2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全5件 (5件中 1-5件目)
1
このところ「理学気功」も治療活動も然ることながら、理学気功師養成の仕事もかなり忙しくなって来ました。研修生のすべてが「冷えとり」をしていますが、1ヶ月で5キロとか3ヶ月で10キロとかの減量に成功している者もいます。しかし、ダイエットは副産物に過ぎません。気がついたら痩せていたってだけですから・・・・。さて、本題です。果たして男と女の「愛」で『分離感』は解決できるのでしょうか?答えはイエスであり、ノーです。本来『分離感』を解消するには自己と他の存在すべてとの一体感を感じることが出来ればいいわけです。ただし、すべての中には愛する異性が含まれるのですが、『愛する人』=『すべての存在』ではないですから・・・とは言え、たった一人の異性から『すべての存在』を感じることは出来るのです。逆にたった一人の異性によって、ことごとく『分離感』を感じる可能性もあります。ここで男女の愛に不可欠な要素として、外すわけにいかない行為にセックスがあります。実はヒエトル萱沼は日本インポテンツ協会の理事も務めているのですが、この問題を避けていたら、核心には辿り着けない気がするのです。生殖行為以外の目的でセックスをするのは私の知る限り、人間だけです。何の為でしょう?もちろん、最も他との『一体感』を感じることが出来る行為のひとつだからです。「心身一如」を感じられる数少ない瞬間と言えなくもないでしょう。だからこそ、人間は男女別々の身体を与えられているのかも知れません。そして、だからこそ、「からだ」と「こころ」を確実に融合し、すべての存在との一体感をも超越することが出来るのです。結果、「からだ」に偏った「セックス依存」とういう現象が起こり得るのです。ところが、「セックスレス」カップルも増加の一途を辿っています。おそらくは、どちらも一種の逃避と言えるのではないでしょうか?彼らは怖いのです。何が・・・・・?自分と向き合うことへの恐怖です。相手に「受け入れて」もらえていない、という実感をわざわざ味わいたくないのです。肉体的に最も近づくが故に、最も「分離感」をも感じやすいのも事実です。『失敗』しない確実な方法がひとつだけあります。それは「何もしないこと」『愛』は「呼吸」に似ています。思いきり「吸い」たければ、まず最初にしっかりと「吐く」ことです。相手の「からだ」も「こころ」も重さは同じです。相手の求めているものを与えないうちから、求めるのは理に適っていないのです。愛されたければ、先ず愛しましょう。「どうしたら愛されるか?」考える前に「どう愛するか?」を考えましょう。そして、自分自身の中に息づく『一体感』を取り戻してください。※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年03月28日
コメント(8)
おはようございます。吉祥寺「理学気功」のヒエトル萱沼(かやぬま)です!今日は山梨院からお届けします。なんと今、雪が降っています。こんな寒いと、ひと恋しく感じるものなんでしょうね。さて、男女間の愛が同性の場合と大きく違うのは、一般的に言って、やはり『恋愛』に発展する場合が多いことなんでしょうか?良し悪しはともかく、同性の間では極稀でしょうから・・・・・恋愛では「独占欲」が絡んださまざまな問題をたまに相談されたりします。そもそも「独占欲」がなければ起こりえないことが多いように思います。前回も相手を「自分の手の内に置くこと」を「理解すること」と混同している例を挙げましたが、やはり、同じなのだと思います。自分が何者でなぜここに存在するか?という命題に対して手軽に『自分は特別なんだ』的納得が出来る(一時的なんですが・・)のが恋愛だという面は確かにある気がします。誰かに認めて欲しいという欲求は誰でもあるのですが、もともと「人間個々の存在自体が既に特別であり無くてはならない存在」なんだということをつい忘れて「中心感覚」を失うと恋愛の究極の目的である『自分をより深く知る』ことよりも、相手を所有したり、されたりという方向へ向かいやすくなります。それは「分離感」を「一体感」によって補おうとする行為なのですが、私たちは生まれた時点で母親の身体から分離されてしまうので、この感情は実は誰にでもあるのです。その意味で「分離感」を受け入れた上での「一体感」というものが『恋愛感情』の本質ではないか?と思うのです。実際、誰かを『独占』しようと躍起になればなるほど、相手はそこから逃れようとするはずですよね。