2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全4件 (4件中 1-4件目)
1
ささ身と隠元の和え物皆さん、こんにちは。吉祥寺中欧・理学気功院/中欧気功整体学院 代表のヒエトル萱沼です。法定金利を上回る違法金利を隠し、犬のクーちゃんのソフトなイメージで凶悪さをカムフラージュしているとして、消費者金融のアイフルが法律家団体に訴えられたそうです。なんか・・・そういうのって安心しますねぇ。まともな世の中に是正しようとするひとたちがいるって云うのが。さてカムフラージュCMの話から、私が常々封印して来た問題が改めて浮上して来たのです。それが『臓器移植』の問題です。《臓器の提供》にしても、募金箱の前を素通りするのが難しい感じで、それを推し進めようとする人たちはそれこそイイ気持ちでやっているので軽はずみなことを云おうものなら、極悪人の烙印を押されることでしょうね!《臓器》とは、なにか?一元論的に云って、ひとつの細胞が分裂を繰り返して出来た人間の構成要素のひとつであり全体でもある存在です。その持ち主は決まっており、決して部分的な独立した要素ではありません。経絡や陰陽五行論から云っても、すべてが揃ってはじめて人体が機能すするのですから、すべてがオーダー・メードで、狭義では互換性はありません。だからこそ臓器移植の総てのケースで『免疫抑制』剤の投与を永久的に必要とするのです。いくら他人の臓器を何千万円も投じて移植したところで、所詮は自力では生存できないということです。『移植手術』を成功させることは患者自身よりも医者にメリットがあるようです。それが医者のステータスのひとつになってしまっているからです。もしも『臓器移植』を否定したらそれは人の命を大切に思わない冷たいひと ― ということになってしまうのでしょうか?生まれたら、ひとは必ず「死ぬ」のです。これは、大問題!でしょうか?いいえ・・・・だからこそどう活きるか?が問題になるのです。ジタバタと生きることは「活きる」ことにはならない。与えられた時間だからこそ、人はしっかりと活きられるのです。ちゃんと「死のう」と思ったら、しっかりと「活きる」必要があるのです。これは総ての『延命行為』に対して言いたいのですが、皆カムフラージュされた風潮に惑わされているのです。現実問題として臓器移植をして喜んでいる人たちばかりではないのです。適合型とは云え、臓器には人格的な要素まで含めた差異があるので、移植後には感覚的な後遺症が現れることさえあります。さらに云えば、その臓器の提供者の意識が残る ― ことがあるという事です。もちろん、免疫抑制剤を続けるにも、莫大な費用が掛かるので、そのストレスや肉体的副作用も大変なものです。しかも移植後の様子は一般にはあまり知らされていません。単なる脳死による植物状態の人たちの延命措置の維持費にしても、月にかなりの金額が掛かっています。その総てが保険で賄われるわけではありませんが、あまりにも『命』というものに、単純な意味で拘り過ぎている気がします。元々、ひとは死ぬために生きるのだ ― とも言えるのです。より良く死ぬためには、より良く活きる必要がありますけれども、そのためには、物事に対する『こだわり』はあまり無いほうが良いのです。黙っていても、私たちには寿命があるわけですから、ジタバタしたところで大した違いはない気がします。自分の『死』や周りの『死』を受け入れることは、決して容易いとは言えませんが、だからこそ『死』は人を成長させるキッカケになるのです。私は《死んだらすべて終わり》だとは考えていません。だから、《死》にあまり執着がないのかもしれませんが、そうかと云って《死後はこうなる》とか《必ず生まれ変わる》というような事を信じて生きているわけではありません。ただ、《死んだら総てが終わる》という確信もまた、持てないのです。それなら、《人は生まれ変わり、意思が受け継がれる》かも知れないと考えた方が生きていく上では都合がいい気がするのです。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 《 ヒエトロジー初級セミナー参加者募集中! 》 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□あなたも自分の《居場所》を見つけませんか?ヒエトロジーはこころとからだの冷えを取り、自分らしく生きるためのメソッドです。〈開講日〉 2月10日(金)/2月17日(金)/2月24日(金)〈時 間〉 午後1時~3時 〈講習料〉 8400円〈場所〉 吉祥寺 中欧気功整体学院詳しくは 中欧気功整体学院のHPをご覧下さい。※お気に入り一覧から入れます。
2006年01月27日
コメント(0)
