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さて、先日、私は2種類のロボット系遺伝の遺伝調整を行ったのですが調整をスタートして見ると、予想していた以上に2つの遺伝とも、海馬、海馬傍回、歯状回など記憶の中枢をかなり調整する必要がありこのロボット系遺伝が、かなり私の記憶力に影響していたことがわかりました。言葉を使うのに、記憶力が必要なのは誰でもちょっと考えればわかりますがあの言葉が出てこなかったリトリートの会で「今、話したことがもう記憶にない」とか「今日、話そうとしていたことが思い出せない」という状態を私はひしひしと味わっていたのでまさに、ロボット系遺伝が前面に出るとモロに記憶力に影響することを体験したわけです。そして、たまたま、そのロボット系遺伝の調整を行なった直後に私の古い友人からのメールがありました。それにお返事しようと、書いていたら私の中で、彼女と過ごしていた30年ぐらい前の感情や感覚がありありと思い出したのです。日本を離れ、そして、ニューヨークに来た後もたまに、彼女と会って話す機会があれば彼女は「のりちゃんは、昔、こんなこと言っていたのよ~」と20代の頃の私の話が出てくることがあって大抵は、私のとんでもない言動だったりするのですが私は、いつも全くその時のことを覚えておらず「わ~そりゃひどいね。ひどいやつだね」と言って、二人で笑うことがありました。それは、もう彼女が冗談のつもりで言っていることはわかっていたし、昔話を楽しんでいるつもりだったのですが、一方で、私の中で、私の若い頃って、何もわかっていないのに、傲慢でほんと嫌なやつだったんだな~みたいな過去の自分への印象がいつのまにかありました。でも、今回、彼女のメールを読みながら何かを感じている私がいてそれを紐解いてゆくとあの20代の頃の私が、何を感じていたのか?なぜ、私がそんな言動を行なったのか?が思い出されて、初めて理解できたのです。当時から、ずっと私は、彼女の言動やエネルギーに対してある違和感をいつもどこかで感じていてでもそれがなんであるのかがわからずいや、違和感を感じていることさえ認識しておらず、でも何かは感じていてだから、彼女とは長い付き合いなのに深いところではつながることができないもどかしさを無意識に感じていました。そして、たまたま、ロボット系遺伝の調整を終えた直後に受け取った彼女のメールからそのもどかしさを、今も持って’いることに気づいたのでした。今日のタイトルに使った言葉『言葉にならなかった気持ちや考えはなかったことになるのでしょうか?』という問いかけは今回、言語を上手く話せないと言われていたある一人の方のメールに書かれてあった言葉でした。(多分、「考え」というのは、すでに言語化されたものを指しますから、ここでは「感覚」と変えました)言語化されなかった気持ちや感覚は記憶として残っていなくてもそれは、まだそこにずっとあるのです。そして、それは、まるで言葉として見つけ出されるのを待っていたかのようでした。それが見つかった瞬間私は、長い間かかっていた霧が晴れてゆくかのような感覚になりました。当時の私は、自分の感覚を言語化できずだから、もちろん、伝えることもできずでも、なんとなくの違和感だけは無意識で感じていてだから、そんな言動になってしまっていたことを改めて理解して若い頃の私が、単に傲慢だったわけじゃなかったことがわかって、涙が出ました。ああ、子供と同じなんだなと。例えば、なんの理由もなく不機嫌になったりする子がいてもそれは、理由はあるのだけどただ言語化できないからそういう対応になってしまうわけです。でも、ほとんどの人は、大人になるにつれてそんな対応をしないためにもだんだんと、自分の感覚を抑え「大人な対応ができる人」になっていくのだろうなあと。幸い、私は、20代の頃にニューヨークに来てそして、比較的、自由に自己表現できる場に身をおいたこともあってそこまでの感覚の抑圧はなかったように思いますがそれでも、感じているのに、見逃していた想いや感覚がたくさんあったことに気づきました。今回、その失われていた感覚を見つけ、言葉として表すことができて私は、初めて、彼女に私がこれまで感じていたことを率直に伝えそして、これから本当に深いレベルでつながりたいと思っていることを伝えることができました。だからね。今日、私からお伝えしたいことは、言葉にならなかった気持ちや感覚もずっとあなたの中に残っているということ。だから、焦ることはないしいつかそのタイミングが来たらそれを見つけ、解放する時がやってくるということ。今日も「日刊のりこ」お読みくださってありがとう。
2022年09月06日
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「日刊のりこ」のお時間ですまずは、最近、頂いたメールからのシェアを3つほど。送ってくださった方々、ありがとうございます。何人かの方が仰っていますが私も自分の感じていることを言葉に表現することは苦手です。というより、自分が何を感じているのか受け取ることが苦手なのだと思います。でも、のりこさんのブログや皆さんの感想を読んでいてお伝えしたくなりました。前回のリトリートの時には、改めてのりこさんは本当にオープンで包み隠さず在りのままを表現されていて素敵だなあと思って見ておりました。そして、皆さんの反応や感想からも温かさや学びが生まれていることを感じ改めて、このリトリート号に搭乗してよかったなあと思います。この一連ののりこさんの変容の過程を粒さにブログに綴って頂いていることでもうこれ自体が一つのプログラムというか私たちの学びであり、リトリートの一部になっています。こうして宇宙は本当に創造的な方法で学びをもたらしてくれるのですね!のりこさんの変容の様子を目の当たりにさせて頂いて宇宙系遺伝の影響の大きさをひしひしと感じています。これまでこれが自分と思っていた感覚がなくなっていく。。。でも、その先には自分の本質があり喜びがあること。のりこさんは私たちの先を歩いてまさに身をもって変容のプロセスそして意識の深遠さを示して下さっています。まだまだ道半ばですが、私たちにその道を指し示し導いてくださっているのりこさんのその勇気と情熱に心から感謝です。そして、いつも素晴らしい映像と音楽を作って癒しをサポートしてくださっている、くればやしさん、してサポートのちさとさんとたかしさんにも心から感謝いたします。他の方もそうなのですが、スーッと入ってくる文章でとても言葉にするのが苦手な方とは思えないです。こうして想いを、そして感謝を伝えてもらえることの喜び。なんと幸せなことなのか。本当にありがとう。そして、これは別の方から前回のりこさんが木星遺伝調整されて間近で新しいのりこさんを拝見できて私自身生き方を変える事ができてきました。今までは常識的な事が頭にあって時間に遅れないや、約束を守る等たとえどんなに体調が悪くても仕事は絶対休まない人に心の中や感情本心を見せないで頑張る自分がいました。今回の事があって、素直ってこんな感じなんだって気づけた気がします。仕事中でも今までは人に頼る事が出来なくて自分でなんとかやろうと頑張っていました。自分では頑張ってるつもりはなかったけどやっぱり頑張ってたんだって気づけて今は出来ないことを出来る人に頼る事や素直にわからないからお願いしますと言える自分がいます。わからない事を素直に伝えたら、皆んなが協力してくれたり助けてくれたり、私は感謝してありがとうをいっぱい言ってそんなシンプルな日々が、身体や心に負担をかけない楽な生き方なんだなぁと気づく事ができました。感謝しかありません🥰❣️この方、すごいなあと思うのはあの前回の私のリトリートの私の様子を見て彼女自身のあり方を見直しすぐに生き方を変化させていることです。もともと、かなりの内観力と感性を持っている方なのだろうなあと。私が、そのままの自分でいたことでこんな変化につながるとは。とても嬉しかったです。ありがとう。そして、これも別の方から。のりこさんとの出会いは(後述しますが)宇宙のお導きだと思っています。ユニバーサルリトリートは2回目ですが、感想などこれまで送ったことはありませんでした。実は私も、自分の感じていることを言葉にすることが得意ではなく、メールはいつも途中で諦めて送れない人です(笑)長くなるとどこか端折りたくなったり修正に修正を重ねていると最初のパッションは失われるし内容にも自信がなくなっていったり。。😅前回のリトリートですが、私はとても嬉しくなりました😊いつも聡明で明晰なのりこさんが、そうでない自分を包み隠さずそのままで続けてくれたことで私も、そのままでもいいんだなあと思わせてくれました。しかもそれがとても可愛く見えたんですよね♪そして、守ってあげたい!とも思いました。ダメダメな自分でも受け入れてくれる人がいるところで私も生きていきたいと強く思いました。放課後のお話でも、だらだらと話す方などを拝見して(笑)気負う必要ないんだなー、と自分もそのままさらけ出して話すことができそんな優しいコミュニティに自分がいられることはとても幸せなことだなぁと感じています。なので最終回の延期は、うれしかったりします😊のりこさんの変化を目の当たりにして私まで引き上げられる気持ちになっています。ところでブログ、泣きながら読んでいました😭もうまさに、私も考えと言葉が結びつかないことで彼といつもいつも衝突してしまっていたので、ものすごく救われた気持ちになりました。長くなったので、割愛しましたが、この方は、私のブログとの出会いの経緯も書いてくださっていてうつ病をきっかけに、ダマヌールで検索をかけそして、ヒットした私のブログに宇宙系遺伝のことが書かれてあってこれだとすぐに感じたのだそう。伝えてくださって、本当にありがとう。あの時、守ってあげたいと思ってくださって嬉しいな〜。優しいコミュニティ、私も本当にそれがありがたくて。このリトリートをずっと続けていたい気持ちになるのです。そして、先日の放課後に参加された方々のお話を聞いてみなさん、それぞれに、いろんなことを感じ気づき、変化していかれているんだなあと。例え、それがその方の経験や想いの断片であったとしてもその方の真実の言葉で、率直に語ってくださるのを聞くと心に響いてくるし私の中で統合されて、一気に世界が広がっていくようなそんな気持ちになります。よく、スピリチュアルで言われていることにグループソウルという概念があります。グループソウルというのは同じ意識や波動を持った魂の集まりを指すのですが例えば、コップの水、全体がグループソウルだとするとそこから一滴、分かれて落ちた水滴が、今生での私たち一人一人で私たちは、この人生を通じて、様々なことを体験し亡くなると、またコップに戻ってゆくつまり、私たちそれぞれの経験はグループソウルのものとして蓄えられてゆくということなのですが。それが、亡くなった後、行われているわけではなくてすでに、今、生きているうちに行われているという感覚が、ここ最近、強くあるのです。私が感じたり経験したことが他の誰かの中で響いて変容を起こし逆に、他の人の経験や感じたことが私の中で変容や気づきをもたらし一つになっていく。私は、私だけの経験で成り立ってないし他の多くの人が感じたことや、気づいたこともいろんな形で私の中に溶けて統合されてゆくのだなあと。あ、それともう一つ。今回ではなく、前回のリトリートに参加してくださった方から、何人か頂いたメールなのですが私が、今回のリトリートのことをブログに語っていることで置いてけぼりの気持ちになって焦ったり私も参加すれば良かったという後悔したという方がいらっしゃって。そして、私は、そういう方たちに申し訳ないなという気持ちがあったことにも、最近気づいたのですが。でも、私の中では、前回のリトリートに参加してくださった方も、もちろん大切でいや、リトリートは参加されてなくブログだけでつながってくださっている方もグループソウルだと感じる方もいらっしゃって。だから、どんな場であってもハートでつながることって、できるなあと。今は、そんな気持ちでいます。今回のリトリートでなくてもまた何か別のところで、お会いできる時もあるかもしれないし。だから、今日も、ここにきてくださったあなたへ。この場で、つながってくださってありがとう
2022年09月05日
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今日は、第11回目のリトリートの日です。そんな日の朝も、こうしてブログをアップしているなんてちょっと前までなら、信じられないなあと。毎日続けてブログをアップ’するのは今日で13日目ですが2009年から続いているこのブログでここまで連続してアップしたことは、多分なかったです。(旅の間は、割と頻繁にアップしてますが)もちろん、毎日必ず続けようとかは全く思ってはなくてたまたま、今は、この流れなのですが(マジで、日刊にする気はないよ~)とにかく、ここ最近は書きたい気分が高まっていて伝えたい言葉が、次々と出てくるので不思議です。昨日のブログをアップしてからまた、何人もの方にメールを頂きました。アルクトゥルスメソッドクラスを受けられて彼女と同じような感覚でいたという方やこれまで言葉が上手く繋がらずに感想など一度も送ったことがないけれどどうしても今回は送りたいという方や私のあり方を見て、素直に自分を出せるようになりましたと言われる方などそれぞれの方が、このブログから何かを受け取って共鳴してくださってそれを、率直に伝えてくださって、、、。ということで、今日もまた朝から涙なのです😭メールをくださった多くの方に共通していたのは「言葉を上手く伝えれないけれど」ということ。でも、率直に自分の想いを綴った言葉はここまで人の心を打つのかということを頂いたメールから、私もまた実感しています。今回、私が言葉が出てこないという体験をしたことでこんなにも愛が循環してゆくような体験をすることになるだなんて😭何人もの方がこれ自体が、リトリートのプログラムの一つのようですと言ってくださったけれど(そんなプログラムだったら、私の身体はもたないけど)この宇宙の素晴らしい采配にそして、想いを受け取ってくださった全ての方に。ありがとう。数日前、私は、今日の第11回目のリトリートで流す予定の女神ワークの動画を見直してみました。ある意味、この動画制作は、私の今回の一連とプロセスの発端になったことでした。この動画制作のためのマスターたちからのエネルギーやメッセージを受け取っていくうちに私の男性性と女性性のバランスの悪さをひしひしと感じていました。「もっと休みなさい。身体を休めなさい」と女神やマスターたちからメッセージがある度にわかってます、よくわかってます、だけど、今は、これに全てのエネルギーと時間をかけたいの。この動画をもっと良いものにしたいの。あと、もう少しだから。このリトリートが終わったら、必ず、ゆっくり休むから。だから、もう少しだけ、もう少しだけ、がんばらせて。そんな気持ちでずっといました。そして、その私の願いは叶わず宇宙の采配は、そのまま私が走りきるようにはさせずにこの一連の流れになったのですがあのまま、女性性のリトリートの回をやらなくて本当に本当によかった。もう、あの時の私の感覚と今とでは、全く違うから。それで、今回、このプロセスを経て様々な意識の変化があった後で今回の動画を改めて見たらどんな風に感じるのだろう?と。今の自分の感性と違うものを参加者のみなさんに提供したくはないしもし、今の私の感覚に合わない感じがあったらやっぱり修正した方がいいのかな~と思いながら、動画を見てみたのですが、もう、最初から、女神たちの言葉が今まで以上に響いてきて、ボロボロ泣きました。ああ、本当にそうだった。その言葉が、エネルギーが、私の身体に染みわたるように入ってきて。同時に、ほっとしました。木星遺伝を持って頑張っていた少し前の私もしっかりと女神たちのエネルギーを受け取って、この動画を作っていたことに。こんな動画、世界のどこにもないよ~。(もう完全に自画自賛モードなんですけど〜)くれちゃん、ほんとよくやったよ。私の細かい要望に、全て答えてくれてこれをたった2週間で作り上げただなんて今、改めて見ても信じられない。ここ最近の私のような、のんびりペースでは絶対にそんなことは無理だったしだから、このタイミングまで、木星遺伝の調整ができなかったことも、またベストと言えるなあと。今ののんびりモードは、今の私にはとても自然でこれからもこんな感じで行けたらいいな、と思うけれど走り続けてきたこの半年間も愛おしいなと改めて思いました。(本当は走り続けていたのは、何年もの間だけど)そして、今晩のリトリート。あれから、友人とは普通に電話で会話しましたが人前で、3時間ぐらい話すということはやっていないのでどうなるのか、全くわからないのです。たくさんの人の前で、話している時に受け取っているエネルギーは一人、二人と話している時に受け取っているエネルギーとは全く違うんですよね。それでも、これまでにないぐらい安心してリラックスしている自分がいます。今回のこの全てのプロセスが全てギフトだったのだから。前回のリトリートの直後、デトックスがマックスの時思考と視覚の混乱の最中で筋反射もあやふやで上手く取れず自己ヒーリングもままならなかった時ガイドから何度も受け取ったメッセージが「全ては、完璧なタイミングで起こっている」でした。その時は、その言葉は私に響いてこなかったけれど今、そのことを改めてあらゆる場面で実感しています。ということで、今晩のリトリートただ宇宙に委ねて行きます
2022年09月03日
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今日の「日刊のりこ」はもしかすると、気軽な感じではないかもしれません。長くなってしまうかもしれません。(またか!言い訳はせんでよろしい!)今日ご紹介するメールはね。私にとっては、もう涙なしには読めなかったメールでこの方には、後で、個人的にお返事しようと思っていたのでした。でも、もしかして、他の方でもこういう方がいらっしゃるかも?と思って、このブログを通じてお返事を書くことにしたのです。この方は、アルクトゥルスメソッドクラスを受けられた方です。最初のベーシッククラスは、長野の対面でお会いしましたが最初から、すごい天性のヒーラーなんだなと思っていました。まだベーシッククラスなのに、二人一組のセッションでの彼女がセラピスト役になった時のクライアント側への声がけがもう全身全霊で、深い慈愛に溢れていて復習クラスも含め、私は、彼女のそのあり方に何度、泣かされたかわかりません。それぐらいの感性の持ち主でエネルギーがピュアというか発する言葉とエネルギーに嘘偽りがない方でこんな方と出会えたことに感謝で一杯でした。そんな私が心から信頼しているセラピストさんからのメールです。今日は、全文、そのまま掲載したいと思います。のりこさんのblog、毎日気付きと感動と恐れと喜びで感情をごっちゃにしながら読みました。私も、感じたことを文字に起こすことが本当に苦手で。驚くほどたくさんの気持ちを感じているのに言葉にすると何一つ表現しきれないような感じがしていました。実は、今までも、のりこさんに伝えたいなと思って書きかけたメールがここ一年の間だけでも8通ほどあるのですが……。どれも、わいてきた感情を上手く言葉につなげられず鮮度が失われてしまったように感じて結局出せずにいました。今回も、書いては止まり。書いては止まり。このまま出せないかなぁと思ったんですがのりこさんに起こった一連の出来事を読んでどうしても伝えたくなり、なんとか言葉をつなげています。宇宙系遺伝を一つ調整した後、いつも、私って何なんだろう。どこからどこまでが、私なんだろうか?そんな風に感じることが多々ありました。昨日まで自分だと思っていた感覚や思考がドッと抜け落ちたように感じたり。私らしいと思っていた性格が実はそうじゃなかったと気付いたり。デトックスで今まで感じなくて済んだ傲慢さや被害者意識に苛まれたり。頭が割れそうに痛くなったり身体がよじれるような感覚に苦しんだり。宇宙系遺伝って、人が踏み込んではいけない禁断の領域なんじゃないかと思うことも、しばしばで。そのたびに、のりこさん、なんて物を世に出したんだ!何でこんなヤバいやつを私に教えちゃったんだよ、あー--っと身をよじったり。変化と大きすぎるデトックスについていけず。何度もやめてしまおう。遺伝調整しなくてもベーシックの内容だけで十分すぎるじゃない!今のままでも、幸せじゃないの。と思いながら、一年を過ごしました。ガイドからは、変化を恐れずプロセスを楽しみなさい。と何度も言われていました。私は、プロセスを楽しむということが上手く出来ず。ずっと、プロセスというのは遺伝を調整していく過程のことだと思っていたのです。でも、のりこさんのblogを読んで。どんな自分でもいい。どんな感情でもいい。今の私をみること。私が私でいることをただ受け入れるだけ。それが、プロセスを楽しむということなんだとストンと入ってきました。どんな自分であっても私はすでに受け入れられているのだからありのままで良かったんですね。何となく。このまま、ずっとずっと宇宙系遺伝の調整を続けていったら……軽くなりすぎちゃう。人ではいられなくなっちゃう。悟っちゃったらどうしよう!っていう謎の恐さがあったんですが(苦笑)のりこさんのプロセスを見せてもらうことで分かったのは。私は私でしかないし、何を手に入れても、何が残っても結局のところ、それを私と感じるんだろうな~ということ。そして、結局どう変化しても、そこには愛と喜びしかなくて。愛も喜びも、もう持っているし無くなったりしないということ。のりこさんの変化、他の方々の素晴らしい気付きMさんのリーディング。どれも、すーっと私の心に入っていき静かに私の緊張感をほぐしてくれたように感じています。木星遺伝も、ロボット遺伝も。他にも本当にたくさんの遺伝を持っているので。今後の自分がどう変化していくのかちょっと楽しみでもあります。遺伝調整を楽しみだと思えたのは、久しぶりです。ずっとデトックスしんどい!と思っていたけれどもしかしたらこの変化の過程を分かち合える人が少なくて寂しかったのかもしれません。のりこさんの今を余すことなく伝えてくださって本当にありがとうござます。私もマイペースで自己ヒーリングを続けていこうと思います。ああ、ここに書かれてあることの一言一句、全てを私は感じ、受け取っています。いえ、ここに言葉として紡ぐことができなかったたくさんの想いやエネルギーさえも受け取っているように感じます。ここに書かれてあることは全て、以前の私が感じていたことでしたから。私は、アルクトゥルスのガイドがついたことで2018年から、今のアルクトゥルスメソッドの原型となるものを教える流れになったのですがその後も、何度も何度も自問自答してきたのです。これでよかったんだろうかと。このヒーリング法を、他の人に教えてよかったんだろうかと。いや、ごく最近までも、どこかで、そう思っていました。それぐらい、宇宙系遺伝の調整を人に対して行って行くのは厳しいものがあったからです。クライアントとして受ける側は、そう大変ではないのです。もちろん、若干デトックスが出る時もありますが大抵はレプやグレイや冥王星などの調整で楽になる一方の方がほとんどしセッションでの集中力も必要ないしただその場で委ねていればいい。でも、セラピストとして、人に遺伝調整するのはそれなりの意識が必要なのです。それを人に対して行うためには、まず自分自身の深いところを見ていく必要がありそれは、インナーチャイルドやサバイバルも含めあらゆる次元でのことであってそうでなければ、何一つ、遺伝は調整できないからです。自分自身の遺伝を調整するレベルまで行っていない人の方が、ずっと多いのです。そして、自分がその遺伝を持っていたら人に対して行うことはできないのでそれぞれの遺伝の自己調整が必須になるわけですが大抵の人は、その前には、挫折します。自分の内側の深い問題に、自分で向かいあうことを無意識に避けるからです。ベーシッククラスは、宇宙系遺伝は浄化だけなので比較的楽に行うことはできるしある程度、誰でもできるようにデザインされていますがアルクトゥルスメソッドクラスはもう全く別物なのです。そこには、もう圧倒的な違いがあります。「デトックスで今まで感じなくて済んだ傲慢さや被害者意識に苛まれたり」ああ、まさに。私には、そんな傲慢さや被害者意識はないと思っていたのに宇宙系遺伝の自己調整では、容赦なく上がってくるのでそこを見ざるを得なくて以前は、その度にどれだけ自分自身に失望してきたでしょう。(今は、例え何が上がってきても、全く失望しないですが)いろんなヒーリング法を学んできてそれぞれに素晴らしかったですが私が、自分の深い問題や闇に気づくことができたのは唯一、この宇宙系遺伝の調整を通じてだけでした。だからこそ、私はこのヒーリングを信頼しているのです。ただ、その場の気分が高まったり特別感を味わったりするためのヒーリングではなく私の意識の根底から、感覚や思考や信念体系やさらにはその遺伝に関わる深いカルマまで変えてくれるこのヒーリング法を。そして、それを調整して行く度に物事の本質が観えてくるこの方法を。「宇宙系遺伝って、人が踏み込んではいけない禁断の領域なんじゃないかと思うことも、しばしばで」まさに、私もそんな風に感じていたこともありました。でも、その度に、ガイドやマスターたちからのメッセージを受け取ってこれは、宇宙と人の魂が求めている変化でありだから、今、この情報を与えられているのだということを信頼できるようになりました。私たちが真に自由になるために。 「何となく。このまま、ずっとずっと宇宙系遺伝の調整を続けていったら……軽くなりすぎちゃう。人ではいられなくなっちゃう。悟っちゃったらどうしよう!っていう謎の恐さがあったんですが(苦笑) ふふ、私も似たような感じですがあまりにも出来すぎた人間になったら面白くないんじゃないか、とか人は不完全だから魅力があるんじゃないか、とかそういう気持ちが、以前ありました。(今、考えると、どこが完璧な人間やねん!と笑っちゃいますが)今は、むしろ、無意識に囚われている遺伝的な性質から自由になることで、よりその人本来の個性やユニークさは出てくるのだなあと感じています。というより、この方も気づかれたように何が残っても、自分なのですよね。遺伝調整しなくてもベーシックの内容だけで十分すぎるじゃない!今のままでも、幸せじゃないの。これは、まさに、ずっと私自身が自分に問いかけてきたことで2016年に、宇宙系遺伝の調整をスタートした時はすでに多次元キネシオロジーのベーシッククラスをスタートしていた後のことでしたから宇宙系遺伝を調整しなくてもベーシッククラスの内容や、脳の調整や様々な調整法があったので、もうこれで十分じゃないわざわざ、こんなよくわからない海のものとも山のものともつかないようなことをやってゆく必要はどこにあるの?と、宇宙系遺伝の調整につまづいたり方向性を見失ってしまう度に何度も何度も自分に問いかけていました。でも、私の場合、その度に、宇宙系遺伝調整しか解決法がないクライアントさんが来られたことが少しずつ少しずつ、確信へとつながっていました。他のあらゆる調整をやっても、根本的には変わることがなかったクライアントさんたちが宇宙系遺伝を調整した途端、変わってゆくのを見たりまた、宇宙系遺伝調整を行なっただけで怒りやパニックがなくなったり身体の痛みや皮膚の疾患がなくなったり物の見方や感じ方が変わってゆく方たちを見てああ、いくら大変でも、私はこれをやる必要があるのだとまたその日の自己調整に向かっていました。他のどのヒーリングも、人にセッションを行うためにここまでの自己調整は必要としないのです。でも、だからこそ、宇宙系遺伝調整を行うセラピストは深いレベルで自分自身を変容させてゆくことができます。多くのヒーリングのセラピストやヒーラーが例え、先生レベルと言われているような人であってさえ自分自身の問題は何も見れていない方がほとんどなのですから。そして、きっと彼女もそれがよくわかっているからこそ葛藤があったのだろうなあと。彼女は、他の方に、たくさんセッションをしている方なのでそこはよくわかっていると思います。もし他の人に宇宙系遺伝のセッションをしないのなら自分がここまでの深い自己調整をすることはないだろうということも。本当に、私が感じてきたことをそのまま全てこの方も感じてこられていました。ですから、はっきりいうと宇宙系遺伝調整をセラピストとして人に行うことができる人は、決して多くはありません。自分で無意識にブロックして、表面的なヒーリングに留まりデトックスも何も起こらない方も多くいる中で(かと言って、デトックスが起こることが良いというわけではありません)彼女のように、ここまで感覚を受け取り体感されているというのはもうそれだけで、すごい感性と潜在能力を持っていることがわかります。普通の人の何倍もエネルギーを受け取る力があるからこそその変化の大きさも苦しさも体感されているのですから。彼女がここまで、自分自身の内に向かいあっていることに私は、もう尊敬の念しかないです。彼女が言われていることの全てが本当によくわかるから、私は何かをアドバイスできることなんて何もないのですが。でも、もし少しだけ、何か私が言えるとすれば私は今は、この遺伝調整が喜びそのものなのだということ。以前は、先が見えない、どこに向かっていくのかわからないこの遺伝調整に、困難さを感じていましたが今はもう、そこに苦しみや大変さはないのです。もちろん、今回のようにデトックスが出ることもあるけれどどうやっても、必ず抜けることもわかっているし抜けたら、さらに可能性が広がることもわかっているのでだから、その全てのプロセスを体感する喜びだけを今、感じています。だからあなたのプロセスがどこに向かうかはわからないけどきっと、その全てが祝福と喜びにつながっていると私は信頼しているということを。そして私へのメールを8通もためないでもし何かを伝えたいと少しでも感じたのなら一言だけでも、伝えて欲しいということを。きっと、私は、その短い文章からでも、何かを受け取りもし必要だと感じたなら、何かを伝えると思うのです。私が言葉そのものではなくそこにあるものを受け取るということを信頼してもらえたら嬉しいなと。私にとって、この宇宙系遺伝をともにセラピストとしてやっていこうという方は紛れもなく、魂の友人であり、仲間なのですから。だから、それは決してあなただけのためではなく私のため、でもあるということを。そして、そして。実は、ここからが、一番伝えたいところなのですが。今回、私は、彼女のこのメールから自分自身の真実(言葉)を受け取ったのです。私は、彼女のメールを読みながら漠然と共通の何かを感じていました。以前は私も大変だったよ、ということだけではなく別の何かです。それがなんであるのか、最初は言葉に出来ませんでしたがふっと降りてきたのです。ヒーリングを始める前の私はもともと、エネルギーに敏感な方ではなかったしビジョンが見える人でもなかったので私はヒーリングにおいて特別な才能は何も持っていない人だと長い間思っていました。だからと言って、それが不十分とは思っていなくてこんな私でも、ここまでやって来れたのだから私ってほんと素晴らしいな~すごい努力の人なんだな~と、思っていました。私に宇宙から与えられた唯一の才能は、この根性と自分がやりたいことをどんなことがあっても決して諦めないで続けていく力だけだと思っていたのです。以前、これは別のセラピストさんからの言葉ですが「宇宙系遺伝を調整していくには木星遺伝の根性と努力の性質を持ってないととても無理ですよね~」と言われたことがありました。正直、私も少し前までは同じように思っていました。だから、その木星遺伝を調整することに大きな抵抗感があったのでした。宇宙からたった一つ与えられた私の才能を手放そうというのですから。でも、こうして、木星遺伝の調整が終わってパッションは変わらずにあることに気づいてさらに、別の感覚が開いていくのを感じた時何かに気づいたのです。ああ~そうか、私に宇宙から与えられた才能は努力とか根性ではなくて宇宙の情報(宇宙系遺伝やその他のこと)を受け取って、それを人々の変容に活かすいう私の魂の声を受け取る力だったのだということに。私は努力の人だから、これまで頑張ってきたわけじゃなかった。私が何があっても続けてきたのは宇宙の、魂の声を受け取っていたからだということに。必要なのは、根性や、超人的な努力ではなく魂が求めていることをどれだけ受け取っているかでありそして、そこから生まれるパッションをどう表していくのか?であって、根性論とは全く関係なかったのです。ガイドやマスターから頻繁に「自分の直感を受け取る力を信頼しなさい」と言われてきましたがその本当の意味をやっと理解することができました。だから、彼女のメールを読んでいてはっと気づいたのです。ああ、この感じだ。何度も何度もやめた方がいいんじゃないかと頭で考え、止めようとするのにそこにまた引き戻されていくようなエネルギー。魂からの声は、そこから離れようとしても何度も引き戻してくるのです。私の場合は、やめようと思った直後にはクライアントさんのセッションからだったり他の様々なことからメッセージを受け取ってまた、引き戻されて次の日には、またこの宇宙系調整を行っている自分がいました。だから、彼女と同じ感覚を感じるのです。頭で何度、もうやめようと思っていてもまた何かから魂の声を聴きこうしてまたそこに向かっていこうとしている彼女を見て、ああ、この方も私と同じなのだと。そして、今回の私のブログを通じて彼女が受け取ったのは彼女自身の魂の声だったのだと。魂からのメッセージを受け取る時はどんなことからでも受け取るのです。それが、今回、彼女にとってはたまたま私のブログからだっただけできっと、彼女なら、必ずどこかで受け取られるのだと。本当にありがとう。この宇宙系遺伝調整に真摯に向かいあってここまで体感して、理解してくださっていることに。そして、私の今回のこのブログを通じて自分の魂の声を受け取ってくださったことに。そして、私に今の想いを率直に伝えてくださったことに。それが、私の真実の言葉を見つけることにつながったのですから。自分の感覚を表す言葉を見つけた時それは、自分の中の真実を見つけたことと全く同じなのです。今回、もし私が木星遺伝を調整しなかったらもし、デトックスが起きなかったらもし、このプロセスをブログに書かなかったら。私は、彼女からの大切なメッセージを受け取ることもなかったのかもしれないと思うと今回のことが、どれだけ大きな祝福と恩恵を私にもたらしたのか、もう計り知れません。そして、また他の方でも彼女と同じように感じていらっしゃる方がいるのだなということもひしひしと感じています。だから、魂の仲間たちへ。心からの愛と感謝を込めてのりこうわ〜〜最長になったかも!PS ここで伝えることじゃないんだけど、取り急ぎ10月のアルクトゥルスメソッドクラスは、延期になりました。半年ほど伸びて、来年春になります。詳細は、お申し込み頂いた方に、後でお送りします〜
2022年09月02日
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久々に寝不足です。昨日のヤンキーズとエンジェルズ戦があまりにも凄すぎて試合の後も色々なサイトを見ていたらすっかり寝れなくなりました。本当に凄かったですね~。今、M V P論争の渦中にいるジャッジと翔平くんがこの3連戦で、それぞれ2本ずつホームランを打ち翔平くんは、そのうち2試合の決勝打となるホームランで昨日は、ヤ軍エースのコールから3ランホームランを打ってそれにより弱小エンゼルズが3試合のうち、2試合を1点差で勝利して強豪ヤンキーズを下すだなんてそんな非現実的なストーリー誰も想像していなかっただろうな~と。まさに漫画の世界。あ~幸せすぎますということで 「日刊のりこ」本日もボチボチ続いてます。先日のリトリートの配信の後みなさんから頂いたメールの中であの時の私を見て、どう感じていたか?を伝えてくださった方が何人もいて今日は、その部分だけ、いくつか抜粋してみました。凄く 女性らしさ 出ていたりよく飲み会の席にいる🍻女性ぽさや(๑>◡<๑)今まで見たことのない のりこさんを見れて 感謝です、私ものりこさんのあの様子を見て、ありのままの自分でいられることはとても素敵なことなのだと感じ先日のリトリートの終わり間際ののりこさんを見ていたらなんだか泣けてきました。リトリートの、のりこさんの様子を拝見して我が事のように胸がざわつきました。みんなの顔を見ると、笑ってるし(T_T)みんな、のりこさんの気持ちがわかってないな!!なぜ笑うのか!!と、イラッとしたし、泣きそうでした。でも私がそんな顔をしていたら、のりこさんが不安になるかも(余計なお世話ですね)と平静さを取り繕っていました。のりこさんの様子がいつもと違うのに驚くとともに動揺もしました。そして思ったのは遺伝て本当なんだな、でした。目の前で木星遺伝を外し言葉が出てこないと言っているのりこさんの姿から遺伝がリアルなものとして迫ってきたのです。それは今まで感じたことがない不思議な感覚でした。遺伝を平面で見ていたのが立体になってよりリアルに感じられるようになった、というのでしょうか。あんなに落ち着かなく、頼りないのりこさんを見たのは初めてでびっくりしました。ある意味、女性性全開と言えるのでしょうか。画面から感覚と言語が結びつかないもどかしさをひしひしと感じました。が、その様子は、まるで自分自身のようだと、まるで自分を客観視してるかのような不思議な感覚でした。私もそんな典子さんを見てとても安心というか癒されたひとりです。なんというか、全てをさらけ出してくださる典子さんとそんな典子さんを拝見していたらこうして形(言葉)にとらわれず感覚でコミュニケーションすることが私たち本来の在り方なんだとふかいところで確信をしました。あーなんかやばい!のりこさんいつもとちがうー!と思いました。声の感じや目の動きとか、心ここにあらずという感じ?それと同時に、多次元キネシ(自己調整)でここまでできるのかー!という驚きと恐怖さえ感じました。先日のリトリートでの典子さんを見て私は「なんて可愛らしいの~!」と典子さんが愛おしくてたまらなくなっていました。今日はそのまんまの典子さんを見守りたいとずっとニコニコしながら見てました。「今日もう終わりにしたら、すぐ寝ると思うけど。。1人になるのが寂しいー。」と言っていた典子さんに心の中で「典子ちゃん、今日はもう寝ていいんだよ。寝ちゃおうよ。私が典子ちゃんの背中をトントンして寝かしつけてあげたいよ。」と勝手に話しかけてたんですよ。 はじめ、のりこさんに何が起こっているのか分からず…。でもきっと、これがベストで全て起こるべくして起こっていることなんだろうなぁ✨と、今までのリトリートでも全て!のことがそうだったので、当たり前のようにそう思いました。☺️伝えてくださった方、本当にありがとう。改めて、人の受け取り方って、面白いな~と。例え、同じ人、同じ光景を見ても人それぞれ全く受け取り方が全く違うのですから。あの時の私を見て、女性性を感じた人も不安を感じた人も、安心したり、楽になったり自分自身を見ていた人も受け取り方は人それぞれで。でも、どの感覚や受け取り方が正しいとか間違いとかは何もないんですよね。例え、恐れを感じたとしてもそれは、その方の中にある何かの恐れが反応していたということでしょうしそれに気づくきっかけになったと言われた方もいらっしゃって、とても嬉しいです。中には、木星遺伝のエネルギーが苦手でした~と伝えてくださった方がいましたがそういう好き嫌いも自分の中の何かが反応しているんですよね。例えば、木星遺伝の性質の人が苦手な方というのは多分、自分がやりたいことに一生懸命、がんばることができないとか抵抗がある方だったり(多くの場合は親との関係に要因はあるのですが)でも、そういう自分の問題に気付いてないと人のあり方を見て、苦手だと感じてしまうわけです。また、ロボット遺伝の人が苦手、という方もいらっしゃいましたが多分、ロボット遺伝が苦手な方は気を遣わないとか気が利かない人が苦手な人なんじゃないかなあと。自分が、周りに気を遣っている人のに他の人が周りに気を遣わないでいるとなんかもやもやするんですよね。甘えることができない方は、人が甘えているのを見るとむかついたりするしとにかく、人の何かを見て何かもやもやしたり、苦手だったりイラついたりする時って自分の中にあるもののお知らせですから。気が利かないということで思い出したのですが私も子供の頃、母の気が効かない感じ嫌だったなあと。私が幾つの時だったかは忘れたんですがある時、家族でテレビを見ていてそれは宝塚のショーだったのですが意外にも感動の物語で私は、テレビを見ながら、ボロボロ泣いていたんです。すると、お父さんも、ひそかに泣いているのがわかってでも、父は、九州男児で、そんなドラマで泣いたりすることは恥ずかしいと思っていることはわかっていたので私は父が泣いているのは気づかないふりをしてドラマに集中してみていたのです。そこに、母がやってきて「わ~お父さんが、宝塚のドラマ見て泣いてる~~宝塚見て、泣いてるなんて面白い~~」とか言って、もう本当楽しそうにケラケラ笑っているわけです。・父は、ちょっとバツが悪そうに笑っていましたが私は、そんな母に対して「もう、そんなことわざわざ言わなくていいのに泣いてるの、気づかないふりしてあげればいいのにお母さんは、なんと無神経なんだろう」って心の中で思っていたなあと。ところが大人になると、気が利かない人より気を遣う人の方が、苦手になっていました。なぜ、気を遣う人が苦手だったかというと相手が気を遣うと、私も気を遣わなければならないような気になっていたからなんですが今回、ロボット系遺伝を調整していてあ~、私はこれだけ気が利かない遺伝を持っていて本来は気が利かない人だから気を利かせるのはストレスがかかっていたんだなあと。だから、人が気を遣っているのを見るのは、嫌だったのですね。果たして私は、ロボット系遺伝を調整終わったら自然と気が利く人になるのでしょうか?それとも気が利かなくても全く気を遣わない人になるのでしょうか?ここは、まだそういう場面に出会ってないのでわからないところで、楽しみです。そして、木星遺伝調整が終わって日々を過ごす中ではっきりとわかったのは私の内から湧き出てくるパッションは木星遺伝がなくなっても変わらずにあったということでした。昨日、遺伝を調整しながら改めて遺伝の調整って最高だな~と感じている自分がいてそれに気づいた時、また嬉しくなりました。無理して頑張ることはやらなくてもパッションは変わらずに持ち続けているそんな感覚が持てることに今、静かに、幸せを感じています。今日も「日刊のりこ」お読みくださってありがとう~~
2022年09月01日
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「日刊のりこ」のお時間です。(←すっかり気に入った模様)木星遺伝を調整終わってから感覚や思考の変化を日々感じていますが一番、何が変わったかと言えば実は、時間感覚なのです。以前の私は、どこかいつも時間がない、時間が足りないという感覚がありました。じゃあ、今の自分に不満や不十分感を感じているかといえば、そうではなく今は、十分に今の自分に満足していてこうなりたい、とか、こうならなきゃみたいなものは、何一つ、なかったのにどうして、いつも時間が足りない感覚でいたのかと言うとそれは、もちろん、進化、発展のためであって進化、発展するための時間が足りないと、無意識に感じていたわけなんです。じゃあ、どこまで進化、発展すれば、気が済んだの?といえば、ゴール設定は自分の中になかったんですね。オリオン遺伝の場合はこう言う自分や状況になるために頑張らなければというのがあるのですが木星遺伝の場合は、永遠に進化し続けるために頑張るのであってだから、どこまで達成したい、とかあそこまで進化したい、とかは全くないわけなのです。それに気づいた時、愕然としました。どこにもゴールがないのに走り続けていたことに。そして、時間はいくらでもあったのだと言うことに。実は、こうして、毎日のように続けてブログを書こうと言う気になったのはこの「時間がない」と言う私がいつも持っていた感覚がなくなったのが、とても大きいのです。だって、ブログは、進化のためではなかったから。だから、ブログを書いている時間はいつも楽しいのだけど後回しになってしまっていました。自己ヒーリングのように、それ自体が楽しくてかつ、進化できるものは、圧倒的に優先なのです。でも、楽しいだけで、進化がないものはどこかでセーブをかけていたのだなあと。時間は十分にある私に与えられた時間自体は以前と何も変わっていないのにこの感覚の大きな違いに、驚いています。今の私の感覚は進化しなくてもいいのだけど自然に進化しちゃうという感じがしているのです。Mちゃんのリーディングメッセージにあった「叶っている事を、より叶えていく幸せを感じて下さい」このメッセージが、もうドンピシャすぎて、すごいなあと。で、時間感覚に関してふと思い出したのが去年のリトリートの宇宙の旅の動画の時にアルクトゥルスから受けとったメッセージでした。「魂としては、あなた方の人生は一瞬の呼吸のようにあっという間の短い体験です。さらなる変容を受け入れてください。新しい扉を開いて、純粋な魂を輝かせてください。あなたの真の人生を、この地球で生きてください」この言葉が、その時の私にドーンと、深く印象に残っていてああ、そうだ、人間の一生は一瞬なのだから無駄に時間を過ごしている時間は、一瞬たりともない。常に変容し続けよう。そんな風に感じていたのでした。でも。今回、つくづくわかったのはあれは、私個人に向けられたメッセージではなかったと言うこと。自分が本当にやりたいことをずっと先延ばしにしている人とか今、やるべきことから目を逸らしている人とか変化を恐れ、停滞している人とかそんな、リトリートの参加者に向けられていて常に進化と変容のために走り続けていた私へのメッセージではなかったのだと。これがこれまで、私が誤解していたところでリトリートのプログラムを作る過程でマスターたちから受け取ったメッセージを全て、自分個人にも向けられたメッセージとして受け取ってしまう傾向があったのでした。それは、一部の参加者のためのメッセージだったのに。人それぞれ、歩むプロセスが全部違っているのだから全ての人に必要なメッセージなんてどこにもないのに。だからね。このブログを読んでくださっている方にお願いなのです。どうか、私のブログに書かれてあることの全てを受け取らないで欲しいってこと。あなたが、必要なメッセージだけを必要なタイミングで受け取って欲しいのです。きっと、今のあなたには全く必要のないメッセージや言葉もたくさんあると思うから。(だから、全く反対のことが、必要な人もいるってことだよ)と、そんなことわざわざ言わなくても多くの人は、すでにわかってくれてるか~ま「日刊のりこ」だから、気楽に読んでちょ。今日も「日刊のりこ」読んでくれてありがとう(まずい、定着しつつある)あ〜、私のここ最近の変化が一段落してさらに超平和モードになっているのが今日の日刊のりこから、エネルギーで伝わっているかしら
2022年08月31日
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この10日弱かな、私のプロセスや感じたことを思いつくままに、綴ってきました。いつまで続けるのかな?、このシリーズ。(て、これって、シリーズだったの?)今朝、こんな風にメールで伝えてくださった方が。のりこさんの連日のブログがいろんな意味で楽しみすぎて興味深くて例えるなら週刊ジャンプの超人気連載を心待ちにしてる読者の気分です。(日刊のりこさん🗞♪)ということで、本日の「日刊のりこ」です。いやもう、とにかく連日みなさんから頂くメールが凄すぎて😭どうしてそんなに受け取ってくれるの!どうしてそんなダイレクトに愛を伝えてくれるの!どうしてそんなすごい感性なの!みんな凄すぎるんですけど〜。。おかげで、私は毎日、ボロボロ泣くことになりこの日刊のりこを今日も書いてしまうわけなんです。ああ、全てのメールをシェアしたい気持ちですが全文載せるわけには行かないので文章の一部分だけ少しずつ、シェアさせてくださいね。(これまでなら、一気に紹介したところだけど日刊のりこだから)これは、昨日頂いたメールから。いつもこれ以上進化しようがないと思えるのりこさんが、どんどん、またさらに素敵に変わっていくのを見せて聴かせていただいて、私は最近気持ちが沈みがちだったけれどまだまだ自分を、自分の人生をよく変えていけるはず、私もいろいろ気づきたい、感じたい、変わりたい!人生を諦めたくない!改めてそんな気持ちが湧いてきました。のりこさんが、内容や言葉そのものより、受け取るエネルギーが大切だったと言われていたこと。対面リーディングの時に伝えていただいた言葉は、いつでもすぐ思い出せるようにとノートに書き写していました。でも、いざ不安な気持ちが湧き出てきて、その言葉を聴きたくなった時には、ノートじゃなくて、いつも動画を観に行っていました。私も、言葉や内容が自分にとってとても大切だと感じていたけれど、ああ、あの、のりこさんが伝えてくれるエネルギーを無意識に感じるからノートじゃなくて動画の方を観て聴きたくなるんだなぁ、言葉や内容だけじゃなかったんだ!と分かりました。あ~私の想いをそのまま受け取ってくれてすごくすごく嬉しいです。対面リーディングずっと忘れられない、とても大切な思い出。その想いを共有してくださって本当にありがとう他にもたくさんの方から。これは、少し前に頂いた別の方から私は 自分が馬鹿なんだなーと いつも思ってました伝えたいのに なんて言ったらいいか直ぐに出ないのですこう言ったら相手がどう思うかと考えてしまい結局言うタイミングを逃したり頭でグルグル考えて勝ってに違う解釈で納得したり相手が喜ぶ言葉を探したり本当の気持ちを その時思った事を良く見せようとしないで素直に伝えると良いのですよね。のりこさんに対してものりこさんに嫌われたらどうしよう、、とかのりこさんが わーって感動する様な興味のある話をしなきゃとか思って結局 リトリート後の放課後に手を上げる事が 出来ずにいつも終わってしまうのでした。。。前回のリトリートの木星遺伝調整後ののりこさんを 見せて頂けたのは本当に これでいいんだ~って思わせてくれましたのりこさんがこんな自分を出してもみんなが受け止めてくれるって感じていたって言葉がわたしには刺さりました、信頼する思い 力ってすごいなーと のりこさんに出会えて残りの人生 益々 happyになりそうです(๑>◡<๑)あ~もう全然、バカじゃないしハートで文章を受け取り、率直に伝えるこの感性。全部、想いをありのままに伝えてくれて本当にありがとう。私も出会えたこと、最高にハッピーです言葉で想いを伝えるということに関して。先日、ふと想像してみたのです。もし、私が、このブログを読んでない友人と久々に会ったとしてこの一連のプロセスや、私が感じたことを伝えることができるのだろうか?と。例えば、1年ぶりに会った友人が私に聞くのです。(友人)のりこ、最近、どうなの?どんなことやってるの?何か変化したことあった?近況を聞かせてよ。(私の友人になったつもりで私の話を聞いてみてね)(私)うん、最近ね~私は、ユニバーサルリトリートというオンラインワークショップを半年間、開催しててねそれで、第11回目になった時に、参加者の方々に女性性と男性性のバランス女神とのつながり母なる地球とのつながりそう言ったコンセプトでメッセージを伝えようとしてそのためにガイドやマスターとつながってメッセージを受けとって動画制作やプログラムを作成していたの。ところが、一方で、そのプロセスの中私の男性性の強さが浮き彫りになってバランスが取れていない部分が、表に出てきてある日、体調を崩してしまったのよ。(実は、ここも別の要因はあったのだけどね)それで、体調自体は、数日で回復したんだけどその一つの要因であった進化、発展の性質が強い木星遺伝を調整する流れになったの。それを調整し終わったのだけどまだ、私の中に、その木星遺伝とリンクするエネルギーが残っていたの。そのエネルギーが、アトランティス時代の進化、発展でバランスを崩した過去世だったの。これは、私の魂の根源みたいなエネルギーだったのよ。そして、女性性の回のリトリートの直前に参加したコーヒートークで私のソウルメイト、Mちゃんと偶然に出会うことによって(あ、でも、偶然ではなく、宇宙の采配だけどね)そのアトランティスの過去世が一気に表にデトックスとして出てきて私は、自分の気持ちがわからない言葉が出てこない視覚処理ができないという症状になったの。その過去世の傷は、これまで私のビジョンや直感をそのまま受け取ることへの抵抗にも繋がっていてね。Mちゃんのリーディングによってその過去世の一部がシフトして症状が緩和してその後の私のカルマリリースで使った彼女のリーディングでその過去世のエネルギーは癒され、変化したの。でも、それと同時に、そのビジョンに関わっていたいくつかのエネルギーがあったの。それが、自分の感覚や気持ちがわからない言葉が上手く出てこないと言うロボット系遺伝からのエネルギーだったの。そして、それは、私のインナーチャイルドと深く関わっていたの。それで母との関係でのインナーチャイルドを癒してロボット系遺伝の調整に取り掛かっているところなのよ。あれ、○ちゃん、聞いてる?(友人)。。。。。。ちょっと想像しただけで、笑えます。もちろん、これは伝える相手にもよりますがさすがにこんな説明を久々に会った友人に対して話すことはないだろうなあと。状況をまとめたストーリーにしてしまえばいくらそれを上手く説明していたとしてもこんなにも陳腐で、非現実的で、実態のないストーリーになってしまうんですよね。だから、これじゃあ何も伝わらないな~と。今回、この一連のプロセスを読んでくださっている方の多くが、私がどういう感覚でいるのかそれぞれに受け取ってくださっているのだな〜と感じるのは私が状況や感覚を詳しく書いたこともありますが何よりも、その方が言葉を全体的にエネルギーとして受け取ってくださっているからだな~と思うのです。伝える人の意識と、受け取る人の意識。言葉をエネルギーとして伝えていなければそして、言葉をエネルギーとして受け取っていなければそこに使われた言葉そのもの内容そのものに囚われてしまうから大切な感覚や想いは伝わらないんだな~と。人って、本当にたくさんのことを感じているのにその感覚や想いを、例え親しい中であっても分かち合うのって、とても難しいことなんだなあと時々思います。だからこそ、このブログやリトリートでわかちあうことができる奇跡をまた実感しているのです。先日頂いたメールに「のりこさん、ブログを通じて何千人のセッションをやっていますね」なんて、言葉を伝えてくださった方がいますがいやもう、そんなすごいことは全く頭になくてむしろ、私の超個人的な体験談を読んでくださる方がいてさらには、そこから何かを受け取り感じてくださる方がいて、何とラッキーだな~と。さらには、その方の想いをこうしてメールで伝えてもらえるなんて😭そして、私の場合、リアルで会っている友人たちの多くが(全てではないけど)このブログも読んでくれているので私は、リアルでも、このままを出せばいいだけなのですごく楽でラッキーすぎます。でも一方で思うのは例え、私の感じたり、体験したりしたりしたプロセスを全く話さなくても大好きな人なら、その場にいてたわいもない、どうでもいい話をしているだけで幸せだなあ、言うことも事実ということです。先日、母と電話しながら翔平くんって、すごいよね~とキャッキャ盛り上がり。彼女との話は、頭に浮かんだことを次々とそのまま話す感じなのでまるで、つぎはぎのパッチワークみたいな会話になるのですがそれでも、彼女の楽しそうな声を聞いているだけでただただ幸せでした。深いレベルで分かち合うことができる喜びそしてただ、その場でエネルギーを交流する喜びその両方の幸せと喜びがあるなあと。今日も日刊のりこ、読んでくれてありがとう
2022年08月30日
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昨日、ブログをアップした後軽く自己調整をスタートしたらある一つのロボット系遺伝の調整許可が出たので一部調整をスタートしました。まだ、4つのうち1つの遺伝しか、しかも半分ぐらいしか調整していないのに、いきなり眠りから目が覚めたような思考のクリアさが戻りつつあります。いや、元からずっと持っていた遺伝なので戻ってきたのではなくてかつて味わったことがない感覚になりつつあると言う感じです。これ、もし4つとも調整したらどんな感じになるのかしら?調整してみて、いかに自分がこの遺伝を深く持っているのかが改めてわかりました。ロボット系遺伝の影響は、ほとんど影響ないだなんて、もう全くわかってなかったんだなあと、いつも、私は、そこから抜けて見ないと自分がそれを持っていたことに気づかない、とみなさんにお伝えしているのですがまさに、今回も、抜けてみて気付くことばかりでした。調整の過程の中でたくさんの気づきがありましたが、例えばロボット系遺伝の「何度も繰り返す」という性質例えば、翔平くんがホームラン打ったり大活躍した日などに、その映像や文章を、私は、何度も何度も繰り返して見てしまう傾向が以前からありました。もうすでに見て知っている映像なのに、いろんな人の撮った映像を何度も見てしまうのです。でも、一方で、私は、木星遺伝の進化、発展のエネルギーがかなり強かったのでそのロボット系遺伝の性質が自然と抑えられていたのですね。木星遺伝が、進化、発展ならロボット系遺伝は、反復、一定今回、木星遺伝がなくなったので一気に反対の性質や思考が出てきた。宇宙系遺伝調整は、一つがなくなれば相反するエネルギーが表に出てくることはよくあるのです。「進化したい」という意識の方は私は認識していたけれど楽しいことを「ずっと繰り返していたい」「このままでいたい」という意識の方は自分の中に認識していなかったのだなあと。今回、何人もの方から私のリアルな今の状態をリトリートで画像として見たことで宇宙系遺伝って、本当なんだ、とわかりましたというメールを頂きました。確かに、こんなことがこんな風に私たちに作用しているなんて自分で実感しない限りは、なかなか信じがたいことだろうなと思います。宇宙系遺伝は、その人の性質や性格思考パターンや知性感情や感覚身体の機能そしてその人がその人生で経験することや運命といったあらゆるところに大きな影響を与えています。でもそれは、自分で実感してきたからこそ信じるとか信じないを超えた領域で私は理解してきたことでした。私は、もう何年もこの遺伝の研究やセッションをやってきているからこそですがそれでも毎回のように本当に遺伝ってすごいなあと驚くことが多いです。特に今回ほどの劇的な変化は、これまでなかったのでいかに私にとっての大きな性質だったのかを改めて感じています。ロボット系遺伝も、木星遺伝もいえ、その他の多くの遺伝は持っていても、それが当たり前になるのでそれ自体はストレスもないのですがやっぱり手放した方がより楽に自由になることも改めて思います。でも、その性質を自分が遺伝的に持ち続けて体感してきたからこそ、それがなくなった時の解放の喜びも体感できたのです、そして、そのプロセスの中でたくさんの愛を受け取ってきてやっぱり、これまで持っていてよかったことには間違いないです。変わらなくてもすでに祝福だけど変化によって、祝福がさらに広がってゆく。先日のMちゃんのリーディングで自然と同調して、気付いたらただ受け入れそこからのひらめきによって行動し、呼吸して休んで太陽を浴びて自分の内側にバランスがとれているか慈しみを持って問い掛けちょっと修正したい所が出てきたら元々持っていたパッションを呼び覚ましコミットして今の情熱を元々あった貴方の素晴らしい創造物に命を吹き込むと良いバランスがとれますよ。この文章で、私がこれまでずっとやってきたのは「ちょっと修正したい箇所が出てきたら、、」以降の文章の部分でその前の文章の部分「気付いたらただ受け入れる」こととか「呼吸して休む」こととかは意識になかったなあと。そして、今回、例えば、感情が湧き上がったら、ただ泣くとかあるがままに、今の自分に委ねるというプロセスを通じて、それを自然とやっていたことに改めて気づきました。昨日、改めてガイドに私のプロセスは、これでいいの?と聞いたら「あなたのタイミングは、パーフェクトだよ」というメッセージと共に「変化の時に、バランスを保つことを意識しなさい」というのも出てきました。すでに完璧だけど、バランスを意識しておくその言葉の意味が、本当によくわかります。あの前回のリトリートの後自分がどう変化するのか、全くわからなかったので次回のリトリートの案内は参加者に送れないでいました。何人もの方から、どうなったのですか?というお問い合わせもあり以前の私なら、きっとすぐに対応していたでしょうが今回は、そのままにしていました。今日あたり、そろそろ、参加者のみなさんへのご案内をお送りしようと思います。多分、そんなことはないだろうとは思いますが万が一、次のリトリートでまた上手く話せないような状態になったとしてもそれでも、またみんなと、それを分かち合いたいし例え、また延期となったとしても、多くの人はきっと受け入れてくれるでしょう。ありがたいことに何人もの方が、今回の私のプロセスを通じてリトリートのプログラム以上のものを受け取っています、ということを伝えてくださって、本当に感謝しています。ありがとうございます