当たり前ですが、AさんとBさんは最後まで別々の存在です。相手の中に自分の『存在価値』を見出そうとしても無駄なのです。でも、ほとんどの悩める人たちがその勘違いから、深みにはまっているように思えてなりません。すべてを解かってもらおうとしても、すべてを解かろうとしても不可能なので、終いには一緒に居るだけで、なぜかイライラして喧嘩ばかりになるのです。「自分のことは先ず自分が知るべき」なのです。そして、相手に対しては「自分との思考の違いを素直に認める」ことです。いつも肉体的にも近くに居ることで「一体感」感じる人もいれば、反って一人の時間が少ないと『ストレス』を感じる人もいるのです。このことは『脳の発達バランスが骨格を決める』という研究からも明らかなのです。100人がすべて異なる要素を持って生まれてくるのです。一緒に居てくれないからといって、自分の都合で「分離感」を感じてしまうとしたら、こんな滑稽な話はありません。(つづく)※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年03月20日
コメント(3)
こんにちは。吉祥寺「理学気功」のヒエトル萱沼(かやぬま)です。今回は「愛」についての中でもポピュラーな男女間の「愛」について、こころの「冷え」がどう関係しているのか?考えてみたいと思います。先ず、恋愛には「別れ」が付き物のように言われているようにも感じるのですが、そうとも限りませんよね。でも、いくら相手を理解しようと頑張ってみたところで、余計に苦しくなることも多いのではないでしょうか?実はこの相手を『理解』しようとすること自体が、二人の関係を複雑にしてしまうのです。どうも一般的な『理解』すること、の解釈を見て感じるのは「相手が何をどう考えて、何を感じていて自分をどう思っているか?」ということばかりに偏っているように思えます。つまり、相手の気持ちを『所有』したい、自分が『安心』したいという欲求が優先してしまう余り、相手の言動に依っては「自分がどう感じて、どうしたいのか?」を後回しにしてしまうこともあるのです。それに気づかないでいると、いつの間にか『恋愛依存』になってしまう可能性すら有ります。そもそも人は生まれ持った特性というか、目的を持っています。それを達成する為に様々な人との出会いが『仕込まれている』わけです。ですから、最初から最後まで人間関係に不都合が生じないとしたら、そこには何一つ『気づき』が生まれてきません。相手を「理解」しようとし過ぎて、自分を押さえ込むことに慣れてしまうことは大変危険です。なぜなら、自分自身で「仕込んだ」『気づき』のヒントにすら出遭えずに終わってしまうかも知れないからです。「自分を抑えるべきところは抑える」のが本当に大人なのでしょうか?個人のしかも、もともと特性の大きく異なった性差のある同士では、同じ価値観であることは稀です。違うからこそ、『気づき』もあるのです。大人だからこそ、穏やかに自分の気持ちや感情について表現する努力をすべきではないでしょうか?お互いの『違い』にもっと積極的になってください。誰かと出会う意味は『自分自身をより深く理解する』ためです。相手も『気づく』必要があって、あなたと出逢ったのです。無理やり『理解』しようとするから、自己の『中心感覚』を見失って「不安」になり、頭がのぼせて足元が冷えるのです。それで、益々思考が停滞して、自分にとって最も重要な『気づき』を見落とすうちに、『出会いを成就する』ことに価値観を求めようとすることもあります。今までもお話したように、『失敗』は存在しません。『失敗』も人生の大きな目的から考えれば、一つの『過程』に過ぎないのです。人との出会いも、『過程』です。決して『目的』ではありません。特定の相手に『目的』を持とうとすると、必ず『中心感覚』がブレてしまうでしょう。『目的』は自分自身の中にしっかりとあります。例え、ひとりでも穏やかで自分の存在を素直に感謝できるもの同士が結ばれるからこそ、それぞれの『目的』が達成できるのではないか?と思います。「別れ」を恐れてはいけません。それは『失敗』ではありません。そもそも人生に『失敗』など存在しないのですから・・・・もう、その出会い自体の目的は完了している・・のかも知れませんよ。『愛』に迷っているかたがいたら、是非「冷えとり」を実践することをお薦めします。頭がクリアーになってきっと、現状が見えてくるはずです。※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年03月15日
コメント(17)
