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goo@まだまだ台湾。歩行者信号。青の残り時間が秒単位で表示される。そして、信号そのものは人の歩く姿、が、動くのだよ。・・・・・。んー、どう見ても「歩いてる」ってより「走ってる」って感じ。せっかちなのね、やはりこの人たちは。と思っていたら。残り時間数が15秒を切ったくらいから、動く青い人が、まさに走りはじめた。え?これ以上速くなるの?って感じ。「黄色信号は突っ込め」なのね、きっと(笑)。それにしても、何度見ても『勞力士』って当て字はいただけない。まぁ、たしかにゴツいけどねぇ、あのブランドは。
2002年11月29日
goo@台湾。中国語は面白いね、漢字が。空港で荷物待ちしてたら、何やら長三角のケースが流れてきた。楽器っぽい。何か書かれている。『團奏樂他吉童兒…』はじめの『團』を『國』と見間違え、何か国楽(日本なら雅楽とか)の楽器かな?『他吉童児』って、人の名前?とバカなこと思いつつその先まで読む。『團奏樂他吉童兒市北台』!あー、右から読むのね。台北市児童『吉他』合奏団!!!もしかして、『吉他』=ギター?(笑)。なんて安易な当て字なんでしょ。ちなみに、ピアノは『鋼琴』、オルガンは『風琴』。このへんは「なるほどなるほど~」と思うのに、吉他って何よ、吉他(笑)。ピアノはともかく、オルガンのどこらへんが『琴』なのか今一つ不可解だけど、音の鳴るものの総称として『琴』という字が使われているのかな。それにしちゃ、ギターの方がよっぽど『琴』っぽいから『發琴』なんて名前でもよさそうな気がしないでもないが、よく考えると、似たような楽器は中国古来から固有であるもんね。差別化するために当て字にしたのかも…。また一つお勉強になりました(←勝手な納得)。さて、高速道路で移動中、道路沿いに『HOTEL』の文字と怪しげな格好の建物発見。「あぁ、どの国も一緒ね、 こういうものは高速道路沿いになぜか突然ポツンとあるのね。」なぁんて思いながら、近づいてよく見ると、『愛潮HOTEL』なんてすばらしいネーミングだこと(爆)。
2002年11月28日
みんな大変なのね久々に雑記など書いたついでに、これまた久々にアクセスログなど見てみた。いやぁ、「歯ネタ」ですごい数ひっかかってる。「親知らず 抜歯 年齢」「親知らずの虫歯」「親知らず 横向き 根」「末期虫歯」驚いたのは「デンタルフェチ」。テキトーに考えて作ってみたコトバだったのに、yahooの検索で5件もあるらしい。それから、笑えたのは、「歯医者 俺の虫歯」。「歯医者」はともかく、「『俺の』虫歯」って何よ?(笑)。どんなページを見つけたかったんだろう?やっぱり、オトコの虫歯闘病記かな?みなさん、親知らずでは苦労なさっているのですね。かくいう俺は、左上の親知らずを抜いたあと、それが落ち着くまでの間、2度ほど歯石取りに通ったのちに、右上の親知らずも抜きました。もらった痛み止めの薬は一度も飲まず、万年歯痛のボクがすべて消費しました(笑)。かくして歯医者通いは1ヶ月ほどで終了。正しい歯磨きの仕方、歯間ブラシでの歯茎マッサージなど教わり、今では毎晩30分くらい洗面所で歯と歯茎をいじってます(笑)。我ながらキレイになったですよ。アクセスログに、検索キーワード「エイガカン」「リーマン ビキニ ライン」というのがあったことも、忘れずにご報告(笑)。30オトコの財布事情掲示板2002/11/12 2:53:13鶏と卵夜、コーヒーを淹れるのが習慣になってしまった。仕事のせいだ。明日は早起きデーで、今晩どーしてもしておきたいこともなく(と言うか、ないことに強引にして、笑)、今日こそは早く寝ようと思ったのに、なんだか、しんとした部屋でコーヒー飲みたくなった、いつもの晩のように。で、コーヒーを淹れる→ゆっくり飲むという行為には30分ほどの時間がかかるため、久々に何か書こうかと・・・。・・・・・・・・・。思いつかない(笑)。書かないことに慣れると、書かなくてもイイやという心境になり、そんでもって、「あ、コレ書こう!」と思うこともなくなるのだよね。あ、コーヒー沸いた。最近のワタクシは落ち着いております。仕事は大変だし、そこそこに出かける用事もあるし、決してまったりしているわけでは全然ないのですが、ギアが3rdに入ってる、って感じかな。見通しがよくなってトップに入れるタイミング待ち、というか。トップに入ったらすぐ、「年末年始」っていう交差点があるんだけどねぇ。それでも一旦その前にトップに入れないと、目的地に間に合わないの。ボクも落ち着いています。ボク的にはバタバタしているのだろうけど、生活の基盤ができているという点において、かなり落ち着いています。この状態ができるだけ長く続いてほしい俺。愛というのは、見つけたときには全然『愛』じゃなくて、なんとなく持ち続けていると、いつか「あぁ、コレ、愛になってる」と気づくものなんじゃないかと昔から思っていたけど、まさに今、それを地で行っています。はじめて本当に『恋』をしたときに、はじめて『愛』を意識した。今まさに「好きだ」と伝えている相手とは別に、たしかに僕には「好き」な人たちがたくさんいる。その「好き」とこの「好き」はどう違うんだろう?そう思ったときに、「あぁ、こういうのを『愛情』っていうのかな」と思った。僕にとって『愛』と『恋』はかなり次元の違う現象で、世間で言われるように『恋』が『愛』に変貌するコトなんてあり得るんだろうか、といつも訝しく思っていた。人は恋をして「一緒にいたい」と思う。恋をした相手と愛を育んでいくことが多い。だけどそれは、『恋』が『愛』に変わるんじゃなくて、『恋』とは別に新しく『愛』が生まれるんじゃないだろうか?そして、もっと言うと、『愛』が生まれるために『恋』は絶対必要なものでもないんじゃないか?『愛』が生まれ育まれるには、一緒にいる時間が必要だ。一緒にいたいと思うのには、普通は『恋』という過程を経る場合が多い。でも、『一緒にいる』という状態を介してその前後にある『恋』と『愛』は、実は繋がっているわけではないような気がする。僕はボクに『恋』をした憶えがない。あったとしたら、「ウチ来る?」と訊いたあの一瞬だけだと思う。だけど今、なんとなく過ごしてきた時間を経て育まれるべくして育まれ、僕は今、ボクを「愛して」いると感じる。それが、僕にとってはすごく自然で、「あぁ、こうなっていたんだな」と妙に納得する。『愛』は僕にとってそのまま『愛』なのだ。説明のしようがない。『恋』は、憧れだったり、尊敬だったり、羨望だったり、嫉妬だったり、ライバルだったり、する。願わくば、いつかボクに恋をしてみたい。愛する人に恋をする、それはとても幸せなことなんじゃないかな。30オトコの財布事情掲示板2002/11/12 2:34:35
2002年11月11日
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