2022年08月29日
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やっぱ、みんなすごいなあ。言葉をエネルギーとして受け取れる人多いんだなあと。何人もの方が、あのリーディングから何かを感じたり、受け取ってくれてあ~やっぱり、宇宙のリーディングはいろんな人に作用するんだなあと、これは、私の小さな実験でした。それと、参加者のみなさんから頂いたメールでMちゃん大好きな人が何人もいてMちゃんとのエピソードを教えてくれたのも嬉しかったです。その中で、一つご紹介すると(これ、ここで紹介してもいいよね?)ある日、コーヒートークの前に、『Mちゃんと、同じお部屋になりたいです』とガイドにお願いしてMちゃんが居た時は、泣きそうでした。『Rさん お酒をのんでますか?』と『エジプトで神官をしていた時お祭りを盛り上げる為にお酒を飲んでいたことがあったようです。酔わないで、周りのエネルギーをチェックするお役目をされていました。今世は、お酒を楽しんでくださいね。とのことです』😭泣きました。わたしはいつも、酔っ払ってはいけない。。。とどこかで感じていて浴びるように飲まないと酔わない為、、、アル中なのかな?と禁酒してみたりMちゃんの言葉がとてもとても腑に落ちて、救われました。これ、まるで私がお酒飲んでもいいですよって言われたみたいに、嬉しかった~こんなちょっとしたリーディングであってもそれが、その人に取って大きな救いになることってあるなあと。一緒の部屋になりたい、って祈って本当に一緒になったのもすごい。このRちゃんも、すごくピュアな方で私はいつも見ているだけで、癒されるのですがなんか、本当に素敵な人、多くて巡り逢えてよかったなあと。さて。1週間が経ちましたがまだ、私のゆっくりとしたでも確実な変化は、日々、静かに続いています。ふと気づくと、全ての時が止まっているかのようなでも、一方で、いろんな感覚の変化を感じていてこれがどこに行き着くのかまだわからないのだけど、限りなくゆっくりしています。朝起きてすぐに、シャキシャキと動いていたちょっと前から考えると、信じられない感じです。私は、まだ完全には戻っていない今の状態をどこかで楽しんでいます。むしろ、このちょっとボーッとして行動が遅い私を気に入ってすらいるので調整してしまうのが、ちょっともったいないぐらいです。言葉に限らず、何かが上手くできないことはけしてマイナスではないということはこれまでもクラスの中でもお伝えしてきたことだけどそれをまさに自ら体感しています。だって、面白いなと思うのはこうなる前は、ここ最近、ブログをアップするのはちょっと面倒とすら感じていたのに言葉がすぐに出てこなくなってから一番にやりたいと感じたことが自分の感覚や思いを言葉で伝えることだなんて。2009年からブログをやってきたので今もまだ、こんなにも次々と伝えたいことが私の真実を伝える言葉が、生まれて出てくるということにちょっと驚いています。今回、言葉をうまく伝えることができないという恐れやコンプレックスを持った方が予想以上にたくさんいることにも驚きましたがその方たちが、自分がまるで頭が悪い人であるかのように誤解されている方がいることも伝わってきました。違うのです。言葉がすぐに出てこないのは決して頭が悪いからではないし何も感じることができないからでもないんです。むしろ、そういう方ほどいろんなことを感じていることが多いのかもと、今回の体験を通じて感じました。うまく説明できないこと言葉が上手く出てこないことや頭が真っ白になることは感じていないこととや理解していないこととは全く違うのです。あのリトリートの時とその直後に私は自分が何を感じていたのか?を言葉に変換する作業をやりましたがもし、あの時に、これをやろうとしてもきっと、何一つ、書くことはできなかったでしょう。でも、だからと言って、何も感じていなかったわけではないし受け取っていなかったわけではなくむしろ、普段、観えていないこと感じていないことが、より多く観えていました。ただ、それを上手く言葉にできなかっただけでした。今回、頂いたメールの中に「今も書いたり消したり・・、自分の感覚と言葉がつながらないのと自分をよく見せたいというような思いがでてきてなかなか進まないのですが」とか「私は自分の感じたこと思ったことを言葉にしたり文章にするのにすごく時間がかかります。なので書いているうちに感動だとか、あふれるような思いだとかがどんどん鮮度を失って、しまいには何をどう感じたのかわからなくなって結局 伝えたり書くのをあきらめてしまうのです。でも、のりこさんがブログで私は上手く言葉にしょう、上手く文章にしようと伝えることより「上手く」に重きを置いていたのだと気づきました。なので今日はどんなに時間がかかってもいいからのりこさんに伝えたいと思いました」など。今の思いをそのまま伝えてくださった方が何人もいました。これこそが、真実をありのままを伝えるということだなあと。その人の真実が伝わってくるから心が動かされるのです。上手く言葉を伝えるなんてことが本当はなんの意味もないことを今回ほど感じたことはありません。だって、何をどう伝えようとも言葉を発した瞬間にそこにあるエネルギーの全てが伝わるのですから。そこに真実がなければすべては虚しいものになり得ます。実際は多くの人が、多かれ少なかれ、自分の感覚と言葉は、つながっていないのです。自分が本当は何を感じているのかをわかっている人の方が少ないのですから。何もわかっていなくて、ただ、相手に合わせたり、反応したりして言葉を発している人が、とても多いことにも改めて気付きました。さて、いろんなことは、多くの場合、多次元的に同時に起こっていて一つの出来事が、一つの要因から生まれるなんてことは、ほとんどありません。今回の木星遺伝調整のデトックスのアトランティスの過去世はある一つの次元での要因ですがそれだけでは、ありませんでした。宇宙系遺伝調整のデトックスとして起こっているのですから他の宇宙系遺伝が関わっていることはすでにわかっていました。ただ、私に取って、このアトランティスの過去世はそれら全てと関わっている一つのキーになっていたことは間違いなかったなあと。でも、これがアトランティスであるかどうか、というのはもしかすると、それほど大きな意味はなかったかもしれません。これは私の魂の根源的な意識でありエネルギーだったのだなあと感じます。そして、今回のデトックスの直接の要因は実はなんと言っても、ロボット系遺伝でした。ロボット系遺伝が、こんなにも深く切なく、そして愛すべき遺伝だったなんてこれまで、全く感じていませんでした。この続きはまた~~(まだ続くんか〜い)
2022年08月27日
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昨日、またメールがいくつか届いて「のりこさんの一連のプロセスを見て、自分を振り返り私は、自分がこんなにも愛されていたことに気づきました」という方がいらっしゃいました。ああ、私と全く同じです。それぞれの感じていることを読ませて頂くことはそのまま、私の気づきと癒しに繋がっていてそして何よりも今回、送られてきた、私へのたくさんの愛と感謝の言葉😭まだ一度も出会ったことがない人からもそして、ずっと前から大切だった人からも。この言葉がすぐに出てこない、という症状の引き換えにこんな愛と祝福を与えられるなんてそれって、あまりにも虫が良すぎない?ああ、でも、受け取っていいんだよね?ただただ、今は、愛を受け取っていいんだよね?ありがとう前日のブログの続きです。(前日のブログは、前々日のブログの続きです🤣)私は、届いたMちゃんからのリーディングを読みながらポロポロと涙が止まらなくなりました。そのリーディング内容自体は、全くその通りだな~と自然に、私の中に入ってきてなぜ、木星遺伝調整の後、このアトランティスの過去世のエネルギーがデトックスとして出てきたのか?の意味がすんなりと納得できる内容でした。使われている言葉自体はあまり馴染みのない表現もあったりしましたが内容自体は、これまでも私がいろんな形でマスターや宇宙から受け取ってきたメッセージのように馴染み深く、懐かしい感じがしました。Mちゃんが伝えてくれた母なる女神ガイアからのメッセージは今回のリトリートの女神の動画のために私が、ハワイのペレから受け取ったメッセージとほぼエネルギー的にリンクしていてまさに、そのままのメッセージだったのです。(その動画は、まだリトリートで流していないのでMちゃんは、まだそのことを知らないのですが)ところが、驚いたことに、後から、Mちゃんが伝えてくれたのは「のりこお姉ちゃんに何か役に立つメッセージを下さいって宇宙にお願いした時は無我夢中ででもいつもよりビックリする位クリアなパイプに自分がなっててただ必死で書き留めた内容をのりこお姉ちゃんに送りました。でも、自分で書いた文章を何度読み返してもチンプンカンプン。必要な方に届くシステムだったんですね!」 え?こんなにわかりやすい内容なのに?ちんぷんかんぷんだったの?私にとっては、逆にその方が驚くべきことでした。意味が全くわからず、この言葉を降ろしていただなんて。不思議なことに、このリーディングは、何度読んでも泣けてくるのでした。実は、私は、最初は、このメッセージは私が大好きなMちゃんが観てくれたものだからそれが幸せで、涙が出てくるのだろうと思っていました。前にも書いたように例え、それがどんなメッセージであっても、Mちゃんが私のために観てくれた、それだけで幸せという気持ちがあったからです。でも、それは実はそうではなかったということに丸二日後に気づくことになりました。丸2日間、自己調整をしないでいたのですが二日経って、ふと自己調整したくなりました。調整しなきゃとか、早く回復するために、ではなくてただやりたくなったのです。このブログを、ただ書きたくなったのと同じように。それで、ヒーリングスペースの椅子に座って筋反射で、情報を取り始めました。最初に上がってきたのは、ロボット系遺伝のエネルギーでした。実は、今回、このロボット系遺伝に関して自分が体験したことで、たくさんの気づきと発見があってああ、確かに、今またちょっと自分の気持ちがわからない感覚があるからこれロボットだな~と、とりあえず、さっと浄化して、じゃあ、今日はいよいよ、このロボット系遺伝調整に本格的に入るのかな?と思って、次の情報を拾ったら「前世」のページが反応しました。ちょっと嫌な予感はしましたが前世のスキャンリストを開いてみてみるとやはり、出てきたのは、アトランティスのカルマでした。あ~~やっぱり。まだこのアトランティスのカルマは抜けているわけじゃなかったのか。そりゃそうだよなあ。リーディングだけでカルマ抜けるなら、苦労しないよね。そう諦めて、でも、今回は、全く怒りや抵抗は感じることはなくじゃあ、今、できることはやろうとこのカルマリリースに取り掛かりました。筋反射で情報が上がっているということは何らかの調整できることを意味するからです。それで、いつものカルマリリースの時のようにそこにあるエネルギーにアクセスした後カルマをリリースするためのセットアップしてでは、実際の調整法としては、何を使うのだろう?と思ったその瞬間にあ~~Mちゃんのリーディングだ!!ということに気づいたのです。気づいたというより、もう雷のように衝撃的に私の頭に降りてきたとしか言えない感じでした。それで、急いで、彼女のリーディングのメールを開いて再び、その内容を読みました。その途端に、想像もしていなかったエネルギーのシフトが起きて私は、わけがわからないまま、号泣していました。いえ、その時、号泣していたのは私ではありませんでした。私とは違う男の人が嗚咽していたのです。今回上がってきた私のアトランティスの過去世は男性だったことも、そして、どんな役割の人だったのかも事前の筋反射からの情報ではわかっていました。でも、その瞬間までは、全く実感はしていませんでした。その時、Mちゃんのリーディングを読んで心の底から絞り出すように泣いていたのはそのアトランティスの過去世の私、その男性でした。それも、後から気づいただけでその泣いている最中の私は、何が起こって’いるのかはしばらくの間、わかりませんでした。ひとしきり泣いて、泣いて、泣き疲れて、その後はしばらくぐったりなっていました。そして終わった後、全てを理解しました。ああ、本当にクリアなチャンネルで伝えられたリーディングは、内容ではなくて、言葉そのものでもなくてエネルギーなんだということを。言葉の一つ一つの正確さ、とか、情報の的確さとかある意味どうでもよくてもちろん、どんな言葉を選ぶのかそれらをどうつなげるのか?と言ったことは全て関連していると感じますが全体として、私のこのアトランティスの過去世を解放するために必要な特別に組み込まれたエネルギーだったのです。強いていうなら、例えば、霊的なエネルギーを解除するために筋反射で、音叉の中から選んで、いくつかの音叉を鳴らして浄化したり、解放するようにMちゃんが、私の過去世を解放するためにエネルギー=言葉として選んで、つなげて出来上がったエネルギー。ああ、これが宇宙のリーディングなんだ。だから、例え、何度も受け取ってきたような内容であっても私の魂が震えるような感覚をもたらすのか。そのことに気づいてもうこれは、私のこれまで全てが意識転換するぐらいの驚きでした。ああ、だから、リトリートの対面リーディングだけで(セッションをしなくても)変化する人がいるという事の本質も改めてわかりました。私は、リーディングする内容そのものに囚われていたけど(それは、もちろんある程度は必要だったとしても)その内容を伝える私のエネルギーだったりその言葉を紡ぐことで生まれてくるエネルギーの方が大切なのだということを。これからの私のリーディングやセッションも変わる予感を感じました。という事で、ここでMちゃんから頂いたリーディングをシェアしようと思います。もちろん、これは、私のこのケースに対して出てきたリーディング、エネルギーであって誰のためにもならないことも十分にわかっていますが同時に、これまでの皆さんとの共鳴やシンクロを見ているともしかすると、どなたかの何らかのエネルギー的な変化につながる可能性もあるのかなあと。(特に一連のプロセスが、私とシンクロしている方には)これは、このブログを書き始めた時には全く考えていなかったことでしたがみなさんからのメールを読んでいてそんな風に気持ちが変化していました。ガイドからも、トートからも、そしてMちゃんからもこのリーディングをブログでシェアする許可は取ってあります。長くなるけど、覚悟はいい?(って、どんな覚悟じゃ)もしできるなら、言葉として内容を理解することよりそこにあるエネルギーを、ただ受け取ってみてね。(かと言って、例え何も感じなくても全く問題ないです)アトランティス時代において特に貴方はエネルギーシフトを好みエボリューション=進化、進化と前に進んできました。これは貴方のコアな部分である魂がエボリューションを発動しています。しかしあまりに進化を好みバランスが崩れてしまいました。バランスとはエボリューションとインボルーションが整っている状態です。肉体が一番インボリューションのバランスが整った物質です。肉体からインボリューションのバランス自然界のディーバ、ネイチャースピリットを学んでいます。貴方の魂が発動し、パーンとこれをやりたいという思いを、はーい、と肉体が受け取り筋反射で肉体に宿るバランスに聞いてひらめきやアイデアが生まれていました。貴方の努力はとても素晴らしい。しかしこれからはエボリューションとインボリューションのバランスをとりながら自然の中で自分で自分の肉体を褒めしっかりここにあるのだと認識しある事に目を向け、感謝をすると良いですよ。 環境や体を変えずに幸せになるのは難しいだから進化し、前に進み、喜びに変えると制限しているのは人だけで自然界はあるがままを継続する喜びに満ちています。母なる女神ガイアは、大きく両手を広げて貴方をありのまま受け止め貴方のそのままで一緒に自然の叡智から学んで欲しいもっと貴方の体を介して感じ地球のバランスと同調して欲しいと待っています。絶えず流れゆく自然界の様に、流れに委ねて今あるものに再び愛を注ぐ、という進化の方法もありますよ。体をたたいて良くしようとしたり無理をさせる事は自然界のバランスではなくアスファルトや人工のクリスタルを作るのと同じです。自然と同調して、気付いたらただ受け入れそこからのひらめきによって行動し、呼吸して休んで太陽を浴びて自分の内側にバランスがとれているか慈しみを持って問い掛けちょっと修正したい所が出てきたら元々持っていたパッションを呼び覚ましコミットして今の情熱を元々あった貴方の素晴らしい創造物に命を吹き込むと良いバランスがとれますよ。叶っている事をより叶えていく幸せを感じて下さい。貴方は素晴らしい叡智を持っています。ただ委ねて自然に、流れに。
2022年08月26日
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このところ、ブログをアップする度に何人もの方にメールを頂いて、その度に溢れる涙を止められないでいます。(時には爆笑させてもらっていますが😂)私のこの経緯をブログでお話しすることにした最初はただ言葉を紡ぎたい、という想いとリハビリも兼ねて書いてみようぐらいの軽い気持ちでした。そもそも、このブログは、最近は軽い放置状態になっていてリトリートの配信の記録日記ぐらいのペースだったのでそんなに多くの方が読んでくれているとさえ全く思っていませんでした。だから、この現象に驚くのと同時になんと、宇宙は、想いもしなかった方法で奇跡と豊かさを与えてくれるのだろうと。頂いたメールの全てが私の宝物です。皆さんの素晴らしい気づきや感動を私一人で読むなんてもったいない感じすらしてここで全てをご紹介したい気分です。もしかすると、後で、いくつかご紹介させてもらうかもしれません。私に送られたメールは無断で掲載する可能性があることをご了承ください。(って、これは、以前、確か心屋しんのすけさんが彼のブログで伝えていた言葉のパクリです)もし、掲載不可の場合は(掲載不可)と一言、お伝えしてくださいね。(もちろん全て匿名ですし、その人が特定できるような言葉は省きますが)本当にありがとう前回のブログの続きです。この日の朝(正確には、夜中、朝方3時ぐらい)起きて、私は自分の症状が変化していることにすぐには気づきませんでした。なぜか、起きてすぐに、私は怒りを感じていました。誰に対して怒っていたのか?アトランティスに対して?人生の不条理さに対して?アトランティスのカルマからいまだに抜けれない自分に対して?トートに対して?自分でもよくわかりませんでした。トートに対して怒りを感じる理由を考えてみました。「去年のピラミッドの中でトート指導のもとやったワークがあれが最後の私のアトランティスのカルマだったんじゃないの?』 →最後だなんて、そんなこと、トートは一言も言ってなかった。「じゃあ、なぜ一言『まだアトランティスのカルマ残っているよ』と 伝えてくれなかったの?』 →もしかすると、伝えてくれたかもだけど 私が終わったと思い込んでいたから その情報を受け取らなかった? いや、あの時ワークしたカルマは解消されたけど まだ他のアトランティスのカルマは まだ外す時期じゃなかったのかも?と色々考えても、トートに対して怒る理由なんてどこにもないことは、明白でした。ふと、ちさとちゃんとたかしくんの3人のライングループに二人からのラインが入っているのに気づきそのお返事を書いた後そこに、その時、私が感じていたそのままの感情や怒りをラインしました。「なんで、まだ、アトランティスなの。もううんざり」みたいな感じだったと思います。冷静に考えてみて、朝、起きて、一番に読んだ友人からのラインが「アトランティスのカルマに対する文句」だったとしたら皆さんは、どう答えます?答えようがないですよね~😅いや、今はそう笑えるのですがその時の私は、そういう思考には行き着かないんですよね。で、当然のように、二人からは、何の返事も反応もなく。こういう時、下手な返しは、決してしてこない二人は尊敬すらするけどせめて、読んだよ👍、マークぐらいつけて欲しいわ。(と、ここで注文をつけてみる)と言っても、この二人の私に対する深い信頼と愛は、今回もひしひしと感じていて支えてくれたことに感謝しかないのですが。と、一気にダダ~~と自分の想いをラインに書いていてふと、え?思考が戻っている?ということにやっと気づきました。その前日までは、たった数行のラインを書くのにも「これは、私が思っている感覚を表す言葉なのかな?』と、何分も考えたり、時には、1時間以上、かかって何度も何度も確かめないと、よくわからずラインを送った後も、何かもどかしさが残っていたのにその日の朝は、いつものように自分が感じたことをそのまま、あっという間にラインしていたのでした。ぎゃ~~~!!本当に戻っているの?周りを見渡してみました。周りの風景を、すぐに理解できることを、確かめてから直接、人と話ができるかどうかを確かめたくてくれちゃんにラインしたら、今からでも電話できるよ~というので、すぐに電話しました。そして、口から言葉が出てくる自分に感動して、電話して、これまでの経緯を話しながら、ボロボロと泣きました。必ず、いつかは抜けれるとわかっているけれど真っ暗なトンネルの中を手探りで歩いて何か光(ヒント)を探していたらいきなり、ヒントもなしに出口にたどり着いたそんな感じでした。電話を切った後では、なぜ、いきなり抜けたのだろう?と私のキネシ脳が検証し始めました。1)昨日の最後に、私が半ばヤケクソのようにやった アトランティスに対するワークが効果を発して 寝ている間に抜けた。2)木星遺伝のデトックスとして出ていたものが ある程度の時間や日数が経ったので、自然と抜けた。3)Mちゃんが、リーディングで私のアトランティスの過去世に アクセスしたから なんらかのエネルギーのシフトが起きた経験的に、考えられるのは、この3つだなと即座に思いました。でも、1の場合は、あまり経験としてないというか私は自己調整を行った場合、大抵は、自己調整したその場ですぐに感覚や状況が変わるので寝て起きてから変わる、ということはこれまでほとんどないのです。2のデトックスが自然に抜けた、というのは十分に考えられます。クライアントさんのデトックスの多くは、数日経つと抜けて、元に戻ることがほとんどだからです。でも、この場合、では、一体何がデトックスとして出てきて抜けたのか?という疑問は残ります。そして、私が今回、即座に感じたのはやっぱり3の可能性でした。これはキネシオロジーでもそうなのですが相手のカルマにしろ、過去世やエネルギー的なブロックにしてもその情報にアクセスした途端なんらかのエネルギーのシフト(解放)が起こってまだ何も調整していなくても、それが変化することはよくあるからです。Mちゃんがリーディングして、アトランティスにアクセスしてくれたのに違いないそう確信しました。そうして、しばらくしてMちゃんからのリーディング内容が届いていました。と、ここまで、朝起きて、一気に書いたのですがまだ何も水も飲んでいなかったことに気づきました。今日は、ここまでにします~ああ、きっと、少し前だったら、この続きも一気にアップしていただろうな〜と。なんか、朝からブログって、ここ最近の新しいパターンかも。
2022年08月25日
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2日前から、ブログにここ最近の経緯をお話ししていますが症状自体は、まだ残っていて完全に元に戻っている訳ではありません。ブログを書いているとわかるのですが書くことに関する脳の働きはほぼ元の状態に戻っている感じですが視覚情報の処理が遅いので(昨日、買い物に行ってみてわかった)だから、リトリートなどでお話しするのはもうちょっとだな~という感じです。今回、少しずつゆっくりと進んでいます。少し前までの私だったら、さっさと一気に調整して元の自分に戻しすぐに遅れている仕事やプロセスに取り掛かるという感じでした。でも、丸2日間、自己調整をしないで過ごすということをやりました。これは、私にとっては、ちょっと画期的なことです。例えば、旅行中など特別なことがない限りはこの10年近く、二日間、自己調整しないのは数えるぐらいしかありませんでした。しかも、自分が本調子ではないのにそれをしないでいるというのは私にとっては、あり得ないようなことです。二日間、調整しないでいてわかったのは確かに、調整しないでいると、状態の変化は遅いまたは、変わらないということです。実は、何をどう調整すれば元に戻るのかはある程度、わかっているのであとは、調整するだけとも言えるのですがそれをすぐに調整しないで、ゆっくりと過ごしながら自分の感覚をただ感じてみるというプロセスをやっていくと、自然といろんな感情や感覚が湧き上がってくるのですね。それらをただ感じて、時にはポロポロ泣いたり、みなさんからのメールを読んでそのエネルギーと共鳴して泣いたり(基本、泣いてばかりだけど)湧き上がる圧倒的な幸せ感に浸ったり。少しずつ進む、または、立ち止まりながら進むそんなプロセスを行っている自分をとても新鮮に感じています。早く進化、変化することが、必ずしも必要ではなくて少しずつ進むことによってより何かをじっくりと感じることができるのだなあと。私としては、まるで、天から降ってきた特別なバケーションのような感じでいて体調不良とか、そう言う感じでは全くないです。でも、参加者のみなさんから頂くメールに「ゆっくりと回復されてくださいね」という暖かなコメントが多いのに完全に甘えています。ちさとちゃんが「暖かなコミュニティだね~」とラインで伝えてくれましたが本当に、この暖かで優しいコミュニティに出会うことができた祝福は、すごい奇跡だなあと。ありがとうございますゆっくりと今の想いを書いてゆきますね。今回、何人もの方に「私も言葉がすぐに出てきませんでも、今回、のりこさんの状態を見て逆に、私も変わることができるのかもという希望を持ちました」という内容のメールを頂きましたがもちろん、いくらでも変わることができます!!私も、ここまで言葉が出てこないのは、初めてですがもともと、昔は、吃りもあったし言葉はすぐに出てこない、話すのは苦手な人でした。でも、それは決して私にとっては、マイナスではなくて以前は、自分が上手く話せないことが何か一つの可愛いキャラクターみたいに捉えていたなあと思います。「もし私だったら、あの状態で人前に立つのはおかしくなってしまいます」と伝えてくださった方がいましたが確かに、私もあのリトリートの時自分の気持ちがよく分からないとは言えさすがに、リーダーとしては、この状況はまずいよねと、若干の焦りは感じていました。でも、例え、上手く話せなくても周りの人は、それを受け入れてもらえることも若い頃からの経験でわかっていました。もちろん、言葉がスムーズに出てきた方が自分は楽ですが、上手く話せないことは、私の価値には何一つ影響を及ぼさないのですから。なので、あの時は、みんなと一緒にいたいという気持ちでした。もちろん、これは、リトリートが、もう11回目で参加者の多くが、すでに私のことを知っている、という安心感があったからなのは、間違いないです。どちらにしても、すぐに回復するだろうと思っていたこともあって、安心していたのでリトリートが終わってとりあえず、寝ようと、お昼寝しました。そして起きると、自分の気持ちや感覚がわからないというのもありますが視覚情報が上手く処理できないということに気付きました。例えば、キッチンにバナナがあるとしてそれをバナナであると認識したあとそれを、今、食べたいのかどうか?を感じるという単純なプロセスが、すごく難しいのです。まず、バナナという言葉と視覚の一致とさらに、自分の身体の状態を感じてお腹が空いているかどうかとか、普段、当たり前にやっていることがこんなにも難しいことなのか、というのを体験しました。だから、お腹が空いているのを感じて冷蔵庫を開けても、何を食べれるのか、食べたいのかすぐにわからず何分も冷蔵庫を開けっぱなしでボーッと中を見ているような状態なのです。視覚情報の処理能力と自分の感覚や気持ちを受け取る力がリンクしていることに、改めて気付きました。ああ、だから、感覚のブロックがある人と視線を合わせるのは難しいのだなあと。う~、これは、さすがに調整しないと生活そのものが大変なのだな、と、やっと自己調整をスタートしました。きっといくつかの遺伝調整をすれば、元に戻るだろうと思っていましたが筋反射は強くブロックがかかっていました。やっぱりそうだよね〜、と何がプロックしているのか、と情報を拾って出てきたのが視覚情報のブロックとリンクしてビジョンを受け取ることの抵抗でした。またそこか~、と思いました。そして、トートから言われたのがMちゃんとのエネルギーコードでした。あ~そう言えば、Mちゃんとコーヒートークでお話ししてから、こうなったんだった何かリンクしたのかな?と見て出てきたのが、Mちゃんとのアトランティスの過去世でした。その瞬間に、自己ヒーリングを止めたくなりました。今更、まだアトランティスのカルマ?去年、エジプトのピラミッドの中であれだけワークしたのに?日々、アトランティスのテクニックを使って遺伝調整をしているのにそれでもまだカルマが残っているの?このブログでも何度も書いてきましがもう10年も前、フィボナッチヒーリングをやっていた頃からアトランティスの過去世のカルマはワークしてきました。一時は、そんな非現実的なものは私には関係ないと切り離してみたりもしたし去年エジプトに行った後は、トートとのつながりもしばらく絶っていたこともありました。正直、もううんざりしてアトランティスは十分やったと私は、その情報をスルーして別の要因を見て行きました。でも、他の要因を見ようとすると、ブロックがかかって上手く筋反射が取れませんでした。それで、自己調整をやめてそこから、また眠りました。こんなに寝たのは、何年かぶりでした。起きたら、お昼でした。そう言えば、この時間、翔平くんの試合じゃなかったかな~と、働かない頭でボーッと考えてネットで、MTB T Vを付けてみました。ちょうど、翔平くんの投球がスタートしたところでした。その表情を見た瞬間、どどーっとエネルギーが入ってきてあ~これはヤバイ、とドキドキしました。もちろん、ファンなら誰でもあの日の翔平くんの登板はやばいと思ったと思いますが彼が、ツーアウトを取った直後「あ、今から打たれる!」と確信した瞬間に打たれて、3点を入れられました。多分、普段の私なら、まあ、こういう時もあるよねで終わっていたでしょう。でも、この時は、私が一瞬感じた恐れがすぐに目の前で現実化したことに、ショックを受けました。ああ、これだから、私はビジョンを受け取りたくないんだな、と。そして、あのリトリートでの状態を理解しました。視覚処理が上手くできない状態だからこそ思考のブロックが働かずそのままのビジョンを受け取ってしまうことも。とうとう私は降参して、トートの伝えてくる通りにアトランティスの過去世の情報を拾って行きました。筋反射は、スムーズに取れ始めああ、やはりここなのか、と思いつつでも、情報を拾って行けば行くほどこの過去世を調整するのはもう私には無理と言う気がしてきました。集中力も気力もなく、半ばどうでもいい気分でした。そして、どれだけ、私はこのカルマをワークしてきたかを思いもう嫌だ、もうこんなことどうでもいい私にはアトランティスの罪悪感なんて全くないどうだっていいのだから、と、ボロボロ泣きました。ガイドから「ヘルプを求めること」というメッセージが出てきました。ヘルプ?誰に?誰かに話を聞いてもらうということ?わからなかったので、メッセージをスルーして、眠りました。自己調整しようとすると、ガイドからもトートからもいくつかのメッセージがありました。でも、そんなメッセージさえも、この時の私の心には響かず、どうでも良くなっていました。目覚めると、ふと、Mちゃんにメールしてリーディングしてもらおうという気が湧いてきました。それで何がどう変わるか、なんて、わからないけれどもし、本当に、私と彼女のアトランティスの過去世がこの症状に関わっているのなら彼女しか、これを受け取ることが’できる人はいないだろうなと。それで、彼女にメールして、リーディングをお願いしました。メールした後は、それまでの悲しみが消えて満たされた気分になりました。きっと、彼女は私のために、全力で観てくれるということは、もうよくわかっていたしそれだけで、私は十分、幸せなのだろうなということが、よくわかっていたからです。自分がとても大切に思っている人が自分のことを、とても大切に思ってくれているのが感じられるそれが言葉を超えて、場所を超えて人とハートでつながっているということだなと私は思うのです。昨日、頂いたメールで「私は私の感じていることを、誰かと分かち合いたかった」というメールを頂きましたが本当に、その気持ちがよくわかります。誰かと分かち合うことでしか、私たちはこの世界に存在していいと自分を肯定することができないのだなあと。だから、誰かと分かち合うために、自分の感じていることを言葉にする必要があるんですね。でも、本当は、上手く、言葉にできなくても相手に想いを伝えることができるのです。それが例えば、相手の目を見ることだったり触れ合うことだったり、手紙やメールの一言だったりそれは、その時々で違うでしょうが大切なのは、上手くできるかどうかということではなくただ伝えたいという想いだけだなあと。そして、今回、みなさんから頂いたメールでそれぞれの方の想いは全てしっかりと私に届いています。一人、一人に、お返事を書きたい気持ちが出てきますがもしそれをやると、きっと長くなるしそれは身体を無理することにもなるのであえて書かないでいますがたくさんの共感と気づきを頂いています。ありがとうということでその日の夜、私は、Mちゃんにメールして朝、目覚めたら、症状は消えていました。いえ、実際は、完全になくなったわけではないのですが明らかに、思考が変化していました。ということで、続きはまた~~(引っ張るな~)
2022年08月24日
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ソウルメイト(魂の友人)と一言で言ってもいろんなレベルで、いろんな形があるなあと思います。パートナーとの関係だったり、親しい友人や仲間の場合もあれば私の場合は、リトリートやクラスで出会う人たちだったりします。「魂の友人」ですから、その人の魂レベルでの変容や学びをお互いに与え合う関係を差します。だから、いくら仲が良くても、一緒にいたとしても魂の学びを促進し合わない相手はソウルメイトとは、私は思っていません。そして、魂の学びは、いつでも、涙と感動を伴うのです。例えば、私のあり方が、その方の何かに深く作用しその方の深いレベルでの変容を促したりさらに、また私がその方の変化を知ることで心を揺さぶられるような感動をした時私は、ああ、ソウルメイトだな、と感じます。今回のことで、何人もの方にメールを頂きましたがそんな方が何人もいらっしゃってああ、私がこうなって良かった、私のそのままを出して良かったと毎回、涙しながら読んでいます。一人、一人にお礼のメールもできていませんが私にたくさんの感動と気づきを与えてくださって本当にありがとうございます。私にとっては、ずっと一緒に動画を制作しているくれちゃんとの関係も、ソウルメイトだなと感じることが今回、たくさんありました。今回のことを通じて、お互いに学びと気づきが高まって私は彼への信頼がさらに深まっています。近いうちに、また一緒に旅する和美ちゃんやその他の友人とも、ソウルメイトだな〜と感じる瞬間は多いです。先日、私の元パートナーおさむと、久々にラインしましたが間違いなく、彼も私の人生の中で、大切なソウルメイトでした。今回の女神ワークの映像にハワイの古典フラ、カヒコの映像を使ったのですがもともと、そのカヒコの素晴らしさを教えてくれたのが彼だったことを、ふと思い出して改めて彼に「ありがとう」とお礼を伝えたのでした。今回の女神ワークの映像のために私は、カヒコの動画を何十、何百と見て使えるものを探したのですがでも、実際に、彼とメリモナークで生のカヒコを見た時の感動を覚えていたからこそあのエネルギーを伝えたいという思いで作ることができた動画でした。10年近く前、カヒコの素晴らしさを彼に伝えてもらっていたから、今につながったのだなあと。ソウルメイトは、お互いの学びが終われば自然と離れることも多いのですが全ての出会いと学びと感動に感謝しかありません。(もちろん、一旦、離れても、またタイミングによって再びつながることもあります)さて、昨日、少し話したMちゃんのことについてここでお話ししておきたいなあと彼女の了承を経て、これを書いています。3月にリトリートがスタートした時とにかく表情が豊かで、誰よりも目立っていたのがMちゃんでした。この話は、以前もブログに書きましたが確か、1回目のリトリートの放課後でMちゃんが、このリトリートに入ったきっかけを教えてくれたのですが彼女は、これまで私のブログの存在すら知らずもちろん、このリトリートのことも知らなかったのですがある日、エジプトの女神セクメトからこのキーワードで検索しなさい、とGoogleで検索させられてそれで一番最初に出てきた私のブログがこのリトリートの告知で「このリトリートに参加するように」と伝えられたとのことでした。(もしかすると、細かいところは違っているかもだけど)最初、Mちゃんは、嫌だ嫌だ、参加したくない、怖いと抵抗したそうですが、女神セクメトから「この人(私のこと)は、あなたが今まで出会ってきた人たちとは、違うから大丈夫よ」と説得され彼女は嫌々ながらも参加を決めたとのことでした。でも、Mちゃんは、一目、私を見て私のことを好きになってくれてすごいニコニコの笑顔で、大きく頷きながらその場に楽しそうに参加してくれていました。わ~この方、なんかすごい方だな~と思っていたのですが私はセクメトとは、一度もつながったことはなくだから、そんなご縁のない女神様がなぜ、私を推薦してくれたのだろう?と、すぐには信じられない気持ちでした。なので、その後、トートに質問して見るとトートから「彼女は、宇宙系遺伝を学びにここに来てる。彼女とあなたはソウルメイトだから、つながって、お互いに学び合うように」というメッセージが出てきました。なるほど、そうなのか~ともしトートが彼女を私につかわしたのだとしたらまた何らかの修行になるのかなあ、と正直、ちょっと気合が入りました。そして、その後、しばらくして自己ヒーリングを行なっている時に私のところに初めて女神セクメトがやってきてくれたのがわかりました。全然、私が思っていた厳しい感じとは違ってすごく慈愛の深いエネルギーでした。ひたすら優しくて「あなたは、本当に素晴らしいですよ。もっと自分を褒めなさい」と手放して褒めてくれて、去って行かれました。こういうのは、私のエゴが作り出した無意識のストーリーかもしれない可能性があるのでいつも話半分に受け取っているのですがそれでも、その優しいエネルギーだけは、ハートに残りました。今度、エジプトに行ったら、必ずセクメト女神とつながろうと。その後、少しして、Mちゃんからメールがあり「トートさんと今日、初めてつながりました。紹介してくださってありがとうございます。全然、怖くない方でした。たくさんいろんなことを教えてもらいました」とトートとの経緯を話してくれました。ああ~やっぱり、トートは、Mちゃんのところに行ったのね。と、身が引き締まる思いがありました。もちろん、文字通りの意味ではなく私がトートを紹介したわけではないです。強いて言えば、その人とソウルメイトの関係になることによってお互いのご縁が深いマスターとつながる、という感じでしょうか。私のところに、Mちゃんとご縁が深い女神セクメトが訪れてくれたのも、同じだと思っています。それから、Mちゃんは、トートから特訓のように学びその学びを私に伝えてくれました。私もMちゃんに筋反射で上がってきた情報をお伝えたりまたMちゃんからは、トートから「のりこにこれを伝えて」と言われたと私に必要な情報を伝えてくれたりして彼女に随分と助けられました。こうして、何度メールのやり取りをしたことでしょう。M’ちゃんは、のりこお姉ちゃんと呼んでくれていつしか本当に姉妹のような感覚になっていました。Mちゃんは、いわゆる、超サイキックです。でも、これまでに出会ったことがないタイプでした。サイキックと一言で言ってもいろんなレベルで色々あって、どれもそれでいいと思うのです。直感の延長みたいなものでもあるし本来、誰にでも持っている能力と言えます。でも、これまで私がこの超レベルのサイキックとして信頼したのは、一緒にエジプトに行ったえずみんとこのMちゃんの二人だけでした。なぜ、二人は、ここまで完全に信頼できるのだろう?と思った時に、二人とも、その特出した能力もありますがベースにあるのが圧倒的なピュアさだからだと気づきました。もちろん、人間なので、エゴもあるし、間違いや混乱もあります。でも、えずみんもMちゃんもいつもそれをしっかり自分で向かい合おうとしていたし本当にそれがピュアな情報なのか、確かめながら上からのメッセージを真摯に受け取ろうとしていました。あまりにも、自分自身の問題は山積みのまま他の人のリーディングを行ってしまうとその方の問題が、全てフィルターとして偽情報をもたらしてしまうのをこれまで何度も見てきました。例え、2割が真実でも、8割はその人が作ったストーリーだったり。(もしくは、3;7なのか、1;9なのかは人によりますが)その2割を見抜ける人ならいいのですがそうでなければ、そのサイキックの方の伝える8割のずれた情報に翻弄されてしまうことになります。だから、本当に見えないものを取り扱うのはそれに向かい合うピュアさが大切だなと。いえ、このピュアさが、私にとっての全てだったのかもしれません。もしも、この二人にこの特出した能力がなかったとしても私は、二人のあり方や性質が好きだからただ友人としてつながっていたかったのだなあと思うのです。2018年に、えずみんが私の前に現れた時それまで、一人で宇宙系遺伝を研究してきたけどこのレベルで、信頼して全てを分かち合うことができる友人が初めてできた、と思いました。二人で一緒にエジプトに行き、それからも二人で一緒にいろんなことをやるつもりでした。でも、運命はそうはなりませんでした。えずみんが、今もリーディングをやっているのかいないのかさえも、私にはわからないのですがいつか、また一緒に何かがやることができると信じている、とある時、私は彼女に伝えたら彼女も、私もいつかそうなるように感じている、と答えてくれました。でも、それは、まだ今ではないのでしょう。そして、今年、私の前にソウルメイトとして現れたのがMちゃんでした。えずみんとMちゃんは、性格も性質も全く違いますが壮絶な半生を送ってきた、という意味では似ていました。それと、二人とも、エジプトのミイラ好きなのも一緒でした。えずみんは、私とエジプトに行った時にもとにかくミイラミイラの人だったしMちゃんは、日本でのエジプト展に行ってそこにいるミイラと何時間もおしゃべりしているような人です。先日のコーヒートークで、Mちゃんが「私、サイキック能力を活性化させるためには大変な人生を選ばなればならないと感じていたようで最近、そのことをガイド(マスターだったかも)から指摘されました」と言った時に、はっとしました。私も全く同じことを感じていたからです。ここまでのサイキック能力を活性化させかつピュアでいるためには相当な壮絶な人生を経てそこからのエネルギーを全て浄化、昇華しなければ難しいだろうと、二人を見ていて何となく感じていました。だから、私は、そういう人生を選んだ二人に対して尊敬はしても、自分自身はそうなりたいとは思いませんでした。Mちゃんは、その尋常ではないピュアさ故に信じられないような苦労を選んできました。でも、そのメッセージが上から来たということはもう彼女が、そこから抜ける時期にあることを意味します。そして、もし、彼女が、そこから抜けたなら、私には彼女が女神のように輝いてゆく未来しか観えてこないのです。そして、彼女の気づきと学びは、そのまま今回の私の木星遺伝調整とリンクしているように意識のどこかで感じていました。ソウルメイトは、いろんな次元で学びや気づきがリンクして相乗的に起こることが多いことをこれまでの経験で感じていたからです。以前、Mちゃんに「今、深い闇が色々出てきて、ワーク大変~」とメールした時があったのですがそうしたら、こんなお返事が返ってきたことがありました。「のりこお姉ちゃんは私の中で、太陽や鬼滅の刃の大好きな煉獄さんみたいなイメージなのでのりこお姉ちゃんにも深い闇があるんだーって驚きました。トートから、すかさず「のりこを神格化しない事。敬意を持って学ぶ事と、神格化する事を混同しない事。彼女は自分の闇に目を逸らさず、何度も何度も真正面からしっかり向き合い有言実行しているからこそ、伝える言葉にパワーがある。1人の人間としてこんなにも味わい深い者はいない。(味わい深いって所がポイントって言われました)沢山彼女から学び、そして自分の愛をもっと大きくする事で見える世界が必ず変わる。頑張りなさい」って言われて、はいっ‼︎て正座して返事しちゃいました。トートはいつも的確に教えてくれて実は愛情深いんだな~ってこっそり思いました😊」このメールを読んだ時に、号泣しました。こんなメッセージ、もしも私が自分で受け取ったとしてもきっと私のエゴからの情報だろうと全く受け取らなかったことでしょう。でも、Mちゃんからのメッセージはそのまま受け取ることができました。それが、今年の私にとってどれだけ大きな勇気と励みになったことなのか。彼女に感謝しても仕切れないのです。妹のような存在だけど、何があったとしてもずっとつながっていたい大切な友人であり、ソウルメイトです。Mちゃんとの出会いは私にとって、また新たな視点を開かせるものでした。ここまで深くつながっているのに、まだ一度も実際には会ったことがないというのも不思議な感じがします。さて、そのMちゃんと、今回、たまたまコーヒートークで一緒になったことがこの一連の私の出来事に関連していました。いえ、もちろん、たまたま、なんてことはないわけでこれは、全て完璧なタイミングでそうなっています、と後からガイドに言われましたが。事実は小説より奇なり。いつもそのことを思います。読んでくださってありがとう。この続きはまた~。
2022年08月23日
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今、この瞬間に何がしたいかといえば、ブログを書くことというのが自分の中から出てきたのでまだきっと言葉がうまくつながらないけど今の感じをただ書いてみるにしました。例え、誰も読まなくても、事の経緯と、今の感覚を残しておきたい言葉を繋げるということが、こんなにも自分の中で必要なことだったのだということに改めて感じています。先日のリトリートに生参加してくださった方はある程度の内容をご存知なのですが先日、ブログをアップしてから、いろんなことがありました。ブログをアップした時点では、なんかボーッとしてやる気がないなあという感じでした。私のモチベーションが消して途切れることがなかったのはこの木星遺伝が強力だったからだったということに改めて気づきました。ほんの少し前までは、宇宙の旅の動画のナレーション作りと映像を探す作業もプログラム作成もそして、クラスのためのリーディングも自分自身の遺伝調整も、やりたいこと、やるべきことは山積みで、モチベーションが下がる暇なんて一瞬たりともなかったのに木星遺伝がなくなった途端、まるでつき物が落ちたかのように、全てにやる気がなくなったのです。で、翔平くんの試合を見て、その後も、翔平くん関連のユーチューブやTwitterを見て、だらだらと過ごしてそれでも、何一つ、焦ることもなくああ、このまま私は、一生、翔平くんの試合だけ見てればそれで幸せだな~、という気持ちにさえなっていました。確実な異変に気づいたのは、夜になってからでした。ふと気づくと、今までに感じたことがない違和感なのです。言葉に表すのは何とも難しいのですがまるで自分がどこにもいない感じ。何かがおかしいということはわかるのですが頭が働かないので、何がどうおかしいのかがわからない。それが、木星遺伝調整のデトックスだと気づくまでに4、5時間かかりました。途中で、ああ、これは木星遺伝調整のデトックスなのか?と気づきガイドに聞いてみたら「恐れることはない。その直感を信頼して進めなさい」と出てきて、とりあえず、落ち着いて情報を拾って言ったら最初に出てきたのが、ロボット系遺伝でした。ロボット系遺伝は、4種類あって、どれもまだ遺伝的に持っていましたが筋反射のブロックにはならないし、ちょっと馬鹿正直なところが性質的に出てきやすいだけだしとこれまでは浄化だけしてほっておいた遺伝でした。それが、木星がなくなったことで、前面に出てきていたので自分が何を考えているのか、感じているのかが全くわからないまるで自分がいない、という状態になってしまったわけです。で、とりあえず、ロボット系遺伝を浄化したら落ち着いてきたのですがその後も残っていたノンモ遺伝や未確認型の遺伝をいくつか浄化してやっと楽になってきて一晩寝て起きたら、ほぼいつもの感覚に戻っていました。結局、私のハイヤーセルフの大部分を占めていた木星遺伝がなくなったので大規模なハイヤーセルフの再生作業が行われてそのプロセスの中で、残っていたいくつかの遺伝のエネルギーがデトックスとして出てきていたようでした。それで、モチベーションも再び出てきて土曜日配信のリトリートの準備をし当日に臨んだのでした。ところが、そこで想像もしていなかった事がおきました。私は、これまでは、本番前のコーヒートークには参加したことが一度もありませんでした。本番では、長時間、私が主体で話し続ける必要があるし少しでも、エネルギーを温存して、生配信中はベストのエネルギーで望みたい、ということもあったしまた、本番直前まで、さらにプログラムやリーディングをより良いものにするために、1時間でも時間を使いたいというのがあったからです。でも、木星遺伝がなくなって、別にそこまでやらなくていいんじゃんただ楽しめばいいんだしとあ、コーヒートークに参加してみようと思い立ちました。その日、コーヒートークのホスト役にちさとちゃんに入ってもらっていたのですがちさとちゃんに「私も今日、コーヒートークに参加するから」と伝えたのです。すると、彼女が、一瞬、不安そうな顔をして「この部屋は、Mちゃんがいるよ」と伝えてきました。(このあたりの直感が、彼女のすごいところ)後で、詳しく話しますがMちゃんは、私のソウルメイトともいうべき人でこのリトリートの最初から、トートに導かれてお互いにメールでいろんなことを分かち合ってきた人です。彼女も、私のことをお姉ちゃんと呼んでくれていて本当の姉妹みたいに感じていました。それなら、尚更、この部屋に参加したいわ、そう伝えて、私はズームの部屋に参加しました。そこには、Mちゃんと、もう二人の方がいてこの二人もすごくいい感じでみんなととても楽しくお話ししてホンワリと暖かな気持ちになり、ああ、コーヒートーク参加して良かったな~と思いました。ところが、最後の方になってだんだん、私の感覚がおかしくなったことに気づきました。またあの自分の気持ちがわからない、何を自分が考えているかよくわからない状態になったのです。これは、まずい、早く調整しなきゃと思ってもコーヒートークが終わってから、本番スタートまでに10分ぐらいしかないので何が上がっているかの情報を拾う時間はありませんでした。ああ、このおかしな感覚のまま、今回、最後までやれるのだろうか?そう思う間もなく、本番がスタートしました。みんなの前でマイクのスイッチを入れた瞬間あ、これは無理だ、とても私は今日、リトリートを進めることはできない、ということを悟りました。言葉が全く出てこないのですから。それで、参加者に、今の私の状況を正直に伝えることにしました。と言っても、自分が何を話そうとしているのかが全くわからないのです。例えていうなら(この例えが伝わる人は伝わるけど)草やMマッシュルームを取った直後のような感じで(もう、そういうのは、20年以上やっていませんが)感覚は開いているけど、思考(言葉)と結びついていない状態です。でも、とりあえず、一瞬も思考が入る余地なく話をしました。この思考が全く働いていなくて、話をしている感覚というのはなんとも不思議で自分が何を話そうとしているのかが全くわからないのにただ言葉をだらだらと発しているのです。それで、他の人にどう見えるのかもわからなかったのでちさとちゃんに「これで私やれると思う?』と聞いてみたら彼女が即答で「これは無理ですね。リスケジュールしましょう」と言ってくれて、ホッとしました。この状態をまずいとわかってくれる人がいることが救いでした。たかしくんとちさとちゃんがメンバーでいてくれて本当によかった、と感じた瞬間でした。でも、私は、このまま終わりたくない気持ちだったのでそれで、ちさとちゃんが、私の様子を見て「それでは1時間だけ、放課後形式で話をしましょうか?」と、提案してくれました。(そのあたりの機転もすごい)たかしくんがバースデーだったので、そのお祝いをしてその後、何人かに話をしてもらう、という放課後のような会になりました。そして、妙な現象に気づきました。いえ、正確には、その時は、どういうことが起こっているのか全くわかっていなかったのですが後から、こういうことだったのか、と理解できた感じです。私は、画面に見えている人、全てのエネルギーを受け取っていました。どの人にフォーカスしても、その人のエネルギーや思考や感覚がドド~~と私の中に入ってくる感じなのです。私の今のこの状態を、その人がどう捉えているのかも痛いほどに伝わってきました。ほとんどの方は、みんな暖かな目で見守ってくれていてそれが、私に取っての居心地の良さを作っていました。この支離滅裂な状態でここにいてもいいという安心感。ふと、中に、お二人、初めてお顔を拝見する人がいてあ、初めての参加の方だ、とすぐにわかりました。普段の私だったら、いきなり初めて参加した人に発言を求めたりはしなかったと思うのですがこの時は、全く思考が働かない状態なので自分が感じたことを、即発言することしかできずいきなり、その二人に「初めてですよね?どうしてこれに参加しようと思われたんですか?』と質問していました。二人とも、すごく繊細でいて、奥深いエネルギーの方で(思わず、瞳に吸い込まれそうになった)すごく穏やかに答えてくださいました。でも、何を言ってもらっても、何一つ、コメント返しができないのです。それに対して、いろんなことを感じているのに、も関わらずです。私が受け取ったのは、その方の持っているエネルギーや感覚でもちろん、普段も多かれ少なかれ、そういうのは感じているのですが思考が全く働いていないこの時ほど、思考のジャッジがないのでその方の本質的なエネルギーが、全身で伝わってくるのでした。これは、発言している人でも、話していなくても関係なく、伝わってきました。わ~これは、すごい状態だな、どこかでそう感じてはいるのですがこの圧倒的な情報量をどう処理したらいいかわからず余計に混乱して、言葉が出てこない。自分がどうしたいのかは全くわからないし疲れているのかどうかもわからないのでとりあえず、1時間ぐらいで解散することになりました。その後、いろんな方からメールを頂きました。本当に嬉しかったです。何が嬉しいって、私のあの状態を見て何人もの方が、自分のことして捉えたり自分のあり方を見直したりしてくださったことでした。「私もいつも言葉が出てこないのでわかります」と共感してくれた方もいるし「22年、一度も仕事を休まないで責任を果たしてきたことがよかったと思っていたけど、今日ののりこさんを見てそうじゃなかった、体調が悪い時は、正直に話して延期してもらってよかったんだ」という気づきを持ってくれた人もいるし自分の頑張りすぎに気づいたという方や旦那さんとの関係や女性性の問題に改めて気づいたという方もいました。何と、素晴らしい感性の人たちなのだろうと。みんな一緒に成長する魂の仲間だなとつくづく感じました。こういう時、必要ないのは、アドバイスやポジティブな励ましだなと。ちさとちゃんやたかしくんを私が信頼しているのはこういう時、決して、ポジティブ思考で励ましたりしないということ。(そんなことしなくても、私が誰よりも大丈夫なことわかっているからというのもあるだろうけど)そして、こういう時に、欲しいのは、共感と分かち合いなんですね。それだけなんだな、ということを身を持って知りました。女性性のコミュニケーションの会の前に自ら、この体験をしてよかった。何人もの方から、その共感のメールを頂いて本当に癒されました。言葉でうまく伝えなくても私に何かを伝えたいと送ってくれた文面からその愛とエネルギーが全て伝わってきました。ありがとうございます💕ということで、長くなったので、今日は、一旦、ここまでで続きは、また書きます。あ〜一気にここまでかけた。かなり思考が戻ってきているのがわかって、ホッとしています。
2022年08月22日