こんばんは。吉祥寺 「理学気功」の萱沼(かやぬま)です。今回は久々、「冷えとり」の体験レポート第3弾!前回も「親子の愛」について感動レポートを送ってくださったMさんから、今回は自分の「冷えとり」体験のレポートが送られて来ました。Mさん、どうもありがとうございました。あえて、原文のまま掲載させていただきます。◎治療モニター体験とその後のご報告◎ 私は26歳の学生です。もともと私にはこれといった体の不調はありませんでしたが、母が研修生として吉祥寺中欧・理学気功院で理学気功の勉強をしていて、以前から思考場療法に興味があったので、2月29日に初めてお邪魔しました。最初は見学のつもりだったのですが、施術を見ているうちに体験してみたくなり、モニターとして体験できることになりました。理学気功という言葉自体があまり耳慣れないものですし、理論についてもそれほどよく理解できていませんでしたので、最初は半信半疑で他の方の施術の様子を見て、「一体、何が起こっているのだろう」という気持ちでした。 私には側わん症という、背骨が曲がってしまう病気(手術済み)があり、今までにあらゆる整体治療を受けてきたことがあります。私の知る整体は、体の各所を押したり、上を向いたり下を向いたりと、けっこうアクティブなものでした。それに対してこの理学気功は、とても静かに治療が進んでいく印象があります。どこかを強く押されたり、上に乗っかられたりすることは一切なく、施術者の方に手を当てられるだけ。痛いどころか、頭の中心がボーッとして暖かくなり、とても気持ちの良い時間が流れていきました。 もともと不調があったわけではないので、何がどこにどのような効果があったのかは正直その時点ではあまりよくわかっていませんでしたが、治療院に置いてあった本を何冊か流し読みしてみて、とりあえずこの健康法を続けてみたらどうなるのかな?と思い、「冷えとり」の靴下を2日分(6足)購入しました。 その後しばらく研修の様子を見学していたのですが、先生が研修生の方にご指導為さっている時に、「ここをこうすると気持ち良くなって、眠ってしまわれる患者さんが多いんですよ~」と仰っているのを聞いた時に、なぜか急激に眠くなってしまい、その場で深く眠り込んでしまいました。帰りの電車の中でも眠気が覚めず、次の日も1日眠い状態が続いていました。 その頃はとても不規則な生活をしていたため、体内時計がすっかり狂っていて、いつも寝つきと寝起きが悪かったのですが、その日以来、就寝後はすぐに眠れるようになり、起床時も気分良く起きられるようになりました。 私の中での最も大きな変化は、まず精神面に現れました。モニター体験後2日目くらいから、なぜか機嫌が非常に良く、何をしていても楽しくて仕方のないことに気付きました。これは偶然?と思い、先生にメールで伺ってみると、どうやらこれは「心の冷え」がとれ始めたということのようでした。そして、驚くべき変化はこれだけでは終わらず、なぜか良いことばかりが起きていることに気付きました。まず人付き合いが活発になり、多くの良い人々と交流することが多くなりました。「お金がないなぁ」と思っていたら、以前のバイト先からより良い条件で要請が入るようになったりもしました。これは私がいつも良い気分でニコニコしているため、周りの状況がついてきてくれているのかもしれません。先生が仰るには、心の冷えがとれれば運気も上がるとのことです。 身体面の変化については、それほど大きなものを感じることはありませんが、徐々に効果が現れていると思います。肌荒れが治ってきていることと、ゆっくりではありますが、痩せてきているということで、その効果を感じることができます。 治療はただ受け身でやってもらうという態度ではなく、自分でもそれなりに努力することが必要です。私の場合は、ただ靴下を履き、半身浴をしているだけですが、これが結構快適なので、めんどくさがりやの私でも喜んで続けています。 靴下を履き始めて2日目、さっそく左足の足首のちょっと下あたりに、直径7ミリほどの水膨れができました。話には聞いていましたが、これがウワサの「毒出し」でした。水膨れは3日ほどで消失してしまいました。 5日目あたりに、久しぶりに風邪をひきました。発熱はなく、ただ咳きと鼻水が出るだけのものでしたが、何の薬も飲まず、特におとなしくしていたというわけではないのに、次の日には治ってしまいました。 「排毒」という考え方は今までの常識を覆すような新しい視点であると思います(本当はこちらがもともと人間が持っている自然治癒力の考え方だそうですが)。これは、「症状というのは体にたまった毒を外に出す時に生じるものである」という考え方であり、それまでの症状を抑えるという考え方とは全く反対の所に位置するものです。