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こんばんは。吉祥寺「理学気功」ヒエトル萱沼(かやぬま)です。肉・魚は「異種タンパク」というだけでも内臓の負担はかなりのものですが、最近の畜産物や養殖魚は「薬漬け」な為に予想のつかない事態になっています。鳥インフルエンザも人災に他ならないのではないでしょうか?天然魚でさえ海洋汚染の影響は免れません。マグロなど大型になるほど危険性は大きいことが分っています。そこで、「全体食」ということになるわけですが、もともと私たちはある意味で「生命力」を食べているわけです。野菜でも魚でもそれ自体のエネルギーを貰っているのですから、全体を余すところなく食べることによってしか得ることが出来ないものがあります。ひとつの細胞が分裂して出来た存在ならば、その中に必ず蓄積した「毒」を浄化する要素も含まれるはずです。そういった部分がどこなのか?は分らないわけですから、全体を食べるのが最も安全ではないでしょうか。「塩」ひとつとっても精製前には血圧を上げるナトリウムと血圧を下げるカリウムが渾然一体となっているのです。それで天然塩は少々多くとっても血圧に影響しないのです。大根なら、葉っぱも食べましょう。魚なら、骨も内臓も食べましょう。そういうことなのです。その考えでいくなら、小魚や海老・イカあたりなら出来そうですが、牛や豚1頭丸ごとというのは当然無理ですから。かく言う私も、外食も多分人並みにはしているはずです。何だ口ばっかりか?そう思うのは当然ですが、よっぽど他人との付き合いを控えて素材にこだわったところで現状で「毒素」を入れずに生活するのは不可能と言えるのです。ならば、「毒素排泄機能」を最大に高めていくことが最も現実的対策だと考えています。それが「冷えとり」なわけです。その機能が高まると、ちょっと食べ過ぎても「下痢」をするとか「鼻水」が出るなどの「毒だし」症状が起きます。また、一定のメニューに関してや一定の店に関しても反応が出て来ます。つまり、体が食べ物を「選択」するようになるわけですから、いくら世間でからだに良いと言われた物でも「毒素」が多ければ受け付けなくなるのです。食べたくても食べれないとなれば、当然痩せられるという副産物も出てくることになります。※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年04月30日
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こんにちは。吉祥寺「理学気功」ヒエトル萱沼(かやぬま)です。バタバタしているうちに更新するのを忘れていました。今回から「冷えとり」の実践偏を再開しようと思います。こころの「冷え」は先ず「からだ」からということで、半身浴、綿絹靴下の重ね履き、食事が先決ですよね。「こころ」の冷えも「からだ」の冷えも一身同体ですからね。やはりいろんな問合せの中で、何を食べたら良いか?皆さんだいぶ確信が持てずにいるようです。人工的な精製物や添加物が良くないのは周知のとおりですが、「肉」「魚」については賛否両論で情報が交錯しています。たんぱく質信仰も未だに根強いですね。「肉」「魚」について考えてみましょう。当然それらは生き物であり、一見、人工的生成物ではないように思われがちですが、現在流通している「肉類」の殆んどがその飼育環境から見て「人工物」と見るほうが自然です。また「魚類」に関しても養殖物は多く、近海の汚染の影響もあります。何を言いたいかと言えば、それらの生育コストから人間ならストレスでおかしくなってしまいそうな環境で育つ上、短期間で出荷するために様々な成長ホルモンを与えるのが常識となっています。しかも、病気の表面化を防ぐためには抗生物質も与えるわけです。つまり、「毒」が出て「症状」として現れる自然法則を押さえ込んでしまった食品であるということなのです。正に「薬漬け」ですから、そのまま人間にも入り込む事になります。牛乳に含まれる成長ホルモンによって、最近の女性の胸が異常に大きくなったというのも、満更うそでもなさそうです。喜んでる場合ではありません!家畜は既にれっきとした「人工物」なのです。さて「魚介類」なら天然物も多いので、まだ安心だろうと思いがちですよね?様々な垂れ流しによって、海は確実に「汚染」されています。その意味では、大型の魚ほど「食物連鎖」によって体内の「毒」が多くなります。(次回に続く)※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年04月28日