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感情表現、日本人は、苦手な方が多いなあと思います。最初、リトリートを始めたばかりの頃私が、何を話しても、参加者の顔の表情が変わらないので「私の話、ちゃんとみんなに伝わっているのかなあ〜」なんて思っていたのですが後から意外に「すごく感動しました~」「よくわかりました』などと、言われることも多かったのでああ、そうか、感情が顔に出ない方が多いのだなあと。日本では、周りの空気を読んで目立たないように、感情を抑えてしまうのでしょうね。そんな中、今季のリトリート参加者でとても感情表現が豊かな方がいらっしゃって私の話に一つ一つ反応してくれる彼女を画面上で見ていると、すごくホッとします。自分が、感じていることをそういう場でも、そのまま表情に出せるのって本当に感性が豊かな方だなあと。ちなみに、顔の表情が乏しい方のほとんどは、エネルギーを感じる力が弱くて感覚の抑圧が大きい方が多いです。(この顔の表情は、実は脳と遺伝の影響が大きいのですが)さて、私の大好きな翔平くん。好きな理由は、色々あってもちろん、歴史的にもすごい結果を出していて、感嘆しますがもし他の日本人野球選手に、同じ実力があったとしてもちろん、日本人として注目はするだろうけどここまでは好きにはなってないだろうなあと。そう思うと、やっぱり、翔平くんの持っている人間性みたいなものに惹かれるんだろうなあと。その中でも、私が好きなのが、彼の豊かな感情表現。今年になってますます、よリ豊かに自由になっているような感じがします。翔平くんは、いろんなモードがあって、その時々でもう別人みたいなのが見ていて飽きない。例えば、ダグアウトや、普段の仲間とのコミュニケーションは屈託がなくて、無邪気で、いたずら好きで、甘え上手でみんなから可愛がられる、少年のままの翔平くん。ケラケラ笑ったり、変顔したり、人が出した指に噛みつくそぶりを見せたり、とにかく顔の表情や表現が豊か。前回の私のブログで、「翔平くんは、男性性と女性性のバランスが取れていると思います」とコメントくださった方がいましたがまさに、私もそう思っていました。ツィッターなどを見ているとよくアメリカ人の間で、翔平くんは「Bromance」と言われていてBromanceというのは、性的な関係のない男性同志でいつもじゃれあっているような、仲のよさを示すそうなんですが本当、翔平くんは、仲間同志で抱きついたり、肩を抱いたり、顔や腕に触ったりボディタッチが多くて、イチャイチャしてる感じなんですよね。先日もアメリカ人に「翔平のハグは、なんと、誠実なんだ」と言われてましたがこの翔平くんのハグは、全身から「君のことが大好きだよ~」というエネルギーが湧き出ていて、いや、こんな愛情表現されたらそりゃみんな大好きになるよなあと。翔平くんは、仲間によくウインクをしているのを見るのですがそれが、あまりにも自然で世の中に、こんな風に友人に対してウィンクをコミュニケーションの一つとして自然にやれる人がいるのか~と最初は、衝撃的でした。私は、彼やパートナーに対してであってもウインクとかしたことあったけ?と。(試しにウインク、鏡の前でやってみたら目が引きつけを起こしているとしか見えなかった😅)そして、翔平くんの別のモードは、優等生モード。メディア対応は、ほぼこのモードでそつがなく、消して過激なことや、不確定的な話は言わず常に冷静で、大人な対応で、言葉を選んで対応していてとても賢い人だなあと。そして、3番目のモードが、投手としての登板の時に見せる闘魂モード。ここぞという時に、三振を奪った時のガッツポーズや雄叫び。昨日、トラウトがインタビューで「翔平は投げる時は、完全にスイッチが入って別人になる」と言ってましたがあの無邪気で屈託のない翔平くんも優等生モードの翔平くんも、この登板の試合中では全く影を潜めて出てこないのがすごい。この闘いモードの翔平くんが最高で今年、それがますます強くなったので去年より、ずっと好きになってます。地元エンジェルズファンも、これに痺れている人が続出。「正直、投げる時の翔平はちょっと怖いからね。エンジェルズよ。しっかりと打ってミスをしないようにするんだよ」なんて、ファンの人たちがツィートしてましたがまさに、それが他の選手たちに伝わっている感じでこのところ、翔平くんの登板の時だけ勝利という現象が続いているのがすごい。翔平くん、多分、この闘魂モードの感情表現をみんなの気持ちを盛り上げるために使っているんじゃないかな~って以前から、なんとなく思っていたのですが先日、こちらの解説者が「エンジェルズの普段は打てない打者も翔平が投げる時だけ、打線に火が着くのはこの翔平の感情表現が仲間の士気を高めて、勝つという意識を高めているからですね」と言ってました。感情表現を上手く使うというかもちろん、多分、自然に湧き出ている感情なのですがそれを抑えたりせずに、そのまま表現することによってみんなにとってプラスに働いているのですね。確か翔平くんがホワイトソックス戦で7勝目をあげた時の試合で素晴らしいピッチングをしていたにも関わらず5回途中で、投球数が100を超えてしまったので降板となった時に、翔平くんが見せた「まじかよ~、F○○K!!」というものすごく悔しそうな表情とかも今までに見せたことがないような表情でエンジェルズファンも「あれは僕の翔平のお気に入り表情の一つになった」とツィートしてた人いたのですが本当、あの表情の豊かさは見ていて飽きないしワクワクします。この女性性と男性性の全く違う感情表現をごく自然に行っているのが日本人離れしているというか。そして、その感情表現のキーとなるのが目だなあと。私たち人間は、感情を目で表現するので感覚や感情を抑圧している人は目を見るとすぐにわかります。翔平くんは、人の目をよく見てコミュニケーションを行っているのが、傍目でもよくわかるんですよね。(じゃないと、ウィンクなんてできない)ちなみに、翔平くんは、この3つのモードの他に大リーガーモードがあって堂々として、他の球団のスター選手たちと親しみ深くコミュニケーションをとっている姿は女性性ではないけど、闘いモードではなく余裕があって、かっこ良くてまさにスター選手という感じです。ああ、さっとメモ程度に書くつもりが止まらなくなってしまった🤣ということで先日は、友人と3人で、スポーツバーで飲みながら翔平くんのオールスター観戦しました。翔平くん、打席前に、「初球、フルスイング、それだけだ」と宣言して、本当にその通りにやってヒットにするのがかっこ良すぎる。イベントを最高に楽しもうと言う彼の気持ちが伝わってきます。スポーツバーなんて、20年以上前は結構行っていたけど、超久しぶり。もう、周りがうるさすぎて常に大声で話さなければならないのがちょっと疲れましたが、でも、楽しかった~。さて、明後日は、リトリート第10回目の配信。明日は1日、リトリート準備です。まだ動画も出来上がってないので準備ギリギリですが明日の夜、翔平くんの登板なので試合見れるかどうか。明後日、みんなに会えるのが超楽しみです💕
2022年07月21日
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先日のブログで、最悪のシナリオとお話ししましたがその後に、最高のシナリオが用意されているとは。。😭ああ、あの時は、予想もしなかったです。あ、もちろん、翔平くんのことです。エンゼルス14連敗中、というチームとして最悪の状況の中、先発投手として出て、7回1失点を投げ切ったことも素晴らしいけどさらに4回の1失点の直後自ら2ランホームランを打って逆転という劇的な試合展開。先日、マドン監督が解雇されたことでさらにエンゼルスファン(&翔平ファン)の緊張感は高まってもう誰でもいいから、連敗止めて~という感じでしたがここまでの最高のシナリオは流石に予想していなかったなあと。昨日の試合前に、今日も翔平くんは、二刀流で出場というラインナップを知った時「今日は(大切な試合なので)投手として専念した方が良さそうなのにな」と一瞬思ってしまった私を、ああどうか許して。昨日の試合は、もう釘付けで先日一緒にヤンキーズスタジアムに行ったともこちゃんとチャットで会話しながらもうハラハラしながら、応援してました。彼が素晴らしいのは、調子が悪い時にも淡々としているけど昨日みたいな、野球ファンや解説者の誰もが絶賛の大活躍をした後のインタヴューでも「三振があまり取れなかったけど、周りに助けられました」などと淡々と話していて、決して奢ることがないという。別次元の人格者などと言われる所以だなあと。監督代理のネビン監督も、会見見てるとすごくいい感じの人で試合後、翔平からウィ二ングボールを「おめでとうございます」と言ってもらったと嬉しそうで翔平くんの、そういう自然な気遣いも素晴らしい。ああ、つい、また翔平くん絶賛トークになってしまう私の母も、すごい翔平くんファンで少し前に電話で話した時も「翔平くんは、私の生きがいよ~」と話していたので今頃、きっと大喜びだろうなあと。(もっとも、母は、水泳も生きがいだし孫の世話も、友人とのおしゃべりも生きがいなので、なんでも生きがいになるんですが)さて、明日のリトリートのテーマは、自己実現。自己実現のために、何が大切なのか実は、このテーマでお話しするのは今回のリトリートが初めてかもです。自己実現のために、大切なことは色々ありますがここ数年、とにかく感じているのは例え、やりたいことや叶えたいことがあってもそれを継続したりモチベーションを持ち続けるということが多くの人にとって、とても難しいということです。例えば、先日、オンラインベーシッククラスの復習クラスを開いたことをお話しましたが12月と1月のクラスに参加された53人のうち40名が参加されて、さらに7名は次回の復習クラスに参加されることになったので53名中47名、つまり9割近くの人がクラスの後、半年経ってもモチベーションを保っていると言えます。でも、次回開催予定の対面のベーシッククラスを受けられた方対象のクラスに申し込まれたのはこれまで受講された方の1割ぐらいでした。対面のベーシッククラスを行ったのは、2020年の春が最後。直近でも、もう2年が経っていますからこうなると、確実に参加者のモチベーションは失われるのだなあと。もちろん、これには、期間だけでなくいくつかの理由が考えられて以前の対面のクラスでは、録画していないので後で、見直したりすることができなかったことやまた、今回のオンラインベーシッククラスを受けられたのはすでにリトリートと筋反射クラスを受けられた方のみ対象だったのである程度、ヒーリングや筋反射に対する理解がある方のみクラスを受けられているということもあるでしょう。また、私自身はやりたいことのモチベーションが下がったりしない人なので参加者のモチベーションを上げるために復習クラスを行うなどあまりやってこなかったこともあります。でも、なんにせよ、自分がやりたいと始めたことを継続したり、モチベーションをキープできない方が多いのは確か。特に、スピリチュアルなことや、ヒーリングを色々学んでいる人には多くて最初だけハマって、夢中になるけれど、途中でやめてしまい結局、何も自分のものになっていないという方は少なくないです。これまで、クラスを開催してきた中で素晴らしい感性やセンスを持った人たちに出会って「わ~こんな方が、多次元キネシオロジーをやって行かれたら、素晴らしいなあ」と何度も思ったのですがどんなに素晴らしい才能を持っていたとしてもほとんどの人は続かないということも実感してきました。今、プロとしてやっている方は継続する力を持っている方です。結局、どんなスペシャルな才能より地道な努力や継続することに勝るものはなくモチベーションをキープして、継続できる人こそが実は超スペシャルな人だなあと。翔平くんは、もちろん、類い稀な身体能力やセンスの持ち主であることは間違いないですがでも、このような結果が出せるようになったのは彼がどんな時にも、そのモチベーションを失わず自分を信頼して、やるべきことを地道に(+柔軟性を持って)やってきたからであってそこが多くの人に感動を与えるのだなあと思うのです。もちろん、自己実現のためには継続の力だけではなく他にも必要なことはあります。ということで、次回のリトリートそれぞれが自己実現してゆくことができるように進めていきたいなあと。みんなのモチベーションを上げてゆくことに対しての私のモチベーションが上がってます!!
2022年06月10日
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皆さんは、1日の中で、どんな時に幸せ感を感じるでしょうか?何が幸せだと感じるのかは、人それぞれですがでも、案外、幸せ感って、似たようなことに感じているじゃないかなあと。先日、MVPを取り、今やMLBの顔になった大谷選手が「朝、コーヒーを飲みながら、チョコをつけたパンを食べる時にささやかな幸せを感じます」と言っていたのが印象的でした。そういうささやかな幸せって1日の間に、誰でも何度も感じることができることでそこに何かを達成したとか、どんな能力があるかは全く関係ないですよね。昔、私の母が、美味しいものを食べている時に必ずと言っていいほど「あああ~~幸せ~~」と、心の底から幸せそうに言っていたのを思い出します。私も、美味しいものを頂く時は必ず幸せ感になるのは、母からの影響が大きいです。ちなみに親が幸せ感を抱いていれば子供はそれだけで自己価値が高まります。親が幸せでないと、子供は、それが自分のせいではなくても自分の無力感を感じ、自分の存在の価値を見失ってしまうのです。だから、お父さん、お母さんは、自らが幸せに生きることが、子供のための最大のギフトだと私は思っています。美味しいものを食べなくても私は、朝、起きて、外が晴れていたらそれだけで、幸せです。(もちろん、雨が降っていたら、不幸になるわけじゃないですけどね)ニューヨークって、本当に青空が綺麗というか特に私の住んでいるエリアは、高い建物がないので空がパーッと広がっている感じなのです。これは、私だけでなく、何人もの人が言ってることなんですがニューヨークの空の色は、クリアで、明らかに日本の青空とは違います。このニューヨークの青空は、間違いなく、私の幸せの要因の一つでだから、こんなに長く住むことになったのかもしれないなあ、なんて思う時があります。そして1日の中で、例えば観葉植物が生き生きした新芽を出しているのを見つけた時とか、午後近くになってお腹が空いて、その日の初めての朝食を頂く時もそして、仕事の合間に、アーモンドとコーヒーを頂く時も部屋や物の断捨離をしたり、小さな模様替えをする時も夜、寝る前に、ベッドの上で、こうしてブログをアップする時もささやかな幸せ感を感じています。特に、夜寝る時に、幸せ感に包まれて、眠りにつくことって大切だなあと思います。幸せ感に包まれて寝ると幸せ感とともに、目覚めることができるからです。私にとって、朝、目覚める瞬間が、とても大事であることに特に最近、思うようになりました。朝、目覚めた瞬間というのは、まだ思考が働いていない時なので経験や思考を超えたいろんなアイデアやインスピレーションが降りてきやすいんですね。ああ。そうか、こうすればよかったんだ~と目覚めた瞬間に、問題が解決したりストーンと納得したりすることが以前より、さらに多くなりました。もちろん、人との関わりの中では、喜びや楽しみだけではなくいろんなトラブルや問題も起きたり、心痛んだりすることもありますからそういうことがあった時に、できる限り、その日のうちに調整したり浄化したり、癒したりします。それを見ないように、感じないようにしてやるべきことに追われて暮らしていると日々のささやかな幸せ感も感じれなくなってくるのです。だから、ヒーリングやキネシオロジーは誰にとっても、必要なケアじゃないかなあと。ちなみに先日、ご紹介した天使の本の281ページに紹介されている、大天使ミカエルの祈りの言葉、この言葉、とってもいいです。これ唱えると、天使がワサワサとやってくる感じがして(実際に、唱える前と後で、部屋にいる天使の数を数えてみた~)幸せ感の中で、眠りにつくことができます。で、そう言った、毎日、何度と感じる、何気ないささやかな幸せではなくもう十分すぎる幸せ、というのがあってそれが、私にとっては、人との繋がりから生まれる幸せ感です。先日、近くに住むKちゃんに音楽のデータを渡しに行ったのですが私はテキストの作成などで、時間がなかったのでデータを渡して、すぐに家に戻ったのですがKちゃんが、帰りに「ここで食べてく時間がないなら、これ持って帰りなよ」と言って、たらの西京漬けと卵焼きやお浸しが入った手作りのお弁当を渡してくれました。こうなると、もうささやかな幸せではなくなんという幸せなのだ、と泣けてくるぐらいの幸せ感です。これまで数えきれないぐらいたくさん感じてきた人との暖かなつながりの中で感じる幸せ感は以前は、誰にでも普通にあるものだと、思っていたわけですがヒーリングやキネシオロジーを始めてからいろんな人にセッションをする中で必ずしもそうではない、ということがわかってきました。ささやかな幸せを感じることができない要因はインナーチャイルドやいろんな要因はあるけれどやっぱり、遺伝的な性質と思考が大きいと思います。レプティリアン遺伝が活性化している状態ではいつもイライラしたり、一つのことが頭から離れなかったり落ち込んだり、パニクったり、緊張したりいつも落ち着かない状態だったりまた冥王星遺伝が強ければ、人生は厳しく人のネガティブな面や過去にばかり意識が向かいがちで気分は重くなります。いくら幸せな状況にあったとしても幸せ感を感じることが難しくなってしまうんですね。またグレイが活性化していれば、人を信頼できず何でも被害的に捉えてしまいがちなので人との繋がりからの幸せ感を感じる事は難しくなります。だから、ささやかな幸せ感や人との交流の中で感じる暖かな幸せ感を日々の生活の中で。感じることができている人というのはもうそれだけで、ラッキーな人生だと言って過言ではないのです。さて、ささやかな幸せや、人との関わりの中で感じる幸せとは、全く違った種類の幸せ感があってそれは、何かにチャレンジした結果、生まれる喜びや幸せです。どちらかといえば、母のようにささやかな幸せで、完全に満足してしまう傾向にある私はこれまで、ガイドやマスターたちからもっと、大きな幸せや喜びを受け取っていのだというメッセージを、何度か受け取ってきました。以前は、私は、例えば、家が欲しいとか、社会的に認められたいとかそういう欲がないから、これ以上を求めていないのだと思っていたのですが、本当は、そうではありませんでした。ささやかな幸せや、人との関わりの中で感じる幸せにはリスクは伴わないのですがこの大きな喜びを得るには、リスクがつきものだったのでそのリスクを(無意識に)取らないようにしていたことに少しずつ気づいてきたのです。今年の9月に訪れたエジプトの旅で受け取った祝福や喜びは私にとって、人生のギフトで、こんな体験をさせてもらえたことにただ感謝しかないのですがその喜びを受け取るためには、その前にエジプトでちゃんと配信できるのかどうかまた行うワークを私自身やったことがないのでどうなるのかわからないという状況の中で参加希望者を募り、そのための準備するというリスクを取る必要がありました。実際、灼熱の太陽の下で、一人で配信したり友人と共に、エジプト人と交渉したり群がってくる人を遠のけて、配信したり場所がよくわからない状態で出発したりいろんな問題やリスクと向かいあったからこそこの喜びも祝福も受け取ることができたのだなあと。今から思い返すと、毎年のようにハワイでリトリートを開いたり多次元キネシオロジーのクラスをスタートしたりする中で毎回のように、様々なリスクを考えると「あ~私は毎日、こうしてセッションやってるだけで、十分、幸せなんだしこんな大変な準備をしてまで、クラスなんてやらなくてもいいのになんでこんな事やろうとしているのかな~」なんて、気持ちが、いつもどこかにあったなあと。でも、いつも終わって見ると、そこにはやる前には想像もしていなかったような、喜びや祝福があって「あ~本当にやってよかった~。また次もやろう」という次へのモチベーションへとつながっていました。ユニバーサルリトリートをスタートすると決める前も8月に初めてのオンラインアチューメントを行ったアルクトゥルスメソッドクラスを決める前もいつも、そのリスクと共に、若干の躊躇があったのです。そして、今回のベーシッククラスは初めてのオンラインでのベーシッククラスですがこれまで、いつもどこかで感じていたその若干の躊躇が全くないということに気づきました。これは、やはり、9月のエジプトの旅で手放すことができたものそして得たものが大きかったのだなあと。もちろん、このクラスを開催するにあたっても全くリスクがなかったわけじゃないのです。例えば、音叉のこと。クラス開催を決めたのが、ギリギリだったのでそれからすぐに参加者が、イギリスに音叉を注文することができたとしても果たして、この配送状況があまり良くない時期にクラスまでに配送が間に合うのかどうか?というのがありました。もし音叉が間に合わなかったらクラスの初日から何もできない状態になってしまうからです。でも、イギリスのメーカーの方が最善を尽くしてくれたこともあり音叉は、参加者のほとんどの人が受け取ることができました。少し前に、まだ何人か受け取っていない方がいらっしゃったのですが先日、まさに朝の寝起きの瞬間に「あ、そうか、もし万が一、間に合わなければ二人1組のどちらかが持っているわけだし、セッションで相手の音叉を借りればいいんだ!」と気づきました。対面のクラスじゃないから、相手の道具は借りれないと思い込んでいたのすがオンラインでも、相手の音叉を画面越しに選ぶ事はできるしそれを相手に鳴らしてもらえばいいわけですから。これまで、いろんなリスクや問題を一つずつ乗り越えてくるとだんだん、もはやリスクでも問題でもなくなってくるのですね。ささやかな幸せを得ることができるだけでもとてもありがたいし、満たされているけれどでも、この自分として生まれてきた人生は1回きりなのだから例え、リスクを負っても、上手く行かないことがあったとしてもまたチャレンジし続けてゆきたいなと。私にとって、さらに幸せなことに音楽制作という、もうどこかで諦めかけていた喜びも1年半前のKちゃんとの再会によって、またチャレンジできていることです。最近、またプロジェクトを進めているのですが一つの作品が出来上がるまでの幸せ感は、何者にも変えがたいなあと。これは、ヒーリングにしても、音楽にしても、絵にしてもそうですが新たな創造のプロセスは、私にとって、いつも最高の幸せです。ということで、クラスまで残り、3日間。参加者の方たちも、またさらなる大きな喜びや祝福のためにそれぞれに何らかのリスクを負ってクラスにチャレンジされた方も多いのではないかなあと。あのユニバーサルリトリートに参加してくださって一緒に感動を分かち合った方たちが、筋反射クラスを経てこのベーシッククラスに参加されるそのみんなに会えるというだけでもう「ささやかな幸せ」ではなく、十分すぎる幸せ感です。これまで日本で開催したベーシッククラスはクラスで初めてお会いする人の方が多かったのでそうはなりませんでしたが今回、クラス開催前に、もうこんな幸せ感を感じているのは初めてのケースかも。どうかみんなも幸せでいてくれますように(いえ、例え元気がなくても、それもまたシェアしてゆければいいんだけどね)
2021年12月04日
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日々、大なり小なりいろんなことが起こりますが例えば、すごく嬉しかったこと、楽しかったこと、ことからもまた反対に、上手くいかなかったことや、もどかしさを感じたことなどからも私たちが気付く必要があることって多いなあと思います。そして、そこから何を学ぶのかは、人それぞれ違うわけですが問題なのは、その出来事の本質を見ないでいると本当に学ぶべきことを学ぶことができず逆にそれが、制限になったり、サバイバルプログラムになったりするということなんですよね。簡単な例えで言うと1)友人に本音で伝えたら、相手が怒ってしまった →人には自分の気持ちを正直に伝えてはいけない2)しばらく仕事をやっていなかったけれど、前やっていた仕事の技術を使って新しい仕事を見つけようとしても、どこも雇ってもらえなかった →もう私の技術は役には立たない 私にはお金を稼ぐ力はない3)この方法を試しにやってみたら、周りのみんなから喜ばれた →この方法が最も素晴らしいこの赤でかいた部分は、その人にとってはその出来事からの気づきや学びだと思っているわけですが本来学ぶべきこととは違う可能性もあるわけです。例えば、1は、人に正直に伝えることが悪いことではなくただ伝え方の言葉の問題や、伝えるタイミングの問題だったり2は、その技術を使った前のやり方は、もう違っていてもでも、その技術を使って、新たなやり方を見つける必要があったりまたは、雇われるのではなく、自分で独立してやる必要があったり3は、その方法だけが素晴らしいわけではなく試行錯誤してやってみることに、意味があったりそれは、その人によって、またその時々によって学ぶべきことは違いますが起こったことそのものよりもそこで何を学んだり、気付いたりするかでそれからの人生は大きく変わってくるなあと。どちらにしても、何かしらの制限を生み出すようなものは本来の私たちが学ぶことではないということを改めて思います。さて、ここ最近、私にいくつか起こったことで楽しいことも、うまくいかなかったこともあったのですがそこから、自分の内面をいろんな角度で見て行った時に私が抱えていたある問題が、共通して浮かび上がってきてそれが、今日のタイトルの「進化の対義語は、停滞ではなかった」という気づきでした。ここ最近、ガイドから伝えられた私の問題として「向上心」というのが何度もあったのですが身体を休めさせないで、やり続けてしまうこと以外に向上心の強さが、どうしてそんなに問題なのか少し前までの私は、あまりわかっていませんでした。最初にニューヨークに来た20代の頃は向上心とか進化とかいう意識は私の中にあまりなくて当時の友人は、今でも冗談で「のりこは、人生暇つぶしの人だったからなあ」と言って笑ってますが当時は、適当に楽しく過ごしていれば幸せであって、毎日、お酒飲んだり、ビデオ見たりポーカーしたり、だらだら過ごしていて何も向上していなくても全く不安も焦りもなく、楽しく過ごしていたわけです。それがあ、多分、ヒーリングやキネシオロジーを初めた頃からいつの間にか、私の中にあった常に進化し続けるという性質や意識が大きくなりそれは年々、さらに強くなって、とどまるところ知らずそれが、様々な問題を生み出していたことにここ最近の出来事で、改めて気づかされました。例えば、最近の楽しかったことといえば2週連続で行った、アルクトゥルスメソッドクラスの実践クラス。私のレクチャー、プラス、二人1組の実践を行うクラスでしたが何がそんなに楽しかったのだろう?と思うと、色々あるのですがまず第一に、私は宇宙系遺伝のことをシェアできること自体が最高に楽しいのだ、ということ。私が日々の調整の中で、気付いたり、疑問に思ったりした様々なことこの宇宙系遺伝調整を知っている方しか伝えれないこと、それをシェアすることの喜びは、もう何者にも変えがたいわけです。よくみなさんから「惜しげもなく情報をシェアしてくださって、ありがとうございます」と、感謝されるのですがもう私としては、もし上からの許可が下りるのなら例え、まだ開催していない上級クラスの内容であってももう今すぐシェアしたい気持ちでむしろ、その気持ちを抑えるのが大変なわけです。そして、この進化し続けるということと私にとって良かったものを、みんなにシェアしたいという強い気持ちが必ずしもみんなにとって、良い結果を招くとは限らないことが最近起こったいくつかのことに関連していました。例えば、今回の実践クラスの内容は8月のアルクトゥルスメソッドクラスでアップデートしたのでそれまでのクラスを受けられた方たちのための補習として実践することを決めたクラスでした。なので、8月のクラスからのアップデートの情報はないので、8月のクラスを受けられた方々は特に受講する必要はないですよと事前に皆さんにお知らせしていました。ところが、蓋を開けてみると、申し込まれた24名の参加者のうち12名が、8月のクラスを受けられた方でした。中には「のりこさんのことだから(アップデートがないと言っていても)必ず、新しいやり方や情報があるので、受けたいです」と言われる方もいて私は、その時は「いや~本当に、今回は、8月のクラスと全く同じ内容を行うだけでそこからは何も新しい情報はないのに~」と思っていたのですがいざ、そのクラスの内容を決める段階になると「12名も、同じ内容で受けられる方がいるのだからその方達のために、また新しい切り口でやれないだろうか?」とか「新たな情報も取り入れよう」という気持ちになり結局、またアップデートになってしまうのです。で、クラスを受けられた方達は「やっぱり、受けておいてよかった」ということになるのですが一方、受けなかった方々は「必要ないと言われたから受けなかったのに」となってしまうわけで、これまでも何度もそういうことがあり以前「次回は、例え、のりこさんが(クラスを)受ける必要がないと言っても絶対に受けます」と言われた方もいらっしゃいました。で、問題はさらに、そのアップデートされた内容をもとに次に開催されるクラスがスタートするので毎年、例え、同じベーシッククラスや中級クラスであってもどんどん内容がレベルアップされ以前、クラスを受けられた方々は久々にアップデートセミナーを受けられるともう、一体、何をやっているのかわからない、という状態になってしまうわけです。例えば、前回のユニバーサルリトリートもそうでこのリトリートは、クラスではないので自己ヒーリングのやり方などはお伝えしませんと最初に告知していてむしろ、クラスを受けた方々には必要ないと思いますぐらいのスタンスだったのですがいざ、スタートしてみるとこれまでのクラスでは伝えていない、新しいやり方をお伝えすることになりもちろん、それで、このリトリートに加してくださった方々からは感謝されてよかったのですが今度は、このリトリートでお伝えした内容を知っていることが基本になってしまって例えば、以前、中級クラスを受けられた方でもこのリトリートを受けていないともう中級クラスのアップデートセミナーには参加できない、なんてことになってしまったわけです。もちろん、毎回のように、私のクラスやリトリートを受けたりまたは、自己ヒーリングをしっかりしたりしてモチベーションを保ち続けている人たちも何人もいてくれて、そういう人たちにとってはこのあり方でもいいと思うのですが一方で、ほとんどの人は、自分の仕事や育児などでそこまでしっかり復習できていなかったり、自己ヒーリングできなかったりするのも当たり前で、そういう方たちが「久々に復習して、やり直したいな」という気持ちでいても復習より、どんどんレベルアップしたものになっているとついていけない~と、ギブアップにつながってしまうんだなあと。考えてみると、アップデートウェビナーはやってもシンプルな復習のクラスは、ほとんどやったことがないのは私の中の、常に進化し続けたい、という意識の現れなんですね。これはまずい、というのは、何となくはわかっていたのですがさらに、最近、また別のことで、ちょっとしたトラブル的なことがあってそれは、私の伝え方の問題などいろいろあったものの本質的な問題を探ってゆくと、やはり、私の「今あるものより、さらに良いものを、みんなに届けたい」という強い思いや「良いものは出来る限りシェアしたい」という思いが引き起こした問題であることをガイドから伝えられて、改めて気づかされました。ああ、進化することも必要だけれど一方で、時期やタイミングを待つことや今ある状態を保つことが必要な時もあるなあと。少し前までは、アニマル系遺伝由来の怠け癖や自制心の欠如や先延ばしをガイドに指摘されてそこは、調整して、かなり改善したのですが今度は、進化、向上心による問題。確かに、怠け癖や先延ばしは、停滞であっても進化の反対は、停滞とは限らずStable つまり「安定、持続するもの、しっかりしたもの」という言葉でもあるのだなあと。ということでこれに関わる遺伝は、いくつもあるのでまた、これからの自己調整が必要そうですが進化と安定のバランスをとってゆけたらいいな、と思っています。
2021年11月04日
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日々のたわいもない出来事の中に、様々な感覚や感情を感じることが多いです。そして、それはどんなものであれ、結局は私たちが生きていることへの祝福のなのだなあということを感じます。つい先日の出来事。8月に彼女の誕生日にお祝いして以来、会ってなかった友人にギリシャのお土産も渡したかったので、ご飯に行こうということになりました。私は、久々にお寿司が食べたかったのと大好きなマルミレストランに、随分と行ってなかったので「マルミはどう?」と聞いたらその日は、オーナーも、寿司を握っているMさんもいない日なのでそれじゃあ、行っても仕方ないということになりそれで、友人が「ブルックリンにある〇〇レストランに行ったことある?この前、知り合いがFacebookで寿司の写真を上げていて美味しそうだったよ」と提案してきたそのレストランは、私が昔、もう20年以上前に働いていたレストランでした。彼女は、私が働いていたことは、知らずに提案してきたのです。「おー、ブルックリンまで来てくれるの?』(彼女はクイーンズ在住なので、ブルックリンまでちょっと遠い)と聞くと「行く、行く。私は時間あるんだから」と彼女。私は、そのレストランを辞めた後も、何度も訪れていたのですが、確か、18年ぐらい前にサンセットパークに引っ越してから同じブロックリン内なのに、なぜか、なかなか訪れるチャンスがなく何度も行こう、行こうと思いつつその機会を逃し、いつの間にか、すっかり忘れてしまっていました。久々に訪れるお店はどうなっているかな?と楽しみに訪れたのですが、店内は、20年前とほぼ変わらずそして、オーナーのOさんも、相変わらず元気で寿司カウンターに立っていました。「おお~久しぶり~」と暖かく迎えてくれたOさんが出す美味しいおまかせを頂きながら、あれこれと話して私がサンセットパークに、もう16年以上住んでいることを伝えると「え?ずっとブロックリンに住んでたの?それなのになんで?(長い間、顔を見せなかったの?)」と聞かれて、本当に、大好きなお店なのになんでこんなに長い間、来なかったんだろう?と、自分の不義理さに、申し訳なくなりながら「いや~、一緒にご飯食べる友人と待ち合わせるのはほとんどがマンハッタンで、なかなかブロックリンで友人と会うことはないから」と言い訳したのですがきっと、来ようと思えば、来れたはずだし、半分はほんとで、半分は嘘だなあと。店は、以前ほどではないにしても、繁盛していましたが日本人のお客は私たち以外、いませんでした。Oさん曰く、日本人は、前より少なくなって今はお客の95%がアメリカ人とのこと。それで、昔の常連客のことを思い出して、Oさんに「昔の常連さんは来てます?ジェームスとか、ジェイクとか?』その二人の名前を思い出したのも、久々でここに座るまで、すっかり忘れていたのですがOさん曰く「前ほど(頻繁)じゃないけど、来てるよ~」とのこと。そして、何とその数分後に、ジェームズが現れて私たちの席の隣に座ったのでした。もう20年ぐらい会ってないのにお互いの顔を見た途端、私もジェームスもすぐにわかりました。何よりも嬉しかったのがジェームスが、私との再会をとても喜んでくれたことでした。そして、一番に聞かれたのが「音楽はまだやっている?』という言葉でした。私が音楽をやっていたことも、覚えていてくれたなんて。「俺は(私がこの店に来なくなってからも)ずっと『あの子はどこでどうしてる?どこかで歌っているかな?』とOさんに聞いていたんだよ」ジェームスは、今は、もう69歳だそうだけど顔も声も雰囲気も、全く20年前と変わっていなくて相変わらず、陽気で暖かな人でした。ワイン通で、店のワインは飲めないと昔から、よく赤ワインを持ち込んでいたのですがこの日も、ジェームスの赤ワインをご馳走になりつつ楽しい時間を過ごしました。1ヶ月ぶりに店にやってきたというジェームスにすごいタイミングで会えて、よかった~と言っていたらジェームスが店を去った、その直後に、店に入ってきて、その席に座ったのが、ジェイクでした。おーすごい、18年ぶりにやってきて私の大好きな店の常連さんだった二人ともに会えるなんてと感動。ジェイクは、30年以上、アメリカの大学で音楽理論を教えている先生で、当時、音楽スタジオを持っていて、私たちに無料で貸してくれたり、彼の家の独立記念パーティーに呼ばれて行ったりしたので、よく覚えていました。ジェイクも、一番に「のりこ、まだ音楽やっている?」と聞いてきました。「うん、去年から再スタートしたばかりだけど」と答えると、ジェームスもジェイクも喜んでくれてそれが、何よりも嬉しく、ありがたいことだなあと。これは、もしかすると、ニューヨークだからこそなのかもしれません。もし私が日本で暮らしていたとして、20年ぶりに会った人に、そんな風に聞かれるだろうか?と思うと多分、そうは聞かれないだろうなあと。ニューヨークでは、自分が本当にやりたいことをやり続けることの大切さを多くの人が知っているように感じます。久々の再会を喜びつつ、本当にみんな暖かくて一緒にいて居心地がいい人たちでああ、ここは私にとってのホームだなあと。何年帰ってなくても、例え、今、何をしていようとも、存在そのものを受け入れてもらえる場所。スピリチュアルな話やヒーリングの話はしなくてもそんなことは私にとって全く関係なくそこにいることそのものが、暖かく居心地のよい場所。結局、開店から閉店まで店にいてすっかり酔っ払って店を出ました。で、ウバーを呼んで帰ればよかったのに、酔っ払っているのでそういう発想さえなく、地下鉄に乗ったはいいものの電車を乗り過ごし、随分先の駅で降りてしまいました次の日、自己ヒーリングをしているとガイドから、メッセージがあり、アファメーションブックから選べというので、選んだら、それが「私が人生において今いるところが、私がいるべき場所であることを信じます」というメッセージでした。ひゃ~、そのメッセージが出てきて、わかったのはその店に行く前日に、ハトホルからもメッセージがあり、それが「私の人生が変化してゆく中、私の友人関係も変わってゆきます」というメッセージでした。その時は、え?今、何かストレスになっている友人関係とかないし何か私にとって、マイナスになるような人とは会っていないのであまりピンとこないメッセージだな、と思いでも、その時はあ、あまり時間がなかったこともあってあとから、もっと調べてみようと思っていたのですがその意味が、わかりました。こんなに暖かな居心地の良い場所なのに長い間、店を訪れなかった私の不義理さに少なからず申し訳なさを感じたのは確かででも、ハトホルは、変わってゆくことが必要なのだと言ってくれたのでした。ああ、ハトホルは、私があの店に行って、こんな感覚を感じることをすでに知っていて、事前にメッセージをくれたのかしら?そして、なぜ、私が長い間(無意識に)あの店に行かなかったかもなんとなくわかりました。そこに行ったら、多分、私は居心地の良さにいつも飲んだくれていただろうし(本当に開店から閉店まで、あっという間だった〜)いや、お酒というだけの話ではなくてもし、そこに居続けたとしたら今の私の世界につながる何かが生まれなかったのかもしれないと。どんなに居心地が良い場所であっても、新たな自分の世界を開いてゆくためにそこからしばらく離れる必要があったのだということがガイドやハトホルから伝えられてそれも、また祝福でした。どんな場所も、私にとってホームだと感じるぐらい周りに受け入れられ、愛されてきたことの感謝と変わらないものの暖かさと変わってゆくことの喜びを感じた小さな出来事でした。この場所も、間違いなく、私にとってのホームです。
2021年10月08日
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先日、近くに住んでいるKちゃんが、美しいバラを持ってきてくれました。Kちゃんの彼女が、お花屋さんなので、彼女からのりこさんに、と言って渡してくれたのだそう。なんと優しい。しばらくバラの香りに包まれて過ごしました。さて、話は変わりますが先日のセッションで「使命感」というのが出てきたのでそのことについて、しばらく思いを巡らせていました。30年来の友人、Kちゃんとよく「のりこは、昔は、人生暇つぶし、ってよく言ってたな~」と、当時の思い出話をしたりするのですが確かに、当時は、本気でそう思っていて何かやりたいことを見つけて、それに向かっていく人生ではなく今この瞬間瞬間を楽しむ人生にしたい、という思いがあって使命感なんて感覚は、私の中には、かけらもなかったなあと。というより、そう言うものを、4、5年前まで無意識に避けてきたことに改めて気づきました。私は今でも「人生暇つぶし」の感覚はあって人生を寝て過ごそうが、何かを頑張って人に貢献しようがその人の価値は何も変わらないというのが意識のベースにあります。例えば、いくら頑張ったり、人に尽くしたとしてももしそれが苦しかったり辛い人生なら、そういう苦しいエネルギーを周り(集合意識)に与えているわけでそれなら、例え、何もしなくても、楽しく暮らしているのならそちらの方が、ずっといいわけなんですよね。これは、多分、私の母からの影響も大きいなあと。昔から、私の母は、例えば、私が何か報告すると必ずと言っていいほど「楽しかった?」と聞いてくるのですが、私が「楽しかったよ」と答えると「それはよかったね~」と、そこで、全ての話は終わります。母にとっては「楽しければ、全てがよし」なのです。母の父、つまり私の祖父は、市会議員であり、神主で祖父が脳梗塞で神主ができなくなった後は母の母、祖母が後を引継ぎ、神主となり人々のために尽くしてきた人だったわけですが私が子供の頃、祖父母を見ていても、幸せそう、楽しそうには見えなかったわけでだから、母も、きっと、そう言う両親を見ていて自分は人生を楽しんで生きたい、と言う思いが強くなったのだろうなあと。母は、普通が一番、平凡が一番とよく言ってある意味、その普通を全うした人生だったわけです(まだ生きてるけど)そう言う母の意識の一部が、私の意識の一部となって、引き継がれていて何か使命に生きることに対する抵抗感みたいなものは思い返せば、もう10代の後半ぐらいには、私の中に芽生えていたなあと。で、この前のサクラちゃんのセッションで、面白かったのが最初の方で、さくらちゃんが『「私はスピリチュアル的存在からの不満を手放します」と言う文が、アファメーションブックから選ばれているのですが何か心あたりありますか?』と聞いてこられたので、え?どう言う意味?と、よくわからず。自分自身に対しても、人に対しても、不満や不足と言う感覚は私の中には、感じられなかったので最初は、ピンとこないアファメーションだったわけです。ちなみに、ここでの「スピリチュアル的存在」というのは「スピリチュアルな自分の人生や生き方についての信念を私たちが世界に投影している部分」のこと。通常、多次元キネシで、ピンとこない情報が上がってきたらまずはブロッキングを疑って調べるわけですがこれは、ピンとこないけど、ブロッキングではないという言うことは、何となくわかるんですよね。で、その後、さくらちゃんが、筋反射で年齢退行して「2017年」という年を挙げてきて、そのあたりから少しずつ、その文の意味するところが見えてきました。2017年というのは、私がクンダリーニ症候群になった年でその時の体験からああ、宇宙系遺伝は、こんなに私たちに影響を与えているのだというのが実感として理解することになりそこから、さらに研究や調整を重ねてこれを多くの人たちに広めて行こうという強い思いが生まれある意味、それが使命感、につながったわけです。だから、2017年は、私にとって人生の大きな転機の年でそれが2019年への離婚へとつながったのだなあということは、何となく思っていました。そして、私の意識に「使命に生きれば、個人の幸せは諦めなければならない」みたいな感覚があるということが、見えてきたわけです。ああ、これがスピリチュアルな信念が、世界に投影している部分だったのか。その意識があるから、それが私の現実として投影されているという。思えば、「アルクトゥルスから地球人へ」の本の中にサナート・クマラだったか、使命のために、愛する人と別れて暮らしたみたいな記述があってアルクトゥルス人にとっても、使命と個人の幸せを両立させることはテーマである、などと書かれてあって「アルクトゥルス星人でさえそうなんだから、人間の私たちが両立するのは難しいよなあ」と思ったわけです。ああ、でも、それが、無意識に私の信念体系となりその意識で世界を見ていたとしたら?例え、アルクトゥルス星人にとって、それが本当にテーマだったとしても私もそうであるとは限らないわけでそんな信念体系を持って世界を見ていればそれがまさに私の現実となってしまうでしょう。なるほど~不満という感覚ではないけれど満たされない部分、ということで捉えれば納得するアファメーションで面白い。さて、そのセッションの翌々日。その日は、雑誌社と合同で行うワークの内容を提出する締め切り日だったのですがギリギリになっても、やはり抵抗感があって取り掛かろうとしない自分がいたのであ~これはまた自己調整するしかないか、と筋反射で情報を拾って行ったら、最初に出てきた文章が「私は仕事に関して、さらなる責任を引き受けます」というもので、え~~~と思わず、唸りました。なるほどな~。私は、もうこれ以上、責任を引き受けたくないと感じていたのはこれ以上、引き受けたら、個人の幸せのための時間やバランスが取れなくなってしまうような気がしていたんですね。何だか、ガイドから「ぐちゃぐちゃ抵抗してないで、いい加減、覚悟を決めてやらんかい!!」と喝を入れられたような気になりました。は~~。。。了解です。私が負う必要のない責任は手放して、使命と個人の幸せは両立させて責任をさらに引き受けてゆくことは、楽しみま~す
2021年06月21日
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昨日は、ユニバーサルリトリートの参加者とのオンライン交流会を行いました。リトリート終了後、2週間経っていて久々にみんなと集まり、みんなの話を聞くのがとても楽しみでした。今回は交流会だけなので、私は特に何も準備をせずただみんなで飲もう♪とワインを冷やしていただけでしたが当日の朝、寝起きに突然「自由について再定義して、みんなにシェアしなさい」というメッセージをガイドから受け取りました。そのメッセージが降りてきた途端、これまでの様々なことがドド~っと私の中で一気に繋がってゆきました。私は寝ぼけ眼のまま、起きて再定義した言葉をコンピューターにメモしました。そこに至るまで、いろんなことがありました。詳しい話は、ここには書ききれないのだけど一つは、私の旧来の親友の存在がありました。彼女は、素晴らしい音楽の才能を持っている人でしたが十数年前から、音楽から遠ざかり、家族のために生きてきた人でした。彼女曰く「いつしか私の何もかもが小さく小さくまとまって主張もなければ希望もなく、なんとも味気ないまま寿命までの消化時間のようなときが、淡々と過ぎてゆきました」とのことでした。そして、1年前に、初めて彼女へのセッションを行った時に宇宙から与えられたのは「自由に生きること」「自分に与えられたギフト(音楽)を多くの人と分かち合ってゆくこと」というメッセージでした。その後、彼女は、様々な宇宙からのギフトを受け取りながら音楽を再スタートするための準備をしそして、ユニバーサルリトリートに参加して、そこで後押しされて先日、フェイスブックでリトリートの参加者に十数年ぶりに作ったという新曲を2曲シェアしてくれました。聞いているだけで癒しが起こる美しい曲と歌でした。彼女が、再び、自分の夢を追求する旅をスタートしてくれた私はそのことがとても嬉しくて彼女の曲を聞くたびに、彼女のこれまでの想いとそこから飛び立つことができた祝福と喜びを受け取り涙が流れました。そして、自由に関して、私の印象に残ったことのもう一つは、昨日の交流会の前日に行ったあるクライアントさんへのセッションでした。その方は、今回、私のセッションを初めて受けられた方でした。テーマは「やりたいことがあっても、モチベーションが上がらない」ということでしたがなぜモチベーションが上がらないのかたくさんの要因が上がってきた中で出てきたことの一つとして「感謝しすぎる」という言葉でした。それで話をよく伺ってみると辛い子供時代を経てきたけど、様々なヒーリングを行ってきて今は、幸せな家族にも恵まれて、幸せを感じていることそして、小さな頃から、身体的な問題があり本来なら死んでしまうところを、命を救われたこと。なので「私は生かされた」という感謝があり「もう生かされいるだけで十分、これ以上、私は何もいらない」という想いから宇宙に「もうこれ以上、私に何も与えないでください」と祈っていたということでした。それに対して、彼女に宇宙から与えられた言葉が「(あなたが生かされたことによって)夢を追求するチャンスを宇宙から与えられたことに感謝しなさい」というメッセージでした。それまで、私は彼女のインナーチャイルドに触れて涙を流していたのですが途中でそのメッセージが出てきた途端もう溢れる涙を止めることができませんでした。実は、その時、私の中にあったのは数年前にガンで亡くなった、友人のちずちゃんへの想いでした。生前、ちずちゃんは「こんなことやってみたい」とたくさんの夢を語ってくれていました。ちずちゃんが亡くなってから、私は「もしちずちゃんが生きていたら、きっとこれをやってみたいって言うだろうな」とか「もしちずちゃんがここにいたら、きっとこのリトリートを一緒に盛り上げてくれたのだろうな」とかハワイに行った時は「また、一緒にちずちゃんとここに来たかったな」とか何かにつけて、ちずちゃんのことを思い出していました。ああ、どんなにちずちゃんは生きて、たくさんの夢を叶えたかったのだろう。たくさんの才能に溢れ、ビジョンを見る力も行動力もあった彼女のこともし生きていたら、きっといろんな夢を叶えていっただろうに。ちずちゃんのことを思い出す度に「私は、今ここに生かされている。だから、ちずちゃんの分まで、自分の夢を叶えていこう」という想いが意識のどこかに常にあったなあと。だから、この日のセッションで宇宙からクライアントさんに対して与えられた「(生かされて)夢を追求するチャンスを与えられたことに感謝しなさい」というメッセージが、このセッションで出てきた時にちずちゃんの存在は、ここ数年間私が夢を追求してゆく原動力の一つだったことに今更ながら、気づきました。そして、このメッセージは、このクライアントさんだけに対してだけではなく私たち全ての人に対してなのだと。昨日の交流会は、約100名の人が参加してくれました。私は、この日のテーマである自由について音楽を再スタートした旧友のこと、そして前日に行ったセッションのことをみんなにシェアしました。そして、またシンクロというか交流会で、ゆうきちゃんがシェアしてくれたのが「なぜか、昨日、ふっと降りてきたメッセージがあってそれが、自由、命、使命という言葉だったんです。使命とかって、普段はあまり使わない言葉なんだけどその言葉が降りてきた時は、自然と、ああそうだ、って納得して」と伝えてくれて、びっくりしました。命がある限り、自分の夢を自由に追求していくことそれが、私たち一人一人に与えられた使命なのだ、ということ。まさに、この日、私がみなさんにお伝えしたかったこと、そのままでした。私がセッションの中で、宇宙から受け取った同じ日にゆうきちゃんも同じメッセージ受け取ってくれたことがとても嬉しくて感謝でした。そして、宇宙はさらなるシンクロを用意してくれていました。実は、リトリートの交流会の前日、私はある方と数年ぶりにメールの交換をしていました。その方は、以前、ニューヨークにお越しになった時に一緒にご飯を食べに行ったりした関係だったのですが今回は、事務的な用件として、在庫確認のお問い合わせとしてメールをしたのですがリトリートの交流会が終わって直後、彼女からのメールの返信を見て一瞬、言葉が出てきませんでした。そこに書かれてあったのは「おりしも、本日5/9は、ちずちゃんが無くなってちょうど3年目の日となります。そんな日に、のりこさんとメールのやりとりをしているとは、天国でちずちゃんが見ているかもしれませんね(*^-^*)」という言葉でした。私は、この日がちずちゃんの命日だったこともまた、この彼女が生前、ちずちゃんと、とても仲がよかったことさえもすっかり忘れてしまっていたのです!なんという、宇宙の采配なのか。「夢を追求するチャンスを与えられたことに感謝しなさい」その言葉を宇宙から与えられちずちゃんのことを想い、涙してその言葉をみんなにシェアした日がちずちゃんの命日だったなんて。そのことも知らずに、ちずちゃんと仲のよかった友人に別の用件で何年かぶりに連絡を取っていたことも。おんおんと声を上げて泣きました。今も、これを書きながら、涙が溢れてきます。ちずちゃん、いつも見守ってくれてありがとう。あらゆることが繋がっていて私は今、ここに生かされて自分の夢を追求する自由を与えられている。そのことに感謝してもしきれません。私の大切な友人であり、今、ユニバーサルラブプロジェクトを支えてくれている、ちさとちゃんとの出会いも最初、ちずちゃんがちさとちゃんに私を紹介してくれたことで繋がったのでした。これまで出会い、繋がってくれて様々な影響を与え合っている全ての人たちに。天で見守ってくれている大切な人たちに。いつも多大なる愛とサポートを与えてくれるマスターや宇宙存在に。ありがとうございます🙏
2021年05月09日
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一昨日、私の古い友人が、天国へと旅立ちました。亡くなったDさんは、享年79歳。私とは20歳以上、歳が離れていますが友人というか、歳が離れた兄貴みたいな存在の方でした。と言っても、もう随分長い間、連絡は取ってなくて連絡先も分からなくなってしまったので「お元気にされているかなあ」「まだ得意のダンスは続けていらっしゃるかなあ」とたまに、ふっと思い出したりしていたのですが昨日、ある方が知らせてくれて、Dさんが5年前から肺を患っていたということを初めて知りました。そのある方というのは、私が昔付き合っていた彼、FちゃんでFちゃんを通じて、私はDさんを知ったのでした。Fちゃんは、当時、ニューヨークで仕事をしていて、取引先の人であるDさんをとても慕っていて、それで私にも紹介してくれたのだけど私はすぐにDさんと意気投合して、3人でニューヨークのバーの梯子をしたり時には、3人で、NY近郊の小旅行に出かけたりして、よく遊んでいました。私は、Fちゃんとのことを相談するためにDさんと二人で飲んだことも何度かあってどんなことでも話せる本当の兄のように感じていました。Dさんは、とてもユニークな人で、すごく毒舌なのですが根底に人間愛とユーモアに溢れていて彼の発する言葉の全てが面白くて、私は、いつも笑い転げていました。どこに行っても、誰に対しても、彼は気さくに人に話しかけて仲良くなって彼のいるところは、いつも笑いが絶えませんでした。Dさんには、愛するとても美しい奥さんがいていつもは毒舌な彼が、奥さんの前では、いきなり大人しくなってしまうのも、また面白かったです。3人で過ごす時も、FちゃんとDさんは、よく仕事の話をしていましたが私は、二人の男性が話す男のロマンのような仕事の話を聞くのが大好きでした。先日のリトリートで、仕事は喜びです、というようなことを私はお話ししたのですが私が出会った人たちは、みんな仕事に喜びや情熱を持ってやっている人が多かったなあと。私たちの脳は、自分自身が体験したことだけでなく自分の周りの親しい人たちが体験したことも同じように、自分の経験として取り入れます。これまで出会った方たちの経験やそこからの感覚やエネルギーが影響して私の意識のベースができてきたのだなあということをつくづく思います。当時、3人でよく遊んでいた私たちですがある時、Fちゃんは、ニューヨークでの任期が切れて日本に戻ることになり私は迷った挙句、彼と日本で結婚することに決めて一緒に日本に戻りました。Dさんは、私たち二人の結婚の仲人をしてもらう予定でした。でも、Fちゃんの家庭のこともあり、思ったようにスムーズにいかず2年半かけて、結納まで行ったものの最終的に、私は結婚することを諦めて、彼と別れ一人ニューヨークにまた戻ってきたわけです。で、半年ぐらい経った頃だったか、その頃は、もう日本に帰国していたDさんがニューヨークに出張でやってきてお会いしたのですがその時にDさんが「のりこの選択は、全てよかった。あいつを愛して、結婚を決めて日本に戻ったことも。そして、結婚を諦める選択をして、ニューヨークに戻ったことも。全てが、完璧だったよ」そう言ってくれた時に、ものすごく救われた気持ちになったのを今でもよく覚えています。当時、私はちょうど、オスカーブラウンと知り合って音楽のCDを制作したいと思っていた時でDさんに「CD制作のための3万ドルを出資してください」とお願いしたのでした。後から思えば、例え出資しても彼にとって、何の得にもならないのにそんなことをお願いした自分に呆れるのですがDさんは、ほとんど二つ返事がオッケーしてくれてそのおかげで、私は、またたくさんの経験をすることができたのでした。私の人生の豊かさに関わる大切な人だったなあと。Dさんのお葬式は、身内だけで行われるとのことでした。Fちゃんとも、もう10年ぐらい連絡は取り合ってなかったのですが「伝えるかどうか迷ったけど」と前置きしつつ彼の旅立ちを私に連絡してくれたことに、感謝で一杯です。Dさんと出会ったこのニューヨークで、私は彼のご冥福を祈ります。彼のことだから、きっとあの世でもジョークを飛ばしつつ、最高に楽しんでいることでしょう。親愛なるDさんへ。私はまだあと40年ぐらいは、こっちにいてやりたいことやってると思うけれどそっちに行った時には、また一緒に酒飲もうねありがとう🙏
2021年04月15日