つまり、体に現れる異常(症状)は毒を出すことと同じことであり、毒出しを抑えることは毒を体の中に留めてしまうことになります。この理論を理解してしまえば、ちょっとした肌のトラブルや、風邪などの症状が出てきた時に、落ち込むことなく、むしろ喜んで病気に向き合うことができるようになり、自然に自己管理を意識するようになります。 この私の報告を読んで、すぐにこのような変化を信じることは難しいことかもしれません。これはたぶん実際体験してみないことにはわからないことなのでしょう。多少、宗教じみたものに感じたり、何やら怪しいという印象を与えてしまうのは非常に残念ですが、1度でも体験してみる価値は十分あります。こちらの萱沼先生はとてもサッパリとした方で、無理に治療を強要するようなことは一切ありませんので、ぜひぜひ、この心身ともに健康になっていく感覚を体験してみてはいかがでしょうか。楽になるのはそれほど大変なことではないということが、すぐに理解できるようになりますよ!以上が送っていただいたレポートの全文です。※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年03月09日
コメント(2)
今晩は。吉祥寺 理学気功のヒエトル萱沼(かやぬま)です。先日治療モニターに来てくださった女性から「親子の愛」について素敵なお便りを戴いたのでご紹介いたします。『「楽天」の方は、まだ全部は読んでいませんが、「親子愛」について書かれていたので、うちの親子についてちょっぴり書いてみたいと思います。私はそういう普遍の現象について考えるのが好きなので、「愛ってなによ?」と考えたことがあります。出て来た答えは「受け止めること」「許すこと」「見返りを期待しないこと」です。自分で言うのもなんですが、私は愛されて育ったという自覚があります。14歳の時に背中の手術をしたのですが、その時に初めて「親の愛ってすごい」と気づいたんですよね。手術直後はずっと寝たきりで、自分で寝返りも打てない状態でした。それでも同じ姿勢でいると体が痛くてどうしても寝返りが打ちたいんです。看護婦さんに寝返りを打たせてもらうんですが、20秒もがまんできませんでした。看護婦さんも忙しいですから、そんなにしょっちゅう呼ぶわけにもいきませんし。。。そしたら、その寝返りの作業を横で見ていてやり方を覚えた母が、深夜でもなんでもずっと待機していてくれて、文句ひとつ言わず、心配そうな表情で、ただただ寝返りを打たせてくれたんです。それも夜中じゅうずっと。数十秒間隔で。それを思い出すと今でも涙が出ます。その時に、それまで当たり前だと思っていて意識さえしていなかった親の愛を感じました。見返りも何も期待しないで、ただ私の体を楽にするためだけに奉仕してくれる母を見て、「この人の子どもで良かったな」と思ったことを覚えています。ずいぶん長い間、寝たきりだったので、その間にたくさんのことを考えました。母だけではなく、家族や他の人々に対する私の意識が、病気をきっかけに大きく変わりました。そして、そのおかげで色々なことに気づいたり、感じたり、感謝したりできるようになりました。だから、背中のキズや、背骨に入っている金属棒は、母は気にしていたようですが、私にとっては勲章のように大切で、恥ずかしいと思ったこともコンプレックスに感じたことも1度もなく、むしろ誇りですらあります。だから、夏は背中の開いた服でも水着でもどんどん着ちゃいます。それがなければ、家族の愛をあの若さで感じることもなかったでしょうし、「失うものは何もなくて、大切なのはそこから何を得ることができるかだ」という自分の生き方の哲学も生まれなかったのではないかと思っています。「気づく」ということはとても貴重で大切なことですよね。こういうことがあって、私は臨床心理士になりたいと思うようになりました。そして、臨床心理学のなかでも最近話題の「思考場療法」(気の流れを整えることによる心理療法)に興味があり、師匠の所を見学させて頂いた、というわけです。ちょっぴり書くだけのつもりだったのですが、随分長くなってしまいました。では、これからミニ牛を探しに行ってきま~す(笑)。』※ミニ牛・・・全体食が冷えない。小魚のように全体を食べられる牛がいたら、害も少ないかも?という話をしたことに対しての早速の突っ込み。※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年03月03日
コメント(10)
全5件 (5件中 1-5件目)
1


