PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
フリーページ
『出る穴が あるのに障子の トンボかな』
という川柳があるが、視野を広げてみれば逃れられる突破口がちゃんとあるのに、目の前の障子に頭を打ちつけて、いたずらにバタバタしているトンボの姿が思い浮かびます。
それは、何かを思い詰めて、目先だけしか見ていない私たち人間の姿そのものです。
物事を判断するときは、心に波風が立っているときは判断を延ばすことです。 どんなに海が好きな人でも、嵐の海に小舟を漕ぎ出すようなバカなことはしません。
私たちの心を海に例えれば、怒りや恨みなどでカッカしたり、立場やメンツ、利害損得勘定などに囚われている状態は、ちょうど海が激しく波立っている状態と同じです。
そんな状態のときに、あれこれと思案したり画策したところで、嵐の海に小舟をこぎ出すのと同じで、上手くいくはずがありません。
寸時を惜しんで、答を出さなければならないことなど殆どないはずです。心に嵐が吹き荒れているときは、嵐が鎮まるまでじっと待つのが賢明です。どんなに心が波立っていても、時間がたてば心は必ず平静になります。それからゆっくり判断すればいいのです。
ところが、何事も性急に判断しがちです。その場の雰囲気で判断してしまって、裏切られたとか騙されたとか言って、泣き言を言ったり損害賠償を求めたりする人がよくいます。
感情にまかせて、言わなくてもいいようなことまで口走ってしまって、後になってから「なんであんなことを言ったのだろう」と後悔することもよくあります。
もう一つ、枝葉末節を切り捨てて全体から部分を判断することです。
私たちは、とかく目先の効果や成果だけで短絡的に判断して失敗しがちです。
ある庭師は「木を見て森を見ず」を諫め、しばらくチョンチョンとやると、遠くから庭全体を見渡し、庭全体のでき具合を吟味してから、また仕事に取り掛かります。
また、別の庭師は、切り始めたとき、すでに切り終わった状態が頭にあるから仕事が早い。さらに言うと、切り終わったときの状態とは、剪定が完成したときの形ではなく、木がある程度伸びた状態を想定しているのです。だから初めて仕事を依頼した人の中には、「ちょっと切り過ぎじゃないですか」と聞いてくる人もいるが、次の年になれば納得して、必ずまた依頼してくるそうです。
何事も、こうやって大局的に物事を見る習慣を身につければ、その場の雰囲気や目先のことに惑わされて判断を誤ったり、角をためて牛を殺す結果を招かないはずです。
もう一つ大切なことを、物事を多面的に観て判断することです。
桃太郎の話は、どなたもご存知ですね。
「天声人語」に、こんな話が載っていました。
福沢諭吉は、毎朝の食事の後で、子供たちに教訓を書いたものを渡していたそうです。
ある日の教えは桃太郎についてで、「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにいくといへり。けしかなぬことならずや」と書いてあったそうです。
鬼が島にある宝物は、鬼の所有物なのに、理由もなく取り上げるということは、桃太郎は強盗と同じではないかという問いかけです。
人間の側から観れば英雄の桃太郎も、鬼の側から見れば強盗殺人犯です。
桃太郎の故郷と言われる岡山県では、鬼の側から考える授業が中学であるそうです。
鬼太郎というキャラクターまで作り、「退治される鬼に子供がいたらどうなるだろう」と問いを投げかけ、「それでも鬼を退治してよいのだろうか」と議論を発展させる。
すると、なかには「鬼を悪者と決めつけてしまったから」という意見も出るという。
このように、相手の側に立って物事をよく観てみると、見える風景はガラリと変わります。
それは、歴史や政治、国際関係でもよく観られることです。
自分にとっては正義でも、別の人からすれば理不尽な振る舞いかもしれません。だから、物事を正しく判断するには、いろんな角度から判断して決定することが大切です。
終わりに 2018.04.21
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.20
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.19