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明後日は、リトリート配信の日で今回は女性性がテーマなのですがそのプログラムを作る過程の1週間で私の中で、様々な気づきや変化が起こっています。女性性を真に理解するためには、男性性への理解が必須なので今回、女性性、男性性のキーワードをあげながら私なりの女性性、男性性の意味を捉え直しているのですがそのプログラムを作るプロセスそのものが私にとっての癒しや変容になっていると言うことに気づきました。女性性に関しては 少なくとも15年以上は私のテーマだったし宇宙系遺伝から女性性を紐解いて、調整していくことは、ここ何年かやってきたのですが今回、自分の中の男性性に注目して、それが女性性にどう関わっているのか?と言うことを紐解いてゆくにつれてこれまでは、私は男性性が強いが故に、女性性が上手く発揮できないと思っていたのですがむしろ「私の満たされている男性性が、女性性をケアし、守ってきた」と言うことが、はっきりと理解できて「私の中の男性性は、なんと頼もしくて、満たされているのかしら」と自分の中の男性性に感謝する、ということを生まれて初めてやりました。私は、女性性が低いと言うよりも私の中の男性性が、完全に満たされているが故にどうしても、女性性が遅れを取ってしまっていてでも、私の中の男性性はそこを(論理的に)理解していて私の中の女性性の感覚を押さえつけることなく(ちょっと待ってて、後でケアするから、と後回しになることはあっても)いつも私の女性性を守り、導いてくれていてああ、だから私は基本に人への親密さや自分への信頼が持てるのだなあと。で、どうして、私の男性性はここまで満たされているのかしら?と見ていくとやはり、両親との関係で私は両親に、子供の頃からずっと、ものすごく認められたのだと言うことを改めて思いました。母は、認めるを超えて、私を尊敬してくれていて例え、私にとって、特に大したことではないことであっても「あなたは、ほんとすごいね~」としみじみと尊敬の眼差しを私に向けていて、今でもそれは変わらないです。父は、言葉で褒めると言うことはあまりしない人でしたが子供のころ、一緒に将棋をしたり、キャッチボールしたり難しい数学の問題を、どちらが早く解けるか競争したり、そんな遊びや学びの中で、私のことをとても認めてくれていることを感覚として実感していました。そして、私自身も父を尊敬し、小学校の頃「最も尊敬する人」というテーマで作文を書いた時に私は、迷いなく、父を選んだことを思い出しました。男性性は「認められること」によって満たされ女性性は「愛されること」によって満たされます。なので、子供の頃から、周りに認められてきた私の男性性は満たされることができたのだなあと。一方、子供のころ、私は認められることの方が大きかった故に実際は、とても愛されていたにも関わらず女性性の「ありのままの自分が愛されている」と言う実感をなかなか持つことができずそのことに、もう10代の頃から気付いて無意識に、できるだけ認められないようにしよう、と頑張っていました。そして、高校の頃の恋愛によってただ女性として愛される、と言うことの喜びを知ってからいつの間にか「男性に愛されるためには、ダメな自分、弱い自分、できない自分を出してゆく必要がある、男性に認められてしまったらおしまいだ(愛されない)」という、私なりの信念体系みたいなものが出来上がっていました。少し前に、私の30年来の親友と話したのですが彼女が「のりこちゃんが当時(20代前半の頃)よく言っていたのは『S君(当時の彼)に私のダメなところをいくら話しても彼は最終的にいつも「のりこはすごい」になってしまうのよ』とがっかりして言っていたのよ」と私に話してくれて、ああほんとそうだったわ~と当時の感覚を思い出しました。大学1年から5年ほど付き合った彼がいたのですがその彼は、何かに付けて「のりこは本当にすごい、度胸がある、チャレンジ精神がすごい」などと、私を認め、尊敬してくれていてそのことは、もちろん、嬉しいのだけれども一方で、何か満たされないものがありました。で、20代、30代、40代、50代と進むにつれて私の中の女性性と男性性は、その時々の仕事や彼との関係で女性性優勢となったり、男性性優勢となったりいろんな経緯を得てきたのですがやはり、仕事をしていなかった頃は、女性性が大きく発揮されるのですが仕事をすればするほど、男性性優位になってしまいがちでそこは、かなり女性性を意識していかないとバランスが取れないことも実感してきました。そして、最近、少しずつ、このバランスを取り戻している感じがしています。先日、元パートナーが私のセッションを受けに来た時に「1年近く会ってなかったのに、よく、私のセッションを受けようと言う気持ちになったね~。(男のプライドとかも)色々あるだろうし普通は、離婚した彼女のところにセッションとか行かないよね~」と言ったら「そんなプライドはとっくに手放した。セッションを受けるなら、のりこしかいないと思っていた」と言ってくれて、わ~セラピストとして信頼してくれているというか私が、彼に対しして完全にわだかまりを持たず彼に必要なセッションを行うことを信頼してくれているのだなあととても嬉しかったのですが、一方で、これってやっぱり私の中の男性性の強さ所以だなあと。愛されるより、認められてしまう性(さが)というのか。もし、私の持っている信念体系の通りに「現実」が作られてしまっているのならこれから、私の意識にある信念体系を変化させて「認められても愛される」に変えてゆく必要があるのだなあと。そして、最近、改めて気付いたことは、私の男性性が満たされている故に相手の中から「男性の中の女性性」が出てきた時には、とても居心地よく感じるということでした。例えば、男性が弱さを出したり、甘えたり、頼ったりするのは私にとって、とても自然に楽にいられます。でも、一方で、男性の中の男性性、しかも「満たされていない男性性」が出てきた時には、上手く対応できないのです。満たされてない男性性、つまり自分は認められてない、認めて欲しいというエネルギーが相手から強く出てくると私自身が「認められてきた」が故に、そこに寄り添う方法がわからなかったというか私の中の感覚としては「え?もう十分、認めているのに??」となってしまうのです。実際、言葉に出して、最大限に相手を認めているつもりでもその人自身が自分を認めない限り、エネルギーは変わらないことが多く。これは、男性だけでなく、女性に対しても同じで私に対して、認めて欲しいオーラを強く出してくる人はセッションを行うのは大丈夫でもプライベートでの付き合いは、避けたくなります。この「満たされていない男性性」に対して、どう対応するのかが私にとってテーマの一つだったのですが今回、私の男性性がどれだけ満たされているのがよく理解できたのでこれから何かが変化しそうな気がします。そんなプロセスをやっている中、一人のリトリートの参加者の方からメールを頂きました。それには、その方は、最近、他の方のセッションを受けた後デトックスが出て、とても苦しくなり、絶望していた時になぜか、私の絵を描いてみた、というのです。その方のメールの一部から。私はアセンテッドマスターのエネルギーをまだ感じられないこともありまだ悲しみから抜けられなかったのですが思い立ってのりこさんの絵を描いてみることにしました。(えっ?て感じですよね、すみません・・) 12月に私をリーディングしてくださったときの聖母さま、女神さまのような慈愛に満ちたのりこさんを描いていると段々と落ち着いてきて、描き終わった頃には絶望感がなくなっていたのです。 何年もずっと縛られていた後悔ですし、抜けられた訳ではなく今ただ忘れることができているというだけなのかもしれませんが、すごく楽になりました。 数時間ずっとのりこさんのエネルギーを感じようとしていたからなのかなぜなのか分かりませんが、のりこさんのおかげだということに変わりないと思います。素人の、下手の横好きでお恥ずかしいレベルですが、完璧主義を手放して添付します。そして、描いてくださった絵がこちらです。これを見た瞬間から、もう涙が溢れて止まりませんでした。こんなにも優しく暖かく、女性性全開に、私を描いてくださるなんて。私が持っている自己イメージや、私の女性性が男性性に追いついてない感覚がこの絵を見ていると、溶けていってまるで「あなたの女性性は、大丈夫だよ」と天からのメッセージとして伝えてもらったかのようでああ、これは、今の私にとって、最高のギフトだなあと。これは、もちろん、私の中にこんな女性性のエネルギーを見出すことができる彼女自身の優しさや女性性であってこれは、彼女自身でもあるのでしょう。私に大きな癒しを与えてくださってありがとうこの方は、アセンテッドマスターのエネルギーを’感じれない、のではなくて多分「こういう風に感じることが、感じるということだ」と定義をされていると思うのですが、まさにこの絵を受け取ることや絵を描くことを通じて、体感しているプロセスがあアセンテッドマスターのエネルギーを受け取っていることだあなあと。ということで、様々な癒しや感覚を受け取りつつリトリートまで、後2日。まだプログラムはできてないのですが今回は、できる限り、目標達成型の男性性優位の仕事のやり方だけでなくその時々で柔軟に変化してゆく女性性のやり方で進めて行けたらなあと思っています。
2021年02月10日
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「教えることは、最大の学びである」というようなことを、よく言われますが、このリトリートのスタートしてからこれまで以上に、学んだり、研究することが多いです。多次元キネシオロジーを教える時もそうですが今回は、また違う角度から、いろんなことをお伝えすることになったので改めて、学んでいます。私自身が、これまで漠然とわかっていたことや理解していたことでも人に教えるとなると、もっと明確に理解する必要があるし時には、本当にそうなのか?と改めて見直してみたりあれこれ試してしてみたり。例えば、今回、参加者から水の浄化や浄水器とペットボトルの波動の違いについての質問があってそれに関して、感覚的なことだけでは説明できないので店に出かけて、いろんなペットボトルの水の波動レベルの違いを調べてみたりまたは、いくつかの方法でエネルギーチャージした水をどのぐらい波動レベルが違うのか比較してみたり。やってみると、なるほど、そうなのか~と初めて知ることもあったりして面白いです。「~~は~~です」とか「~~は~~の傾向があります」というような、たった一文を伝えるのにも、たくさんの時間とエネルギーをかけて検証してゆく必要があるのでそうなると、本当どこまでも追求してゆくことができるんですね。今は、とにかく時間がいくらあっても足りない感じです。さて、それはいいとしても、ここ最近、迷いも多くなってどの方向性でやれば、みんなにとっての恩恵につながるのかわからなくなることもあってこのリトリートが始まってから、これまで以上にガイドやアセンテッドマスターに質問することが増えていました。昨日も、あることに関して「これは私にとっては必要なことだけど他の人にとっては、これが必要かどうかはわからないしこれを伝えるのはどうなのかしら?』と思うようなことがあって、ガイドに聞いたのですがガイドからカードを引けと言われたので引いたら、このカードが出てきました。「先駆者となりなさい」もしあなたが、道が完全に敷かれるまで待っていたらあなたは、自分の道を切り開いてゆくことはできません。道を示してくれる人がいないことを、自分が先に進まないことへの言い訳にしないでください。むしろ、あなた自身が他の人にとって『あの人がそうしているから』という理由になってください。勇敢で優れたリーダーは、誰かの許可など必要としません。準備ができていないからと言って、先延ばしにしたりもしません。ただ深呼吸をして、一歩を踏み出し進みながら良い方向を探ってゆくのです。自分で自分を率いるのです。これはリーダーに向けたカードです。先駆者となってください。最初の一歩を踏み出し、他の人を導いてください。あなたのような独特の技術、才能、経験を兼ね備えた人はこの地球上にはいません。過去のやり方に頼らないでください。リーダーは、自分自身の道を切り開く必要があります。あなたの後を、他の人はついていくでしょう。けれど、あなたは誰かのあとに続くのではなく、先に進んでください。あ~これはすべてことをガイドに聞く必要はないということだなあと。別の時にも、そう言われたのですがリーダーシップを取ることに対する抵抗というか私が間違った方向に導いてしまうへの恐れは過去世のトラウマとしてかなり持っていてこれまで何度か調整したのですがまだ、小さなことでも、いちいちガイドに聞いてしまうのはその恐れがまだあるからなんですね。は~やっぱ鍛えられますなあということで、第3回目のオンラインリトリートはあと4日後に開催です。
2020年10月08日
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「豊かさとお金のワークショップ」の前は忙しくてニュースは、全く見ていなかったのですがその間に、アメリカは、ジョージフロイドの事件をきっかけに全国的なデモや暴動など起こっていてニューヨークでも一時期、夜間外出禁止令になっていましたが暴動も落ち着き、昨日から夜間外出禁止令も解除されています。私が知ったのは、ワークショップが終わった直後にズームで飲んでいて、メンバーから聞いたのですがこれは、間違いなく何らか勢力による、意図的な動きだろうねと最初から、友人たちの意見は一致していました。ここまで一気に、アメリカ全土に抗議デモ運動が広まったことも平和なデモだけでなく、明らかに人種差別とは関係のない略奪や放火などの暴動が起こったこともまた抗議デモが行われる場所に、あらかじめ投石用のレンガが準備されていたりまた、大手メディアのトランプ大統領へのパッシングなども含め人種差別を利用した、政治的な動きとみる方が、自然な感じがします。そういう何らかの組織が、この事件によって黒人の悲しみや怒りを煽る一方で過激化したデモを展開しCNNや大手メディアがその暴動を放映することで(多分、日本でもそのまま放映されていたのでしょう)今度は、人々の、そういう黒人たちへの不信感を高めて、分断を強めてゆくさらには、トランプを大統領再選を阻むために、この事件を元にメディアが様々なデマや嘘をでっちあげてゆく(もう、このメディアの嘘には、ほとほと呆れますが)アメリカで人種差別がいつまでもなくならないのは白人と黒人の対立が起こるように仕掛けている人たちがいるからなんですよね。だから、実際は、何が起こっているかなんて、わかりようもないわけで報道されていることのどこまでが本当かもわからないなあと。例えば、亡くなられたジョージフロイドと警察官は17年も同じナイトクラブで働いていた同僚だったこととか警察官の奥さんは、アジア人女性だったりまた、事件の一部始終を携帯で録画されていることをわかっていながら警察官があそこまでやったのも、不思議です。と、事の真偽は、わかりようもないのですがこの騒動が起こってから、急に気になってこの2年ほど連絡を取ってなかった黒人の友人であるオスカーに連絡をしました。彼は音楽プロデューサー&作曲家で私は25年ぐらい前に一緒にプロジェクトをやっていたので当時は、毎日のように会っていたのですが彼は、私が最もケンカした友人かもしれません。ケンカと言っても、大抵、一方的に怒っていたのは、私でしたがとにかく、オスカーは、時間を守ることができない人で何か約束しても、2、3時間遅れるのはざら。当時は、携帯電話もなかったので彼と一緒にプロジェクトを進めるのは、大変でした。でも、暖かくて、人情深いオスカーのことは大好きで例え、ケンカしても、次の日にはまた元どおりになっていて当時は、オスカーの家族や友人たちも含めファミリーみたいな感覚でした。二人でタクシーに乗る場面になると、いつもオスカーは「のりこがタクシー拾って。僕が手をあげても、乗車拒否が起こるんだ」と言っていました。そういう差別は、いまだに起こっているのだということを当時、彼を通じて知ったことでした。一方で、黒人は、暴力や犯罪を起こす人が多い、というイメージから傷つけられるのが怖くて、黒人を避けてしまうという人たちがいてだから、当時、乗車拒否なども起こっていたのだろうなあと。あの頃は、ニューヨークは、まだ治安もよくなかったしオスカーのように身体がでかくて、いかにも強そうな黒人であればなおのことそういうことが起こったのかもしれません。(実際は、すごく繊細で優しい人ですが)当時、オスカーはよく「黒人へ差別をする奴ら(白人)は、すぐにわかる。彼らは、馬鹿丁寧な話し方で僕らと話をするんだ」などと話していました、オスカーは、彼の両親や祖先が受けた差別の歴史を子供の頃から聞かされて育ってきた人ですからその痛みや’悲しみをそのまま意識の根底に持ってて相手の言葉や態度だけでなく、微妙な表情やしぐさの中にも敏感に黒人への差別意識を感じ取っていました。今になって思えば、差別による悲しみや怒り、抑圧は多くの黒人が、DNAレベルで持っているものだと思います。そんなオスカーのことだから、きっとこのデモにも参加しているんだろうなと、久々にオスカーに連絡したら、なんとコロナに親子でかかってしまって、大変だったとのこと。もっと早く知っていれば、遠隔ヒーリングでも何かできたかもしれなかったのにと思いましたが今は、親子ともに回復したとのことで、ホッとしました。やはり、今回のデモには参加していましたがオスカーがリツィートしたのを見て正義感が強くて人情深いオスカーらしいな、と。「アメリカの全ての良い警察官たちへ。私たちは、あなたたちを愛し、サポートしています。安全でいてね❤️」 そうなんですよね。今回、人種差別だけでなく、警察の暴力も問題となっているわけですが一方で善良な警察官もたくさんいるわけですから。私は昔、警察に対するイメージが、すごく悪かったのですが、ボブという当時、ニュージャージーの警察署長をしていた白人の友人ができてからかなりそのあたりの感覚は変わったように思います。これは以前も書いたのですがボブは、以前、私がひき逃げの交通事故にあった時に真っ先に病院に飛んできてくれた人で病院のベッドの上の私に「のりこ、ニューヨーク市のタクシーを相手に訴えを起こそう。僕が弁護士を紹介してあげるから」と言ってくれて、当時、ビザがなくて不法滞在だった私は「ボブ、知っての通り、私は不法滞在なのよ。市を相手取って訴えるなんて、無理なんじゃない?」と躊躇したのですが「大丈夫、そのあたりの人権は、アメリカでは守られているから」と手続きしてくれて、彼のおかげで私は当時かかった3万ドルほど治療代を支払うことができたわけなんです。もともとは、ボブとは、最初は、私が彼に日本語を教え彼が私に英語を教えるというランゲージエクスチェンジをやっていたのですがいつの間にか、ただの飲み友達となってしまい結局、彼が日本語を話せるようになることも私の英語が上達することもなかったのですが彼との出会いがあったから、私の警察へのイメージは変わったなあと。彼は、もうリタイアして、今はアメリカには住んでないのですがたまに懐かしく思い出します。こういう人種差別にしても、警察への不信に関してもその人が、個人レベルで、どういう経験をしたかによって全く違ったものになるんですよね。そして、今回のデモを通じて感じたことは「暴力を見たら、警察に通報しよう」と呼びかけている黒人のデモの人や白人警官が「平和にデモをしてくれるのならサポートする」と声をあげて、周りの人たちと感動を共にしている場面を見るとああ、DSの思惑のように、白人対黒人、警察対市民という対立を生み出そうとする試みももううまくいかなくなる時代になってゆくのかもしれません。(希望的な見方かもしれませんが)私自身は、アメリカに長く住んでいてアジア人として差別されたことは一度もないですが例え、もしこれから、そういうことが起こったとしても「自分の現実は、自分が(無意識に)作っている」と思っているので差別されたという認識そのもの変化させることを選択するのだろうなあと思います。でも、一方で、ファミリーのようなオスカーを通じて彼らの痛みも怒りもよくわかるし、彼らの選択も尊重したいなあと。全ては、それぞれの学びのプロセスなのでどれが正しいあり方なんてないんですよね。今回、黒人だけでなく、多くの白人も、このデモに参加しているのiは「差別された」「権力から抑圧された」「不当に扱われた」という意識や感覚は、例え、自分は今生でそういう体験をしたことがなくても前世や集合意識として、ほとんどの人が意識の根底に持っているものだから共感しやすいからです。その集合意識が変化した時に私たちの次なる世界が開けてくるのかもしれません。今回、声を’あげよう、黙ってみているのをやめようというメッセージがよく見られますがでも、声を上げない=無関心ということではなく声を上げる先がどこに向かうのかを見極めることが大切だしそれが逆に対立を生み出す方向に行ったり政治的な動きに利用されるような形にならないように静かに見守って’いることも、大切だなあと私は思っています。とても複雑な問題なので、一概には言えないこともたくさんあるのですが今回の事件で、なんとなく感じていることを書いてみました。
2020年06月09日
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今朝、アメリカの別の州に住んでいる友人からメールがあり「この騒ぎ、絶対何かがおかしいと思って調べていたらアメリカ人の友人が、これを聞いたら?と送ってきたの。とてもわかりやすかったから聞いてみて」と、デービットアイクのインタヴューのポッドキャストを送ってきてくれました。英語ですが、ゆっくり話してくれるので英語がわかる方はぜひ聞いてみてください。実は、この直後に、同じ内容でユーチューブの画像を見つけてそちらをリンクしようとしたのですがなんと、私がこのブログを書き終わる前にはその映像は削除されていました。その映像は、3月18日にアップされて、44万回の再生があっていましたがユーチューブは、情報コントロールがすごいらしいのでよく削除されてないなあと思った矢先のことでした。(私がそれをリンクしようとしたら、楽天からもアップできないと注意がありました。この記事も削除されないことを祈ります)デービットアイクは、随分前私が911に関する情報を探っていた時に、本を読んだことがありその時は、この方の言っていることは、ある部分は納得できるけどレプ脳とか、さすがに行き過ぎているよな~と、半信半疑だったのでそこからは一旦離れていたのですがここ数年、キネシオロジーでレプ脳の調整に取り組んできた今となって彼の話を聞くと、いや~この人は30年前からトンデモと言われつつそう行ったことを言い続けてきたのは、改めてすごいなあと。いわゆる爬虫類脳は、生存のための反応なのでパニックや鬱を引き起こすのはこのレプ脳から来ていることはここ2年ぐらいで、私が理解してきたことの一つです。そして、彼がここで言われている他の話は正しいかどうかはわからないし、あくまでも保留ではありますがなるほどなあと納得はできます。WHOとロスチャイルドの繋がり1%の人たちの望みを叶えるためのAIの世界強制ワクチンの真実政府とメディアによって動かされた世論によって彼らの目的を果たすように進んでいると言うこと。例えば、WHOや他の国の首相の呼びかけがありましたがそれらを受けて、先日、あるアメリカ人の有名人の発言で「若い人たちは、コロナに対する認識がなさすぎます。若ければ、免疫があるから、ウィルスを持っていても発症しないからと言ってそういう若者たちが外に出れば、お年寄りは感染して死んでしまうのです。そう言うお年寄りの状況も考えて、若者は外に出るのをやめるべきです」というコメントがあったのですが一見、こういう発言は「最もなこと」のように見えるし私も決して、間違いだとは思いませんがもしそれを言うなら、これはコロナに限らず、風邪でもインフルエンザであっても若者たちは、いつでもお年寄りにとっては、脅威となり得るわけでそれなら、若者が外に出ないのではなくて、免疫力のないお年寄りが外に出なくても生活していけるような仕組みにしてゆく方が、健全な対策だよね、と私は思っていたのですが(もちろん、それがこの場合の正しい解決法とも思ってないですが)デービットも、このインタビューの中で、そのことについて触れていました。つまり免疫が弱い人だけではなく、この経済政策によって健康な人も、生きて行けなくなるような世界を作り上げようとしている可能性があるわけです。デービットは、これをProblem Reaction Solution(PRS)と呼んでいました。このPRSの第一段階として、支配者たちは、自ら問題(テロやウィルスなど)を作り出し第2段階として、それをメディアを使って大衆に拡散することでそれに対する恐れや怒りを植えつけ第3段階として、支配者たちの都合の良い解決法に導くように世論を誘導してゆくというものです。そのPRSの典型的な例が、911で、これはまさにテロへの恐怖と怒りがアメリカ人に植え付けられ、アフガニスタンとイラクへの戦争賛成への世論へと繋がったわけですね。(911に関しては、山ほどありますが8分ぐらいの映像のアーロンルッソの日本語字幕付きインタヴューをリンクします)先日、友人とも話したことですがが911は、ある意味、私たちの意識的な「目覚め」にもつながった出来事だったので911についてよく知っている人は、今回のコロナ騒ぎに対してメディアにコントロールされずに、冷静に判断されています。今回のことも、敵はコロナだと人々に思わせるように世論を誘導しているのが、わかりやすく見えてくるのです。デービットも言われていましたがとにかく、恐れによってコントロールするのが、彼らのやり方ですからまず大切なのは、メディアの情報から離れて個々の恐れを手放していくことです。毎週のように、ホロセットのリチャード博士から送られてくるビデオニュースレターで「24時間、リベラル派(ユダヤ系)メディアはごちゃごちゃと騒いでいるがとにかく、そこから離れて、恐れをレットゴーすることだ。何もあなたを傷つけるものはないのだから。風邪やインフルエンザと変わりない。そんなことより、もっと人生を楽しみなさい」と言われていましたが私たちが、認識する必要があるのは基本的に、大手のメディアからの情報は起こっていることを正確に報道しているように見えて実際は、ある政治的、または経済的な意図から発信されているということ。テレビの情報は、もう無駄だと理解している人は多くなってきましたが、ネットの情報もしかりです。というのも、そういった世界をコントロールしようとしている人たちにとって都合の悪い情報は通常の検索ではなかなか上がってこない仕組みになっていたりもしくは、削除されてしまうとのことでした。(まさに、今日、紹介しようとしていた映像が削除されたように)これは、キネシオロジーでも必要な認識でもあるのですが情報を受け取る時に、まずは全てを疑ってみるという姿勢です。その報道されていること自体は事実であっても人々が、こういう印象を抱くように、そこを切り取って報道するというのが、日常的に行われている以上私たちは、その意図を知った上で、情報を受け取る必要があります。、ですから、本当に何が起こっているのかを知るためには特定のワードで検索をかけて、絞り込んで検索しないと上がってこないのですがどちらにしても、今の状態でどの情報が正しいのかの判断はとても難しいです。私は好奇心が強くて、こういう検索をするのは楽しいこともあってちょっとしたゲーム感覚でやることはありますがもし、それによって、恐れを抱くのなら意味がないしそれより、今、自分が何をしたいのか?とか自分にとっての喜びにフォーカスする方が大切だと思います。この恐れというのは、何か外からの要因によって自分や家族など大切な人が傷つけられる可能性がありそれに対して、自分は無力である、という感覚です。リチャード博士も言っている「私たちを傷つけるものは何もない」という真理に目覚めてゆくことが必要な気がします。さて、このデービットのインタビューで司会者が「では、私たちはこれからどうしたらいいのか?みんな未来が見えなくて絶望している。何か私たちがポジティブに捉えられることはないのですか?』ということをデービットに聞いたのですがその答えとして、デービットから出てきたのは私たちの自己アイデンティティを変えるということです。自分が何の仕事をやっているかとか宗教とか人種というラベルによる自己アイディティを変えるということ。もし、私たちが、その自己アイディティを変えてこれをただ経験している、永遠のAwarness (目覚めた意識)として認識しそして、その見解から世界を見ることができたら恐れはなくなるでしょう。近視で世界を見るのではなく、パノラマ的に見ることができたらそれは、ただ違った経験として認識するだけなのです。私たちの知覚(認識)が、私たちの経験となります。全ては、周波数です。全ての現実と言われるもの、それがコロナウィルスであっても、何かの考えや恐れであっても、それは周波数に過ぎません。それらは、愛や喜びの周波数とは違うものです。私たちは、ありとあらゆる周波数の海の中にいるようなものです。それは例えば、コンピューターのようなものでそこにはありとあらゆるものがあるWIFIの海でありあなたは、自分のスクリーンに何を写すこともできます。もしあなたが、恐れの周波数にフォーカスするなら、あなたの経験は最大の恐れに基づいたものとなるでしょう。私は、自分の現実を変えるために、自分の知覚(認識)を変えるということをこの人生をかけてやってきました。私はひどいリウマチでしたが、その「認識」を変えることで今は完全に痛みはなく、何の影響もなくなりました。医者も薬も必要なく、ただ認識を変えただけです。たくさんの人が医者の「診断」通りに亡くなってゆくのはその診断が、彼らの認識となってしまうからです。マインドはとてもパワフルで、それが私たちの現実となって行きます。支配者たちが、どうして人々の認識をコントロールしたいと願っているのかそれは、人々の認識が、人々の経験となることを知っているからです。私たちの周りには、恐れのタネが溢れていてもしそこにいれば、その恐れの現実は最大になってゆくでしょう。でも、もし私たちが違う認識を選んだなら、私たちは違う社会を形成してゆくことができるのです。彼ら(一部に支配者)ではなく、私たちが世界を作ってゆくことができるのです」と言われていました。(ざっと訳したので、正確には違うところがあると思いますが)私たちの「現実」を変えるためにはただ、そこにある恐れからの認識を変えてゆくだけなんですよね。それにしても、日本という国は、やっぱり他の国とは違っていて不思議な国だよね、と今回のコロナのことでアメリカ在住の友人たちと話していました。最初にコロナでパニックになったのは、日本でしたがそれから、日本の情勢は一旦、落ち着いて(これは、彼らにとっては、想定外だったと思うのですが)今度は、アメリカや世界がパニックになり今のところ、世界のメジャーな都市で、ロックダウンしてないのは東京だけで、他は全て、ロックダウンなのですから。これは、オリンピックのことがあるからであるだろうしオリンピックが延期、または中止になった途端に間違いなく、東京もロックダウンになるだろう、というのが世界情勢に詳しい人たちの見解で私たちも今後、どうなるのか見守っているわけですがどちらにしても、この不思議な現象は逆に言えば、日本人の底力でもあるのかもしれないなあと。ということで、状況は、刻一刻と変化してゆくのでどうなるかはわかりませんが例え、何が起こったとしても私たちそれぞれが選ぶ「認識」によってそれぞれの「現実」が生まれてゆくということには変わりないです。昨日、今日とお伝えしたような情報はここ何年も私はブログでは伝えてこなかったしそのつもりもなかったのですがある程度、これらの情報を知らなければ人々の目覚めには、つながらないのかもしれないとお伝えすることにしました。これから、多くの人たちの目覚めと新たな時代への幕開けにつながってゆくことを心から祈って。
2020年03月22日
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NYは、春一番の暖かい風が吹いてすっかり過ごしやすい気候になりました。春の訪れは、ウキウキするところですがここ最近の劇的変化で、それを楽しんでいる余裕もないぐらいこの1週間で、いろんなことが劇的に変化しました。ニューヨークの状況も目まぐるしく変化してまずは、先日17日に、NYのレストランやバー、映画館などは強制的に閉鎖となり10人以上の集会は行わないことなど市からの指示がありました。それで、来週から予定していた多次元キネシのベーシッククラスはサンフランシスコや日本から申し込まれていた方たちがキャンセルされたので参加されるのは、NY在住の方のみ7名になりサポートとして、一人参加予定の人と私を含めて、計9名となったのでこれはクラス開催できそう、と思っていたのですが昨日、NY州で、全ての企業が在宅勤務となり外出禁止とまではいかないけれど市民は出来るだけ自宅待機することと要請がありさらには、アメリカ’在住の人の渡航禁止令まで出てそれを受けて、私のアパートの住民との話し合いの結果とうとう、クラスもキャンセルせざるを得なくなってしまいました。厳重な外出禁止ではなく、友人への面会などはオッケーとのことなので対面の個人セッションは、これからも続ける予定ですが例え、7、8名であっても、集団で集まることは難しくいつもは穏やかなアパートの住人でさえこんなに恐れたり、神経質になっていることに改めてびっくり。キネシオロジーで免疫を高めることや恐れや不安を解消することの大切さなどもお伝えしたのですがアメリカ政府の対応やメディアの情報を鵜呑みにしている人たちにとってはそれは響かないわけです。ガイドに、これはどうしたらいいの?と聞いたら「他の人の問題を認識して、受け入れること」と言うのが出てきて一般の人たちの認識と私の認識がいかに大きく違うかも改めて理解することになりました。ここ最近、クラスやセッションを受けられた方達からは「周りの人たちが恐れが強い中、不思議と私はとても落ち着いています」とか「自己ヒーリングで、今回のコロナで感じていることを紐解いていったら予想していなかった気づきがありました」などというご報告を頂いたりすることが多くとても嬉しくて、よし、クラスがんばろ~っとさらにモチベーションが高まっていたところでした。私としては、こう言う時こそ、キネシを活用して不安や恐れを解消したり、これからの可能性を開いていったりする人たちが少しでも増えて欲しいと願っていただけにクラスができなくて、とても残念ということとともに一般の人たちとの認識の違いが、カルチャーショックでした。さて、そもそも、最初にガイドがクラスをやれと指示があったからクラスをやることにしたわけでこんなことはこれまでになかったことだったのもあり昨日は、一瞬、ガイドに文句を言いたくなり「これって、どう言うことなの?クラスが開催できないとわかっていて、クラスをやれって言ったの??クラスができなくなることで「他の人の問題を認識する」ために私は、わざわざクラスの準備を進めてきたわけじゃないよね?」と、などと聞いたわけです。すると「ガイドを信頼する」と言うメッセージが出てきたので「いや、もちろん、信頼してるんだけど。私はこの一連の流れから、何を学ぶべきだったのか知りたいのよ。私の中のどんな問題に気づく必要があるの?』と、わからなくなっていたのですがそのあと、しばらくしてはっと思い出したのは、最初にガイドがクラスを開催しなさいと言ってきたのは3月上旬から中旬の時期だったと言うことでした。でも、その時は、全くこんな事態になるとは予想もしていなかったこともあり3月上旬だと、少し準備が慌ただしくなるかも?と思って少々、時期がずれても特に問題ないよね、と私は、ガイドに聞くことなく、後から3月下旬に変更したのです。「もしクラス開催が1週間早かったら、大丈夫でしたよね」と、クラスに参加予定だった方が、メールを下さったのですがあ~そうだった、これは明らかに私の思考によって宇宙の流れに沿わなかったからだなあと。もちろん、すべての現実は、私の選択であることは十分わかっているのですが、昨日クラスがキャンセルが決まった直後の一瞬ですがガイドのせいにしてしまっていましたまあ、どちらにしても、NYでのクラスはまたいつでも開くことができるし今回、クラスの参加予定の人たちが、NY在住の方ばかりだったことは不幸中の幸いだったと言えます。友人から「のりこさん、海外からクラスに参加する人たちが来ていなくて本当に良かったですね。宇宙から守られていますよ」と言われて、本当そうだなあと、改めて感謝でした。さて、こういうことが起こった時私自身は、3つの観点から物事を見るようにしています。一つ目は、私個人としての気づきや学び二つ目は、社会的な観点からの気づきや学び三つ目は、宇宙的視野(スピリチュアルな観点)からの気づきや学びまず、第一番目が一番大事で、これがあって、次の社会的な観点からの気づきや学びにつながるし、その二つのベースがあって初めてスピリチュアルな観点からの理解につながると思っています。例えば、来月の家賃どうしよう?という不安や恐れがあったとしてその状態で、スピリチュアル的な意味を探っていって例えば「このコロナが起こったのは、アセンションのためです」などいう記事を読んで、ああ、そうなのかと納得したとしても結局、現実は不安を抱えたまま何も変わらないわけです。自分がそれに対して何を感じているのか?が、この世界の全てと言っても過言ではないです。私たちは、それぞれが見たいように世界は見えていて同じように見ているわけではないのです。多くの人にとっては「このコロナがあるから、不安になった」とか「コロナのせいで、こうなった」と思うわけですが実際は、このコロナが起こっても、恐れや不安の中にいない人たちもいますし恐れにしても、不安にしても、怒りにしても外側の出来事によって感じるのではなくてもともとその人が持っていたものがあるきっかけで出てきているのにすぎないのです。ですから、それぞれが自分が持っている恐れや不安と向き合ってそれを変化させていくことしか、それぞれの「現実」は変わらないとも言えます。例えば、今回のことで仕事がなくなって、新たな仕事をスタートするにしても恐れや不安ベースで考えて、新しく仕事をやるのと喜びベースでクリエイトされた仕事をやっていくことではそこから生まれる現実は、全く違ってきます。さて、2番目の社会的な観点からの気づきですが例えば、今、社会で何が起こっているのか?を見てもみんなが同じ情報を共有しているわけではなくこれは、まさに1の個人としての気づきとリンクしているのでその人の意識の広がりによって同じ情報でも受け取り方が違うだけでなく受け取る情報そのものも違ってきます。先日、友人と話していて、彼女の娘さんの学校が休校になったことなどの騒ぎに関して娘さんが「なぜこんなことになっているの?」と聞いてきたそうで、彼女は「子供は、本質的な問いをしてくるからすごいわ~」と言っていましたが、この問いに「正しく」答えらえる大人は実は誰もいないのではないかと思います。もちろん、コロナというウィルスが発生して、それが広がらないようにこう言う自体になった、という表面的な答えはできますがなぜこうなっているのか?の本当の答えはそこにはないですから。ここで、まず問題になるのはまず、コロナ自体の危険性についてですがどの情報を信頼するかは人それぞれだしまたある程度、信頼できる情報であってもそれが全てその通りだとは、私は思わないのですが今朝、見たホリエモンの動画に出ていた新型コロナウィルスについての専門家の意見と言うのが、わかりやすかったです。https://www.youtube.com/watch?v=xDBtQCQ6fWk&feature=youtu.beこの専門家の方が言われているようにコロナは、インフルエンザと同じぐらいの感染力で重症化する確率は、インフルエンザより少し高く(特にお年寄り)子供は重症化しないそして、コロナウィルスが変質する可能性は、インフルエンザよりも低いと言うことで、これは何人もの医者や医療関係の人たちも言われていたことなのですがじゃあ、なぜ、これまでのインフルエンザとコロナとではこれだけ政府や世界の対応が違うのか?と言う、素朴な疑問が当然、湧いてくるわけです。私は、最初から、そこにとても違和感があったのでコロナが騒ぎ始められた時「なぜ、こんなことになっているのだろう?」と調べだした時に、いくつかの情報が上がってきてこういうことが起こっていることは、ある程度、予想はできていたのでそれほど驚かなかったのですが(実際に起こっているのは、このシナリオの通りではないと思っていますが)それらに関連した情報として偶然、ジョンレノンの2分ぐらいのインタビューにヒットしました。私はこれまで、それほど詳しくジョンレノンのことを知っていたわけではなかったのでこのインタビューを見てああ、彼はすでにこの時代に、このことを知っていたのだということを、今回、初めて知りました。それがまだ、インターネットなどが普及してない時代であることそして、彼が12歳の時に、このことに気づいたと言われていたのが衝撃でした。ジョンレノンは、この動画で「イギリス政府、アメリカ政府、ロシア政府、中国政府は偏執狂者であって、もし実際、彼らが何をやっているかを僕が言ったなら僕が狂人だと思われるだろう」と語っていますが、ちょうど、少し前に、友人たちとこういう話をしていたところでした。真実を話す方が、狂人だと思われてしまう社会に私たちは、今も昔も変わらずにいるのだなあと。こういうものを陰謀論などで片付けてしまう人たちがいるのも知っていますが少なくとも、私にとっては、ジョンレノンの感性や視点に共感します。そして、メディアによって、作り上げられた世論というのがその偏執狂者の世界を助長しているということをここ最近、さらに認識することになりました。詳しく書けば、きりがないですが「敵はコロナである」と多くの人たちは思っていますが本当の敵はコロナではないと私は思っています。私にとって、今回のコロナでの一番の個人的な問題と課題は「狂った支配者と、愚かな大衆」という私が昔から意識のどこかに常に持っていた感覚でした。ここでの愚かさと言うのは、個人の愚かさではなくて大衆としての愚かさであってそれは、単に、情報に踊らされて買占めに走る人の愚かさとかそう言うことだけではなく権力に左右されていることに気づかず無意識にコントロールされている人々のことです。ちょうど、このコロナ騒動が始まる前、年明けてすぐに私は友人たちに「その感覚が抜けないのよ」と話していたところでそれからまもなくして、次々とその私の中の「現実」を見せられることになりまさに、自分が見ているように、世界が見えているということになったわけです。そして、同時に、これは、もう人類が何千年も抱えてきた問題だと感じるのです。ここ最近、私の人生において、最高レベルに素晴らしい本を2冊続けて読んだのですがその二冊ともに、それについて書かれてあったことも私の意識にさらに影響していることも間違いないです。1冊は、ご存知トムケニオンの「マグダラの書」でありもう一冊はエリザベスハイチの「イニシエーション」です。この2冊に関しては、本当に素晴らしいのでまた後日、シェアしたいです。ということで、これから私自身のさらなるワークは必要なのですがここ最近、「愚かな大衆」と言う感覚は一部は変わってきたように感じています。少なくとも、自分が持っている恐れや不安に気づきそこと向かい合って、変化させることでそれぞれの「現実」を変えようとしている人たちが私の周りに多くなってきていることが私にとって、大きな救いとなっています。こうした個人の気づきや変容とともに今、何が起こっているのかを、紐解いてゆくとなぜ、一部の人たちが、このコロナがアセンションへの第一歩であるとか投資家や経済に詳しい人たちが、これから経済のあり方が大きく変化し世界が大きく変化すると言われているのかが深く理解できます。今日のブログで、最初にリンクした動画の中でビルライアンさんが『私たちは、随分前に自分たちの力について忘れてしまった神のような不死の存在なのです。意識の可能性は、途方もないのです。この全体像の中で、自分たちが、どれほど力を持った存在であることに気づくことは、非常に重要で、それはこの窮地から私たちを救うことができる唯一最も大切なことかもしれません。これこそが、ことの全てなのではないかと思います」と伝えているのが、私の胸に強く響いてきます。まだまだ、書きたいことは山ほどあるのですが来週はクラスがなくなったことで、今日から、私は時間に余裕ができたのでこれからゆっくり書いてゆく時間ができました。(メールのお返事も、早急にしますね~)こういう時こそ、みんなで繋がっていることが大切だと思うので近いうちに、多次元キネシオロジーのクラスを受けられた方たちとズームミーティングしようかと検討中です。明日は、アルクトゥルスの仲間たちとズーム会議し、その後は、友人が家に来て、家飲みするつもりでとりあえず、この2、3日間はゆっくり休んで、次に備えます。思わぬバケーションとなりましたが今後、どんな風に世界が変わってゆくのか見守りつつ自分自身の変容を進めて行きたいな~と思っています。
2020年03月21日
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先日、友人たちと4人で、レストランに食事に行ったのですがその時は、私たちが訪れた、おしゃれなタイレストランは満杯状態で、大賑わいでした。その日は、春一番の暖かい日だったこともあって街にも、たくさんの人が出ていて、中には半袖で歩いている人もいましたがマスクをしている人は、一人も見かけずこの風景だけ見ると、世の中にコロナでの騒ぎが起こっていることなんてまるで嘘みたいでした。ところが、その数日後に、トランプやニューヨーク市長の発言があり美術館やミュージカルが全て閉鎖となり市民に、2週間分の食料品も備蓄することを呼びかけたとのことでそこからニューヨークも一気に、一般レベルでコロナ警戒モードに入って来ました。友人曰く、そのトランプの発言の直後からNY市内のスーパーや店に長蛇の列だったり一気に棚から商品がなくなったりしているとのこと。ちょうど、私は、トイレットペーパーが今、使っているのが、最後の1ロールとなったのでもうそろそろ買いに行かなきゃな~と思っていたのですが(基本的に、食料も日用品も備蓄するという発想が全くない人だったので)そのタイミングでNYのスーパーやアマゾンなどでトイレットペーパーが売り切れるという事態に。まじか。。。アメリカでもトイレットペーパーがなくなるとは。もちろん、大量に買い占めるような人は、もう通常の精神状態ではなく混乱状態なのでしょうが、とにかく、世界各国共通してトイレットペーパーの買い占めというのが、ほんと不思議。まあ、もしトイレットペーパーがなくなっても食料がないわけではないので、死ぬことはないし他の方の中には、最後はインド式でやる、という人もいましたがそこまでしなくても、普通のティッシュペーパーは売られているのでペルー式(トイレに流さないで、ごみ箱に捨てる方式)でいくかなと~。とは言え、私一人だったら、それで問題ないのですがウチにはクライアントさんが来られるのでやはりトイレットペーパーはいるよなあと思ってネットであれこれ探してみたらアマゾンでほとんど全てが売り切れていた中一種類だけ、4ロール入りのものが残っているのを見つけて無事に購入できました。今日、ホールフーズに行ったらやはりトイレットペーパーは売り切れでしたがいつも買っている食料品は、ほとんど手に入り列も並ぶこともなく、割と普通だったので、ホッとしました。人は、いつもより少なかったですがユニオンスクエアのファーマーズマーケットも開催していました。ということで、ありがたいことに私にとっては、今回のコロナでの影響はトイレットペーパーが買えないぐらいで他は、今のところ、いつもとほぼ変わらない生活なのですが(もともとずっと家にいる人なので)それでもこのコロナが起こってからというもの私自身の気づきや変化も、日々起こっています。こういう私でさえ、変化を感じているのですから他の方で、例えば、子供が休校になったり、在宅勤務になったり仕事がなくなったりして、生活が変わらざるを得なくなっている方達にとっては今年は、本当に大きな変化の年になるのだろうなあと想像します。今のところ、私の周りでは、クライアントさんも含めコロナに感染することに恐れを感じている方は、少ないのですがただ、この経済的危機や、仕事面での不安を感じている方は何人かいらっしゃいました。先が見えないことへの不安や恐れがあるのは自然なことですが、それでも後から振り返って「あれがいい転機になったね」と思えるような変化になることを、信頼して進んでゆくということも必要なのかもしれません。(必要かどうかも人それぞれですが)私たちは人生を通じて、自分自身への信頼が試されるんですよね。さて、私は、内面での気づきや変化もそうですが、実際の行動としてもここ最近、気をつけていることがいくつかあります。例えば1)ネットでの情報を見すぎないこと2)やりすぎないこと、十分な休息を取ること2)時間の使い方のバランスを取ることここ最近、セッションに来られた何人かのクライアントさんもそうだったのですがこのコロナが起こってから、つい、ネットでの情報を見る時間がいつもより増えてしまっていました。もちろん、ある程度の情報を知ることは大切だけど、私の場合「こういう視点や観点から、発信されている方、いないかな?」とか「これが起こっているのは、もしかして、この可能性があるのかも?」などと、好奇心からの検索をかけて、ついあれこれ調べてしまっていてそれは、4の「時間の使い方」とも関係して余計な情報を見ている時間やエネルギーの無駄だということに改めて気づきました。今回、つくづく思ったのは本当に大切な情報は、検索してもなかなか上がってこないということもあるしまた、今の段階では、見えてこないことが、たくさんあるということ。(いえ、後になっても、わからないことも色々あるわけですが)どちらにしても、何を知ったところで今、私が集中するべきことに集中することが何よりも大切なのは変わりないのでこれからは、できるだけ最低限の情報を見るぐらいにしようと。そして、本当に必要な情報は、なかなか上がってこないわけですが私にとって、何よりも一番幸せだと思うのはこういったことをなんでも分かち合える仲間や友人が身近にいるということ。こういう時に一番大切なのは、どういう人と繋がっているか?であると、ある著名な作家の方が言われていましたが本当にそうだなあと。そして、当たり前のことですが、十分な休息が大切だということ。このところスキャンリストの修正や新しい宇宙系遺伝の発見や調整などで睡眠時間が3~5時間ぐらいの日が続いていました。私は、1日のうちで何度か、自分の体力レベルと、エネルギーレベルを図っているのですがやはり、睡眠時間が短いのが続いてしまうと体力レベルは、自分にとっての最高レベルにはならなくてすぐに疲れやすくなってしまうのでとにかく、睡眠は十分に取らなきゃなあと。(短眠に憧れはあるのだけど)このあたり、私はまだ、夢中になってやりすぎてしまう遺伝をいくつか持っているので、かなり気をつけて、バランスを取らないとついやりすぎてしまうのです。先日、それで大失敗をしました。その次の日は、昼1時からのセッションだったので前の日は、夜更かししてもいいという安心感があり新しい調整法の研究などをやっていて夜中の4時近くになってから寝たのですが次の日、朝7時に目が覚めてしまったのでこのまま自己ヒーリングをしようと、ベッドの上でやっていました。10時過ぎぐらいに終わって、ああもう少ししたらご飯やシャワーなど準備しようと思いつつ、ついそのままベッドでうとうとし次にはっと目覚めたのは1時になって、クライアントさんのピンポーンの音でしたこういう時って、ほんと焦ります。以前の私は、こういう時は、顔も洗わず、ご飯も食べず、トイレにもいかず起きたままの状態で、そのまま、クライアントさんのセッションをスタートしていたのですがここ最近は、ご飯を食べてないと、エネルギーが持たないのでできればそれは避けたいと思いたまたま、この時のセッションは、よく知っている方だったこともって謝って1時間ほど待ってもらってその間に準備ができたので、助かりました。その前には、なんと、私のスケジュールミスで日程を間違えて、スケジュールに記入してしまっていてクライアントさんが来られてしまったこともあったりこの1週間は、もうダメダメで、人に迷惑かけっぱなしだったのですがその分、皆さんの温かさや優しさに触れることになりました。そして、4の時間の使い方これについては、また長くなるので、いつか書くことにして。本当は、ここ最近、コロナとは全く関係なく個人的なことで、魂が揺さぶられるような体験や気づきがあったのでそれについて書きたいと思っていたのだけど今日もコロナの話題になってしまった。さて、来週からは、セッションの合間にさ来週からの多次元キネシのクラスの準備をする予定なのでちょっと忙しくなりそうです。クラスは、このコロナでの問題でまだクラスへの参加を迷われている方が2人ほどいらっしゃっるので最終的に何人になるのかわからないのですがそれぞれのとって、ベストな選択になることを祈りつつ少人数のクラスも楽しみたいなあと思っています。
2020年03月15日
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あ〜、また続けてコロナの話題になってしまいますが前回、ブログをアップしてから、多次元を学ばなれた方の中で何人かの方からメールを頂いて、嬉しかったのでその中から、シェアさせてくださいね。のりこさーん!ブログ拝見しました。コロナ、厄介ですよねー私、いつも〇〇丁目から地下鉄に乗るのですが黒マスクの中国人を見てギョッとしたり、アジア系以外の人からあからさまに嫌な顔をされたこと等が重なり不安でいっぱいでした。そしてそれを機に、どれだけ自分の中の不安や恐れが強いのかよーくわかりました。もちろんグランディングはだだ下がり(笑)自己ヒーリングをしてもブロックして先に進まない。そんな中、集合無意識に焦点を絞ったところ、イライラする→満たされない自分への信頼、たとえ失敗してもうまくいかなくても自分は大丈夫だという感覚。満たされないからそれを満たすためにお酒で紛らわそうとしたり物を買ったりしてました。全くの悪循環。でもわかって本当に良かった。私、ウイルスによって仕事がキャンセルになるかもしれないということに対してとっても不安を持っていたのでした。まあエンターテイメントは一番にカットされるし大阪のライブハウスでコロナが出たという話もありますしね。そしてそれを調整したら、嘘のようにニュースが気にならなくなったばかりか今まで書いたこともないような曲が天から降ってきました!これにはびっくり。さっきもラジオで言ってましたが、コロナは新しいウイルスなので疑心暗鬼になるのはわかるけどそれほどひどい病気ではないと・・・。ほんとにその通りだと思います。もし仕事がキャンセルになったらのりこさんが書いていた通り普段できないことをやったり私の場合はもっと家の片付けをしたり練習、そして曲を書いたりしてこの騒動が終わった後に備えようと思っています。とにかく今回のことで色々学びました。かつてなかったほどのネット社会。情報に翻弄されがちですが、「今」を大切にしていきたいと思っています。何はともあれまずはグランディング!彼女が今回、自分自身の恐れをちゃんと見ていかれたこともまたそこから学ぶというあり方も素晴らしいしそしてそれを多次元キネシを活用されて解放されているのもとても嬉しかったです。それにしても、こういう時は、本当に集合無意識繋がりやすいのですよね。実は、前回のブログをアップしてから、なんかちょっとモヤモヤするなあと思って筋反射で見て行って、わかったのが私も、集合無意識の影響が少なからず、あったということでした。私の場合、ウィルスへの恐れとか、経済的なことに関する集合無意識ではなく政府やメディアに対する憤りとそれに翻弄されてしまう人々へに対しての悲しさ、虚しさでした。(メディアに翻弄されてしまう人々に関しては、集合無意識というより最近、読んだ本の内容が影響していましたが)私は、911以降、散々、アメリカ政府やメディアのやり方や情報操作やコントロールの仕方を見てきたこともあって正直なところ、政府の対応も、メディアの情報も信頼しておらずそこからの情報は、何らかの意図がある可能性をいつも認識しているしまたSNSなどで人々が拡散している情報も偽情報が多いと思っているので、ほとんど見ていません。ただ、致死率や感染率がどのぐらいであるか?とか他のインフルエンザやこれまでのウィルスとの違いなどの情報や数値は見たのですが実際、人々が恐れているのは、そこではないんですよね。世の中、様々な情報が溢れていますがそれが例え、事実であってもどういうところにフォーカスして発信しているかによって受け取る側の印象は、全く違ったものになります。例えば、アメリカで2万人近くが亡くなっているインフルエンザウィルスのことについてはこれほど大々的には、報道されていないということも一つの情報でもあります。コロナには、特効薬やワクチンがないということで恐れている方もいるようですが今、アメリカで流行っているインフルエンザはワクチンがあっても、こんなにも多くの人たちが亡くなっているわけです。そもそも、いまだに、だだの「風邪」であっても特効薬はないのですから。メディアや政府が「特効薬がない。ワクチンがまだない」というところにフォーカスして、情報を発信すればこれは、他とは違う、とても怖いものなのだ、とかこのウィルスを完治させるには、ワクチンが必要であると人々が受け取ってしまう可能性も高くなると言うことです。昔、働いていた職場に、毎年、インフルエンザワクチンを打っているのに毎年、インフルエンザにかかって、重症になっている人がいたのですがワクチンは効かないだけではなく、さらに免疫力を下げるしいずれ、別の様々な病気にかかる危険性も高くなると私は思っています。と言うことで、私の集合無意識との繋がりを解除した途端にその恐れから別の意識に変わったというメールを頂いたり有益な情報を発信されている方を見つけたりおかげで、さらに信頼を高めることにつながりました。今の時代、何かが起こることによって人それぞれに、いろんな気づきや変化が加速して起こる可能性があるということを改めて感じています。
2020年03月06日
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今朝、たまたま検索していてヒットして読んだ、本田晃一さんのブログ「コロナって実は」https://ameblo.jp/hondakochan/entry-12579541057.htmlに、笑ってしまいました。(最後の手術の写真、最高です)私はこの世界的なコロナ騒動に、最初からずっと違和感があるのだけど同じように感じている人が(うちの母を除いて)日本にもいるんだなあと嬉しくなりました。ニューヨークの私の周りやクライアントさんではその感覚を持っている人はいるのですが日本に住んでいる方たちが、今、どんな感じなのかは最近こちらに来られてお会いした方や、ブログなどを通じて知るだけなのですがやはり、不安を持っている方の方が多いような気がします。本田晃一さんのことは聞いたことがある程度で初めて読んだブログだったのですが思わず、お気に入りに入れてしまいました。もちろん、風邪であろうが、インフルエンザであろうが予防することは、大切なことですがたとえば、コロナにかかったら人生は終わり、みたいに過剰に反応したりトイレットペーパー、大量に買い置きしたりするのは(しかも、日本のほとんどの家庭には、ウォシュレットがついてるのに!)もう尋常ではない思考ですからそういう人は、コロナがあろうがなかろうが人生は大変になるのだろうなあと思います。さて、前回のブログをアップした後アメリカ政府が、日本からの入国拒否の検討をしているとのニュースがありました。私のところへ、セッションや3月のクラスに日本から来られる予定のクライアントさんもどうなるかわかりませんが万が一、そうなったらそうなったで対応するしかないので状況を見守っている状態です。(あ、3月のクラスは少人数でも開きます)もし、渡航禁止になって今後予定していた、日本からの方の連続セッションがキャンセルになったらもちろん、日本から予定している方たちにとってもまた、私にとっても、とても残念なことですが一方で、私にとっては、そういう時は、少し休めのサインだなあとそれはそれで、ちょっとワクワクもしたり。とはいえ、私はガイドから言われている今年からスタートする必要があることがいくつかあり、その準備をしてゆくことになると思うので結局、のんびりとはならないような気もしますが。このコロナに限らずですが何か自分の力ではコントロールできない状況になった時にはしばらくゆっくり休むのもいいしまたは、これまでやってきたことを改めて見直してみたり本当はやりたかったけど、これまでは状況に流されてやらなかったことにチャレンジをするのもいいしそれは、人それぞれ違うと思います。やはり、こういう時には、その人が持っているお金に対する不安や不十分感とか将来への不安などが出てきやすいのでそれらとしっかり向き合うチャンスになる方も多いかもしれません。状況に一喜一憂したり、情報に翻弄されたりせず自分の中にあるもの(恐れや不安)を見て本当に自分が望んでいることを見極めそれに従ってゆく力、それが自分軸だなあと思うこの頃です。もちろん、恐れや不安があってもいいし遺伝的にも多かれ少なから全ての人は、何らかの恐れがあるのが自然なことなのですがただ「ああ、これは私の恐れからの思考や感覚だな」と、その思考や感覚を認識することができていればそれと同化せずにすむのです。無意識、無自覚に恐れの中にいればそこから起こした行動によってまた新たな不安や恐れを生み出してゆきますから。例え、この世界の状況を変えることができなくても自分の意識が変化すれば「自分の現実」は確実に変わります。それは、全て自分次第なんですよね。ということで、私は今日は久々のオフなのですがニューヨークは天気も良くて、青空が広がっているのを見てもうワクワクしつつも、今日は1日中家にいてクラスのためのスキャンリストの修正やウェブのコンテンツを仕上げることなどであっという間に終わりそうです。最近、読んだ本のこととか、宇宙系遺伝のこととか私が最近やった自己調整のこととか書きたいことはたくさんあるのですが今日はぐっと抑えて、短いブログにしておきます。みなさま、どうぞ素敵な1日を!
