昨日ちさっちゃん家まで行って録音してきたのでした。この二つ、ダブルで聴くとエネルギーレベルがすごい。ちょうど、クラスのためのサウンドヒーリングを制作しているこのタイミングで彼女の家にクリスタルボールが届いたことも音程がバッチリだったこともミラクルでした。ちなみに、インディゴプラチナクリスタルボールは素晴らしい響きと、高いエネルギーレベルで感動。もし、在庫で同じものが出た時は私も買おうと思っています。ということで、今朝、起きてここ最近起こったいくつかの奇跡のことを考えてふと「今日はインスタで奇跡の受け取り方についてのメッセージ作ろうかな?」と思ったのですがその後、すぐに「いやいや、多次元キネシオロジーを願望実現や引き寄せの法則みたいに思われるかも。とりあえず、ガイドに聞いてみよう」と「今日、みなさんにお伝えするメッセージは何ですか?」と聞いたら「カードを引きなさい」と言うので、たくさんのカードの中から1枚引いたカードが「ミラクル日々の奇跡を受け取りなさい」というカード。ひゃ~すごい~そのメッセージでよかったんだ~それで、奇跡を受け取るためには何が大切なのか?を改めてガイドに聞いてみて5つ出てきた中の一つが「エネルギーを浄化すること」そりゃそうだよなあ。例えば、恐れや混乱、または恨み、妬み、不十分感、お金の不安などに翻弄されている人がどう宇宙にお願いしても日々、奇跡を受け取ることは難しいから結局、浄化は必須なんですよね。エネルギーを浄化することの効能や効果は身体面、感情面、精神面と計り知れませんが「宇宙からの奇跡を受け取るためにも必要」ということを今回、はっきりとガイドに伝えられてこれまで、感覚的になんとなくわかっていることもこうして改めて聞いてみるものだなあと。ということで明後日からのレベル1クラス初日は、思考形態(霊的エネルギー)の浄化がテーマです。今回のクラスはどんなミラクルが待っているの楽しみです。(と、くれぐれもお手柔らかにお願いします🙏)
2023年10月12日
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やばい。インスタ動画作りが楽しすぎる😂最初は、ガイドから「もっと多次元を広めてゆきなさい」と言われたことと、ちさっちゃんから「多次元インスタ始めたら?」というアイデアをもらって「それじゃあ、とりあえず作ってみるか~」と、試しに一つ作ってからというもの日々、ガイドから伝えられるメッセージに私のインスピレーションを加えて言葉を紡いだりその言葉につける映像や音楽を探して、言葉に合わせて1分半までの動画にすることがもう楽しくて。このインスタだと動画は最大で1分半までという長さがまたいい。ユニバーサルリトリートの動画制作の時は短くて15分、長いと1時間ぐらいあったので言葉に合った音楽や映像を探すのはとても大変だったけど1分半だと、そこまで探さなくても割とすぐに、ピンと来るものが見つかるので、ただ楽しめます。もはや「多次元を広めてゆくため」という目的より単なる私の趣味になりつつありますが考えてみれば、ヒーリングも同じでただ、楽しくてやり続けていたらいつの間にか、こうなっていたのでやっぱり楽しいことは、最強だなあと。先日のインスタで、日々優先することは身体のためか?心が喜ぶためか?魂の喜びなのか?そのどれかということをお伝えしたのだけど私にとって宇宙からのメッセージを聴いてそれを自分なりに言葉にして音楽と映像と言葉とをつなげてゆくクリエーションは間違いなく、心の喜びだなあ。などと、思いながら、今日のインスタ動画を作っていたらガイドから「それを楽しむのはいいけれど今、優先するのは、それじゃないでしょ。一つのことにハマらずその日、その日に優先することを決めて全体のバランスを取ってゆきなさい」と言われてヒャ~確かに~😅レベル1のクラスがちょうど1週間後に迫っているのにまだ準備できてなかった~私にとって、クラスは魂の喜びにつながってゆくというのに。優先するのは、心の喜びより、さらに魂の喜びなんだね。つまり、身体、心、魂どれも満たしてゆくことが必要だけどさらに、優先順位をつければ身体のため魂のため心のためってことになるのかな?また一つ学びになった。ということで1週間後のレベル1クラスに向けて準備してゆきます~
2023年10月07日
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世界中の誰もが、幸せに生きたいと願っています。でも、幸せに生きることができない人たちが多いのは、どうして何だろう?これまで、何年も、そんな疑問を持ち続けて自分や他の人の身体やハイヤーセルフや高次元からメッセージを聴いてきました。(もちろん、これからも聞き続けてゆくのでしょう)お金を稼ぐために、自分の心地よさを犠牲にしたり。誰かに認められるために、やりたくないことをやったり。家族のために、いつも自分のことを優先しなかったり。本当にやりたいことを先延ばしにして目先の刺激に逃げてしまったり。不要な責任を負って、無理してがんばったり。多くの人は、自分の幸せの道を選択できないでいます。もし、私たちに責任があるとすればそれぞれ自分自身が幸せに生きる選択を行うことですがその唯一、必要な責任を果たすことができないでいるのです。ヒーリングやキネシオロジーを行う目的はより幸せに生きるためです。そのシンプルなことを忘れてしまうと幸せに生きるためのヒーリングがいつの間にか、修行になったりやらなければならないタスクのように感じたりしてしまうわけです。さて、その「幸せ」ですが人それぞれ幸せの形は違いますが私は大きく、幸せを二つの種類に分けています。1つは、Achievement これは、何かを達成したり、何かを得たりした時に感じる幸せです。例えば、念願のマイホームを買った、とか何かのプロジェクトを終了した、とか受験に合格したとかずっと行きたかった国に旅行に行くことができた、など何かの目的や夢を実現した時に感じる幸せ感です。私の場合、クラスのプログラム作成が終了したりクラスの中でのデモセッションを無事に終えたりずっと試行錯誤を続けていたヒーリングの調整方法や遺伝情報が見つかったり。そういった自分がやりたいことをやっていく中で何かを達成したり、得たりする時に例え、小さなことであってもこの種類の幸せを感じます。そして、もう一つの種類の幸せは言葉で表すのは、ちょっと難しいのですが私が一番近いなと感じるのはBlessedness祝福されて、安心で、満たされている感覚のことです。この幸せを受け取るのは、実は今の状態や環境は、ほとんど関係ありません。ただここに生きているだけで受け取ることができる幸せです。むしろ、私にとっては、この幸せ感は例えば、朝、目覚めた瞬間だったりひだまりの中で、ぼーっといる時だったり植物を触っている時だったり特に何かをやっている時ではない時に意味もなく「あ〜幸せだなあ〜」と感じる幸せです。言い換えれば一つ目の幸せは、男性性の幸せであり二つ目の幸せは、女性性の幸せであると言えます。男性性の幸せは自己実現によって、得られる幸せです。なので、この幸せが不足している人は何が、自己実現を妨げているのかその要因を手放したり行動や選択を変えたりモチベーションを高めたりして自分のやりたいことをやってゆく必要があります。ただ、この男性性の幸せは長くは続かないのが特徴です。がんばって勉強して、念願だった大学に合格してその喜びや幸せを受け取ったとしてもその幸せ感を一生持ち続けている人はおらずせいぜい数ヶ月のものです。(逆に、挫折した場合は、ずっとその傷を無意識に抱えてしまうことが多いのですが)もちろん、自分がやりたいことをやっていて自己実現をしていくならばそれは、必ず、自分の成長となり次なる自己実現へとつながってゆくのですがこの男性性の幸せはある意味、自己実現をし続けることでしか得られないので人によっては、ずっと何かに向かって走り続けることになってしまいます。一方、女性性の幸せは何かを達成したり自己実現にしているいないに関係なく、意識の根底に持っている幸せ感です。これは、例え、行動を変えて、何かを得たり状況が好転したり何かを達成しても得られる幸せではないのです。例えば、世の中には、お金持ちで家族や友人にも恵まれて特出した才能を持っているのにも関わらず心を病んで、自ら命を断ってしまったりする人がいます。周りの人たちは「どうして、こんなに才能もあって仕事も上手く行っている人が?』と理解できないのですがこの女性性の幸せを受け取る力を持っていなければ何を持っていようとも、何を達成していようとも幸せを感じることはありません。状況は恵まれているのにも関わらず幸せを感じることができないという方は、根本的にこの女性性の幸せを受け取る力がないと言えます。何かを得たら幸せになれるのではないかと思って何かを頑張ったとしても、どこまでやっても何を得ても幸せを感じることはないのです。男性性の幸せを受け取るためには考え方や、日々の習慣や行動を変えたりすることが必要ですがある意味、簡単なことかもしれません。では、この女性性の幸せを受け取るのはどうしたらいいのか?なのですが。この女性性の幸せを受け取る力はインナーチャイルド(3歳以降の子供の頃の意識)も大きいのですが、それと同時にその人が生まれ持った遺伝の性質と3歳までの環境(親の状態を含め)が大きく影響していると私は考えています。宇宙系遺伝の中で、幸せ感を妨げてしまう遺伝は何十もあるのですがそれらの遺伝がどれだけ活性化するのかは3歳までの環境によるところが大きいからです。胎児の時から3歳になるまでに何か大きな怪我や事故にあったり親が不安定だったりショックなことがあるとその子の脳(特に大脳辺縁系や脳幹)に影響を与え安心という感覚を失います。幸せを受け取るために、最も必要なことは安心感があること。命の安全があるという安心感いつも誰かに守られているという安心感この安心感を根底に持ってなければこの女性性の幸せを受け取ることはないのです。脳だけでなく、経絡やチャクラと言った人のエネルギーシステムもこの幸せを受け取る力に関連しています。ハートチャクラが閉じているとこの女性性の幸せの感覚を受け取ることはできないのでこの幸せを受け取る力はハートチャクラの開き具合と深く関わっています。(実際は、チャクラと遺伝、脳と遺伝は密接に関連しています)また、例えば、経絡の中で奇経八脈という経絡がありその中で、任脈と督脈という経絡がありますがどちらも、グラウンディングに関わっている経絡です。任脈は、身体の前面の中心を下から上へと流れている経絡ですが少し前に、奇経八脈についての英文での研究を読んでいた時になるほどな〜と思った記述がありました。それは任脈というのは、幼少期の母親との絆で得た資源を表しているというもの。母親は通常、赤ちゃんのお腹が母親の体の一部に触れるように抱くわけですがそれによって、身体の前面を流れている赤ちゃんの任脈が満たされ、飽和(満たされること)を知る能力となり資源を持っていると感じてそれを使う能力(幸せを受け取る力)となるということ。つまりは、任脈は、母親との肉体的な接触によって強化され、私たちの親密な関係に影響を与え親密さと安心を育むことにつながるという研究結果でした。だから、赤ちゃんの時にお母さんは、できるだけ多くの時間を抱っこしてあげることが大切なのですね。(もちろん、お母さん自身が安心して満たされた感覚でいることが大切です)ということで、キネシオロジーの調整においてもどちらの種類の幸せが欠けているのかを認識している必要があるかもしれません。簡単な例で言えば例えば「太っているから痩せたい」という願いがあるとして。実際に、痩せるために何をどう変えたらいいのかを見ていくのは、Achievement例えば、食事を変えたり、運動のモチベーションを高めてゆくなど痩せるという目的を達成するためつまりは、男性性の幸せのための調整となりますが逆に、今の自分の容姿を受け入れそのままの自分が美しいという感覚を持つための調整であればBlessednessどんな容姿であっても、自分は受け入れられ愛されていて安心という女性性の幸せを得るための調整と言えるのです。ですから、例え、そのクライアントさんがこれまでの人と同じような問題を持っていたとしてもアプローチの仕方が全く変わることも珍しくありません。例えば、自分がやりたいことは、ある程度自由にやれているけれど何かいつも足りない感じがしているなどという人は、女性性の幸せを受け取る力が必要ですが中には、男性性の幸せも女性性の幸せも受け取れない人もいます。つまり、自分がやりたいこともやっていないし根底の安心感や満たされ感もないという状態です。どちらを先に満たすのかまたは、両方をやっていくのかはその人それぞれで違いますがどんな人であれ、根底に安心感や守られている感や満たされている感覚、つまりは女性性の幸せを持ちつつ、自己実現の喜びや幸せつまりは、男性性の幸せも受け取ってゆくことが可能なのです。先日、遺伝調整での変化について書きましたがあれは、どちらかと言えば「話すことが、以前よりスムーズになった」など何かを改善したり、発展させること、つまりは男性性の幸せに関してと言えます。女性性の幸せに関しては、私の母が小さなことでも、すぐに満足する性質で昔から「あ〜幸せ〜」が口癖だったこともあって私も、その幸せを受け取る力はあると思っていたのですが遺伝やカルマを調整するにつれてさらに高まてゆくことができるのだなあと感じています。変容し続けることはあらゆるレベルでの幸せを高めてゆくことより幸せになってゆくということなのです。ということで、今日は、幸せについて思いつくまま書いてきましたがひとまずここまで。(そう、いくらでも書きたい気持ちがあってもここで満足するのです)
2023年08月20日
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先日の「裏切りと深い傷の先にあったもの」というブログに、たくさんの方から直接メールを頂きました。まだ、ほとんどお返事は出せていませんがとてもありがたく、嬉しく読ませて頂いています。この場を借りて、ありがとうございます!「(私の元夫のブログを読んで)どう捉えたらいいか、わからなかったのでモヤモヤしていましたがブログを読んで私もキリスト意識のところで、スッキリしました~」などというメールもあって本当に書いてよかったな~とほっとしました。それぞれの方が、違った視点から伝えてくださってそれらが、全て、私の中でさらなる気づきとなって、広がってゆくように感じています。ある方が「みんなそれぞれの居場所で受けとるんだろうな。。」と書かれてありましたが、ああ本当に。何よりも、嬉しかったのは直接、メールをくださった方のほぼ全ての方が私のブログの内容から、誰が悪い、何が間違っているというように二元的に捉えることなくそれぞれ自分の問題として捉えそれぞれの気づきを得ていてそれをシェアしてくださったということなんです。ああ、これこそ、私が一番伝えたかった世界だ~多次元的に物事を捉える力何が正しいか間違いかではなくそこで何かを感じたことで自分自身の内なる感覚や問題に気づく力みんなすごいな~と読みながら、感動でした。ある方は、その方と離婚した元夫がやはり植物を取ったり、嘘をついたり浮気をしたりする方で離婚したけれど私のブログを読んで「私は、元夫に対して、被害者意識でしか捉えていませんでした」という気づきがあったと言われていたりまた、他の方で、私の元夫とその方と離婚された元夫との関係が以前から似ていると思われていてちょうど、今もその問題に向かい合っているとのことで私のプロセスを通じてこれから、どうそれを昇華してゆくのか道が見えてきたと書かれてあったり他には、その方も音楽で上手くいかない焦りやもどかしさがありだから、お金のためにヒーリングをやろうとしていないか自分の中を見直して行きたいそして、自分の魂の道は音楽をやる事でできれば自分の歌や音楽で、周りの人を癒やしたいと、このブログを読んで、はっきりと気づきましたと伝えてくださったり。または、私の元夫のブログを読んでその方の周りの人の中にも「被害者意識、恐れ、できない自分ガイドがつかなかった自分へのやるせなさそういう感情がのりこさんに向いてのりこさんを否定することで自分自身を保っている」のを感じて自分自身も、そこに陥りそうになったことに気づいた、と書かれてあったりまたは、ある方は私の元夫を知らないけれど何かを検索していて、彼のブログをたまたま読んでこれは、明らかに何かがおかしいと私に伝えるかどうか悩み下書きまで書いたそうなんですがそのメールを書く中でその方自身の中にいろんな感情が湧き上がりこれは、自分の問題を見せられているのかも?とメールを送らなかったそうで「でも、のりこさんは現実的な方なのできっと、これを乗り越えられると確信していました」と言ってくださった方もいました。ああ、そんなこと何も知らなかったし先日のブログをアップしなければ永遠に知らなかったでしょう。本当にシェアしてくださってありがとうございます!また、コメント欄にも「自分の男性への恨みや自分軸でいられないことに気づきました」とか「自分のリーダーとしてのあり方を見せられました」など、自分自身の気づきとして捉えてくださって、本当に嬉しかったです。一方で、私に対してのたくさんの愛と励ましの言葉も頂いて感謝で一杯です。その中でどうして多次元キネシオロジーにこんなに惹かれるんだろうと考えるとアルクトゥルスだからでもなく宇宙系がどうとかいうことでもなくのりこさんのブログから垣間見える人柄に魅力を感じて今まで、どうしてものりこさんのヒーリングを学びたいってこだわってきたんだろうと思います。のりこさんの人を見る優しい視線「多次元的」な捉え方、誰しも経緯があって潜在意識での最善を選んでここにいるのだという、愛のある視点に私は支えられて教えられてきたと思うのです。リーダーになるならないという選択をしているかどうかに関わらずのりこさんがただ自分を表現しているだけで、教えられるものがあり癒される人がいるのだと思います。というのがあって、泣けました😭「リーダーになるならないではなく」という言葉が、とても嬉しくて。(こういうことを書くと、また「のりこさんは美辞麗句ばかり受け取っている」などというひがみコメントが来てしまうかもだけどもう関係ないわ。単純に嬉しかったのだから)昨日の夜、友人にご馳走になりワインを飲んでいたのですが古くからの友人は、もう兄弟のように何でも思ったことをダイレクトに伝えてくれる人ですが「リーダーとしての力がないとか思うな。そんなのりこを見ているこっちが辛い。リーダーとか何とか関係なくのりこは、自分の学んだことを伝えていけばいい。のりこは、決して、人を見る目がないわけじゃない。もちろん、今回は、元パートナーだったから辛かったけれど批判や中傷はどこにでもある。のりこの思うままに、自由に伝えたいことを伝えてゆけ」と喝を入れてくれてなんかそれもまた嬉しくて、泣けました。いつも支えられ、愛を与えられているのは、私だなと。今回の一連のことを通じてこれまで以上に、実感したのはこの多次元キネシオロジーやアルクトゥルスメソッドがどれだけ私に取って大事なものであるのかということでした。例えば、これが他の人から批判されてもほとんどは、よくある嫉妬や妬みなのでスルーしたのは間違いないですが一方で、いくら元夫からであってももしこれが、私の何らかの性格に対する批判だったりのりこは才能がない、などと言われたとしてもここまで傷つくこともなくスルーできたのだろうなあ、と。もともと、私は完璧な人を目指していないしいい人でいたいとも思っておらずまた、自分に何か特別な才能があるとも思っていないので例え、そういうことを言われたとしてもあ~アホだな、ぐらいで済んだだろうなと。でも、私が何年も真摯に向かい合いたくさんの検証と研究をし続けて全ての情熱をかけて取り組んでいることに対する元夫からの批判は私の存在そのものを全否定されたように感じさらに、その私を信頼してくれている人たちに対しても、傷つけてしまったという罪悪感が私が深く傷ついた理由でした。(もちろん、これは、私の抱えていたカルマゆえに必要以上に傷ついたことが根本的な要因であって彼がそのつもりで書いた、ということではないです)友人は「あの(元夫の)ブログを読んで(多次元をやっている)自分自身に泥をかけられた気がした。でも、自分の立場からは何も言うことができなかったからのりこが、ブログに自分の想いを書いたことは本当に必要だった」と言ってくれてああ、本当に書いてよかった~と。これだけ自分が深く傷ついたということを実感したことで私は、命をかけて、やって行きたいこと守りたいものがあって、守りたい人たちがいるということに改めて気づかされたしそんなことや人たちに今生で出会うことができたことにさらに感謝を感じずにはいられませんでした。それと、同時に、それがあまりにも大切であるが故にある部分で、自由さを失ってしまっていることにも気付いたのです。つまり、私の以前の結婚生活が無意識の中で、パートナーシップと魂の喜びの仕事とのバランスが取れなくなることへの恐れへとつながっていてそれが、私の新たな恋愛やパートナーシップに対しての大きな抵抗になっていたのでした。この魂の仕事が自由にできなくなるぐらいならパートナーや恋愛なんて、もう私には必要ないと、どこかで感じていたことに今回のことを通じて、気づきました。(その気づきも、ある方から頂いたメールの中の一文がきっかけになりました)魂の喜びの仕事をしながら自由に恋愛をしてあらゆるレベルで喜びと豊かさを自由に広げてゆく。このことを私が気づくために今回のプロセスは、私に取って本当に必要だったなあと。そういう意味で、元パートナーの書いたものが私に取って、新たな恋愛が始まるかも?というすごいタイミングで私のところに伝わってきたというそのベストタイミングに驚くとともにもしかすると、魂レベルの次元で彼はその役を引き受けてくれたのかもしれないな~と。(まあ、これは意味づけと言えますが🤣)ということで、その新たな恋愛のお話はまた近いうちに書くことにして。→と、期待させておいて、ダメになるかもだけど まあ、その時は、話のネタとして聞いてもらうことにして。私に自分の気づきや想いを伝えてくださった方々今回は伝えなくても私を深いレベルで信頼してくださっている方々そして、筋反射と多次元キネシオロジーを愛し二元性を手放し魂の道を歩もうとされている方々本当にありがとう🙏
2023年08月05日
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前回のブログの続きです。自己調整をスタートして最初に出てきた前世はある地方で成功していたけれど親しい人から妬まれて周りから批判を受けたというカルマでその人生で、私のハイヤーセルフは傷つき「リーダーやオーソリティになりたくない」「注目を浴びたくない」「大きな成功が怖い」という思いを抱えていました。この感覚は、実感がありました。だから、私は、平凡が一番幸せ、という両親を選んで生まれてきたのかもしれないなと。私は、昔から、野心的なものがほとんどなくそれは欲がないからだと思っていたのですが潜在意識の奥では、もし大きく成功すれば人から妬まれる恐れがあったからだと言うことがわかりました。次のカルマは、アイルランドでヒーリングをやっていた人でそこで私は、貧しい人たちに、無料でヒーリングを提供し人からの信頼を得ていたのですがそれを妬んだ一部の人たちに心ないことを言われ批判され、傷ついたというものでした。2番目のカルマの方が、より苦しくてああ、ただ人に良かれと思ってやってきたことで人に妬まれるのはこんなに苦しいものなののだとひしひしと感じました。このカルマがリリースされた後まだ完全ではない感じはあったもののかなり楽になったので今日のクラスは開催できそうだな、と思い自己ヒーリングを一旦、やめてクラスの準備やシャワーを浴びたり食事を取ったりしていました。ところが、クラススタートまで約1時間ぐらいになった時だんだん息苦しくなり圧倒的な虚無感や無力感や悲しみが胸に溢れてきてあ~これは、別の何かが上がってきているなとわかったもののクラスまでに、情報をあげている時間もなくガイドに聞いてみると「今日のクラスは、明日からに延期すること」と伝えられました。ああ、調整が間に合わなかった。ここで無理しても、今の状態では、説明ぐらいはできてもその日、クラス内で行う予定のデモセッションにベストを尽くせないことはわかっていたので直前になって、クラスのみんなに延期のお知らせをお送りしました。それから、腰を据えて次のカルマに取り掛かりました。最後のカルマとして上がってきたのはある部族のリーダー的存在であり(本当は部族ではないのですが説明すると長くなるので)他の部族のリーダーを信頼して、同盟を結んだのですがその部族が裏切って、自分の部族が迫害されたというものでその同盟を結ぶという選択を行った私は自分が人を見極める目がなくみんなを傷つけることになったことへの罪悪感を抱えていました。アトランティスのカルマの時も大きかったですがこのカルマのエネルギーは、とても苦しくて虚しさと罪悪感と無力感で一杯になりこれは、とても抜けれそうにないなという感じがしました。そこに現れてくれたのはキリストでした。自分の弟子に裏切られ、貼り付けにあったキリスト。それでも、裏切った者たちを許し、安らかにアセンションを果たしたマスター。ああ、キリスト。私には無理です。私が受けた裏切りはあなたとは比較にならないほど小さくて取るに足らないものであることは十分にわかっていますがそれでも、私にはそれを乗り越える愛も強さも持ち合わせていません。どうか私にそんな試練を与えないで。私は号泣しながら、そう言っていました。そして、ある領域に入ったその瞬間。キリストのエネルギーが私の中に入ってきて私は一瞬で、意識が遠のきました。どのぐらい、意識が遠のいていたのかよくわからないのですが気がつくと、先ほどまでの苦しさや悲しみや無力感が嘘みたいに消えていました。本当に、なんであんなにショックを受けたのだろう?と思えるぐらいに、です。それは、許すとか許さないとかを遥かに超えていました。そもそも、キリストは、事が起こる前に全てを知っていて、その運命を受け入れているので「裏切られた」という概念がないのです。ああ、こういうこと(感覚)なのか。意識を戻しつつ少しずつ、理解し始めました。ガイドが、ここ最近、何度も「信頼する人を見極める明晰さを持ちなさい」と伝えてきた事の意味も。わかっているつもりでいてわかっていない部分がありました。それは、けして、人を信じないとか疑いなさい、ということではなく本当の信頼は、その人のライトもダークもあらゆる次元でのエネルギーを受け取った上で行われるものでありそれを理解した上で、自分がどう対応するのかを判断する力であるということを。私は、彼のダークな部分もちゃんと見ていたつもりでした。だから、なんとか彼に気づいてもらおうと一生懸命でした。でも、そういうことではなかったのです。彼が、キネシオロジーやヒーリングを人に対して行う人ではなく彼の魂の道は、音楽にあって彼はキネシオロジーはお金のためにやろうとしていたに過ぎないことも、よくわかっていたのに私は、その部分に目をつぶって彼の希望に応えようと魂が求めていることではないことを頑張っていたのでした。同時に、そんな彼をクライアントさんに紹介していることや私と一緒に、リトリートやクラスの主催になっていることに対してみんなに対する罪悪感を抱えていました。だから、彼をみんなが信頼できるヒーラーにするために、導いていかなければ、と余計な責任を感じていました。実際、離婚してから、何よりも楽になったのはその部分でした。私は、もう彼を導く必要もないしみんなに対する罪悪感も感じる必要がなくなり別れてから初めて、どれだけ自分が不要な責任を負っていたのかを理解したのです。先日、クラスのみんなにお伝えした事の中に「報われなかった、という気持ちが生まれるのは自分が本当はやるべきことではないことを頑張った結果、上手く行かなくなるからで魂レベルでやりたいこと、やるべきことを頑張ったら、必ず、宇宙のサポートが入るし報われるのです」私が、過去に「彼のため」だと思って頑張ってきたことは宇宙全体に取って、必要なことではなかったし結果的には、全く彼のためにもならなかったということを今回ほど、突きつけられたことはありませんでした。いえ、ここまでされなければ私は本当の意味では理解できなかったのでしょう。ガイドから伝えられたのは「人間愛から自分自身を偽ることになっている」ということでした。以前の私なら、もし彼のこのブログを読んでも「こんなに酷いことを書くのだから、彼はきっとお金や仕事に行き詰まってなんとかしようと必死なのだろうな」と同情していたかも知れないしここまで書かれても、彼を好きでいよういつかわかってくれることを信頼しようと思ったのかもしれません。彼が今、どう言う状態であったとしてももともと、そういう要素がある人であることはとっくの昔に、どこかでわかっていたことなのに。ああ。本当にアホだったんだな。私。今は、彼を好きでいたいとは思わないけど嫌いとか、許せないという感情もなくすでに、遠い過去世の記憶の中の人のように感じ始めているのを感じます。これらのプロセスや経緯は私の中で、すっきりと解決すればいいことなので親しい友人には伝えてもブログには書かないつもりでした。なので、ガイドから、このことをブログに書きなさいと言われた時には、躊躇しました。いくら元夫から、心ない中傷や批判をされたと言えそれに対して、いちいち、反応すること自体がなんだか、愚かしい事のように思えました。私がブログに書くことで彼のブログを読んでいない人たちにも伝えることになりわざわざ彼のブログを読みに行く人も出てくるかもだし物事を荒立てることはしたくないという気持ちもありました。昨日の放課後でも、参加者の方が「もし、これに多次元をやっていて賛同する人がいるとしたら自分が上手く筋反射や多次元を活用できていない人ですよ」と言われていましたが本当に、自分ができなかったことをただ「できない」と認めることができずにそれに対して否定したり、批判したりする人がいることはこれまでも、元夫だけでなく何人もいました。(これが妬みのエネルギーとなるのですが)一方で、最初にメールを送ってくださった彼女も「私自身が自己ヒーリングした方がいいでしょうか?』などと聞いてこられたのでモヤモヤされているのだろうし中には、例え、多次元自体を活用して私を信頼してくださっていてもこれを読んで、傷ついたり、または私に同情したりどう捉えたらいいかわからない人もいるのだろうなと。そんなことを思って、決められないでいるとイシスが現れて、メッセージを伝えてくれました。イシスは、今年、エジプトでの参加者の一人に行ったカルマリリースのセッションの時に現れて以来ニューヨークに戻ってからも頻繁に現れてくれるようになったマスターでした。イシスは、女性のリーダーとしてのあり方を私に伝えようとしてくれていました。リーダーとして、キチンと説明したり自己表現するべき時に行うこと。もし、それを行わず、黙ったままでいるならば男性に傷つけられた女性としてのカルマを背負うことになってしまうこと。そんな経緯でこのブログをアップすることにしましたがこれは、あくまでも、多次元をやっている方やリトリートに参加してくださった方々に対してむけてのものであって彼のヒーリングを受けている方を否定する気持ちは全くないことを理解してくださったら幸いです。彼がどういう人であれ全ては、私自身の魂の学びとさらなる解放のために起こったことであることは間違いありません。そして、これが今回のレベル3クラスのタイミングで起こって、クラスが1日遅れたことで放課後、みんなに、その理由をシャアすることとなり何人か、彼をよく知っている人たちからの話も聞いてその話の中で、彼が今でも、その植物を常用していることもわかりました。「のりこさん、私たちはもうとっくに(彼がどう言う人なのか)わかってましたよ。私は、彼からセッションを受けた時これはもう無理だ、と思いましたから」と言われました。もし私が、この話を直接、みんなにシェアしなければそう言った話を聞くこともなく私は、今でも最後の彼の言葉を信じようとしていたのかも知れません。最初にメールをくださった方はこれを私に伝えるかどうか、悩んででも伝えようと決めて、送ってくださったそのタイミングが、ちょうどクラスの初日だった事は結果的には、私のさらなる気づきのためにベストのタイミングとなったのでした。ああ、みんな、ごめんなさい。私の知らなかったところで色々心配させてしまったり辛くさせてしまったり不安にさせてしまったりしたのでしょう。そして、それでも、私を信頼し続けてくれて多次元を活用してくださって本当にありがとう😭これからは、もう少し賢いリーダーになるようにさらなる自己調整をやってゆきますね。(どんなことででも気軽にメールで伝えてくださいね)親愛なる私のアルクトゥルスのガイドそして、イシス。私は、しっかりと自分の想いを伝えることができているしょうか?このブログの内容は宇宙の意図に沿っているのでしょうか?今回、これを書きながらも私の中に被害者意識や恨みが残っていないか内観したり、チェックしながらでしたが改めて、感じたのは彼がヒーリングで上手く行っても行かなくても今の私に取っては、全くどうでもいいことであってただ、私の想いを伝えることだけが大切だったのだなと。今の私ができる事は全てやったと言う思いでこれをどう捉えれようとも構わないなと書き終わって、スッキリした気持ちでいます。長くなったので、2つに分けましたが長い文章を読んでくださってありがとう。
2023年08月02日
