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人生のすべてはタイミングだなあってつくづく思います。あの時、もしあの人に出会わなかったら、もしあの本に出会わなかったらちょっとタイミングがずれていたら、、、、人生は今とは大きく変わっていただろうな~そんな風に感じることって誰もが多いのではないでしょうか。でも、そういった出会いもすべては偶然ではなく、必然なことであって、それぞれにとってベストの道にむかって導かれているということなのでしょうね。そして、自分が宇宙の流れにそった生き方ができている時には、シンクロニシティが頻繁に起こります。シンクロニシティがよく起こる時には、宇宙から「あなたをしっかりサポートしているよ」そんな風に言われているように感じることができてとても勇気がでます。また一見タイミングが悪いように思う時も、やっぱり後から考えるとそれが起こったために、方向転換ができたり、別の可能性ができたりしてやっぱりそのタイミングはベストだったとわかったり♪時々、そういう神様のチェスは、時には複雑だったり、わかりにくかったりしてこれがどこに向かっているのか、その時にはわからないこともたくさんありますよね。でも何日か後に、また何ヶ月も何年も後に、思い返した時に、「ああ、あれはこういうことだったんだな~」と納得することもよくあります。毎日がそんな驚きと感謝の連続だから、何が起こったとしても、その時だけでそのことの善し悪しを判断しないことを心にとめています。そうすると、目の前に起こった出来事に一喜一憂しなくていつも心は穏やかでいられますから。(と、たまに、つい忘れて、判断してしまうこともあるのだけどね)さて、おととい、初雪の日記を書いたばかりですが、今日もNYは朝から降り続いていました。と、今は、みぞれに変わってしまったのでもうすぐ道がびちょびちょになりそうですが。これはさきほど家の窓から撮った写真。こんな天気の日ですが、今日は私もおさむも久々に一緒のお休みだし、これから映画を見に街に出かけることになりました。映画なんて、ほんと久しぶり。いつ以来かしら。最近、二人の休日が合わなくって、一緒に出かけることもなかったので、久しぶりのデートを楽しんできま~す
2008年12月19日
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自分を癒し、そして他人を癒すことヒーリングやセラピーを行う方は、特に大事なことだと思います。自分が完全に癒されて、他の人を本当に癒すことができます。だから、まずは自己ヒーリングなのです。そうすると、自然と他の人を癒すことができるようになると思います。でもヒーラーやセラピストだけではなく、自分を大切にし、他人を大切にすることはすべての人に必要なことだなあって、いつも感じています。そして、いろんな方を見ていると案外多いのが、自分を犠牲にして他人のために動く方。一見とても素晴らしいように思いますが、自分を大切にしないと結局周りにもしわ寄せがきますし、本当の意味で、人のためにはなりません。と、昨日、買ったばかりの「日月神示」にそのことが書かれてありました。『今までは悪の世でありたから、己殺して他人助けることはこの上もない天の一番の教えと致していたがそれは悪の天の教えであるぞ。己を活かし、他人を活かすのが天の道ざぞ。神の御心ぞ。他人殺して己助かるも悪ぞ。己殺して他人助かるも悪ぞ。神無きものにして、人民生きるも悪ぞ。神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。神人ともに、申してあろうが。神は人に依り神になり、人は神によって人となるのざぞ」「日月神示」は、岡本天明が1944年に神懸かりで降ろしたメッセージ。つまり今でいうチャネリングです。そんな日本の古い時代のものですから、「自分より他の人のために生きなさい」と書かれてあるのかと思ったら「自分を犠牲にして、他人を助けることは悪」だと書かれてあるのでちょっとびっくり。もちろん「他人を犠牲にして自分が助かるのも悪」「自分を活かし、他人を活かすこと」が重要だと書かれてあります。ここで、もう一つ、いいなあと思ったのは「神さまばかり大切にして人を大切にしないのも悪」「神は人によって神になり、人は神によって人となる」うーん、素晴らしい心やさしい方はつい人から頼まれると、断れないで無理してやってしまうことがあります。相手の気持ちを考えると、やってあげたいものですし相手が喜ぶことが自分にとっても喜びですものね。でも、ちょっとの無理ぐらいだったらいいのですが、それが続いたりするとだんだん自分の中で負担になってストレスを抱える結果になることもあります。なので、自分の心を見つめて、自分が本当にそれをやることが心から喜びである場合にだけ、人のために動くこと。それが負担になっていると気づいたら、きちんと断る勇気も大切だと思います。断ったことによって、必ずしも相手が困るとか限りません。何か別の解決法を見つけたり、考え方を変えたりするきっかけになるかもしれないのです。だから、けして罪の意識は持たないこと。と、なんでこんな話をしているかというと今日来られた方が、知り合いからお金を貸してくれるように頼まれたけれど自分もそれほど余裕があるわけではないので貸せない、そして、その人を助けてあげれないことに罪の意識を持っているとそんな話をしてくださったからなのです。とても心優しい方なのですが、そんなことに罪の意識を感じる必要はないと私は思います。自分が喜んでできることをやればいいのであって自分が無理したり、犠牲になったりしてけしてよい結果にはなりませんから。自分を大切にすること、尊重すること、そして他人を大切にし、尊重すること。いつも心にとめておきたいですね。 @Castle Lake, Mt Shasta by norico