2020年03月04日
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1月も半分以上が過ぎて、あっというまに時が過ぎてゆきますね~。今年に入ってからも、やりたいこと、やるべきことが多すぎてまだちょっと時間的な余裕がなくブログに書きたいことも溜まってきました。クライアントさんが送ってくださったセッションやクラスの感想メールにもとても嬉しく目を通しているのですがそれが、超大作、私のブログに負けないぐらいの(時にはそれ以上の!)長文の感想メールだったりするとこちらも、気軽になかなかお返事できなかったりしてお返事も遅れてしまったり。(この場を借りて、ありがとう&そして、ごめんなさい)私にとって、毎日少しずつ、を実行するのはまだなかなか難しいのですがとりあえず、今日は先日、感じたことをさらっと書いてみますね。(さらっとというのが、大切ね)先日、恒例のアルクトゥルスのメンバー4人が集まって、新年会とメンバーのバースデーを祝いました。いつものごとく、それぞれの近況からスタートして結婚観や、宇宙のことや、ミニマリズムのことなどまさに多次元的に話が飛びつつ、楽しすぎる時間でした。これからの男女のあり方や、パートナーシップに関しての話になったときメンバーの二人の男性から「女性は、男性よりも直観力が優れているし何かを生み出す力も男性よりすごい。だから、男性の真の役割は、ひたすら女性を守りサポートしてゆくことだなのだと僕は思う」という見解を聞かせてくれて「何と素晴らしい男子たちなのだ」ともう一人の女子であるちーちゃんと顔を見合わせて感動してました。もちろん、男性が女性をサポートするためには男性のあり方だけではなく女性たちも、女性性を高め、つまりは直観力や感性や受容の力を高めて男性と分かち合ってゆくことが大切なことだと感じます。もし女性が、既成概念に囚われてしまっていたり自由な生き方を制限してしまっていたとしたら男性もまた制限され、自由さを失い二人とも新たな可能性を開いていくことは難しくなってしまうのでしょう。お金の稼ぎ方も、これから様々な形になるのではないかなあと。これまで、男性が女性を導いたり養っていくのが、男性としての役目と言われてきたわけですがでも、これからは、女性が自由に直感を働かせたり、アイデアを出してその具現化を男性がサポートしたり女性が主体でお金を得てゆくみたいな形も、自然になってくるのかもしれません。男性に対して、まず経済力やリーダーシップを求める女性も多いですが私自身は、全くそのあたりはなくて私にとって大切なのは、共感だったり、寄り添うことだったり感動を一緒に分かち合うことだったりすることなのでそれって、つまりは、それは女性性なのですよね。これからは、男性性が高い男性ではなくて、女性性が高い男性が新たな時代の男性の主流になってくるのかもしれません。まだまだ少数派ではありますが最近、そういうカップルやパートナーシップをよく目にするようになって、彼らがすごくいいエネルギーを発しているのを感じています。もちろん、男性自身が輝いてゆくことも大切なことですけど。それにしても、このメンバーとの出会いと繋がりは、私にとってまさに、宇宙から与えられたギフトだと、最近ひしひしと感じています。ユニバーサルラブプロジェクトはこのメンバーが’いなかったら、決して成り立たなかったでしょう。ちーちゃんは、以前は金融関係の仕事をしていて、彼女自身がこちらでビジネスをやっていることもあって今、ビジネス関係のことは、彼女がほとんどサポートしてくれています。先日も、銀行のビジネスアカウントを開くのに、彼女と一緒に行ったのですがもし私一人だったら、全くどうにもならなかっただろうけど彼女が、全部やってくれたおかげで、無事に手続きも済みました。(このあたり、私は完全に「やく立たず」に徹しています)彼女はこういったビジネス関係のプロセスだけでなく私の望んでいることをビジョン的に理解してくれているしユニバーサル・ラブ・プロジェクトに関する様々なアイデアも率直に伝えてくれるので、私にとっては、様々なところでサポートしてもらっている、とても頼もしい存在です。(実際に彼女はとてもかっこいいのよ)そしてメンバーの一人、たかしくんはグラフィックデザイナーで有名なブランドのデザインなどを手がけてきた人なのですがヒーラーでもあって、オタクレベルで超スピリチュアルな人です。最初は、私のレイキ時代に、クライアントさんとして来られてからの付き合いなのでもう10年以上の友人ですが彼の直観力の素晴らしさも含め、私はとても信頼しています。今、彼にユニバーサル・ラブ・プロジェクトのウェブ作りをお願いしているのですが私の持っているイメージを直感的に理解してくれているので安心して任せていられます。それから、もう一人のメンバー、たっちゃんはバレエダンサーで、レストラン経営もしている人ですが多次元キネシを学んでから、プロのヒーラーとしても活躍していてこちらもマルチタレント。彼とは、まだ出会って2、3年ですが彼自身、数年前の自分は、過去世の記憶みたいに感じるというぐらい出会った頃とは、全く別人みたいに変化した人です。たかしくんと同じく、かなりのスターシードですが彼が、このアルクトゥルス評議会のメンバーになってからさらにみんなと宇宙系の話をどっぷりとするようになりました。多分、今年の長野のクラスには彼をサポーターとして連れていくことになりそうです。みんな宇宙人なので、通常の常識や概念を超えて伝えたいことがすぐに伝わる感覚が私にとって、とても心地いいのだなあと。あ、ちなみにAlein (エイリアン)という意味での宇宙人ではなくてUniversal Being (宇宙存在)という意味での宇宙人です。どんな話でもできて、共鳴しあうことができる仲間がいつの間にか私のそばに存在していてさらにこのプロジェクトに関わってくれているという奇跡。それだけで宇宙にとても守られているのを感じています。さて、今日はセッションはお休みなのですが今日こそは、食料品の買い出しに行かないと、もういよいよ食べるものがないしウェブの文章も考えなければならないし洗濯もしなければ、で今日は、地球人としてのタスクが山積みです。あ、そうそう、洗濯と言えば、この前のメンバー会議でわかったのがちーちゃん以外の3人が「洗濯が嫌い。2週間に一度ぐらいしかやらないので下着や靴下だけは、大量に持っている」という事実。わ、同じ人たちがここにいた!とそんなところに共感するのもどうかと思うのですが私の洗濯嫌いは、20代からずっとでもともと掃除や料理は好きだったけど洗濯だけは、ものすごく面倒なのです。ですから、たくさん持っている下着や靴下は処分できないのでそこはミニマムな生活ではないのだけどでも、ミニマリズムは、決してものを減らすだけではなく生活のシンプルさ、でもあるわけですから洗濯にかける時間を極力減らす、という意味ではミニマムかも。なんて、思っていたのですが最近は頑張って10日に一度ぐらいはするようになったので(頑張ってそれか)これが1週間に一度ぐらいやれるようになったらいいのだろうなあと。(と言っても、こういうのは、本人のやる気がなければやらないので洗濯好きになるように調整しない限り、実現不可能かも)これは、洗濯なんていうことだけではないけれど宇宙人としてのあり方と地球人としてのあり方とのバランスを取るのが大切だと今年の初めにちーちゃんが言っていて全くその通りだなあと、感じているこの頃です。ということで、早速、地球人としての任務、果たしてきます!(って、食料品の買い出しに行くだけなんだけどね)
2020年01月18日
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今日の夕方から、今年最後の旅先、マルタ島へ行ってきます。マルタ島で、ハワイ在住で、今は日本に帰省しているかずみちゃんと落ち合い一緒に過ごすことになっています。マルタ島、つい先日まで、どこにあるかも知らなかったところなのですが彼女と、どこに行こうか?と、あれこれ検討していて最初はトルコとイスラエルに行こうと話していたのですがマルタ島にエジプトのピラミッドより古い遺跡があるというのを知ってそこに行ってみたくなり、急遽変更しました。10日間、マルタ島でのんびりと過ごした後(のんびりになるかどうかはわからないけど)以前から行きたかったトルコのギョペクリテペ遺跡を訪れる予定で年越しは、以前にも行ったことがあるイスタンブールで過ごし年が明けてから、ニューヨークに戻るという、計16日間の旅です。私にとって妹のようなかずみちゃんとはここ毎年のように一緒にハワイやバリ島で過ごしていたので気心は知れてるから楽だし今回はずっと一緒なのも嬉しいしどんな旅になるのか楽しみです。さて、この12月に入ってからも、いろんなことがありました。会社設立に関しても、二転三転あってガイドからの指示と友人からの情報によって結局、最初にニューヨーク州で登記していたのを一旦キャンセルしデラウェア州で登記をし直しました。アメリカは、州によって法律が違うのでデラウェアは、ニューヨークより法人税が安いことや法人に関する法律がニューヨークよりも簡単なので個人経営の小さな会社は、別の州で登録する人が多いのだそう。そして、この一連の流れの中で、ガイドから改めて伝えられたのがビジネスに関して、人に任せっぱなしにしないこと自分で舵を取っていくことの大切さ、でした。もちろん、サポートはお願いするわけですがビジネスに関するプロセスで、自分で一つ一つ理解しながら、決断してサポートが必要なところはお願いする、ということが大切だったのに私は最初の登記の段階から、けいこさんに丸投げ状態でガイドに聞いたりすることも一度もなく私自身、何も知らずに進めてもらっていたのでした。そして、ニューヨークでの登記が終わってからあるちょっとした言葉が引っかかって、初めてガイドに聞いた時に「登記をやり直すこと」ということを伝えられて「え〜、もう登記は終わってるんだし、今更そんなことやらなくてもいいんじゃない?』と思ったものの、ガイドから話を聞けば聞くほどやはりやり直した方がいいらしい、でも半信半疑状態だったのですがその時に、アルクトゥルスのメンバーの一人、ちーちゃんが動いてくれていろいろ調べてくれたり、専門家に話を聞いて確信としてやはり、いろんな意味で登記をやり直した方がいいことがわかりギリギリセーフで(ニューヨークでの次の種類を提出する前に)間に合ったのでした。今回のことから、どうしてこうなったか?と見ていくとやはり、私のビジネスに対する苦手意識が出てきました。もともとビジネスとか会社をやるとか、私の中では最も興味がないことというか最もやりたくないことだったわけでそれにはいろんな要因があって、例えば、組織化することへの抵抗、とか責任が増えることへの抵抗、などもあったのですが手続きとか面倒そう、とか、お金の管理に関わることが面倒、などというものもありました。私は、ビジネスに関わらず、基本、手続き関係は、すべて苦手というか例えば、マイルを貯めて、それを上手く使ってゆく、とかお金を上手く管理する、などというようなことさえも苦手というかあまりやる気がなかったわけです。では、私のそう言った性質に関わる遺伝までは見ていなかったのですがたまたま、今月初めにアルクトゥルスのメンバーと飲んだ時にそのうちの一人が、筋反射で調べてくれて出てきたのが、何と海王星遺伝。「え?海王星遺伝なら、もうかなり前に何度か調整したけど?」と私の自己筋反射で遺伝を確かめてみても、出てこない。「もしかして?」と今度は、海王星とのエネルギーコードを調べてみるとビンゴで、海王星とのエネルギーコードが出てきたのでした。エネルギーコードが最初に情報として上がっていなければある程度までの遺伝調整はできても、完全な遺伝調整ができないのです。海王星遺伝は、どちらかといえば、ライトサイド系の遺伝ですからクライアントさんとリンクしても、ネガティブな感覚や苦しさは全くないですからこれまで気付かなかったのでした。ひゃ~今更ながら、海王星!!同じ海王星遺伝でも、他にどんな遺伝があるかによってそれがどういうところに出てくるかは、人それぞれなのですが私の場合、意外にも、ヒーリングやスピリチュアルに関しては海王星遺伝はそれほど出ておらず(これは土星遺伝の影響が強かったのだと思うのですが)もともと、身体の仕組みや脳に関する調整を主にやってきて宇宙人とかアセンテッドマスターなどに関しても半信半疑だったしすぐに鵜呑みにしない、検証する、分析する、という傾向の方が強かったので海王星遺伝からの影響は、そこまで自分の中に感じてはいなかったのですがこのビジネスやお金の管理に関して苦手意識ややる気のなさとか自分が興味がないことに関しては、人や状況に流されてしまうところとか人を嫌いたくない、ずっと好きなままでいたいという感覚やだから(人の悪い部分を見ても)現実を見ないで、いいように解釈してしまったりまたは、何とかその人が気づくことができるようにとかまたは分かち合いたい、誰とでも分かち合えるはずという感覚から、見切りをつけれなかったり(それが裏目に出て、被害者意識が強い人から被害的に受け取られてしまったり。これはリラ遺伝の影響も大きかったけど)まさに海王星遺伝からの性質だったのでした。ということで、海王星とのエネルギーコードを解除し遺伝を調整したら、一気にこれまでの倍ぐらいにグラウンディング力とエネルギーレベルが上がって改めて海王星遺伝の影響を強く感じています。自己ヒーリングで、いくつかマイナーな遺伝調整はしていたものの今年最後に大きな宇宙系遺伝の調整となりました。この海王星遺伝が私に残っているのを見つけてくれたメンバーの一人、グラフィックデザイナーのTくんにはほんと感謝だし同時にキネシオロジストとして、とても頼もしくてこれからのヒーラーとしての彼の活躍が楽しみで仕方ないです。来年早々には、彼にお願いして、ウェブ作りをやっていったりまたは、他のメンバーのサポートで会社の銀行アカウントを開いたりする予定で私には慣れないことばかりですがこうして力強くサポートしてくれる人たちがいてくれるおかげで安心してやっていける感じです。ということで、あと数時間後にはマルタ島に出発なのでこれから最後の準備。どなたかがコメント欄にも書いてくださっていましたが私も旅から戻ってから、綺麗な部屋に戻りたいし年末大掃除も兼ねて、掃除しようと思います。そうそう、前回にご紹介した「30日間、ミニマリズムゲーム」は、今日が13日目で一旦ここで中断となり続きは、ニューヨークに帰ってから、続けるつもりです。13日間で、約90つの物を処分したのですがもしゲームじゃなかったら「収納場所があるからこれはまだ捨てなくていいか」とか「使うことがありそうだし」と持っていたであろう物も、思い切って処分できたのでとてもスッキリして良かったです。(そのうち30つぐらいは、フラワーエッセンスだったけど)次回は、多分、マルタ島からアップします~皆さま、どうぞ素敵なホリデーシーズンをお過ごしくださいね。
2019年12月17日
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ハロハロニューヨークは、先日から一気に寒くなってきましたがみなさまいかがお過ごしでしょうか?私の方は、想像していた以上に快適で、心地よいシングルライフを過ごしています。これまでのおさむとの暮らしが、特にストレスだったわけじゃないし楽しいこともたくさんあったのですがこうして一人で暮らしてみると、いかにいろんなレベルで無意識に制限をかけてきたかをひしひしと感じています。こうなってみないとわからないものだなあと。おさむが引越ししてから、10日が過ぎましたが感覚的には、もう何ヶ月も経ったかのようでずっとこの状態だったような気さえしています。あと数ヶ月もしたら、おさむとの暮らしの思い出は過去世の記憶になりそうおさむが引越しとともに、私のいらないものも処分しておさむの部屋を掃除し、かなり浄化もして、すっきり。小さなツインサイズのベッドを購入し、マットも、羽毛布団もオーガニックコットンのカバーも買い換えて、とても快適です。ベッドルームに、ほとんど家具や物がないシンプルな部屋が理想だったので’やっと理想がかなった感じ。リビングの方も、キーボードを移動したので、すっきり。さて、友人やクライアントさんから、何人も言われたのが「のりこさん、ちゃんとご飯食べてます?」昨日、友人とレストランに夕食に行った時も開口一番に言われました。こうして、ケアしてもらえるのは、なんとも幸せなことだなあと。何かができないとか、苦手とか、完璧にできないというのは人からのサポートや愛を受け取るチャンスでもあるんですね。先日、セッションにお越しになってくださった方から「のりこさんの一人暮らしは、初めてのおつかいみたいな感じで気になります」と言われて、とても50代女子に言われている言葉とは思えず笑いました。と言っても、私は決して料理ができないわけではないのですけど〜おさむとの20年以上の生活の中でこの2、3年は、おさむが食事を作ってくれましたがその前の20年ぐらいは、私はよく料理していましたから。ただ、この2、3年、全く料理をしていなかったので勘が鈍っているというか、以前は、いろんな料理のアイデアがあったのに久々にキッチンに立つと、一体、何を作っていたっけ?と全くアイデアが出てこない。まあ、これも慣れてくれば、勘を取り戻せるんじゃないかとは思っているのですが。でも、以前、料理をやっていた頃は、おさむのために作っていたわけで一人のために、面倒な料理とかってしないものですね~。野菜を洗って切る、まではいいのですが皮をむくとなると、もうパス。ピーマンとか、アボガドぐらいまではオッケー。人参もなんとかオッケー。じゃがいもとか、ゴボウとか、大根とか、ビーツとかはかなりハードルが高くて、今のところやる気なし。玉ねぎに至っては、多分、もう一生買わないでしょう。(こんなこと言ってたら、お嫁の貰い手がなくなりそう~)←嫁に行くつもりなのか?で、何を食べているかというと今、毎日のように、食べているのが、キヌア。キヌアはすぐに炊けるし、栄養価も高いし、超便利。朝はキヌアを炊いて、納豆や野菜と一緒に。昼は、グルテンフリーのパンで、アボガドトースト。夜は、また朝の残りのキヌアと、野菜や卵も適当に入れてみそ仕立ての雑炊にして、5分で出来上がり。夜までセッションが入っているときは、ほぼこんな感じです。で、ランチの時間が取れるときは、たまに、家のすぐ近くのカフェへ。ここは、結構美味しいカフェなのです。この日は、フレンチトースト。 さて、何人かの方に「おさむさんがいなくなると、寂しくなりますね~」と声をかけて頂いたのですが私も、20年一緒に暮らした家族のような存在の人が、そばにいなくなるのですから最初は寂しさを感じるんじゃないかしら?と思っていたのですが実際に一人暮らしになってみてわかったのは寂しさは、ほぼ皆無と言っていいほどなかったということでした。と言っても、これもおさむが引越す前に、自己ヒーリングで調整したからなのです。この孤独感って、繋がりたいという意識の反対なんですね。自己調整をしていると、ガイドから「見切りをつけなさい」というメッセージがありました。私にとって、最も恐れていたことはおさむを嫌いになって別れることだった、と書きましたがこれは、おさむに対してだけでなく、私にとっては人を嫌いになることは、何よりも辛いことでした。だから、何があったとしてもなかなか「見切りをつける」ことができなかったのだなあと。パートナーとしての見切りは、4日間であっさりできても家族のように彼を思う気持ちに見切りをつけることは私にとって、難しいことでした。いろんな方から「のりこさんは慈愛が深いから」と言われて私自身でもそうなのだろうなと思っていたんですが慈愛という名の執着、だったとも言えるのではないかなあと。そして、これはおさむとの関係だけでなく、様々なところに出ていたなあと。例えば、エジプトに行った時に、何度も騙されててもまた別の人が声をかけてくると「この人は、本当に親切な人なんじゃないかしら?』と人を悪く見たくない、という気持ちが出てきてまた信じようとしてしまうのです。これをアルクトゥルス会議のみんなに話したら「人を嫌いになりたくない、好きでいたいという気持ち、わかる~」とみんな共感してくれました。こうして、おさむへのエネルギー的な執着を調整したら家族と離れるような寂しさも、完全に消えてしまって清々しい開放感だけが残り、快適な一人暮らしとなりました。あの4日間の抜けた後に書いたブログの「私たち離婚します」のところで「どうかおさむを応援してください」と書きましたがあれって、今から読むと、まさに母心だったなあと。もちろん、おさむのことを嫌いになったわけじゃないですが母のように彼を思う気持ちはなくなったので、さらに気楽に自由になりました。その後、つい先日のこと。何かのブログで、しいたけ占いのことが書かれてあってそう言えば、随分、しいたけ占い見てないなあ、もう今年も終わるけど2019年の下半期の占い、なんて書いてあるか、見てみようと見てみたら、そこにあったのはこの下半期の12星座の占いをすべて書いてきて思ったことは「見切りをつける人が多くなる」ということです。「見切り」っていうとすごくネガティブな言葉の響きに聞こえるかもしれませんがどこかで「ここで粘っていてもしょうがない」とか「新しいやり方を試していこう」とかそういう「切り替え」について、とても多くの人たちが実行をしだすのです。そういう「切り替え」に至るまで、すごくいろいろ頑張ってきたしまた、自分が我慢することもあったのだと思います。おぉ~なんと、私が「見切りをつける」という言葉を得た直後にこの占いを読むことになるなんて、なんというタイミング。そして、牡羊座に関しては2019年下半期の牡羊座には「過激なオタク仲間」を表す緑色が出ています。すごく不思議なのですが、この下半期の牡羊座って「今までの自分にとって大切な人たちそして、自分自身がすごく影響を受けた人たち」から少し距離を取ります。ある程度「一匹狼」になることを覚悟してやってみる。でも、その結果として「すごくいい距離感で、仲間や同志と刺激をし合える時間」が始まっていくのです。2019年下半期の仕事面でのあなたのテーマは「周りに伝わる熱気」です。この時期のあなたは仕事面で、ある程度部署などを含めた全体の舵取りであったりリーダーシップを取ることが求められています。おぉ、なんと。今までの自分にとって大切だった人から、距離をとる。そして、まさに過激なオタク仲間。アルクトゥルス評議会のメンバーは、間違いなくみんな過激なオタク仲間ですがセッションを受けに来られるクライアントさんでも「この宇宙系遺伝のリストを見ているだけで、幸せになります~」なんていう、オタクがいるので、過激なオタク仲間が集まってきている感じです。そして、リーダーシップ。実は、離婚が決まった直後に多次元キネシオロジーの会社を立ち上げる話が上がってきて友人にサポートしてもらうことになったのでした。多次元キネシをを広め、宇宙系遺伝の概念やそのヒーリング法を広めてゆくことで一人でも多くの人たちが、楽に生きたり、それぞれの可能性を開いたりより自由に豊かに生きてゆくことができますように。ということで、これからも、どうぞよろしくお願いします~
2019年11月11日
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最近のブログにコメントされた方の中で、多次元キネシに対する怒りや不信感(それを教えている私に対しても含めて)を伝えられた方がいました。それに関して、いくつかお返事を差し上げてきたもののその一連のコメント自体は、私の返信も含めて、削除させてもらったのですが(内容云々ではなく、そのコメントから出ているエネルギーが読まれている方にとって不快になるものが多かったため)先日、ある方から、そのことに対するメールを頂きました。その方は瞑想をやって、同じような体験をされてだからこそ、伝えたいという、とても暖かいメールでした。了承を頂いたので、まずは、その方のメールをシャアしたいと思います。こんにちは。最近のブログコメントの件で、お伝えしたいことがあるのでメールしました。私は一昨年、ヴィパッサナー瞑想合宿に参加してそこから鬱のような状態が酷くなった経験があります。何度も合宿に参加している信頼できる友人からそこの話を聞き元々瞑想とか内観に興味があり、仕事を辞めるタイミングも重なったことで参加しました。合宿が終わった直後から(合宿中は会話など禁止なので)人に対する嫌悪が強く出て、あれ?と感じました。そこから次の仕事に対する焦りなどなど…どっと出てきてしまい。瞑想は続けているものの、全然効果が上がらず。のりこさんがブログに書いていたように、理解力が弱く脳の混乱がありよくわからないままその手法を用いていたことにあるのかなあと思いますそもそもヴィパッサナー瞑想は健康な精神の状態じゃないとダメですもんね。私は隠れ鬱…的な感じだったと思います。まあそんな状態になり、その信頼できる友人に対してやっぱり「この人のせいで」と被害者意識を持ちました。この人からこれを聞かなかったらとか、今更どうにもならないことをずっと。起きる出来事も苦しいことばかり。誰に相談してもどうにもならず…病院へ行くことも考えました。あの苦しみは(同じだとすれば)私にもよくわかります。その間にもブレインジム、TFH…その他いろいろなヒーリングを試みましたが私の核心へは全く届かず…本当に苦しい時間でした。それから約1年後に意を決して受けたのがおさむさんのセッションです。あの1回のセッションだけで、本当に楽になりました。あのセッションから今年の長野に繋がったわけですが。ブログのコメントしてる方は、今かなりつらいんでしょうね。多分同じように、自分の中の問題が強く表面化してきてるんだと思うんですが。ただ間違いなく言えるのは「自分でその経験(合宿なりセミナーなり)を選んだ」ということですよね。いろいろやりとりして。お金払って。責任転嫁して他を責めても、みんな傷つくだけで自分も前進しない。今は脳の調整ができる他の人に調整してもらうことだけが、楽になる近道なんじゃないかなあ。これはみんな思ってますよね。どうか私と同じように苦しんでいる方も他の方の力を十分に借りて少しでも少しずつでもラクになる方向へ一緒に進んでいけたらいいなあと心から思います。私が伝えたかったことを、ご自身の体験を通じて書いてくださってそして、愛に溢れていて感動しました。この方も書いて下さったようにあの一連のコメントを書いた方が、今、とても苦しい状態であることは大抵の方はわかると思いますがそういう苦しい状態になった時に、何が悪かったのか?誰が悪かったのか?を理屈で知ろうとしても、さらに混乱して、恨みや被害者意識がさらに増幅してもっと苦しいスパイラルに入ってしまいます。答えは、誰も悪くない(自分も他人も)なんです。私は何度かお伝えしてきたのは’多次元は誰でも活用できるし、私はいずれは子供にも教えたいと思っているぐらい安全なものだと思っていますがでも、やはり、ヒーリングの手法云々の前に、その人の思考や状態はある程度、安定していることは、必要だと思います。多次元でおかしくなる、のではなくてそういう状態の方は、他のものをやっても、おかしくなる可能性がある、ということです。それが、他のキネシであろうが、ヒーリングであろうが、瞑想であろうがそのきっかけは、人それぞれだと思います。ヴィパサーナ瞑想は、私も以前、参加したことがありますがその瞑想法自体は、呼吸の流れにフォーカスするという古くからの瞑想法であって、危険なものではないと私は思います。でも、それでも、このメールをくださった方のようにそれがきっかけで、そういう状態になってしまう事もあるわけですから何がきっかけでそうなるのかはわかりません。これはあくまでも、私のこれまでのセッションからの考察ですがそういう方は、もともと強迫観念が強くつまり、一つの考えや思考から切り替えることができずに同じ思考をぐるぐるしてしまう傾向があったりまたは、被害にあう恐れ、つまりは被害者意識なのですが搾取されるのではないか、とか、騙されているのではないか?などという感覚(エネルギー)を強く持っている傾向があります。ですから、そういう状態の方はヒーリングを学んだり、何かを実践するのではなくてまずは人からセッションを受ける、というプロセスが必要なのです。ただ、この方も書かれているように、隠れ鬱、の状態であることをその時は、自分では認識できないことが問題なのですがそれが表に出てきたなら、もともとそういう傾向があったということなのです。前回のブログで、自己ヒーリングの大切さを書いたのですがそのコメントの中で、自己ヒーリングではなく、他の人からヒーリングを受けて自分のやりたいことができるようになりました、というコメントを書いてくださった方がいてとても嬉しかったです。自力と他力。その両方が大切なのですが私がお伝えしたのは、自力でやることが必要なことは、決断すること、選択すること。決断を人に任せたら、依存になってしまいますがそれ以外は、他力でいいということです。クラスで学んでも、自己ヒーリングがうまくいかないのだったら他から受けるしかないですし例え、自己ヒーリングがある程度できたとしてもも、他者からセッションを受けるとまた違った視点から見てくれるので、より解放されてゆくのです。自己ヒーリングの大切さを書いたことで他者から受けるヒーリングの大切さが損なわれることはないです。いつも不思議に思うのは例えば、誰かが「私は何年も、毎月、この美容師さんに髪を切ってもらいに行っています」とか「私は、頻繁にこのスパに通っています」と言っても、みんなへ~そうなのねということにしかならないと思うのですが、これが「私は何年も、毎月、このヒーラーにヒーリングを受けています」というと「それは大丈夫?」「何か騙されているんじゃない?』みたいなことを言われる方が案外多いということです。これはアメリカだと、かかりつけの精神科医がいても、ごく普通のこととして捉えられるのに日本だと、セラピストのところに通うのは、何か頭がおかしいとか、問題がある人みたいに思われることが多いということもあるでしょうしまた日本は、いまだに、オーム真理教の後遺症があって理解できないものは怪しい宗教ではないのか、それにはまってしまって、危険なことになっているのではないか、という恐れを持っている方が、いらっしゃる事もあると思います。(若い年代の方は、そういう先入観はない人がほとんどですが)これには、根底に、目に見えないもの(スピリチュアル)への恐れもあります。そもそも、多次元と他のキネシの違いは何かというと大きく違うのは、多次元的なコンセプト、ということだけなんです。調整の手法自体は、フラワーエッセンスや音叉やまたはどのキネシでも使っているような手技ですからそこには、なんの目新しさもなく、ごく一般的なキネシやヒーリングと変わらないです。他と違うのは、物事に対して、多次元的な理解をするということ。つまり、このコンセプトを理解していなければ、このヒーリングは使えないし多次元キネシを使っていることにもならないのです。この方のご質問を見てみると、完全に二元的な思考で物事を見ていることがわかります。例えば、ご質問の中で「完璧に自己ヒーリングできる人はいないという理解でいいですか?』とあったのですがこういうことは、私はブログの中でもまたクラスの中でも、様々な角度からお伝えしてきているわけですがやはり、もともと二元性が強ければ、それを真に理解するのは難しいのだなあと感じます。私はいつもお伝えしていることの中にヒーリングは、例えば、ピアノを学ぶことと同じです、ということです。例えば、ピアノが完璧にできる(弾ける)などという言葉がおかしいのは誰にでもわかるのではないかと思います。、それは、バイエル程度が弾けるというのかそれともベートーベンのソナタが間違えることなく弾ける、ということなのかはたまたショパンを情緒豊かに弾くことができるということなのかそれとも、プロと同じレベルで弾けるということなのか。そのプロでもいろんなレベルがありますし、その可能性は無限です。プロのピアニストは「私はピアノができる」とは思っていないものです。(もちろん、できない、とも思ってないです)ヒーリングも全く同じなのです。それは、無限に高めていけるものであって私も、去年より、はるかにいろんな角度や次元から物事を捉えることができるようになって、それに従って筋反射の幅はさらに広がりましたが来年は、さらにそうなっているでしょう。ピアノにしても、ダンスにしても、一流な人であればあるるほど自己練習だけではなく、人からレッスンを受けることの大切さを知っています。クラスを受けて、ある程度、自己ヒーリングができたとしても他の人からセッションを受けることでその自己ヒーリングの幅がさらに広がってゆくのです。ましてや、自己ヒーリングがうまくいないのだったら誰かにセッションを受けるなり、サポートしてもらうのが最適だと思います。それを自分でなんとかしなければ、と思えば思うほどさらに苦しいスパイラルに入って行きます。このコメントを下さった方が、今の状態ではウェビナーに参加しようが、私から説明を受けようが自己ヒーリングも他者へのヒーリングは難しいことは確かでしょうがそれでも、私に直接メールをくださいとお伝えしたのは私がお会いしたことがある方なら、何らかの具体的なことがわかるかもしれないしどなたかセラピストを紹介できるかもしれないという思いからです。こうして、せっかく、多次元のクラスを受けられたのにこんなことになるのはとても残念だしできるなら何か解放に向かうような流れになったらいいなあと。(と思ったのですが、ガイド曰く、そういう風に自分の責任でないことまで請け負うという意識でいるから、こういう流れになる、とのことなので、そのあたりの、私の意識はまた変える必要がありそうなのですが)それと、他の方からのコメントでシャーマンの過去生があるような方は、多次元をするとおかしくなるとか敏感な人は、多次元はダメで、鈍感な人ならいいのではないかとか(詳しい内容は覚えていませんが)こういうのも、完全に二元的な思考であって先入観や何らかの情報によって、意味づけしているにすぎません。実際は、シャーマンの過去生があろうが、敏感であろうが多次元を普通に活用されている方は多いですしそもそも、シャーマンやサイキックの過去世なんてこういうヒーリングに興味がある方なら、必ずと言っていいほど繋がっているようなものですから、何も特別なことではないんです。むしろ、どちらかといえば、この多次元はエンパス体質など敏感な人のために作られたものですし自分の感覚や感情に敏感であればあるほど、解放は早く起こります。「あ、これは私の被害者意識から来ているな」とか「これは、人を妬んでいるということだわ」など自分の感覚と、言葉が繋がっている人は’多次元はほぼ問題なく使うことができますが自分と分離している状態だと、難しいのです。先日、お会いした方が言っていたんですが「多次元をしたら、取り憑かれるんじゃなくてもともと取り付けれているものを解除するだけなのにね」と言われていて、全くその通りなのですが私が霊外し、などと言ってるから、その言葉からのイメージで何かに取り憑かれるんじゃないかなどその方が持っていた恐れが出てくる人がいるのかもしれません。そう言った意味も、クラスの中で何度もお伝えしているのですがコンセプトを理解できないと、どうしても、言葉だ’けで捉えてしまうんです。(名前、変えた方がいい、という意見も多数あり。思考形態リリーステクニックとでも変えようかなと思っていますが)ということで、長くなってしまいましたがこういうコメントをもらったことで、逆に、いろんな方の意見や思いを知ることができたりまた自己ヒーリング活用して’ます~と感謝のメール頂いたりしてやっぱり、最終的には全てに感謝だなあと。そのコメントを下さった方にも、感謝なのです。
2019年11月08日
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ニューヨークに戻って、次の日はオフを取りましたがその次の日から、クライアントさんへのセッションをやっています。「よく燃え尽き症候群とかってあるけど、のりこはいくらやっても、燃え尽きないよね」おさむにそんな風に言われて、確かにそうだなあと。キネシオロジーやって’10年経つけど、モチベーションが落ちたりやる気がなくなったりすることって、ほとんどなかったかもしれません。もちろん、上手くいかないことや様々な問題は、その時々で色々ありましたがだから、もうダメだ~とか、やる気が出てこない、とかはならないし「じゃあ、これをクリアにするためにはどうしたらいいか?」ということにしか意識が向かないのです。私は、こういったキネシやヒーリングに関して、特殊な能力があるわけではなくごく誰でも普通に持っているレベルだと思っているのですがもし、私になんらかの才能があるとしたらこのヒーリングに対するモチベーションや情熱が何があっても失われないこと、だったのだなあ、と最近、思うようになりました。私にとっては、ごくごく普通のことなのでそれが私の能力である、とは、以前は思っていなかったのですが他の人を見ていて、そういうことに気づいたのです。そして、そのモチベーションが続いているのはそこにいつも新たな可能性があるからなんですね。他の人へのセッションもそうですが、この2、3年間ということで言えば私は、世界で一番自己ヒーリングやってるんじゃないかしら?と思えるほど、やっているのですが特に、これは宇宙系遺伝を初めてから、のことでそれまでは、ここまで自分の中にいろんなものが眠っているとは思っていなかったです。気づかなかった問題が眠っていた、とも言えるのですがそれはすなわち、可能性が眠っていた、ということ。だから、自分の中の問題を見つけるのは楽しいことだし世界がどんどん広がってゆくのです。そして、その情熱を注ぎ続けるためにはそれが本当に好きなことである必要があるわけですがちょうど、昨日、お越しになった方もそうだったのですが自分がやりたいことがよくわからない、という問題を抱えた人って多いなあと思います。これは、以前にもお話しましたが、遺伝的には、グレイやゼータレチクル、ロボットなど感覚抑圧系の遺伝をたくさん持っていたりまたは、認められたい、すぐに結果を求める、私はまだまだという不十分感できるできない意識が強く、できることしかやろうとしないオリオン遺伝さらには、こうでなければならない、というこだわりの強い冥王星など様々な遺伝が関連していますが別の視点から見てみると、そういった自分がやりたいことがわからないという方に全て共通しているのが「人との深いつながり感が失われている状態である」ということ。無人島に暮らしているような人でもない限りは自分と世界(人)とが分離している状態では、やりたいことも見えてこないものなんだなあということをつくづく感じます。私のキネシに対するモチベーションや情熱が失われないのもキネシオロジーによって、他の人とのつながり感がさらに深くなっていくからだと思うのです。いくら自己ヒーリング好きでも、もし無人島に暮らしていたら、さすがに、モチベーション上がらないでしょうしねさて、今日は、キネシオロジーのことではなくて私が、先日、福岡のソラリアホテルに泊まった時にちょっと思い出した私の思い出話をお話させてくださいね。(この話、以前、一度、書いた記憶があるんですがそれが、ミキシィだったか、このブログだったか忘れたので)それは、私が24、5歳ぐらいの時のことです。当時、私は、ある会社でシンセサイザーのデモンストレーターをやっていました。デモンストレーターというのは、いわゆる、その楽器の宣伝ですから音楽そのものというより、その楽器が面白そうだ、と人々に思わせなければならないわけです。私は、駅前や公共のステージで演奏することがよくあったのですが楽器の紹介は、もちろんやりますがそれよりも、人々が足を止めて、その楽器に興味を持ってもらえるようにいかに目立つか?、そして、いかに演奏を楽しむか?ということに意識がありました。私が心から楽しんでいなければ、人は集まってこない、ということをその当時から、無意識に理解していたように思います。確か大分の駅前で演奏した時のことでした。いつものように派手な服を着て、ショルダーキーボードを引っさげて一人で演奏していたらフランス人のバンドが通りかかり、その人たちが飛び入りしてきて一緒に演奏する、というハプニングがありました。そして、そのフランス’人のバンドを引き連れていたのが、Mさんでした。彼は、音楽を通じて、海外との交流を行っているプロデューサーだったのですが私に名刺を渡し、そして今度、福岡のソラリアホテルで自分がプロデュースしているバンドが演奏するから、よかったらおいでといって、去って行きました。それで、それから数週間後、私はソラリアホテルに、その演奏を見にいって彼と再会しました。彼は当時、45、6歳だったと思いますが子供のような無邪気な笑顔と日本人離れした開放的なオーラを持っている人でした。しばらく話して彼に「明日、このホテルのバーで一緒に飲もう」と誘われました。内心、やった~と胸が踊りました。一目見た時から、彼に惚れていましたから。(男性として、というより、人として、でしたが)そして次の日に、ソラリアホテルのバーに行ったわけです。すると、彼は、バーに座っていて、隣に座っている女性に何やら、楽しそうに話しています。私は内心「あ~あ~、人をデートに誘っている場で他の女性を口説いているんだからなあ」などと思いつつ彼と彼女のところに近づいて行くと「おぉ、中村、よく来た。(彼は最初から、私を苗字で呼び捨てしていましたが、それも私は新鮮でした)今、この人が一人でバーに座っていてちょっと元気がなさそうだったから俺が世界を旅して出会ってきた人々の話を話ししていたんだ」そういって、また世界のいろんな話を彼は続け私と彼女は、一緒にそれを聞きました。しばらくして話が一段落してから、彼女が去った後、彼が私に伝えたところによるとその彼女は、ちょっとやばい雰囲気、だったとのこと。やばいというのは、かなり落ちていて、自殺でもしかねないような感じだったというのです。だから、これはなんとか’した方が’いいと彼は感じて今、どんな問題を抱えていたとしても、それは、ちっぽけな視点から行き詰まっているに過ぎないと言うことを伝えたくて、世界の人々の話をしたのだそう。なんて素敵な人なんだろう。見ず知らずの人に、いきなりそんな話がすることができる人なんてそうそういないなあと、私が思っていると彼は私に「俺はもう明日、東京に戻るけど、彼女はまだヘルプが必要だと思うから中村は、彼女にまた会ってやってくれ、よろしく頼む」言うのです。え~?私に何かヘルプできることなんてあるのかしら?と思いつつ彼がそう言うのだから、会ってみよう、と、私は彼女に連絡を取り博多駅の近くで、ランチすることになりました。もう顔も名前も覚えていませんが、彼女は、私より一回りぐらい年上の人だったと思います。話に聞くと、やはり、彼の直感の通り彼女は付き合っていた彼と別れて、絶望してしまいあの日は、死にたい気持ちで、バーで飲んでいたとのことでした。ですから、いきなりバーで、Mさんが話しかけてきて、世界の人々の話をしてくれてその話に引き込まれていたら、いつの間にか、その絶望した気持ちが軽くなっていた、と言われていました。私がその時、彼女に対して、何かアドバイスしたり、励ましたりした記憶は全くありません。多分、私のことだから、そんなことはやっていないのではないかと思います。私は、ただ彼女の話を色々と聞いて、そして、私の話をしました。何を’話したのかも、もう定かではないのですがちょうど、私も大学時代から付き合っていた彼と、別れることになりそれから間もなかったので、多分その話をしたでしょう。その彼とは、結婚することに決めて、お互いの両親と会ってアパートを借りて家具まで揃えた後、別れることになってその時は、もちろん悲しかったのですが、その頃にはもうすっかり立ち直っていました。(でも、私はその何年か後に、同じことを、また別の男性とやることになるのですが)その他、私が大学時代からやっていたホステスのバイトでの出来事など色々話したのかもしれません。その時の私としては、ただ、話の流れで自分のことをシャアしただけのつもりだったのですが彼女が言った一言が、強烈に心に残りました。彼女は「すごい、あなた私より若いのに、そんないろんな経験をされてきたのね。私なら、そんなことがあったら生きていけないかも。そう思うと、私のことなんて大したことではないことだと思えてきたわ」そう言って、彼女は元気になって、帰って行ったのです。それには、私の方が驚きました。今から思うと、当時、若干25歳で、そう大した経験でもなかったしニューヨークに渡ってからの方が、はるかにいろんな経験をすることになったのですがそれでも、その時、私の経てきた経験が、人を元気づけたり、意識を変えたりすることもあるのだと言うことを、初めて知った時だと思います。今、もし、なぜ、私はこんな大変な人生を歩んでいるのかしら?と思われている方がいたらそれは、それが自分にとって、そして世界にとって必要な経験だからです。ただし、そこから抜けない限りは、その大変な経験をしても意味がないです。そして、大切なのは、いつか、ここから抜けよう、ではなく今すぐに、そこから抜けるための選択をすること、少なくともその方向に向かうことなのです。その後、彼女とは3回ぐらい一緒にランチしたように思いますがそれから、自然と会わなくなりました。そして、今、思い返しながら、改めて気づいたのはもしかすると、あの時、彼女が元気になったのは実は、私の経験の話そのものではなくて、私の在り方みたいなものつまりはエネルギーだったのかも?ということでした。これは元々の私の在り方やエネルギーもあるかもですがMさんのエネルギーが、その時の私に自然に影響していたように思うのです。Mさんとは、東京郊外にある彼の自宅に遊びに行ったり(残念ながら、彼にはすでに愛する奥様がいたのですけど、それもまた良かったです)彼が福岡に仕事に来られた時に会ったりしましたが会えば会うほど、私はMさんに憧れて彼と対等な意識で話ができる人になりたい、と思うようになりました。人との深いつながり、オープンさ、子供のような無邪気さ、日本の常識にとらわれない自由な発想そんなものを彼は持っていましたから。何よりも彼は、自分の仕事を心から愛し、人々を愛し食事を楽しみ、そして、人生のすべてを楽しんでいる人でした。そんな彼と出会ってから、私は日本を離れて、海外に住んでみたい、という思いが強くなりそれから1年も経たない26歳になる直前にこのニューヨークに最初にやってきたのでした。私がニューヨークに住むことに決めたのは彼の影響が大きかったです。彼とは、いつかまたお会いできる時が来るかしら、と思いつつも時が過ぎてもう20年近くは、お会いしていないのですが私の20代に、そんな素敵な大人たちに出会えたことが天からの素晴らしいギフトだったと、今、改めて思います。Mさんだけでなく、私が出会った、たくさんの方たちから受け取ったエネルギーが今の私のヒーリングへの情熱へとつながっているのだなあと。20代の頃、私もいつかMさんのような大人になれたらいいなあ、と思っていましたがいつの間にか、私は当時の彼より年上になっていたのだということに今回、ソラリアホテルに泊まった時に、少し感慨深く、思い出しました。私の思い出話にお付き合いくださって、ありがとう。量子力学的にも、今が変わると、未来も変わるし、過去も変わるのだそう。今、あなたが変わるなら、過去も必ず変わります。辛かった過去は、すべて、この今に、そして未来につながるために必要なファクターとなり宝物となるのです。
2019年09月29日
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東京での3日間が過ぎました。東京では、キンコに頼んでおいたテキストの配送や資料のプリントや必要な買い物などを終え、美味しいものを食べたりして過ごし今から長野に出発です。今回は東京駅近くにある、丸の内ホテルというところに宿泊したのですがホテルの地下が、地下街に繋がっているし、近くにレストランも多くて東京駅まですぐで、とても便利が良く、快適な滞在でした。出発まで、まだ1時間ほどあるので、短い日記を。これは、いつも、思うことのだけど日本に住んでいた頃は、それが「当たり前」だったから気づかなかったことがニューヨークに長く住むようになって、こうして、たまに日本に戻ってくると、当たり前のことではないことに気づくことって、多いなあと思います。もちろん、それは、逆のパターンも色々あるわけでどちらがいいとか悪いとかの問題ではないわけなのですが。例えば、東京の街を歩いていて、道ゆく人を見ていると日本では服の流行がわかりやすいというか「ああ、今年はこんな服が流行っているのね」とすぐにわかるわけですがニューヨークだと、そういうのは、感じたことがほとんどなくてもちろん、ある程度は流行もあるのだろうけど基本みんなバラバラなので、何が流行っているか、よくわからないんですよね。(もちろん、これは、私の場合は、女性しか目がいかないので、女性に限った話ですが)流行だけでなく、レストランや店などで、働いている人の対応やエネルギーも日本とニューヨークでは、全然違うのでそこも毎回のように感じます。日本は、使っている言葉や態度は丁寧でも、いかにもマニュアル通りという感じでそこに気持ちが入っていないなあと感じることが、よくあります。仕事や人とのコミュニケーションを楽しんでないというか「仕事だから(お金のために)頑張って働いています感」が前面に出ている人が多くてこんな風に、自分を抑えて仕事するのは、本当に大変なことだなあと。「お金のためには、やりたくないことも頑張ってやらなければならない」という、多くの日本人に浸透している信念体系は根深いのですが(もちろん、その信念体系が、その現実を生み出しているわけだけど)そうやって、自分を抑えて生きていると、目が生き生きしていないというか、いわゆる、目が死んでいる感じになります。目=ビジョンですから、ビジョンがないというか目の前の仕事を一生懸命頑張っているのは伝わってくるのだけど多分、その人にとってのビジョンと沿ってないのでエネルギーが枯渇してしまうのだろうなあと。さて、ビジョンということで、以前、目標とビジョンは違うということをお話ししたのですがどう違うのかわからないと言われる方が、結構、多かったので改めて私なりの見解を少し書いてみますね。「目標を持っていること」は、例えば、「30万円貯めて、海外旅行に行くこと」などというように「達成するべきもの」であってそこに至る過程やプロセス云々より、それを達成した時に幸せや満たされ感を得る、ことができるもののことです。つまり、目標達成型思考というのは、今この瞬間は楽しめない今を生きることができない思考なのです。宇宙系遺伝で言えれば、オリオン遺伝、シリウス遺伝、グレイ系全般は全て目標達成型思考です。それに対して「ビジョンを持っていること」は決して、ある目標に固定されるものではなく、達成するべきものではなく流動的でもあり、そのビジョンを持って、何かをやってゆくことによってそのビジョンは、さらに広がったり、クリアなものになっていくものであり今、この瞬間瞬間の幸せ感や満たされ感も含めたものであるということ。エネルギーですから、言葉にするのは難しいのだけど。例えば「音楽によって、世界の人々とつながってゆく」というような大きなビジョンがあったとしてそのビジョンがあって、小さなことからスタートしていくとやっている過程やプロセスそのものが、その人にとっての学びや喜びとなっていくわけでやがて、そのビジョンは最初に思い描いていたのとは違う可能性が出てきたりして、どんどん広がったり色鮮やかになってゆくわけです。一方、目標だと、例えば「お金を貯めてCD製作をする」とか「そのCDを売り込んで、メジャーデビューをする」とか(発想が古いけど)何かそれが達成されることが必要となってくるのでそれに至るまでは、楽しめなかったり、喜びがなかったりするわけなんです。前回のブログで、頑張ることの大切さを書きましたがそこに付け加えるとすれば目標に向かって頑張れば、もしその目標は達成されなかった時に挫折するわけですがビジョンを持って頑張ると、どんな結果であれ自分の人生の豊かさに必ず繋がってくるわけなんです。目標は「向かっていくもの」ですが、ビジョンは「今、持っているもの。観えているもの」であって、向かっていくものではないんですね。ビジョンを持つために、大切なことはまず、恐れや不安ベースでは、ビジョンは持てないということ。ビジョンというのは、同時にクリエイティビティも大切なのですが例えば、お金の不安が意識の根底にあって、その上で出てきたアイデアや発想は「目先の損得勘定」になっていることが多くその人にとってのビジョンには繋がらないことことが多いです。もちろん、例え、目先の損得勘定であっても、何でもやってみるのはいいのですが上手くいかなかった時に、「やっぱり無理だ」という挫折感や不十分感を生み出したり次に繋がらないのに対して自分のビジョンやクリエイティビティがあれば例え、すぐにうまくいかなくても挫折しないし、じゃあ、今度はこうしてみようと次へと繋がってゆくんですよね。さて、この日本での多次元のクラスも、今年で4年目。長野の水輪では3年目となりました。思い返してみると、私も4年前は小さなビジョンからのスタートだったなあと。それは、簡単に言うとクライアントさんたちが、私のところにセッションに来なくてもある程度、自己ヒーリングできるようになったらいいなあというような、ビジョンとも言えないほどの小さな想いからでした。でも、その最初の小さなビジョンでさえ、私自身がすでに満たされていたから自然に出てきたものなのだなあということにある人からの言葉で気づきました。その方は、クライアントさんではないのですが私が4年前にクラスを始めようとした時に、私に「せっかく、苦労して培ってきた技術やテクニックをこうして簡単に教えてしまって、もしそれでクライアントさんが来なくなったらどうするの?」と聞いてこられたのです。当時は、もう、私のセッションは、たいてい8~10ヶ月ぐらい先しか予約は取れない状態になっていたこともあって一人でも多くのクライアントさんが私のところに来て欲しいという意識や考えは私には全くなかったしむしろ全く逆の発想だったわけですから、その言葉に驚いたのですがそう言った目先の損得で物事を捉える人は、多いのかもしれません。でも、目先の損得でなくビジョンで動いてゆくと、結局は自分が想像もしていなかった豊かさに繋がってくるのだなということをこれまでの様々な体験から、実感しているのです。そして、最初の頃は、私もその小さなビジョンで当時は、まだ、宇宙系遺伝の調整もまだスタートしていなかったこともあってエンパス体質や、人からのエネルギーを受けやすい人向けのクラスだったわけですがクラスをやっていくうちに、どんどんとビジョンが広がってきて最近、エジプトに行った後、また新たなビジョンが観えてきたなあと感じています。もちろん、最初の「家で誰でもできる簡単な自己ヒーリング」というコンセプトは変わらないのですがもし、それができる人たちが増えてくれば、そこから宇宙系遺伝を調整することができる人たちへと繋がってくるわけで今、私が持っているビジョンは、まさにそこなのです。正直、もし私がお金のことだけを考えるのなら日本でクラスを開くのは、何百万も経費がかかるし家でセッションをしていた方が、ずっと楽にお金を得ることができるのでそんなことしないだろうなあと思うのですがこうして続けているのは、もちろん、クラス自体も楽しいのだけどやはりそのビジョンがあるから。そして、そのビジョンのためには、近い将来また違うやり方が必要になってくるような気もしています。今回、初級クラスは、第1班20名、第2班20名の定員は計40人でしたがそれでも20名以上が、キャンセル待ちで参加できない状態でした。中には、私にメールで、どうしてこのクラスを受けたいのか?という熱い想いを伝えてきてくださった方々もいてそれを読んでいると、どの方にも参加して欲しいという想いが湧いてきて本当に残念でたまらないのですがこれも今後、何かを変えていく必要があるというサインなのかなあと。まだ具体的なアイデアではないのだけどなんとなくそのことを感じています。ということで、思いつくまま書いていると、もう出発の時間となりました。長野に到着すると、また違った気分になるのでこのままアップします。次は、長野の水輪からお届けします〜。