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昨日、第3回目のレベル3クラスが終わりました。本当に素晴らしいクラスとなって今は、ただ感謝で一杯です。そのクラスのお話は、また次回アップするとして今日は、ここ最近の私の気づきと変容について書いてみます。正直、これを書くのは、少し勇気がいることで最初は、ブログには書くつもりはなかったのですがガイドやマスターから「リーダーとしてきちんと説明しなさい」と言うメッセージがあったことと昨夜のクラスの終了後、放課後の最後に残った方たちに、このお話をシェアすることになりみんなの意見を聞いたことで決心がつきました。みんなありがとう。(と、しばらくは、クラスの余韻に浸りながらゆっくり書こうと思っていたら先ほど、ガイドから、先延ばしにするのはやめなさいと言われ、急遽、画面に向かっています)さて、第3回目のレベルクラスの初日の朝私は、多次元キネシオロジーを学ばれているある方からメールをもらいました。その方は、私の元夫が、彼のブログで私のことを辛辣に批判しているということを多次元の仲間から聞いて彼のブログのリンクが送られてきたのでそれを読んで、とても不快な気持ちになったとのこと。「元夫という立場で、しかも多次元のみんなも多くの人が繋がっていて、ブログを見ているのに、どいうつもりなのか、卑怯な感じがします。もし、のりこさんだけが知らないのでしたら不公平なので、お伝えすることにしました」と言って、私の元夫のブログのリンクを送ってくださったのでした。それで、そのブログを読んでショックを受けました。それは「レイキ伝授に関して」というタイトルでしたが「のりこと多次元に関する暴露」という内容で真実が歪められて書かれてあったからです。そこには、何一つ真実はありませんでした。例えば、私がみんなのガイドであるアルクトゥルスに名前をつけているとかアルクトゥルスを私の所有物にしているなど。(アルクトゥルスの名前は、それぞれが自分のガイドとコンタクトして受け取るものですが以前は、アチューメント後にコンタクトが取れない人の代わりに私がその方の筋反射を取って、名前を聞いていました。今は、ガイドの名前も受け取れない人にはアチューメントを行うことがないのでやっていませんが私が名前をつけているわけではありません)また、遺伝を解除しなければ、ガイドがつかないなどと、短絡的、二元的な意味づけがしてあって彼が、全く多次元のコンセプトを理解していなかったことに、改めて驚愕しました。高次元の存在とコミュニーションでは筋反射に限らず、多次元的な理解のもとで高次元からの情報を受け取る力が必要なのです。それを妨げているものとしては遺伝だけでなく、霊的なエネルギーやインナーチャイルド前世やカルマなどがありますが基本的に、レプや冥王星などは誰でも持っている遺伝なので例え、それらを持っていても情報を多次元的に的確に掴みハイヤーセルフと繋がっているのならガイドや高次元のメッセージを受け取ることができます。彼のブログにはアルクトゥルスのアチューメントを「エゴ丸出しの洗脳儀式」と書かれており私に対する批判というだけでなくこれまでハワイリトリートに参加してくださった方々や多次元を受けてくださった方々に対しても侮辱するようなひどい言葉が並んでいました。まるで、あの楽しかったハワイリトリートの思い出も刃物でズタズタに引き裂かれているような感覚になりました。また、私が意味もなく怒ったり特別意識やエゴでコントロールしていたかのように書かれてありました。私は、彼との結婚生活でヒーリングを始めてからは意味もなく、怒ったり、イライラしたりすることは、ほとんどなかったのですが私が彼に怒る時の多くは彼のヒーラーとしての無責任さや傲慢さに対してでした。例えば、私はハワイリトリートで彼に怒ったことがありましたがそれは、以前から、彼が常用していたある植物のことでした。日本では、禁止されている植物ですがアメリカでは一部合法であるとお伝えすればわかると思います。その植物の効能がある事はわかっていますがそれを常用していると、例え、身体そのものには悪影響はなくてもグラウンディング力が落ちて地縛霊や浮遊霊を引き寄せやすくなったり記憶力や感覚と言葉を繋ぐ力が弱くなることは私自身の経験や、他の人のセッションからもわかっていたので私は、もしキネシオロジストとして人にセッションを行うのならキッパリと辞めた方がいいということを何度も彼に伝えていました。浮遊霊や地縛霊などのダークなエネルギーがライトボディに多ければ高次元の存在やエネルギーとつながることはできないし人から、ヒーリングを受けることはできても人へのヒーリングを行うことはできないのです。もし彼がただミュージシャンとして生きているだけの人だったら多分、そこまでは言わなかったかもしれません。でも、クラスやハワイリトリートを行う主催者として日本からの参加者をケアするためにまた、ヒーリングを提供する立場としてグラウンディングすることが必要だと私は思っていました。彼は、毎回のハワイリトリートの時にその植物を取っていたので、滞在中海でパニックになったり飛行機内でパニくったり記憶ができない人の話が理解できないセッションに集中できない浮遊霊などにやられてダウンするなど、様々な問題が起こっていました。4回目のハワイリトリートを開催する前私は「もし、ハワイでその植物を取らないということを守れないのだったらもうハワイのリトリートは開催しない」ということを事前に何度も彼に話して彼は「大丈夫だ、決してやらない」と約束したので、4回目を開催することにしました。私は、そこまで約束したのだから、と彼の言葉をすっかり信じていてハワイのリトリート期間中全く疑いもしませんでした。でも、彼は、嘘をついていて、私に隠れてハワイで常用していたのでした。そして、私は、そのことを彼から直接ではなくアルクトゥルスのガイドから聞いて知り彼に問い詰めたら最初はごまかそうとしたものの結局、何度か常用したことを認めて私は、あれほど約束したのに嘘をついていたことに、失望しました。こんなことが、それまで何度も起こっていて私は何度も彼への信頼を失いそうになりながらもその度に「長い目で見てゆこう」「誰でも間違いや失敗はあるのだから 彼に変わるチャンスを与えよう」と、彼を再び信頼していたのです。もし、彼が多次元のコンセプトに同意できなければそれはそれで問題はなく多次元キネシを行う必要は全くありませんでした。でも、多次元キネシオロジーをやりたいヒーリングやキネシオロジーをやりたいと彼が言い出したのでそれなら、私ができる限りのことをサポートしようと過去、多次元だけでなく、レイキも、IHも私のできるヒーリングの全てを彼に伝えようとやってきました。当時は、私のセッションを受けたいと言ってくださるクライアントさんがみんな彼のセッションを受けるようになればいいのにと願っていたしそのためにも、彼が筋反射が取れるようにまた、一緒にリトリートや多次元を主宰する立場としての責任を果たせるようにと願っていたのです。彼はそのブログで「のりこと多次元の暴露」と言いつつそういった自分に都合の悪いことは何一つ書かずに事実を歪め、無茶苦茶な言いがかりで私と多次元を批判していました。私自身は、暴露されて困るようなものは何一つないと言うのに。ショックと同時に、不思議でした。離婚の後、彼は私のセッションを受けに来てくれてその時に、「その植物が自分にとってどれだけマイナスになっているかがやっとわかった、やめる決心ができた」ということを言っていたので私は「ああ、やっとわかってくれたのだ」と本当に嬉しかったし彼は、私への感謝も伝えてくれたのです。もし、こんな風に、当時、ここまで不信感を持っていたのなら離婚後に、私のセッションを受けようなどとは思わないでしょうし感謝の言葉も出てこないのではないかと。最後に彼に会ったのは確か2年近く前彼がニューヨークを引き払って日本に永久帰国を決めた時に「のりことやり残した音楽をどうしても完成させたい。最後に歌ってもらえないか?』と頼まれました。ちょうど、私は、もうすぐクラスという時期で時間の余裕は全くなかったのですが彼の最後のお願いを聞いてあげたいと引き受けることにしてクラスに準備の合間に練習をしました。その時に、一応、ガイドに聞いてみたのですがガイドに言われたのが「人をよく見過ぎてはいけない。彼はあなたの信頼には値しない人だ。彼とは距離を置きなさい」ということでした。「わかってます、もちろん、彼とよりを戻すつもりはないから。このレコーディングで最後だから」そう私は言って、4日間のレコーディングを行ったのですが結局、そのレコーディングされたものを彼はミックスすることもなく完成された曲を私は聴くことはありませんでした。ああ、やっぱりガイドが忠告してくれた通りだったのだなそう思いましたが今になって、ガイドはそういう意味で私に伝えられたわけはなかったことを改めて理解しました。それから、彼とは連絡は取り合っていませんでしたがたまに、元気でやっているといいなあ、と思い出してそこから2年近く経って、いきなりこのひどい中傷のブログの内容はまるで、何かに取り憑かれて別人になったかのようで信じられない気持ちでした。一体、彼に何があったのだろう?と。私は、この彼のブログを彼をよく知っている私の友人たち何人かにも見せました。ただ、私のショックと悲しみを聞いて欲しかったからでしたが友人たちからの意見は「私の知っている当時の彼の印象とは違う印象だな。一見理論的、断定的、二元的、攻撃的な感じ。当時の彼がそう思っていたと言うより今の彼の状態が当時を語るとこうなる、と言う事だと思う」「途中で読むことができなくなった。本人は自覚していないのかも知れないけれど悪意と自己弁護の渦で息苦しくなる」などで、本当にその通りだと思いました。私が彼のブログから受け取ったのは「被害者意識」もありますが、それよりも強力な「妬み」のエネルギーで言葉の行間から伝わってきました。妬みは、自分に持っていないものを持っている人に対して、または自分よりも成功している人に対してその人の不幸を願う気持ちであり呪いに近いエネルギーとなります。自分自身の行うレイキヒーリングに人を集めるために、多次元の人たちにむけて私や多次元に対する不信感を持たせるためにこのブログを書いたのだろうなということは彼の性格上、容易に推測できました。ああ、なんと言うことなのか。私は、彼をずっと応援していたのに。私が命の全てをかけて取り組んできた多次元キネシオロジーやアルクトゥルスメソッドのことを罵倒するだけでなく多次元やリトリートに参加してくださった方々への侮辱でもあって私は、みんなに申し訳ない気持ちで一杯になりました。ああ、私はやはりリーダーとしてやってゆくべき人ではなかったそう思いました。そして、この時、初めて「裏切られた」という想いが湧いてきました。彼のこれまでのたくさんの嘘や偽りや酷い言動や浮気もそして最後に新しい彼女ができて離婚になった時も私は、その都度、傷を癒し被害的に捉えることを手放してきました。でも、今回だけは「裏切られた」という思いが止められませんでした。もちろん、全ては私自身が生み出した現実であることは十分わかっていました。泣きながら、ガイドに「私の何がこの現実を生み出しているの?私はどうすればいいの?」と聞いて、返ってきた答えは「過去世のカルマをリリースしなさい」ということでした。やはり、そうだなと。大人になってから体験する感覚の99%は過去の焼き回しです。私は子供の頃にこんな裏切りを体験したことはなくもしカルマでもなければ元夫にこんな風に批判される現実は生み出されないだろうなと。クラスが始まる前にこのカルマをリリースする必要があるのは明白だったのですぐにカルマリリースに取り掛かりました。文字制限になってしまったのでこの続きは、分けて書きますね。
2023年08月01日
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さて、ここ最近もいろんな出来事からの気づきや学びがあり、それに関連して私自身の意識の変容もさらに促されています。まず、先日も書いたように再受講の方の中で、7月のレベル3のクラスのキャンセル待ちの方が何人かいらっしゃったので急遽、今月末に、追加で、3日間の再受講限定のレベル3クラスを開催することになりました。お申し込み受付終了の後、2名ほどキャンセルがありもともと、希望者だけの少人数で行う予定だったのでそのままにしていたのですが少し前に、ガイドから「5月の上級クラスを受けた10名の中にもこのレベル3が必要な人がいるのでご案内を送るように」と伝えられて「へ~そうなの?必要なのかなあ」と半信半疑ながら一応、10名の方にもご案内をお送りしたわけです。(結局、その中で、9名からお申し込みがあったのですが)そして、その後、今度はトートが現れてそこでわかってきたのは10人の上級クラス受講者の中で、クラスの後上級クラスでの学びをしっかりと活用し自分自身の変容を続けているのはまだ3、4名ほどしかいないということでした。それを聞いて最初は「え~~どうして~?あんなに感動を分かち合ったのに~」と軽くショックでした。そして、その後で、何人かの人からたまたまメールがあったり(もちろん、たまたまではないのでしょうが)近況を聞いているうちに見えてきたのは上級クラスを受ける前まではアチューメントを受けるために頑張って自己調整を続けてこられた方たちがクラスが終わった後ある種の燃え尽き症候群のようになったりまたは、今はいいかと達観し実践を先延ばしにしてクラスでの学びを自分の変容に生かさず停滞していると言うことでした。あ~~まさに目標達成型思考だなあと。目標達成型思考というのは私が名付けた言葉(コンセプト)なんですが目先の目標に向かって動く人のことでこういう人たちは、例えて言えば「~~大学に入るのが目標」みたいな目標を持って、一生懸命に頑張って無事、その大学に入った途端にそれまでの頑張りの反動もあり燃え尽き症候群のようになって肝心の大学での学びにやる気が出ないみたいな状態になりやすいのです。では、目標達成型思考の対義語は何かというと「ビジョンを持つ」ということ。例えば「宇宙を深く知りその知識を人々に生かして行きたい」などというビジョンを持ってそのビジョンを叶えてゆくための一つの目標としての大学入学だったら大学に入っても、モチベーションは失われないし少々、上手く行かないことがあってもまた違ったやり方をやってみようと試行錯誤していくことができます。これは、リトリートの中でも何度かお話したしこのブログでも書いたとは思うのですがビジョンと目標とは明確に違います。例えば「ヒーリングを通じて、自分や周りの人々に幸せを広げて行きたい」というのは、ビジョンであってそれは、どこまでやってもこれで達成して終わり、というポイントはなく延々に叶え続けることができるものです。そのビジョンを叶えるための一つの目標として「中級クラスを受ける」とか「プロとしてセッションをスタートする」などであれば例え、一つの目標が上手く行かなくても続けてゆくモチベーションは失われませんがそういうビジョンを持たないで、例えば「プロのヒーラーになること」とか「上級クラスを受けること」などの目標自体が夢だと勘違いしてしまうと例え、頑張って、プロのヒーラーとしてスタートできてもその途端、モチベーションを失ったりまたは、逆に、上級クラスを受けることができなかったなど、目標がすぐに達成できなければ諦めてしまったりするわけです。ああ、だからなのか~と私がこれまで、情熱が失われなかったのは「多次元的、内なる世界を変容させてゆくことで 可能性を広げ、魂の喜びと幸せを実現する世界を広げてゆく」という私が2016年からずっと持ち続けているビジョンの中で動いているからであって何かの目標を達成するためではないからだということに改めて気づきました。例えば「上級クラスを開催すること」はもう何年もの間、私に取っての大きな目標であってこの上級クラスを開くために去年から多くのエネルギーと時間をかけて頑張ってきたのでクラスの前は「さすがに、ここまで全力でやってるとこのクラスが終わったら、少しは燃え尽きるのかも?」と思っていたのですが実際は、クラスが終わっても、全く燃え尽きることはなくむしろ、この上級クラスを開催したおかげでさらに新たな視点が広がってそれを中級クラスに生かすというアイデアや情熱につながったことを実感していました。これは、上級クラスの開催はビジョンを叶えるための一つの目標にしか過ぎずこの上級クラスの開催自体が夢ではないからだということにここ最近、みなさんとの会話やトートからのメッセージを通じて改めて気づいたのです。目標を達成するために頑張るのではなくビジョンの中で動いてゆくならば例え、すぐには上手くいかないことであっても失敗してもそこからの学びや気づきになりさらなる成長や発展に生かしていくことができるしその時々での学びのプロセスを楽しむことができます。やるべきことを先延ばしにしている人やる気やモチベーションを失っている人停滞している人同じ問題や状況を抱え続けている人そんな人たちは、目標を決めるより前に自分のビジョンをクリアにすることが大切だなあと。ビジョンがクリアにならないのならそのビジョンを妨げているものを解除してゆく必要があるのです。「夢は叶えるもの。叶えるまで頑張る」のではなくて「夢は、人生を通じて、叶え続けてゆくもの」であるという認識が必要なんですね。何かの達成目標を夢にするのではなくビジョンをクリアにして、それを夢とするならば目の前の目標に向かって、無理に頑張り過ぎて燃え尽き症候群になったりすることもないし何があっても、情熱は失われず日々、夢を叶え続けてゆくことができる。そんなことを改めて感じた今日このごろです。
2023年07月09日
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昨日は、父の日でしたね。私は、父の日がフューチャーされていたエンジェルズのデーゲームの試合を見ながら亡き父を思い出していました。野球が大好きだった父のこともしもまだ生きていたら、間違いなく翔平くんのこと好きだろうし昨日の翔平くんの「父の日ホームラン」に喜んでいるんじゃないかな〜、なんて思いながら試合を見てました。私と同じぐらいの年代の方だともう親が亡くなっている方も多いかと思いますが皆さんは、どんな父の日を過ごされたでしょうか?今朝、ある方から、メールを頂いたのですが彼女は、父の日に、実家に行って最初は、お寿司屋さんでご馳走になって楽しく過ごしていたそうなんですがそのうち、大喧嘩になったそうなんです。二人とも一歩も引かずに彼女は、父を怒鳴りつけていたそう。でも、これまで事なかれ主義で表面的に平和だった彼女はそのバトルを終えてスッキリしたそうなんです。ああ、これ、インナーチャイルドの癒しにはすごくいいプロセスだな、と思いました。父に対して(いえ母に対してでもですが)恐れずに、言いたいことを言えるって、子供に取って、とても大切なことなんです・これまで、いろんな方のセッションをやってきた中でインナーチャイルドが傷ついている要因としてお父さんがすぐに切れたり、怒りっぽい人だったから(怒らないように)気を使っていた、というケースが結構、多いのです。その場合、お母さんも、お父さんに気を使っていてだから、子供も自然と気を使ってしまうんですね。そういう子供は、大人になっても人が怒ったり、機嫌が悪くなるのが怖くて周りに気を使い自分の言いたいことを言えずに自由さや自分軸を失ってしまうのです。だから、怒られたことによる傷というよりそれによって、子供本来の自由さを失ったことの方がずっと問題は深いのです。だから、きっとね。彼女のインナーチャイルドは彼女が、お父さんに自由に言いたいことを言って怒りを表現できたことを喜んでいるんじゃないかなと思うのです。インナーチャイルドが癒されるとそれまで、親に怒りをぶつけていた人はインナーチャイルドが収まって親への怒りがなくなる人が多いのですが一方で、彼女のように、子供時代に抑えていた怒りを自由に表現できるようになることもあってそれは「あ、喧嘩しても大丈夫なんだな」という安心と信頼につながってゆくのです。いくらバトルをしようとも親子の愛と絆が失われることは決してないのですから。私が子供の頃、切れやすかった父を怖くなかったのは、母のおかげでした。母が父を全く怖がっていなかったし父に気を使うこともなかったからです。そして、もう一つ父が私と将棋したり、キャッチボールやバドミントンで遊んでくれたことも大きいかなと。母がよく「あなたが兄弟の中で、一番お父さんと遊んだし、一番喧嘩してたわね~お父さんが怒っても、あなたは、いつも一歩も引かずに立ち向かって行ってたわ~。ある時、お父さんがあなたを殴ろうとして私も止める暇がなくて、それがあなたの顔に当たってしまって顔にアザができた時もあなたは、全く平気で、次の日そのまま学校に行ってて、本当凄かったわ~」と、惚れ惚れとした表情でまるで私の武勇伝を語るみたいに話すのでおいおい、これは、そんな楽しそうに話す話なのか〜😅あ~こんな母だから、私もそうなったんだなあと。(そりゃ、男性性優位にもなるわ)その時、後で、母は父に「女の子の顔に、傷でも残ったらどうするの!」と怒ったそうなんですが「俺も本当に殴るつもりはなかったんだ。お前(母)が止めてくれると思ったから」と、シュンとなっていたそう。私は全く覚えてないのですが多分、男の子になりたかった私に取ってはよく少年漫画などであるように本気で喧嘩しあった後で、大の親友になる男同士のバトルをやっているみたいな気持ちだったのだろうなあと。怒りっぽく、厳しく、激しかったけど同時に、傷つきやすく、繊細でもあって人の気持ちを受け取る力もあって深い愛情を持っていた父でした。私が、父の意見や考えに同意せずに自分の意見を伝えると父は、最初は怒るのですが私が諦めずに伝え続けると必ず、最後には「お前の気持ちはよくわかった」とか「それなら、お前のやりたいようにやってみなさい」と言ってくれるのでした。だから多くの子供がそうなるように「どうせ親に言ってもわかってもらえないから言わないでおく」と言うこともならずに自分を信頼すること、人を信頼して自分の思いを伝えることができるようになったのだなあと。父は、遺伝的には、レプ、冥王星、リラが強くつまりは、正義感、責任感、こだわりが強いと同時に罪悪感も強い人で対する母は、ほとんどレプがなく、リラ遺伝もなくあっけらかんと明るく、罪悪感もあまりなく、図太い人で私は、全く違う二人の性質を遺伝的に受け継いだのですが2、3年ぐらい前に、母が言った言葉に驚きました。「お父さんはね、亡くなるまでずっと何年も後悔していたのよ〜。あなたが、大学受験の時合格圏内だった九大を受けたいと言い出した時に『確実に受かる大学じゃないとダメだ、女がそんなに勉強する必要はない』と言って止めたことを。お父さんは、あなたがキネシオロジーをすごく勉強して頑張っているのをみてから『俺は間違ったことをしてしまった。のりこは、こんなに勉強が好きで頑張ることができる子なのに。女とか男とかそんなの関係なかったのに。あの時、九大を受けさせてあげればよかった。俺は、子供の可能性を潰してしまった』そう何度も言っていてね~あの時のことを、ずっと悔やんでいたの」え~~まじ~~!何という。高校時代の恋愛ストーリーに書いたように私が教育大を受けることにしたのはKくんと同じ大学に行きたかったからであって父に言われたからじゃないのに。私は、九大を受けたいと父に言ったことすら完全に忘れていたので父が何十年も前のことを、そんな風に後悔し罪悪感を持っていたことを知ってびっくりでした。お母さん、もっと早くそれ言ってよ~(おしゃべりなのに、肝心なことは言わない😅)お父さんが生きている時に私にそれを教えてくれたらお父さんに伝えることができたのに。私は、今の道を選んだことを何一つ後悔してないし選んだ大学とは関係なく魂の仕事を見つけたの。だから、私の可能性は、お父さんによって潰されてはいないのよ。そもそも、私は、お父さんに言われたからと言ってやりたいことを諦めるような子じゃなかったでしょ?そう父に伝えることができたらよかったのになあ。でもきっと、あの世で理解しているのでしょう。小学校、5、6年生の時の作文で「あなたが尊敬している人のことを書きなさいというのがあったのですがみんなが、エジソンなど世界の偉人のことを書いている中で、私は「世界で一番尊敬しているのはお父さんです」と書いたことを覚えているのです。今から思えば世の中で、どれだけのお父さんが、子供から「世界で一番尊敬する人」と言われるのかしらと。そう思うと、そんな父を持つことができたことにも感謝ですが、同時に「そんな娘を持つことができて、お父さん、よかったね」と、昨日、天国の父に伝えたのでした。天国の父は、きっと、ちょっと照れくさそうに笑っているのだろうな。そして、「お父さん、今はね。私が、世界で、一番尊敬する人は、お母さんなんだよ」そう伝えたら、父はどういう顔をするのかな~「やっぱり、お母さんにはかなわないよ」そう笑っていそう。お父さん、ありがとうこれを読んでいる方の中には子供の頃、お父さんが嫌いだったとか父からの愛情を感じられなかったとか父を全く尊敬できなかったと言う方もきっといらっしゃることでしょう。でも、それは、今からでも変えることができるのです。例え、すでにお父さんが、亡くなってこの世にいなくてもあなたの愛は、必ずお父さんに届きます。子供の頃に傷ついたあなたを癒しあなた自身が、ありのままの自分を大好きになって自由を取り戻した時あなたのお父さんへの愛は、届くのです。そして、その時。あなたのお父さんからの魂レベルでの愛をあなたは受け取ることになるのです。あなたという大切な命をこの世界に生み出してくれた人から。子供の頃は、お互いの様々な性質や感情や思考が邪魔して受け取ることができなかった愛を。父の日に。みんなそれぞれのお父さんに愛が届きますように🙏
2023年06月19日
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いや~楽しすぎました。もちろん、昨日まで行われたエンジェルズ対レンジャーズ戦4連戦です。今のところ、レンジャーズは、西地区で最強のチームでエンジェルズは、同地区3位。エンジェルズのプレーオフ進出のためにはこの4連戦が大事なので、この試合は見逃せないわとガッツリ、私のスケジュールもこれに合わせて全試合、観戦しました。これはどのスポーツでも同じだと思いますが大差で勝ったり、負けたりする試合って見ている方としては面白くないものでやはり、接戦で争う試合の方が、断然面白いわけなんですがそういう意味でも、この4連戦は、面白かったしさらに、ここで打って欲しいというところで翔平くんがホームラン打つという、最高の展開。特に、延長12回まで行った初戦が凄かった~。翔平くんの1試合2本のホームランは4対5で迎えた7回に、同点にする1本と5対5のまま、延長戦となり、もうだめかと思われた延長12回に勝ち越しの1本といいうまさに神君臨状態!生きててよかった~😭という言葉が自然と出てくるぐらい。(といっても、毎日の自己ヒーリングでも食事が美味しくても生きててよかった状態になるけど)’この初戦は、翔平くんだけでなくリリーフ陣の延長での粘りも感動ものだったし(まじで、ここ感動)ネトの壁激突スーパーキャッチドルーリーの退場劇後に1塁に入ったこれまで3回しか1塁を守ったことがないというウォードのファインプレーなど見所も多くてレジェットのエンジェルズサイトでも「今年一番面白い試合だった」という声が上がってましたが、本当にゲームとして最高の試合でした。2戦目も、翔平くんは、2安打3四球で5出塁という打撃好調さで他の選手たちの活躍で、トラウト欠場だったのにも関わらずレンジャーズに勝利。3戦目は、残念なら、エンジェルズは負けてしまったけど翔平くんの9回での特大ホームランが見れて負けても、試合後の余韻はハッピーに。そして、昨日の第4戦目、いよいよレンジャーズ最終戦翔平くん登板の試合。相手もレンジャーズで9勝を挙げている好調な投手で(知らんかったけど)エース対決。好調のネトが負傷者リスト入りしていないのに加えドルーリーもまだ出場停止状態でのスタート。初回から翔平くんは、制球が定まらず30球を投げるという立ち上がりで最初から、あ~これはヤバイな~と思っていたらさらに、レンドン死球、ウルシェラが負傷という事態に。翔平くんも3連打されての2失点。トラウトも絶不調で、チャンスに凡退。(でも、レジェットで誰かも言ってたけど例え絶不調でも、トラウトがいるというだけで何だか安心感があるけど)そんな苦しい試合展開の中翔平くんは、いつものように後半になる程、調子を取り戻してきてモニアックのホームランもあって3対2となり、勝利投手の権利を持って7回にマウンドを降りた後でこのシリーズ4本目となる2ランホームラン🎉まじで、あり得ない😱このホームランが、試合を決めることになりました。その後、9回に、エンジェルズの守護神エステベスがまさかの3四球で、ノーアウト満塁になって一打サヨナラのピンチを招き、ウェブに交代というさらに、あり得ない展開になってからのエンジェルズ勝利。結果的には、MLBで最も強力な打線と言われているレンジャーズ相手にエンジェルズが3勝1敗。翔平くんも勝利投手となりこのレンジャーズとの4戦で、4本のホームランという漫画のような劇的ドラマ展開となり最高のシリーズでした。で、ここからが本題なんですが(てか、長い😅)皆さんは、げんを担ぐというのをやるでしょうか?私は、この野球を見てる時は毎回、げんを担ぎたくなってしまうです。人によって色々あると思いますが私のげんを担ぐやり方は「事前に、できるだけネガティブなことを言っておく」というもの。以前、パッサンの呪い、というのが流行っていてジェフパッサンという野球記者が、あるチームを褒めた途端そのチームは、成績を極端に下げて低迷してしまうというものなのですがこれ、パッサンだけでなく、野球の解説者でもあって解説者が打席に立った選手を、ベタ褒めした直後にその打者が三振する、というようなことがよくあるので(実際は褒めても褒めなくても、結果は変わらないと思うけど)レジェットなどでは、解説者がベタほめすると選手が調子を崩すからやめて~と言う人もいるしその選手の不安なことやネガティブなことを事前に書き込む人も多くてこれ、アンチとは明らかに違ってものすごく応援しているがゆえなので読んでてすごく面白いのです。昨日は、試合中の、みんなの一喜一憂ぶりネガティブぶりが、最高に面白くて、笑いました。アメリカの野球ファン、センスある人本当多いなあ。(レジェット版を、後日、日本語訳した「かいこれ」さんのブログすごくお勧め~)ま、誰が何をどう言おうが、翔平くんやチームの成績には全く関係ないことは確かですが例えば、なぜか、私がブログに「翔平くん素晴らしかった~」と書くと、その試合の後から、調子悪くなったり先日、翔平くんの調子が悪くて「これは翔平くん、ポジティブに考えられないだろうな」と書いた次の日ぐらいから翔平くんの打撃がすごいことになってホームランキング一位に躍り出たしだから、この4連戦が終わるまでげんを担いで、事前にポジティブなことは書かないでおこうと思ってました。(なので、この4連戦の間は、ポジティブなことを書いてしまいそうなブログは控えていたという🤣)で、よくよく考えてみるとネガティブを楽しむ、というのはゲームが楽しくなるための必須要素なんですよね。何の障害物もなく、最初から最高得点しか出ないゲームなんて、誰もやりたいとは思わないわけで絶対絶命のピンチがあったり、上手くやれなかったりどうやっても勝てない、という状況があるからこそゲームは楽しいわけです。一方で、ゲームに負けても死ぬわけじゃないしゲームをやっているという意識の上での不安や焦りなので心からそのネガティブを楽しめるわけです。そして、私たちは、野球やゲームに限らずそれぞれの人生をゲームとして捉えてネガティブを楽しむことが必要だなあと。このネガティブを楽しむことができるかできないかで自分の感覚を受け取ることができるかできないか、決まると言っても過言ではないです。ネガティブを楽しめない人は例えば、誰かが「あ~もうだめだ~」「今、私、やばいです」などっと言った時に「大丈夫よ、何とかなるよ」とか「そんな大した問題ではないよ」などすぐに元気付けようとしたり、慰めたりします。安易な慰めや元気付けやポジティブ思考ほどゲーム(会話やコミュニケーション)をつまらなくしてしまうものはなくてそこで会話が終わってしまうわけです。実際は、ポジティブな思考の人で潜在意識はネガティブな人も多いのでそういう方は、自分の問題や闇を見ることができずにずっと変化できないことが多いのです。これは、キネシオロジーのセッションにおいてもそうでセッションの場で、クライアントを元気付けたり、慰めたりするのは、基本NGなのは一時的に、ポジティブ思考で元気を取り戻しても潜在意識がネガティブのままだと現実は何も変わらないから。私たちは、ネガティブな宇宙系遺伝もポジティブな宇宙系遺伝も両方を持っているわけですがもちろん、ネガティブな宇宙系遺伝は少ないに越したことはないけれど、でも、もし、私が、完全ライトサイドの宇宙人だとして一度も、ネガティブな感覚も状況も味わったことがないとしたら一度、この地球に来て、それを味わってみたいと思うんじゃないかなと。だから、自分の中の闇や問題を見てネガティブを感じ、見つけて変容してゆくゆくプロセスはまるで、地球にやってきたネガティブを知らないライトサイドの宇宙人がゲームをやっている気持ちになってやればどんどんゲームはクリアされてゆくわけです。ゲームをやっているのに、ゲームだと気づかず本気で人生は大変だと思っている人も多いのですが人生が大変なんじゃなくて自分が(わざわざ選んで)人生を大変にしているだけという潜在意識を理解したら大変な人生をわざわざ選ばなくても、大丈夫になるのです。私は、例えば、クラスの後で「のりこさん、今、最高に幸せです」というメールをもらうのも、もちろん嬉しいことだけど一方で、「今、かなり落ち込んでます~」とか「今、大変になっています」というメールをもらっても嫌な気持ちに全くならないのはそれがゲームであることを知っているから。ネガティブな状態を受け取れていればいずれ、必ず、そこから抜ける方向に向かうことがわかっているからです。私たち人間は、ネガティブもポジティブも持っているのでこの地球は、宇宙で最高に面白いゲームの場なんじゃないかな。ということで、今日は、どんなネガティブ(闇)を見つけることができるのか、楽しんでゆきましょう〜(てか、わざわざ見つけなくても1週間後のレベル3クラスのテキスト早く仕上げないと、まずんだけど〜💦)
2023年06月16日