2008年12月15日
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たまにのぞいている「精神世界の鉄人」さんのブログに少し前に載っていた対人関係についてのエッセイです。たくさんの人が、対人関係で、悩んでいます。地球上のほぼ全ての人が、この問題で、悩んでいると思います。「私は、対人関係では、悩んでいない。嫌いな人などいない。全ての人と、仲良くできる。」と、自信をもって、言える人は、あまり、いないと思います。どんな聖人君子でも、悟りを開いたといわれる人でも、やはり、嫌いな人、ウマが合わない人、苦手な人というのは、いるみたいです。キリストやお釈迦様、孔子、マホメット、キング牧師、ガンジー、マザー・テレサなど、いわゆる「立派な人」と言われている人たちも、皆、対人関係で、悩んでいます。ただ、彼らが、一般の人たちと違うのは、二つのことを、知っていたのだと思います。一つは、対人関係で、悩んだとしても、その一方で、その問題の「根本」を、理解していたのだと思います。二つめは、悩みながらも、常に「希望」を持っていたということだと、思います。そして、この根本と希望について、どういう意味か詳しく書かれてあります。精神世界の鉄人さんのブログ人それぞれ、生まれ育った環境も、そして今の状況も違いますから、根本の考え方や捉え方が違うのは当たり前ですね。同じことを経験したとしても、その捉え方はさまざま。全く逆の感じ方をする場合もありますよね。同じような状況で育った兄弟姉妹でも、全く違ったりしますから、もともと人が生まれながらに持っているものも違います。それを充分にふまえた上で、この希望というのが大切なんですよね。対人関係で、苦しむ人のほとんどが「相手と、仲良くなる」ということを、焦っているような気がします。ほとんどが、「今月中に、仲良くなりたい」とか、「今年中に、仲直りしたい」というふうに、考えていると、思います。しかし、これは、しんどいです。相手の人間というのは、そもそも、自分の思い通りには、ならないものだと、思っておいたほうがいいです。特に、「家族」や「親戚」、「親友」などという関係は、難しいです。ここで、時間軸を、大きくとれる、「精神世界」の考え方が、役に立ってきます。昔、仲が悪かった人がいたのですが、いろいろと調べてみると、その人とは、400年ほど前には、戦争でお互いに、殺し合った仲だということが、わかりました。ということは、現在、凄く仲が悪くなったとはいっても、400年前に比べると、せいぜい、口で言い争うくらいの仲に、改善されているということになります。だから、もしかしたら、この人とは、今生では、友人や親友には、なれないかもしれませんが、400年後の来世では、とっても、仲のいい、親友になれる可能性も、あるということですね。こう、考えると、とっても、楽になりました。それまでは、なんとかして、その人と、仲直りをして、仲良くしようと、思ってたのですが、6次元の対人関係のテクニックを、使うことで、かなり、気持ちが、楽になったのです。「うん。あの人とは、どうやら、育った家庭環境などの違いから、どうやら、根本的に、人生観が、違うみたいだ。あと、10年や20年では、仲直りできないかもしれないな…。」と、「事実」を、認めた上で、「でも、400年後くらいの来世で、親友になれたら、楽しいだろうなー」と、「希望」を、入れてみました。すると、気持ちが、すーっと、軽くなっていくのが、わかりました(笑)これを読んでいて、私もいつのまにか、そういうスタンスでいたのに気づきました。だから、最近は、人間関係で悩むことも傷つくこともほとんどないのかもしれません。こういうスタンスでいると、逆に冷たい人と思われることもあるかもしれませんけどね。これは、前世のせいにして、今の人間関係を放棄するということではなく早急に結果を焦らず、長い目で見ていくこと、ここで大事なのは、まずはきちんと事実を認めることなんだそう。それを「自分はみんなを好きだ」とごまかしていると、心にいつのまにか負担がかかってきます。でも認めただけではだめで、希望を入れるということ。人に対する愛が深い人であればみんな自分のすべての周りの人と暖かい愛でつながっていたいと思うでしょうし時には、上手く人間関係を築けないでいる自分を責めることもあるかもしれません。私も以前はそうでした。すべての責任は自分にあるという考えがいつも根本にあるので、自分の至らなさを痛感し、辛くなっていました。もちろん、私たちに起こることのすべては自分自身が招いたこと。そのことから私たちは気づき、学ぶために、例え意識していなくても、それを引き寄せています。苦手だと思う人と出会うことによって、自分の新たな部分に気づいたり知らされたりすることもあります。それで自分のやり方を反省したり、新たな選択をすることもあるでしょう。自分の正直な気持ちや愛を表現することによってお互いの関係が大きく変わる場合もあります。私たちに起こることすべては、私たちに必要なこと。なので、いつも何かを学ぶ姿勢は大事だと思うのですがそれでも上手くいかなかったとしたら、後は気持ちを楽に持って長い目でいきましょう。すべての人と今すぐ仲良くなる必要はないのですもの。波動の合わない人とは自然と縁も切れてくるものですがいずれ仲良くなる時も来るかもしれません。もちろん400年後ではなく、今生のうちに仲良くなれたなら、さらにうれしいですね (え?1000年経っても仲良くなりたくないって??)