蕪と白子と胡麻の和え物 皆さん、こんにちは。吉祥寺中欧・理学気功院/中欧気功整体学院 代表のヒエトル萱沼です。東京も雪になり、かなり交通網は混乱していたようです。さて、前回の日記に関しては、結構な反響がありましたが、やはり一般人には実感が薄い話だったかもしれません。この『常識』ですが子供たちが社会の中での居心地の良さを自分で創っていく事が出来るようになっていくためには、どうしても必要なものごとでもあります。居心地の良さというものは、人との関係なくしては決して構築できない感覚だからです。果たして、我々親はそれを子供たちにどこまで教えるべきなのでしょうか?親がいくら野放しにしていたとしても子供たちの社会の中にもルールがあり、その中で育っていく「常識」もちゃんとあります。それを逸脱してまで、すべてを先回りして教えようとすれば、それは現実味を伴わない《知識》に止まってしまうでしょう。子供社会で感じ、傷ついた上で《気付いた》何かは必ず、《智恵》としてしっかりその子の身に付いて活きます。しかしながら問題は日常的な毎日の作業 ― 云わば、友達からは普段どうしているのか?が分からないような個人的な日常です。それは朝起きて保育園や幼稚園へ行くまでだったり、帰ってきて出掛けるまでのなかで、いわゆる些細な「常識」が根付いていきます。これは、もう教えるというよりは、見せていくことです。「常識」と云えど「感覚」的な問題ですから、理屈じゃない。そんなものは、後からくっついてきただけです。家族内で皆の居心地が良く、皆が穏やかな気持ちで居られる空間にするためには、「挨拶」や「掃除」「整理・整頓」「食事の支度の後始末」「食事作法」「食後の片付け」などは基本的に押さえておく必要があることですが、今の核家族のお母さん方のなかにはこれがまともに出来ない人たちが結構居ることを知って、驚きました。 『ゴミ屋敷』だとか『汚ギャル』ってのは、マスコミの単なるヤラセだと思ってたんですよね。でも本当に現実化してしまっているってことはそういう基本的な毎日を粗末にして来たということの結果に過ぎないのだと思います。子供たちの《お手本》はいつだって「親」である私たち自身です。脱いだ物を出しっぱなしするとか、食べたお皿をそのままにするとかいうと、当然のこと空間の「気」の流れは悪くなり、度重なると感性さえも鈍感にしていくものなのです。あらゆる次元で「やりっぱなし」な感じが蔓延していくので、もう収拾がつかなくなってしまいまうのでしょう。これはもうある意味では「気の流れの病」と云っても良いかも知れません。ともかくその空間に第三者が入って《不快感》を感じるようなら、それはすでに「非常識」が創った空間なのです。結果としてそういう空間で過ごした子供たちの「常識」が歪むのは当然のことです。社会に出て行ったときに、あるいは誰かと一緒に住んだりしたときには必ず周りの人たちを不快にさせたり、戸惑わせることになるのです。こんな当たり前のこと、今更云うなよ、と感じた方が多ければいいのですが・・・実際この先が本来の《理学気功》的なお話になるんですよ。(続く)※この続きとして、子供たちをはじめ、弟子や部下の内面的な部分をより良く育てる為に親や師匠、上司に不可欠な心得について、近々お話します。どうぞ、ご期待ください。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 《 ヒエトロジー初級セミナー参加者募集中! 》 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□あなたも自分の《船》を見つけませんか?ヒエトロジーはこころとからだの冷えを取り、自分らしく生きるためのメソッドです。〈開講日〉 1月27日(金)/2月3日(金)/2月10日(金)〈時 間〉 午後1時~3時 〈講習料〉 8400円〈場所〉 吉祥寺 中欧気功整体学院詳しくは 中欧気功整体学院のHPをご覧下さい。※お気に入り一覧から入れます。
2006年01月22日
コメント(0)
吉祥寺中欧・理学気功院/中欧気功整体学院 代表のヒエトル萱沼です。去年の暮れに、ある人から常識があるとか、ないとかで相当嫌な思いをしている話を聞いたことがありました。『常識』を大辞林で引いたところ、『ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。』とありました。そもそもが人間が周囲の人たちとコミニュケートするに当たって必要な前提要素ですから、言語、文化が違えば当然ですが、その『常識』も大きく違ってくるものです。逆に、一定の狭い社会 ― さまざまな職種や業界において ― の中では同じ文化圏であっても、『常識』は変わってくるものです。冒頭のはなしに戻りましょう。