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さてさて、私の古い恋愛ストーリーですがこの後、恋愛+結婚の20年余りがあってそれを全く書かずに終わるのも、なんかすっきりしないなあと思いつつ、なかなか書けないでいました。先日、頂いたメールに「典子さんとOさんのお話を聞きたい気もするけどちょっと聞くのが怖い気もします。笑」という文章があってうん、わかるよ、わかるよ、怖いよね~と、一人でうなずいてました。Oちゃん(ここまでの恋愛ストーリーはイニシャルで書いてきたのでここでもイニシェルで書きます)のことはこれを読んでくださっている方の中には実際によく知っている人も多いだろうし今もOちゃんとの交流がある人もいるのでどう書いたらいいのか、難しいところがあるのだけどどちらにしても、私が伝えたいのはなぜ傷ついたか、とか、どういう問題があったとかいうことでなくてその恋愛や結婚から、私は何を学びまた、一方で、どんな不要な信念体系や思い込みやブロックが生まれていたか?ということなのです。あらゆることは、別の視点で見てみると違う側面が見えてきます。例えば、前回に書いたFちゃんのご両親の立場になって物事を見てみるなら300人の社員とその家族の生活への責任を負って会社を経営されているわけでその責任感が強ければ、強いほど息子の嫁となる人もその責任を少しでも担ってほしいと思うのは当然のことでもし、私でもその立場になったらそう願ったかもしれないしだから、彼らが悪い訳ではけしてないことは当時の私にもわかっていました。でも、同時に、それに従うことができなかった私が悪いわけでもなくやはり、あの選択をして本当によかったと今では思うしただ、物事がそうなっていた、というのかそういう運命だったというのかだから、どちらが悪かったというものの見方をしている限り本質的なことが見えてこないと思うのです。Oちゃんとの20年以上の付き合いの中ではもちろん、いろんなことがありその時々での気づきや学びはありましたが一言でまとめるのなら、彼の存在と彼との関係は私がヒーラーやセラピストとして、また多次元キネシオロジーの創始者としての学びのために絶対的に必要だったということです。Oちゃんとの出会う前と、出会った後で分けるなら出会う前の私は「受け取ること」の学びと喜び出会った後の私は「与えること」の学びと喜びをやっていたのだなあと思います。Fちゃんとの恋愛のみならず私は、とにかく、人からサポートされ与えられているというのはすでに大学時代から、感じていました。例えば、大学時代、私はバイトで明け暮れて(+酒飲みすぎて😅)大学の授業をサボってしまうことが多かったのですがそういう時、私が頼んだ訳でもないのに友人たちが、その日のクラスのノートを持って私の下宿先まで訪ねてきてくれるのです。当時から私は、いつも人から「お世話される側」にいました。社会人になってから仕事場でも、プライベートでも多くの場所でケアされて、たくさんの愛とサポートを受け取ることになりました。一人一人の顔を思い出せば今もなお、感謝で涙が出てきます。会社で、私のむちゃぶりに文句も言わず暖かく見守ってくれていた上司。私がアメリカに旅立つ前に働いたバイト先のスナックで本当の母のような愛とサポートを与えてくれてアメリカに旅立つ時に、のりちゃんがいなくなるのは寂しいと泣いてくれたママ。店にとっては、税金の負担になるのに私の将来のことを考えて、グリーンカード所得のサポートを申し出てくれたレストランのオーナー。私の夢の実現のために、何万ドルものお金を何の見返りもなく、与えてくれたKさん。(この見返りなく、与えられるパターンは他の人からも何度もありました)そして、いつの時も、どんな私でも受け入れ、支えてくれた多くの友人たち。もう数えきれないほど、たくさんの人からの愛とサポートを受け取ってきましたが私は、いつも相手から受け取りっぱなしでお返ししたりはしていなかったなあと。これはクライアントさんのセッションで出てくるのですが受け取ることができない人に多いのが受け取ったら、お返ししなければならないとか相手に従わなければならない、と思っている人が多いんですよね。受け取るというのは、ただただ感謝して受け取り甘えるということ。もし、お返しをするなら、それは受け取ったことにはならないのです。私がそれが自然にできたのは、私の母の影響でした。母は、よく父方の実家から、物やお金を頂いた後私たちにポロリと「(お返しをせずに)親からありがたく受け取ることが親孝行だからね」と言っていました。受け取ることは、自分のためでもあるけど(与える人の愛の気持ちを受け取るという)相手のためでもある、という教えをいつも間にか、母から私は学んでいたのだと思います。日本では、与えることより、受け取ることの方ができない人が多い中で私の歩んできたプロセスはとてもラッキーだったのだなあと。なので、私が、30代になる頃に感じていたのは「私はすでに一生分、人からの愛とサポートを受け取ってきたからこれから、例え、与える一方になったとしてもいいな」ということでした。そんな時に出会ったのが、Oちゃんだったのも今思うと、受け取ること、与えることの学びのバランスとしてベストのタイミングだったのかもしれないなあと今は思うのです。それまでの人生で「人に甘え、サポートを受け取っていれば、人から愛される」というのを、身に染みて、実感してきた私はOちゃんと付き合い始めた、最初の2、3週間で「あれ、どうやら、これはそういうことではないらしい」ということに気づきます😅そもそも、彼との付き合いだけでなく例えば男性と食事して、女性がお金を出すことなどもそれまで、考えたこともない私でした。今でも仲の良いくれちゃんは、今でこそたまに私がご馳走することもありますが昔は、数えきれないぐらいご馳走になっていてもただの一度も私がお金を払ったこともないし何かのお礼をした記憶もなくただいつもありがたくご馳走になっていました。Oちゃんとの付き合いがなければ私は、仕事でお金を得ることの喜びを知ることも人に与える喜びを知ることもなかったのかもしれないなあと。つまり、Oちゃんとの出会いと付き合いによって「受け取る、甘える、弱さを出す、感じる」と言った女性性の学びから、「与える、導く、問題を解決する、前進する」と言った男性性の学びの時期に入っていたのだなと今、振り返ると思うのです。(若干、男性性が行きすぎてしまったんだけどね😅)これは、以前、Oちゃん自身が言っていたことで「のりこは、俺と出会わなければ(男性によって、傷つくこともなかったので)自分を癒す必要もなかっただろうからのりこをセラピストとして、成長させたのは俺だな」なんて、自慢なんだか、自虐なんだかわからない感じで言っていたのですが(そういう自虐ネタ、私は大好きだったのだけど)本当にそうだったなあと。これは、ここで言ってもいいかどうかわからないけど(もう時効かなと、書いてしまうのだけど🤣)確か、二人でメキシコに行った直後の2012年のことである時、Oちゃんが「好きな女性ができた」と言い出した時がありました。これは彼をかばう訳ではないのですが結婚していようが、誰と一緒にいようが他の人を好きになることって誰でもあり得ることだと、私は昔から思っていて例え、そうなったからと言って裏切られた、とか、見捨てられたとかは私は全く思わないのでそれ自体は仕方ない、と思うのですがそれを私に伝えるということは私と別れたいということなのかな?と「じゃあ、これからどうしたいの?』とOちゃんに聞いたのです。すると、彼が答えたのは「どうしたいのかよくわからない。のりこの(キネシオロジーの)セッションを受けて確かめたい」ということでした。これは、普通は、あまりないことだなと思うのです。旦那が他の女性を好きになって、今後どうしたらいいかを決めるセッションを、妻である私が行うのですから。でも、私は「わかった」と言ってそのセッションを引き受けたのは彼は私のことを、セラピストとして心から信頼しているのだなということを感じたからでした。私が、ジェラシーや恨みを持たずに彼の身体の声、ハイヤーセルフの声を聞いて彼にとってのベストの道を導きだすということを彼は深く信頼しているからこそ、私にセッションを頼んでいるのだなと。私は、その信頼に応えたかったし実際に、もし、彼のハイヤーセルフが離婚を望んでいるのなら、それを受け入れようという覚悟でそのセッションを引き受けたわけです。これは、人へのセッションを行う上でキネシオロジーのセラピストとしては大切なことなのですがどんなに親しい人に対してでも相手にこうなってほしいという自分の願いやエゴを捨てて相手のハイヤーセルフの声を聞いて行くというの学びのためには彼との関係の中で、いつも最高のお題を与えられていたのだなあと。(若干、修行モードだけど😅)結果的には、そのセッションの後彼は、すっかり、その女性への想いが消えてしまって「俺は、メキシコで呪いにやられて、惑わされた~」なんて冗談で言っていたのですが(そういうとこ面白くて笑えるので、好きでしたが)当然、離婚になってもならなくても女性としての私が傷ついていることは当時の私もよくわかっていたので彼へのセッションの後で、私は自己ヒーリングで自分を癒すことになったのでした。これは、クラスの中でもお話したことなのですが私の中で、いつも、男性性と女性性の私がいて男性性の私は、問題解決思考であり、人を導いてゆくのでお互いにとって何がベストの選択なのか?で動くのですが女性性の私は、ただ傷ついた、とか悲しいという感覚を受け取っているのです。Oちゃんとの関係の中では、常に私は男性性が先に出てきて、女性としての私に向かって「そこで傷ついているのは、よくわかってるからね。後で癒してあげるから、もうちょっと待っているんだよ」そう伝えて、後で自己ヒーリングで対応していたのだなあと。そういう意味では、けして達観してその傷をなかったことにはせずにその都度、向き合ってきたように思います。若い頃の私は、全く忍耐力がなくもし、付き合った人が女性を守る気がない男性だったらすぐに見切りをつけて、別れていたのでOちゃんと付き合い始めた時も最初の数週間で「こりゃ、どう考えても、長くは続かないだろうな。とても私には耐えれそうにない」と思っていたにも関わらずこんなに長く続くことになったのは私がヒーリングを始めて、自分自身の傷を癒すことができるようになったのと同時にいつの間にか、男性性が優位になって彼を導いてゆく立場になっていたからこそでした。これは、彼が私から、レイキやキネシオロジーを学んで彼自身もプロとしてヒーリングをやることになったことが大きいと思います。Oちゃんと付き合い始めた最初の頃はよく彼に「のりこって、本当に頑張らない人だよね」と言われていて「うん、うん、頑張らないんだよね〜」と私自身、それが自分の良さぐらいに思っていたのにいつの間にか、ムッチャ頑張る人になっていたのはそれが私にとって、必要な変化だったとはいえ誰と一緒にいるかによって自分の中のどんな性質(遺伝)が引き出されてくるかが大きく変わるからなんですよね。離婚してから、1年後ぐらいにOちゃんが、私のセッションを受けたいと久々に私にところに来てくれたのですが離婚してもなお、彼の私に対するセラピストとして、そして人としての信頼は失われていなかったことに、とても感謝でした。その時に、彼が「離婚した後、改めて気づいたのは俺は、どんなにのりこに守られていたのだろうということだった」と伝えてくれて、涙が出るくらい嬉しかったのと同時にその言葉が「俺は、どんなにのりこを守っていなかったかということに気づいた」のではなかったことで私の中の男性性があまりにも強くなりすぎてしまったためにもはや、男性から守られる必要さえも私自身、感じていなかったいたことに、改めて気づきました。一方で、日々の結婚生活そのものは、ストレスがほとんどなかったことも、彼との関係が長く続いた要因でした。恋愛と結婚との違いって結婚の場合は、相手の親や家族も関わってきたり子供ができたりすることでお互いの関係に影響が出てくることだと思うのですがOちゃんの両親は、私に何かを要求したり期待したりすることは、全くなかったし日本に行った時に何度かお会いしましたが普段のニューヨークでの生活では電話で話をすることさえ滅多になかったので長い間、結婚しているという感覚も持たずにいたのも私にとっては、楽なことでした。また、Oちゃんとは、音楽の好みも共通していたし旅好きなことも、よかったし彼が、料理が好きになって、よく作ってくれたのでそういう意味でも、楽しいことが多かった結婚生活だったなあと。それでも、離婚して楽になったのは、一人暮らしの気楽さもありますがそれよりも、女性でいながらパートナーを守り、導いていく必要がなくなったということでした。後から、何人かの友人に「のりこさん、結婚していた時はすごくOさんに遠慮していましたよね」と言われたのですが私自身は、全く遠慮していたつもりはなかったのだけど別れてから、初めて気づいたことがたくさんありました。例えば、離婚前は、オンラインでのセッションを絶対にやらなかったのは、もし私がやれば彼の仕事を減らしてしまうかも、という遠慮(恐れ)からだったしまた、離婚の後、ハワイに行った時にこれまでは、Oちゃんがやっていた奉納のセレモニーを、初めて私が行ってその時に、圧倒的なペレとのつながりを感じ過去世での天のメッセージを受け取っていたお役目をありありと思い出して「ああ、これはまさに私の役目だった」ということに気づくことができたのでした。もちろん、Oちゃんは、私のやりたいことを止めるような人ではなかったので彼のせいでは全くないのですが私自身が、彼を守るために(無意識に)私の可能性をある程度までで抑えていたことに改めて気づくことも多かったです。彼との恋愛や結婚生活では女性として守られる、という感覚は正直、持てなかったけれど相手に期待しない相手を変えようとしないすぐに結果を求めない相手を長い目で見守り、導いてゆくという性質や意識が私の中で芽生えてその忍耐力や育んでいく力はそのまま、今、私が人にセッションを行ったりセラピストを養成していくために必要な資質でした。だから、彼の存在そのものにそして、長いおつきあいに感謝しかないのです。2019年にいきなり離婚になった時にすぐに意識を切り替えて新たな可能性を開いて行くことができたのはそれまで、自分の中の女性としての傷を癒してきたこともあるしこの結婚からの学びのプロセスは、もう卒業であるということをマスターからのメッセージで気づいたからでした。ということで、男性性と女性性という見地から恋愛ストーリーを書いてきましたが(他の見地からも、紐解いてきたのですが話が長くややこしくなるので、ここでは割愛して)離婚後も、完全に男性性優位になっていた私に(仕事の喜びが大きすぎて、恋愛する気全くなし🤣)警告を鳴らしてくれたベレと宇宙に感謝を捧げつつ。これからの私の学びのプロセスはどうなって行くのか?男性性と女性性のバランス与えることと受け取ることのバランスはもっと取れるようになるのか?離婚から4年経って今、新たなフェーズに入ってゆこうとしているのを感じています。また、新たに何かを報告することになるのかまたは、何年か後に、振り返ることになるか分かりせんがここまで、読んでくださって、本当にありがとうございます。ふ~なんとかまとめた~。これを読んで、誰も傷ついてないといいんだけど🙏
2023年06月12日
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ハロハロ、みなさま、お元気かしら?ニューヨークが、カナダの山火事の影響で深刻な大気汚染になっているそうで今朝、日本の方からのメールで知りました。お知らせくださってありがとうございます🙏それでなのか~とやっと事態がわかったのですがここ2日ぐらい、朝起きて、窓から見ると雲に覆われて、太陽が真っ赤でへえ~こんな風に太陽がなることってあったけ?と不思議だったり、窓を開けているとちょっと焦げ臭いような匂いがあったので近くの人が、何かオーブンでも焦したのかしら?と思っていました。携帯をオンにすると「大気汚染警報」とか出ていたので大気汚染とかって、あるんだなあと漠然とは思っていましたが、完全にスルーしてました。窓を開けない方がいいことがわかって情報として知っておいた方がよかったのでお知らせくださって、とてもありがたいです。ただ、全く心配は不要で私がもし事前に、このことをニュースで知っても「ずっと続くわけじゃないし外出しなければ、問題ないだろうな」と特に気にしなかったのも間違いないです。私のニューヨークの友人たちも、誰も何も言ってこないところを見ると、多分、みんな同じ感じかなと。もちろん、外で働かなければならない人とか幼児や病気ですぐにダメージが来てしまう人とかは気をつける必要があるのでしょう。以前も、そういうことがあって日本で流れているニュースを見た人たちから「ニューヨーク、大変なことになっていますね」と言われて「え~そんなに大変なことだっけ?』と思ったことが何度かありました。そういう時、大抵、私は、そう長くは続かないだろうし万が一、続いたら、その時に対応を考えたらいいという感じでいます。私たちの性質に「達観する」という性質があり「まあいいか」とか「何とかなるから大丈夫」とか達観することが、マイナスになる時とプラスになる時とあります。自分のストレスや不安や恐れや怒りや今、抱えている問題を「達観する」のは、マイナスでそれを達観してしまうと、現実を変化できず未来も作ってゆくことができなくなります。でも、周りや世間で起こっていることを「達観する」ことは、必要でそれにいちいち、反応していると余計なストレスを抱えたり自分本来の選択ができなくなるのです。例えば、一時期、ニューヨークでコロナで、ワクチンを打たなければ仕事がなくなるとか、レストランで食事ができなくなるとかなったことがありましたがその時も私は「多分、そう長くは続かないだろうしもし続いた時には、何か対応を考えたらいい」と達観していました。実際、ワクチンを打たなくてもレストランにも行けたし(偽証明書だけど🤣)旅にも行けたし結局、今となっては、ワクチンなんて全く関係なくなったのであの時、周りの情報に踊らされて、不安になりワクチン打った人たちは自己免疫力を破壊することにもなりそういうことを見ているとつくづく、周りに起こることは、達観していることが必要だなあと思います。もちろん、例えば、その地域が大洪水で家が崩壊している、など、達観できないこと心配して当たり前のことも、世の中で起こりますから状況を判断する力は必要なのは、言うまでもないのですが本当に、達観してはいけないことは、むしろ、周りの人や情報にいちいち反応してしまう思考パターンの方であってそういう方は、結局、基本的な安心感を持てず日々を生きていて、人生が大変になるのだろうなと。大気汚染も、例えば、もし半年以上この状態が続いてますとかだったら、また別の状況になるかもですが明日には、大気汚染警報は解除されるとのこと。多くの人は周りの状況や人のことは、達観しないで不要な心配やエネルギーを使っているのに自分の抱えている問題は、達観してしまって見ておらず、ずっと持ち続けてしまっているのだなあとセッションやクラスを通じても感じています。さて、前回のブログの後も、いくつかお便りを頂きました。ありがとうございます。その中で、こんな一文がありました。「私、過去の恋愛を、典子さんの様に、ここまで俯瞰で見れたことないです。それは多分、自分の闇をまだ見れてないからで。(今までの恋愛、打算や寂しさで付き合ってた部分があったと思います)私も、過去の恋愛において(今の結婚においても)捨て去るべきものがたっくさんあるんだな、と気付かされました」私の恋愛ストーリーがこんな気づきにつながったなんて、嬉しいなあと。この打算や孤独感を持ってはいけないもの、として捉えているとなかなか自分の闇を見れないのですがただそれがあることを受け入れて、そうなった理由があったことに気づくことが大切なのです。例えば、打算が悪いわけでなくなぜ、打算的になっていたか?を見てゆく。そこに例えば「お金のために結婚している」という打算があったとしたらなぜそうならざるを得ないのか?ということを見てゆくのですそうすると、自分でお金を稼ぐ自信がない、とかつまりは、自分の潜在的な力を信頼していない、とか宇宙から豊かさを与えられるという自分の人生を信頼していないということかそういうことに気づくわけで打算的になることが問題なのではなくその自己信頼の欠如が本当の問題なわけです。で、その自己信頼の欠如のまま結婚を続けていたり、恋愛をしたりしても自分の可能性が開いてゆくことはないのでなぜ、自分を信頼できなくなったのか?を見て、そこをエネルギー的に変化させてゆくわけなのです。(考え方を変えるのではなく、潜在意識を変える必要があります)ということで、恋愛や結婚に限らず自分のこれまでの過去を紐解いてその傷を癒したりそこから生まれた信念体系や思い込みを変化させることで未来が確実に変わります。ここを達観していると、永遠に変化できないのです。私も、今回、ペレに言われて(最初は、渋々でしたが)過去の恋愛や結婚を見直し、変化させたことがすぐに、現実を変化させることにつながって恋愛に関して、新たな展開になりそうです。(まだ未知数なので、どうなるかは全くわからないけど)ということでまた〜P Sよく考えてみるとコロナや大気汚染やワクチンや世の中で起こっていることに対しては達観して、気持ちがブレないでいるのに翔平くんの試合に関してはぎゃ〜打たれた〜😱とかよっしゃ〜打った!🎉とかいちいち、一喜一憂して達観できない私って😅(多分、この一喜一憂するのが楽しいんだよね)
2023年06月07日
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まだ残りのエジプトの話もしたいなと思いつつなぜか、先日、始めてしまった恋愛ストーリー。昨日のブログアップの後、ファンレターを頂きました。ありがとうございます❤️ちょっと補足的に書いてみようとそのレター一部をご紹介するとここ最近ののりこさんの恋愛話にすっかり釘付けです👀のりこさんの人生は愛に満たされているのがよくわかります。本当に素敵です。女で生まれたことの祝福…なんて素敵なんだろう。私ね、母が料理が好きだからってことで、それに甘えて何もしないでこの年で。恥の冥王星がででんと鎮座しているんですがのりこさんのセッション受けられた方への言葉にめっちゃウルウルきちゃいました…!そーなんかー、そんなことが許されていいのかーと。しっかり調整に活かします。ありがとうございます❤️でもほんと、今回のお話はワクワクします!この年まで何も浮いたお話がひとつとしてない私さえ希望を感じられるくらいに。愛とかときめきとか大事なんだなあとヒシヒシ感じています❤️シェアありがとうございます🙏そうなんです、実は、母が料理が好きだと逆にやらなくなったりするんですよね~私が思うに、料理って「誰かに作ってあげたい」と思うからこれ作ってみようとか、もっと美味しく作りにはどうしたらいいかな?とかなるのであって、家族に料理が好きな人や上手いがいればその人にお任せした方がいいとなるから自分で料理する気はなくなってしまうわけなんです。だから、これは逆の発想なんですがもし、誰かに料理を作ってもらいたい、とか誰かに何かをやってもらいたい、と思ったら、自分は上手くできない方がいいわけで私、実は、この「できないふり」が昔から、得意だったと言うことに気づきました。(私の母は、料理は好きで上手いけどできないふりも得意)よく、夫が家事をしてくれない、とか子供が手伝わない、とか言われる方は、自分がなんでもできちゃうし、やってしまうからなんですよね。自分がどうしたら、少しでも楽になって本当にやりたいことだけにフォーカスできるかは、できるできないに囚われている人は難しいのです。だから、今、自分が料理に興味がないのなら料理が好きな母に任せればいいし「できる」と言うこと自体には、何も意味はなくてむしろ、やりたくないことができたって苦労が増えるだけですから。もし、いつか誰か料理を作ってあげたい人が現れたり料理したいという気になれば、その時にやったらいいし相手が料理好きで、作ってくれる人かもしれないしどちらにしても、今やりたいことにフォーカスしていればそれでバッチリです。>愛とかときめきとか大事なんだなあと、ヒシヒシ感じています❤️ときめきを感じてくださって、嬉しいな~私自身も4年間、そのときめきをすっかり忘れてしまっていました。ちなみに、このメールを送ってくださった方はムッチャ可愛い人で男性に愛される人であるのは、間違いないしこれまで「浮いた話が何もなかった」のは潜在意識で、恋愛やパートナーシップに抵抗しているからである事は、明白なのでそのあたりの抵抗を手放して、これから現実の恋愛で、ときめいていって欲しいなあと思います。ということでここからは、幸せなラブストーリーではないので共鳴力が強い方(昨日のブログで幸せ感を感じた方)は今度は、辛くなったりするかもだけどあくまでも過去のストーリーだからね。過去の私と共鳴して、辛くならないでよ~(念を押しておこう😉)⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️さて、Fちゃんと二人でニューヨークから日本に戻り、同じ福岡出身だったこともありいつでもすぐに会えるので、結婚するまでは、とりあえずお互いの実家に住もうと言うことになりました。その時は、二人とも、すぐに結婚して一緒に住むことができると思っていました。まず、私は、彼のご両親に引き合わせてもらうことになりました。彼の父は、会社の社長で、彼の母も理事長だったか会社の経営に関わっている方である事は事前に知っていましたがあまりそのことについてそこまで深くは、考えてはいませんでした。でも、Fちゃんのご両親に会って最初の第1声に聞かれたことが「私たちの会社のことを、どうお考えですか?』という質問だったことに軽い衝撃を受けました。彼のご両親との初対面でまだ何の話もしていない最初の質問でまるで、入社試験の面接みたいな質問をされるとは夢にも思っておらず、焦りました。もし、正直に答えるならば「何も考えていません」でしたが、いくらバカ正直な私でも流石に、その答えがまずいことはわかったので「会社の事は、Fちゃんからよく聞いていますしFちゃんは、すごく頑張っているのを見てきました。彼と会社の成功を応援しています」と言うような事はお伝えして、それは本当でしたがそんな質問を最初にするご両親がそんな答えで、満足するはずもなく私は、すぐに『会社を引き継ぐ息子の嫁として不十分』ということになりました😅多分、求められていたのは彼の妻として、会社の発展のために最大限に彼をサポートすると言う覚悟や意志なのだなと言う事はその後の話からも、すぐにわかりましたが毛頭、私には、そんな気持ちはなかったし私は彼と一緒になりたいのであって会社と結婚したいわけじゃないのだからと、私は、彼のご両親の期待に沿う事はできませんでした。Fちゃんは「大丈夫。絶対に説得するから。俺は、のりこに俺の会社のために頑張ってほしいとは思っていないし俺のそばにいてくれさえすればいいのだから。もし説得できなければ俺は会社をやめる覚悟だから」と言ってくれたこともあって私は焦らず、時を待つことにしました。一方、私の両親は、Fちゃんのことをとても気に入って特に父は「今時、珍しく、誠実でいい青年だ」と一緒に酒を飲む息子ができたかのように彼が家に来るのを楽しみにしていました。そして、お互いの両親との面談がありやはり、彼の会社の話となりました。その後、私の父が、私に言ったのは「Fくんは、偉そうなところはないしとてもいいやつだが彼のご両親は、彼とはかなり違うようだ。お前は、あそこに嫁げばきっと苦労することになるだろう」という言葉でした。その時、私は「大丈夫よ。結婚してしまえば、何とでもなるしどう言われても私は(自分がやりたくない事はやらないので)苦労なんてしないから」と父に伝えたのですがなかなか、結婚の話は進みませんでした。とにかく、彼の両親にとって、足りないのは彼の会社を発展させるために自分ができる最大限のことをしますという私の意思表示。ある時、彼の母から、私の母に電話があり「うちは、お金はあるのですから(だから、娘さんは会社のために努力してください)」と言われたことで私の母も、「黙って話は聞いてたんだけどね。何だか、嫌な感じだったのよ~」と珍しく、ちょっとムカついていてあ~これは、私の両親からも結婚を反対されるようになったらさらに面倒臭いことになるなあと「多分、そう言ってるだけだけで、本当にそんな風に思っているわけじゃないだろうから」と、母をなだめる感じでした。こうして中途半端な状態のまま、時は過ぎ私は「ビジネスや仕事について何もわかっていない」と彼の両親に言われ(全くその通りだったのですが)私の父からも「お前も、ずっと家でブラブラしていても仕方ないし結婚するまでの間だけでも何か仕事をするのはどうだろう?』と提案されてじゃあ、働くか~と仕事を探し中学校の進学塾の講師として働くことになりました。担当は、中学校2年生の国語で今から思うと、特に国語の力があるわけでもなくというより、古文とか、ちんぷんかん状態でいつも「答えを事前に知ってないととても教えれないな~」と思っていましたがそんな先生に教えられている生徒にも申し訳ないし何より、受験のために、仕方なく進学塾に通っている子供たちの諦めたような目を見ているのが辛くて早くこの仕事、辞めたい~と思っていました。半年ぐらい塾講師を続けていた時だったか彼の東京への転勤が決まりあ~これはもう東京についていこう、と決めて塾講師の仕事を辞めました。彼の両親としては、二人に距離を置かせて熱を冷まさせよう、と言う意図もあったようですが私の両親は「彼について行きなさい」と快く東京に送り出してくれました。こうして、強硬手段でしたが東京での二人の新居も決まり、家具も揃えてやっとずっと一緒にいることができる~と幸せに浸かっていたのですが結局、その幸せが続いたのは、3ヶ月ほどでした。そんな中途半端に同棲するなら、けじめをつけなさいとということで、彼の両親も諦めて結婚に向けての話が進んで私は、福岡に一時戻って、結納を行いました。その後、結婚式についての話があり国内のお客様向けと、海外のお客様向けの2回の披露宴をする必要があるなど、彼の親からの要望があり私は、もともと結婚式もやりたくない人だったので次第に、気が重くなってきました。結納も、これさえ我慢すれば、と思ってやったけど結婚式もそうだろうし多分、結婚した後も「これさえ我慢すれば」が続くのかもしれないと。私は、ずっとこれからの人生で自由に生きることができなくなるのかもしれない、と。なぜ、あの時、そんな決断をしたのかその後、長い間、私にはわからなかったのですがある時、私は電話で「結婚をやめたい」と言うことを彼に伝えました。そこで気づいたのは、私が彼との両親との関係で疲れていたのと同時に彼も、私と彼の両親の間に入って頑張ることにもう疲れていたということでした。彼は「それがのりこに取って幸せなんだね。わかった。辛いけど受け入れるよ」そう言って、同意してくれました。その言葉を聞きながら、私は悲しみで一杯になりその後、すぐに「一人でニューヨークに戻ってもう一度、やり直してみよう」と言う気持ちになっていました。後から思うと、かなり衝動的な選択だったのですがでも、一方で、魂の選択でもあったのだなあと今は思います。東京での新居を引き払ってニューヨークへ行く便に空港まで見送りに来てくれた、Fちゃんと別れた後飛行機の中で「きっと、これ以上に、悲しい事はもう二度と私の人生に起こらないだろうな」とワンワン泣きました。こうして、2年ぶりに、再び、ニューヨークに戻ってくることになりました。この2年間の日本での滞在の間に私はストレスで、いつの間にか10キロほど痩せてしまっていてニューヨークの友人たちが、そんな私を暖かく迎え入れてくれました。ちょうど、昨日も、くれちゃんの釣った魚をご馳走になりながら、その時の話をしたのですが持つべきものは、失恋した後、慰めてくれる友人だな~といつも思います🤣私は、ニューヨークに戻って、お金もなかったのでとりあえず、仕事を見つけようとレストランのウェイトレスのバイトを見つけました。そして、Fちゃんに電話して「レストランのバイトが見つかったんだよ~」と報告をしたのですがそれを聞いたFちゃんは、喜んでくれるのではなく「そんな仕事をさせるために俺は、こんな辛い思いをして別れたんじゃない。いますぐ、日本に戻ってこい。後の事は、俺が何とかするから」そう言って泣いているのを聞いて胸が締め付けられるような気持ちになりすぐに日本に戻ろうか、と思いました。でも、私は戻りませんでした。あれだけ彼のことを愛していたのにそして愛されていたのになぜ私は、その愛よりも、自由に生きることを選んだのかその後、振り返った時にも、よくわからなかったのですがとにかく、私は日本に戻らずに、このニューヨークで一人で生きることを選択したのでした。本当の意味で、ショックを受けたのはそれから何ヶ月後かに彼がお見合いをして結婚することを決めたということを聞いた時でした。ああ、私は、まだ完全に諦めていたわけじゃなくいつか、時が来たら、また彼のところに戻りたい、戻れると思っていたと言うことに、改めて気づきました。ずっと後で、彼から「のりこが去った後もう悲しみでどうしようもなくて全てがどうでも良くなり、それなら、もう親の言う通りの結婚をしようと決めたんだ」と伝えてくれましたがその彼の気持ちは聞かなくても、わかっていたし全ては私が決めたことで彼に辛い思いをさせてしまったのは私なので彼を責める気持ちにはなりませんでした。そのかわりに、深い後悔の日々でした。私は、生きる気力のようなものを失い時々襲ってくる虚無感や孤独感を紛らわすために、友人や知り合いと酒を飲んで、その場は楽しく過ごしましたが心が本当に満たされる事はありませんでした。冥王星遺伝の性質に「過去の選択を後悔する」と言うのがあるのですが私は、それまでの人生で一度も自分の選択に後悔した事はなくあれだけ、気持ちを切り替えることが早い人だったのにも関わらず、この時は、彼との結婚を選択しなかったこと日本を離れたことへの後悔はなかなか消えることがなく「彼を本当に愛していたのなら彼の両親がどうであろうが私は、そばを離れるべきではなかったのに。こんな悲しみや寂しさを感じることになるのなら少々、自由さはなかったとしても彼との結婚を選択すれば良かったのに」という想いや考えから離れることができませんでした。そんな私の精神状態がそのまま現実化するかのように私は仕事を首になったり急性胃炎で倒れて、救急車で運ばれたりよくないことが、立て続けに起こりました。そして、二度目の交通事故に会うことになります。(ニューヨークで、救急車に3回も乗ることになるという😅)その事故の事は、以前にも書いたのですがひき逃げで、私はまともに車に引かれ道路に叩きつけられました。その一瞬の間、本当に走馬灯のように彼のことを思い出し「ああ、私はこの最後を迎えるために彼と別れてニューヨークに戻ってきたのか」という思いがよぎりました。でも、不思議なことに意識を失って、目覚めた後、私は「あ、まだ生きている。私は生かされた」という感覚があって、なぜか悲しみや辛さはなかったのです。この交通事故は私の人生を変えるために起こったメッセージのように感じて、どこかで感謝の気持ちさえ湧いていました。その日を境に毎日、後悔して、自暴自棄になってただ日々をやり過ごして、生きることをやめようと決めました。もう死んでしまいたい、とさえ思っていた私が絶対絶命の交通事故にあってこうして、天から命を与えれたのだから、きっと、何かこれから私がここでやるべきことやりたいことがあるのだろうなと。音楽以外は、特にこれをやりたい、と言うのはなかったのですがなぜか、その交通事故の直後から量子力学や宇宙の本を読み始めたのも不思議です。こうして、この交通事故が、本当の意味でFちゃんとの恋愛が終わる節目となったのだなあと。今はもう亡くなってしまったけど私とFちゃんの結婚式の仲人をするはずだったKさんという方がいてKさんは、Fちゃんのご両親も会社のこともよく知っている人で、昔は、よくFちゃんとKさんと3人で飲みに行っていたんですがその方が、この時期にニューヨークに出張に来た時に「のりこの選択は、全て良かった。Fちゃんを愛し、結婚を決めて、日本に戻ったことも。そして、結婚をやめて、ニューヨークにまた戻ってきたことも。例え結婚したとしても、のりこは、きっとあの家庭には収まりきれなかっただろう。のりこは、そういう女なのだから」と言ってくれて、泣きました。その言葉は、今思うとまるで、アセンテッドマスターからのメッセージのようだなあと。その頃は、高次元のマスターとの繋がりなんて考えたこともなかったですが私は、他の人の口を通じてその言葉を聞いていたのかもしれません。ということで、今回、ペレに言われてカルマリリースをしたことで高校の時との恋愛と同じようにFちゃんとの恋愛は、カルマとリンクして「愛し合っていても、いろんな状況や環境で、結ばれない」という現実を、今生で体験していたことがわかったしまた、私は、当時「私は愛より、自由に生きることを選択した」という思いが強かったのでつまりは「愛と自由は両立しないもの」として、無意識に刻まれていました。ということで、ここから、私の第2の人生がスタートしました。(今は、第何番目の人生なのか~🤣)また長くなった~読んでくださって、ありがとう🙏あ~ここからは主に離婚したパートナーとのことになるのでこれを読んでいる方の中には直接彼のことを知っている人もいるのでどう書いたらいいのか、まだよくわからず。もしかすると、とりあえず、ここまでになるかも。
2023年06月04日