2008年12月12日
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私のところにレイキを学びに来られる方の中に時々「私は物欲を手放せないからだめなんです」という方がいらっしゃるので、今日は物欲について書いてみたいと思います。物質文明を手放すことの大切さを日々感じていますがかといって、もちろん私も物が全くいらないわけではありません。必要ないものはどんどん処分していますが、最近も新しくカメラを買ったしこれからもまた何か購入することはあるでしょう。みなさん、欲しいもの何?というと、一番に「お金」ということが出てくるのですが、もし貨幣制度がなくなって、紙幣に価値がなくなったとしたらもちろん誰もそんな紙切れ欲しくはないでしょう。つまり、お金そのものが欲しいのではなくお金を持つことで、おいしい食事ができたり、きれいな景色を見に旅に出かけたりはたまた、嫌な仕事をがまんしてやらなくてもすんだり、つきつめてゆけば、お金によって得られるであろう感動や安らぎがほしいのですよね。そう考えると、物欲もけしてネガティブなものだとは言い切れないと思います。もしも、自分の必要なもの大切なものが、お金を出さずに手に入るのならみんなお金なんてほしくなくなるはずです。ただし、みんなが持っているから欲しいとか、他の人よりよいものが欲しいとかそういった人と比較しての物欲にはネガティブなものを感じます。先日、知り合いのお金持ちの方が「人よりいい物を持ち、人よりいい生活をすることが幸せだ」と言っていました。私の友人にはそういう方はいないのですが、こんな人もいるんだなあと思い、何だか彼がとっても哀れに思えました。人との比較でしか、自分の幸せを図れないと、きっと本当の幸せは得れないでしょうね。でも、感動を得たり、もしくは元気が出したり、癒したりするために必要だと感じたものなら、それを手に入れるのも一つの方法だと思います。例えば、私はテレビを手放しましたが、もしも私がテレビをいうものを一度も見たことがない人で、はじめてそれを見たとしたら、欲しいと思うかもしれません。テレビによって得られる感動を得てみたいと思うかもしれないからです。でも、今はテレビによって得られる感動より、テレビがないことによるメリットの方が、遥かに大きいことを知ったので、手放すことができたのです。ですから、実際に手に入れないとわからないものもあるかもしれません。でも、一方で、本当にその感動を得るために、本当にその「物」が必要なのかどうかよく考えてみると、案外別の方法があったりします。以前、私たちがレコーディングの時に必要な楽器を買おうかどうしようか迷っていた時に、その楽器を使わずに別の物で代用できないかどうかいろいろ試してみたら、意外なものが使えることがわかって結局買わずにすんだことがあります。すぐにその物を買わなかったことで、意外なアイデアが湧いたり、クリエイティブな発想ができることもありますよね。また、例えば、南の島でのんびり生活するためにお金が必要だと思っている人は、お金がなくても南の島でそういった生活することができている人もいることを知ることで、問題はお金ではないことに気づくかもしれません。そうやって自分の周りにあるひとつひとつのものを見直していくと本当に自分にとって必要なものが見えてきます。私の場合は、自分が必要だと思う物のすべては音楽やヒーリングなど、自分と他の人のための「癒し」に必要な道具なんだってことに気づきました。音楽を奏でるための楽器、ヒーリングを行うマッサージテーブル絵を描くための絵の具、波動を上げるクリスタル、感動を伝えるためのカメラなどなど。そのための物なれば、これからも購入したり持つことを自分に許しています。でも、いずれそういう物たちも必要でなくなる日が来るかもしれませんね。物欲があっても、それはそれでいいのだと私は思います。今はそういう段階なのですから、無理して抑える必要はありません。大切なことは、それに囚われないこと。お金や物を得ることに執着してしまったら、そこで魂のレベルアップはできなくなってしまいます。お金があってもなくても、その物がなくても、旅に出かけられなくても感動を得る方法はいくらでもありますもの @Acoma New Mexico by norico写真はニューメキシコのアコマプエブロ。メサと言われる巨大な岩の上に、ネイティブアメリカンの集落がありスカイシティと言われています。電気もガスも水道もない、土とわらでできた家での暮らし。今の私たちにそんな暮らしをやれと言われても無理な話。彼らは彼らの今生での学びがあり、私たちは私たちで別の学びがありますからみんながそういう環境に身を置くことがベストというわけではないでしょう。それでも、できるかぎり私たちの暮らしを見直しそして、よりシンプルに自然と調和して生きる暮らしを見つけてゆけたらいいなあと思います。
