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捨て活をやや目指し、さあ、お世話になった服たちよ、さよなら、と袋に詰めつつ、ついクラフト作家たちの動画や古着リメイク職人さんたちの動画を見て、いやいや、ちょっと待て、とまた考え込んでしまう。いや、リメイク職人さんのようなすごいことなんかできないことはわかっている。ああ、でも、ちっちゃいものなら、何かできるかも、と。お情け家庭科3だった私でも、手縫いや編み物をすると、心が落ち着く。不器用だけど、黙々と手を動かす時間が何か楽しい。そこに一杯のカフェオレとチョコレートのかけらなんかあったりすると、天国。作家たちとか単純に物作りの好きな人たちの動画などを見てしまうと、メルヘンな世界がそこにはあって、いろいろあるけれど、色彩の統一感もあるし、いろんな色が飛び交っていても、何か心わくわくしてしまう。ホテルのような無機質な空間もいいけれど、メルヘンが詰まった住まいなんかはもはや住まいそのものがアート作品に見えてしまう。そういえば、昔、黒い下敷きをなぜか枕元に置いていて、朝、目覚めるとその黒い下敷きが真っ先に目に入ってきて、心も暗くなり、違う日に花がいっぱいという水彩画に変えたら、心明るく目覚める、ということに気がついたことがあった。思うに生活感あふれていても、使い勝手が良くて、元気の出る色彩や心あったまる、落ち着く色彩で統一されていれば、一日の始まりも楽しくなるんではないだろうか。と、いうわけで、袋に詰め込んだ古着をいくつか再び出してしまった。まあ、でも、今日はそれなりに捨てる覚悟の出た服もあったので、これで良しとしよう。
2024.04.06
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何度かの引っ越し経験者としては、モノを少なくさせたい、と数年前からずっと思っている。今度こそは、と思う時に、夫の親戚同然の知り合いのご夫婦が亡くなられて、お片付けのお手伝いに行き、結局なんだかんだと、まだ使えそうですね、といただいてしまったり、そこでものがまた増えてしまった。この話、すでにブログに書いたかもしれないけれど、捨て活で挫折するたびに思い出す。いや、ほんとうに素晴らしいものもたくさんいただいたので、そこは感謝なのだけれども、これは要らないかな、というものも結構ある。その片付けを夏の暑い時に汗だくで一週間寝泊まりしてお手伝いした時に、アパートにはお二人しか住んでいなかったのに、こんなにもたくさんの物が出てくるんだ、と驚いた。別の知り合い夫婦も来て、時に4人、5人で片付けた。衣服でも靴でも、書物、庭用用品、お茶碗、お皿、スーパーの袋もたくさんあった。アルコール類から賞味期限の切れた缶詰まで。眩暈を覚えたものだった。小さな棚にも、こんなに押し込められるものだろうか、と思うほど、いろいろ入っていた。お二人ともお仕事をされていたし、旅行も大好きな方たちだったので、片付ける暇はそんなになかった、と思う。趣味は良い方たちだったので、生前は招待されていくと、毎回、素敵なお住まいにしていらした。第二次世界大戦時は子供だった方たちだから、モノは大事にされていたようで、プラスチックの袋でも、丁寧にたたんであったり。缶詰が多かったのも、いざと言う時の不安がおありだったからだろう。私はあの時、あらためて自分がこの世を去る時は、できるだけものが少ない状態で去りたい、と思ってしまった。が、捨て活ってそんなに簡単じゃないのね。時々、啓発、啓発、といろんな動画を観ても、いざ、服なんかの前に座ると、ああ、思い出があ、とか、いや、この生地でクッションとか何かに変換できないか、とかお情けの家庭科3が偉そうに大層なことを目論んで、先に進まなかったり。姉からもらったセーターは縮んでしまったが、捨てがたく、帽子に縫い直したり。小さな穴が開いたから、と自分で作った猫のアップリケをほどこしたタンクトップも捨てがたい。もう絶対着ないのはわかってはいる。クッションにしようかなあ、と。誰かのブログで、クッションってそんなにたくさん必要?と書いてた人がいた。確かに。夫が持っているものは礼儀として基本タッチしないが、夫は、もっとひどい。捨て活より、もらってくる人なので限界がある。国籍も年齢も違うが、亡き父に似たところがあるので、ある程度、あきらめてはいる。男の人ってそういう人が多いのかなあ。掃除とかね、自分でほとんどしない人はそうなるのかも知れない。掃除する時は、すっきりした部屋のほうが簡単でしょ。そういうことがわかんないのね。(そういうお前もこの間、ブロカントで何か買ってきたよなあ、と言われそう💦)そう、人のことは自分のことより気になるんだよね、きっと。いやですね。反省、反省。うう、辛い。昔、パリ市内のあるアトリエの管理人の画家の人も、アルメニア出身の人で、結構、その辺にこれは使えそうだと思うものが落ちていると拾ってくる、と話していた。内心、奥さん大変だなあ、と、うちの亡き母と重なってしまった。夫が勝手に同僚からいただいてきたもの。それが引っ越し前日にもらってきたりした時はほんとうに泣きそうになってしまった。くれる人も人だよね、と内心恨み節が。その同僚も新築中で、規模の大きい捨て活中だった。こちらが断りにくい感じで迫ってくる人だったから、夫も流されてしまったのか。引っ越しするのに、これからあ。自分たちの荷物だけでも小トラックに全部入るかどうかわからんのに。夫のボリューム認識力は皆無だということはわかっていたが。ここまで楽観的だったとは。案の定、そのために自分たちのほぼ新しいお気に入りの冷蔵庫が最後に車に入りきらず、南仏の家を買ってくれた家族に譲ってしまうしかなかったこともある。彼らは大喜びだった。ほぼ新品の冷蔵庫。しかも、小トラックも詰め込まれすぎて、タイヤが低くなり、結局、途中でもらった大きなベッド部品を廃棄処分すると、いう。結局、今はノルマンディの家で、前の住人が置いていってくれた古い冷蔵庫を使っている。ノルマンディに引っ越しした時に、夫の親戚から組み立て式シングルベッド6個、組み立て式家具なども夫がもらっていた。いや、うち、そんなに大きくないんですけど。車を入れるはずのガレージもパンパン。車は外。そのほかに掃除機を下に通せない同僚由来のダブルベッドもある。人が遊びにきて使ったのは2年間で確か3度か4度かだけ。自分的には、せめて掃除機が通るベッドに変えたい。シングルベッド4個は、部品が足りなくて、組み立てができない。処分したい、と思いながら、自分はこの世を去っていくんだろう、きっと。夫はいつか部品を見つけて使えるんじゃないか、と思っている。仮に修復できたとして、どこに置くの?さ、しようがない。すっきりした家にしたいけれど、障害物競走のように続く。捨て活、きょうも少しづつ進めます。
2024.04.06
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