2019年08月11日
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エジプトの続きも書きたいのだけど、今日は、一休みして今日の小さな幸せをメモしておこうと。(もしかすると、ただの「のろけ話」かもなので、そういうのがダメな人はスルーして)私がエジプトに行っている間、おさむは「俺は陸奥ひとり旅に出てくる」と言って(出発前に、陸奥一人旅を歌ってた)セドナやグラウドキャニオンを一人旅していました。戻ってきて、どうだった?と聞いたら、とても充実して楽しかったそうでその話を聞きながらああ、一緒に旅に出るのも楽しいけどたまには、別々に旅するのも、またいいものだなあと。そして戻ってきてからは、いつものごとく毎日のように、おさむの美味しい手料理を頂きつつ日々の幸せを噛み締めています。一緒に食事やワインを楽しみたまに、おさむのギターで歌い、嬉しくなって踊る、こんな小さな幸せが日々のベースにあるから私のヒーリングへの、探求心やパッションが枯れることがないのかもなあと。そして、今日は、私の仕事は、夜7時ぐらいまでで反対に、おさむの方は、夜7時から、日本のクライアントさんのスカイプセッションだったのでこういうとき、大抵は、私は適当に蕎麦でもゆがいて先に食べておくかまたは、おさむのセッションが終わるのを待って、一緒に作ってもらうかなのだけど今日の私のセッションが終わったら、修からメールが届いていました。べいびー冷蔵庫に夕食があります。鰹のタタキちりめんじゃこ高菜胡麻豆腐味噌汁>ストーブの上にあるので温め直してご飯をついだあとは電源切っておいてね。おさむ追伸>たたきは基本ポン酢で食べます。 パックに入ってるの使ってもいいし、自分のもの使ってもいいよ。 あと味噌汁のネギも使ってね。あ~幸せだなあ~ご飯作ってもらえるだけでなく、たたきの食べ方まで、ケアしてもらえる。笑って、私の場合、指示されないと、味噌汁ネギも入れずに、冷えたまま飲んだりたたきを何もつけずに食べたりする可能性が高いというのをおさむは、よくわかっているからね。でも、これ、もし私がなんでもできて、気が利く人だったらこんな風に、おさむがケアする気にもならないわけでああ、気が利かない人で、ほんと良かった、なんて思ったりもするんです。ケアしてもらえる、サポートしてもらえる、というのは、女性にとって本当に幸せなことですから。何でも自分でできる方がいいと思っている女性の方、多いのですが何にもできない女性ほど、守られるし、愛されるのに逆のことやっていたりするんですよね。(もしくは、本当はできてもやらない女性ね)ちょうど、たまたま、少し前に、ご夫婦で私とおさむのセッションを受けに来られた方から、メールがあって「(夫が)のりこさんとおさむさんのパートナーシップを見て女性をサポートする男性はかっこいいと感じたのか家事などを積極的にしてくれるようになりました。すごい影響です!おさむさんの影響大!おさむさんにお礼をお伝えください~」という一文があって、わ~これは嬉しいなあと。多分、彼女にとって、彼が家事をしてくれること自体ではなくてサポートされている感、ケアしてもらっている感が、嬉しかったのではないかと思うのです。もちろん、彼女が家事を手伝ってくれると助かる、と思っていることを手伝ってくれたから、より嬉しいのだと思いますが。私の場合は、食事を作ってくれるというのは本当に嬉しいことだけどでも、女性によっては、自分が彼に作ってあげたい人もいるだろうし逆に、自分がやらなければ気がすまない女性もいるわけですから人それぞれ求めているものは違うわけです。問題なのは、プライドが高かったり自分の弱さを受け入れられなかったり、甘えるのが苦手な女性の場合自分が本当は何を求めているのか?を男性に伝えていなかったりするんですよね。だから、男性は、どう女性をサポートすればいいのかどう言葉をかけてあげれば彼女が喜ぶのか、わからないわけです。おさむも今でこそ、私がケアしてほしいように、ケアしてくれるけれど以前は、全くそんなことわからない人だったわけでそれが、こんな風に変わっていったのはおさむ自身がヒーリングで癒されてきたこともあるけど私がそれを伝えてきたからだなあと。でも、伝えるのには、コツがあって相手への要求だと絶対に上手くいかないということ。それと、いろんなカップルを見ていて思うのはほとんどのカップルは、お互いの愛情表現が足りないということ。もっと、もっと、愛を伝えていいのになあと。愛情表現って、愛してる~とか、好き、という言葉だけでなくて様々な場面で、というより発する言葉の端々で愛情表現が必要なのです。例えば、私とオサムが、ダーリン、ベイビーと呼び合うようになってから結構、長いのですがこの呼び方そのものが、相手への愛情を表現する呼び方なのでこの言葉をかけ合っているだけで、愛が高まってゆくという超お勧めの言葉なのです。「ねえ、ダーリン」と言えば、女性は自然と男性に甘えられる感じだしまた男性から「ベイビー」と言われると女性はそれだけで守られている感があるわけで例え、喧嘩になりかけたとしても「ベイビー」「ダーリン」だと被害的に受け取ったり、怒ったりする気にもならないんですよね。ここアメリカでは、ダーリンもごく普通だし、ベイビー、ハニーなどは例え、夫婦でなくても、親子や親しい友人などではごく自然に使う言葉でたまに、初対面でさえ、そう言う言葉を使う人もいるのでほとんどの人は抵抗ないわけですが日本の人は、名前以外の、愛情を込めたスィートな呼び方をしないと言うのも愛情表現が足りない一つではないかなあと。日本人にとっては、最初のうちは照れるかもだけど最初は、冗談半分でもいいので使っているとそのうち、慣れて、自然になってくると思います。(私たちも、最初は冗談半分だったので)言葉は、エネルギーですから愛情を込めた言葉を使うだけで、愛はさらに高まってゆくんですよね。私とオサムは、特に何を話すわけでもない時でもただ「ベイビー」「ダーリン」と声を掛け合うことが1日の中で、何度もあります。愛されたければ、自ら愛情表現すること。相手がしてくれないから、私もしない、ではいつまで経っても、何も変わらない。本当に、プライドや傷つきやすさって私たちが幸せに生きることを妨げてしまうなあと。とは言っても、そういう遺伝の性質があるから例え、愛情表現が上手くできないのも、当たり前でもあるわけなんですが。ちなみに、愛情表現が苦手な遺伝と言えば女性性の欠如となる、プライドが高く、人と切り離してしまうシリウスそして、被害者意識、人のせいにする、人に見下されたくないというグレイ遺伝。そして、プライドが高く、相手より優位に立とうとするオリオン遺伝物事を重く捉えてしまう、余裕や遊びのない冥王星遺伝とリラ遺伝相手をこうだと決めつける、切り離してしまう、マルデュック遺伝その他、傲慢さや人を見下すアガルタ遺伝、アルデバラン遺伝など、いろいろあります。あ〜、やっぱり最後は、宇宙系遺伝の話になってしまったけど。ということで、エジプトの続きはまた~これは、私たちが最近よく行く、イーストビレッジのイタリアンレストラン、Vics。ここは、何を食べても美味しいから、お勧めです。 PSすみません!メールのお返事がかなり遅れ気味です。🙏
2019年06月26日
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さて、前回に引き続き、今回もお金の話で。今回は、豊かさをブロックする信念体系や思考パターンについてです。大抵の場合、信念体系というのは、無意識レベルで自然ともっているものでこういったスピリチュアルな学びやヒーリングをやっている人でない限りは頭で認識できていることは少ないです。同じ経験をしても、人それぞれ全く受け取り方や感じ方が違うように経験だけでは信念体系は生まれません。それは、その人それぞれ持って生まれた遺伝の性質がありその上で、その人が経験してきたことや見聞きしたことを通じて形成されてゆきます。そして、その信念体系がその人の現実として現れてくるわけです。さて、クライアントさんへのキネシロオジーのセッションで、お金がテーマとなった時にその人のお金に関する信念体系が、どのように生まれたのかを調べるために筋反射で、身体に聞きながら、年齢退行をしていくことがよくあります。例えば「5年前、2年半前、3か月前」などで身体が反応すればまずはクライアントさんに、「お金に関することで、3か月前に何かありましたか?」となどと聞きながら、具体的な要因を探っていったりその人が思い出せない場合は、スキャンリストから拾って言ったりしながら見つけてゆくわけです。上がってくる年代や時期は、例えば、その人が何かお金に困ることがあった年だったり低いお給料で働いていた期間だったり、または就職ができなかった時期だったりビジネスが上手くいかなかった年だったりまたは、お金を貯めようと、がむしゃらに働いていた時期だったりというような出来事が上がってくることが多いです。そう言った実際の経験を通じて「楽してお金を稼ぐことはできない」とか「いつ何が起こるかわからないから、蓄えておかなければ」とか「好きなことだけやっていてはお金は稼げない」などという信念体系が確固としたものになってゆくわけです。ですから、その信念体系を解除するためにはその時の恐れや不安など、まだ潜在意識に残っている感情も一緒に解除、浄化していく必要があります。ですが、実際は、そのお金のストレスにつながる経験を無意識に選んでいたのも別の信念体系や意識が関わっている場合が少なくありません。例えば、安い給料でハードな仕事を続けていたという経験があれば「人生はそう甘くない」とか「お金を稼ぐためには、頑張らなければならない」などという信念体系を無意識に形成してゆくわけですがもともと、そんな安いお給料で、ハードな仕事を選ぶことになった要因がありまた、それを続けてしまった要因があるわけです。それは、例えば、「一度何かを始めたらそう簡単にはやめてはいけない、最後までやらなければ」という冥王星的な意識だったりまたは「何も仕事がないよりは、ましだから」というニビル的な意識があるから、そんな場所で働き続けることになったわけでもしそれがなければ、そもそもそんな大変な仕事を選ばないし間違って選んだとしても、続けることはないのでお金の信念体系も生まれてこないのです。そもそも、お金の不安というのは、生存の恐怖につながっていることが多いのでその不安や恐れが大きければ大きいほど「お金がなくなるよりは、嫌いな仕事でもあった方がいい」という思考になりがちです。で、実際に、その人が、本当にお金に困って食べることもできない状態になったことがあるか?と言うと、案外そうでもないんです。というより、むしろ、その極限まで体験した人はそんな状況でもなんとかなるということが体感としてわかっているのでお金に対する恐れや不安はそれほど大きくないこともあります。自分が体験したことがなくても、お金に関する不安を持っているのはそれは、多くの人が持っている集合無意識に繋がっていることもあるしまた前世的な要因も関わっています。ですから、クライアントさんの身体から上がってくるお金のストレスに関連する年代は自分の経験だけではなく、人からの影響や人から聞いた話や読んだ本や新聞の記事などの影響も多く関わっています。人からの影響という意味では、まず何よりも親からの影響がありもし親がお金の不安を抱えていたり自分を犠牲にしてお金を稼いでいたりすればまちがいなく、その貧困意識(豊かさをブロックする意識)は受け継いでいますからそこはフォーカスしてワークしていく必要があります。また、夫や妻や親しい友人からの影響などは、よく出てくることですが例えば、これまで、何人かに出てきたのはファイナンシャルプランナーのお金に関する運用セミナーや貯蓄の講座などに出てお金に不安が大きくなったり、信念体系につながっていたりするケースがありました。もともとは、豊かに暮らすためのセミナーであるはずが逆に、そのセミナーに参加したことで、豊かさとは逆の意識になってしまうのです。例えば、何歳でいくらの貯蓄額にするためには最低でも、今、これだけを長期投資に回していなければならないなどの情報をあれこれと聞けば聞くほどほとんどの人は、人と比較して、自分は不十分、というオリオン遺伝を持っていますから「あ~今から貯蓄して、老後に備えれるのだろうか?」という不安や焦りや「今まで、もっとお金を節約して使えばよかった」という後悔や「これからしっかりお金を管理して、貯めなければ」という気負いや厳しい気持ちとなり決して楽しい感覚や豊かな意識ではいられなくなってしまうわけです。そういう人は、さらに情報を集めようと、ネットや本であれこれ検索しますからそうすれば、例えば、しっかり賢く貯蓄したり、投資して余裕を持って暮らしているように見える人などの情報などが山ほど出てきて、それを読んで、さらに不安になっていくわけですね。そうなると、使うべきところで、お金を使えなくなるのでお金は循環しなくなるし、制限された現実の中で生きることになります。さて、お金を循環させるためには、自分への投資が有効になることが多いですが多くの人が勘違いしてしまうのは、例えば、このクラスを受けたから、そのクラスで学んだテクニックを使ってお金を得たい、などという短絡的な思考からくるものです。それは、ただ目先の損得勘定であって豊かさの意識とはかけ離れていますからお金の循環にはならないんですよね。もちろん、その投資がすぐにお金に結びつく場合もありますがそれは、その人に、もうそのタイミングがやってきている場合です。先日、たまたま送られてきたメールマガジンを読んでみたらあるヒーラーの方の宣伝?のようなものだったんですがそれに「私は1000万円、いろんなセラピーやヒーリングにお金をかけてきましたが、私の問題を変えることができるものはどこにもありませんでした。だから、私は自分のオリジナルの手法を20年以上かけて、生み出しました」みたいな内容でした。二元的な思考で見れば「それは1000万円、無駄にしたのね」ということになるかもですが実際は、物事は、そういう風に成り立ってはいませんから私が感じたのは、多分、その人は、独自の新たな手法を生み出すために1000万円、投資する必要があったと言えるんじゃないかなあと、いうことでした。つまり、その人にとって、わざわざ効果がないものを無意識レベルで選んできたとも言えるかもだしそれで独自のものを作るという発想にもなったのだろうしまた1000万円かけて、体験したこと自体からではなく、そのプロセスからそのアイデアが出てきたのかもしれない。つまり、それは、その人にとっては、そこに至るために必要な投資(お金や時間やエネルギー)だったのだろうなあと。私もここ10年間、これまでいろんなセミナーに参加したりそこへの旅費や、また様々な道具を購入したりで、多分、軽く1000万円ぐらいは使っていると思いますがそこで学んだテクニックや知識の9割以上は、今となっては使っていないわけです。またこれまで揃えた道具のの中で、よく使っているのは、1割ぐらいのものですし全く使わなくなって、処分したものも多いです。でも、そう言ったセミナーを受けたことでその時々で、自分に必要なヒーリングのコンセプトや世界観や人の意識や健康をどう捉えるの?といった認識を自然と深めることになっていたしそれが、多次元キネシオロジーという独自のヒーリングを生み出すことに自然と繋がってきたわけです。また、いろんな道具を使ってきたからこそ道具を使えば、どこまでできるのかがわかったしそれが、今、アルクトゥルスの手技やダウンロードのテクニックで様々な道具より、パワフルにセッションができることがどんなにすごいことなのかも、よくわかるわけです。でも、豊かさのブロックがある人の多くは、二元的な思考パターンをしますから「たくさん道具を買ったのに、今はほとんどそれを使っていないなんてもったいなかったですね」などとなってしまうのですね。「損をしたくない」と思っている人は、自分への投資ができないので損もしない代わりに、結局、自分の人生にとっての得にもならないのだなあと。キネシオロジーを始めてから私は、たった50ドルのシャツを買うことがなくても1つ100ドル以上するアロマや、たくさんのエッセンスや音叉は躊躇することなく、毎月バンバン購入していましたから収入の全てをそこに費やしてきました。服を買うのを我慢したのではなくて、その頃の私にとってのすべての興味や優先がヒーリングだったからです。購入したエッセンスやアロマの中には、クライアントさんのセッションで全く選ばれず一度も開封しなかったものもあるし今はもう使ってないものもたくさんあります。でも、だからこそ、どんなエッセンスが、ヒーリングに効果的に働くのか?がわかってきたしまた、何が優れたものなのかを見分ける目や感性が養われてきたのではないかなあと今になって思うのです。その時は、ただ好奇心や探求心でやってきたのでそんな風には全く思っていなかったんですが後から振り返ると、それが、いわゆる自分への投資であってそれが「自分自身が財産」ということに繋がってゆくんだなあと。そして、自分自身が財産になってくるとお金が減ったり、失うことへの恐れは、さらになくなるんです。ですから「これにお金をかけたから、それで元を取ろう」という短絡的、二元的な思考は、自分への投資にはなりにくいわけですがでも、どこにお金や時間やエネルギーをかける必要があるのかは、ひとそれぞれ違います。その人にとって、ただ純粋に知りたいこと、興味があること、やってみたいことであって誰かがそうしているから、とかこの人がこう言ったから、いうことにお金や時間をかけてもダメなんです。どちらにしても、これをやって、役に立つかどうか?とか、お金になるかどうか?という意識で始めたものは、何かちょっと上手くいかないことがあると、挫折してしまいがちなので結果的に続かないことが多いのではないかと思います。ただやってみたいこと、やらずにはいられないことどうしても何か魅かれてしまうこと、そういったことの中に魂が求める道があり、豊かさを生み出す鍵があるのです。それと、面白いなあと思うのは、自分への投資というのはその分野に限らず、有効な場合が多いということなんです。例えば、ダンサーとしての自分に、お金や時間やエネルギーをかけてきた人がヒーリングを学んですぐに、ヒーラーとしての才能を開花させてプロになったりまたは、逆にヒーリングやスピリチュアルに投資してきた人がヒーラーとしてではなく、ビジネスコンサルタントや経営に力を発揮するようになったり。私はこういうヒーリングをやっているから、特にそういうのが目につくかもですがどんな分野であっても、感性を高めていけばいくべきところに導かれてゆくのだなあと感じます。もちろん、先にもお伝えしたようにお金は単にエネルギーですから、今、お金が使えなければ別のエネルギー、つまりは、時間やそれにかける労力、アイデアそして、人からのサポートや協力などお金を使わなくても、多くのことは実現可能なんですよね。そして、何よりも大切なのは、大きな目標や夢に掲げるのではなくて小さな一歩を踏み出すということです。先日、友人たちと話していて、たまたま片付けのコンマリさんの話になったんですがコンマリさんは、今、アメリカに住んで、アメリカのNETFLEXの番組に出演されているそうで、こちらで活躍されているんですね。以前、コンマリさんが、アメリカでのあるインタヴューで言われていたのは彼女が、片付けコンサルタントの仕事をスタートした最初の頃は彼女の両親は、彼女が片付けで仕事ができているとは信じていなかったそうです。多くの人は、自分の好きなことがお金につながるという意識がないので例えば、お片付けなどでは、仕事にならないなどと、少し前には考える人も多かったのではないかなあと。でも、彼女は、ただ、好きなことをやりたいという思いで最初は小さな一歩を踏み出したのでしょうし何よりも片付けが好き、という思いがあったから研究を続けてきたのでしょうしそれが、独自のアイデアを生み出し、世界に受け入れられるようになってきたわけで最初から「片付けで世界を変えよう」などという大きな夢や目標を達成しようとしていたわけではないでしょうし、こんなに広まってゆくとも思っていなかったことでしょう。自分に豊かさを生み出す力がないと思っている人って多いのですが、これまでセッションをやってきた中で、確実に言えるのは様々な信念体系がブロックしていたり人とのつながり感や信頼が失われていたり潜在的な自分の才能や力に気づいていなかったりだから、そういう豊かな現実になっていない、というだけで本来は、仕事というのは、誰にとっても好きなことやりたいことをやるようにできているし誰でも潜在的には豊かさを生み出す力を持っているということです。ですから、もし現実がそうなっていないのなら外に向けて何かを頑張るより、そのブロックを解除してゆくことだなあと。とまあ、いろいろと偉そうに書いてきましたが実は「自分自身が財産」なんてことは、今まで一度も考えたことなかったしそんな意識もなかったんですが今日、このブログを書いている中で、ふと降りてきた言葉で「自分自身が財産です、だなんて、また大きく出たなあ。これって、私のうぬぼれや傲慢さじゃない?』と宇宙系遺伝をチェックしてみたり(⇦基本、自分の性質は、すべて遺伝のせいにする)一応、Sifyunに聞いてみると「それはうぬぼれではない、それでオッケー」と言われたので、アップしている次第です。(と言いつつ、これから、新種の「傲慢な」遺伝が見つかるかも)それにしても、こういう内容のブログを書くのって、難しいものですね。言葉の二元性によって、どこを切り取って話すかによってフォーカスする内容が全く変わってくることが難しいところです。ということで、2回連続でお金の話。う~ん、まだ、伝えたいことの半分も書いていないような気がするんだけど完璧主義だと、いつまでもアップできないので、このあたりで。
2019年02月05日
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何度も書いてきましたが、今日はまたお金の話題で行ってみま~す。日々のセッションを通じてだけでなく、人からいろんな話を聞くにつれお金の問題を抱えている人は、本当に多いなあと感じます。お金はエネルギーですからお金の問題は、内面の問題と直結していて現代社会に生きている私たちにとっては、スピリチュアリティとお金は切っても切れない関係です。以前、クラアイントさんで「私はお金の問題さえ解決すれば、他は何もないのに」と言われていた方がいましたが実際は、お金の問題を抱えているということは様々な問題を抱えているということです。その中でも、最も大きな問題が「人とのつながり感の欠如」なのだということがこれまでのいろんな方のセッションを通じてわかってきたことでした。人と深いレベルでつながっていて、お金に不安を抱えていたり、困っている人ややりたいことができないという人はほとんどいないのではないかしら?と思うぐらいお金の問題と、人とのつながり感や人との信頼関係は、深い関係があります。もし、人と深くつながっていなければ何か困った時や、お金が必要な時に、サポートしてもらうこともできないしどうやってお金を得たらいいのか、というお金を生み出すためのアイデアも自分だけで考えている限りでは限界があるしまた、例え、何か自分がやりたい仕事を始めたとしてもそれが広がっていかないのでお金の生み出す流れにならないのです。もちろん、ここで話をしているのは発展途上国などで、貧困であっても、家族や隣人と助け合って生きている人たちの話ではなく日本やアメリカなどの先進国における問題です。発展途上国の問題は、また違う次元やレベルでの問題を抱えているので私たちの問題と比較することはできないんですよね。さて、ここで問題なのは、多くの人たちが「お金がないと、やりたいことができない」という思い込みと幻想の中に生きていることにあります。実際は、お金がなくてもやりたいことをどんどんやっている人たちは、たくさんいます。バシャールが以前「豊かさとは、やりたいことをやりたい時にやれる力のこと」と言っていましたhが、私も全く同感です。私は若い頃は、貯金という意味では、全くなかったですがお金がないからやりたいことができなかった、という記憶がただの一つもないのはもともと「お金がないとやりたいことができない」という考えや感覚を持っていなかったからで、その信念や意識がないからそうならなかっただけの話だと思います。ここで私の個人的な昔話を少しお話ししてみると。20代の頃、最初にニューヨークに住んでみたい、と思い始めた頃の私は全く貯金もなく、というより楽器のローンなども抱えている状態でした。当時は、ニューヨークに誰一人知り合いもいなかったし貯金もなく、飛行機代さえも出せない状態でそれでニューヨークに住みたい、などと言っても無理な話だと多くの人は思うのかもしれません。でも、私はそんな風には全く思っていなかったなあと。だからと言って、何がを頑張ってやったわけではなく私がやったことは、ただ「私はニューヨークに住みたい」ということを、友人や出会った人たちに話す、ということだけでした。私は当時は、スピリチュアル関係の本など読んだこともなかったですが自分がやりたいこと、叶えたいことを、人にシェアすればするほどそれが実現する可能性が高くなる、ということを無意識レベルで知っていたのだなあと、今は思います。実際、当時、私がニューヨークに住みたいと思うようになってからそれが実現するまで、そう時間はかかりませんでした。当時の私の友人の知り合いの中に、ニューヨークでライブ&バーを開いているというオーナーで福岡出身の人がいて、その人がバーテンダー兼キーボーディストを探しているという話を聞き、その人が福岡に戻ってきた時に会いに行きその仕事を得ることができてそれから1、2か月後には、ニューヨークに出発することになったのでした。そして、その1、2か月の間に、お金を作ろうと、これまでの会社での昼間の仕事だけでなく夜のスナックのアルバイドをすることにしたのですがそのスナックのママが、とても暖かい人でそのスナックに来ていたお客さんも、紳士で素敵な人が多く私は、ママやお客さんから、たくさんのお餞別を頂いて楽器のローンを返済し、飛行機のチケットを買うことができてニューヨークに出発することができたのでした。先日ご紹介した感想の中で「世界は自分が思っていたより、ずっと暖かかった」という感想があったように本当に若い頃から私は、折に触れ、そのことを感じてきたのですが人を信頼し、心を開いて分かち合うならいかに、そのままの自分が人から、そして世界から受け入れられているかを知ることになるのではないかと思うのです。そして、その感覚を持っていれば、お金があろうとなかろうと自分がやりたいことは実現化します。今から思うと、生まれて初めての海外で、当時はまだ危険だと言われていたニューヨークに全財産500ドルそこそこでやってきてJFK空港に着いてから、その足で、バーに向かいその日から、朝5時までバーテンダー兼キーボティストとして働く日々がスタートしたのですがその頃は、若くて、タフだったので、そんなこともできたのは間違いないですが先のことを考えて不安になったり、チャンレンジできないというニビル的な性質や人生はそう簡単にうまくいかない、という冥王星的な性質を昔からほとんど持っていなかったのは幸いだったなあと思います。で、ニューヨークに来てから、本当にいろんなことがたくさんありましたが(そんな話を書いていたら、本一冊分になりそうだけど)お金という点にフォーカスしてお話しすると、これまで何かお金が必要になった時ややりたいことができた時に「やりたいことのために、やりたくない仕事をしてお金を貯める」という発想は幸か不幸か(多分、幸だと思うのだけど)持ってなかったので私が毎回のようにやってきたことは、ただ、周りの人たちに自分の想いをシェアしたりサポートを受け取る、ということだけだったわけです。そうすると、それほど長い時間をかけなくてもやりたいことは実現していくし、必要なお金もやってくるというのを私は体験として学んできたのだなあと、今になって思うのです。例えば、ニューヨークに来て3か月も経たないうちに、私は作曲をやってみたいと思い始めたのですが、そんな楽器を買うお金も持っていなかったのでそのことをライブバーに来ていたお客さんに話していたらその中の一人がシンセサイザーなどの一式を持っていて今、使ってないからと、私に貸してくれて、作曲をスタートすることができたり必要なものがお金を使うことなく、入ってくることは本当によくありました。また、それから、何年か後の話ですが、ある時、私は仕事をなくして(そのライブバーは結局潰れたのだけど)さて、来月の家賃どうしようかとなった時に友人に話したら「のりちゃんの絵をレストランに展示してもらって、売るのはどう?」というアイデアを出してくれて、それまでは、趣味で描いていた絵を売るという発想はなかったのだけど、試しに、レストランに展示させてもらったら1週間以内に3000ドルで売れて、家賃が払えるようになったこともありました。(その後も、お金に困ると、なぜか絵が売れるということが何度かありました)またある時は、私の作った曲をCD制作をしようと思ってあるプロデューサーのところにデモテープを持って行ったらプロデュースするには3万ドルが必要、と言われそのことを、ある知り合いのビジネスマンに話し、私のCD制作にかける想いを伝えたらその人の会社で3万ドルを投資してくれることになりレコーディングすることができたこともありました。また、先日の歯医者の話で書いた、交通事故で前歯を4本失った時も治療費として3万ドルが必要だったのですが当時は、やはり500ドルぐらいしか貯金がなかったので(考えてみれば、貯金額500ドルの時期って、結構長かったかも)はてどうしようと思っていたら警察署長の友人が弁護士を紹介してくれて結局、ニューヨーク市が全額支払ってくれたので、私は支払う必要がありませんでした。こんな話が、本当に山ほどあって私にとっては、お金がない=やりたいことができない、とかお金がない=いざという時に困るなどという図式は、全く生まれなかったわけです。思い返してみると、私は貯金ができるようになったのは、多分、ここ6、7年ぐらいの話でそれまで、私は貯金をすることに抵抗があって、入ってきたお金はほとんどすべて使っていました。これには、一つは、私の母が貯金が苦手な人だったというのもありますが20歳そこそこの頃に出会った、ある有名な音楽家の人が「お金はエネルギーだから、循環させなければならないんだ。だから、使えば使うほど入ってくるよ」と言われたことが、私に大きく影響していたことがあります。実際は、お金の循環を生み出すお金の使い方というのはあってただ闇雲に使っていても、循環しないということは後からわかってきたことなのですけどね。お金を使うことで、循環が生まれるのは自分の内面や意識を変化させるためのお金だったり魂レベルでやりたいことに関して使うお金であってマインドがやりたいことに関してお金を使っても、お金を生み出す循環はしないんです。私は、これまでたくさんのヒーリングに関する道具やエッセンスを購入したりクラスを受けることにお金をかけてきましたがその時は、ただ興味があったり、もっと知りたかったからという思いでしたが、今から思えば、あれは全て自分への投資だったんだなあということがわかるのです。それと、人のためにお金を使えない人は、豊かな流れを生み出さない傾向にあるので人のために使うお金は、循環するなあと感じます。(これも場合によりますが。自己犠牲ではダメなんだけど)ここで私がお伝えしたいのは、私の体験というより人の意識が、どうお金に関わっているか?ということなんですが面白いことに、その人とお金との関わり方を見ていくとお金を生み出すクリエイティビティや発想、行動力といったものだけでなくそのままの自分に価値があるという感覚、自己価値自分を何よりも大切にするという自己愛人への信頼の度合いとか、人との付き合い方などその人の様々な面が見えてくるのです。例えば、クライアントさんとのセッションで「もっと人に頼ったり、お願いしたりすること」というのが、身体からのメッセージとして出てきた時にそれをお伝えすると、よく「でも人に迷惑をかけるのが怖いんです」という答えが返ってくることがあります。その時に、まず私がお伝えするのは迷惑になるかどうか?は相手が選択する問題であるということ。こちらが何かをお願いして、もし相手がそれができないとかやりたくなければ断ればいいだけの話だし、もしかすると、相手にとっては全く迷惑でないかもしれないのにあれこれ相手の気持ちをこちらが推測してもわからないということ。そして、迷惑をかけたくない、という人の多くは自分が相手から頼まれたら断ることが苦手な人、つまり自分が相手から迷惑をかけられるのが嫌、という意識の人であって例え、相手から頼まれても、自分のやりたいことしか引き受けない人にとっては相手に迷惑になるかも?という発想は出てこないんです。そして、実際は「人に迷惑をかけたくない」と言っている人は「人と親しくなりたくない」と言っていることと、同じなんですよね。少々の迷惑をかけあうことでつながるのが、私たち人間ですから。人に迷惑をかけないように生きなければならないという意識でいる限り全てを自分でやらなければならないのでお金のストレスや不安も大きくなってしまうのです。お金の問題を通じて、自分の様々な内面を見ていくとなぜ、今の現実になっているのかが、よく理解できるようになります。お金に関する現実は、そのまま内面の意識が反映されていることがとても多いからです。少し前に、とても印象に残ったメールを頂いたんですがその方は、これまでずっとお金の問題を抱えてきて何をどうやっても、お金の問題が解決しなかったとのことで一時は家賃も払えない状況になり、借金することにもなったのだそう。それで、多次元キネシオロジーのプラクティカルクラスを受けてからガイドの導きに従って、お金というだけでなく、様々な面から徹底的に自己ヒーリングされたとのこと。その中で、彼女自身が潜在的に持っていた執着やこだわりを手放して、ある時、気づいたのは「お金がなかったからこそ、私はここまでヒーリングに向かったんだ」ということだったそう。もし、お金があったら、ヒーリングより何より、旅行していただろうと。そして、ヒーリングがとてもやりたかったんだ、ということに気づいたそうです。つまり、その方にとって、本当にやりたいことに向かうためにお金がない状況が必要、だったというわけです。その気づきが起こってから、彼女はこれまで手にしたことがないほどの多くのお金が入ってくるようになった、とのことでした。そのメールを読んで、私が感じたのはその彼女にとっては、旅やその他のことはマインドがやりたいことだったのだろうなあということでした。マインドがやりたいことにお金を使うのも、時には大切なことなんですがそれよりも先に、魂がやりたいことに向かわないと、お金の循環はしないのです。お金のテーマは、人それぞれ様々なレベルや次元と関連しているのでとても奥深いです。お金と宇宙系遺伝との関わりで言えば以前にも「お金とニビルとアヌンナキ」というタイトルで詳しく書きましたが、ニビル遺伝が強ければ、当然、お金のことも将来の不安がありますしチャレンジができないので、転職や新たな仕事を始めたり’するブロックになったりもしますから、豊かな流れを生み出しません。これも、印象に残っているのは以前、ある方のセッションを行った時に「今の仕事を辞める」というメッセージが身体から出てきたことがあリました。でも、彼女は、旦那さんのお給料だけでは将来が不安だから、とその時は抵抗していたのですが、多分、その時に調整したのがニビル遺伝だったと思います。それで、日本に戻られてから、やっぱり、その仕事を辞めることにしたそうなのですが面白いことに、彼女が仕事を辞めてから、旦那さんはどんどん出世をして結局、社長にまでなったのだそう。彼女曰く「やっぱり余計な心配をしていただけだったみたいです。今は以前、私が働いていた時より、ずっと多くのお金を受け取ることになりました」彼女に限らず、夫の経済的な力を信頼する、というのもよくお金の問題として出てくることですがニビルがあれば、どうしても危険回避思考ですから、あれこれと先のことを想像して、余計な不安を生み出してしまうので豊かさのブロックになってしまうんですね。また、オリオン遺伝が強ければ、人を羨んだり、人が持っているものを自分が持っていなければ不十分感や欠乏感となりますから豊かさの意識とは、正反対の意識になります。欠乏感から何かをやっても、さらに新たな欠乏感を生み出すだけですしまた、人が持っているものを自分も得ようとするので目先の刺激や達成感を求める傾向にあり自分が本当は何をすべきかがわからず豊かな流れをブロックします。そして、冥王星遺伝では、基本的に「人生はそう甘くはない」「世の中は厳しい」という感覚や意識ですからお金に関しても、厳しい現実ばかり見えてきて、あたかもそれが現実であるかのように勘違いしてしまいます。例えば「特別な才能がなければ多くのお金を得ることはできない」とか「好きなことだけではお金を得ることはできない」などの冥王星特有のこだわりや信念体系を持っている場合が多いのでそれが様々なレベルでの制限となり実際に、その制限された現実の中に生きることになってしまいます。自分が見ているように現実はできているので厳しいと思っていれば、厳しい現実の中で生きることになるわけです。また、グレイ遺伝では、とにかく人を信頼できないし人から見下されたくない、とか、人から責められたくないという思いが強いので先ほど述べたように、人にサポートを頼んだり、人とシェアしたりといったことは苦手です。人に頼んで断られるのが怖い、などというのもグレイ遺伝であってプライドが傷つくのを恐れるので、人とのつながり感もないですからお金の流れだけではなく、様々なブロックになります。また、前回、説明したマルデュック遺伝では、オリオンと同じように刺激を求めたり後先考えずに、先走ったり、または勢いだけで始めて続かなかったりするのでお金に関しても、問題となってきます。刺激を求めてあれこれやっているけど、肝心なことはやってない、などとなればお金の豊かな流れはブロックされてしまいます。また少し前にお話しした、ゼータレクチル遺伝が強い人はお金を稼ぐためなら、やりたくないことでも責任持ってやるのは当たり前みたいな認識を持っていることが多いです。ですから、生真面目に会社や仕事場でしっかり働いたりただ決められたことを決められたようにやりますから(無意識にストレスを溜めるので)家に戻れば寝たり、ゲームをするだけみたいな感じになりがちです。ゼータレクチルは、周りの人たちや自分の経験からしか物事を見れないのでお金を生み出すアイデアやクリエイティビティの欠如となります。それから、金星遺伝、プレアデス遺伝では、相手に尽くすことが何よりも大切なので人のためにお金を使う人が多く、自分のことは後回しになったりお金を受け取れない人が多いです。相手に何かをしてもらうと申し訳ない、とすぐに感じてしまうのは金星遺伝。また家族や友人ためにだけお金を使って、自分のものは何も買えない人なども金星やプレアデス遺伝。人のためにお金を使うのは、お金の流れの循環を生み出しますが自分が受け取れなければ、当然、お金に関するブロックになります。そうそう、つい忘れていましたが、お金と宇宙系遺伝で言えば、海王星遺伝。海王星遺伝は、とにかく非現実的なことを考えていて夢見がちな性質ですから、こんな風になったらいいな〜とイマジネーションやアイデアで幸せになり現実として、行動を起こさないことも多いので、そうなるとお金につながらないです。また、人の話を鵜呑みにする傾向があるため誰かが言ったことをそのまま信じて、実践していたりするのでそれがお金のブロックになっているケースもあります。海王星遺伝が強い場合、周りに翻弄されやすく、自分が何をやったらいいのかもわからなくなってしまうので、お金に限らず、実現化するのは難しくなります。でも、この豊かなイマジネーションが、実際の行動や実践に結びついた時には人との共鳴力が強く、人と分かち合う性質である海王星遺伝は決してマイナスではないんですよね。ということで、ざっと挙げてみましたが人によっては、お金の問題が、こう言った全ての性質に関わっているのでお金のテーマで調整と言っても様々な性質や意識を変化させていく必要がある場合もあります。自分の内面や性質が変化するにしたがってお金との関わり方や現実が変化して’いくんですよね。アルクトゥルスは、高次元の意識体ですし、この3次元の肉体を持っているわけではないのでお金のことなんて、感知しなさそうなのにセッションで、たまにクライアントさんのガイドからのメッセージとしてもっと高収入を得るようにしなさいなどと言われることがある、と先日も書きましたがそれはお金と、私たちの意識や精神性が密接に関連していることをよくわかっているからなのだろうなと感じるのです。ということで、お金の話、今ざっと思いつく限りまとめてみたのですが長くなったので、今日はこのあたりで。
2019年02月01日
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アインシュタインの残した多くの言葉の中に私にとって、今も昔も、心から共感するものがたくさんあります。例えば学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。人生には、二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。などという言葉は、日々感じていることでこのところ、またそれを強く思うことがありました。その中で、奇跡について、今日は書いてみようかと。そう、私はまちがいなく「すべてが奇跡であるかのように生きている」方の道にいると思うのですが、その奇跡というのは例えば「今、私がこの地球上に存在しているという奇跡」というような根源的な意味もあればそうではなく、自分には想像もしていなかったような素敵な出来事や気づきという意味のものもあり、文字通り、毎日が奇跡の連続だと感じています。先日のクラスの後、私にとって私の人生の中でも、最大級の奇跡だと思えるようなことがあったのですがその私自身の話はまた後で書くとしてクラスの参加者の中で、やはり奇跡を体感している人が何人かいてそれは、また私にとっての奇跡にもなっています。その中の一つを簡単に紹介すると(この話は掲載の了承を取ってないけど、多分書いても大丈夫だと思うので)クラスの参加者、Tさんは、クラスが終わってすぐに、友人Fさん(男性)にセッションを行ったそうなのですが、そのFさんは女性に対してブロックがありこれまでの人生で彼女と付き合ったことがほとんどなくそれが悩みということでした。それで、Tさんは「それじゃあそのテーマでやってみよう」と多次元キネシを使って、クラスで学んだとおりにやったらなんと1週間後に、Fさんに一人の女性から突然、デートの申し込みがありそれから付き合うことになったのだそう。アメリカで、男性が女性から申し込みを受けるのは珍しいことだしいや、そういうことより何より、今回、ヒーリングを始めて学び始めたばかりの人が、クラスを受けてすぐにそういうセッションを行っていることが、私にとっての奇跡でした。そして、そう言った奇跡を受け入れる道にいるためには幾つかの条件(というより、その人のあり方みたいなもの)があります。私なりにまとめてみると1)自分にはこんなことは無理、とか、まだまだ自分には (その問題を解決したり、達成するための)力が足りない という思いこみを持っていないこと2)自分の力で何とかしなければ、とか 自分の力を認めてもらうために、何かをやろうとしないこと3)今の自分にやれること(やりたいこと)を、ただやっていること。4)奇跡を起こそうとしないこと。という感じだなあと。奇跡というのは、自分の力で起こすものではないので(自分の力で起こしたものは、もはや奇跡とは言えないから)例えば、Tさんが「Fさんにすぐに彼女ができるようにしよう』などと思って’やっていたら、きっと問題の本質は見えなかっただろうしまた「私はクラスで学んだばかりだし、そんな問題は自分には無理」などと思っていたら、そもそもそのテーマでセッションをやらなかっただろうしただTさんが、今の自分がやれることをやった、というだけなのです。さて、私がここ最近、体感した奇跡は今もまだ半信半疑な感じでその話を書くと、本当に長くなってしまうし、それを説明するためにはまた宇宙系のお話から説明することとなり、ちょっと込み入っているのでそれはまた次のブログから、その経緯を書いていこうと思うのですが「一つの小さな奇跡は、次の大きな奇跡を呼び込む」ということも感じていて最初に小さな奇跡が起こり、それを受け入れることによって次の大きな奇跡へと結びついてゆくのだなと。このアインシュタインの言葉にあるように挫折というのは、「できる限りやったけど、自分の力ではもうこれ以上は無理だ」という思いのことですが自分の力ではないところから、奇跡はやってくるので挫折することが必要な時もある、と言えるのかもしれません。ここ最近の私の挫折は「宇宙系遺伝の調整をやるためには、一つの遺伝の調整に対し最低でも4時間、時には6時間ぐらいのセッションが必要で(さらに、人によっては、一つの遺伝に対して2、3回のセッションを必要とするし)私の今の力では、これ以上、セッション時間を短くすることは無理」というものだったのですがそれがこの奇跡によって、一気に解決することになりました。あ~人生は神秘だ
2018年06月28日