私がとても親しくしている治療家の先生には二年掛けて手取り足取り技術や治療理念、そして経営について教えてきた内弟子がいたのですが、些細な他人の噂話を真に受けて、師であるその先生を『人として、間違っている(非常識)』と批判したばかりか、その日を最後に辞めていったそうです。当然後半では患者を任され、その他の研修にも講師の一人として現場で学ぶ機会を与えられていたようです。当然ですが、患者や研修生に対するフォローは全く出来ないわけですが、彼のいわゆる「常識」では、患者や研修生に電話で来週から自分が居なくなる旨を伝えるだけで十分だと思ったことになります。話はそればかりではありません。辞めるという話の前から、その弟子は週に数日は自分で治療活動はしていたらしいのですが、自分のHPの内容はほとんどコピーして即席で作っていたのです。しかも、2年程度の実務経験しかないのにも関わらず、HP上で《生徒募集》をかけて、大そうな金額で人に教えようと本気で思っているというのです。ここで、この例で思う『常識』についての私の見解ですが・・・ひとつにその弟子が、HPの引用(私も確認しましたが、実際はほとんどコピーというレベルです。)や、先生に習ったものを他人に教えようという事に関して一切、先生に相談が無かったことが問題です。この事実を弟子が辞めると言い出した時には、知らなかった先生は後にこの事実を知って、かなり憤っていましたから・・・これは、HPの件は著作権の侵害であろうし、《生徒募集》の件は先生の運営するセミナーに対する権利の侵害に当たるものです。法律的にどうか?はともかくとして、これでは『師弟関係』もあったものではありません。私の一般『常識』は、もはや職人や芸術の世界のみでしか通用しないものかも知れませんが、『師弟関係』が成り立たない様では、とても特殊な技術やその技術に伴う精神など教えられるものではない ― と思います。人が何年も経験と時間とこころを注いで、創り上げたものを教わろうという時には、師の『常識』がすべてでなくてはならないはずです。その弟子が辞める理由というのが、先生が他の弟子に言ったことがその弟子にとって耐え難い屈辱的発言だったことらしいのですが、それが噂でなく事実だったとしても、一介の弟子が師の言葉を受け止める姿勢としては全く見当違いではないでしょうか?つまり最も重大かつ根本的な問題点はその弟子は、『師弟関係』に一般の雇用関係や対等な人間関係にしか通用しない『常識』を持ち込んでいることです。しかも一旦辞めたら(たとえ一方的にであっても)、関係ないくらいにやることに一貫性が無いことです。私は『師弟関係』が絶対的だと云っているわけではありません。私自身、多くの先生に師事して来ましたし、考えが変化して衝突した経験もあります。ただ、その人の人間性が気に入らなくとも、その技術が必要なら決して表面的に逆らったりしませんでした。逆らって自分を通す必要があった場合には、何年も使った技術であっても、その先生に教わったものはすべて捨てて治療活動をして来ました。それが結果的に相手のかつての師に対する最低限度の礼儀だと考えたからで、その考えは今も変わることはありません。ですからその弟子の例で云えば師を否定して辞めるのであれば、事後処理は勿論ですが、先生から学んだ技術は潔く、捨てるべきなのです。その技術を土台に生活していくのであれば『師弟関係』は終わらないと思います。人が創り上げた技術というものは、もはやその人そのものなのですから・・・・師を否定攻撃しておきながら、未だにその先生に指導されたことで生計を立てることは、決していい方向には行かないと思います。無意識の繋がりから云っても、人から受け継いだ技術は「こころ」が伴って初めて本物となるのです。その意味から云えば、先生も私同様強い理念の持ち主ですから、思いの強いひとが創り上げた技術というものは常に理念が優先して具体化するもので ― その師に対して中途半端な拒否感があると、次第に技術の有効性は表面的な薄っぺらなものになっていくものなのです。人から教えを乞う立場、そして人から教えてもらった技術で生計を立てる立場の者がその師に対する心構えとして、一切の既存の概念や価値観といったものを捨て去ることが必要だと思います。物事の真髄に近づこうと思えば、よりピュアにその師のこころの陰陽まで、(言い換えれば酸いも甘いもというのでしょうか?)含めて受け入れる姿勢が必要なのです。自分にとって都合の良いことのなかに学ぶべきことは少ないものです。このことは何を隠そう、親子関係にも通じます。子供と親との絆が強い理由のひとつは、子供は母親の言うことすべてがそのまま価値観に繋がるからです。すべてをそれこそ鵜呑みにするところにあるのだとも思えるのです。だからこそ、教える立場の者もいかに努力を惜しまず、しかも状況を心から楽しめるこころの状態で居られるか?が問われるのです。(次回へ続く)■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 《 ヒエトロジー初級セミナー参加者募集中! 》 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□あなたも自分の《船》を見つけませんか?ヒエトロジーはこころとからだの冷えを取り、自分らしく生きるためのメソッドです。〈開講日〉 1月20日(金)/1月27日(金)/2月3日(金)〈時 間〉 午後1時~3時 〈講習料〉 8400円〈場所〉 吉祥寺 中欧気功整体学院詳しくは 中欧気功整体学院のHPをご覧下さい。※お気に入り一覧から入れます。