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前回のブログをアップしてから、何人かにメールを頂きました。何よりも嬉しかったのは離婚して、40代でも、もう恋愛は諦めていましたという方が、これからのパートナーシップに向かうために自己ヒーリングをスタートしました、とかこれまで、男性との関係を見直すきっかけになりましたと言う感想でした。こんな私の誰の役にもたたないような古い恋愛話が、誰かの気づきや自己ヒーリングのモチベーションになるのならそんな嬉しい事はないなあと。ちなみに、多次元を学んでいる方のための恋愛や結婚のための自己ヒーリングここでは詳しくは書きませんがポイントとしてはまずは、過去の傷ついた部分が残っていたらそこは徹底的に癒してゆくこと。もしかすると、その傷は、彼との関係だけでなくインナーチャイルドや前世ともリンクしている可能性がありますからそこも同時にみてゆくこと。その次に、傷としては残ってないけどその体験からどんな思い込みや信念体系が生まれたのかを見てゆくこと。例えば、パートナーシップとお金の関係パートナーシップとセクシャリティの関係パートナーシップと自由の関係パートナーシップと女性性、男性性のバランスなど、その相手との関係から私たちの様々な問題につながっているのでテーマごとに見ていくのもありです。例えば、女性の場合、パートナーシップとの関係はそのまま、豊かさやどうお金を得るか?ことにリンクしています、男性に甘えたり、頼ることができない女性は(パートナーがいてもいなくても)仕事でもガムシャアらに働いてお金を得ようとする傾向があります。男性には甘えることができるけれど仕事はがむしゃらに働いています、とか男性には甘えられないけど仕事は好きなことを自由に楽にやっていますという女性にこれまでほとんど会ったことがないです。ですから、もし豊かさをさらに高めて行きたいのなら今、パートナーがいるいないに関わらず男性との関係を見直すことも大切だなとこれまでいろんな女性を見てきて、感じています。ということで、前回の続きを書いてみますね。ここに書いている事は、何一つ嘘はないし話を盛ってもいないけれどでも、あくまでも、私の受け取った感覚や思いであってそのあたりは、ご理解くださいませ。⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️さて、25歳でニューヨークにやってきた私はいろんな男性と出会い、お付き合いをしました。当時、バーメイド(バーテンダーの女性版)の仕事をしていたこともあるしお酒が大好きで、恋愛に限らず、誰とでも酒飲めばすぐに仲良くなる人だったので、出会いの機会は多くミュージシャン、アーティスト、店舗経営、デザイナー洋服のバイヤーなど、いろんな職業の人と付き合いましたがどれもそう長くは続きませんでした。Sくんと別れたことで、ニューヨークへの道が開けたこともあって結婚願望みたいなものは全くなくなりむしろ安定することへの抵抗が強くなっていた時期でした。また、合わない人と無理して付き合いたいとも思わなかったのでちょっと付き合って、あ~この人は無理だわ、と一瞬でも思ったらすぐに気持ちを切り替えて、別れてしまう感じで宇宙系遺伝でいえば、この頃が一番、マルデュック的な性質(惚れぽく冷めやすい、刺激を求める、割り切る、達観する波乱万丈好きなど)が強く出ていた頃だったなあと思います。そんな時に出会ったのが、私と同じ歳で同じ福岡出身のFちゃんでした。彼のお父さんは、従業員300人ぐらいの会社を経営していてFちゃんは、いずれは、その仕事を継ぐ跡取り息子でありその頃は、ニューヨークに駐在として滞在していました。最初は、ただ友人として飲みに行ったのですがすでに3回目には一緒に二人で旅行に行くことになりそこからお付き合いが始まりました。彼は、博識で頭の回転も早く、仕事もできる人でしたがそんなことよりも、私が惹かれたのは彼の共鳴力の高さと、自分の気持ちに素直な人であるということでした。彼は、自分の弱さも何もかもそのままを表現できる人でした。これは、今の若い男性には結構多いのだけど私と同じ年代では、とても珍しいのです。私と同じか、それ以上年上の人では、友人としてでもこんな人に出会った事は、後にも先にも一度もありませんでした。大学時代のSくんも、率直で正直な人でしたがSくんの場合は、私に寄り添うと言うより私を尊敬してくれている感じで女性を守るいう意識はあまりなかったので男同士感が強かったのですがFちゃんは、自分自身の素直な気持ちを受け取ることができる人なので自然と女性に寄り添うことができる人でした。それまでの私は、ポジティブ思考でまあいいか、と自分の気持ちを切り離し達観癖が強い人だったのですが彼との恋愛の中で「女性が深い部分で求めているのは(女性だけでなく、男性の女性性の部分でも)アドバイスや問題の解決法ではなくただ共鳴し、気持ちに寄り添ってもらうことである」ということを自然と学んだように思います。(この学びは、不要な信念体系ではなく不変の真理として)余談ですが、翔平くんがインタヴューの中で「いつもポジティブでいるのがいいとは思いません」と語っていましたがいや、まさにそうなのよ~やっぱ、この年代の男性はこういう考え方できる人いるんだなあ~と。(翔平くんが特別なのかもだけど)Fちゃんは、人に寄り添う面だけでなく男性性でもある「人に尽くす、与える」という性質も強く持っていたので、私が願う事はすべて叶えようとしてくれました。私が「気球に乗ってみたいなあ」と何気なく言えば、次の週には「のりこ、気球のチケット取れたよ」と私を驚かせるし、私が「イエローストーンに行ってみたいなあ」と言うと、しばらくすると「のりこ、イエローストーンに行くために俺の休みをとって、航空券も取ったよ」と言ってくるのでした。まだ付き合って半年もたたない頃、ある日彼が1枚のクレジットカードを見せて、「のりこは、クレジットカード持ってないから不便でしょ。これ好きに使ったらいいよ」と、私に手渡そうとしてくれたことがありました。私は、日本にいる時に、クレジットカードで買い物しすぎて、後から返済が大変になったことがあったので、ニューヨークに来た当時はカードを持たないようにしていました。それで、彼に「Fちゃん、こんなの私に渡したらどれだけ使うかわからないから、危ないよ。何か欲しいものがあったらその時は、Fちゃんに言うから大丈夫だよ」と言って受け取らなかったのですが結婚もしてないのに、そんなことをする男性が世の中にいるのだなあと感動したことを覚えています。こうして、私の女性性は、彼との出会いから日毎に高まって女で生まれたことの祝福を日々感じていました。その当時の私が心の底で固く、決めていたことがあってそれは、「男性に尽くそうとしない」と言うことでした。例えば、もし私がいつも美味しい料理を作って彼に尽くしていたとしたら、私は「美味しい料理を作る私」だから愛されているのかそれとも、そんなことは関係なく愛されているのかわからなくなってしまうと思っていたのです。だから、できる限り、彼にとって何の役にも立たない私でいようと思っていました。(多分、役立たず実践やりすぎ😂)今、思えば、私は「無条件に愛されている」と言う感覚が欲しかったのだなあと思います。そして、私の願い通り、何もできない私(実際にできないこともあるしある部分では、できないふりをしていた部分もあるかも)を、彼はそのまま受け入れ、愛してくれました。彼と付き合って最初の頃は私はバーメイドの仕事を続けていたのですが二人で交通事故に会った後で私は、仕事を辞め、自分のアパートを引き払って彼のアパートに転がり込み一緒に暮らすことになりました。その交通事故は、郊外を二人でドライブしていて森の小道で、出会い頭に軽トラックと正面衝突してしまい車のエアバックが飛び出してきたのですが私は、その衝撃で、一瞬、肺が潰されたようになって息ができなくなりました。「Fちゃん、息が、、できない」と苦しむ私に、Fちゃんが「のりこ、死ぬな~もしお前が死んだら、俺もすぐに後を追うからな」と叫んだ一言が、そのエネルギーとともに私の胸に響いてきて私は、息ができずに苦しみながらも「ああ、私は、こんなに愛されて。もしこのまま死んだとしても、悔いはないな」と感じていました。幸い、しばらくすると息ができるようになり救急車に運ばれて、精密検査を受けて特に異常もなくその日のうちに家に戻ることができたのですがその日の彼の言葉や愛のエネルギーはずっと後までも、私の心に残っていました。それからは、彼と一緒に暮らして経済的には、完全に彼に養ってもらいながら相変わらず、私は家事もろくにせず仕事から戻ってきた彼に洗濯さえもやってもらっていました。(昔は、大の洗濯嫌いだったので)当時、私がやっていた事は、毎日お洒落をして彼のお金で好きなものを買い彼と外食したり、バーの梯子をして日々、楽しく幸せに過ごしていただけでした。Fちゃんと出会う前からの友人で今でも仲がいい、くれちゃんが当時を思い出して「のりこは、あの頃が一番、女っぽかった」と言うのだけど(それを思い出す時のくれちゃんは少し気持ち悪いものを思い出すかのような表情をするのがちょっと気にはなるが😅)思い返すと、その頃の私は、女性性の「(ただひたすらに)受け取ること」「今、この瞬間を幸せに生きること」「(ただ存在するだけで)愛されること」と言う学びを、今生で体験していたのだなあと。少し前に行ったセッションでその方の娘さんは、料理が苦手でやろうとしないのが心配と言われていたのだけど私がその方にお伝えしたのは(もちろん、筋反射で上がってきた情報に基づいてですが)「料理ができるから、幸せになるわけではないしそう言う子は、きっと料理ができなくても好きになってくれる男性と結ばれます。幸せと何かができるできないは関係なくむしろ何もできない方が女性としては愛されます」ということをお伝えしたことがあったのだけど心から私がそう思えるのはこの時の恋愛が大きかったなあと。そうして、彼と出会って2年近くが経ちいよいよ、Fちゃんのニューヨークでの任期が終わり彼は福岡の本社に戻ることになりました。「一緒に日本に戻って、結婚して欲しい」というFちゃんの言葉を受けて私は、大好きだったニューヨークを離れ日本に戻ることを決めたのでした。ああ、ここまでは幸せなラブストーリーだったんですがここからが、ハードモード😱王子様と出会ったシンデレラストーリーのように「めでたく、二人は結ばれて、幸せに暮らしました」とはならないところが人生の面白いところであってもし、そうなっていたら今の私もいないしヒーリングやキネシオロジーに出会うこともなかったので本当に宇宙の采配は、すごいなあと。ということで、長くなってしまったのでこの続きは、また~P Sあ~ん、昨日の翔平くんの投球あれは、ポジティブにいられないだろうなあ😭
2023年06月03日
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先日のクラスの打ち上げの時にみんなに少しお話ししたのですが今年に入ってだったか、ある日、ペレからメッセージがあって「あなた、全く恋愛する気がないわね。それ問題よ」と言われました。え~、確かに、恋愛のことなんてしばらく意識になかったな~。2019年に離婚してから4年。離婚してすぐの頃は、新しいパートナー見つけたいと思っていたもののそれから、すぐに一人の生活に慣れてしまいというより、一人の生活の気楽さと一方で逆に他の人とのつながりは深くなった感があるし日々の生活に幸せを実感していたので「えっと、パートナーが必要な理由って、何でしたっけ?」という感じになっていました。でも、改めて、ペレにそう言われて、渋々とじゃあ、恋愛する気がない理由を調べてみようと筋反射で見てみると最初に上がってきた要因が「仕事や他のことで忙しく恋愛をする時間はないと思っている」はい、そのまんまです😅筋反射で情報を上げるまでもなくつまりは潜在意識ではなく顕在意識で、そう思ってま~す。離婚してから、会社やリトリートを始めてからというもの「もし、一人にならなかったらここまでは、やれなかっただろうなあ」と思う時が何度かありました。もちろん、元パートナーは私の自由を奪うようなことは一切しなかったですがもし彼と離婚しなかったら私は、二人で過ごす時間も欲しかったのでユニバーサルリトリートをやろうという気にもならなかっただろうしここまでリトリートの準備や遺伝研究に費やす時間は取らなかっただろうなあと。だから、離婚したことでより魂の道を開くことができた、と思っていたのでまた、恋愛や結婚をしたいという気持ちがすっかりなくなっていたのでした。そして、次に筋反射で上がってきた要因が「この年で~~するのは遅すぎる」と、思っているということ。は~、仕事や自分の夢を実現させることに関してはいつからでも遅くないと思っていますが確かに、恋愛や結婚に関してはそう思っているなあ。もう年だから、愛されないとは思わないけど、とにかく、出会いがなさすぎる。世界には、同じような年代で独身の男性もいるのだろうけどどうやって出会ったらいいのか?とにかく、今の私の生活パターンじゃ、これからも出会いがあるとは到底思えないしなんだかんだで、来年はもう還暦を迎えるわけでこれって、例え私が恋愛する気になったって仕方ないことなんじゃない?とペレに聞いたら「それは、あなたが潜在的に抵抗しているからそういう現実を生み出しているのよ」とのお答え。は~。潜在意識が現実を生み出すという事はよくわかってはいるけど~。。。さらに、ペレから「今年は、恋愛することになりますよ」と言われてえ~まじで~?と思いつつ、どう考えても、全く、現実味がなく。こういう時の筋反射は、軽くスルーすることにしてそのうち、ペレのメッセージもすっかり忘れてしまっていました。ところが、ここ最近、出会いがあって相手から、愛を告白されるという事件があり(こりゃ、事件ですよ、事件🤣)最初は、何かの冗談や気まぐれだと思っていたのだけどどうやら相手は本気らしい、ということがわかってわ~何なんだ、この劇的ドラマ展開は!この年になっても、そんなこともあるのか~と、彼の人柄は好きだし伝えられる愛の言葉に感謝しつつもいろんな状況や環境を考えるとこの恋愛は、どう考えても無理だわと、友人としてしか付き合えないことをお伝えしたのですがあ~これは、きっと、ペレが伝えているように私の恋愛や結婚に対するブロックを宇宙から見せられているのだろうなあと。そう思っていたら、先日、クラスが終わった後ペレから「これまでの恋愛や結婚からの不要な信念体系を手放しパートナーシップに関する過去世からのカルマをワークしなさい」と言われました。は~やっぱ、そう来ましたか~トートが古代の叡智担当教官だとしたらペレは、恋愛担当教官だったのね。こんな風に見せられたらやるしかないのか~とやっと覚悟して調整する気になりカルマリリースを行う前に、まずはこれまでの恋愛や結婚からの無意識に持っていた信念体系を見直すことになりました。実は、離婚した元パートナーとの事は結婚していた当時から、彼との関係の中でのストレスを癒したりそこからの信念体系やブロックなどを調整していたしそれは離婚した後も、しばらく続いていましたがその前までの恋愛に関してはほぼ何も調整してきていませんでした。というのも、ただの一人も、嫌いになって別れた人はいないしもし生まれ変わったら、もう一度、出会って恋愛してもいいなぐらい人間的に好きだしこれは、離婚した元パートナーも含めてですがどれを思い出しても、懐かしく暖かな思い出しかなく全ての出会いに感謝の気持ちしか残ってないので過去の古い恋愛経験から、まだ無意識に信念体系があるとは気づいていなかったのです。私たちが経験から「学んだ」と思っていることの多くは逆に可能性や柔軟性を妨げるブロックになっていることがよくありますが恋愛や結婚などは、まさにそれが反映されてしまうんですね。ということで、誰の役にも立たない私の古い恋愛話を、ここでしてみようかと。多分、これを読んでくださっている方々の多くは40代以上なので、もしかすると似たような経験をされている方もいるかもですが20代の方に取っては、もはや、おばあちゃんの恋愛話なのでその辺のギャップも楽しみつつ。(おばあちゃんの恋愛話ってなんかサウンド可愛くて好きかも)お暇な方は、お付き合いくださいませ。(暇人のみ限定ね😉)最初に男性と付き合ったのは、中学校の時。相手は野球部のエースで、とても優しくてほんわかと暖かなエネルギーの人でした。でも、その頃は、お互いに、あまりにもウブというのか二人でいると、緊張して、うまく話すこともできなかったのでノートに交換日記をつけて、お互いの気持ちを書いて毎日のように、交換していました。(今から思うと、二人とも可愛いなあ)今なら、携帯のラインやメールで、やりとりできるので交換日記なんてやる人はいないでしょうが当時はそういうのもなかったしノートが戻ってくるのが、とても嬉しかったんですよね。その彼、Eくんのことは、その後、すっかり忘れていたのですが一昨年だったか、中学校時代の同級生が「久々にEくんと会って、のりちゃんの話になったんだよ~」と連絡をくれたので、彼のことを思い出しました。思い返すと、パステルカラーのような淡い恋愛です。Eくんとは、高校が離れたので、そのまま別れる形になり本当の意味で人を愛したのは、高校生になってからのことでした。高校1年の1学期末に転入してきたKくん。そこそこの進学校だったので、編入試験はとても難しいと言う話で「きっと頭がすごくいい人なんだよ」とみんなが噂していて、さらにルックスが良くて運動神経が飛び抜けてよかったので、あっという間にファンクラブができるほどの人気の彼でした。その彼と、間もなく自然な流れで、付き合うことになって人生で初めて「女性として愛される喜び」を体験することになりました。彼はラグビー部、私は、剣道部でラグビー部の方が、練習が終わるのが遅かったので私は、いつも彼の部活が終わるのを待っていました。ギタリストだった彼の影響で、クイーンやハードロックを聴き始めて、二人でいつも音楽の話をしてすっかりロック大好き少女になりました。彼のすごいのは、女心がよくわかる人だったと言うこと。今は、流石にそんなことはないですが当時は、私も、思春期の女の子なので、本当はこう思っていても口で言うのは違うことを言ってみたりするわけなんですがその彼は、私が感じていること、思っていることを察して行動できる人で、当時の私は「どうして、何も言わないのにそんなに私の気持ちがよくわかるの~」と何度も思ったのでした。彼は、男子の友人も多く、よく男子の友人5、6人と集まって、遊んでいたのですがそんな場に、私をよく連れて行ってくれてそこで、私をお姫様のように扱ってくれることも嬉しいことでした。会う度に、彼は、自然な愛の言葉やちょっとした予想外のプレゼントを私に与えてくれました。二人で「いつか結婚したら、こんな風に子育てしようね」などという話もしていて私も、彼といつか必ず結婚したい、と思っていました。大学に入った後から思ったのは彼には、弟はいましたが、姉や妹がいたわけじゃないのにどうして、そんな風に、女性の気持ちがわかって自然に行動できていたのだろうということでした。もともと持っている遺伝の性質からなのか彼の母との関係から来ていたのか今の日本の若い男性は違うのかもしれないけど当時、日本人でそんな男性は滅多にいなかっただけに今でも不思議です。私は、子供の頃から、男の子が欲しかった父と将棋したり、キャッチボールをしたり男の子のように遊んでいたこともあって「男に生まれたかった~」という感覚をどこかで持っていたのですが初めて「女として生まれてよかった~」という気持ちになったのは彼のおかげでした。さて、事件が起きたのは、高校1年の終わり頃のこと。たまたま私の部屋に入って彼との恋愛を事細かく記録していた私の日記を読んでしまった母が、びっくりして父に相談して、当時の父は、男女交際など許さないような昔の厳しい人だったので「これは大変なことになった」とこのことを私の担任の先生に相談してしまったのです。そういうのも、今じゃ考えられない行動ですが当時は、先生第一、みたいな風潮がまだあったんですよね。その担任の先生が家にやってきて、話してくれたのは「実は、Kくんのことは、前から気になっていました。Kくんは、前の校長が、彼の父から裏金を受け取って入学させた生徒なのです。だから、ラグビー部に入らせて、体育教官に指導させるようにした。でも、前の校長はやめてしまって、私たちも対応に困っていたところなのです」その話を聞いて、なぜ、彼が、あんなにもラグビーを辞めたいと言っていたのに続けているのかの理由が納得できたわけですが私にとっては、裏口入学であろうがなんであろうが彼を愛する気持ちには変わりないと思いました。その担任の先生から言われたのは「もう二度とお互いに話をしたり、付き合ったりしないこと。それを決めるまで、二人を停学処分にする」ということでした。(そういうのも、今の時代ではあり得なさそう)それを言われても、私の気持ちは決まっていました。彼と別れるつもりは全くないし彼と別れるぐらいなら高校をやめることになってもいいと思いました。それから、1週間ぐらい私は、学校に行かず、引きこもっていました。しばらくして、私の父から、ここに座りなさいと呼ばれ「お前が、Kくんのことを、どんなに好きなのか真剣なのかはよくわかった。でも、Kくんは、もう二度と、お前と付き合わないと約束して、学校に戻ったそうだ。彼の両親とも会って話を聞いた。お前一人で、頑張って、意地を張っていても仕方がない。辛いだろうが、もう彼のことは諦めて、学校に戻りなさい」それは、とてもショックなことでした。私は、それから毎日、部屋に籠もって泣き続けてました。母は、私が自殺するのではないかと心配して私の部屋のドアの前から、ずっと離れられなかったという話を随分後から聞きました。それから散々泣いて、結局、私は、彼と別れることを約束して高校に戻りました。そう決めたのは彼に、直接、はっきりと本当の気持ちを確かめたいということが、何よりも頭にあったからです。学校に戻って、その日のうちに彼と会い「あの時は、のりことまた会うためにああ言うしかなかったんだ。のりこと別れるつもりはない」と言ってくれたことで嬉しかったものの私の中に、何か引っかかる想いが残りました。それからというもの二人で会っているところを先生に見つからないように目立たないように付き合ってゆくことになり私の中には「愛する人と一緒にいたいだけで何も悪いことをしているわけじゃないのに」という自由に生きることができないもどかしさを抱えながら、彼と付き合うことになりました。今、思い返してみると「自由に生きたい」という想いを人生で最初に感じたのが、この頃だったのだなあと。高校3年の終わり、Kくんと同じ大学に入りたいという思いで彼の志望校だった教育大を、私も受けることに決めました。ところが運命は皮肉なもので教育大に受かったのは私だけで彼は落ちてしまい、1年間、浪人することになったのでした。私は、大学入った後も、高校時代の彼Kくんと何度か会ったのですが彼が浪人中だったこともあり恋愛ができるような状態ではなくそのうち、私は、大学の軽音楽部でバンド仲間となったSくんと付き合い始めることになり間もなく、Sくんと同棲生活を始めることになりました。こうして、高校時代のKくんとの、純粋で激しい恋はほろ苦く終わりを告げることになりました。この高校の頃の恋愛から私が無意識に学んでいたことは「どんなに二人が愛しあっていたとしても状況や環境によって、結ばれないことがある」というものでした。と同時に「どんなに好きになっても時間が経てば、お互いの気持ちも変化してゆく」ということもありました。今回、改めて気づいたのですがその経験からの学びは前世からのカルマとリンクして無意識のブロックとなりその後、何度も私の人生で現実のものとなっていました。さて、Kくんは、私の女性性を引き出してくれた人でしたが大学時代のSくんは、最初からなんでも話せて私のダークな部分でもそのまま出すことができる男同士の親友みたいな感じでした。Sくんは、とても優しくて面白い人で彼と付き合った5年間彼が怒ったのを一度も見たことがなく「のりこはすげ~」が彼の口癖でした。当時の私は、ただ、わがままで何でも言いたいことを言う共鳴力ゼロの女で、何もすごくはなかったのですがそんな私を彼は、全面受け入れてくれて「のりこは、自由奔放ですげ~」と、尊敬すらしてくれていました。なので、私は彼に「愛されている」というより「認められている」感が強く私の男性性が強くなった時期でした。全てを受け入れられていることへの安心感という意味では半端なく、24、5歳の時にああ、もうそろそろ私も落ち着いて彼と結婚するか~と、結婚することを決めました。大学を卒業した後、私は、音楽関係の仕事をしていましたが仕事というか自分の能力にどこかで行き詰まりを感じ始めていた頃でした。今は、いくつになっても、新たな可能性が開くことができるとわかっているので、今から思えばたった24、5歳で、行き詰まりも何もないだろうと思うのですが、当時の私は、まだその頃の日本人の世間一般の考え方を持っていたなあと。Sくんのことは好きでしたが、結婚を決めたのは「彼と結婚することで、経済的な安定を得て私は、気楽にやりたいことをやろう」という打算的な気持ちがあったことに後から気づきました。Sくんの両親と私の両親が会い新居の家具なども親に買ってもらいいよいよ結婚に近づいてきたそんなある日、Sくんが泣きながら「ごめん。のりことは、結婚はできない。今、俺はそんな責任を引き受ける自信がない。結婚もできないのに、ここまま付き合うのはのりこの両親に対しても申し訳ない。どうか別れて欲しい」と告げられました。彼は、大学を留年して、私より1年遅れで社会人になってちょうどその結婚を決めた頃は新しい仕事場でうまく行かずこれからの未来に不安を抱えていた時期でした。そんな中で、私との結婚が決まりお互いの両親と会ったことで彼の中で、プレッシャーがどんどん大きくなってその責任に潰されそうになっていたのでした。今から思うと、私は、彼がそんな状態であることもあまりわかっておらず自分のことしか考えていなかったんだなあと。5年間、私のどんなことでも受け入れてくれた彼が初めて受け入れずに、自分で決めたことだったのでその決断は、もう揺るがないことはわかりました。でも、彼にそう言われた時、ショックと同時にどこかでほっとしている自分にも気づいていました。ああ、私は、これから自分の人生をまた新たに開いてゆくことになるんだなそんな気持ちがありました。その時の彼の決断には、ずっと感謝していて例え、結婚しないことを決めたのが彼の当時の仕事の不安からだったにしてもそれは、多分、私とは結婚しない運命であるという魂の声を、彼は受け取っていたからではないかなあと。それから、しばらくして私は、一回り以上、年上の音楽プロデューサーのMさんに出会い、一目で大好きになりました。彼は、奥さんがいて、奥さんのことを愛していたので私が入りこむ余地はなかったのですが私をとても可愛いがってくれて東京から福岡に来た時は、毎回会っていろんな話をしてくれました。海外との仕事が多く、英語もペラペラの彼から新たな価値観を伝えてもらってああ、こんな風に、私も視野を広く持つ人になりたい、それが私が海外に住んでみたい、というきっかけでした。ということで、ニューヨークに来ることになったわけなんですがニューヨークに来るまでの恋愛ストーリーだけでかなり長くなってしまった。(あ~ここからの人生の方が長いというのに😅)高校、大学時代の恋愛話なんて前世のストーリーを話しているような感覚ですが前世がこれだけ私たちに影響を与えているわけなのでそりゃ、今生の経験も全てが影響しているよなあと。という事で、この続きのニューヨーク恋愛編を書くかどうかはわかりませんが(ここからが本番というのか、ヘビーになりそうだけど😅)とりあえず、私の古い恋愛ストーリー第1弾にお付き合いくださってありがとうございます。
2023年06月01日
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近年、いつの間にか、日々の生活の中で感じる「幸せ感」が以前とは変わっていることに気づきました。昔から、何かをクリエイトしている時に幸せを感じることが多かったなあと思います。それが、音楽であれ、絵であれ、ヒーリングであれ創造することの喜びは、私に取って幸せそのものでした。だから、朝起きた瞬間から、トイレにも行かず水も飲まず、やりたいことに取り掛かっていつも何かに夢中になってやっていました。今も、もちろん、その喜びはあるのだけど確実に違うなあと思うのは今は、何もしていない時も幸せ感や満たされ感を感じることが以前より、ずっと多いということです。例えば、朝起きた瞬間に圧倒的な幸せ感に包まれて目覚めることが日常になってきました。カーテン越しの光を浴びながらしばらくの間、ベッドの中でその幸せ感に浸っていることが多くその時間は、以前の私にはなかったものでした。だから、ベッドから出てもすぐにやりたいことに取り掛かるのではなく歯を磨いたり、ストレッチして自分を整えることができるようになりました。(そういう意味で、普通の人になれた🤣)以前の私は、クリエイトすること以外の時間例えば、シャワーを浴びたり、歯を磨いたりする時間でさえもったいと感じていて、もちろん仕方ないからやるけどできるだけやりたくないと感じていたことを思い出しました。やりたいことをやっている最中だけが幸せであり、満たされていたのだなあと。こうして、何もしていない瞬間に幸せ感や満たされた感覚を感じることが増えてきたと同時に1日の中で、今、この瞬間に自分がどんな感覚でいるかを常に意識できるようになってきました。「無意識に感じているストレス」というのがなくなってストレスを感じればすぐにそれが意識できる状態です。つまり、一瞬でも、その「満たされた感覚」を感じない時例えば、焦りやモヤモヤや不安や申し訳ない感などすぐに、その感覚に気づくようになったのでその感覚は、私に何を伝えようとしているのか?何がその感覚を生み出しているのか?を見てゆくプロセス(ヒーリング)に取り掛かることができるのです。「感覚はハイヤーセルフからのお知らせ」なので、何を伝えようとしているのかその度に聞いてゆく必要があってそれが、魂の道が開いて宇宙のタイミングに沿った生き方につながってくることをずっと学んできました。ほとんどの人は、その感覚を抑えこんだりなかったことにしてあれをしなければ、これをしなければと毎日をこなしている状態なのだなあとつくづく思います。やりたいことをやっている時の喜び、楽しさ人と分かち合っている時の一体感や安心感美しいものや自然に触れた時の感動奇跡的なことを体験した時の祝福そのどれもが「幸せ」であり「豊かさ」です。そして、同時に、喜びや楽しさだけではなくネガティブな感覚であってもそれを感じることができる幸せも私たちには与えられていることのだなあと。感覚を受け取る「豊かさ」は本来、誰にでも与えられているのですから。「自分の闇を見る」というと何だか、とても怖いことをするみたいに捉えてしまう人が多いのだけど実際は、自分が無意識に感じていることに意識を向けて『自分は本当は、何を感じているのかを知る』というだけの話なのです。ということで。これを読んでくださっているあなたは今、この瞬間、どんな感覚を感じているかしら?感じてみてね。その感覚がどんなものであったとしてもそこに光が届きますように
2023年05月27日
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前回のブログをアップした後 何人もの方にメールを頂きました。お返事はできていませんがとても嬉しく読ませて頂きました。ありがとうございます😭その中でお一人、シェアさせてくださいね。ブログ、楽しみに読ませていただいています!Wisdom of Universe クラスのことドキドキしながら読みました。「すぐに結果を求めてしまう人人を喜ばせようと、人の期待に沿ってしまう人目標を達成することに意識がある人も感覚が閉じてしまっている。」という言葉にドキッとしました。まさに、私のこと!だから、ひとつひとつの過程を感じ切れておらずインナーチャイルドにも寄り添いきれてないんだと。毎日、コツコツと自分の闇を晴らしていった先にもしかしたら、Wisdom of Universeも受けられるかもしれない、というのは私の希望ですが。ヒーリングすることで現実がどう変わっていくのか。それは大事なことだけど何よりも自分自身を迎えに行くことこそが癒しであり喜び。その末に現実が変わりうるというだけなのについつい今の苦しさから抜け出るためにやろうとしている自分がいて。でも、闇を直視することも怖くて中途半端なところで逃げてるのがブロッキングに出てるんだろうなと。本当にすべては自分なんだというのがようやく見えてきた感じです。それでもWisdom of Universeにすでに参加されている方たちの今までの道のりと今とこれからを感じる時、その境地に行きたいなそうしてこの星でお役に立つ生き方をさせていただけたらとも思います。ハイヤーセルフがその時々で必要な情報を上げてくれるのだから焦らずにその声に耳を傾けていけばそれが私の最善の道のりなのだから信頼して今を過ごそうと思います。ああ、こうして、私がブログに書いたことを自分自身の学びとして捉えてくださる方いることがどんなにありがたいことなのか。闇を直視するのが怖い、のは誰もが同じこと。でも、そこに気づかれたことはとてもとても大きいです。この方もまた、私とともに学んで行く魂の仲間なのだなあと。「ああ、私はこれまでそうだったのか、やっと見えてきた」という気づきはどこまで行っても永遠に続いてゆくものなのかもしれません。あれば、確か、2019年の秋のこと。その年の春にエジプトを訪れてそこで多くのことを学び新たな手法で、宇宙系遺伝の調整を始めた私は「来年は、この手法を教えるための多次元キネシオロジー、上級クラスを開きたいな」そう思って、トートに聞いてみたら「それは、まだ早い」という答えが返ってきました。その時にトートに言われたのはもっと育んで行く必要があるということ。「なるほど~、このクラスに参加する人たちをもっと育んでいかなくてはいけないのね」私は、そう「理解」して、納得したのだけど。今思えばああ、あの時の私は全く何一つ「理解」していなかったのだなと。もし、今、タイムマシンに乗ってその時の私に出会えるとしたら「あのね~あなたが今、考えているような意味での「育くむ」とは違うのよ。あなた自身が、これからすぐに離婚という人生の大きな転機を体験し生活をガラッと変化させてさらに、コロナという社会現象に対応しながらオンラインでのやり方をクリエイトするためにたくさんの研究と学びを通じて何十回、何百回も、今のやり方を見直し新しいやり方に変更して発展させていく必要があるの。その間、何度も挫折しそうになりながら数えきれないぐらい自分自身にカルマリリースや遺伝調整を行って宇宙からの祝福を受け取り、何百回も涙を流しその過程で、魂の仲間たちと出会い、深めてともに学んで行くのよ。そのプロセスの全てが「育くむ」なの」「そして、2年後に、再びエジプトを訪れてさらに学び、変容を体験してそうして、あ~まだこれから学ぶべきことは山ほどある、ということをあなたは、深いレベルで理解するの。そうして、上級クラスは、まだ当分先だな~と思っていた時に、トートとガイドから「今がその時です。上級クラスを開きなさい」と言われてそこでまた4度目のエジプトを訪れてアチューメントやクラスを通じてさらに、多くの学びと祝福を体験することになるの。あなたはクラスの前日までプログラムを作り続けることになるのよ🤣」わ~当時の私がこんなことを聞いたら、どう思うかしら?多分、理解不可能😅聞いただけでえ~なんか大変そう〜とか思ってしまいそう。「自分は何もわかっていない」ということを理解するためには何かがわかった後でないと理解できないから結局、永遠に「今の自分は何もわかっていない」という現実しかない訳で。もし、今日から4年後の私が、今ここにやってきたら「あのね~あなたは、やっと上級クラスを開催することができたここまで来れた~と幸せと喜びに浸っているけど今、やっとスタートしたばかりで今からたくさんの新たな学びや体験が待っているのよ」とか言われるのかも(今の私なら言わないけどね)4年先の未来からやってきた自分自身の言葉さえよく理解できないわけですから自分ではなく、他の人に対して例え、何かをアドバイスしたとしても本当の意味で受け取ることは難しいのだなということがよくわかります。それでも、過去、何もわかっていなかった私を忍耐強く見守りながら、ここまで導いてくれたガイドや高次元の存在たちへの感謝とともに間違いなく、今も何もわかっていない私をこれからもどうぞよろしくお願いしますという気持ちで一杯です。そして、一つだけ、今、はっきりとわかっていることがあるとすれば今、この瞬間、最高に幸せであること。朝、目覚めた瞬間から、圧倒的な宇宙からの祝福を受け取っています。このWIsdom of Universe のクラスを受ける受けないに関係なくたくさんの魂の仲間たちとともに宇宙の学びができる幸せと祝福に🙏
2023年05月17日