2008年12月07日
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私のこれまでの人生を通じて、いつも感じていることは、人には無限の可能性があるということ。それまで全く興味がなかったことや、自分には向いていないと思っていることでさえ、何かのきっかけで急にやりたくなったりします。そして、その心の声に従ってやってみると、魂がわくわくすることだったり、自分ってこんなこともできるんだ~って感動したり。私の場合、ちょっとでも惹かれたら、とりあえずやってみるとそれから、ぐんぐんとその魅力にのめり込んでいくことがとても多いです。今年の大きな収穫は、写真が好きになったこと。それまで、写真というのは、旅をした時にその場所を記録しておくものとしてバシャバシャと適当にとって終わりでした。カメラなんかには、全くといっていいほど、興味はなかったしそれまで使っていたのも、随分昔に買ったデジカメで充分という感じ。ところが数ヶ月前に、ある写真集を見て、写真はその人の視点を描くもの、そして心を写すものだって感じて急にやってみたくなり、一眼レフを購入。そうして、全くわからないなりに、写真を取り始めてみると、これまで見ていた風景が違ったものに感じられるようになりました。小さな花に近寄って、これまで見なかった花の細部までじっくり見てみたり水に反射する光の玉を写したり、影と光のコントラストを写したり。構図なんていうのもこれまで考えたこともなかったけど意識して1枚1枚を大切に取るようになりました。まだ技術的なことも含め、ほとんど写真についてわかっていないけどこれまで興味がなかったものについて知りたいと思うようになったことって、とても大きいことだなあって感じます。最初にNYに来てから、ある日突然、キャンバスと絵の具を買ってきてアクリル画を描き始めたことも、人生の中でとても大きな意味があったし。音楽はずっとやってきたものの、30歳を越えてから始めてボーカルを始めたことも、大きな変化。それまで歌を歌ったことはほとんどなかったし、才能もないと思っていたけど今では私がボーカルなしで音楽をやることなんて考えられないかも。ライブの時にパーカッションをやることも、最近の発見。パーカッションは苦手だと思っていたけど、やってみたらこんなに楽しいものってないくらい楽しい。文を書くことが好きなんだなあって気づいたことも。これはミキシィを始めてから改めて気づいたことだけどこれから何らかの形にしていけたらいいな~。ヒーラーとしてやっていくということも以前なら、そんな力が自分にあるなんて、とても思えなかったこと。そして自分には教えること、伝えることが向いているということもずっと先生タイプではないと思っていたから新たな発見。いつも新しい発見の連続。そして、それらがばらばらではなく、全部が私の中で融合されて一つの方向に向かっていっているのを、最近感じています。そして、つい3ヶ月前までは、自分一人で運転して旅するなんて、全く考えもしなかったこと。免許は取らないって決めていたし、例え取ったとしてもいきなりアメリカの高速を一人で走るだなんて、想像もつかなかったことです。誰でもみんな持っている無限の可能性。例え、その人が今、それをやらない、興味がないからって後からどうなるかわからないなあって、いつも思うのです。だから決めつけない。この人はこんな人だとか、自分はこんな人だとか。これから先、どんな可能性を秘めているのかわからないのだから。そして、この今生で、さらにどんどん新たな可能性を発見していくことがとても楽しみ♪ @ARIZONA by norico
2008年11月20日
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