2006年01月16日
コメント(1)
明けましておめでとうございます。吉祥寺中欧・理学気功院/中欧気功整体学院 代表のヒエトル萱沼です。新年早々の重いテーマに引いている方もいるとは思います。以前は『精神分裂症』と呼ばれていた言葉です。しかしこれはひとが人として生きる上では無視できない問題に密接に関係している問題だとこころから感じるのです。だからこそ、1年のスタートでお話したいのです。発端は自然の法則です。この世の全ては極性を持っています。陰と陽、昼と夜、表と裏、プラスとマイナス、男と女、善と悪、好きと嫌い、寒いと暑い、酸とアルカリetc ・・・・ここで大切なことは、それぞれの要素に優劣などなく、それぞれが単独では存在意義のない ― 両面ないと成り立たない存在であるということなのです。全ての存在は対極が渾然一体となっており、必ず2つの要素を必要としているのです。人間関係でみてみると、そりの合わない相手や価値観の明らかに違う相手というのが、多かれ好くなかれ存在するものです。しかしそれもまた対極要素のひとつに過ぎません。ほとんどの人間関係は相対的判断から導き出した情報が結論付けているのです。結局はAさんは自分の都合に合うが、Bさんは都合が悪いという場合でも、更に都合の悪いCさんという存在が現れた途端に状況は一変するはずです。『Bさんは好きではないが、Cさんと比べたら、遥かに良い人だ。』それが数限りなく繰る返されるだけなのではないでしょうか?それでも、極稀に理屈抜きで感じる愛情に出合ったりするでしょうが、それすらも、過去の情報から瞬時に導き出している感覚かも知れません。自分の都合で人間関係を分別排除し、都合の良い人たちだけと関係を持つことが、仮に出来たとします。いや、実際そういうことを仕方なく選択して実行する人もいるのです。しかし・・・総て都合の良い人たちばかりのはずが、時間が経つと都合の悪い人たちと云うのが出てきてしまうものなのです。するとまた、その中で都合の悪い人たちとの関係を絶つことになります。そうやっていくうちには、最後には自分だけが残ることになるわけです。これで、やっと一安心。『やっぱり、人は孤独なものだ。ひとりでいた方がずっと気が楽だ。』いくらそう思ってみたところで、これで済むわけではないのです。実はここからが、今回の核心部分です。ひとりの人間の存在にさえ、『対極』は存在するのです。もしも本当の意味で社会を否定し、ひとりになった時には、ひとは人格のレベルで 『対極』の存在を創り出そうとするのです。社会の中に『対極』としての人間関係が存在するからこそ私たちは自己の中にある『対極』の人格のバランスが保てるのです。それこそ、人格を『統合』しているということです。これが理学気功的に云う『統合失調』のメカニズムです。すべて身の周りに起こることには「必然性」があります。それは、総ての人間関係にも言えることです。自分と全く違う考えのひとが存在してこそ、初めて自分の考えというものがより明確のなるわけですし、嫌いなひとがいるからこそ、より大切な存在が見えてくるのも事実なのです。受け入れる ― といことは、決して嫌いなものを好きになることではありません。自分を取り巻く全ての事実をありのままに受け入れさえすれば良いだけです。それが、いつも気持ちを解放して、気楽に楽しく活きるコツです。その具体的メソッドがヒエトロジーというわけです。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 《 ヒエトロジー初級セミナー参加者募集中! 》 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□あなたも自分の《船》を見つけませんか?ヒエトロジーはこころとからだの冷えを取り、自分らしく生きるためのメソッドです。〈開講日〉 1月13日(金)/1月20日(金)〈時 間〉 午後1時~3時 〈講習料〉 8400円〈場所〉 吉祥寺 中欧気功整体学院詳しくは 中欧気功整体学院のHPをご覧下さい。※お気に入り一覧から入れます。
2006年01月06日
コメント(1)
全4件 (4件中 1-4件目)
1