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日本、WBC準決勝、進出おめでとう~~🎉イエ~イ!ハイタッチ✋✋✋(今これを読んで、WBC応援している人たちと)もう昨日は、嬉しすぎて。何より、昨日の翔平くんのセーフティバントは痺れました。M L Bのシーズン中も、たまに、翔平くんはバントを試みるのですがいつだったか、そのバントが失敗した後次の打席で、ホームランを打った時があってその時に、エンジェルズのRedditで「そうそう、これだよ。俺が見たかったのは、翔平のバントではなくてホームランなのよ」みたいな書き込みがあったりしました。昨日、もしも、あのバントが成功しなかったら?と思うと世界トップのホームランバッターが三振するのは許されてもバントを試みて失敗したら「何で、ここでバントとかやってるんだよ〜」ということに、なり兼ねないわけですから例え、守備のシフトの隙を突くためであってもあの場でバントを試みたのは、それだけですごいと思うし後続の選手たちへの「あとは任せた〜」という信頼とともに本当に翔平くんにとって、自分の成績よりチームが勝つことが全てなんだなあと。先日、ダルビッシュのインタビューで翔平くんのWBC始まる前のフリーバッティングを見て他の選手は、みんなスゲ~と感心していた中村上選手だけは、不機嫌になっていて翔平くんに対して「負けたくない」と競争心を燃やしていた、とダルビッシュは村上選手の向上心を褒めていたのだけどそれを聞いて、改めて、翔平くんすごいなあと。自分に対して競争心を燃やしている選手に対しても翔平くんが心から応援してその人の活躍を喜んでいるのがダグアウトの映像を見ていて伝わってくるしそういうのを、一般的に「器が大きい人」というのですよね。(私にとっては、天使そのもの)翔平くんの昨日のインタビューでの「チームが勝つことより強いプライドは持ってない」という言葉は自分が活躍しなければ〜と思っている選手たちへの「個人成績にこだわらなくていいんだよ」という彼なりのメッセージなんじゃないかなあと。あ、深読みしすぎかしら?いつも思うのだけどもし、他の人で同じように二刀流で同じような素晴らしい成績を残していたとしてもここまで応援してないだろうなと思うのはそういう彼の持っている人間力みたいなものなんですよね。そして、結局、ヒーリングも同じだと思うのです。セラピストさんの中には筋反射ができるとかできないとかにこだわっている人も多いのだけどそんなことは、二の次で多くの人は、そのセラピストさんのの人間力みたいなものを感じた時に「この人のセッションを受けたい」という気持ちになるのではないかなあと。人間力と一言で言ってもいろんな側面がありますが私がずっと昔から好きなのは「正直さ」なのです。どんなにダークな感情や思いであってもその人が、正直にそれを受け入れて語っているのを見るともう一瞬で、その人のこと大好きになってしまうというのはヒーリングを始める前から、そうでした。だから、これまでずっと「私も(あなたと)同じ問題を持っているのでこのテーマは調整できません」とか「遺伝でリンクして、ブロッキングが外れないので今日は、これ以上、セッションができないので申し訳ないけど、お帰りください」などと、正直にクライアントさんにお伝えすることをやってきたしそれは、もし、そこで出来るふりして適当にやったら自分のことが嫌いになってしまうからで正直さは、クライアントさんのためではなく「自分自身のことを、好きでい続けるため」だったのだなあと、改めて思います。そして、不思議なことに自分の問題を正直に伝えることで、逆にクライアントさんに信頼されるというサイクルになってクライアントさんは、私が何か技術的に優れているからセッションを受けにきてくださっているわけではなく私がセッションを楽しんでやっていることや等身大の自分でいることで何かを感じて来てくださるのだということを(言葉ではなく)肌身で実感してきたわけなんです。もう1、2年前の話だけど私の古い友人が「のりこちゃんからの30年以上前にもらった手紙を見つけたよ~」と言って、その手紙を写真に撮ってメールで送ってくれたことがあってその時の私は、「ああ、30年前の私は、マルデュック遺伝や他のダークな遺伝も強かったし、きっと傲慢だったんだろうな」と思いながら、その手紙を読んでみたのだけどその手紙の中には、等身大の私がいてその時の自分の思いを正直に語っていて、「ああ、ここは、昔も変わってなかったんだ」と嬉しくて、思わず泣いたことがあってそれに気づかせてくれた彼女に感謝でした。例え、どんなダークな遺伝を持っていたとしてもそれを補うものがあればいいんだなあと。そして、正直になることができない人や等身大の自分でいることができないのは「こういう自分でいなければ、人から受け入れられない」とか「(これを伝えると)相手の気分を害するのではないか?』とか、「心配をかけてしまうのではないか?』などという潜在意識の恐れからであってその恐れを手放せば手放すほど正直になってゆくことができるんですよね。昨日、旦那さんとの信頼関係を取り戻された方の感想をシェアしましたがその後、また彼女からメールを頂いて旦那さんにもその私のブログを読んでもらっったとのこと。それができるのは、彼女が恐れを手放して正直になることができたからでさらに、それを読んだ旦那さんと「二人でありがたいね~と手を合わせました」と書かれてあってわ~この旦那さんも、素晴らしい方なんだなあと。彼女曰く「本当に現実が変わってしまって以前が思い出せない感じでパラレルワールドに行ってしまったような次元がドサッと変わってしまったような感じがしてます。色んな方が語る中に以前より深く「愛」を感じて、感動したり。何よりも旦那さんが、本当に逃げずに諦めずに私の側にいて本当に色んな事をサポートしてくれていた事におかげさまで、ようやく氣づく事が出来ました😭」と書かれてあってうわ~また幸せのお裾分けを頂いたなあと今日も朝から、幸せ感に満たされています。ということで、また翔平くんの話から脱線したけど、WBCの準決勝、マイアミに行きたい気持ちを抑えて応援します!!(もし4月にエジプトに行かない予定だったら間違いなく、マイアミに応援に行ってたな〜)
2023年03月17日
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先日の復習会で、ある方から「のりこさんが、ある言葉の意味を伝えられた時に自分のイメージしていたものとは違っていることに気づくことが多いのでそういう例をもっと教えてください」という話がありました。これは、例えば怠け者、というのは、怠けている人のことではなく怠けても何も感じていない人のことであって「あ~がんばらなきゃ行けないのに私は怠けものだな」と思っている人は怠け者ではない、とか完璧主義というのは完璧にやっている人のことではなく完璧にやらなければ、もしくは、完璧にやりたいと感じている人のこと、とかそう言ったことです。これは、キネシオロジーはその人の身体が筋反射で伝えてくる言語の意味を本質的に(エネルギー的に)理解する必要があるからで私は、キネシを初めてから、何年も潜在意識の声を翻訳し続けてきたのでいつの間にか、自然と理解していたことなのですが今回の質問を頂いて、なるほど〜クラスを受けた方たちの中でスキャンリストから言葉を上げても、その意味がよくわからず、どうしたらいいかわかりませんという方がいらっしゃるのは潜在意識の言語を理解されていないこともあるのだろうなあと。実は、言葉の本質的な意味を受け取るためには言葉そのものに囚われてしまう冥王星遺伝などが強いと、なかなか理解できないので例え、一つ一つ、説明しても難しいのかもしれないのですがそれでも、これから何か気づいた時には説明してみようと思っています。ということで、昨日書いた「アドバイス」についてちょうど、先日、ある光景を目にしたので補足的に説明してみよう、という気持ちになり朝からブログアップしています。結論から言えば、タイトルにもあるように「アドバイスは、経験談ではない」ということです。どういうことかと言うと例えば、Aさんが「~~しようかどうか、迷っているんだよね~」と言った時にBさんが「それはやめた方がいいよ。私も~~したけど、あまり効果なかったから」と自分の経験談をアドバイス的に話したとしてそれでAさんが「ああそうか、やっぱりそうだよね」そう受け取ってしまうのは人の意見に流されてしまうことであってけして、アドバイスを受け取っているわけではないということなんです。例え、同じような状況であってもAさんとBさんの歩むべき道や選択は違いますからAさんにとっては、効果がなかったことだったとしてもBさんにとって、そうとは限らないわけです。なので、本当のアドバイスというのは自分の経験からは伝えることはできないということなのです。私も、自分自身の経験談をよく話しますが、大抵は何かを説明する時に、わかりやすく例をあげるためであってそういうプロセスもあるよ、ぐらいの気持ちでそれが、全ての人に必要とか当てはまるとは思っていないし、人によっては、全く逆の選択が必要だなと思っているわけです。では、アドバイスとは何かというとその人の今の問題を把握した上でどうすればいいのかのビジョンや方向性を伝えることであってそれは、一般論ではなくその人のケースだけに与えられるものだということだと私は捉えています。だから、親が自分の子供にアドバイスするのが難しいのは親の経験では、今の時代の子供たちの問題に対応できないこととそもそも、その子供の問題を引き起こしている根本的な要因が親との関係にある場合が多いから。だから、親のアドバイスにしたがって生きてきた人のほとんどが、自分の人生を見失ってしまうのです。なので、もし誰かが自分の経験談を話してくれた時は「なるほど、そういうケースもあるのね」と、その人が経験談を話してくれたことに感謝しつつも自分にとって、どうしたらいいかは結局は、自分の内側にしか答えはないということを理解する必要があるかなあと。でも、もし誰かが本当にあなたの本質的な問題を理解しあなたにとって、大切なアドバイスをしてくれたと感じる時には(大抵は、耳が痛い話だったりしますが)素直に聞くことが大切なんですよね。だから、人へのアドバイスに必要なのは自分の経験ではなくて相手の本質的な問題(エネルギー)やビジョンを受け取る力なのです。だから、逆を言えば、その力があるなら、例え相手と同じ経験をしていなくてもアドバイスすることができるということ。先日、ガイドからもっとアドバイスをしなさいと言われたのは『(スピリチュアルエゴへの恐れを手放し)自分の受け取っているビジョンを信頼しなさい」という意味でした。その問題をガイドから、指摘されたのは少し前に、ある会で、その方のお話を聞いていてその人の何が、今の問題を生み出しているのか?そして、これからどうすることが必要なのかがクリアに見えてきたにも関わらず私は、今はセッションではないからとその時には、何もアドバイスをしなかったからでその次の日に、そう伝えられたのでした。(その後で、お伝えしましたが)ということで、今日はアドバイスの本質についてお伝えしてみました。いや〜それにしても高次元の存在からのアドバイスほど耳が痛いものはないなと毎回のように感じております💦これまでも、例えば、当時、全く乗り気じゃなかった私にオンラインのお話会を開くことを提案してくれたり友人から、的を得たアドバイスをもらってサポートしてもらったことは何度もありますが今の私に、ここまで厳しく言ってくれる存在はなかなかいないので、ありがたく受け取っています。(あ、たまにこのコメント欄に書き込まれている私が全く知らない人からのトンチンカンなアドバイスはスルー(削除)してます)ある意味、この厳しいアドバイスを素直に受け取れるかどうかが高次元とつながって、そこからのメッセージを受け取ることができるかどうかなのかもしれないなあと。ということで、今日も自己調整行いま〜す🙏みなさま今日も素敵な1日を
2023年03月04日
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前回のブログをアップした後何人かの方からメールを頂きました。「この多次元キネシの概念をここにいる方々にお伝えすることができたらいいのに、といつも思っています・さらに多次元キネシオロジーが広まって行きますように心から願っています」という嬉しい応援のお言葉だったりまた別の方は「のりこさんのブログを読みました。いずれ世界に拡まっていくだろう多次元を日本人の間だけの宝にするにはもったいないと常々思っていたので、わ~❣️ついに✨と感動しました😭私の今年のビジョンのひとつは多次元のセッションを英語でもできるようにすることでこの春は英語のブログを発信するプランでした」という、これまた嬉しいご報告だったり。多次元のコンセプトを理解して下さっている(つまりは自分自身で体感されている)方というのは例え、仕事や生き方が違ったとしてもソウルファミリーなのだなあと感じています。最初に、宇宙人のことをこのブログに書き始めた時には、正直「きっと、これまでの私のクライアントさんはこれを読んで引いてしまう人、多いだろうな」と思っていたのですが(実際に、そういう方もいらっしゃいましたが)いつの間にか、こんなにもこの多次元の世界観を理解してそれぞれの現実を創造しようとしているソウルファミリーに出会えていることが本当にありがたいです😭先日のトートからの「システムを育みなさい」と伝えられた時に、それが「システムを構築しなさい」とか「システムをアップデートしなさい」ではなく「育みなさい」という言葉だったのでああ、これは「人を育んでゆく」ということを含んでいるのだな、と感じていました。そして、こういうメールを頂いてもし、これから、さらに多次元を広げて行こうと思うなら仲間やソウルファミリーのサポートが必要不可欠でそのための「育む」なのだなあということを改めて思うのです。育むって、例えば、子供を育んでいらっしゃる方はよくわかるでしょうが子供によって、またその状況によって親が取るべき対応は、違ってくるしこれが正解というものは何もないのでだからこそ、育んでいる側の方が気づきや学びの連続なのですよね。さて、これまでの私の感覚では育む=黙って見守るというイメージだったのですが先日の「スピリチュアルエゴへの恐れ」をワークした後しばらくして、関連して出てきたのが「アドバイスすることの抵抗(恐れ)」でした。ああ、確かに、キネシオロジストとしてはアドバイスはしない、というのが鉄則だしアドバイスする時は、筋反射で、あらゆる情報を拾ってその人の身体(ハイヤーセルフ)の求めている方向性や、それをブロックしている要因などをかなり深いレベルで見てからでないと気軽にはできない、と思っていました。さらにわかったのは、私の無意識は「アドバイスする時は、全責任を負う必要がある」と感じていたようであ~確かに、そういう部分あったなあと。例えば「離婚した方がいいです」とということを、クライアントさんに伝える時には99、99%、この選択しかないとわかるまで情報を上げてゆくしその上で「(もし、これが幸せの選択でないなら)全責任は私が負います」ぐらいの覚悟で伝えていました。お〜そんな責任負ってたらそりゃ、気軽にアドバイス出来んわ〜と、無意識に私が持っていたプログラムに自分で突っ込みつつもっと気楽に、アドバイスして行きなさいというガイドからのメッセージだったわけです。ちょうど、先日、ニューヨークのオフ会に来てくだっさった方の中で何年かぶりにお会いした方がいてその方が話してくださったのはその方は、何年か前の多次元のベーシッククラスを受けられたそうですが私は当時、その方に「あなたは、もうこれで(サイキック力で)仕事して行けますから、やってください」とお伝えしたそうなのです。(私はよく覚えてないのですが)で、その方は、その時は半信半疑のようでしたが今は、本も出版して、それが売れてサイキックリーディングのようなセッションを行っているとのこと。多分、私が、その方に、そうアドバイスしたのは筋反射で、その方の魂や前世的な経験や遺伝的な要因を見て、確信したからだとは思うのですがよくそんなアドバイスしたなあと今更ながら、冷や汗ものででも、結果的には、そうなってよかったなあとほっとしました。もちろん、あまり無責任なアドバイスはできないけれどでも、見守るだけじゃなくて必要な時には、感じたことを率直に伝えるようにしようとここ最近のいくつかの出来事があって実感しています。例え、その人が、そのアドバイスを受け取らなくてもそれはそれでいいと思えるようにもなりました。例えば、私たちが、マスターやガイドからのアドバイスをもらってもその時は、それを選択したり実行できないことは多々あるわけですから。ということで、今年は、特に多次元キネシオロジーのセラピストの育成に力を注いで行きたいなと思っています。(キリ!!)と、結局、育成されるのは、私自身なんでしょうけどね。(最近も、次々と課題を突きつけられてるし😅)
2023年03月03日
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ここ最近も、色々と変化や気づきが起こっているのですがまだ、うまく言葉にまとまらないので今日は、どうでもいい私の独り言を。(ってか、全てが基本、どうでもいいと言えるが😅)昔から、私の母が、口癖にように言っていたことで「今度、生まれ変わったら、絶対に面白い人と結婚するわ。毎日、笑わせてくれる人がいい」と言っていて、当時はへ~そうなのね~ぐらいに聞いていたのですがここ数年、その母の気持ちがよくわかるようになりました。私の父は、酒を飲めば上機嫌になって、たまに冗談も言っていましたが、普段は、無口な人で特に楽しい人ではなかったので毎日、笑いたい母としては、それは叶わぬ夢だったわけです。だから、ずっと母自身が家族を笑わせることに全力をかけてきてだから、今度、生まれ変わったら自分が笑わせてもらう側になりたいとどこかで思っていたのだということに去年、私がロボット遺伝を調整した時に改めて気づきました。だから、私が、今回、日本に帰った時には母のお喋りを聞きたいというのと母を笑わせたいという気持ちでした。そんなことを思ったのは生まれて初めてのことなのです。だって、私が笑わせなくても母は笑っていたから。そのことが、どれだけありがたいことだったのかもちろん、以前からわかってはいたけど最近、本当に感謝が溢れて来ます。先日、日本に帰って、母の話を聞く中で母の父、つまり私の祖父の話を聞きました。祖父は、神社の神主をしながら市会議員としても働いていた人ですが人が大好きで、乞食のような人でも、家に呼んで食べろ食べろと、ご馳走したり周りの人を笑わせることばかりしていたそう。だから、祖父が脳梗塞で倒れて、半身不随になった後も多くの人に慕われ、愛されていたとのことでした。祖父のこんな話を聞いたのは初めてのことでだから、母にとって人にご飯を作ってご馳走することと人を笑わせることが、愛そのものだったことに改めて、気づいたのでした。誰かと一緒暮らすことの意味って毎日、笑うためにあるんじゃないかとさえ最近は、思うのです。私が2019年に離婚した後一人で暮らすのって、何と自由で楽なのだろうということに、初めて気づいたのですが唯一、これは問題だなと気づいたのが誰かと一緒に暮らさないと毎日、笑う機会が少ないということでした。友人と会うと言っても、毎日会うわけじゃないし一人で暮らしていると毎日、笑うことはなかなかないのだなと。それで、離婚前は、一度も見たことがなかったお笑い番組を、いつの間にかYouTubeで毎日のように見るようになっていました。(1日一度は、笑わないと死んでしまう病かも)昔、父が母に向かって「お前は、本当に無駄な話ばかりするなあ」と言っていて当時の私は、父寄りの考え方だったので「ほんと、お母さん、なんでこんな無駄な話ばかりするんだろう」と思っていたのです。だから、女性同士の無駄話よりも男性同士が話す、人生やこれからのビジョンについて語り合う方が好きでした。でも、不思議と、歳を重ねるにつれて母の性質の方が、私の中で強くなって気づけば、無駄話が大好きになって最近、気づいたのは無駄な話だからこそ、笑えるのだということ。自分の本当の想いや気持ちを分かち合ったり、人生を語り合うことも大切だけど、日々、無駄な話をして笑いあうことも必要なのです。ということで、先日「もしまたパートナーを選ぶとしたら笑わせてくれる人がいいな」という話を、友人と話していたのですがその友人が「でも、いくら笑わせてくれても話を聞いてくれる人じゃないとだめでしょ?」というので、確かに、そりゃそうだなあと。「すごく面白くて笑わせてくれるけど私の話は聞いてくれない人」と「笑わせてはくれないけど話を聞いて寄り添ってくれる人」うーん、究極の選択だけどやっぱ、話を聞けない人は無理だなあと。女性にとって、ただ話を聞いてくれる男性が必要なのは、スピリチュアルじゃなくてもよく言われていることですがこれが、日本人でも、20代、30代の男性は自然にできる人も多いのですが50代以上の男性には1割もいないように思います。女性にとって、話を聞いてもらうということの意味は自分が感じていることを体感として理解してもらうということ。だから、多くの女性にとって求めているのはアドバイスではなくただ話を聞いて、寄り添ってもらうことなのですが夫に何か話をすると「こうしたら?』とか「これが問題なんじゃない?』とかアドバイスされたりするわけでだから、この年代の多くの女性は話を聞いてもらいたい、という気もなくなってだんだんと、夫婦の会話もなくなってしまうのですよね。そう考えると、全く女性に寄り添うこともせず笑わせることもしない父は今の時代では、あり得ない男性だけどそれでも、めげずに、いつも笑わせようと話し続けていた母って、尋常じゃないパワーだなあと。いつだったか「今度、生まれ変わったら、絶対に面白い人と結婚するわ」と話す母の言葉を聞いて父が、真面目な顔で「俺は、生まれ変わっても、またお前と結婚したい」と泣きそうになって言うのを聞いて母は、嬉しそうに笑っていました。普段は、面白い話で、笑わせてくれてでも、話を聞いて欲しい時にはじっくりと聞いて、寄り添ってくれる。あ~そんな男性と巡り逢うのはやっぱ、生まれ変わらないと無理かしら
2023年02月12日
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昨日、何度も風邪を引いて、身体の調子が悪かった方が自分の内側を見て調整したら、治ったというメールをシェアしましたが一方で、風邪を全く引かない人が、健康な人というわけではなくましてや、内面やエネルギーに問題がない人ということではないわけですね。有名な野口整体の野口晴哉さんの書かれた本「風邪の効能」には「がんや脳溢血になる人は、皆、風邪も引かないという人が多い。風邪を引かない人は、身体が毒を排泄できない鈍い身体になっている」と書かれてあるのですが風邪のウィルスを排出しようとして熱や咳が出るのは身体の免疫機能が働いているという証拠ということ。だから、風邪を引かない人には2種類のタイプがいて本当に心身ともにバランスが取れてかなり免疫力が高い人と逆に、あまりにも、問題があり過ぎて毒を排出する力が弱く身体の感度が鈍い人がいると言うこと。だから、周りの人はみんな風邪引いているのに自分は風邪引かない、なんて言う方は後者を疑ってみる必要性があるわけです。これ、ウィルスや菌だけなくエネルギーフィールド内にあるエネルギーに関しても全く同じなのです。例えば、地縛霊や浮遊霊などがライトボディに大量に付着しているのに身体の具合が悪くならない人がいるのですがそれは、それらのエネルギーをデトックスする力がなくかなり身体の感度が鈍くなっているので逆にまずいわけなんです。子供が、すぐに熱を出したり、咳が出たりするのは身体の感度がよく、体内だけでなくエネルギーフィールドに入った遺物や不要なエネルギーを排出しようとするデトックス機能が正常に働いているから。つい先日も、あるお母さんから子供が咳が出て、止まらず病院に行っても原因がわからない咳は、もう何年も続いているとのことで何か悪い病気にでもなっているのではないかと心配なので、一度、見て欲しいとご連絡があり子供への対面のセッションを行いました。調べてみると、その子は、エンパス体質でパパの仕事のストレスやママの心配や不安のエネルギーそれに付随して出ているレプや霊的なエネルギーの影響を受けて、身体が反応していてその子の体は、それらのエネルギーを排出しようと不要なエネルギーが入ってくる度に咳を出し続けていたのでした。結局、その日は、その子のエンパス体質を変える調整にはならず、パパやママが変わることが必要という子供の身体からのメッセージだったわけですが昔、よく子供の小児喘息とか問題になっていたけどもしかすると、実際は、その子の身体が弱いというよりこういう要因も多いのかもしれないなあと。さて、ここで問題なのですが身体が鈍い人は、大抵の場合エネルギーを感じる力も鈍いわけです。それで、ヒーラーやセラピストは敏感な方がいいのかそれとも影響を受けない方がいいのかと言うことなのですが。例えば、田中さんと言う方がいてこの人に、浮遊霊など霊的なエネルギーがかなりいる状態だとします。セラピストAは、グラウンディングしていると言えるけど身体感覚は鈍く、他の人からのエネルギーの影響はほぼ受けないし、普段から、そういう重いエネルギーはあまり感じない。セラピストBは、グラウンディングが弱く身体は敏感で、他の人からのエネルギーをすぐに察知し、自分も具合が悪くなってしまう。で、どちらが、田中さんのエネルギーの浄化を行うのにいいかと言うと実はどちらのセラピストも難しいのです。Aの人は、まず、情報としてアクセスできない。霊的なエネルギーを一切受けない人というのは相手の霊的なエネルギーも情報としてあげることができないことが多いのです。こういう人は、どんな人のセッションをやっても具合が悪くはなりませんが調整幅は、浅くなりがちです。Bの人は、情報はあげることができるのだけどその間に自分が影響を受けてしまうので相手の浄化ができない。実は、セッションの間に、自分がリンクしてしまうとそのセッション内で、自分がリンクした要因を見つけてそれを調整しない限りはセッション中、そのエネルギーの影響を受け続けるので相手のエネルギーは解除できないのです。ですから、ヒーラーとしては敏感でありながら、リンクしない状態でいるというのが、必要となってくるわけなんですが大抵は、敏感であると、リンクしてしまうのでこれがなかなか難しい。例えば、ほとんどの人は、相手のダークなエネルギーを感知すると、そのエネルギーを受けたくないという無意識のブロックが働くのですがそのブロックの元は、恐れなので相手の恐れのエネルギーとリンクしてしまうわけなんです。だから、完全に自分の中の恐れを手放すのと同時にエンパス体質の原因となっている遺伝調整やライトボディ調整が必要となってくるわけなのです。実は、これは年代にもよるのですが、一般的に今、50代以降の方は、ほとんどの人が身体感覚が鈍いと感じています。私は、こう言うエネルギーワークは長くやっているので、敏感になってきましたが元々は、身体も鈍いし、感じる力も鈍い人です。私は以前、1日4人、一人3時間弱つまり1日、12時間近くのセッションを週に6日やっていた時期が、何年かあって全く病気にもならず、ずっと元気でしたがこれは、今では考えられない状態で身体が鈍すぎる状態だからできたことだなあと今は思います。で、少しずつ変化はしていたのですが、大きな変化は2018年に、クンダリーニ症候群になった時から。異常なエンパス体質になって私の周り半径10メートル以内に人が入ってくるとその人のエネルギーで気持ち悪くなるし部屋の隅にあるクリスタルが浄化されていないと具合悪くなるほど、敏感になっていました。もちろん、そんな状態では普通に暮らしてもいけないわけなのでそこから調整して、徐々に回復したわけですがその頃から、身体感覚やエネルギーを感知する力は格段に上がったので逆に言えば、あのクンダリーニ症候群にならなかったら私は、宇宙系遺伝のエネルギーもここまで感知できなかっただろうしここまで深い研究もできなかったかもしれません。もちろん身体感覚を高めるためにみんながクンダリーニ症候群になる必要はないわけで他の調整(特に遺伝調整)で身体感覚を高めてゆく事はできます。そして、実際は、Aのタイプのセラピストが人からのエネルギーを受けてない、とは限らないわけで、本当は受けているけど身体として感じてない方もいるのです。昔、ある尊敬するヒーラーさんでその方は、いくら人にセッションを行っても人からエネルギーを受ける事はないし体調もベストなので全く自己浄化をしないと言われていた方がいました。当時、私は今よりも鈍かったとは言え人へのセッションを行った日は必ず自己浄化はやっていたので「こういうヒーリングを人にやっても全く人からのエネルギーを受けない特別な方もいるんだなあ」と思っていたのですがそれから、数年後に、そのヒーラーさんは大病をして、入院されたという話を聞きました。多分、その方は、エネルギーを受けていなかったのではなく身体の感覚として、受け取ってないだけだったのだなあと。身体が元気で、疲れていなかったら浄化したり、調整したりしようという気にはなかなかならないものなのでだから、例えば、すぐに人からエネルギーを受けて疲れるとか、体調が悪くなるので日々の自己調整が欠かせませんという方はある意味、守られているんですよね。なので、多次元のセラピストさんの中で「他の人にセッションをやる度に終わった後の自己浄化が大変です〜」と言われる方に対しては実は、私は、あまり心配してないんです。そういう方は、自分で気づくことができますから。という事で、身体の感覚を高める事はセラピストやヒーラーだけでなく必要な事だなと思うのです。身体の反応は良くてエネルギーは感知するけどリンクしないという状態になったら最強と言えるかなと。もちろん、それも終わりはなくて私も、まだそのプロセスの最中でより敏感に、よりグラウンディングするために日々、調整を重ねているわけなのです。身体の敏感さに関してもここ1、2年、身体にウィルスが菌が入ってくるとすぐに熱や咳などの反応があるのですが調整すると、すぐに回復するという状態になってきたので身体の反応がよくなってきたかなあと。先日、他の多次元のセラピストさんも同じようにウィルスで身体の反応が出たけどすぐに回復しましたと、言われていました。何か異物があれば、身体は、すぐに反応するけど回復も早いというのが本当の意味での健康体と言えるのかもしれないなあと思っています。という事で、今日は、私が思う身体の敏感さ、鈍感さについて、書いてみました。なんかまとまりないけど、そのままアップします~(書き逃げ)
2023年02月08日
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ワールドカップ、日本はコスタリカに負けましたね。残念でしたが、ほぼ負けるだろうと予想されていたドイツに勝ちほぼ勝つだろうと予想されていたコスタリカに負ける。あ~だからこそ、これがスポーツやゲームの面白さであってしいては、人生の面白さと言えるなあと。人生って、本当、ゲームだな~といつも思います。自分にとって、嬉しくないことが起こったり辛いことがあった時にそこでどう自分が変化してゆくのか?によって自分が予想もしなかった可能性が開けてきたりより豊かに幸せになる方向になったりすることって本当に多いしそういう人たちは、世の中にたくさんいます。先日の「祝、日本」の日記に「スポーツは、誰かが勝ったら誰かが負ける構造なので興味はない」とコメントされた方がいますがそういう方は、スポーツやゲームの面白さはもちろんのこと上手く行かないことのプロセスから得る喜びも体感されてないのだろうなあと。勝った負けたの結果ではなくそこに向かうプロセスこそが、私たちの成長の喜びだと私は思うのです。ゲームを楽しむように、人生を楽しむ。もし、何か上手く行かないことが起こったら「おお、今度は、こう来たか~。これを切り抜けるには、どうしたらいいのだろう?私の何を変えたらいいのだろう?』そんな視点で、現実を捉えてゆくと上手く行かないことも含めて楽しいしいつの間にか自分が変化し、成長している。ゲームや勝負することの楽しさ、例え負けても、また次の手を考えて挑戦する喜びを教えてくれたのは私の父でした。確か、小学校5年生ぐらいの時に父から将棋を教わって、二人でやるようになりました。最初は、父が飛車角抜きでも、私は負けていたのですが毎日のように父とやっていると、だんだんわかってきてある日、私が勝ち、次に、父が角を入れてやるようになってそうすると、また私は負けていたのですがある日、その状態でも勝つことができてその後は、もう父も飛車角ありで対等にやるようになり最初は、私の方が負けるのが多かったのですが次第に勝率が半々になり、ある時点から一気に私の方が強くなって私が7:3、とか、8;2の割合で勝つようになってきました。大人より、子供の方が吸収が早いのですよね。父は負けると、とても悔しがってでも、なぜか嬉しそうで「よし、またやろう。いや、対戦お願いします!」と、私に対戦を挑むので、夜中まで続けることもしばしば。中学に入って、私が明日、期末テストとかいう日でも「学校のテストの勉強とかやらんでいい。将棋しよう!」と言うので、テストの前でも、父と将棋していたのを思い出します。そういう父の姿を見てきたので例え負けたとしても、すぐに結果が出なくても諦めずに続けてゆく、という意識が私の中で、自然にできていたのだなあと。将棋の対戦自体も楽しかったけど対戦が終わると、必ず、父とそのゲームを振り返って「ここの一手がまずかったよね」「ここ、こう打てば、よかったんじゃない?』などと、お互いにあれこれ言い合うのも楽しかったなあと。20代、30代となって、久々に将棋したいな~と当時、付き合っていた彼とやったことがあるのですが初回で、彼が負けると「もうやらない」と二度とやってくれないことがありました。オリオン遺伝の性質に「負けず嫌い」というのがあるのですが負けず嫌いなので、負けないように頑張る人と負けたくないので、負けるとわかっていることは最初からやらない人の二つに分かれるのです。で、後者の人が、すごく多い。これは、以前も書きましたが多次元のクラスを開いた時に、一番、驚いたことでした。自分が学びたくて、取ったクラスなのにたった5日間のクラスの中で上手く取れないというだけで「私には向いてないのだ」とすぐに諦めてしまう。それは、私には全くない性質や思考だったのでそういう人たちが、どうしたら、筋反射の素晴らしさや楽しさを感じて続けていけるのだろう、ということがこれまでクラスを開いてゆく中で最も難しかったところでした。今は、オンラインリトリートという半年間という長期の期間の中で少しずつ、多次元の基本概念を学んだり動画で浄化や癒しを行うという場があるおかげでクラス初日で脱落、みたいな人は減りましたがでも、どんなことをやるにしても上手く行かないことは、必ず起こるのでやはり、その人自身の内面を変えてゆくことが必要だなあと。自分がやりたくないことは、さっさとやめる(最初からやらないのがベスト)自分がやりたいことは、決して諦めない。すごく、シンプルなことだと思うのだけどなぜか、自分のやりたくない仕事は頑張って続けているのに、自分がやりたいと始めたことはすぐに諦めてしまう人が多いのだろうと。「自分がやりたくないことは、さっさとやめる」これは、今、自分がそれをやりたいかどうかを感じたり内なる声を聞くための女性性が必要で、「自分がやりたいことは、決して諦めない」これは、目標に向かって進む男性性が必要なことだと言えます。これが、女性性が弱いと、自分が何をやりたいかよくわからないになりがちで(なので、とりあえず、今の仕事をやっているなど)男性性が弱いと、やりたいことがあっても続かないになりがちなのです。オリオン遺伝の性質として「すぐに結論づける」というのもあります。今は、負けたとしても、何年後かに勝てば、その負けはプラスになるわけだしいえ、例え、勝たなくても、そのための学びや努力はそれぞれにとって、決して無駄にはならない。負けたというのは、その時の結果ではあるけれど人生全体で言えば、プロセスにしか過ぎないのだから。子供の頃、父と将棋したことが、今、直接的に何かの役に立っているわけではないけどそこで感じたり、学んだ、たくさんのことが今の私のあらゆるところに生きているのだから。だから、例え、何かが上手く行かなかったとしてもすぐに結論づけず自分がやりたいことを諦めないで人生というゲームを最大限に楽もう。と、ワールドカップの話題から始まってどこに向かうのかと思えば、こんな結論になったなんか、ムッチャ木星遺伝全開みたいな内容になったけど。(いや、これは、多分、シリウスだな)なぜか、今日は、こんな気分です。(クラス前だからかな〜)→気合い入ってる証拠?