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今日は、30分タイマー日記で。先日のお別れ会のために描いたちずちゃんの絵を、日本のちずちゃんのお母さんに配達するためにヤマト運輸の人が、今朝、家にピックアップに来られることになっていました。そのピックアップの前に、今日のクライアントさんへのセッションのためにさっと自己ヒーリングしておこうと朝早く起きて、すぐに自己ヒーリングに取りかかりました。(こういう時は、朝、起きた瞬間から、筋反射を取ってる私)胸腺の免疫やホルモンバランス、ミネラルバランスなど、主に身体の調整を行ったのですが’最後にサポートエッセンスとして、珍しくアラスカンのフラワーエッセンスがリストから選ばれました。アラスカンのジェムエッセンスや環境エッセンスはよく使うので、セッションルームに置いてあるのですがセッションルームの棚が、エッセンスの箱で一杯になっていることもあり普段、あまり出てこないアラスカンのフラワーエッセンスの方はリビングの方の棚にしまってあったのでちょっと「取りに行くのが面倒だな」と思いつつもエッセンスを取りに行ったわけです。ジェムエッセンスや環境エッセンスやコンビネーションを除いてアラスカンのフラワーエッセンスは、全部で72種類あるのですがリストはなかったので、その箱から、直接、筋反射でエッセンスのボトルを選んだのですが選ばれたのは「リバービューティ」というエッセンス。どんなエネルギーなのか、後から、効能を読んで、はっとしました。リバービューティ とはエネルギーの再生の助けになるエッセンスです事故や予期せぬ悲しみ、大切な’人を亡くした後など感情的にどうしようもないような激しい経験を経た人が、過去を洗い流して新たな新鮮な気持ちで、物事に向かうのを助けてくれます。衝撃的なできごとのあとで、気持ちの整理がつかない人や過去への愛着を振り払うことが困難な人に。洪水のような激しい経験が、実は過去を洗い流すような浄化の経験だということに気付く助けになります。あ~ちずちゃんのことだ。散々泣いて感情開放はしたし、一度、自己ヒーリングして彼女と繋がっていた過去世の調整をやったりしたこともあってお別れ会を開いた後は、気持ちはすっかり落ち着いていたのでまだ、ショックやエネルギーが残っているとは、思っていなかったのだけどこのエッセンスが選ばれたことで、まだ潜在意識に残っていたことに気づきました。そして、この絵が、私の手元から離れて、ちずちゃんのお母さんのところに行くというその日の朝に、このエッセンスが選ばれるというのもなんというタイミングなのか。あ~これで、本当にちずちゃんの新たな出発を見守り私自身も新たな意識になることが必要ということなんだなあと。そして、この絵が少しでもちずちゃんのご家族の癒しになりますようにと願いを込めて、絵を送り出しました。そして、これも「たまたま」なのだけど、今日の午後は私がちずちゃんへのお手紙というブログを書いたことがきっかけで私のセッションに来られることになった方のセッションで彼女もちずちゃんを知っていて同じように乳がんになってたまたま、手術前にブログを読んで、私に連絡してくれたのだけどセッションをやるにつれて、これはどう見てもちずちゃんが導いてくれたとしか思えないような内容でああ、私たちの意識では到底理解できないような不思議なことが起こるものなのだなあと。ここ最近のシンクロニシティは、なんだか加速的に起こっていて時々、ふっとまるで何かの物語の中にいるかのような感覚になります。ちずちゃんが亡くなる前後から、宇宙系遺伝の大きな気づきや進化があったこともそうですがそれと同時に、肉体を持たない宇宙の存在やエネルギーをものすごくリアルに感じる’ようになったのも、ここ最近のこと。昔なら、間違いなく「単なる想像の物語」もしくは「私とは関係のない特殊なお話」としてしか捉えなかっただろうことがごく普通の世界になってきている。。今日のクライアントさんのセッションのことだけではなくちょうど昨日に来られたクライアントさんのセッションの時もまさにそんな事が出てきて「え?ありえない」と何度も何度も確かめてしまったのだけど物語以上に不思議な物語が、そこに展開されているのを認めざるをえないのです。それは、怖い話ではなくて、むしろ感動することというかあ〜本当に私たちは、いろんな存在から守られているのだということを実感するようなことでした。(個人的な内容なので具体的には書けないのだけど)こんなことを実感するにつれて、もしかすると、ちずちゃんは彼女の使命を果たすために、あちらの世界にいち早く旅立ってしまったのかも?などと思えてくるわけです。あちらの世界から、私たちをサポートしてくれているのではないかと。いや、これはスピリチュアル的な意味づけでしかないこともわかってはいるし、私個人としては、使命を果たさなくても何もしなくても、同じ次元で生きていてくれる方がずっとずっと嬉しいけどそう思わずにはいられないぐらいここ最近の急展開ストーリーなのです。さて、来週からの多次元キネシオロジーのクラスでの物語はどうなるのか終わってみないと全くわからないですが今回は、個性的すぎるメンバーなので、さらにドキドキです。
2018年06月08日
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ちずちゃんが天国に還った日から、早2週間が過ぎました。私たちが知ったのは、10日前のことだけどいろんな意味で濃い日々で、何からお話ししたらいいのかよくわかりませんがまずは、昨日、私たちの家で行ったちずちゃんのお別れ会のことをお伝えしたいと思います。この会を開く2日前に、ふと「ちずちゃんのために絵を描こう」と思い立ちその日のセッションが終わると同時に、木枠にキャンバスを張り、絵を描き始めていました。ちずちゃんのためは、もちろんだけど娘に先立たれてしまったご家族とりわけ、最後まで看病されたお母さまの悲しみは誰よりも深いだろうと思うと、胸が痛く、「あなた方の娘さんは、こんなにみんなに愛されていましたよ。彼女を生んで、育てて、見守ってくださってありがとうございます」という気持ちを、ちずちゃんのご両親と弟さんにお伝えしたいなという思いが、日ごとに強くなったこともありました。お別れ会の前日まで、セッションが入っていたこともありほとんど時間はなく、また、このところの感情的な揺れや疲れで免疫や体力は落ちていたのですがこれを描いている間は、心はとても穏やかで絵を描きつつ、ちずちゃんにあれこれと語りかけてこれまでの人生で、一番、ちずちゃんを近くに感じた時間だったのかもしれません。そして、お別れ会の当日の朝、出来上がった絵。たくさんの天使たちも一緒にお見送り。ちずちゃんを囲んで、みんなで8人。ちずちゃんの思い出を語ったり、笑ったり、泣いたり。そして、おさむがちずちゃんを見送るためにクリスタルボールやギターでサウンドヒーリングを行いました。演奏が終わった後「今、ちずちゃんここに来てましたよね。」とある一人が言うと「私も感じた~」とまた別の一人。私は、サウンドヒーリングの時、ちずちゃんの声が聞こえてきて幾つかのメッセージをもらいました。(どんなメッセージをもらったかは、内緒)これは、父が亡くなった時もそうだったけど亡くなって49日までぐらいはとても身近にその人の存在やエネルギーを感じるものなのですね。さて、今日、みんなで写った写真と絵の写真を弟さんに送ったらこの絵を「心がすっと癒され、姉が優しく空で見守ってくれてる気持ちになりますね。」と気に入ってくださってまた、「姉を失った悲しみは ずっと変わらないのですが、メールや写真を頂き姉はこんなに素敵な方達と出会えて、とても幸せな人生だったんだなって改めて思いました」と伝えてくださって、それを読んで弟さんのお姉さんを想う気持ちに、また涙。そして、この絵はちずちゃんのお母さんにお送りすることになりそれもまた私にとって嬉しいことでした。本当に、多くの人に愛されて、惜しまれて旅立ったちずちゃんはとても幸せな人生だったのだなあと。ちずちゃんメッセージしっかり受け取ったよ。天国で見守っていてねさて、今回、ちずちゃんが亡くなったことを知った後すぐには自己ヒーリングすることなく悲しみや喪失感、虚しさや後悔などを感じながらひたすら泣いたり、問いかけたりしていたのですが4日目になって、泣きすぎて、免疫が弱り、疲労してきたこともありこれでは人へのセッションはできないので初めて筋反射を使って、自己ヒーリングをしました。そこで、私の身体からのメッセージとしてスキャンリストから選ばれた言葉は、思いがけず「同志、仲間、ソウルメイト」「プレアデス遺伝」「アルクトゥールズ遺伝』「使命を果たせないことへの恐れ」という言葉でした。ちずちゃんと、前世での繋がりがあることはお互いにわかっていたもののそれを解除することはやったことはありませんでした。今回、出てきたのは、ちずちゃんとの2回の前世であり、2回とも使命感を持って人にヒーリングをやっていた仲間でした。あ~そうか、私はちずちゃんを友人としてだけでなく無意識レベルでは、同じ意識を持ったヒーリングの同志だと感じていたのだということにこの時、改めて気付いたわけです。だから、彼女がこの世を去ってしまったと知った時その喪失感が半端なかったのだと。おさむが「俺もちずちゃんが亡くなって悲しかったけどのりこが、そこまで’ショックを受けるとは想像していなかった」と言っていたのですが確かに、私とちずちゃんは、長い間の親友でもないし頻繁に’連絡を取り合っていた友人でもないのだけど彼女が亡くなったと聞いた瞬間、何かとてつもなく大きな喪失感を感じて崩れてしまったのは友人というだけでは言い表せないぐらいレベルでの深いつながり感があったからなのだなあと。そして、今回、改めて「使命感」が私たちのDNAに深く刻まれていることを感じました。弟さんのお話によると、ちずちゃんは「もし、ガンが治ったら、世界中のガンの人たちに寄り添うような仕事をしたい」「このサロンをどんな病気でも癒せるサロンにしたい」と語っていたそうですがそれはまさに、将来みんなの役に立つために自分の病気の経験を役立てたいという使命感。その無意識レベルでの使命感が強かったから人が自分のために悲しむ姿を見たくはなかったのだろうしだからこそ、今、自分が感じている不安や恐れを抑える強さがあったのだろうなあと。使命感に関して、これまでいろんな人のセッションをやってきた中で、いろんな気づきがありました。例えば、環境運動や、恵まれない子供達を救う活動や動物を救う活動など、使命感を持って、それを全力で取り込むあまりに自分自身の生活の豊かさや、パートナーシップを犠牲にしてしまっていたりまたは、結果的に身体を壊してしまう人たちに対してはその方の身体は、ハイヤーセルフは、目標達成型思考や使命感を手放し今の自分にとっての心地よさや喜びを追求するということを求めてくるのですが一方で、ただ目先の楽なことや、刺激的な楽しみだけを追求していると身体は「自分の役割(使命)を知って、今すぐそれに取り組んでゆく」ことを求めてくるわけです。「~~をやらなければ」という使命感は必要ないけど、それぞれの使命はあるという感じなのだなあと。だから、それぞれの使命(役割)を、遊びつつ、楽しみつつやって行くそのやり方も方法も、人それぞれ千差万別。もちろん、やっていることが、自分の喜びでなければ何の意味もないのですが、いくら喜びであってもそれをやりすぎてしまうと、身体に負担がかかるのは必須のこと。この使命と、個人の心地よさや身体とのバランスはここ何年も私の中のテーマだったのですがそのことを、ちずちゃんは、身を持って私に知らせてくれたように感じます。そして、私にとっては、おさむという存在が使命で突っ走ってしまうのを引き止める命綱の役割を果たしてくれていることも改めて気づきました。今回の一連のことの中でもそうなのですがおさむは「のりこが、そこまでやらなくていいんだよ」とか誰かのために何かを一生懸命やっていたりすると「また、そんなことやってる」などと冷ややかに言ったりするのでそういったおさむの言動に対して「なんと冷たい、クールな人なのかしら」と思うことがあったのだけどそうではなくて、私が使命感から、やりすぎて突っ走り、身体を壊してしまうのを彼なりにケアして、何とか止めようとした結果そういう言葉として出てきていたのだということに初めて気づいたのでした。「のりこは、毎日、火事場の馬鹿力を出している感じなんだよね。全力でヒーリングをやったかと思うと、全力で絵を描いていたり常に24時間、全力疾走なんだよ」ヒーリングをするのが3度の飯より好きで、興味が尽きなくてそして、また、多くの人がセッションを受けたいと連絡してきてくれる。そのことは幸せすぎるぐらい幸せなのだけど一方で、確かに、誰がどう見ても、やりすぎであることは間違いない。そして、とてもまずいことに、ここ最近残っているプレアデス遺伝、アルクトゥールズ遺伝の性質がさらに大きくなって、これまでの人生の中で使命感が半端ないぐらい強くなっていること。(とても役立たずゲームを推進してきた私とは思えない)さらに、私自身の宇宙系遺伝の調整が進むにつれて松果体がどんどん活性化し、第6チャクラが異常とも言えるレベルで開いてきてメールを受け取っただけでも、その人のエネルギーが流れてきて状況が観えてきてしまうから、つい無理してでも引き受けたくなってしまうしまたセッションをやっていても、ここを調整しないでいるとどうなるかも見えてくるからつい、長時間になってしまう。たまたま、ちずちゃんが亡くなる直前に読んだ本でトムケニオン著の「アルクトゥルズから地球人へ」という本があるのですが(この本の内容は、とても興味深いので、また今度ご紹介したいですが)その中で、「今という時点でのアルクトゥルス人のジレンマを要約すれば、それは根本的な問いに基づいています。その問いとは、どうすれば、自分の心をないがしろにすることなく使命に忠実になれるかそして、どうすれば使命をないがしろにせず自分の心に忠実にあれるかということです」というくだりがありました。5次元以上の存在であるアルクトゥルズ人が使命と自分の心のバランスが取れないのだから3次元~4次元世界にいる私たちが、バランス取って行くのはさらに難しいわけで、多分、そこをどうやっていくのかはハートチャクラ(の感覚)で、バランスを取っていくしかないのだろうなあと。そして、私が、かつてないぐらいの使命感を持って取り組んでいる宇宙系遺伝。それに関しても、ここ最近、大きな進展と気づきがありそれに、この本に書かれてある内容ともリンクしていました。そのお話はまた~。
2018年05月25日
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先日、大切な友人、ちずちゃんが、この世を旅立ちました。享年47歳の若さでした。私も、そして他のちずちゃんの友人たちも、彼女が乳がんだったことも今年1月から入院していたことも、何も知らされていなかったので突然のお知らせに、頭を殴られたかのようなショックですぐには受け入れることができずどうして、なぜ?と行き場のない悲しみでわんわん泣いたりぐるぐる考えてみたりして、丸2日過ごし今、ようやく少し落ち着いてきたところです。(たった丸2日間が、もう何ヶ月経ったかのように感じるのだけど)虫の知らせだったのか、たまたまそのお知らせを受け取った次の日から3日間私は連休を取っていたのが幸いでした。バリから戻ってから、ずっとセッション続きだったこともあり久々に休みを取って、ゆっくりして、余裕があればスキャンリストの修正や6月のクラスの準備もするための休みだったのですがおかげで、この3日間に私自身の気持ちの整理を少しずつやることができています。(というより、ひたすら号泣しているだけなのだけど)一体、何がどうなってそんなことになってしまったのか?最初は混乱する中で弟さんとのメールのやり取りでわかったのは彼女が体調を崩したのは、2年前でしたが、原因不明の骨折ということでそれから調べたら、乳がんが見つかったとのこと。見つかった時には、すでに骨転移していて多発骨折を起こしていたこと。彼女は、大切な友人を悲しませたくない、と家族以外の誰にも、本当の病名は話さないと固く決めていたのだそう。今年になって、入院して、余命半年から1年と医者から宣告されて弟さんとお母さんが「本当に誰にも伝えなくていいの?』と何度も聞いたそうですが、頑として拒んでいたとのことでした。「お悔やみ申し上げます」という言葉の意味が、今回、初めてわかったような気がします。これまで私は、起こったことを後悔したり、悔やんだりする性質ではないし父が亡くなった時も、長年の闘病生活から解放されたことも含め心の準備もできていたので決して悔やむことはなかったけどちずちゃんのことは、こうすればよかったのではないかあれがいけなかったんじゃないかなどと、あれこれと悔やんだり、もし~~だったら~~だったかも知れないのになどとついつい考えてしまうのですね。ああ、それにしても、いつかあの世で、ちずちゃんに会ったなら思いっきり、文句を言いたい。どうして何も話してくれなかったの?そういうところが水くさいのよ。どうして、肝心な時に、頼ってくれなかったの?ガンだと分かっていたら、もっとやれることがあったかもしれないのに。ガンのためのモジュールが効くかもしれないしその他の方法だって、あれこれ研究してきたんだよ。もちろん、それをやって、治るとか治らないかはわからないけど試してみることぐらいやってもいいじゃない。私だけじゃなく、周りの人たちに、自分がガンだと伝えることで治療や癒しに有効な情報が入ってきたかもしれないでしょ?世の中、末期ガンから生還した人なんて、山ほどいるんだからちずちゃんに合う方法が見つかったかもしれないじゃない?いや、何よりもどうして、一人で問題を抱え込もうとするのよ。どんだけの思いで、それを言わずにいられるのよ。家族以外の誰にも何も言わずに逝ってしまうなんて、悲しすぎるよ。そう文句を言ったら、ちずちゃんは、なんと答えるのかしら。「いや~、このまま治ると思っていたんだよね~だから、みんなには、治ってから話そうと思ってたのよ」なんて、笑って言うのかしら。私とおさむが彼女に最後に会ったのは、去年の10月、長野でのクラスの前のことで一度、東京で会って食事したのですがその時は、少し痩せて顔色は決してよくなかったけどそれでも、楽しくお酒も飲んでいてそれから1か月後の11月には、マッサージの仕事に復帰したとのことでよかったなあと思っていたのですが今年の1月に再び倒れ、救急車で運ばれて、そのまま入院して4月に容体が悪化したとのことでした。もし、ガンだとわかっていたなら、絶対に仕事への復帰はやめた方がいいと伝えていたのに。マッサージは、人のエネルギーに直接触れるお仕事なので病気でエネルギーフィールドが弱っている状態ではリスクが大きすぎるから。悔やんでも、もうあちらの世界に旅立ってしまったちずちゃんに文句を言っても、何も変わらないこともよくわかっているけど。ただただ、悲しい。こういう時に、スピ系のポジティブな理屈は何の役にも立たない。以前、ちずちゃんと「のりこさんとは前世からのつながりみたいですよ」なんて、話していたけど、例え、また来世で会うまでの短い間の別れだったとしてもある次元では、何も変わらずつながっていたとしても肉体を持ったちずちゃんとしては、もう会うことができないのだから。「イヤ~ん」と、ちょっとはにかんだように話す仕草も不自然なくらい、ゆったりと優雅な歩き方も「それって~~じゃな~い?」とケラケラと笑う笑顔ももう二度と見れないのかと思うと、本当に寂しい。(この文をアップしながら、すべてのものは変化してゆくのだからもう二度と見れないものばかりなのだという真実も同時に感じているのだけど)弟さんによると、ちずちゃんから家族への手紙が出てきたそうでその中で「自由にやりたいことができたので、人生に悔いはない」と書かれてあったのだそう。ちずちゃんらしい、潔さだなあと。でも、弟さんは「私はそうは思いません。親しい友人に話をしないまま旅立ってしまったことに後悔しているんじゃないかと思います」と書かれてありました。どんなに人に心配かけたってどんなに人を悲しませたってどんなに人に迷惑をかけたってそれでも、分かち合って欲しかったしできるなら、1日でも長く生きて欲しかった。そのために、少しでも私たちができることをしたかった。エネルギーを送り、祈ることさえもできなかったよ。もし反対の立場だったら、きっと、ちずちゃんも同じように思うんじゃないかと思うよ。なのに、自分はひっそりと逝ってしまおうなんて、ひどいよ、ちずちゃん。彼女の、何よりも人の気持ちや幸せを思う優しさと一度決めたら、頑として伝えないという強い意志の力と弱さや愚痴を言わずに、自分の力で何とかするという自立心とプライドといざとなったら、きっぱり諦めるという潔さとどれも、ちずちゃんらしいけどその性質がこういう運命に導いたというのかそれともそういう運命だから、そういう性質に生まれたのか。ちずちゃんは、いつか私のことを侍ヒーラーって言ってたけど侍は私じゃなくて、ちずちゃんだったよ。私は侍になるのは、セッションの中だけだけどちずちゃんは、生き方そのものが侍なんだよね。女性は人に甘えて、わがままに、楽して生きるのよって、以前、何度も言ったのに、最後までわかってくれなかったんだから。ガンは自分の細胞を壊す病気だから、ガンになったなら、ひたすら自分に優しく人に甘えなきゃいけないんだって、ちずちゃん知ってたよね?なのに、どうしてだよ~~。ちずちゃんが、私のセッションを最後に受けたのは、もう3年ぐらい前なので私の宇宙系遺伝の調整は一度も受けたことなかったのだけどあ〜こんなことなら、無理やりでも人のために尽くす、自分より人の気持ちや幸せを第一にしてしまう金星遺伝や自分は大丈夫〜と弱さを出さないシリウス遺伝の調整やっとけばよかったわ。と、そんな問題ではないことも、よ〜くわかっているのだけどね。そして、どんなちずちゃんだったとしてもちずちゃんとの出会いは、私の人生の中でかけがえがない宝物であることは間違いないよ。私は知り合ってから、それほど長い年月ではないけどその人生において、たくさんの人たちに、素敵な影響を与えてきたね。ちずちゃんのこと、絶対に忘れないという人たちがたくさんいるよ。たくさんの人たちが、ちずちゃんから愛を受け取りそして愛を送っているよ。本当にありがとう。この世に生まれてくれて、出会ってくれて、つながってくれてありがとう。どうか安らかに天に宇宙に戻られますように。いつかどこかでまた会える時まで魂の友人、ちずちゃんへ こうしてお手紙を書くと、また気持ちが少し落ち着いてきます。読んでくださった方々、ありがとうございます。来週24日に、ブルックリンの自宅でニューヨークでちずちゃんと親交のあった8、9名が集まってちずちゃんの旅立ちを祈る追悼の会を開くことになりました。「友人を悲しませたくない」という、ちずちゃんの最後までの強い願いに応えてちずちゃんとの思い出を語りつつ(文句も言いつつ)酒を飲んで、楽しい会にしたいなあと。おさむは、ちずちゃんの旅立ちのためのサウンドヒーリングをやる予定です。弟さんが「姉は、本当は寂しがり屋なので、追悼の会を開いてもらうこととても喜んでいると思います」と言ってくださったけどそう寂しがり屋なのに、大丈夫なふりして、全く素直じゃないんだよね。弟さんによると、ちずちゃんは、入院中何度もハワイにまた行きたい、今度はお母さんを連れて行きたい、と伝えていたそう。弟さんは、いつかハワイでちずちゃんの骨を散骨したいとのことでした。もしも、私たちもそのタイミングで、ハワイに行けたならハワイ島でのちずちゃんとの思い出の場所に行きたいと思っています。ちずちゃんとの思い出は尽きないけどこれは3年前、ハワイ島で最高に楽しかったビーチでの写真。左側から、おさむ、かずよちゃん、私、ちずちゃん。キューピットみたいな男の子と遊ぶ、女神様のようなちずちゃん。あ~写真見てると、また涙止まらなくなる。
2018年05月18日
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人の価値観や意識は、本当に多種多様だなあと日々、セッションをしながら感じています。これは、お国柄というか、国ごとにも違うし例え、同じ日本人でも、その人が住んでいる場所や仕事によっても違うしまた年代によっても違うしまた男性と女性では違うしまた、その人が育ってきた環境によっても違うしその人の遺伝的な性質や脳の活性具合によっても違ってくるわけでそういった様々な要因が、多種多様な意識や価値観を生み出していくわけですね。そういう意味では、世界に自分の全く同じ価値感や意識を持った人はいないわけです。ですから、私にとっては、その人がどんな価値観を持っているか、というのはよくわからないわけでキネシオロジーのセッションでは、その方の身体に聞きながらまたは直接、話を伺いながら、その人にとって、もう不要になった信念体系や価値観が出てくればそれを書き換えたり、手放すための調整を行っているわけです。先日、日本からお越しになった方で、セッションをやっていて「ちゃんとした経験を積まなければ、不十分」と言うのが出てきたので「ちゃんとした経験って何?』と尋ねると「ちゃんとした会社に入って、ちゃんと働いて、経験を積むことです」と言う答えが返ってきました。「それじゃあ、例えば、世界中を旅して、いろんな人と触れ合っていろんな経験をしている人は、ちゃんとした経験を積んでない人?』と尋ねてみると「う~ん、そういうことになってしまいますね~」と、うなっていました。若い方ですが、その方にとっては、これまで周りの人たちがそういう「ちゃんとした」経験を積んでいる方が多かったのでしょう。その価値観が悪いということではなくその価値観を持つことになった要因というのが必ずありそれが紐解かれていくと、また違った世界が広がってくるわけです。一方、私にように海外に長い間、暮らしているとそういった価値観のようなものは、かなりなくなってきてまた、様々な人たちと出会ったこともありさらに、こう言った仕事をしているせいもあってもはや、何でもありの世界なので(宇宙人たちも含め)何がちゃんとしているかなんて、これまで一度も考えたことがなかったわけです。例えば、昨日のブログをアップしてから、何人かの方に「びっくりしました」「やっぱりのりこさんは、普通の人じゃないです」などメールや直接、お言葉を頂いたのですがびっくりされたのは、私が不法滞在だったことなのか?それとも契約結婚だったことなのか?それとも結婚記念日を祝ったことがなかったことなのか?(これは違うか)よくわからなかったものの確かに、もし、そういった人や事例が、周りにあまりいなければ私の話していることが、びっくりすることなのかもしれないなあと。例えば、不法滞在ということ一つにとっても、たぶん、日本にずっと暮らしている人とニューヨークに長年暮らしている人とでは、印象が違うのは当たり前で特にニューヨークは、世界各国いろんな人が集まっていて例えば、南米方面からの不法労働者やステータスがしっかりしてない人なんてまあ、それほど珍しくもないわけです。今はかなり減っていると思いますが、私が最初にニューヨークに来た頃は日本人でもそういう人はたくさんいました。ちなみに、ここ最近、トランプ大統領が就任してから不法移民を国外退去させるという方針を出しましたが不法移民はニューヨークやサンフランシスコなどの都会ではレストランや店やエンターテイメントを支えていることもありニューヨークの市長が、断固反対する、不法移民を守る、と発表し論議が盛んになりました。これからまた、時代の変化とともに、いろいろと移り変わってゆくのでしょうね。私が昔、不法滞在だった頃に、ニューヨーク市を相手取って、訴えを起こした話はたぶん、このブログでも書いたと思うのですが不法滞在なのに市を相手に訴えを起こすなんてまず間違いなく、日本だとありえない話でこういうことがあるのも、アメリカの面白さでもあったわけです。ちなみに、これも私が訴えようとして、そうなったわけではなくなぜか、そういう流れとなりその経緯というのが(これも以前、ブログで書いたと思うのですが)交通事故でした。あ、またその経緯を話したくなってしまったので時間延長で、話を脱線して、話しちゃうけどこれは、もうおさむと出会う前のことなのですがある夜、友人と二人でバイトから戻る時にタクシーを拾おうとしていると向こう側の車線にいた1台のタクシーが、私たちに気づき、急に車線を横切って私たちの方に向かってきたのですがちょうど、こちら側を猛スピードで走ってきた一台の車と衝突しその車は、大きくずれて、私たち二人をはねて、そのまま走り去ってしまいました。いわゆる、ひき逃げ事故に遭ったわけです。私は、空中をぶっ飛んで、地面に叩きつけられたのですが前歯を4本折って、肩や首などがむち打ち状態になって3か月間ぐらいは、全く動けず、その間友人たちに助けてもらいながら、生活していました。さて、その頃の私の友人の中に、ニューヨークで警察署長をしていたアメリカ人のボブという人がいました。ボブは、いかにも、ボブという名前にふさわしくでっぷりと太って、サンタクロースみたいなヒゲを生やしていて人がよくて、優しい人だったのでこの人が警察署長だなんて、信じられないなあ、と思っていたのですが彼をよく知っている人の話によれば、ボブは仕事場では、かなり厳しくて権威のある人だったようで、人って、知り合う場によって全く違う印象を持つものだなあと、思ったことを覚えています。で、そのボブが、私が交通事故にあったと聞いて病院にお見舞いにきてくれたのですが、私を見るなり「のりこ、ニューヨーク市を相手取って、訴えを起こした方がいいよ僕が成功報酬でやってくれる弁護士を紹介してあげるから」と言うわけです。もちろん、以前からボブには、私がビザなしであることも伝えていたのでそのことは、彼は知っていましたが「ニューヨークは、イリーガル(不法滞在)でも、個人の人権に関わることは守れているから、訴えることができるんだよ」というのですね。そんなことは当時、私も知らなかったので本当、ここは日本の常識とは違うんだなあ、とびっくりしたことを覚えています。ということで、ボブに弁護士を紹介してもらってもともと、市のタクシーが大きく車線を変更したために車にぶつかったことで、事故が起きたので市に対して訴えを起こしたわけです。今から思えば、不法滞在の日本の女の子とニューヨークの警察署長が友達だったと言うのも面白い話ですが彼とはごく普通の友人関係で、たまにカフェでお茶飲みながら雑談する程度のお付き合いだったのですが当時の私にとっては、特にそれも不思議とも思ってなくてごく普通のことだったんですよね。これは日本にいた頃からですが、私は昔から普通なら絶対に知り合わないような仕事や年代の人たちと友人になることが多くそれが、多種多様な価値観や考えを知ることやそれを受け入れるという、今の私の意識に影響しているのだろうなあと今更ながら思うわけです。ちなみに、その裁判は、結果的には、3年かかったのですが市との話し合いの結果、示談ということになり私たちが訴えを取り下げる変わりに、私の歯の治療にかかった3万ドルとその他の医療費を市が負担することで、決着がついたわけです。ボブがそういう提案をしてくれなければそう言った考えは私には全くなかったし私にとっては、当時、3万ドルの歯の治療代は、払えなかったので本当にラッキーなことだったなあと。ボブは、その後、定年退職をして、アメリカを離れヨーロッパに移住してしまってそれ以来、連絡も取れなくなってしまったのでもう、今生では会えないかもだけどもしも、どこかで会ったら、もう一度、お礼を言いたいな~と。あの時、助けてくれたお礼、というのもあるけど私のそれまで持っていた価値観や認識を変え(それまでは、警察に対しても悪い印象しかなかったので)いろんな可能性を広げてくれたことへのお礼。いつか、あの世で会ったら、また笑って話せるかしら。なんて、今、私がこうしてボブのことを思い出すだけでどこかエネルギーで伝わっているような気がしているんですけどね。そして、ボブだけでなく、これまで私と出会った人たち全員が今の私の意識に影響しているのだなあと。もちろん、私も、他の人にとっては、映画の脇役のように登場しているわけで、その人にとって、私が何かの意識の変化につながっていることもあるでしょう。私たちの意識やエネルギーは、無意識の世界で様々な影響を与え合っていますから。そして、これから私と出会う様々な人たちによってこれからの私の価値観や意識もまた変化していくのだなあと。ということで、こんな昔の私の思い出話なんて、書いてもな~と途中で思いつつ、内容うんぬんではなく、これを読んでくれている方の中に何らかのエネルギーが伝わって、何らかの意識が変化することもあるかもしれない、な~んて、これまた適当な理屈をつけつつだらだらと思いつくまま、書いてしまった私ですさて、明日から1週間、ニューメキシコへ行ってきます~。今回で、4度目のニューメキシコ。明日はサンタフェです。って、まだ荷物の準備ができてないのだった~~
2018年01月23日
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今日も寝る前30分タイマーで、行ってみま~す。これをやってみてわかったのはスタートして、ダダダ~とタイプを打ち続けていても30分では、やはりそれほど多くはアップできないということ。私のタイピングが遅いせいもあるのですが。でも、これがいいのは、その時間内で終わらせてアップするという勢いがあるので、途中まで書いたものが、お蔵入りしないんですよね。自分にちょっとしたプレッシャーをかけるのって結構、楽しいことだなあと。と、どうしても30分は超えてしまうので50分までは良しとしよう、などとルールを簡単に変更するので全然、プレッシャーになってないわけなんですがさて、ここ最近、何人かのクライアントさんから出てきた問題として「刺激を求めて、あれこれやりすぎる」または「今の自分に不要なことをする」というのがありました。この刺激を求める、というのは「不十分感」「渇望」「満たされない」というオリオン的な気質から来ていることが多く(他は、好奇心の強いアルクトゥールスなどの影響もありますが)そういう方は、今の自分が満たされないので、それを埋めようと外に刺激を求めてしまいます。特に他の人がよかったよ~といえば、自分もやりたくなったり周りのみんながやっているのに影響されてやったり。例えば、様々なヒーリングのクラスを受けているのに結局、どれも使いこなせていない、という方がいるのですがそういう方は、ひとつのメソッドを学んでから十分にそれを実践していないうちにまた他の人が推薦したメソッドがいいように見えて今度はそれを学ばないと不十分な気がして、次々とクラスを受けているわけですね。これは以前、書いたことですが、ヒーリングを学ぶというのは絵を描くための道具を頂くようなもの。なので、ヒーリングを学び始めに、次々とヒーリングのクラスを受けるというのは例えて言うなら、絵を学び始めたばかりの時にアクリル絵の具とクレヨンと水彩絵の具と油絵の具と色鉛筆とポスターカラーを一気に揃えるようなものでひとつの道具を使いこなしてないので、それをどう組み合わせていいかもわからないし、道具だけで一杯一杯になって結局、使いこなせずに終わってしまうわけです。いくら素敵な絵の具をあれこれ揃えたって、絵を描かなきゃ意味ないし反対に人によっては、鉛筆一つだって、様々な作品を生み出すわけで絵の具の種類や数ではないように、ヒ−リングも全く同じで外に刺激を求めている限り、自分の内なるクリエイティビティは発揮できないのです。情報や技術のインプットばかりで、アウトプットしてない人がとても多いなあと。私が最初に本間キネシのクラスを受けた時に本間先生が、確か「1000回セッションをやったら、キネシが見えてくるよ」みたいなことを言われていてああ、そんなものか、と思い、それからすぐに、本間キネシを使ってひたすらセッションを行ったのですが、3か月も経たずに「ああ、この経絡の調整だけでは、対応できない問題が多すぎる」と気づき、そこから、自分なりの試行錯誤が始まったわけです。本間先生はまた「一つのメソッドを学んで、その方法で何ができるのかまた何ができないのかの限界を知ることも大切」と言われていたのですが徹底的に実践してみなければ、この方法で何ができないのか?はわからないんですよね。そして、自分なりにクリエイトしつつ、本間キネシをベースに1年間やった後IHのクラスを受けたのですが、今度はひたすらIHのやり方に忠実にセッションを行って確か、3000回以上、IHのセッションを行った後にマチルダから国際ディプロマの資格試験を受けたわけですがその頃は、IHのプロセスやアファメーションは一言一句、完全に私の身体と脳に叩き込まれていてまたそのプロセス通りに行わなかった場合は、どういうなるのかまた、そのプロセスをさらに発展させるためには、何が必要なのかなども少しずつわかってきた頃でした。そして、それから、IHとは違った自分なりの方法やアイデアなどを実践したり、クリエイトしていく中で、今の多次元キネシにつながって行ったわけです。ですから、これから、ヒーリングを学ぼうとする方々にアドバイスするとしたら一度にあれこれとクラスを受けたりせずにどんな方法でもいいけど、自分にとってピンとくるメソッドに出会ったらそれを使って、まずは学んだ通りに実践してみること。そうして、ある程度、流れやコツが掴んでくればそのメソッドを超えて、自分なりに実験してみたり、クリエイトしていくこと。そうしているうちに、次に自分は何を学ぶことが必要なのかが見えてきます。その時点で、次のメソッドを学ぶと、それが本当に生かされてくるししっかりと活用できるのです。決して、周りの人も学んでいるから、とか、あのセラピストも学んでいるからなどという理由でやるのではなく例え、周りの誰がやっていなくてもやってみたい、と思えるようなものを学ぶことです。(だからと言って、特別なものや新しいものを学ぶ、ということではなく)私のブログの情報も、あくまでも、その時の私にとっては良かったということで、すべての人に必要なわけではないですから。と、もちろん、これも私の経験でしかないわけなので本当はそういうアドバイスなんて意味がないわけだけどたまたま、ここ最近、クライアントさんで、周りの情報に踊らされて自分の方向性を見失ってしまった方が、立て続けに来られたこともあって改めて書いたみているわけなんですが。例えば、私の多次元キネシのクラスを受けられた方々も人それぞれ、活用の仕方は無限にあるんですよね。ああ、この人は美容に詳しいからキネシと美容を組み合わせて、独自のヒーリングができそうとか、この方は、話が上手いから、キネシ+カウンセリングがぴったり、とかこの人は食に詳しいから、キネシ+食、で新たな境地を開いて行けそう、とかこの人は、サイキック的だから、キネシ+リーディングが生かされるなあなどということは、その人を見ているだけでも、何となく観えてくるわけですが当の本人は、いつも外に刺激を求めているので、自分の方向性がわかっておらず例えば、私が学んだこと全て同じことを学ばなければ、と思われていたりするので自分では自分の特性や才能って、気づきにくいものなのだなあと。「のりこがいろいろ情報をアップするから、惑わせてしまうんだよ」と、今日、おさむからの忠告もあり、深く反省していますそして、クリエイトは無限大なので例えば、カードリーディングが得意な人が多次元キネシを学ばれたとしてそれをどう組み合わせるかは、いろんな可能性が考えられます。例えば、最初にクラスの中で学んだプロセスでセッションをやってセッションの最後に、これからの方向性として、カードを選び、リーディングするというやり方もあれば、逆に最初にカードリーディングを行いその方向性やメッセージが、これからスムーズに行くために必要なことに関してキネシを行う、というやり方もあるし、そのやり方も配分も自由なので思いつくまま、どんどん実験的にやってみると、自分にとってピッタリするやり方が見えてくるわけです。ヒーリングの場合は、学ぶより、むしろセッションを受けた方がヒーリング能力はずっと伸びるのですが、それも外からの刺激ではなくて内側を変えることで、本来のクリエイティビティを取り戻すということなのです。そして、実際、これはヒーリングの話だけではなくてクライアントさんのセッションでよく上がってくる問題として外に刺激を求めているために、周りの情報に翻弄されて今の自分にとって、不要なことばかりやってしまっていて本当に自分にとって、必要なプロセスがいつまで経ってもスタートできていない人は多いなあと。人それぞれ、様々な個性やユニークさを持っていますからどんな人でも、自分の内なるクリエイティビティを発揮することは可能なのです。あ~やっぱり、オリオン気質って、人間の持つ渇望と不十分感の大元だな~。
2018年01月13日
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今年も残すところ、あと2日。一昨日は、私たちの家で、友人や私のクラスを受けてくださった方々、計12人で忘年会をしました。とても楽しかった~。みんなそれぞれ、つまみや料理やワインを持ってきてもらったのでたくさんの食事が並びました。こういう持ち寄りのパーティは、気楽でいいですね。 昔は、これよりもっと多い人数でも、すべての料理を私が用意してパーティをやっていたので、今から思うとがんばっていたのだなあと。みんなに喜んでもらうのが嬉しくて、それはそれで楽しかったのですが今は、こうしてみんなに持ってきてもらえば、全くがんばらずにさらにバライティに飛んだ料理が楽しめるので最近の家飲みは、ほとんど持ち寄りスタイルとなりました。しかも、今回、私はサラダとスモークサーモンを盛り付けただけであとの料理はおさむがやってくれたので、さらに楽ちん。おさむは、今回は、寿司ロールやエビのグリルやポテト料理などを作ってくれましたが、最近、料理するのがさらに楽しくなっているそうでさらに腕を上げているので、昔とは逆転した感じでますます、私は料理をしない人になってます一昨日は、いつの間にか、私もけっこう、酔っ払っていたんですが何人か古くからのメンバーに「のりこさんが変わった~。今日は一度も、のりこさんから、飲め飲め、って言われなかった」と言われました。全く意識していなかったですが、言われてみて「ああ、確かに~。前はそんなことよく言ってたな~」と。以前は、みんながちゃんと飲まないと気がすまないというか、それは、昔の大学時代のコンパのノリなのかそれとも、みんなが酔っ払えば、自分が酔っぱらって失態を犯しても許されるからなのかよくわかりませんが(多分、両方)それにしても、面白いことに以前の自分の感じ方や性質の方が、嘘みたいに感じるんですよね。と言っても、変わらない部分もあるわけで。一昨日も夜遅くなって、みんなが少しずつ帰った後いつもの飲み仲間のメンバーが最後の4人になってまたまた宇宙人の話で盛り上がり(一人、この分野に詳しい奴がいるのよね)忘年会が終わったのは、朝4時でした。飲むとキリがなくなるのは、いまだに変わらないですおさむも変化がすごくて、以前なら友人とみんなで飲んでいても、必ず「俺、先に帰るわ」と一人で帰ってしまうし家飲みの時は、いつの間にがベッドに行って寝てしまっているのですが今回は、みんなのお酒や料理の気配りをしつつ、朝4時まで付き合っていてしかも、いつの間にか、キッチンで片付けや洗い物をしてくれてしかも、それらをとても自然体でやっているのがすごい。何人かに「おさむさん顔が全然違う〜」と言われてました。つくづく、やさしくて丸い感じになったなあと感じます。ということで、2017年、振り返ってみると激動の年になりました。私は、その忘年会で、みんなに話していたのですが今年は、私の半世紀の人生の中で、間違いなく最も大変だった年でそして、最もがんばった年だったなあと。今年のハワイで、父が亡くなった直後にクンダリーニ症候群になるという予想もしていなかったことが起こり、身体のあらゆる機能が低下し体調を大きく崩しただけでなく、かつてないほど精神的なダメージがありそこからの回復のために、がんばらざるを得なかったわけですがそのおかげで、これまで一度も感じたことがなかった感覚を体験し今まで自分では実感したことがなかった宇宙系遺伝やエンティティなどのエネルギーまでも実感することができたし、そこから得たものは想像以上でした。私は、これまで、何があっても自分への信頼が失われた時はなかったしだから、例えば、事故や病気になったとしても不安とか恐れはなかったわけですがこの時の私は、自分がどうしたいのかがわからない感覚、とか漠然とした不安感や不信感の中にいました。今から思うと、多くの人たちは、あの感覚の中にいるということが、頭での理解ではなく、感じることができてその後からのクライアントさんへのセッションが、大きく変化しました。「自分の感覚を受け取れない人の感覚」「漠然とした不安感」なんて、クライアントさんとのセッションを通じて頭ではわかっていても、自分では一度も感じたことはなかったわけです。自分への信頼が失われた状態、というのはいわば、完全な闇の世界ですから逆に言えば、私は人生のほとんどを光の中で生きてきたということにも改めて気づいたし今回、闇と光が統合されてゆくプロセスを通じてこれまでの世界の見え方が大きく変わった感じがします。よくヒーラーを目指している方で「こんなに私自身に問題があるのに、人にヒーリングなんてやってもいいのかしら」などと言われる方がいますが私は「抱えている闇が深ければ深いほど、ヒーラーには向いてるよ」とお伝えしています。もちろん、闇の真っ只中にいる状態では、人へのヒーリングは苦しいものになりますが自分の闇が深いことを理解しているということが、すでにその人が深いところにアクセスできることを意味しているしその闇が光が統合されれば、他の人に対して行うヒーリングは計り知れないほどの恩恵をもたらすということ。そういう意味で、私はどちらかといえばヒーラーとしては向いてない、とずっと思ってきたのですが今年、ようやくヒーラーの第一歩を踏み出したのかも、なんてね。そうして、ハワイから戻ってから昼間は、クライアントさんへのセッションやクラスをやりながら夜は、自分自身の宇宙系遺伝の調整や研究のためにほぼ毎日、3時間以上の自己調整を約3か月間ぐらい続けたのですがそのプロセスが、今、私がやっている宇宙系遺伝の調整のやり方へと導いてくれてこの一連の体験がなければ、決してここまで来ることはできなかったということが、本当によくわかるし全ては起こるべくして起こっていることもう今は、ただただ感謝しかないです。ということで、2015年、16年、17年と3年連続で行ったハワイでのリトリートは2018年は一旦、お休みにして今回の冬はハワイリトリートは行わないことになりました。その理由の一つは、この宇宙系遺伝の調整が、今年ハワイへ行く前と後では大きく変わって、今のやり方は、あまりにも私が使うエネルギー量が大きいためセッションは1日2人までしかできないことが第一です。(理由の二つ目は、ハワイ以外の土地でリトリートをやってみたいということもあり)それが今後の課題でもあるわけですがまた必要ならきっと何かが見えてくるのでしょう。そして、今年行った多次元キネシオロジーのクラス。去年はベーシッククラスだけでしたが今年7月頃から、プラクティカルクラス(中級クラス)のプログラムを作成して10月には、プラクティカルクラスをニューヨークと長野で行うことがスタートすることができました。これも今年の大きな収穫の一つでした。特に長野のクラスは、これからのクラスのあり方も見えてきたし本当にやってよかったです。来年、さらに上級のクラスができるのかどうかも、まだわからないですがそれも、もしそれが必要なら、そうなるのでしょうし、すべては天にお任せですね。激動の2017年。出会ってくれた方々全てにそして、遠くから見守ってくれた方たがそして、繋がってくれた方々、すべてに感謝。ということで、今年は早めにバケーションを取ることにして忘年会の次の日、バタバタと支度をして今日の午後、私とおさむは、メキシコのコスメル島に到着しました。今年はこのコスメル島で年越しです。次回はこのコスメル島からアップしますね。
2017年12月29日
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ハロハロ~ みなさま、今年の夏はいかがお過ごしかしら? 光陰矢の如し 前回の日記からもう20日も経ったなんて 信じられないです。 ニューヨークもここ1週間ほど、夏らしく暑くなってきました。 とはいえ、夜は涼しくなるので、それほどでもないですが 私の好きなマルガリータやサングリアが美味しい季節は嬉しい この1週間、おさむは、マトリックス・エナジェティクスのリチャード博士の講座 HO:LO-SET を受けるために、マイアミに行っていて、今日の夜に帰ってきます。 私もこの講座に興味はあったのですが この講座の日程に、セッションの予約がずっと入っていたので タイミングではないか、私には必要ではないかだなあと行かなかったのですが この1週間、セッションや生活の中で、また新たな気づきもあり やっぱりベストのタイミングになっているなあと。 1週間、おさむが家にいないという経験は、これまでほとんどなかったので 昔の一人暮らしの時を思い出して、ちょっと新鮮でした。 昨日は、久々に料理をして (と言っても、食材を買いに行く暇がなかったので、 残り物整理になりましたが) ちょうど、たまたま、日本からセッションを受けに来られていたクライアントさんと 一緒に頂いて、楽しい時間を過ごしたのですが こんなことも、おさむがいたら、きっとやらなかっただろうなあと。 (なんで、俺のためには料理しないのだ〜と突っ込まれそうですが ) さて、毎日、おさむとフェイスタイムで話していますが クラスは何やらプロセスがとても難しいとのことで おさむの説明を聞いても、一体、どんなものなのかさっぱりわからないのですが 帰ってきてから、やってもらうのが楽しみです。 そのおさむとの話の中で、リチャード博士は相変わらず エネルギーが軽くて、抜けていたという話をしていたのですが この抜ける、というのは何から抜けているかというと いわば『人生は大変という意識』から 抜けているんだよね、ということで、これについて書いてみようかと。 この「人生は大変(困難)プログラム」と私が名付けているものは ほとんどの人が多かれすくなかれ持っている意識で 実際に今が大変な状況にいなくても、それが根底の意識にあれば 変化やチャレンジが苦手になるわけです。 また、何かのことで成功している人たちも 『困難を乗り越えて」成功した、と思っていれば 常に人生に困難がやってくるわけですね。 多くの人たちは、この困難を乗り越えて成功する、何かを達成するというのが好きなので まずは、潜在意識(マインド)としては、困難が必要となるわけですが 実は、困難の中にい続けることで 本当に自分の人生に必要な変化はやってこない仕組みになっているわけです。 この潜在意識レベルでの 「人生は大変なもの、そう甘くはない、厳しいものだ」という いわば脳が作り出した幻想から、どこまで抜けるかが 私たちが無限の可能性と喜びと自由な人生を生きるための キーであるのですが クライアントさんのセッションで気づくのは この「人生は大変」プログラムの中に真っ只中にいるのに そのことを認識して’いない つまり、自分が今感じているストレスを認識できない人、というのが ものすごく多いということです。 つまり、今、実際に(潜在意識が)持っているストレスは認識できないのに まだ起こっていない先のことへの不安やプレッシャーには弱いのです。 例えば「今の仕事に喜びを感じているわけではない だけど、お金が必要だし、今はやめることはできない(と感じている)が いつかは、自分の喜びとなる仕事をやりたい」 という状態がずっと続いている。。 などというのは、まさにこの「人生は大変プログラム」の中にいながら そのことを認識できていない状態と言えるわけです。 今、この瞬間に喜びとなることをやっていない、という感覚(ストレス)は (潜在意識下ではストレスになっていても) 頭では、それほど大きなストレスとして認識されておらず 「人生は大変」なものという前提なので、 新たな変化によってもたらされるリスクの方が大きく感じ 「変化の先には何が起こるかわからない」ので 「変化しても大丈夫」という確信がない限りは その状況に居続けることになります。 つまり、ずっと「満たされない今」が続くということなのです。 人によっては 「責任感」とか「将来のお金の不安」とか「今やめたら申し訳ない」 などという人生は大変プログラムの意識でいるために 身体やエネルギーが悲鳴をあげているにもかかわらず 自分にとってのストレスの状況に、居続けてしまっている方もいます。 また以前の仕事場より、今はマシだから、という比較で 今の満足しない状況にい続ける人もいるのですが そもそも、ストレスをきちんと認識できる人は ストレスの状況下に長く続けるようなことはないわけで 以前のストレスフルな仕事を頑張って続けていたことが 潜在意識下での「人生は大変」プログラムを助長し 前に進むことを妨げてしまっているわけです。 「いつか~~したい」 「いつか~~になったらいいな」 「昔のハードな仕事より、今の方がマシだから」 「仕事が何もないよりは、マシだから」 などという 一見、物事のいいところを見るというポジティブ思考というのは (自分が感じている)『最悪の状態へ』変化しないために 今の自分が感じている感覚(ストレス)を抑えて 頭で納得するためのものであって 本当の意味でのポジティブな選択ではないのですね。 ストレス、いわゆる「やりたくない」とか「心地よくない」とか 「楽しくない」というネガティブな感覚を認識することができないというのは 結果的に、今、本当に何がやりたいのかもわからなくなり いわゆる、意識が眠っている状態、と言えるわけです。 ネガティブ(闇)というのは「光が当たっていない場所」であって 意識が向けられていない場所、なのですが 実際、潜在意識のストレスを上手く認識できない人たちは ほとんど松果体のブロッキングを起こしているということが 最近わかってきました。 こう言った性質が どこから来ているかも、興味深いところなのですが これまでわかってきた中では、脳と遺伝(それに関わる前世的なエネルギー)と これまでの人生での環境からの影響があります。 例えば、宇宙遺伝で言えば、幾つかありますが、特にシリウス系遺伝があれば ストレス(ネガティブな感覚)をうまく認識できない性質になります。 ストレスがないわけではないのですが それに気づくことができないので 「これは~~のために必要だから」とか「今、これをやっておいた方が得だから」とか 「愚痴を言っても無駄だ」などと とすべてを頭で計算して、理屈づけて判断するため 自分がやりたいかやりたくないか、喜びか喜びでないかという感覚で 選択できないわけです。 これはある意味、ビジネスマインドとしては、悪くないのですが 幸せマインドにはならないわけで ストレスを認識できない人たちの脳を見てみると 幸せ感、満たされ感の脳内物質であるセロトニンも圧倒的に不足していることが多いです。 ちなみに(宇宙遺伝の話になると止まらなくなりそうですが)ニビル遺伝があれば、今のストレスは感じることができても先のことへの不安や心配が強いので、ストレスの状況下にあってもいつまでも変化できないという状況になりがちです。よく「ストレスに弱い」のは良くないことのように思われがちですが本当の問題は、ストレスに弱いことではなく責任や人からの評価や期待に対するプレッシャーに弱いことであって潜在的に感じているストレスは認識する必要があるのです。 また逆に「私は楽をしているわ~」という人たちの中にも この人生大変プログラムが作動していて 実際は 「チャレンジしない(変化しない)ことが楽な状態」だと勘違いしている ことがあります。「物事はそう甘くはない」「人生は大変なもの」と潜在的に感じているのでチャレンジ’したり、新たなことを始めないことが潜在意識の安全となっているので変化できないわけですね。 本当に、意識に人生大変プログラムがなければ いつか楽をしたい、という状態にもならないし 今は楽をしているから、という感覚もないし 常に今にいながら、変化し続ける状態になるのです。 ですから、今、これをやっておいた方がいいから、という目先の損得ではなく また楽でいたいから、という(困難を避ける意味での)損得ではなく 本当に自分が生きたい人生を生きるためには 今、潜在意識が感じているストレス(ネガティブな感覚)をきちんと認識する力と 根底にある「人生は困難なもの」という認識を変えることだなあと。 例えば「自分はまだまだ不十分」という感覚も 「〜〜の期待に添えなくて、申し訳ない」という感覚も「友人や周りが大変なので、何とか助けてあげたい」という気持ちも 「あの人にはわかってもらえない」という感覚も「男性には守ってもらえない」という思いも すべてベースには、この「人生は大変なもの」 という意識なのです。 そして、「ストレスを認識できない性質」も 「人生は大変プログラム」は 好むと好まざるに関わらず、無意識にある意識なので 頭や意志の力で変えることができるようなものではないんですよね〜。 かくゆう私自身も、そこは完全にそこから抜けたとは言えない状態で 自己ヒーリングを行うと いまだに「まだ「人生は大変」が(無意識レベルに)あるよ~」 と身体が伝えてくるわけです。 もちろん、自分の無意識がすべての現実を作っている ということを充分にわかっているので もし私自身に何が大変だと感じることがやってきたとしても 自分の内の声を聞けばその現実(のように見えるもの)はなくなっていくわけで いつもは「人生は大変なもの」とは感じていないわけです。(あ、今年のハワイでのクンダリーニ症候群の直後は、まさに私のこれまでの人生の中で、最も「人生は大変」と感じることになったわけですが) でも 例えば、セッションで「人生は困難なもの」という幻想に どっぷり浸かってしまっている(その意識が困難な現実を作っている) クライアントさんのエネルギーに触れると 「あ~、この方が、この幻想から抜けるのは、時間がかかりそうだなあ」 と、その幻想から抜けることができない大変な人々=人生は大変プログラムが 無意識に作動していたんですよね。 そこを紐解いていくと 今生でのサバイバルプログラムみたいなものは、もう出てこないのですが 神に捧げた前世だとか、指導者としての責任を負った前世だとか 遺伝的に受け継いだ性質などが出てくるので これはそれは、多分、まだ残っているプレアデス遺伝からのものではないかなあと。 ということで、今月中には、その調整を行う予定なのですがどうなることやら。 と、その前に、明後日から、夏のバケーションでおさむと5日間のショートトリップで メイン州にドライブに行ってきます~。 メイン州はロブスターなどが有名ですが、まだ行ったことがないので楽しみ。 みなさまどうぞ素敵な夏をお過ごしくださいね