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こんにちは。吉祥寺「理学気功」のヒエトル萱沼(かやぬま)です。今日でひとまずこのテーマを終わらせたいと思います。父の一件があって、いままで2人の子供については私なりの哲学が出来た気がします。何歳であっても、人間はひとりの独立した人格というものがあります。子供だから、もう年寄りだから・・・という理由では解決できない本質がひとにはあると思うのです。お互いがそれをしっかり持ち続けることが出来るような関係を保つことが肝心ではないでしょうか?親だからこそ、自分の悩みや苦しみを子供たちに表現する必要があるんだと・・・・自分が大人になったとき、ストレスを自分で抱えてしまうことがないように、自分はその辺のことに対してはオープンにして来ました。子供たちに心配かけたくない気持ちもあります。でも、完璧な父親でいようとしても、子供たちが望む父親というのは必ずしも自分の理想とは一致しません。当たり前のことですが、結果的には押し付けでしかなくなるのですね。気がついたら、自分の理想の息子や娘を子供たちに押し付けていたりするもんです。そうならない唯一の方法は、ありのままの自分で子供たちと関わっていくことではないでしょうか?怖いことかも知れませんが、勇気を持って『弱さも強さの裏返しであり、決して罪では無い』ということを身を持って示していくことで、自分の人生を活かす意味に子供たちが気づいてくれたら・・・と思っています。※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年04月16日
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吉祥寺「理学気功」ヒエトル萱沼(かやぬま)です。昨日の続きをお話します。父の横暴な仕打ちに対しては母も全く父側に立っており、すべてを承知していました。これで完全にノックアウトです。次第に家にいることさえ、苦痛に感じ、仕事に集中しようにも出来ませんでした。その頃の私は、患者の数に囚われ、多いと喜び、少ないと極度の不安を感じていたような気がします。患者の数が自分に対する唯一の評価に思えたのです。だから、治療も押さえ込んで症状を消すことに懸命でした。でも、自然の法則は超えることは絶対出来ません。それに気づき、同時に「冷えとり」と出会って私の心は大きく変わっていきました。こころの「冷え」がとれていく感覚を味わっているうち、色々と物事の本質が見えてきたのです。それの1つが「家族」という存在であり、「親子」の関係だったわけです。結果的に今の『夢が現実化しつつある』状態は、父の一件が合ったからこそだ、と感じるようになったのです。もう、私はあの事件が「単なる過去の出来事」としか感じられなくなりました。同時にすべての「こだわり」が非常にほどけて来たのか、物や人間関係を失ったりすることに余り不安を感じなくなりました。患者が来なくなっても、全く関心が無く、今年の売上や患者数なども多分確定申告までは確認することもないでしょう。今は『来るべき人が来て、やるべきことをやる』ことがすべてなのです。私は父と子供たちの両方から、「親として、同時に息子としての活き方」を教わった気がします。カッコよくなかろうが、不安でいっぱいだろうが、金がなかろうが、意思が弱かろうが、深く強い絆が私たち親子を繋いでいたのですね。父も見失っていたのだと思います。私にとって父は父親だという、ただそれだけで『価値』ある存在であることを・・・・親にとって、子供がただ存在しているだけで意味があるのと同じように・・・・・私が自分自身で選んだ両親なのであり、私自身もまた、子供たちに選ばれた存在であることを知った時から、すべてが理解出来たのです。注)『子供が親を選ぶ??・・・・』については過去の日記『こころの「冷え」をとろう その9』を参照(続く)※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年04月12日
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今日は。きょうは実にいい天気ですね。初夏を思い出させる陽気にこころなしかウキウキしてしまいます。前回の続きで、私に起きた出来事というのをお話します。今となっては、どうということもないのですが、実は治療業を始めて間もなく父の取り引き金融機関に毎月30万の積み立てを持ちかけられたのです。それと同時に私の治療院を父の会社の事業部として父から給与をもらう形にしました。父の会社は赤字だった為、そうすることで節税になると思ったからです。今から思うと世間知らずもいいところですよね。経営者という感覚に全く欠けていた為に、とんでもない誤算になってしまったのですから・・・・あっ、長いですよね、前置きが。早い話、3年以上かかって貯めた1500万円がある日突然消えていたっていう、まぁ在り来たりな話です。父に問いただすと「あれは会社の金だ。どう使おうが俺の勝手だ。」と言われ、それが最大の衝撃だったわけです。まあ、法律的にはそうなんでしょうが、せめて役員の私にも借金穴埋めに使うことを、相談して欲しかったですね。そのことで、かなり悩んだというか、『親子って何?』みたいに孤立感に陥ってしまったのです。(つづく)※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年04月11日