2022年11月27日
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先日、友人と会った時にその友人はリトリートも受けてくれているのですが彼女が「リトリートの動画の視聴を見直していて一番心に残ったのが、のりこさんが言った『シンプルに生きることが大切』と言う言葉だったの」と言っていて、私は、いつそんな話をしたのかどう言う話の流れで言ったのかも、全く覚えていないのですがその言葉が彼女の心に響いたことは、意外でしたが嬉しいことでした。私がシンプルに生きることに、意識をむけたのはもう随分前のことなので多分、このブログでも、言葉を変え色々と伝えてきていることだと思うのですがシンプルと言うのは、いわば心(感情や精神)と身体と魂が一致した状態と言えるかなあと。人間と言うのは、シンプルには行かない生き物で例えば、やりたいと思っているのになかなかやれないとか、こんな仕事をやりたくないのにやっている、とか相手に優しくしたいのに、できないとかそう言う複雑さを抱えているわけです。もし、私たちが、シンプルに生きることができれば自分がやりたいことを自由にやって他の人とも愛で繋がってゆくことができるわけなのですが多くの人は、なかなかそうシンプルには生きれない。つまり、ヒーリングは、自分をよりシンプルに生きるために変化させてゆくもの、と言えるなあと。私は、人にセッションを行う時に、最初にその人のシンプルじゃない部分を見つけ出すと言うことを常にやっているわけなんです。人によっては、がんじがらめに絡まった毛糸のように複雑なことになっていてその絡まった糸を紐解いていく必要があるわけです。ちょうど、ここ最近、行った二つのセッションで二人とも多次元のクラスを受けられていて同じような問題を抱えていたのでびっくりしたのですが一人は、病気がなかなか治らない理由を探っていって出てきたのが病気が治らないのが、怖い、と言う思いと同時に病気が治ったら怖い、と言う思いでした。病気ば治らないのが怖い、のは理解できますが病気が治ったら怖い、と言うのはシンプルじゃないわけですね。それで話を聞いたり、調べて見てわかったのが彼女は病気が治ったらヒーリングを人にも行いたいと思っているそうなのですが旦那さんがそれを反対している、とのこと。彼女は、旦那さんが失望するようなことはやりたくないしそのことで揉めたくはない。それで、彼女の無意識が感じていたのは病気が治ったら、旦那と上手くいかなくなってしまうと言う恐れでだから、病気が治ったら怖い、わけなんです。で、この無意識のプログラムを解除するためには旦那さんを失望させるのが怖いと言う恐れを手放し人に振り回されず、やりたいことを自由にやる自分に変化させることが必要と同時に「病気が治る」→「ヒーリングを行いたい」→「旦那と揉める」という複雑になっている思考パターンそのものを変化させるということです。もう一人も、同じような感じで彼女は、謎の体調不良があって、それは忙しい時にはないけどリラックスすると、痛みが出てくると言うもの。筋反射で見てみると「リラックスしたくない」と言う潜在意識の声。なぜ、リラックスしたくないかといえば「自分はまだまだ不十分だから、もっともっとやらなければ」と言う声が上がってきました。だから、リラックスすると痛みが出てくるわけなんです。で、何が不十分なのかを見ていくと彼女もヒーラーとして、人にセッションをやりたいと思っているのですが「ヒーラーとしての才能が不十分」だと感じていることがわかりました。それで、彼女は「もしこの痛みを自分で治せたら私は、自分のヒーリングの才能を認めることができるのに」と感じていたので、無意識に自分の才能を認めたいために、身体にどんどん負荷をかけていたわけなんです。なんと、複雑な仕組み。彼女の場合は、もちろん、今の自分の潜在能力を認めるということが必要だし痛みがすぐに治せる=ヒーリングの才能があるという先入観を手放すことも必要なわけです。この二人に共通していたのは、自分のやりたいことのために自分の身体を苦しめていた、と言うこと。よく、やりたくない仕事をやらないために病気を生み出している人はいるのですがやりたい仕事のために病気を生み出すと言うより複雑なパターンもあるなあと、改めて思いました。人間関係になると、さらにこれは複雑化して複雑な人間が、複雑な人間とコミュニケーションしているわけですから様々な問題を生み出し、複雑化してしまうわけです。例えば、「私は~~に嫌われたのだ」と勝手に思い込みそれなら、もういいわ、とその人の関係を避けていてで、一方のその相手の方も、避けられたことで私は嫌われたのだ、と思い込みより、関係は悪化する。みたいなことは、日常茶飯事に起こっているわけなんです。相手から「あなたのことが嫌いですので、連絡しないでください」と言われたなら、それはシンプルなので仕方ないとなりますがそうではないのに、自分は嫌われたと思う思考がシンプルではないわけですね。さて、私は、比較的シンプルに生きている母とシンプルに生きられなかった父の間に生まれたので両方の部分を持っていたわけでそのシンプルじゃない部分をこれまで変化させてきたわけです。私の母は、シンプルに生きられない人のことを「めんどくさい人」とよく言っていて母にとって、最もめんどくさい人は、夫である私の父だったのは言うまでもなく。どんなことでも、最終的には必ず笑いに持ってゆく母は父や他の人が「いかにめんどくさいか」の「めんどくさいぶり」を母の友人や私に、おもしろおかしく話して笑いを取るのです。私の弟も、父のめんどくさい部分をかなり受け継いでいるので母はよく「もう、めんどくさい人なのよ~」と弟のめんどくさいぶりを愛情を込めて話していました。例えば、以前、私が日本に一時帰国した時のこと当時、弟夫婦は、京都に住んでいたのででは、私と母とで京都旅行に行こうという話になり京都で、弟夫婦が、私たちを案内してくれたことがありました。私の弟は、人を喜ばせたい、と言う思いがとても強い人でそれ自体は悪くはないのですが同時に「京都のこう言う素晴らしさを見せて(私たちを)感動させたい」というこだわりがあって彼なりに、どこに行くのか綿密に計画を立ててくれたわけです。で、本当に私も母も実際に訪れて感動したのですが弟が行きたいと思っていた場所の一つが時間の関係だったか、子供のことだったか理由は忘れましたが、行くことができずそれで、彼は、そこに私たちを連れて行くことができなかったことで不機嫌になってしまったわけです。私や母が「もう私たちはとても楽しんだしこれで十分よ」と言っても、彼の機嫌はなかなか治らず。元々は、私たちを喜ばせたい、感動させたいと言う彼の優しい思いからなのですがなぜか、最後は、私たちに気を遣わせることになると言うまさに「超めんどくさい人」なんですね。私と母としては、京都の雰囲気を味わえばそれで良かったし、弟夫婦と甥っ子と一緒に楽しい時間を過ごせればそれで、シンプルに最高だったわけなんですが彼の様々なことへの「こだわりの強さ」が、そのシンプルさを妨げてしまうわけです。この「こだわり」や「好き嫌い」と言うのは私たちのシンプルさを妨げる要因の一つです。最初のケースでお話しした「特別な才能がなければ、ヒーラーとしてやってはいけない」などと言うのも、こだわりの一つ。こだわりは、例えば「より良い製品を作るためのこだわり」など、自分が本当に求めるもの、魂が求めることを追求するためのこだわりはプラスに働くこともありますがその他のこだわりの多くは不要なものです。好き嫌いは「好き」は問題ないのですが「嫌い」という感情は人間関係での問題を生みます。例えば「人参が嫌いです」など食べ物の好みを伝えるのは多くの場合、問題はないですが「こういう人が嫌いです」とか相手が好きなものに対して嫌いだとかそういう嫌いは、自分自身の問題なのでそれを自覚していればいいのですがなぜか「~~が嫌い」と言うのを自分の個性のように勘違いしている人が多いなあと。好き嫌いは、個性ではありません。単にダークサイドからの遺伝的な思考や子供の頃などからのストレスやトラウマを反映しているにすぎないのです。そう言った自分のこだわりや好き嫌いを主張する「めんどくさい人」に出会ったらとりあえず、スルーするのが一番だなと言う結論に達しました。私の母は、その場はスルーしてあとで笑いにするいわば「ネタとしていじる」ことで彼女の中で、めんどくさい人への対応のストレスをチャラにしているような感があってだからこそ、夫や家族のめんどくささにも屈することなく、自由でいられたんじゃないかなあと。(あ〜そう思うと、私にも、そういうとこあるな〜)私も、めんどくさい人に、いちいち説明したり、対応していること自体が自分の中のめんどくさい部分だと気付いて手放しました。昔、私が、もっと若い頃には、例えばどこか孤独感を抱えている人とか何かの悲しみや問題を持っている人とかそういう人に惹かれたりすることもあったように思うけれど今は、そういう人は、私にとっては単に「めんどくさい人」になりました。結局、そういう人に惹かれるのは、自分の中の孤独感とか満たされない想いがあってそれを見ないで、相手の孤独を癒すことで自分の満たされない想いを満たそうとしていたに過ぎない、ということがよくわかったからです。その人の孤独感や問題は周りがいくら埋めようとしてもその人自身が向かい合うことでしかなくならないことは、間違いなく。たまに、セッションでも、そういう方の恋愛に関するセッションを行ったりしますが自分自身の傷や孤独感を癒しシンプルな思考や感覚に変化してゆくとわざわざ、問題のある人、めんどくさい人に惹かれて苦労をすることもなくなってゆくのです。シンプルであればあるほどより楽に幸せに生きることができるし人からも愛される。そのことを時が立つごとに実感しています。あなたの周りにも、めんどくさい人いるでしょうか?(というより、あなた自身がめんどくさい人?)愛すべきめんどくさい人たちへ。自分のめんどくさい部分と向かい合ってどんどん手放してシンプルに生きよう〜(と、私もまだ自分の中にめんどくさいとこあるんだけどね)
2022年11月26日
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<業務連絡>昨日の朝、ベーシッククラスにお申し込みされた方にクラスのお知らせメールをお送りしました。もし申し込みされたのに、メールが届いていらっしゃらない方がいたらすぐにお知らせくださいね。さて、今日は、幸せについて。人それぞれ幸せだと感じる瞬間は千差万別ですが、二つの種類の幸せがあるなあと。1つは、何かをやっている時、自分が望んでいる状況や環境になった時何かを達成したり、得たりした時の幸せ感。もう一つは、何もしなくても、何も得ていなくてもただ今、この瞬間に感じる幸せ感。前者の幸せは、例えば、温泉に入っている時が幸せ、とか家族で美味しいものを食べている時が幸せとか好きなYouTubeを見ている時が幸せとか仕事でプロジェクトが上手く行った時が幸せとか人それぞれ、本当にいろんな状況やシチュエーションがあるでしょう。それに対して後者の幸せは、今の条件や行動には全く作用されない幸せ感。これは、人それぞれではなくて、人が普遍的にもつことが可能な幸せ感です。私は、若い頃から、幸せに生きる、ことを意識してきたこともあるし前者の幸せは、いつもいろんな瞬間に感じてきました。今も、例えば、新しいことにチャレンジするのも幸せだしセッションで、クライアントさんと繋がることもクラスでキネシオロジーの素晴らしさを伝えることができるのも自然や聖地を訪れることも幸せでさらに居心地の良い部屋になるように考えている時もみんなで乾杯できることも幸せ。こんなにたくさんの幸せを体感できる人生に感謝しかないけどでも、それは、やっぱりそれは行動や状況に左右される幸せなのだなあと。そして、私が最近、圧倒的に感じているのは後者の幸せの方です。以前は、朝起きると、私は大抵、起きた瞬間に自分がやりたいことに向かっていました。こんな絵を描きたい、と思っていたらご飯も食べずに、トイレさえ行かずに絵の具を持ってキャンバスに向かっていたし自己ヒーリングも、これをやりたいと思ったら朝目覚めた瞬間から、スキャンリストを開いて筋反射を取ることもしばしば。やりたいことがたくさんあって寝る時間がもったいなくて1日中、やりたいことをやっていることが幸せでした。でも、ここ最近、気づいたのは朝、起きた瞬間に、まだ何も行動を起こしていない状態ですでに圧倒的な幸せ感に満たされているということ。だから、しばらく、ベッドの中で、その幸せ感に浸ってしまうという、これまでの私にはなかった感じでいます。今、書いていて思い出したのが以前は、たまに、悪夢を見ていました。起きている時は、不安や恐れはほとんどないのにどうして、悪夢を見るのだろうと思っていたのですが今から思えば、当時は気づいていなかった恐れや不安があったなあと。これは、やっぱり、インナーチャイルドを癒したり前世やカルマをリリースしたりまたやはり、遺伝的な調整が大きかったです。例えば心の平安やリラックスに関わるレプティリアン遺伝人との深い繋がりに関わるグレイ遺伝幸せ感に関わる冥王星遺伝満たされ感や満足に関わるオリオン遺伝恐れや不安に関わる二ビル遺伝そういったものを少しずつ手放してきたこともあるしそして、ここ最近では、木星遺伝も意外に、私の後者の幸せ感に大きな影響を与えていました。そして、多くの人が得ようとしている幸せは、前者の幸せ。先日、個人セッションをしていたのですがその方が、常に予定が埋まってないと不安になると言われていて、なるほどなあと。つまり、その方は、前者の幸せしかなくて友人と食事したり、今後の発展に繋がる仕事での打ち合わせや旅行など、常に、行動や状況による幸せ感や人から必要とされる幸せを求めていて何もしなくても幸せ、という感覚が全くないので不安になってしまうのですね。こうなったら幸せなのに。と思っている人は、多いけれどでも、実際は、そうなっても幸せじゃない状況は常に出てきます。私も、これまで、予期しないことが起こって不安になったり相手の言動に怒りが湧いてきたりするわけですがその度、自分の内側にむかいあってその状況で、幸せ感を得るように変化させると不思議と、その状況や人間関係そのものが変化してゆくのを実感してきました。これは、達観することとは違って例えば、本当はストレスになっているのに頭で「これは、こんないいこともあったのだから」と理屈をつけてしまうと潜在意識には、幸せではない感覚が残るしまた同じような状況を生み出すのです。だから、まずは、ストレスをしっかり認識することも後者の幸せを得るためには必要なプロセスなのです。そして、この後者の幸せは、誰にでもこの瞬間に与えられている幸せです。たまに、幸せになります、とか幸せになりたいですという言葉を使う人がいますがそれは、永遠に幸せではない状況を生み出してしまうので幸せです、幸せでいます、という言葉の方がいいかなと。そして、自分の中の幸せじゃない感覚があったらそれを見逃したり、スルーしたりしないで「わかったよ。そこにいたのね。ちゃんと聞いてあげるからね」そう言って、どこからそれが来るのか、見てあげること。その上で、浄化したり、癒したり、調整したり。その時に、もちろん、相手や今の状況のせいにしないことは言うまでもなく。ほとんどの人は、幸せではない感覚を抱えて何かを得たら幸せになれるのだろうと、頑張っています。人によっては、不安感や焦燥感を紛らわすために何かに夢中になっていたり。でも、外に何かを求めている限りどこまで行っても、何をやっても、何か常に、次の幸せなことを求めることになってもし、それが叶わなれば、幸せではなくなります。私は、リトリートでも、夢や目標を叶えることや自己実現するために方法をお伝えしていて例えば、自己実現のためには、ビジョンを持つことや行動や継続が大切なのは、間違いないことですが意識の根底に、どれだけ、今、ここに存在しているだけで幸せというこの幸せ感を持っているかによってそのプロセスは、大きく変わってくるなあと思います。魂が幸せでいるための変容の方法それが多次元キネシでお伝えしていることの本質です。今日も、あなたが幸せでいますように🙏
2022年11月20日
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以前、豊かさのワークショップを開いた時に豊かさを妨げている問題リストを参加者の皆さんに配布したのですが120項目ぐらいある中で私自身の問題として、筋反射で調べてその時、上がってきたのがいくつかあってその中で覚えているのは一つは、先日も書いたけど「料金設定を安くしがちである」というのともう一つは、「新しいテクノロジーや技術を取り入れるのが苦手。なかなか始められない」というものでした。「新しいテクノロジーや技術」これは、ヒーリングの技術ではなくていわゆるITやコンピューター関係の技術のことです。それまで、普通にコンピューターは使ってきたので特に自分では、そんな問題があるとは認識していなかったのですが、よくよく考えて見れば確かにそういうとこあるなあとその時に改めて気づきました。例えば、私がズームを使い出したのは確か、コロナが始まる1年ぐらい前でしたが当時、元パートナーがクラスの復習会をズームで開いた方がいいと強く勧めてくれたことがきっかけで私自身は、「なんだか面倒そうだな~でも、復習会を開くためにはやらなきゃだめか~」と気乗りしないまま、スタートしたのです。でもそのおかげで、コロナになってからスムーズにズームでのワークショップを開くことができるようになって、助かったわけです。また、音楽制作ソフトのロジックもくれちゃんが「すぐにできるよ、絶対やった方がいい」と強く勧めてくれて、最初は躊躇していたのですがそこまで言うのだったら、やって見ようかな~でも、面倒そうだな〜と半信半疑で初めてみたら、すぐに問題なく使えるようになって本当やってよかった~と思ったのですが自分からは、けして始めようとは思わなかったものでした。そんな感じで、人から勧められない限りはIT関連で、自分で新しい技術を取り入れようとはしない人だったのですが特にそれを不自由だと感じたこともなかったので調整する気にもならずすっかり、忘れてしまっていました。でも、それが、いつの間にか変化していたのです。自分が変化していることに気づいたのはごく最近のことでした。インスタを始めたのは和美ちゃんの勧めがあったからですがやってみると「お~超簡単にリール動画作れるし、面白い!」となり、その流れで、MIdjounreyも自分から気軽に初めていました。(MIdjounreyは、ついやりすぎてしまいがちなのでここ最近は、クラスの準備のために、封印してますが)そして、最近、来月のベーシッククラスのオープニングでサムネ代わりに、1、2分の動画を流したいなと思いふと、そのぐらいだったらくれちゃんに頼まなくても、自分で編集できるかも?と、初めて、iMovieを立ち上げてやってみたら特に説明を読まなくても、すぐに使えるようになりこんなに簡単にできるんだと。もちろん、凝った映像ではなく、iphoneで撮った短い動画に、インスタ感覚で音楽とタイトルつけただけですがそれさえも、苦手意識があったのでこれまでやろうとしなかったのです。また、今、ベーシッククラスのスキャンリストを修正、編集しているのですがこれまでスキャンリストの編集は、たかしくんにお願いしていたので今回も、たかしくんに頼もうかな~と思ったもののちょうど今、彼にリトリート動画販売のための制作をお願いしていて、彼は、他の仕事もすごく忙しいのでこれは自分でやってみよう、とPagesでやってみたら、超簡単でああ、以前は、私は、こんなことも苦手に感じてやろうとしなかったんだなあと。よくよく思い返せば、私のこの苦手意識は結構あって、2020年の春にスキャンリストを製本する時に、データを持ってコピー屋に一人で行くのも億劫で、たかしくんにブルックリンのコピー屋さんまで一緒について来てもらったぐらいでした。もちろん、これからも、色々と人にお願いすることにはなると思いますが専門知識がなくても、自分で簡単にできるものやスキャンリストなど、クラスの度に変更したいものなど自分で作れると、すごく便利だということに改めて気付きました。そして、最近、MIdjounreyの流れでメタバースについて調べていたらふと、これは多次元のコミュニティに使えるんじゃないかと思いつきました。ちょうど、先日、ユニバーサルリトリートやクラスで学んだ後、何か質問が出てきた時に気軽に誰かに聞くことができる場が欲しいというリクエストがあってそれについて、考えていたところでした。でも、Facebookは今一つ乗り気がせずズームで時々、集まるのはいいけどそれだけでなく、いつでも、私がいなくても参加者同士がつながれるようなスペースがあったらいいなあと思っていたのでこのメタバーズの月極プランだったら24時間スペースをオープンできるので聞きたい時にそのスペースに入ってそこにいる人に、質問や疑問を聞いたりみんなで話し合うこともできるし2、3人で、気軽にお喋りするのもできるしいいかも、と。そう思って、早速、無料のお試しバージョンを作って、ちさとちゃんとたかしくんに「これどう思う?時間ある時に試してみて」とリンクを送ったら、「のりぴー、テッキー」とかいうので「え、何言ってんの。メタバーズと言っても、これ2Dだしこんなの誰でも簡単にできるからテッキーじゃないでしょ」と返したのですがその言葉で、はっと気付いたのです。確か、私、ちょっと前までこういうことに苦手意識あったんだよね?と。例え、多くの人が使っているものであっても人から強く勧められない限りけして、自分から新しい技術やテクノロジーを使おうとは思わなかったのにいつの間にか、自分でどんどん試したり、取り入れるようになってる〜自分では、全く意識していなかったのでいつからそうなったのか、定かではないのですが明らかに、インスタを始めるぐらいから感覚が変わっていたのでここ最近の遺伝調整の影響がありそうだな~と。では、なぜこれまで抵抗感があったのだろう?と意識を向けてみると、やったらできるだろうなとは思っているのですが一つのことをやろうとすると時間がかかると感じていたことに気付きました。私はヒーリングそのものに時間をかけたいのでその他のことや、IT関連のことなどには一切時間をかけたくないと感じていたのでした。でも、やってみると、全く時間はかからずすごく便利で、作っているのも楽しいし一気に世界が広がった感じがします。ああ、これは木星遺伝の影響だったのだと気付きました。木星遺伝、自分がやると決めたことは頑張るのですが基本が、「時間をかけて努力を積み重ねて発展して行く」と言う思考パターンなので、こんな風に手軽に取り入れる感じにならないのです。やるからには頑張る、みたいな感覚。もちろん、一つのことを探求したり、極めてゆくのには木星の性質はプラスに働くのですが楽にいろんな可能性を広げて行くことのブロックになるのだなあと。木星遺伝解除の予想していなかった効果でした。(そう言う意味では、すぐに新しいものに飛びついて継続できないマルデュックと正反対の性質です)年代の若い人は、そういう抵抗感や苦手意識はないでしょうが私ぐらいの年代になると、コンピューターやIT関連のテクノロジーへの苦手意識や抵抗感がある人結構、多いんですよね。人それぞれ苦手な理由は違うと思いますが食わず嫌い、と言うか、やらず苦手な部分ってあるのかも知れません。特に普段の生活で不自由を感じてないとずっとそのまま変わらないことになりがちなんですがでも、これからの時代に対応しながら豊かさや可能性を広げて行くために取り入れることができるものはどんどんやってみた方がいいですよね。「新しいテクノロジーや技術を取り入れるのが苦手」自分で作った豊かさを妨げるスキャンリストの中にあった文章でしたが改めて、これが豊かさのブロックになることを実感しています。それにしても、これまで新しいテクノロジーに抵抗や苦手意識を持っていても周りの人たちが勧めてくれたりヘルプしてくれたことでこうして、いろんなことをやれて人生の豊かさを広げることができたことに改めて感謝だなあと。これからも、いろんな場で人に頼ったり、お願いしたり、甘えたりしつつ同時に、自分の可能性や能力をさらに開いて行きたいなあと思います。
2022年11月17日
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セッションでもクラスでもリトリートでもそうですが短い期間でもどんどん変化する人となかなか変化しない人とがいます。その違いは、いくつかの要因があるのですがその中でも、セッションの中で変化できない要因として、最も出てくるのは「(自分の現実や感覚を)人のせいにしている人」と「自分の内面の問題を見たくない人または見ようとしない人」です。もちろん、自分の内面を見るというのはどこまでも深く見ていけるものなので例え見ようとしていてもなかなか自分では気づけなかったりしますがでも、何かが起こったり、感じた時に、それを自分の問題として捉えることができるかどうか?ということです。(これは、起こったことそのものが自分のせいということではなく)例えば「子供が宿題をしなくて、困ってます」という問題を感じていたとして子供自身が問題である、という認識だとそんなことを心配している自分の問題が見えてこないことになり、自分が変わらないのでその問題はずっと続くことになるのです。私たちは、家族やパートナーや親しい友人など、周りの親しい人たちとの関係を通じて自分の問題を見せられているわけです。私は、どんなことであれ、何か感情が動いたらその日のうちに、そこで気づくべき自分の問題を見ます。例えば、誰かに怒りを感じたとします。もちろん、そこで怒っている理由はあるのですが探すのは、その理由ではなくてなぜ私は怒りを感じているのか?なのです。例え、相手があり得ないような言動をしていたとしてもそこに怒りを感じる自分に、何か要因があるからです。怒りや感情そのものは、悪くはなく単にその要因が潜在意識にあるよ、というお知らせです。その時に、相手が~~だから私は怒っていると思っていたとしたら自分の問題は分からず、自分は変わらないのでそれは形を変え、人との関係において何度でもやってくることになります。実は、この「人のせいにする」という性質は日本人なら、ほぼ99%以上が遺伝的に持っている性質です。それは、何十種類のグレイ遺伝を日本人は、ほぼ全員が持っているからなのですが大切なのは、「あ、ここは、私は人のせいにしているな」と気づくということでそれに気付いた時点でそのグレイ意識と分離することができます。でも、完全にグレイ化している人はその言動が、人のせいにしているという意識から発せられていることに全く気づいていないのです。人のせいにしている人はほとんどの場合、プライドが高く、傷つきやすいため人から見下されたくないという想いが強くなります。だから、傷つかないように人から悪く思われないように人からばかにされないように自分のせいにされないように無意識に様々な防御線を張っています。そして、その意識が強ければ強いほど変化することはできないし宇宙のサポートも受け取れないのです。ライトサイドの宇宙系にしても、アセンテッドマスターにしてもあらゆる宇宙のサポートは、自分の問題を受け取って自分を変化させようという意識がある人に対してのみ作用するからです。今回のユニバーサルリトリートを受けられて何人か劇的に人生を変えた人たちがいたのですがその方たちを見ていると全てを自分の問題と捉え、自分を変えることを決めた人たちだなあと。その姿を通じて、感動を与えてもらいました。さて、一方で「人のせいにする」のとは反対の問題を抱えた人たちがいます。つまり、全てを自分の責任だと認識してしまう人です。実は、私も、長い間、その問題を抱えていて今は、もう自分にその傾向があることには気付いているので何かがあれば「あ、まずい、これは、私がやるべきことじゃなかった」と気づくことができるようになったものの遺伝的には、まだその性質を持っています。以前、普通にセッションの予約を取っていた頃よく女性のクライアントの方から「どうか私の旦那のセッションをやってください」と言われて、旦那さんのセッションを引き受けることがありました。その旦那さんは、奥さんに言われて渋々セッションに来られていたりするので自分が変わろうとか、自分に問題がある、という認識は持っておらず、セッションに来られるわけです。で、当時の私は「全く自分で変わろうとしていない人を変わろうという気持ちにさせるように持っていくのが私の仕事だ」という認識だったのであらゆる方法を使ってそういう方たちにアプローチしたり論理的説明を試みたりしていました。それらのプロセスの全ては、私の学びや気づきになったし中には、自分の問題に気付いて、大きく変化された方もいらっしゃいましたが結論から言えば、誰かに言われて仕方なくセッションに来られている人はやはり、なかなか変化しないということでした。今は「旦那をセッションしてください」とか「彼をセッションしてください」という要望に応えることはなくなりました。自分で望んで、セッションを受けたい自分が変わりたいという意識がなければなかなか変わらないしまた大抵は、彼や旦那にセッションを望んでいる彼女自身の問題ということもあるからです。それだけでなく、以前は不必要な責任を負っていたなあと今から思うことが、たくさんあります。この責任感が強い人全てを自分の責任だと捉えてしまう人たちに必要なのは自分の感情や気持ちは、自分の問題であっても起こっていることそのものは自分の責任ではなく相手が自分で解決するべき問題であったり相手に任せる必要があることだということを認識することなんですね。例えば、ユニバーサルリトリートでは動画を見てワークするという形なのである意味、動画を見ればいいだけなので誰にでもできるのですが中には、それさえもできない人がいます。例えば、「つい怠け癖が出て、動画見てません」とか「集中力が続かなくて」などという方は自分の問題でやってないのだということを認識されていますが人のせいにしている方は、例えば「子供がいるので動画を見る時間がありません」とか「旦那がこういうのをよく思わないので」とか人や状況のせいにしてしまうのです。で、以前の私は「それじゃあ、そういう人たちが続けれるように~~した方がいいのかな」などと考えて対策を取ったりしていたわけです。例えば、第1回目のリトリートの時に「配信時間が長すぎるので、なかなか動画が見れません」という声があった時もそれじゃあ、1回を短くして、何度かに分けようと変えてみたりしてました。でも、結局、こちらが何をどう変えようともやらない人はやらないのだということがわかってからはそういう声にいちいち応えようとするのはやめました。あの時、何人もの方から「長い動画で満足している人たちがいるのだし、長くても何度か分けて自分のペースで見ればいいのだからそれに合わせる必要はないのでは?」という声を頂いたのですがまさに、その通りでその人の都合で動画が見れないだけなのにそこに私が合わせたりする必要は全くなかったわけだなあと今は、本当にそのことが腑に落ちます。人や状況のせいにする人とそれに振り回される責任感の強い人。(その両方を持っている人もいますが)どちらも問題ですがやはり、人や状況にせいにして自分の問題を見ようとしない限り人生は何も変わらないのは、確かなことですね。グレイ意識を手放したら私たちの現実は大きく変わるのです。
2022年11月15日
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脳や身体は、使わなけば、退化してゆくそんな事は、みんな知っていることなのですが運動はしても、脳を鍛えることをやってない方結構、多いなあと思います。クラスなどを開くと「こんなに勉強したのは、学生時代以来です」なんて言う方もちらほらいるしまた、リトリートなどで、神聖幾何学を使ったワークなど「最初は、長く続けられませんでした」などと言われるのも、やはり脳を鍛えていない方が多いです。私たちは、脳に負荷をかけることが必要でそうしなければ、脳はどんどん退化、老化して行きます。✴︎よく適度なストレスが脳に必要と言われますがストレスと言うと、精神的、感情的、エネルギー的に害になるものと区別がつかないのでここでは、負荷をかけると言う言葉を使います。ストレスは、例えば、将来のお金の不安とか人間関係でのストレスなどそれは、脳にも身体にも負担にしかならないので調整したり、癒す必要がありますが例えば、筋トレで筋肉に負荷をかけて筋肉を育てるように脳も負荷をかけることで成長させ、老化を防ぐのです。私は、歳を取ったら、脳が衰えるとは、思っていなくて脳や身体に悪影響を与えているストレスがあったりまたは、脳に負荷を与えていないから脳が衰えるのだと思っています。ヒーリングにもいろいろなものがありますが例えば、レイキなどは、ストレスは軽減する役割がありますが基本は、身体に手を当てているだけなので脳への負荷は、ほとんどないヒーリング法だと言えるかなと。そして、キネシオロジーは、ストレスは、なくしたり軽減するために行いますが同時に、脳には負荷がかかるヒーリング法なのです。筋反射で上がってきた情報を脳が瞬時に処理して、次の動作に移ってゆくためには集中力や、言葉への理解や概念形成力などが必要だからです。だから、これまで脳を鍛えてこなかった人の中には最初、かなりの負荷がかかる人もいるのかなと思います。でも、それを続けて行くことでだんだん慣れてくるし脳は、さらに活性化してゆくのです。キネシオロジーに限らずこれは仕事にもよりますから例えば、日々、脳に負荷がかかるお仕事をしていれば、活性化されますがそれが、ストレスが大きい仕事だと、ストレスの害の方が大きくなるかもしれません。一方、仕事を全くされてない方は仕事以外で何かをやってゆくことが必要だと思います。人前で話すグループで話す何かを記憶するある程度、長めの文章を書く脳を刺激するような新しいことを始めるなど特に言語を使う事は脳に負荷を与えることになります。私にとって、個人セッションはほぼストレスフリーですがやはり、クライアントさんの話を聞きながら筋反射を取り、全体を掴んでゆくための集中力など負荷はかかります。でも、これは、もう何千回とやってきたことなので脳も慣れてしまって、今はそこまでの負荷にはなっていないのですがクラスやリトリートを開催するのは個人セッションよりは、負荷が大きいです。クラスやリトリートの準備やプログラム作成そう言うのは、もちろん、負荷はかかりますがストレスはないのです。でも、リトリートの最初の頃は、人前で話すことへのストレスはありました。もともと話すことがあまり得意ではない上にみなさんからの質問に答えるための咄嗟の判断に自信がなかったのもありそれを録画しなければならない、と言うのが最初は、ストレスでした。そのストレスは、何度か調整したのでかなりなくなりましたがストレスがかかることってなかなかスタートする気にならないものなんですよね。何年か前、YouTubeを人に勧められた時は「無理、無理、絶対無理」という感じだったのに、リトリートを通じてストレス調整したらあ、やってみようかな、とすんなりスタートできたので。やっぱりストレスはいらないなあと。例えば、自己ヒーリングは、結構やっているのに他の人へのセッションはなかなかスタートできない人がたまにいらっしゃるのですがそう言う方は、やはり人へのヒーリングがストレスだと感じていらっしゃるわけで例えば、先日書いたように「結果を出さなければ」とか「クライアントさんを癒さなければ」などというプレッシャーがあったりするとストレスになってしまいます。そう言うストレスは、手放してゆく。でも、完全に楽にやるのがいいわけではなくて負荷は必要なもの。リトリートのワークにも結構、脳への負荷がかかるものがあります。だから「これいつまでやらないといけないのかな~」ではなくて、浄化や調整しながらさらに脳も活性化している、と言う意識で取り組んでもらえたらいいなあと。何か達成しないと無駄、ではなくてそのプロセスが全て、自分に取ってのプラスになるのです。ということで、みなさまワーク楽しみつつ、頑張ってね。(いや、これはけして、喝を入れているわけではないの)