2017年07月19日
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以前、大和田菜穂さんのことを書いた時もそうだったけど 自分の感覚や感想を率直に伝えたいという思いに素直になっていくと それが、何かへの批判やジャッジになってしまうのではないか?と いう恐れが出てくることがあって、そうなると何も書けなくなってしまうので ええ~~い、例え、そうなったとしてもいいや~っと、勢いでアップするか いつの間にか、スルーしてしまうかになるわけです。 どちらにしても、すべてのことは、幻想と言えるわけで 私が感じていることも、これを読んだ方が感じていることも 実態のないイリュージョンと言えるわけですから そういう観点では、何を書いてもいいわけですけどね。 とはいえ、別の次元で見れば、 ブログという不特定多数の人が読む性質上 基本的に個人名は出せないし、内容も事柄によっては書けないこともあるわけで そのあたりを上手くスルーしつつ、伝える必要も出てくるのですが 昨日、まさにその辺の私の潜在的な恐れが夢に出てきました。 夢の中で、私は闇の世界を知って、それをみんなに知らせようとしていてその闇の勢力のある人から 「このことをブログにアップしたら、明日にはあなたの身体は川に浮かんでいるだろう」 という、まるで火曜サスペンスのセリフのような脅しの言葉を言われて 「ひゃ~やっぱり、もう書けない~」とおののきながら、目が覚めました。 いや〜〜何を書いたとしても、川に流されることはないだろうとは思いますが 意外にそんな恐れがあったのね~と、我ながら笑えました。 昔はよく、肝が座っていると言われていましたが ここ近年、父の性質である臆病さと、母の性質である達観癖が 両極端に出てくるのを感じていて、今後のテーマになりそうです。 さて、今回のハワイで、最も私が感じたのは 他の人に全く左右されず、自分の感覚を受け取ることというのは 難しいことだなあということでした。 私のこれまでの人生では、あまりそういう風に感じたことはなくて 誰がなんと言おうと、やりたくないことはやらない というのは私にとっての人生の鉄則だったし 自分がどう感じているのか?は、常に意識してきたこともあって それがよくわからない人の感覚の方が、よくわからなかったわけです。 でも、先日お話ししたように リーダーとしての責任、ということに関わると 自然と自分の本来の感覚や女性性を抑圧していたり また、尊敬する人が話している内容やエネルギーに 影響されて、自分本来の感覚を失っていたことに気づいてきたわけです。 それに気づくプロセスは、今回は決して楽ではなくて 一旦は、逆にわけが分からなくなる、というプロセスだったわけです。 これは、聖なる植物の影響なのか、それともクンダリーニ症候群なのか どちらにしても、グラウンディング力が極端に落ちていたところに その直後に行った3人へのセッションから(おさむを含めて) いろんなエネルギーの影響を受けてしまっていて DNAまでも変化してしまったことが カラニリトリートに入る前には、筋反射でわかっていました。 ですから、その調整が終わるまでの期間は、自分が何を感じているのか よくわからなかったのです。 例えば、宇宙人DNAで、シリウスやグレイなど これまでの私は持っていなかったDNAまで、クンダリーニ症候群の後の 自己ヒーリングで出てきて、ショックを受けたわけです。 これまで自己ヒーリングは、不十分感からではなく 能力や可能性を高めたり、さらに自由に解放してためであったのに 今回は、問題の修復のために、自己ヒーリングをすることとなり その期間は楽しんでやっていたというより、不十分感で一杯で とにかく一刻も早く元に回復するのが第一でした。 例えて言うなら、あるスポーツをやっている選手が それまでは、能力や感覚を高めるために、練習を続けてきたのに ある時に、交通事故に遭って、足が不自由になったことがきっかけで これからは、能力を高めるためではなく 元の状態に戻すために、リハビリや練習をしなければならなくなったかのような 気持ちになったと言えるかもしれません。 それで、気づいたのは、ここでショックを受けるということ自体、 私の中の「いつも前進、成長しなければ」という意識の表れなのだなあと。 そこに気づいてからは、焦ることなく 自己ヒーリングの’調整ができるようになったのですが 今回、こういったエネルギーを受けたことで これまで感じなかった感覚を感じることにもなったのでした。 例えば、グレイのエネルギーがあると 被害者意識や人への不信感になり、傷つきやすくなるのですが 私も、今回、おさむに対する不信感や被害者意識が出てきて、さらなる怒りへとつながり また、シリウス系のエネルギーは、自分の感覚の抑圧になるので 自分が何を感じているのかよくわからず 私は大丈夫、と達観してしまうのです。 こういう状態では、自分で自分のことは 本当にわかりづらいものなのだということが、よくわかったわけです。 だから、このクラスの参加者の中で 何人かの人が「のりこさんが弱っている~」 「のりこさん、大丈夫ですか?」と と声をかけてくださったことが 「やっぱり大丈夫じゃないよね~」という自分の感覚を再確認する上で 大きな助けになりました。 私がクラスの最初の頃に、自分の感覚を封印して オーガナイザーとしての役目を果たさなければとしていた時も 何人かの人に 「のりこさんが無理して(オーガナイズ役をやって)いるのが、ミエミエでした~」 と言われたり また、クラスの間、修との摩擦が大きくなった時も 「のりこさん、修さんと何かあったのですね?」とすぐに声をかけてくれたり すごい、みんな!何も言わなくても、私の状態や感じていることが そのまま伝わるのね~、と感動でした。 (って、単に見た目に分かりやすい人なのかもですが ) ほとんどが私のキネシオロジーのクラスを受けられた方たちでしたが そういった参加者の方々のおかげもあって あの状態から、ここまで回復できたのだなあと。 みんな私の生徒だけど、同時に私の先生だったということが これまでのキネシのクラスでもそうでしたが 今回はさらに感じたのでした。 さて、前回のお話は、アマテラスのことで終わりましたが 私はロンからアマテラスやアトランティスの話を聞くのは 今回で4回目でした。 1回目は2011年のATIH 2回目は2012年のフィボナッチのクラス そして、3回目が去年のハワイのクラスです。 最初の2回は、とにかく感動でワクワクして聞いていました。 私たちの魂のルーツ、アトランティスのこと、ロンとアマテラスとの関わり 宇宙とのつながり、ユニティ、ワンネス、リメンバリング(思い出すこと) ロンの話している、すべての話が、私にとって心を揺さぶられるものでした。 でも、今回のクラスでは、同じように感動している部分と全く違う角度から聞いている部分の二つが共存しているのを感じていました。 アトランティスに関しては、私は昔から強烈に惹かれていたし またクライアントさんのセッションでも、よく過去世として出てくることもあって そういったことは信頼しているのですが 一方で、アトランティスだけが私たちの魂のルーツではなく 一つのエネルギーにしか過ぎないということも ここ1、2年のワークを通じて、ひしひしと感じていたからです。 ヒーリングは「本来の自分を思い出すプロセス」であることは間違いないですが 「本来」というのが、一体何を指すか?によって 全く違うものになり得ます。 例えば、本来を赤ちゃんの頃の自分と設定したならば 胎児でお母さんのお腹にいる時にストレスを受けて 生まれてくる前に、原始反射や脳の問題があっても それは本来の自分になってしまい、変えれないものとなります。 また、過去世の自分が、本来の自分だと設定したなら そこからの要因や問題は、変えれないものとなるのです。 私にとっての「本来の自分」というのは 赤ちゃんや胎児の頃の自分ではなく、過去世の自分でもなく そういったことを超えたところにあると感じていたし (それが何かということは、言葉では言えないのだけど) 私がこれまでのセッションでやってきた中で フィボナッチは、アトランティス云々とは関係なく 多くの人にとって、有効なものであると感じていたこともあって すべてをアトランティスやレムリアという過去生に結びつけることに 少しずつ違和感を感じ始めていたのでした。 と言っても、ロンはホワイトブラザーフッドのエネルギーと 繋がっていることは感じるし アトランティスは、彼にとって最も大切なことであることも よくわかるのです。 ホワイトブラザーフッドというのはいわゆるアセンテッドマスターのグループ的なエネルギーですが ロンは18歳の頃から、ブラザーフッド・オブ・ホワイトテンプルという 学校で学んできた人なのです。 これは、モーリス・ドリールという人が設立したもので 今回のクラス1でロンは、ドリールことを話していましたが エジプトからトートが書いたアトランティス語で書かれた エメラルドタブレットを持ち返って翻訳し出版したという とても実在の人とは思えないような人で そんな人の元でずっと学んでいたわけですから ロンにとって、アトランティスがすべての根源であるのも納得で そこは打算でも何でもないわけです。 そして、このクラスの参加者のほとんどが このアトランティスとの関わりを深く感じていたと思うのですが 今回、クラス3では、去年クラス1を受けた方々が参加されていて 改めてわかったのが その多くの人が、このクラスを心から待ち望んでいて ここをホームだと感じている、ということでした。 そして、このレベル3のクラスに来るまでの日本での生活が苦しかった、と言われる方が 何人もいたことに、改めて驚いたのでした。 それで、だんだんと気づいたのが、このロンが求めていた 「一体感」ということの意味だったわけです。 ロンは、このクラスの最後にも 「私たちはチームです」と言われていたのですが つまりは、アトランティスから転生してきた魂が 今生では、人々の意識を高め、ユニティへと戻っていくプロセスのために ここに集い、一緒にワークしてゆく、ということでした。 これは、フィボナッチのクラスを受けたことがない、あるサイキックの方が 「フィボナッチは個人プレーではなく、集団的にやっていくものですね」 と言われていたのですが、まさにそういう意味でのチームだったわけです。 そして、だからこそ、去年のクラスでも みんながこのクラスで「一体感」を感じていたわけですが 一方で、クラスが終わって、日本やそれぞれの場所に戻ると 実際の生活では、アトランティスやレムリアとの深い関わりを感じている人ばかりが 周りにいるわけではないわけですし そうなると逆に周りとの分離感になっていく可能性があるのだなあと。 家庭や仕事場の中で、周りの人々と一体感を感じることができていれば 何があったとしても苦しくはならないし、常に幸せの中にいることができるからです。 私の場合は、これまでは、いつもおさむと一緒にクラスを受けてきたので そんな風には感じたことは一度もなかったのですが 今回、クラス2であるATIHは、ちょうど、私の父の四十九日と重なってしまったことで そのクラスの期間は、日本に戻ったため 私はATIHのクラスは受けず、おさむだけ受けたことがきっかけで この気づきにつながったのでした。 今回のハワイの旅の間、私とおさむの心が最も離れてしまったのは おさむがATIHを受けた直後だったからです。 ATIH自体は、私もロンから受けて、素晴らしいプログラムであることには間違いないと感じていますが 今回のクラスの直後、おさむはそこでの一体感に浸っていて それが、逆に今回、それを体験しなかった私との分離感を生み出し 彼が言葉で上手く伝えれないこともあって 彼にとって「のりこにはわかってもらえない感」になっていました。 また、私は私で、おさむからケアされていない という寂しさや悲しさにつながっていて私がその寂しいという感覚を伝えた時におさむから「俺には感じられないんだから、仕方ない」と言われさらに虚しい感覚になったわけです。 ハートを開くためのクラスであるATIHを受けたのになぜ、そんなことになったのか、その時は全くわかりませんでした。 もちろん、これらのクラスの中での一体感を感じつつも 家に戻って、家族や友人との深い一体感も 同時に感じることができる人もいるでしょうが 逆に周りとの分離感へとつながることもあるのだなあということが あとから、気づいたのでした。今回、私の父の四十九日が、ATIH と重なったというのも今から思うと、ここに気づくために、必然だったのかもなあと。 こうして、先日、説明した五行の怒りの感情が終わってからは 次は、虚しさや分離感となり 最後は悲しみというプロセスを辿って行ったのですが これまたシンクロなのか、その悲しみの中にいた最後の日に 参加者の中で、質疑応答の時間に、自分が感じたことをシェアするということで 性的な虐待について、話された方がいました。 彼女は、この人生で虐待された経験などなかったそうですが この惑星クラスの間にそういうエネルギーを感じたとのことでした。 そして、私がクンダリーニ症候群の直後に感じたエネルギーが まさにこの虐待されたという感覚だったわけです。 私自身も、虐待なんて、これまでの人生での経験はなかったですが なぜかそういうエネルギーとつながり、 それをクラスの間にシェアする間、ポロポロと涙が止まらなくなり 一方の私は「何がそんなに悲しいのかしら」とも思っているのですが 一方は、男性には決して理解してもらえないという深い悲しみを ひしひしと感じていたのでした。 こんな風にこのクラスは、フィボナッチやアトランティスということを超えて 深いエネルギーのシェアの場になり それぞれが自分の感覚を率直に伝えていて そのことに対して、ロンもとても感動していました。 今回のクラスが終わって、改めて気づいたのですが 私はこれまでは、ヒーリングをやるのが、とにかく楽しくて これをやったら、どうなるのかもっと知りたいという好奇心だけで どんどんやってきたのに、ふと気づくと いつの間にか、地球救済軍に入って働いていた、みたいな感覚でした。 そして、今回でオーガナイズをやめるということが その地球救済軍を抜ける、みたいな感覚にもなったのですが ちょっと辛かったのが、今回、参加された方々は 本当に素晴らしい感性の人たちで このクラスを通じて、深いつながりを感じたこともあって 来年もまたここで会いたい、という気持ちになったことでした。 はっきりと言えるのは、たとえ、アトランティスの過去生など全く関係なかったとしても 繋がっていたいと感じる方たちでした。 でも、私は地球救済軍も面白そうだけれど、やはり個人レベルで動いていきたいなあと。 セッションやクラスを通じて、それぞれが 自分の家族や友人や仕事場での深いつながりを感じたり病気や身体の不調を癒したり また、お金や豊かさを高めたりやりたいことだけを自由にやっていったり それぞれの才能を開花させたり、 そんな個人レベルでの解放と発展を通じて 結果的に、それが地球全体の意識を変化させることにつながれば嬉しいし たとえ、すぐには繋がらなくても、それはそれでいいなあと感じるのです。 もちろん、これからもフィボナッチは、セッションで使っていくでしょうが これからは、これを広めることよりも、もっと多くの人々が キネシオロジーの自己ヒーリングや家族や他の人へのヒーリングが できるように、私のクラスにフォーカスして行こうとようやくすっきりと決心ができたのです。 クラス3の時に、ロンにあのアマテラスの怒りに関して、どう捉えているのか 質問してみたのですが ロンからの答えは、 「アマテラスは、もう弱い存在ではなく、パワフルなのだということを伝えてきた。 そして、それをみんなに私から伝えなければならなかったのに 「こんなことを日本のアマテラスに詳しいみんなに伝えてもいいのだろうか」 という私のエゴで伝えなかったために、アマテラスが怒ったのです。あれは適切な怒りでした」という捉え方でした。 それは、私があの時に受け取ったメッセージとは違っていたのですが それはそれでいいなあと。 「アマテラスを超えてゆけ」が ロンにとってはどういう意味を持ったのかは、もう私にはどうでもよくて それぞれにとってのメッセージが大切なのであって私にとっては、そのメッセージは 「アトランティスを超えてゆけ」でもあったし また「ロンを超えてゆけ」でもあったのだなあと。 ある意味では「ユニティを超えてゆけ」とも言えるのかもしれません。 ユニティのために何かをやって行く のではなく、それぞれが自由に解放されていった結果 ユニティへとつながってゆくというか。どちらにしても、私たちは深いレベルで繋がっているのですから。 今回のクラスの中での深いつながり感だけではなく 先日、日本で家族とのつながりも深く感じたし また、日本を発つ前に、30年来の友人と成田で話しをしたのですが 彼女とも魂レベルのつながりを感じたし また、ニューヨークでの飲み仲間や友人とも また、キネシオロジーのクラスやセッションを受けに来られる方々とも またブログを読んで、共感してくれている方々とも、感じるのです。 それは、私たちの魂がどこから来たか?なんてことには全く関係なく、ただつながっているという感覚です。 そして、不思議なことに、クンダリーニ症候群の後の自己ヒーリングでは アトランティスの過去世が全く上がってこなくなったのでした。 それまでは、アトランティスの過去世は、毎回のように 自己ヒーリングでも、おさむから受けるセッションでも上がってきていて これは、一生出てくるんじゃないか、というぐらいでした。もしかして、ようやくここを抜けたのか それとも今のところだけ出て来ないのかは、わかりませんが。 ということで、クラスの間、感じていたことを、ざっとまとめてみたのですが (これで短くまとめたつもりなの ) こう長いと途中で挫折するよね。 ここまで、読んでくださった方、ありがとうございます さて、私とおさむは明日、ニューヨークに戻るので 今日は1日は、ニックさんの家で、荷物の整理などをやっています。 (って、途中でやめて、こうしてブログアップしているけど) きっとニューヨークは、これからの季節、春の訪れで心地よいことでしょう。 これからのセッションも楽しみだし、みんなと飲みに行くのも楽しみだし また家の植物を新たに買いに行ったりするのも楽しみ。 (毎回、ハワイに行く度に、家の植物を人にあげてしまうので) ちなみに、ダーリンは、ここしばらくずっと私のケアをしてくれて とても優しいです。 マイダーリンは、私のエネルギーが変化すれば それに合わせて、すぐに変化してしまうという単細胞生物なので 私が大変な時に支える強さや安定感はないものの 先日、惑星のチャートを読んでもらった占星術では「秘書としては最適な人」な人なんだそう。 確かに、今回のクラスでも、みんなの送り迎えの手配から何から 細かくケアできていたし結構、そういったことを楽しんでやれる人なんだなあと。’ ふふ、これからも当分は、私が引っ張ってゆくのです~ ロンのいうとおり、女性はパワフルなのですから。 ということで、キネシオロジーのクラスへのモチベーションが ものすごく高まっています。 詳細はまたアップしますね~。 Photo by Kazumi Sakurai
2017年04月30日
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さて、ブログでロンのこと直接知らない人たちに話すのはいろんな誤解を生むなあということは、百も承知なんですがそれでもわかる人にはきっと伝わるし今の私の感じていることを記しておきますがこれは後から変化するかもしれませんから、話半分に聞いておいてね今回、クラス3の参加者の中で、占星術に詳しい人がいらっしゃってクラス全員の鑑定をしてくれたのですが私も最後の近い日に、クラスが終わった後、見てもらいました。占星術の鑑定や惑星音叉の仕事としてもされているYさんとアロマテラピーと音叉のお仕事をされているMさんという二人が同時にチャートを読んでくれたのですがこれが本当に素晴らしかった。私の性質や性格はもちろん、人間関係やこれからの方向性なども細かく見てくれて、それを聞くたびに「そうそうそうなの、すごい、こんなことまでわかるのね~」と感動だったでした。それで、二人に言われたのが、私は開拓者であって、常に何かを新しく始めていく人であるということ直感力があり、サイキック的な力もあるのでそれをさらに生かしていくのがいいがこれからは、社会的な成功というところにフォーカスした方がよく例えば、本を書くなどやっていくのがいいということ。正直、私は自分が好きなヒーリングさえできていればそれでよかったわけでそういった意味では、十分に成功していると感じていたこともあって社会的な成功というのは、どこかで避けていたことでした。 サイキック力に関しては、自分ではずっと私はサイキックではないと否定してきたことですが、今回、ドロシーとのことでそこに関わっていた過去世を手放すことにもなったことも、一つのメッセージとも言えるし星のチャートにも出ているというのは、やはり受け入れることが必要ということなのか。社会的な成功にしても、サイキックにしても、共通してあるのはもしそうなれば「自由でなくなってしまう」という感覚なのです。こんな風に好きなことを自由に書いたり、言ったりできなくなってしまうのが怖いのかもしれません。 また伝えてもらったのは、私の星的なことで言えば何か新しいことを始めるのは得意でもそれを長く続けることができない性質であるので土の要素を持つ人と組んだ方がいいということ。そして、人間関係に関して、言われたのが、乙女座の人との関係ではちゃぶ台をひっくり返すようなことになる、ということ。ひゃ~~、ロンは乙女座で、おさむも乙女座なのです。。。。こういう内容でブログを書いていること自体ちゃぶ台を引っくり返していることになるのか。。。そして、あなたは表裏が全くない人なので打算的なものを受けいれられないということ。あ~~打算的なものがダメだということ。実は、今回、もっともロンに対して受け入れられなかったのはこの「打算的なこと」だったのでした。今から、考えてみると人間なのだから時には打算的になってもいいわけで、それが嫌だということ自体いい悪いの二元的だということだなあと。そして問題が複雑になるは(実際は問題ではないとも言えるけど)彼の打算は、決して、ロンの個人的な欲やエゴ例えば、お金とか地位とかを求めるが故のものではないということなのです。これは、クラスでロンの話を聞いていても伝わってくることだし私がこれまで、ロンとあれこれをやってきた中でも「あ~この人にとって、本当にお金なんてどうでもいいだなあ」と感じることは何度もありました。(だからといって、お金を求めることが悪いということではなく)だから、彼の打算的なものを感じた時に、逆に混乱したというか私の中での抵抗が起こったわけですがそれでは、何のための打算なのか?そのことをお話しする前に、クラスの中でのことを。クラス1がスタートしてからというもの先日、お話ししたように私はここにいない感や不安感や恐れの中にいたのですがそういう時というのは、自分自身が何を感じているのかはよくわからないのに相手のエネルギーに対しては、敏感になっていたりするわけです。そして、去年とは全く違うロンのエネルギーに一体、何が起こっているのかよくわからずそれは、さらに私を落ち込ませました。でも、これは、私の感じ方の問題だから、と言い聞かせていたわけです。ところが、今回、クラス1に参加した方の中で、5、6人から「のりこさん、私が想像していたロンとは違いました」とか「エリンを見ていると、ハートが開いてきて、涙が出てくるのですがロンにはハートが開く感じにならないのは、私の問題でしょうか』とか『なんだかロンがこのクラスにいないという感じがしてしまうんです」などの言葉を次々に言われました。あ~、これを感じているのは私だけではないのだなあと。そして、クラス1の人たちは、今回、初めてロンと会ったのにそんな風に感じるなんて、なんという鋭い感性、というか逆に言えば、敏感すぎるというか、エンパスなので相手のエネルギーに同化してしまうということでもあるわけです。なぜ、ロンがそうなのかは、私にはわかりませんでしたが一つだけ言えるのは、ロンは、このクラスに意識を集中するよりこれを次のクラスにつなげようと、焦っている感じがするということでした。クラスの中で、ほぼ毎日のように、次のレベル2、3はいかに素晴らしいかまたATIHを受けたら、どんなに素晴らしいことが起こるかを伝えていたし私は今回、早い段階で、次のクラスのオーガナイズはやらないことを彼に伝えていたこともあって、次のオーガナイザーになる人がこの中からいないか、また他に知らないかどうかを参加者に尋ねていました。私にとっては、必要とあれば、自然にオーガナザーは現れるだろうし次のクラスの宣伝をしなくても、参加者の人たちが、クラスの中での実践やそれぞれ日本やニューヨークに戻ってから、このヒーリングを使ってみてその素晴らしさを実感したら、今後、さらに深めたいと思うのは自然なことですからなぜ、ロンほどのすごい叡智と力を持った人がそこまで必死になって次に繋げようとするのか、レットゴーできないのか最初は理解できませんでした。(とはいえ、何となくはわかっていたのですが)そして、クラスの中でのみんなからの質問に関するロンの答えというのが何とも的を得ないことが多かったこともありました。例えば、アトランティスやアマテラスの話などに関するものだったら質問者が求めていた答えを話してくれるのですが臨床的なことや症例などの質問になると答えが全く質問者の求めているものとは、違った方向になってゆくのです。例えば、私がクンダリーニ症候群に対して、もし具体的な対応の仕方などあれば教えてください、とクラス1で質問した時のロンの答えは「この世にボランティアでやってきた魂の中には自らが症例になって辛い経験をすることで結果的に、人々をヘルプしていくというお役目を買って出た人たちがいます。(つまりは、私がクンダリーニ症候群を体験したことでそういう体験をする人たちをヘルプするということ)それは、本当に素晴らしいことなのですが、私ならヘルプするのはいいけど、もう少し、お手柔らかに、と伝えるでしょう。一つのところに向かうのに、もっと楽しく進むこともできるのです)という答えでした。いや、確かに私自身は楽に生きようと思っていてもそうはならないこともいろいろあったし(だからこそ、このオーガナイズもやることになったわけで)そのおかげで、人に対してのヒーリングも深くなったわけでそういう意味で、それは私のハイヤーセルフなんだか魂レベルでの導きとも言えるけれどもういい加減「お手柔らかに」と言いたいというのはもっともなことで、とても納得するわけです。で、その場はそうだよなあと納得して終わったのですがいや、待てよ、私がここで聞きたかったことは、そこじゃなかったんだけど。。。と、そんな感じで、こういったロンの傾向は、去年もあったものの今年はさらにそれが大きく出ていました。おさむに言わせれば、「ロンは、創始者だけど、ヒーラーとしての臨床経験が多いわけではないし先生だから質問されたら、何か答えなきゃいけないと思って自分が答えることができることを、適当に答えているだけなんじゃない?」というのですがいや~、それは違うんじゃない、ロンはわからないことはわからないという人だしそんな単純なものじゃないと思うんだけど~と思っていたら、他の人たちはこれに関して、それぞれ違った見解を持っていました。例えば、ある人は「あれは禅問答みたいなもので、私が質問したことの答えは得られないのだけど ロンの答えを聞いているうちに、自分が質問したかったことが何だったかも わからなくなって、いつの間にか、ロンの答えに ああ、これが聞きたかったのだ、と納得してしまうのです」またある人は「偉大なるマスターは、答えを言わずにヒントだけを与えて相手が自分で答えを見つけるようにしたりそれを聞く人たちが、もっと聞きたいという思いを抱かせたりするのよ」と言い、なるほどなあと。で、私はどう感じたのかというとロンが何のために打算的になっているのか?ということを感じていった時に、ハッとわかったのはロンと私たちが捉えているヒーリングというものに対する捉え方が全く違うのだということに気づきました。ロンにとっては、症例とか、これにどう対応するか、とかさらに言えば、病気やいろんな問題を癒すとかそういった個人的な幸せや喜びは、どうだっていいのだ、ということでした。いや、どうだっていいというのが語弊がありますが少なくとも、彼がこのフィボナッチやATIHやアーキュトニックを広げようとしているメインの意図ではないというということです。そして、そのメインの意図のためにロンが(無意識的に)使っていたものその一つがアマテラスの存在だったのではないかということでした。さて、このクラスには、サイキック力のある人が何人かいたのですが(いや、潜在的なサイキック力という意味で言えば、ほぼみんなそうでしたが)クラス1に参加された方の中で、上からのメッセージをチャネリングする方(Nさん)がいました。彼女とは、お会いするのは、これで3回目でしたが2回目は、前回の東京初級クラスに参加されて私との過去世を覚えていた方です。正直なところ、このチャネリングというのは私はそこまで信じておらず、というのもそのチャネリングしている人、いわゆる媒体になっている人のエネルギーに左右されることが大きいのでその媒体になる人によっては、高次の意識にチャネリングしているようでいて実は違っていた、なんてことも起こりえるからです。これまで、そこまで完全なピュアなエネルギーの状態でいるチャネラーにはほとんど出会ったことはなかったしそれぞれに偏ったものになってしまうのも、仕方ないなあと感じていました。さて、そのNさんがロンに対して何らかの納得できない感情を持っていることは初日の自己紹介の時にも彼女がみんなの前で伝えたこともありわかっていましたが、それは彼女の個人的な問題から来ているものなのだろうと思っていました。彼女の問題として、一度、チャネリングが始めるとそれを自分の意思では、止めることができなくなる、ということとそして、降ろしてきたメッセージについて彼女自身が全ての意味を理解できないので、相手にきちんとそれが伝わらないということがありました。そして、クラス1の最終日のこと。質疑応答の時だったか、何の時だったかもう忘れてしまったのですが突然、Nさんが「もう抑えられない」と言い出しいきなり、チャネリングがスタートしました。それは、私は全く聞いたことがない言語で、彼女はそれを明らかに怒りに満ちた激しい口調で語りながらロンに近づき、ロンに対して、激しく迫りました。そして、ロンの前の机にあった細胞の模型やグラスなどをつかみ周りに投げ捨て、激しい怒りをあらわにしたのでした。それをロンは落ち着いて、静かにそれを聞きて受け取り、頭を下げていました。クラスの中で、何人かがすすり泣いていてその時、みんなが、どういう思いだったのかはわかりませんでしたが私は「あ~やっぱり来たなあ」とこの事態になることをどこかで知っていたように感じて全く驚きませんでした。むしろ意識のどこかに「ロンは怒られて当然」みたいな感覚があったのに、後から気付きました。ただ、Nさんに対して、こんな思いをするのはさぞ大変だろうなあと彼女の心が癒されることを祈っていました。Nさんは最後に「アマテラスを超えてゆけ!」と日本語でのメッセージを伝えると全てのチャネリングが終わり、すっかりいつもの自分を取り戻しロンに対して謝っていました。全てが収まった後、ロンはみんなに「今の言葉は、たぶん、マウリ語です。マウリは、レムリアとの深い関わりを持っている民族です。マウリの人たちは、最初に出会う人に怒りを見せて、相手に自分を見せろ、と伝えるのです。それに対して、恐れたり、怒ったりすることなく自分を見せたら、マウリの人たちは受け入れてくれるのです」と話してくれました。そして、そのクラスの後、ロンが話してくれたのは「最初は私もどうしたらいいか、わからなかった。でも気づいたのだ。ああ、彼女は、本当にアマテラスのエネルギーのチャネリングをしているということを。あの日の朝、私はアマテラスからのコンタクトがあったのです。そして、それをどうみんなに伝えていいのか、わからないでいました。そして、そのエネルギーとリンクしていたのです」その時は、私自身はあのエネルギーをどう捉えていいのかよくわからず、最後に彼女の言った言葉「アマテラスを超えてゆく」ということの意味もどういうことなのか、わかりませんでした。それでも、直接、そのことについて彼女と話すチャンスはなくクラス1が終了し、その次の日、私は父の四十九日のためにカラニを出発して、日本に向かいました。私は参加者の中で二人と同じ飛行機だったのでおさむに送ってもらって、ハワイのヒロ空港で、おさむと別れそのあと、空港で3人で話しながら、搭乗時間までの時間を過ごしていました。そして、あと10分で搭乗が始まるという時でした。Nさんが後ろから駆け込んできたのでした。彼女は次の飛行機だったのですが少し早く空港に着いたとのこと。そして私と会話しているうちにまた何かが降りてきたと、幾つかのメッセージを伝えてくれて「のりこさん、もっともっと正直になって」と伝えてくれました。「いや、もう私があれこれと言うことではないから」といった時に彼女は私の手を取って「みんなあなたを信頼しているから、ここまで来た。あなたが正直にならなければ、違った方向に行ってしまう」と言いました。私は、彼女の目を見つめた途端、ど~~っと涙が溢れてきました。 「ああ、そうだったのだ」と改めて気付いたのでした。 そうして、私は、あの時、なぜアマテラスが怒っていたのか彼女の目を見ていて、やっと理解できたのでした。「私は正直になりたいから、今回でこのオーガナイズをやめるの」と彼女に伝えました。実は、こういったロンとのやり取りを含めこれはあくまでも私の見方であり感じ方でしかないので私の胸のうちにしまっておこうと思っていたのですが彼女に言われたことで、私はより正直に生きる勇気を頂いたのです。(ちゃぶ台、引っくり返すことになってしまうかもだけど )これまでのアマテラスとロンとの深い関係に関しては嘘はありませんでした。だからこそ、今回、アマテラスの怒りがあったのでしょうから。ただ、もうアマテラスを使うのはやめてロン自身で勝負しろ、というメッセージだったのではないかと。それが、アマテラスを超えてゆけ、という言葉に現れたのではないかと。 物語は続きます~~。
2017年04月24日
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今回のカポホの一軒家は広くて 周りには家もなく、ただ緑が広がっています。 この静けさと安らぎの中にいると、先日までのことが、まるで嘘みたいに感じられます。 ここに着いた直後に引いたマップカードは 「のんびり、ゆっくりと進みなさい」というメッセージで 「そうだよね~、しばらくの間、のんびり過ごそう」と この2日間はブログをアップした他は、ボーっとしたり 自己ヒーリングしたり、おさむにセッションをやったりしていましたが (のんびりしていても、結局セッションをやってるのも、笑えるけど ) 今朝は、何だかアクティブな気持ちになってきたので 試しに再び、カードを引いてみたら出てきたのが 「今は新しいアイデアを生み出したり、新しい人間関係や 仕事を開始したり、あらゆる冒険に出かけるのに最適な時期です」 展開、早っ! ということで、早速、10月にニューヨークと東京で行う予定の キネシオロジー初級クラス、中級クラスについての アイデアや企画をおさむと話しつつ、そのための行動をスタートしてみたら あ~やっぱり、ワクワクする~ 思えば、このフィボナッチやアーキュトニックのクラスのオーガナイズは このわくわく感ではなく これが私のお役目なのだから、と割り切って、やってきたのだなあと。 もちろん、ここでの体験によって、いろんな人たちと深いレベルで繋がることができたし また、私自身の深いレベルでの解放につながったので 結果的にはすべてよかったのですが これからは、結果論やお役目ではなく プロセスそのものを楽しめるものにフォーカスしていこうと。 ということで、今後は、フィボナッチやアーキュトニックのオーガナイズをするのは 今回で終わることに決めたわけです。 さて、怒りの話の途中でしたが、今は、すっかり怒りがなくなってしまった後 それについて思い出して書くのは、例えて言うなら 覚醒体験をした後に、その時の感覚について伝えるようなもので 個人的な体験だし、伝えなくてもいいかなあという 気持ちに何度もなったのですが その度に「きちんと自分の思いを伝えること」という身体からの メッセージがあり、これをアップするモチベーションになっています。 怒りというのは、その時は、 誰かに対して向けられているようで 実際は、自分自身が持っている何かに対しての感情なのですよね。 例えば、先日、書いたように、表面的にはおさむに対して、怒っていても それを紐解いていくと、私自身が女性性を抑圧してきたことに対する怒りだった というように、今回、ロンに対して感じた怒りも、ロンが問題ではなく あくまでも私の問題であり、私自身に対する怒りなのです。 今回、私が最も受け入れられなかったことは ロンはいつもハートにいる人ではなかった ということでした。 そんなことは私もそうだし、人間なのだから、誰でも当たり前のことなのですが ロンに関しては、常にハートスペースにいる人なのだ と、これまで私は感じていて、つまり、それはある意味で 彼を神格化してしまっていたわけで そこに気づいた時、自分自身への怒りがわき上がってきたわけです。 ロンに対しては、2011年に受けたATIHのクラスの時のロンの印象が 強烈だったので、その印象が強く残っていたこともありました。 人はいろんな側面を持っているのが自然だし またどんどんと変化していくわけで、出会う時期によって また出会う場所や状況によって 全く違った印象を受けるものだなあと。 そのことに少しずつ気づき始めたのは 去年のフィボナッチのクラスが終わってから ロンとのメールのやり取りをやっていていろんな場面で何となく感じてきたことでした。 今となっては、その経緯自体は、全くどうでもいいことなのですが それを説明しないと、伝わりづらいかもしれないので書きますが これは、あくまでも私から見たものや感じたことであって いわば私の幻想のストーリーとも言えるので、真実とは違うことを 念のためにお伝えしておきます。 真実は、個人の経験や感覚の中にはないものですから。 さて、最初の年は、ロンとのメールのやり取りだけで、いろんな気づきがあったり オーガナイズのプロセスも、全てがスムーズに動いていったのですが 今回は、様々なことがタイミングが悪かったり ロンとの認識の違いから来る行き違いが起こっていて これはどういうことだろうと感じ始めていました。 特に大きかったのは、アーキュトニックのレベル3で行う あるプログラムに関してのやり取りを行った時のことでした。 それは、参加者が一人一人、音楽や音に関するパフォーマンスをクラス内で行うというもので、それは正規のアーキュトニックの プログラムではないとのことですが ロンは前回のカナダでとてもそれを気にいっていて 今回のハワイでも、ぜひそれをやりたいので、クラスのみんなにその旨を伝えて欲しいと ある日、私にメールで伝えてきました。 私はカナダでロンと話していて、カナダのクラスでは 実践の時間が少なかったので、今回のハワイのクラスでは、もっと実践を増やして欲しいこと また、惑星音叉を使った放射線除去や松果体の活性化 自己ヒーリングなどのプロトコルを加えて欲しいこと ということを伝えていました。 去年のフィボナッチのクラスでも、実践をもっとやりたかったという声が あったこともあるし、クラスの中での実践が少ないと、クラスが終わって戻ってから いざやろうとしても、なかなかピンと来なかったりするからです。 ロンは、それは快く了承してくれて、ぜひやろうと言ってくれたのですが そのためには、これまでのクラスの中で、何かの時間を削る必要がありました。 カナダでは、たった6人の参加者でしたが、音のパフォーマンスだけに 半日間を費やしたので、今回のハワイではレベル3の参加者は16人だし もし、これを行えば丸1日かかってしまって 実践はほとんどできなくなってしまうことは、目に見えていたこともあり その実践を削ってでも、このパフォーマンスが必要なプログラムであるとは 私とおさむには、どうしても思えなかったのです。 また、今回の参加者の中には、人前でのパフォーマンスに ストレスを感じている人たちが何人かいたこともあり 私は、日本からクラスの参加者たちが何を求めているのか?といったことも含めて ロンに伝え、音のパフォーマンスは、今回のプログラムからは外して欲しい ということを伝えたのでした。 ところが、ロンは、例え、参加者にとってストレスになったとしても 必要なものはやる、と伝えてきました。 そういったロンの強い意思表示は、これまでも何度かあり 私は、結果的には、ほとんどロンの意向に従ってきたので 今度も、そこまでロンがやりたいのなら、まあいいか、と思ったのですが 今回は、何かが私の中で引っかかったので、筋反射で身体に聞いてみると 「自分の意見を主張することが必要」と出てきました。 それで、参加者の人たちにメールを送り このパフォーマンスに関してどう思うか?のアンケートをとってみると 16人のうち、やりたいという人は2名で、どちらでもいいという人が4、5名 あとはやりたくない、中にはそれを考えただけでも大きなストレスになる という人もいました。 それで、この結果をロンに伝えたわけですが ロンから「人前でのパフォーマンスが そこまでのストレスになるということが、私には理解できない」ということや 「オーガナイザーは、先生の意向に従い 先生の意向を生徒に伝え、クラスを円滑にするために存在するのであって 先生に対して、指示をするものではない」 というような、ちょっと厳しいエネルギーのメールを受け取ったのでした。 あ~、だからオーガナイズの役なんて、私には無理だったのだ ということを改めて思い知らされたわけです。 去年のハワイで、私がロンに伝えた言葉は 「ロンに対する忠誠心があるゆえに 私は自分の自由感を失ってしまうし、それが嫌だから オーガナイズをやりたくないと躊躇したけれど その忠誠心を手放す調整を行ったので これからは、自由感を持ってオーガナイズすることにします」 ということで引き受けて、ロンもそれをとても喜んでくれたのですが 結局、私は自由感を失うことになったのだなあと。 それでロンに対して 「私の英語力の欠如ゆえに、そういう風に聞こえたかもしれないし そうだったら申し訳ないけれど、もちろんこれは指示ではなく オーガナイザーとしての要望で、もしできるなら 何らかの妥協案(希望者だけパフォーマンスを行うことなど)を提示してもらえたら嬉しい」 というメールを送ったのですが その後、ロンから、そのことに対する返事はありませんでした。 おさむはと言えは、そのロンからのメールを読んで「このエネルギーに俺はもう耐えれない」とすっかりクラスを行うことへモチベーションを失ってしまっていました。 ですが、それから、私たちのハワイでのリトリートがスタートし 父が亡くなったり、なんだかんだで、そのメールのことも私の意識から吹っ飛んでしまったのですが そのあと、しばらくして私は 『ロンは、大きな視点で物事を見ている人だから あのパフォーマンスを行うことが、プログラムや学びよりも 高次のレベルで、参加者みんなにとって必要なことだったのかもしれない。 それなのに、私は自分の経験や直感だけで それを阻止したことになってしまったのかもしれない」 という罪悪感や迷いのようなものが出てきました。 でも、もうクラスまでの日程も迫っていて 今更、そのプログラムを実行するには遅すぎたこともあって もうこの流れを受け入れるしかなかったし きっとこういった私の思いも、実際にロンにあったら すべて解消するのだろうと思っていたのです。 メールというのは、言葉だけで、相手のエネルギーは直接感じれないのでお互いに誤解を招きやすいものだしきっと会って話せば、ロンのハートに触れられるのだろうなあと。 ところが、今回、ロンとカラニで出会った瞬間に ロンのエネルギーが去年とは全く違うことを感じて 「ああ、やっぱり」という失望感と 「なぜ、私はこのクラスをオーガナイズしているのだろう」と’いう 自己否定や虚しさが出てきたのですが その直後に受けたドロシーのセッションから数日は すっかり自分自身ではなくなってしまっていたので 自分がどう感じているのかも、わからなくなっていました。 それで、クラスが始まる前日に、おさむに対して 「私たちは、参加者のみんなが、ここに来て本当によかった~と 喜んでもらうために、このクラスを開いているのよ。 だから、私たちの個人的な思いや感情は、ここにいる間は封印して オーガナイザーとしての仕事を最後までちゃんとやろうよ」 などと伝えたわけです。 は~、結果的には、私は何も封印できなかったし オーガナイザーとしての役目という意味でも失格でしたが (こう言う事をここで書いていること自体、完全に失格だし ) それでも、参加者のほとんどは、ここに参加できて本当によかった~と 本当に喜んでくれました。 考えてみれば、魂の導きによって、それぞれ来られているのだから 私が妙な責任感を持つ必要なんて、全くなかったのだなあと。 そして、また結果的には、今回のクラスのプログラムは 東洋医学に深く精通しているエリンの存在もあり よりさらに充実していて、実践やプロトコルも多く これまでのクラスの中でも最高のものとなったのでした。 最終日に、ロンに 「私はここに来る前は、あなたの意向に従うことをしなかったから ギルティ感があったのだけれど 今はこれで良かったとホッとしています」 と伝えたら、ロンは 「いや、どちらにしてもあのパフォーマンスを行う時間はなかったよ。 (あの~、そのことをずっと伝えてきたつもりだったんですけど~~ ) あれは、音のパフォーマンスが大事ということより あれをやると、一人ひとりが自分のことを語り、表現することになるから やりたかったのだよ。でも、このクラスの参加者は みんな自分を表現できる人たちだったので あのプログラムがなくても良かったよ」 という爽やかな答えが返ってきました。 それを聞いて なぜロンがそこまで、音のパフォーマンスをやりたかったのか?が ようやく納得できたわけです。 ロンが求めていたのは、クラスの参加者たちとの一体感だったのだなあと。ロンにとっては、プログラムより何より、一体感の方が大事なことだったのです。 私自身は、例えば私のクラスで、参加者が結果的に 一体感を感じることができれば、もちろん嬉しいことだけれど たとえ、分離感を感じていたとしても、それはそれで必要なプロセスや気づきに繋がるわけで クラスの中での、それぞれの自己表現や一体感を大切だと感じたことはなかったこともあって ロンの意図に全く気づかなかったのでした。 そして、なぜロンがそこまで一体感を求めていたのかも このクラス全体を通じて観えてきました。 こういった認識の違いから来る行き違いに関しては 怒りは感じなかったし、むしろ私自身の不十分感の方が大きかったのですが 今回、私が感じた怒りの感情は ロンとアマテラスとの関係から、表に出てきたのでした。 ということで、物語の続きはまた~~
2017年04月22日
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