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こんばんは。吉祥寺「理学気功」のヒエトル萱沼(かやぬま)です。先週の予告どおり『親としての子供との関わり方』について考えてみました。私も何を隠そう、2児の父親でありまして・・・・・日々考えることが多くあります。恥ずかしながら、まず私自身の親子話をさせて頂きます。私の家は父が小さな工場を経営しておりました。小さいとはいうものの、地元の地場産業では大きな規模と社員数だったようです。小学校位までは羽振りが良く、贅沢をさせてもらっていたようですが、高校辺りから雲行きが怪しくなり、赤字の年が多くなって人的規模を縮小する為にした設備投資で莫大な負債を抱えました。大学卒業後、長男である私は父の仕事を手伝うことになったのですが、隠れたストレスから(この詳細は後に明らかにします。)やがて体調を崩し、それを機に父の事業の手伝いをする傍ら治療に興味を持ち、やがてライフ・ワークになっていきました。完全な景気低迷で返済の見込みは立たず、わずかにあった農地を造成して宅地として売ろうということになりました。ところが、造成費も数千万の借金で、やっとそれが出せる程度に契約があったまま、固定資産税のみを払っているような状態です。ようは全く宅地が売れないのです。そんな中、私にとって空前の大事件が密かに起こっていたのです。(つづく)※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年04月09日
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こんにちは。吉祥寺「理学気功」のヒエトル萱沼(かやぬま)です。相変わらず、気まぐれな更新ですみません。今日は久しぶりの晴天ですので、外へ出たいと思ったのですが、これを逃すとまた、書きたいことを忘れてしまいそうなので、こうしてパソコンに向かっています。さて、今日は余計なものを『所有する』ということで、人がとても苦労している気がしているので、そこら辺について書いてみようと思います。本来、生まれたときって丸裸じゃないですか?当たり前ですけど・・・・・ストレス(心の冷え)って何かを手に入れて、それを守ろうとした時から、感じ出すのだろうなぁ~と最近子供を見ていて思いました。何も所有しないなんて、共産主義をどうこう言うつもりはないですよ、もちろん。あくまで余計なものって意味です。誰かが言ってました。『自分の体重と同じくらいの物を所有するのが一番適当だ』と。これって案外本質を突いてるんじゃないでしょうか?確かに持ち過ぎていることで、起きるこころの「冷え」は多いと思います。人の価値が「どんな物を持っているか」で決まるなんて誰も思っていないでしょうが、自分の持っていない物を誰かが持っていたりすると心中穏やかでなくなる人は大勢います。『価値観の多様性』とはいうものの、かなり画一化した現状が強い社会です。平均思考の社会は、一度歪み始めると中々抑制が効かないものです。宇宙規模で考えても、広がりの無いエネルギーや物質は不安定でもろいものです。様々な元素が絡み合って出来ている物質の方が遥かに外の影響は受けにくいと思うのです。何かを所有すると、必ずそれを犯されることに対して、恐れるようになります。『失うことに対する恐怖』はいつも私たちのストレスを生んで来ました。盗られたり、汚されたり、壊されたりすることで、気が休まらなくなるのです。『心配』は消化器を侵し、『恐怖』は腎臓を侵すのです。だからこそ、保険という制度も存在しているのでしょう。「持たない自由」はあると私は思います。誰もが持っていて、誰も持っていないものがあります。それは自分自身の「こころ」と「からだ」です。逆を言えば、それ以外は誰の物でもないということです。『般若心経』の一節に『不生不滅。不垢不浄。不増不減』というのが、あります。物質や精神的所有物には実体はなく、実体がないからこその物質や精神的所有物だというのです。物質は生まれもしなければ、無くなることもなく、汚い綺麗という違いもなく、増えることもなければ、減ることもない ― これをそのままの意味で理解することは困難でしょうが、宇宙的尺度で考えるとなくもない話です。平たく言えば、「所有すること」に拘っているうちは、こころの「冷え」といつも隣り合わせで居なければならない、ということでしょう。『愛』=所有 みたいな感じになっている人間関係も目に付きます。自分の目に見えるものや感じるものごとに執着することで、いかに自分自身を窮屈な存在にしているか?を考えてみるのもいいかも知れませんよね。次回はこのことと関連して、「親は子供にどう接したら、お互いがハッピーなんだろう?」について考えてみようと思います。※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年04月05日
コメント(2)
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