2022年11月11日
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昨日から、12月に開催のレベル2新ベーシッククラスのテキスト作成をスタートしました。これは、前回の筋反射クラスで配った資料にこれまでのベーシッククラスの自己ヒーリングの部分を加えて、まとめているだけなのですが作り始めて、改めて気づいたのは今回、多次元オリジナルスキャンリストを使うのでそれだけで前回の筋反射クラスとはかなり違ってくるということでした。このスキャンリストを使えばかなり、問題を深く掘り下げてゆくことができるし多次元キネシオロジーの基本的なやり方や自己調整の基本的はほぼ教えることができます。今回、このコンセプトに変更してつくづくよかったなあと。レベル2のベーシッククラスが自己ヒーリングレベル3の中級クラスが、他の人へのヒーリング去年は、自己筋反射クラスとベーシッククラスに分けていて自己筋反射クラスが多次元オリジナルスキャンリストを使わない方法で教えていたので、中途半端になってしまいベーシッククラスでいきなり他の人にセッションを行うことになっていたので手順や方法で戸惑う人も多かったのです。レベル2で自己ヒーリングを実践してさらに、深めたい人だけがレベル3に進めばいいしそうなると、レベル3を受ける人はもうすでに、多次元の基本的なやり方で自己ヒーリングを実践している人なのでレベル3でスムーズに行くのではないかなあと。ああ、そう考えると改めて、ガイドの指示する料金にしてよかったなと。でないと、レベル3以降のクラスとのバランスも取れなくなってしまうわけで調整し終わって見るとなぜ、あんな罪悪感があったのか不思議でした。過去世の影響って、改めてすごいなあと。で、一つ問題となるのは去年の自己筋反射クラスを受けて去年12月と今年1月のベーシッククラスを受けた人は問題ないのですがもし、去年、自己筋反射クラスを受けていてもベーシッククラスを受けてなかった人が来年のレベル3クラスを受けたいとなった場合去年の自己筋反射クラスでは多次元スキャンリストも渡してないし情報のつみあげ方も、詳しくは教えてないので戸惑うのではないかなということ。当然、来年のレベル3は今回のレベル2のクラスで教えたことはやらないので、去年の筋反射クラスと今年のレベル2を受けた人たちとは情報量に差が出てしまいます。う~ん、どうしたものだろう?そういう人はいないのなら、これでいいのだけど、と、またすっきりしない感があったのですが先日、たまたまYouTubeで「影響力の法則」の説明を見ていて、ああ、これか、とわかったのがその中で語られていた「一貫性の法則」多くの人は、一貫性があることに安心感を持つということで、だから、人への影響力を持ちたい場合一貫性を持たせるようにするということ。(必ずしも一貫性がいい、ということではなく)だから、例えば、言うことがすぐにコロコロ変わったり変更する人って、信用されないわけですよね。で、実は、私が持っていた謎の罪悪感というのはまさに、この一貫性がないことへの罪悪感なのでした。例え、今年が適正価格だとしても去年が、破格に安くやっているのでそれを変更することへの抵抗も一貫性のなさへの罪悪感。こういうヒーリングメソッドの場合より良いものを作っていこうとすると何年もかけながら、システムや方法の改良がや見直しが必要となってくるのである程度は、仕方ないことだとは割り切ってはいるのですがやはり、この一貫性を求める声も多いのです。ヒーリングメソッドでも創始者によって色々で例えば、リチャード博士などは一貫性は、全く重視していない人なので毎回、クラスの内容は違うしまた、もうマトリックスエナジェティクスはやらないと何年か前にやめたのに最近、また復活していたりします。私に取っては、その時々で自分が活用していく何かを掴めればいいだけなのでそういうのは、全く気にならなかったのですが例えば、特に資格や達成した感を求める人は一貫性を求める傾向にあるように思います。私は、2016年に多次元キネシオロジーをスタートして最初の大きな変更が、2018年にアルクトゥルスメソッドクラスをスタートした時。それまでのアルクトゥルスを使っていない中級クラスとは内容が一変しました。その後、2020年から、ユニバーサルリトリートをスタートしたことでこれが、多次元キネシオロジーのシステムに組み込まれることになりここ何年かで、また大きくシステムが変化しています。でも、先日、ちさとちゃんとたかしくんとも話していたのですが、今回の改定でやっと、多次元キネシオロジーの全てのカードが出揃った感じがあるね、ということ。もちろん、まだレベル6は開催していないし各レベルも、今後少しずつの変更や見直しはあるでしょうがやっと、納得のゆくシステムが出来上がってきたことが本当に嬉しく、同時にほっとしています。ということで、謎の罪悪感もワークしたので「再受講する必要はないです」と、クラスやリトリートを開催する度に言うことは、やめました。(気付けば、ほぼ毎回のように言ってた😅)だって、私がその罪悪感を持っているために今度は、再受講したい方たちが「これこれこういう理由で再受講しようと思っていますのでのりこさんは、罪悪感を感じる必要はないですよ」などと、また、わざわざ再受講の理由を説明してくれたりして(なんと優しい😭)もう、この私の面倒くさい罪悪感のおかげで人に余計な気遣いをさせることにもなりああ、これマジでいらないなと。一貫性のない私にお付き合いくださった方々ありがとうございます🙏(←とうとう開き直り)
2022年11月09日
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頑張ることこれについて書くのは、多分、1回や2回じゃないかな。同じ題材で書いても、言葉を変えるとちょっとニュアンスも変わるので書いてみようかと。日本語で「頑張る」って言葉はその時々によって、ニュアンスが変わる言葉だなあと思います。例えば、友人が「私、今度、日本舞踊の名取の試験受けるの」と言ったとして「わ~がんばってね」という言葉を、私たちがかける時それは、「応援しているよ」とか「合格することを祈っているよ」という軽い意味であって何も「絶対合格して」とか「努力が足りてないよ」とかそういう意味ではないのは誰でもわかるわけですもはや「頑張って」は挨拶の言葉の一つとして私たちの多くは、認識しています。でも、よく、うつの人には「がんばって」と言ってはいけないと言われますが、なぜか言えばうつの人は、今の状況になったのは「自分の努力が足りてない」とか「自分は頑張れない」のが問題だと思っているので「がんばって」の言葉を「あなたの努力が足りてない」という意味で捉えてしまうからです。よくインナーチャイルドへの声がけとして出てくる「もう頑張らなくていいんだよ」という言葉ですがこの場合の「頑張らなくていい」の意味は「無理しなくていい」「(親のために)我慢しなくてもいい」「悲しい時には、悲しい嫌な時には嫌だと言っていい」などという意味です。その人が、今、何を頑張っているかによって「頑張る」という言葉は意味が変わるんですよね。私たちが頑張ることは大きく分けて3つあると私は思っていて(1)自分がやりたいこと、自分が好きなこと、夢や目標など 自分の喜びや成長のために頑張る(2)人のため、誰かのために頑張る 親や子供、パートナー、家族、友人 クライアント、会社、グループ、社会のためなど(3)人から認められるため、人から評価されるために頑張る 一つずつ見てゆくと(1)は、例えば、英語で会話をしたいから、勉強するとか 自己ヒーリングを日々実践する、とか 展覧会に出展する絵を制作するとか 千差万別、いろんなことがありますが 自分の喜びや成長のために頑張ることです。 (2)は、例えば、ヒーラーなら、クライアントさんのセッションの ために勉強するとか 親が子供のために、手のこんだ料理を作るとか この作品を作って、社会のために貢献したい、とか 自分のためではなく、自分以外の人のために行うことです。 これは、実際は、本当に相手のためになっているかどうか の判断は難しいところですが あくまでも、自分が相手にこうしてあげたい、とか この作品を社会に届けて、多くの人に活用してほしい などというところです。そして(3)なのですが例えば、ヒーラーなら、クライアントさんに「セッション、よかったです」と言われるために頑張るとか、会社で上司に評価されるように頑張るとか素晴らしい作品だね、と人から認められたくて作品を作るなど他の人が自分をどう評価するか?のために、頑張ることで当然、これが最も問題となってしまう、頑張る、です。この頑張りは、結果的には、自分の喜びや成長のためにも人のためにもならないからです。インナーチャイルドの声がけの「頑張らなくていいんだよ」は、2と3のケースに適応される言葉なのです。子供の頃は、やはり1の自分のために頑張る喜びを実感することが大切で親のためにがんばって勉強するとか親に認めれるために、わがままを言わない、などをやればやるほどインナーチャイルドは傷つき安心感も自由さも自分軸も失ってしまいます。そして、子供の頃に親から認められなければ自然と、大人になると人に認められるために、頑張るようになりがちなのです。逆に人によっては、頑張っても認められないという思いで、自分のためにも頑張ることそのものをやめてしまう人もいます。そして、多くの人は自分が人から認められるために、がんばっているということを認識することもなく無自覚にやっているのです。そして、それを続けている限り本当に自分の魂が求めていることが見えなくなってしまいます。では、1の自分のためだけに頑張ればいいのかという話なのですが大人になって、夢を叶えたり自己実現のために必要なのは自分だけのために頑張ることだけでなく1と2のバランスだということに次第に気づいてきました。もちろん、英語で会話をしたいので勉強するとか身体を鍛えるために、筋トレをやるとか自分の成長や喜びのために頑張ることはいくら持っていてもいいのですが私たちの魂の声、魂が求めていることはこの1と2が、完全に一致しているのです。自分自身の喜びや成長のためにやることが人の喜びや成長のためになっている状態。私たちは、高次のレベルではつながっていますから自分のためと人のためが、一致するポイントがありそれが「魂レベルの声」なのです。(このあたりは、過去の私のユーチューブ動画でもお伝えしました)でも、その魂の声を聞くためには(3)の意識が強いとブロックされてしまい自分のためにやっているようで本当は、人からの評価が欲しくてそれが得られなくて、失望したり人のためにやっているようで誰のためにもなっていなかったり。そして、3を手放して1と2のバランスが取れ始めると宇宙のサポートと祝福が訪れるということをこれまで実感してきました。例えば、今回のリトリートの動画制作もこれは、誰に作ってと言われたわけではなくあくまでも、私が作りたいと思ったものですがでも「自分のため」なら絶対に作ろうと思わなかったし参加者に、こういうエネルギーや想いや存在を届けたいこれを見た人たちが、より高次元の存在と繋がれるようにという想いがあったからこそでした。私が作りたいものである必要があるけど全体のために作るものなのでそれを作るためには全体が何を必要としているのかを知る必要があるわけでそこで、高次元とつながったりメッセージを受け取ったりしていくプロセスが全て、私の喜びと成長のためのことにつながっていったわけです。だから、「自分のため」と「人のため」が一致している状態。これが、もし、参加者のためにはなるけど自分の喜びや成長にはならないとかまた、逆に自分のためだけのものだと単に自己満足に終わってしまいがちでどちらも魂の求めることではないのです。リトリート動画制作だけでなくヒーリングに関しては、私は全てそれでやってきたように思います。でも、人によっては、例えば何か自分が特別なヒーリングを行う力や能力を求めて頑張っている人もいてそういう人たちを見ているともちろん、感性はあるのですがヒーラーとしては、伸びないのです。かと言って「人のため」だけにやっている人はだんだん苦しくなってきて例えば「人のセッションをやるために自己ヒーリングを行う」という意識だと自己ヒーリングが義務になってヒーリングが楽しめなくなります。まずは、3は、完全に手放して認められるため、特別な人になるために頑張ることは、やめること。(これがある限り、何をどうやっても魂の道は開かれない)その上で、まずは「自分のため」だけにスタートしてみる。そして、ある程度のところまでやったら1と2のバランスを取りながらその時々で必要なことに、頑張る。あ、そう言えば、このブログ自体も私が書きたいことを書くいわば趣味みたいなものではあるけどでも、同時に読んでくれる人のためでもあります。自分の記録として書いている部分もありますがもし、ただ、自分のため、だけの日記だったら非公開にするだろうしそれは、どなたかわからないけど、ここに来て読んでくれる人のために自分がどう感じているかをわかりやすく言葉に変換しようとするわけでそれが、結果的に、自分の感覚と言葉をつなげるための時間にもなっているのです。例えば「ブログを始めます」と言って、始めるのは素敵なことだけど「今日は、鍋焼きうどんを食べました」そう書いて、鍋焼きうどんの写真を掲載されても読んでいる人たちは、何も得るものはないし(SNSには、そういう人たまに見ますが)もちろん、生まれて初めてブログやSNSをスタートしたのならスタートできただけでも素晴らしいけどそこは、徐々に「読んでくれる人のため」という意識が必要かなあと思うのです。そこに「これを書いて、人にどう思われるだろうか?』などという意識が働えばもうアップするの大変になってしまって続かなくなり自分のためでも、人のためでもなくなってしまうのです。これはもちろん、鍋焼きうどんや食べ物の話が問題ということではなくてそこで何を相手に伝えたいのか?の想いやエネルギー必要というか。例えば、お菓子作りが趣味で、よく作っている人がみんなにも、この美味しいお菓子を食べて欲しいなと「人のために」そのプロセスを短い動画にして配信するとか、そういうことで自分のためにも、人のためにもつながってくるものが生まれる可能性があるわけです。魂の声に従ったプロセスを進む。そんなことをボーッと考えているこの頃です。(ボーッとだから、いざ言葉に変換すると時間かかった)
2022年11月08日
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先日から、12月に行う予定の多次元キネシオロジーベーシッククラス(旧、筋反射クラス)の概要を決めていたのですが料金設定のところになって行き詰まっていました。以前、ガイドからも「料金設定を安くしがちである」と言われまた、トートからも「自分のやっていることの価値を低く見積もってはいけない」というメッセージを何度も受け取ってきましたがなぜか、これまでそこは調整する気になりませんでした。こういう時、ガイドに聞くと、大体私の考えている金額より高い金額を提示されるのでそれより安くするか最初から、ガイドのアドバイスを聞かないで料金を決めるということをやってきました。木星遺伝は、オーバーエナジー過剰に行う、過剰に与えるという傾向があります。私の両親も、例えば、お客が家に来て食事をおもてなしする時は相手が残すまで、出さなければならないという教えをしていた人だったし私も、それは同じでクラスでも、参加者が、この料金で、この内容はもう十分と満足するまで与えなければ気が済まないのでした。でも、木星遺伝が抜けてからそれは、明らかにやりすぎだったことに気づきさすがに修正しようと思っていたのですがでは、実際に料金をいくらにしたらいいのか昨日、ガイドに聞いてみて、びっくり。私が、これぐらいかなと考えていた金額の2倍でした。今回のベーシッククラス(筋反射クラス)は前回とは違って、多次元のスキャンリストをメールでシェアする予定だし5日間にしたので、もちろん上げるつもりではいましたがこれは、さすがに上げすぎじゃない?とガイドに何度も確かめたり筋反射でメッセージを聞いたのですが出てきたのは「罪悪感を手放すこと」「(たくさんの人を集めることよりも)本当にこれを学びたい人に向けてクラスを行うこと」「自分のやっていることに真の価値を見出すこと」というのが上がってきてガイドからのメッセージを聞いているうちにだんだん涙が出てきました。私は、ここに価値を置いていないの?いいえ。決してそんなことはないのに。私に取って、私が作ったスキャンリストや筋反射の方法や宇宙系遺伝の情報は何年もの時間とエネルギーを費やして宇宙から受け取って、築き上げてきた結晶であってこの人生の中で、宇宙から頂いた最も大きな宝物と思っているのに。いつも、そのことを宇宙に感謝してきたのに。いつだったか、クラスのみんなにスキャンリストや宇宙系遺伝情報を渡す時に「これは、私に取って、命の次に大事なものです。だから、どうか活用してね」と伝えたことがありました。でも、じゃあ、なぜクラスの料金を、何百ドルかあげることにそんなに抵抗感を感じるの?一つは、これはオンラインでのクラスであって対面ではない、というのがありました。対面でのクラスだったら例えば、長野でクラスを開くとして場所代も、移動代も、宿泊費もかかるわけですからそれなりの料金を頂くのに抵抗はないのですがオンラインでは、私は家にいてできるわけですから例えば、20ドルで40人参加のクラスと 40ドルで20人参加のクラスだと同じ800ドルが入るとして対面だったら、40ドルで20人参加になってもオンラインでは、20ドルで40人参加の方がいいなと思うわけです。でも、それがやりすぎるとその価値を下げることにつながってしまう。ああ、これは、きっと私の貧困意識が関わっているんだな、そう感じました。ここ最近、私自身は、豊かに暮らしていても私の周りの人たちの中に、貧困意識が見えると何かいたたまれない気持ちになることがあったのでここは、何かまだあるなと気づいていました。そして、覚悟を決めて、調整をスタートし出てきたのは、貧困と罪悪感に関する3つの前世でした。その1つ、インドの僧侶の前世が上がってきた時涙が止まらなくなりました。その僧侶自身も貧しかったのですが彼の周りにいる人たちは、みな貧しく飢えで亡くなる人もいてそれを見ていた彼は、命を救うことができない悲しみを抱えていました。私が泣いていると、サナートクマラからメッセージがあって「豊かさを妨げている怒りを手放しなさい」と言われました。その僧侶は、インドの富裕層たちが豪華な暮らしをしているのに、貧しい人たちに手を差し伸べなかったことに怒りを感じていました。最初は、それは、過去世の怒りで今生の私は、そんな風にお金持ちに怒りを感じたことは一度もないなと思っていたのですがふと、いや、違う、今生でも私怒りを持っていた、と気づきました。それは、富裕層に対する怒りではなくお金に執着して、本質を見失ってしまった人たちへの怒りでした。私が、これまでヒーリングやスピリチュアルのセミナーやクラスを受けてきた中でほとんどは、妥当な料金だったしIHヒーリングのように、この内容でこの料金は安すぎると感じるものもありましたが中には、内容の割には、料金が高すぎると感じるものもあったし実際に、クラスを受けなくても、見ただけであ~これは、内容はほとんどないのにお金儲けしか考えてないワークショップだなとわかることもありました。私は、こんな人たちにはなりたくない、とどこかで思っていたことに気づきました。だから、調整したくないとどこかで感じていたのだなあと。まずは、キリストが来て私の過去世と今生で出会ったお金に執着するあまりに本質を見失ってしまった人たちに対する赦しをサポートしてくれました。自己ヒーリングでインドの過去世が出てきたのは今回、多分、初めてのことでした。昔は、インド大好きだったのにいつの間にか、一生行かなくてもいい国の一つになっていました。それは、インドで貧困の人たちを見たくないという思いだったことに、改めて気づきました。エジプトも貧困層は多いですが人をだましても、したたかに生きているエジプトの人たちを見るとそんな悲しみは湧いてこないのですがなぜか、インドでは見たくないと感じていた理由がわかりました。その後、ガネーシャとラクシュミが来て豊かさのサポートをしてくれました。ラクシュミから「あなたがより豊かになってゆくことでそれがみんなに共有され豊かさのサイクルができるのですよ」と言われて、ああ、そうだったと改めて気づきました。思えば、自分で料金を設定しなければならないヒーリングの仕事を初めてからというものこの料金設定の問題は私がずっと抱えていた問題でした。やっと、ガイドの提示した料金でベーシッククラスを開くことの決心がつきました。ここに、価値を見出してくれる人たちが参加してくれたらいいなあと願います。
2022年11月05日
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昨夜は、ちさとちゃんとたかしくんと3人での会合でした。会合というか、単に食事&飲み会なのですがこうして、この3人で、2、3ヶ月置きぐらいに会ってご飯食べるようになってからもう何年になるのかしら。なぜこの3人で会うようになったのか、いつからそうなったのか、もうよく思い出せないです。もともと、二人とも私がレイキを教えていた時のクライアントさんなので、出会ったのは多分15年ぐらい前のこと。今は、誰に対しても、セラピストとクライアントという立場の違いは、全く感じないのですが当時の私は、バーバラアンブレナン博士の本を教科書のようにしていてセラピストとクライアントはプライベートで付き合ってはいけないという教えを守っていたので尚更、こうなったのは、不思議だなあと。で、この3人で会うと、毎回そうなんですが例え、開店と同時にレストランに入っても必ず、最後のお客となって店の人に、もう閉店です、と言われるまで3人で、話続けているのです。時には、そのまま店の前や、帰りの道の途中で話を続け、本当に話が止まらない。なぜ、この3人は、一緒にいて居心地がいいのかしら?と昨日、ふと考えてみたのですがまず、3人という人数がいいということに気づきました。これが5人とかになると、どこかのタイミングで3人と2人に分かれて話していたりするのですが3人だとそうはならないし例えば、一人が何かを話してそれについて、もう一人がどう思うか考えを話すのを聞きながら、なるほど~と新たな気づきにもなるしそれで、またもう一人が自分の思いを話すことでさらに深まってゆくという2人で話している時とは違う広がりを感じるのです。さらに、この3人でいる時は自分が話す量と、聞く量のバランスがいい。セッションでは、クライアントさんの話を聞く必要があるので自分の話や自分の意見は一切話さないのが大切なのですがプライベートの場では一方的に相手の話を聞いているのは疲れるし逆に自分が話すだけなのも、居心地が悪いのです。この3人だと、人の話をしっかり聞きつつ自分のことや、自分の意見を話すというバランスが取れているので長時間話していても、全く疲れず、ただ楽しい。そして、私に取っては、この二人はビジネスや仕事が出来てクールで知的なのですが感性も深いのがいいのだなあと。昨日も、ちさとちゃんの話を聴きながら「なんだかその話泣ける」とたかしくんが言って涙ぐんで、私も同じように感じていたのでその言葉で、一気に涙腺が緩んで涙、という場面があったのですが二人のそういう感性が好きなんだなあと。そして、二人とも、多次元キネシオロジーのことを真剣に考えて意見を言ってくれることが本当にありがたく。昨日も「私、本当にやりすぎていたのがわかった。前回の筋反射クラスで、あの料金で、あそこまでの情報を詰め込んでやったのが、問題だと二人から言われた意味が、やっとわかった。あの筋反射クラスこそ、多次元キネシオロジーの全ての基本で、あれこそがベーシッククラスなのだ、ということに改めて気づいた」という話をしたら「もうやっとわかってくれた~~ずっと二人で言ってきたのに~。話、聞いてないんだから。木星遺伝解除してくれて、わかってくれてありがとう」と二人に言われました😅もっというなら、今は、筋反射クラスを受ける前にユニバーサルリトリートの参加が必要なのだからあれをベーシックにした方がいい、という意見もありユニバーサルリトリートの内容はキネシオロジーではないのでそこはどう取り扱うか、迷うところなのですが。ということで、ここ最近の流れはユニバーサルリトリート ↓筋反射クラス ↓ベーシッククラス ↓アルクトゥルスメソッドクラスとなっているのですが、ユニバーサルリトリートの内容は今回作った動画教材を入れて、今後、ビデオ学習としてそれぞれが学べるようにする予定なのでユニバーサルリトリート →多次元ワークプログラム ↓ ↓筋反射クラス →ベーシッククラス ↓ ↓ベーシッククラス →中級クラス ↓ ↓アルクトゥルスメソッドクラス →上級クラスという流れにしようかと思っています。今のベーシッククラスは、ベーシックと名付けていますがもし、あれをきっちりやれたなら十分にプロとしてやっていける内容なので実は、もう中級レベルだなあというのは以前から思っていたことでした。そして、アルクトゥルスメソッドクラスは自分としっかり向かい合う覚悟とやる気がないと無理なのでもうかなり上級なのだなあと。では、ベーシッククラスよりレベルアップしたいけどアルクトゥルスメソッドクラスを受けるまでには行かないという人たちが結構多いので、その中間に位置するようなアルクトゥルスのガイドがいなくてもできるキネシオロジーのクラスを作った方がいいというアイデアを二人からもらいました。なるほどな〜と。ガイドがいなくていいのだったらアチューメントを行う必要はないのでクラスの希望者は誰でも受けることができます。もし、アルクトゥルスメソッドクラスを上級クラスとして位置付けると「ああ、このクラスを受けるのは、それなりにセッションをやってないと難しいのだな」という認識になりますが中級クラスとして位置付けているがゆえにベーシッククラスの内容でのセッションをほとんど実践していない人も申し込まれることになってしまっているわけでそこの問題が解決できるのかも。となると、このアルクトゥルスメソッドクラスの内容自体も見直すことになるのでしょう。どちらにしても、来年4月に開くのは、アルクトゥルスメソッドクラスになると思いますが来年の課題として、検討して行きたいと思っています。この二人が、率直にいろんな意見やアイデアを伝えてくれたことでこうして、やっと、多次元キネシオロジーの全体のシステムが形作られてきたので、本当に二人には感謝しても仕切れないなあと。(って、二人の話、聞いてなかったらしいけど)人との出会いは、人生の中で何よりの宝物だなあとつくづく感じています。
2022年11月04日
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今日、アルクトゥルスメソッドクラスを希望されている方の中でリーディングを希望されていた方、33名のリーディングがすべて終わりました。まだ2、3名は、これから申し込みたいとのことなのでまた行うことになりますがとりあえず、アイルランドに行く前からずっと気になっていた大切なお仕事が終わってほっとしています。33名をリーディングしていて気づいたことがいろいろありました。人それぞれ今の状況も親との関係や家庭環境も仕事も年齢も違いますがアルクトゥルスのクラスのアチューメントを受けるために、この方に何が必要なのか?という視点から見ていくとなるほど、こういう思考や性質だから今、こういう状況になるのね、ということが見えてくるのです。なぜ、自己ヒーリングを続けることができないのか?なぜ、自分の深い部分を見ようとしないのか?なぜ、自分の感覚を抑圧してしまうのか?その要因を一人一人、見ていくと人それぞれ違っている部分もありますが何人かに共通している問題や要因もあってこれまでの経験も今の状況も全く違うのに人が抱えているものや思考って共通していることが多いなあと改めて感じます。さて、人それぞれ、いろんな問題はありますが夢を叶えたり、自己実現のブロックとして問題なのは、何をやっても最初だけで続かないということ。これは、ヒーリングやキネシオロジーの世界だけではなくあらゆる分野でやりたいことをやろうとする場合に起こり得ることです。世の中、自分が本当にやりたいことがわかりませんという方が結構、いますがやりたいことがわからない人というのは例えば、食べ物で何が好きなのか全くわからないとか、旅行でどこに行きたいかわからないというのと同じことでそういう人って、実際は滅多にいないです。どんな人でも、これ面白そうとかやって見たいと、一度や二度は何かをやったことがあります。でも、結局続かなかったから、やりたいかどうかわからなくなったというだけで。やりたいことがわからない人ではなくてやりたいことが続かない人が世の中には、たくさんいるのです。で、なぜ続かないのか?なのですが、これに関してはいろんなレベルの要因がありますがその人の持っている思考である事は間違いなくその思考がどうしてできるかの要因の主な要因は、子供の頃からの経験と遺伝です。で、その経験も遺伝もいくらでも変化させることができるし私はキネシオロジーを通じてこの調整方法を教えているわけなんですがでは、それらを変化させないと続かないのか?夢をかなえられないのか?というと、そうではないのです。例えば、もし、これが仕事となれば、ほとんどの人はモチベーションとかやる気とか関係なくやるわけで結局、お金をもらってやることは続けることができてもお金をもらっていないことや責任がかからない事は続かない、ということになりがちです。だから、ただ自己ヒーリングをやっている人よりお金をもらって、人にセッションをやりながら自己ヒーリングをやった人の方が確実に早く上達するし、どんどん自分自身が変容するのは間違いなくてもうそれは、例え、スタート地点は同じぐらいの実力や意識でも半年間で、信じられないぐらいの差が出てきます。ヒーリングを学んだ後仲間内の練習会だけやっている人がいつまでも変化しない、上達しないのはそこに理由があります。仕事ではないからです。私は、最初から、そのことを感覚的にわかっていたので最初にキネシオロジーを学んだ時もクラスを受けて、帰ってきたその週にはもうクライアントさんにセッションをやっていました。もちろん、全く経験がないので最初は1回のセッションが40ドルぐらいからのスタートでしたがどんどんやり続けていて日進月歩で気づきや変化がありました。「1000回セッションやったら、とりあえず一人前(プロのスタート地点としての)だな」これは、最初にキネシを学んだ本間先生の言葉ですが全く私もそう思います。今、上級の認定プラクテショナーのテストは最低100回のセッションをやった人にしているのですが以前、私はIHヒーリングをやっていた頃は1回約2時間半~3時間のセッションを1日4回、週6日のペースでやっていました。つまり1ヶ月に80~90回ぐらいのセッションを何年も続けていたので正直なところ、100回ぐらいのセッションはやろうと思えば、1ヶ月あれば十分達成できる回数だと思っていました。1ヶ月は、大変でも少なくとも、3ヶ月あれば、十分なのです。3ヶ月間、一生懸命やったらある程度の経験者にになれるのにほとんどの人はやろうとしない。なのに、いつかプロのヒーラーになれたらいいな~と夢見つつ、時々、自己ヒーリングをやっているそんな人たちが、すごく多いのです。もともと持っている実力とか、才能とかほとんど関係ない。ただやるかやらないかだけの違い。最も、問題なのは、ヒーリングの場合技術や知識より、その人の持っている意識やエネルギーが大切なところがあるので中にはまだ、人にヒーリングを行うレベルにはいない人もいるしまたは、実力はあっても、グラウンディングが弱くて人からあまりにもエネルギーを受けやすい状態の時や身体が弱っている時には自己ヒーリングや他の人のセッションを受けながらじっくりやってゆく必要がありますが多くのケースでは、お金をもらいながらどんどん人にやって、自己ヒーリングしてゆく方が遥かに変化や伸びが大きいのです。仕事となれば、責任があるし自己ヒーリングも、しっかりやるしかないわけですから。あと、いついつまでに~すると決める事も大切です。時間制限を決めない限り私たちは、永遠にやらない生き物なのです。私は、自分のそういったところも、わかっていたので決めたら動いて、もうやらざるを得ないように自分を持っていくようにしていました。例えば、2016年に自分のキネシオロジーのメソッド(多次元キネシオロジー)を立ち上げて教えると決めた時もまだ、クラスのプログラムは、1行も出来ていないのにクラスの参加者を募集してクラスの場所も予約して、場所代のお金も支払うということをやってもう絶対にプログラムを作らざるを得なくなるように自分で状況を持って行きました。このリトリートもそうでした。もし、最初に動画やプログラムを作ってできてから参加者を募集しようと思ったら多分、永遠にやらなかったでしょう。私たちは、自分で自分を追い込まなければ永遠に何もしない怠け者なのです。ま、怠け者でも、夢を叶えなくてもその人がそれでよければ、全く問題はないんですけどね。でも、もしどこかで、そんな願いや夢があるのなら人生の中で、ある期間だけでも真摯に取り組んでみるのは大切かなと。ある程度の基盤ができてしまえば後は、そんなにがんばらなくても楽にやって行けますから。あ~~今日は、朝からアルクトゥルスメソッドクラスの参加者に向けて喝を入れるメールをしてその勢いで、このブログをアップしているので少しコーチングっぽい内容になってしまったかも。でも、今朝メールした後、何人もの方に「目が覚めました」「やれるところまでやってみます」「自分と向かい合う決心をしました」「涙が止まりません。心が震えました」というお返事を頂いて、私も涙。私の方は、木星遺伝が抜けて、かなり、ゆるゆるなのに人には喝を入れているという😅これも、ガイドからのメッセージもあってそうしているんですがたまには、こうして喝を入れてみるのもいいかな~と。みなさまの検討を祈ります!(あ、頑張りすぎている人は、力抜いたり、人に甘えたりしてよ〜)
