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元日の新聞を今朝読む。社会面で大きくとっているが、食糧の供給を他人にゆだねることのリスクと理解する方が分かりやすいのではないかと思う。今は下火になっているが、BSEも根は同じだと考えるべきだ。
採取、狩猟の時代から栽培の時代になり、工業化社会になって食は取引の対象となる。採取、狩猟の場合は育成するのは自然だから、毒きのこやフグ毒にあたるものをリスクとして持っていた。自分で栽培するならば、毒のないもの、無害なものを選らんで栽培する。 天災による減収のリスクはある。
食を買う時代になると、別のリスクが生じる。うそをつかれることと、生産の結果による価格変動だ。農業は天才の危機に常にさらされているから、計画通りに収穫できるかは分からない。 また、人間はうそをつく動物だ。信用と言うあるようなないようなものを頼ることになる。売る方も売れなきゃ困るわけで当然妥協点が生じるわけだが、どうも売る方に有利になる可能性が高い。「飢餓」と背中合わせな訳だから。
これを消費者と対等にするにはある程度の政治力はやむを得ないのだろうか。富もリスクも分配するならそんなところに落ち着くしかないか。考えて見ると、これはBSE騒ぎの軌跡のように見える。
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七詩さん
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