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私は、ずっと母と二人暮らしを続けて来ました。寝たきり状態ではあっても、毎日口だけは達者で”ああ言えば、こう言う”でした。糖尿病患者でしたが、食事量が少ないし我儘で指定の食事は口にしないのでお医者様が折れて普通食を許して頂きました。母は、朝食にはトーストとウィンナさえあればご機嫌でした。夕食は、揚げ物や煮物。お誕生日や母の日等の記念日には、大好きなピッツァをデリバリーするのが恒例でした。母がいなくなり、何日も何も食べられず涙が噴水の様に流れていました。しゃくりあげる苦しさで、呼吸困難に陥り転げました。これから、こんな日々が続くなんて到底耐えられない!!私は、”母とのこれまで通りの暮らし”を”演じ”始めました。実は、初めて母が入院した時も寂しさから同じ様に振舞った事があります。母の寝台に大きなバッグを並べて毛布を被せ、話し掛けていました。それを発展させて、数個のクッションを膨らませ等身大に整えました。椅子にも座らせる事が出来て、気に入っています。夜には、目の前で寝ている姿に見えます。食事も、母が生きていた頃と同じに作ります。後で残るのが少し落ち込みますが、”お供え”的に扱う事にしました。そして。会話したい時は、”切り札”のタロットカードを使うのです!!これが、結構面白いのです。例えば。「今晩のおかずは、気に入った?」と訊くとちゃんと”聖杯の3”が出ます。ああ、美味しかったんだなと分かります。(今日は、厚切りベーコンとキャベツを焼きスパゲティを添えました。全部母の好物です)母の好きな俳優が出演するTVドラマを見ながら、「面白い?」と訊くと”世界”が出ます。ああ、楽しいんだなと分かります。こんな風に、押し寄せる悲嘆を何とかやり過ごそうと思います。
2019年09月29日
私は、母を介護して来ました。同居する母の世話を引き受ける代わり、もし母が世を去ったらその後は別居する兄に引き受けて貰うつもりでおりました。母の様子が急変した時、私は救急車の要請と同時に兄に連絡を入れました。でも、来ませんでした。病院の廊下で、「どうして、来ないの?」と強烈な不安に苛まれながら待ち続けました。夕方、母は意識が戻らないまま死去しました。最愛の存在との突然の永遠の別れ。それでも、兄の姿は現れません。「いったい、何がどうしたの」と、ただひたすら携帯番号を押し続けていました。仮通夜も終わろうとした頃、メールが届きました。「遺体は、30万円コース(読教無しの最低料金)で火葬場に送れ」これは、断りました。結局、兄は(仮通夜・通夜・葬儀・初七日・四十九日)のどれにも来ませんでした。家族が亡くなると、用事は葬儀だけでは済みません。介護関連や医療機関への連絡とご挨拶・各種の資格抹消の手続き・名義変更・僧侶との交渉・お世話になった方々へのお香典返しやお礼状の発送。兄は、これ等のどれに対しても完全にノータッチでした。その間、電話とメールが数回届きました。「借金がある」「喪服がない」「寝たいから、電話はするな」「当座の金を支払ってくれるなら、お参りしても良い」兄の理屈では、お金を借りている人は全員親の死に目に会えず弔いにも不参加になります。でも、そんなお話は聞いた事がありません。それも、耐えて来たのですが。やっと一息吐こうとした私に、母のお金の話を言い出しました。兄は自称”社長”で、不相応な邸宅に住んでいます。数年前、家賃の高額さに驚きました。その話をしたら、「煩いな。しがらみもあるから、借りてるんだ」と途端に不機嫌になり話を打ち切りました。私は、数か月間食事が咽喉を通らなくなりました。ほんの少しでも休んで心の底から泣いて母の死を悼みたいのに・・・。
2019年09月26日
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