2022年11月02日
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ここしばらく、ゆっくりと時間をかけての自己ヒーリングは行っていませんでしたが昨日から、本格的に再開しました。遺伝調整としては、木星遺伝を解除した後はアイルランドの前に、ロボット系遺伝を2種類調整してからその他は、軽い浄化や過去世のカルマリリースなど行っていましたがここ最近、浮上しているのが平凡意識に関する遺伝でした。平凡意識は、誰もが持っている一般的なものではニビル遺伝がありますがその他、ウンモ遺伝やタリス遺伝などがあり私は、まだどちらも持っています。これまでは、特別意識よりは平凡意識の方がましだと思っていたこともあって調整する気にならずそれが特に問題だとも感じていなかったのですが木星遺伝が抜けた後これらの平凡意識の遺伝の性質を前面に感じるようになりました。これまでは、木星遺伝由来の「進化したい」「成長したい」というエネルギーがウンモ遺伝やタリス遺伝からの「平凡意識」や「限界を作る」「安定志向」という性質を上回っていたので進み続けることができたのだなあと。木星遺伝の性質の方が、私の性質としては大きかったのですが、でも、時々顔を出すこの平凡意識が様々なことの抵抗になっていたことに改めて気付きました。例えば、コロナになったばかりの時最初に、ちさとちゃんとたかしくんが「オンラインでお話会を開きましょうよ」という提案をしてくれた時私が第一声に、二人に言ったのは「いや、お話するって言ってもコロナに関して私がどう捉えているかはブログに書いてるしわざわざ私の話を聞く必要はないでしょ」いうことでした。その根底には「ごく普通の人である」私の話をみんながわざわざ聞く意味ってある?という感覚でこれがまさに「平凡意識」からだったのだなあと。結局、その後、ガイドからのメッセージがあったのでみんなにとって、これ意味あるのかな?と思いつつもお話会を行うことになりその流れで、ユニバーサルリトリートにつながったので本当に、あの時やってよかったな~と思ったのですがもし、この平凡意識が前面に出てくれば行動の妨げになるということに改めて気づきました。特別意識も不要だけど、平凡意識も不要であるということは、頭ではよくわかっていましたが特別意識の遺伝は、すぐに調整してしまおうとするのに平凡意識の遺伝は、調整する気にならなかったのはもし平凡意識がなくなってしまうと傲慢になったり、自惚れてしまったりすることをどこかで恐れていたのでした。ほとんどの人は、傲慢さや自惚れを持っていてこれは遺伝的にオリオン遺伝やマルデュック遺伝やアガルタ遺伝などを持っているので、当たり前なのですが多くの人は、自分のどこが傲慢なのかは気づいていなくて逆に自信のなさの裏側に自惚れや傲慢さがベースにあることもあるのです。例えば、キネシオロジーや筋反射のクラスを受けてまだ2、3日目なのに「私は筋反射が取れないので、もう諦めるしかないでしょうか』とか「私はもうプロにはなれないのでしょうか?」などという方は、学んですぐにできるようになる、とかやったこともないのに、プロになるつもりなので自信がないのではなく、自惚れが強い人と言えるのです。自信というのは、努力や継続の先にしか生まれないものだからです。私は、幸い、この平凡意識を持っていたおかげなのか最初から上手くできなくて当たり前という認識の人だったので上手くやれなくても、継続してこれたしまた、セッションを何千回やっても自分は特別に何かができるという意識もなく誰でもこれだけやれば、できるのは当たり前という感覚でした。つまり、木星遺伝+平凡意識、だったわけです。この平凡意識があったからこそ多次元キネシオロジーを立ち上げたとも言えるかもしれません。最初の頃は、この普通の私がやれているんだからある程度、誰でもできるでしょ。という認識がありました。ところが2016年に多次元のクラスをスタートして気づいたことはクラスについてくるのも大変な人やクラスが終わってから継続できない人たちがいるということでした。私にとっては、私はあくまでも普通の人なのでなんですぐに諦めるのか、続かないのかよくわかっていなかったのですが、クライアントさんの遺伝調整を行うにつれ木星遺伝を強く持っている私のようにやれる人の方が少ないのだということに気づくようになりました。私の方が普通じゃなかったのですから私を基本にプログラムを作ってはいけなかったわけです😅そんなことに気づいたのも、ここ最近のことでこの平凡意識が良くも悪くもいろんな問題にもなっていることにここ最近、改めて気づいてきました。でも、私のハイヤーセルフは平凡意識の遺伝を解除する許可は出さず内観して感じてみると自惚れや傲慢になるのが怖いと感じる自分がまだいるのがわかりました。以前、これに関してのインナーチャイルドは癒したことがあってというのも、私の両親ともに、特別意識や自惚れを良しとしなかった人だったからです。でも、今回は、インナーチャイルドが抵抗しているのではなく、ではなぜここまで平凡意識を手放したくないのかと思った瞬間に、トートから「ホルス神殿へ行け」というメッセージがありました。ホルスとつながるのではなく、ホルス神殿?よくわからなかったのですがふと、少し前に自分のインスタにホルスの神殿に入ってゆく時の1分間ぐらいの映像をアップしたことを思い出し、そのインスタを開いて見てみました。その途端にボロボロと泣いていました。(自分のインスタ見て、号泣してる私って。。。💦)ああ、なぜ、平凡意識が手放せなかったのか手放したくなかったのかが、よくわかりました。私は、あるエジプトの過去世で自分が傲慢だったために、選択を誤ってしまい人を助けることができず、そのために死後もハイヤーセルフは罪悪感を持っていたのでした。思えば、この感覚は、小学校の頃からあったなあと。小学校の頃、私は先生や親やクラスメイトから褒められたり、尊敬されることがよくありました。でも、その度に、嬉しいどころか、居心地が悪くそんな風に褒められると私は自惚れてしまうのではないかという恐れが湧き上がってくるのです。ああ、これは、この過去世からの感覚だったのだあなと。だから、私のハイヤーセルフは平凡意識を持ち続けることで私が過去の過ちを二度と犯さないようにしていたのです。平凡意識でいることが安心これ、私の母も同じようなものを持っていました。母は、よく「普通が一番」「平凡でよかった」と言っていましたが母は、家が神社で、両親ともに神主という普通じゃない家に生まれ育ったからこそ普通でいることを求めそこに安心を見いだしたのかもしれません。ということで、やっと、この平凡意識の遺伝調整の許可がハイヤーセルフから降りたのですが調整はこれからです。これがなくなったら、どんな感覚になるのかまだわかりませんが。もし、すごく傲慢になってしまったらその時は、また調整するとしましょう🤣私たちはどこまでも変化していけるのですから。
2022年10月30日
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昨日は、1日中、Midjourneyのワードを研究して結構イメージに近いのが出てくるようになりました。これは、私が住んでみたい家のイメージで作成したもの。ワードの中に、スペインの建築家ガウディのような建築と入れたら、妖精の家みたいな可愛いデザインが出てきました。昨日、アップしたストーンサークルは自分でも描けそう、と思ったけどこんなのは、さすがに描けないなあ。面白くなったので、家の中もリビングルームやベッドルームやキッチンなど様々な言葉を入力して、自分のイメージに合ったものを何枚か作りました。このリビングルームは、ワードに苦労して何回も入れ直したもの。「リビングルーム」という言葉を入れるといくら部屋の詳細を入れてもイメージにあうものが出てこなかったので「ドーム型の室内ガーデン」と入れてみたらイメージに近いものが出てきました。実際は、こんなたくさん物がある部屋は、ケアが大変だし、本当に住みたいわけじゃないのだけどでも、緑がたくさんある家って素敵だなあと。そして、セッションルームも作ってみようと思い「マッサージベッド」をワードで入れたのだけどなぜか AI は、マッサージベッドを認識できず。「クリスタルボール」も認識できませんでした。それで「ヒーラーが住んでいる部屋」「たくさんのクリスタル」などと入れたらこんなのが出てきました。これはさすがにクリスタル多すぎでしょ〜(浄化するの大変そう🤣)例え、自分のイメージを言葉で詳しく伝えても、出てきた画像を見ると全然違った画像が出てくることもあり「え〜?この言葉を、こう捉えられてしまったか〜」となることも多く。例えば、「a egg shaped bed」と卵型のベッドをオーダーしたのに普通のベッドの横に、卵型のオブジェが置いてある画像が出てきたり。Googleで「a egg shaped bed」で検索すると私のイメージ通りのものが出てくるのになぜだろうと。このあたり、Midjourneyが一般的なものとして何を認識しているか?がよくわからないから、逆に面白いというのもありますが。結局、ベッドルームのベッドは普通にして壁をギリシャのCave風に。さて、昨日1日 midjourney やっていて改めて気づいたことなんですがインスタもそうなのだけど、こういうのは中毒性があるなあということ。もともと私は、キャンパスに絵を描き出したらほとんど食べず、寝ないで、描き続けるし曲を作り出したら、ずっと作っているようなそんな人で、何かをやりだすと、それがなんであれ止まらなくなって、バランスが取れない人だったのですがここ最近は、調整したことでかなりバランスが取れるようになっていました。ところが、昨日は、最初は1時間ぐらいmidjourneyやったら自己ヒーリングして、あとはリーディングしようと思っていたのにも関わらず、結局全く1時間じゃ終わらず何時間も続けることになっていました。これ、ヒーリングや絵や音楽を夢中でやり続けている感じとはちょっと違うなということに後から気づきました。もちろん、実際にキャンパスで絵を描くのとコンピューターに絵を描かせるのとは全く目的も意味も違うわけですが後者は、即効的に結果が出てくるのが中毒性を生むのだなあと。いくつかのワードを入力しただけでAI が1分以内には、絵を描いてくれる。なので、例え思うようなイメージが出てこなかったとしてもじゃあ、このワードを変えてみよう、とか簡単に試せるし、すぐに変化が出るから次々と試したくなる。一方、実際に絵を描くプロセスはそんな風にはいかないわけでまずは、絵を描く前にキャンバス張りからスタートだしキャンパスに描き始めても絵がイメージ通りに行かなかったら地道に描き直したり、しばらく絵を眺めて自分が求めているものが何なのかの感覚を掴んだりそんなプロセスや時間が必要となってくるわけで即効的に完成品なんて出てこないわけです。先日、初めてMidjourneyをやってみた時は子供の頃から、AI アートとかこんなツールがあったらいいだろうな~と思ったけれどもし、子供の頃にこんなのををやったら実際に、キャンバスで自分で絵を描こうなんて気持ちにならなかったかもしれないなあと。すぐに結果が出てくるものをやっているとすぐに結果が出てこないものをやろうという気には、なかなかならないのです。ここ最近、短い動画が主流になっているのも多くの人は、このネットの世界に触れるにしたがってどんどんと、すぐに結果を求める傾向になっているのかもしれません。ヒーリングやキネシオロジーはあるレベルまで行けば、大抵のことは結果や変化を出せるようになるし筋反射も、すぐに自分の今の感覚がどこから来ているのかがわかるとても便利なツールですがでも、そのある程度のレベルに行くまでに多くの人が挫折してしまうのはすぐに目に見える結果を求めてしまうから。便利な世の中だからこそ、私たちの中で、失われてしまうものもあるのかもしれませんね。すぐに結果が出てこなくてもコツコツとやり続けてゆく。リトリートの宇宙の旅の中でいくつかの星から受けとったメッセージの中にもそんなメッセージがありました。いつもたくさんの気づきを与えてくれて、ありがとう。ということで今日は、Midjourneyやインスタはお休みすることにしてしっかりヒーリングやクラスの準備に取り掛かりたいと思います。(ここで言っておくことで、そちらにフォーカスして行かないと)
2022年10月27日
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去年のエジプトの旅では、どこに行って何をするか全てトートのガイダンスに従って決めましたが今回のアイルランドの旅ではいくつかのストーンサークルを選んだときにガイドに聞いたこと以外はほとんどガイドやマスターからのアドバイスを求めず、筋反射も使わないで、流れのままに和美ちゃんと相談しながら、自由に決めました。和美ちゃんが「今回は、のりこさん、マスターやガイドに全く聞かないのね」と言った時に、そのことに改めて気づきましたがアイルランドでは、学ぶ必要があることもないしアイルランドにいるだけで幸せでどこに行って、何を見たとしても良かったのでガイドやマスターたちにアドバイスをもらおうという気持ちにならなかったのです。むしろ、今回、訪れたストーンサークルやドルメンのほとんどは、和美ちゃんが見つけてきて「ここに行ってみる?』と教えてくれたところで和美ちゃんに勧められるがまま、訪れていました。でも、それがすべて結果的に私自身にとってベストのところに行くことになったわけであの過去世が出てきたゴールドウェイのアイリッシュバーでさえ和美ちゃんが検索して見つけたところだったし人に任せることや、流れに委ねることの大切さも感じています。もちろん、これは、その時々の人や状況によって変わるところでたまたま今回はそうなったのですが自分が主導権を取り、選択することが必要な時と周りの人に委ねることが必要な時と両方があるなあと思います。最初に訪れたこのドルメンも、和美ちゃんが探してくれたところ。 @Kazumi Sakurai旅だけでなく、ガイドやマスターたちは常に私の自由な選択を受け入れてくれています。でも、ここぞと言う時には、いろんな形でメッセージをくれることが多いのでその時はありがたくそのメッセージに従うことが多いです。それは、私がどこかではわかっていても頭では全く意識しておらず突然のように言われるまで気づかなかったこともあれば何かがちょっと気になって私からそのことを質問して尋ねる時もあります。例えば、このようにブログをアップする内容もざっと思いつくまま書いた後何も考えずにアップする時もありますがふと気になって、ガイドに聞いてみる時もあってそう言う時は大抵「この部分は削除」とか「ここの部分は変更」とか出てくるのでなるほど〜、と納得して削除、修正します。この「ふと気になって」と言うのがすでに大切なメッセージなんですよね。そして、それは、いつも多次元的に起こっているのでこれが正しい、と言うものも何もないんです。例え、それが自分の真実を表す言葉でないのにそれをアップしたとしても。それはそれでいいと言うかまたいつか気づく時がくるでしょう。例え失敗しても、上手く行かなくてもトラブルがあったとしても全て自分にとって、必要なプロセスだと言うことが根底にわかっていればいつも安心して選択することができます。ただ一方で、わざわざ不要なトラブルや困難を招くような道を選ぶ必要はないのでそこはしっかり見極めることも必要だなと。だから、ここぞと言う時にはマスターやガイドからのメッセージをしっかり受け取って選択してゆくことが、私にとっての自由な選択でもあります。私自身で感じたり考えたりして、選択しても周りの人に委ねて、選択してもマスターやガイドのメッセージを聞いて、選択しても結局、全て、自分自身の自由な選択。だから、その選択から得ることができる結果への責任は常に自分自身にありますがでも、どうなったとしても宇宙からの愛とサポートは、常に与えられていることを何かにつけて、受け取っているので安心して失敗することができるのです。これはイメージですがマスターやガイドのような高次元の存在にとって私たち人間を見守り、導いてゆくプロセスは親が子供を見守り、導いてゆくプロセスと同じなのだなあと。親は、子供のどんな選択も、またその選択からの失敗も受け入れ子供自身がそこから学び、気づいてゆくプロセスを見守ってゆくでも、本当に必要な時にはその子が本来あるべき方向へと進んで行けるように導いてゆくガイドが私に対して行っていることは時には、何も言わずに暖かく見守り時には、小さなヒントを与え時には、厳しくも本質的な問題を指摘する。そんなプロセスを見てゆくにつれて親が子供をどう育ててゆけばいいか、とかリーダーがみんなをどう導いてゆけばいいのか、などそんなことを伝えてもらっているような気持ちになります。日々、大なり小なり起こる様々なことから改めて気づいて、反省したりそこからの自分の思考や感覚のズレに気付いて調整したり。でも、そのプロセスが最近は、以前のような激しさではなく緩やかな流れのように進んでいるような感じです。(と、油断はできませんが😅)ああ、本当は、今日は、こう言うことを書こうと思っていたわけじゃなかったのだけどなぜか、こんな話になっていました。何だか、ちょっとクリアではない感じがあるのだけどこのままアップします〜
2022年10月08日
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先日の「アイリッシュバーの思い出」と言う日記にアイルランドのゴールウェイのバーで過去世の記憶のような感覚を味わったことを書きました。それに対して、特にセッションをする気はなかったのですがその後、アスローンで自己調整をやっている時にその過去生が上がってきたのです。そのアイルランドの過去世で、私は愛する妻を病気で亡くしていました。その時の私は、彼女を助けることができなかった罪悪感と深い孤独感を持ちながら毎晩、地元の音楽が演奏されているバーで過ごしていたのでした。そこで過ごしている間は、私は常連の仲間や友人に囲まれながら、好きな音楽を聴いてその孤独感を感じないでいられたようでした。その情報が上がってきて、やっと私はあの時、なぜ、バーから家に戻りたくないと思ったのかを理解しました。あの日の夜、演奏が終わってバーにいた人たちが帰り支度を始めた時私はなんとも言えない寂しさを感じていたのです。実際には、家(ホテルアパート)では和美ちゃんが待っているにも関わらず帰ることが、寂しいと感じるなんておかしいなとは、どこかで思っていました。(後で、和美ちゃんから聞いたのはいつまでも私が帰ってこないので心配してくれていたそう)それは、アイルランドでのその過去世で私は妻がいなくなった家に戻りたくないと感じていたその感覚だったのでした。その感覚をありありと思い出して、泣きました。そして、私は、この旅の終わりに一つの小さな変化を感じました。私は、3年前に離婚した後、普段の生活の中ではほとんど孤独感は感じませんでした。離婚が決まった時は、20年近く一緒にいたパートナーが突然いなくなるのですからもっと孤独を感じるだろうと思っていたのですが実際は、それからずっと忙しかったこともあるし友人との繋がりやマスターたちやガイドの愛のエネルギーによって守られている感や深い繋がり感があって寂しさを感じることはほとんどなかったのです。でも、何度か、どうしようもない深い孤独感を感じたことがあってそれが、旅から、家に戻る時だったのでした。離婚した直後に、和美ちゃんと旅したマルタ島&トルコからニューヨークに戻る時に私は、それまで感じたことがないような孤独感を感じていました。旅から家に戻っても「お帰り」と言ってくれる人が私にはもういない。だったら、ずっと家に帰りたくない。その孤独感が、突然、私に襲ってきて押しつぶされそうになりました。でも、その孤独感を感じていたのはトルコを出発してから家に戻るまでの間だけで実際にブルックリンの家に戻った後はすぐにそれはなくなって、また感じることはなくだから、その孤独感を癒すことはすっかり忘れてしまっていました。そして、次の旅から戻る時にまたその孤独感が上がってきて、思い出したのです。誰でもいいから私に「お帰り」と言って欲しいそう思いました。でも、また家に戻れば、すぐにその孤独感は忘れてしまってあ~やっぱり家は落ち着くな~となるのです。旅から戻ってくるその瞬間だけその孤独感は、表に出てきました。そして、今回のアイルランドの旅の終わり私はその孤独感を感じることはもうありませんでした。和美ちゃんと別れる瞬間だけは、涙が出ましたがその後は、家に戻ることができる安心と幸せを感じていて、全く孤独感は感じなかったのです。ああ、あの旅から戻る時に感じていた孤独感はこのアイルランドの過去世からの感覚だったのだと。今回、その孤独だった過去世を実感を持って癒すことができたのはこのアイルランドの旅の一つの恩恵かもしれません。残っている想いやエネルギーが解放される時はいつもパーフェクトなタイミングで起こることを感じています。 @KazumiSakurai
2022年10月06日
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今夜は、翔平くんの投手として登板の日です。げんを担ぐというのは、アメリカ人にもあるんですね。エンジェルズの実況スレで「自分がトイレに行くと、翔平がホームラン打つ」というようなコメントがあれrば周りの人たちが、「君は、ずっとトイレに行っていてくれ」とか言ってるしエンゼルズが劇的勝利を治めたら「わかってるな。俺たちは、明日も、試合前に今日と全く同じことをやるんだ」とかコメントがあって、笑ってしまうのですがその気持ち、すごくわかるわ~。翔平くんがどんな活躍をするのか勝つのか負けるのかこれは、もうすでに決まっている運命なのだと思わないと、リアルタイムで見ているのは本当、緊張します。胸がドキドキの緊張ではなくて身体に力が入ってしまう感じの緊張感。自分のことで、こんなに緊張することってほとんどないのにね〜。ということで、今日は、運命について、たらたら話してみようかと。よく運命は変えられるのか、つまり、自由意志があるのかそれとも、運命は変えられないもので私たちの自由意志はないのか?と言った問いがあります。私が感じていたことはこれは、どちらも正解と言えるなあということ。例えば、何かを変えたいと努力して自らの運命を切り開いた人は自由意志でそうなったとも言えるし努力するという才能も含めて、与えられた運命だったとも言えるわけですから。先日、私が気づいたように自分がやりたいことを努力することができるというのは、実は魂の声を受け取っていないとできないことなのでもうそれ自体が、才能とも言えるし運命と言えるのだなと。例えば、翔平くんは、才能に恵まれていてさらに努力もすごいというように、才能と努力を分けて考えてしまいがちですが実際は、魂の声を聞くという才能があるから努力することができるわけであれだけ努力することができるというのが、すでに才能であってその才能を与えられた彼の運命の道なんですね。だから、運命は、魂の選ぶ道なんだなあと。そして、私たちは、魂の道に従うことができるかどうか。何回か前のユニバーサルリトリートの中で対面リーディングを受けた方へマスターから伝えられたメッセージの中でこんなものがありました。これは、彼女に与えられたメッセージだけれど普遍的なメッセージだと思います。宿命とは私達が生まれついた人生のことです。そして、そのカルマを手放す選択をする自由さを与えられました。それが、運命です。運命とは私たちの魂が選んだ人生のことです。私たちには自由意志があります。この瞬間は私達が同意する時だけ、運命になります。運命に従うためには勇気と信念が必要です。すでに用意された道を進むか新たな道を切り開いていくかです。あなたは宿命ではなく運命の人生を歩むことを選ぶのです。それはあなたの魂の呼びかけに応えて生きることです。なるほど~。宿命は変えられない生まれ持ったもの運命は自由意志で変わってゆくもの。でも、その魂の道を選ぶには、勇気と信念が必要で最初から、その勇気と信念を持ってない人は選ぶことができないのだから結果、運命を生きることはできずすでに用意された道に進んでゆくのだなあと思うわけです。今回のユニバーサルリトリートで対面リーディングを行ってきましたが前回のリトリートで行った匿名でのリーディングと圧倒的に違うと感じていることはこの運命に関わっている自由意志の力でした。みんなの前に顔を出して自分の問題をさらけ出すことは自分を変えたいという強い信念と勇気がないとなかなかできないことであってだからこそ、宿命を超えて、魂の道に生きる道が開かれてゆくのだなあと。そして、またその対面リーディングに選ばれるというのも運命と言えるわけです。ということで。。。あなたは今、あなたの運命を生きていますか?どちらにしても。今日も、ここに来て、このブログを読むという運命を選んでくれてありがとう〜(そう。ここに来るのは、あなたの運命なのです)←いよいよやばい人になってきた今夜、翔平くんの試合をリアルタイムで見るということだけは、今の私にわかっている未来の運命です
2022年09月10日
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さて、ロボット系遺伝を2つ調整してからというものこれまで言葉にはできなかった想いや感覚が言葉として認識するプロセスが日々、自然に行われているのを感じています。頭であれこれ考えて、言葉を見つけ出すのではなくて例え、ボーッと歩いていても、あ、そういうことなのか、と突然のように、感覚と言葉が繋がってゆく感じ。ああ、これが意識が広がるプロセスなのだなと。’よくスピルチュアルで「意識の拡大」とか「魂の成長」と言う言い方をしますが何かを経験することそのものが意識の拡大や魂の成長をもたらすわけではないんですよね。もし、たくさんのことを経験した人が魂の成長を遂げるのだとしたら魂の成長のためには波乱万丈の’人生を送った方がいいわけですが決してそうではないわけです。ふと思い出したのが私が25歳でニューヨークに来てすぐに友人が、リチャードバックの本を勧めてくれて(その友人は、くれちゃん)私は、すぐにリチャードバックが大好きになったんですがイリュージョンという本の中に「人生で最悪のことは、最悪のことが起こることではない。何も起こらないことだ」というものがあって当時の私には、おーまさにまさに!と、それまでの自分の物の捉え方や生き方と共感したわけです。で、その考え方や意識というのは当然、波乱万丈人生を生み出したり刺激を求める生き方につながってきます。でも、私自身の内なる変容とともにいろんな方々を見てきた中で必ずしも、いろんな経験をしている人が魂からの声や宇宙の真理に気付いているわけではないことに、気付いてくるわけです。結局、何をどう経験しようとも自分の本当の想いや感覚に気づきそこから魂からのメッセージを見つけない限りは起こったことや経験自体には何も意味はないということを。例えば、何か重い病気になったとして病院に通い、治療して、それで回復したという経験自体には何の意味もないけれrどもし、その病気によって身体からのメッセージや自分が本当はやりたくないことをやっていたことなどに気づいた時にはそれは、意識の拡大や魂の成長につながるのです。リチャードバックの言葉を借りるなら「人生で最悪のことは、最悪のことが起こることではない。自分の感覚を何も受け取らず、魂の声を聞かないことだ」 (こんなの出ました~)そして、私たちが受け取ったたくさんの感覚やエネルギーが言葉として認識される時私たちの意識はさらに広がり魂はまた一歩成長するのだなあと。それは、まるで、物に名前があるということを理解していなかった子供の頃のヘレンケラーが、井戸の水に触れながらそれに水という名前があるということに気づいた瞬間のように。感覚と言葉がつながる瞬間。私たちの内なる感覚が、言葉になる瞬間は人として、魂の声を聴きこの宇宙の真理を学ぶプロセスそのものなのだなあと。言葉を超えたところに真実はあって言葉には言い表せない愛があってそれは決して、どんな言葉を繋いだとしてもそれそのものを表すことはできないけれどでも、それでもなお私たちは、自分の感覚や気持ちや愛を言葉にしてゆくことがこの肉体を与えられている私たちに必要なプロセスであっていえ、上手く言葉に表せずそこに葛藤や誤解や抵抗が生まれるからこそ自分自身の内側に、さらに向かい合いそれが、私たちの「意識の拡大」や「魂の成長」につながってゆくのだと。みなさんから頂いたメールを読みながらそれぞれの方が、自分の中の真実を伝えようとその葛藤や抵抗を感じながらも言葉として紡いでくれた、その想いやそこにあるエネルギーこそが、愛そのものでした。私にたくさんの愛と言葉を与えてくれて、ありがとう。今日も「日刊のりこ」にお越しくださいましてありがとうございます〜(お~、まだ日刊配信続いてるぞ~)
2022年09月09日
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今日は、先日のリトリートの女性性ワークの感想として頂いたメールから。ワーク動画の中で、過去生で傷ついた女性たちに続く「女性を傷つけることで傷ついた男性」の部分で何だか感情がものすごく上がってきてものすごく泣けてきて、あれ?これ何だろう?過去生だろうな~と思いつつワークを終えて長い放課後を楽しんだその夜シャワーを浴びながら気が付いたことがありました。いや、これは過去生もあるかもしれないけど今生で、自分が自分に対してやっていることなんだと。私は私の女性性を受け入れていないしずっと蔑ろにして存在していないかのように扱っているんだと。なんなら女性であることさえあまり好ましく思っていないなと。最近、更年期障害になっていることに気が付いたのですが、どうして私はそんなに女性らしくのないのに更年期障害なんかにならなきゃいけないの!って不思議に思っていたのですがこれは私の女性性を全く大事にしてこなかったことから起こってきていることでもあるんだと。そしてまったく五感を楽しませることをやっていない五感で感じる快楽をずーっと軽んじてきたなという事に気が付きました。食べ物もどちらかというと口に入れば何でもいいというような人ですし・・。肉体で感じる快楽にこだわることはそれこそ女々しいと軽蔑するようなところがありました。だけど、私の中の女性の部分を労わってあげること、楽しませてあげることそれは五感を通して満たしてあげることが出来るんだっていうこと。そして五感で感じる心地よさを本当は渇望しているんだという事。そのことを体も訴えてきているんだと思いました。私の女性性をずっと蔑ろにしてきたから最近なんだか生きる気力がなくなってきているんだなあと。それこそ女性を傷つけることで傷ついた男性は今の私の事でもあるんだと。これから今まで蔑ろにしてきた分も含めて私の女神に尽くします。素晴らしいワークをありがとうございました(*^-^*)ああ、なんという気づき。自分の中の男性性が女性性を抑圧しそれによって、男性性もまた傷つけていたことに気づかれたのは、素晴らしいなあと。すごくよくわかります。私も、少し前まで、身体が休みを欲しているのはわかっていてもそれでもがんばらざるを得ない(と思っている)状況で女性としての私に申し訳ない気持ちでいました。でも、あまりにも男性性が強く目標達成型思考で感覚を抑圧して頑張っている方は、それさえも気づかないでいる方も多いのですね。そうすると、女性の場合すぐにホルモンや内分泌系のバランスに影響して更年期障害やPMS、甲状腺機能低下などにつながってしまいます。身体は、本当にそのままのメッセージを伝えてくるなあと。五感を楽しませる、五感を満たすことの大切さ素晴らしい気づきを伝えてくださって本当にありがとうございます。さて、私の方はというと木星遺伝を調整してからというもの時間の流れや生活のあり方が変化して緩やかな時間の中で、でも、その時々でやるべきことはしっかりとやれている感じがしています。もちろん、クラスやリトリートの準備などやるべきことを見れば、山ほどあるのですが以前は、それを全部一気にやってしまいたい気持ちが出てきてバランスを取るのが難しかったのに今は、1日の中でも、適度な休みを自然と入れつつやりたいこととのバランスを取ることができるようになって、そんな自分に驚いています。子供の頃、夏休みの宿題が楽しみすぎてテキストをもらった初日に、最後のページまで一気にやってしまうような子で絵を描き始めたら、ご飯も食べずに描き続けるとか徹夜でプログラムを作り続けるとか好きなこと、やりたいこととなると気をつけないと、永遠に続けてしまう私にとってはやりたいことを一気にやろうとせずに身体の感覚に従いつつ、自然なバランスでやっている今の状態は、とても新鮮なのです。あ~これが、女性性と男性性のバランスが取れている状態だったのか~と改めて実感。リトリートでも、3時間半の配信の中で時々、トイレ休憩を入れることなど参加者の方から言われない限りは全く気づかなったのですが先日のリトリートで、初めて私からそこに意識が向かうようになって参加者の方から、助かります〜と言われました。私は、3時間どころか日本ーニューヨーク間のフライト12時間であってもトイレ行かないような人で(どういう膀胱してるの?)例えば、10時間以上のセッションが続いても全く休みを必要としない人だったのですがそれが、ここ最近は3、40分集中して何かをやるとちょっと、一息入れようとかコンピュターから離れて、ストレッチしょうという気に自然となっているのです。(女性性のバランスが取れたというよりやっと、普通の人間になったというレベルかも)そして、身体の感覚に従ってゆくとこの方も言われているように五感を満たすことが自然とできるのですね。昨日、メンバーのちさとちゃんとタカシくんと食事に行ったのですが最初に待ち合わせたバーがかなり大音量で音楽が鳴っていて人も一杯で入った途端、あ~これはもう無理~となりました。以前なら、最初はちょっと気になってもお酒飲んでるうちに、気にならなくなって大声で話していたりしたのですがそれって、身体の感覚を抑圧していたからできたことだったのだなあと。そんな大音量や人混みが五感に心地よいはずはないわけですから。ということで、昨日は、ここは無理~と私が言ったので、1杯も飲まずすぐにバーを出て、たまたま近くにあった静かなシーフードレストランに入り落ち着いて、ゆっくりと話ができました。身体の感覚に従ってゆく心地よさとバランスこれからも保って行きたいなあと思います。
2022年09月07日
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