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先日クラスで行われたミーティングでのいろいろ。この年齢になると、子供達はけっこう隠れて悪い言葉を使いたがる。彼等も悪いとわかっているので、ふざけてこそこそ使っているし、親や先生の前ではできるだけ隠しているのだが、そこは子供。ついポロリと出てしまう事もある。親によっては自分の子がそういう言葉を使っているなどとは思いもよらないだろう。現に黒板にとても悪い言葉がかかれていて、それを知ったあるお母さんは「うちのクラス、男の子が多いからね」と言っていたのだが、実はそれを書いたのは彼女の娘だったのだ。親というのは案外自分の子供が見えないものだ。人の子供のアラはよく見えるのだけど、自分の子供を見る目にはフィルターがかかってしまう。でも他の子供をよく批判する親の子供はやはり案外批判的にものを言ったりするので気をつけたいと思う。やさしさっていうのはやはり親から教えられるものなんだと思う。ところで、その日のミーティングでは、悪い言葉使いからはじまって、差別の話になった。子供が小さいうちは人種や宗教、性差などを気にしない。区別はする。「XXの髪の毛はは真っ黒でくるくるだね」「OOの両親は色が白いのに、OOは何で真っ黒なのかな」<養子「WWは変った言葉を話してた」全然悪気はないのだけど、大人が聞くとひやっとするような事を平気で口にしたりするけれど、本人に邪気はない。逆に「そういうことは口にしちゃいけません」などと方向性を間違えるとそういうのが悪い事だという意識も植え付けてしまうので、親は慎重にならざるを得ない。差別的なもの言い、というものがあって、それを小学校にあがったあたりから、子供はだんだん学んで来る。* 性差* 人種* 宗教* 言語* 文化* 年齢こういったもので人を区別し始める。区別はいいと思う。あって当たり前のものだからだ。男の子と女の子はいろんな意味でやっぱり違うし、人種や宗教によるおおまかな違いってやっぱりあると思う。それが差別に変っていく微妙な段階で私達自身も気をつけなくちゃいけないと思う。大人はその辺の微妙な具合をコントロールできる人が多いので別にそれほど問題にはならないけれど、子供の場合はそのままズバリと思った事が出て来るわけで、親はひやっとさせられる。(汗)先日私の車に乗ったある男の子が、イエスキリストを馬鹿にするジョークを言った。うちの子をはじめ、他にクリスチャンの子もいたので、そういうジョークは楽しめない子もいるんだよ、と注意した。長男が仏教寺で聞いたお経のイントネーションが面白かったらしくお経風にものを言っていたので注意した。お経は仏教徒にとっては神聖な言葉だからだ。次男が、女の子はどうしてあんなに意地が悪いんだと怒っていたので話し合った。意地が悪かったのはその女の子であって、女の子そのものが意地が悪いわけじゃない。あるクラスの男の子が中国語を馬鹿にしたように話したので中国人のお母さんが本物の中国語でその子に話しかけた。彼女は私の言葉は笑われるようなものではないと思うけど、どう?とやさしく言ったのが堪えたようで一切言わなくなったそうだ。食事などに関してもそうだ。息子達の学校で今までもっていったお弁当などをとやかく言われた事はない。おにぎりやお餅、海苔などをクラスで配ると大喜びだ。それでも尾頭付きの魚などにはギョっとするようで汚いものでも見るようにのぞく子供もいる。(うちの息子達の小魚スナック)それはそれで仕方がないかなあとも思うけど。日本人でも人によっては、豚の耳だの、羊の脳みそだのアメリカで食べられるターキーの丸焼きなどに対して嫌悪感をあらわにする人も大勢いるからだ。ただ人は食べつけないものを嫌う傾向があるけれど、食べ物は文化なので、少なくとも「人間の食べ物じゃない」などと言う言い方はよくないなあと思う。子供はそういうのを敏感にキャッチする。私ももちろん、こういう場でつるっと人種を口にしてしまうので、気をつけなくちゃいけないんだけど、やっぱりそういう差別的な事を口にするのは、「自分は正しい」「自分の所属するものは優れている」という気持から来ているんだろうなあと思う。この間、別のブログでマナーの話になった。イギリスの調査でマナーが一番良いのは日本人。悪いのはフランス、インド、中国、ロシア人。日頃、そのへんの人たちの行動を苦々しく思っていたので、大いに賛同した記事だったのだ。夕べ、スーパーに行った。よるも遅かったわりにはけっこうレジに並んでいる人たちもいた。その中でベトナム人と思われる若い夫婦が、赤ちゃんを抱えて牛乳などを買っていた。その若いお母さんは一生懸命小銭を数えている。それを見た私は一瞬イラっとした。「こんなところで小銭でものを買うなよー」と。でもレジのお姉さんも辛抱強くニコニコして待っているし、彼女の夫も赤ちゃんを抱えてニコニコしている。私の後ろに並んでいる人たちも誰もイライラした様子を見せていない。なんだかちょっと恥ずかしくなった。マナーマナーって騒いでいるけど、こんなところで2分3分遅れたところで、人生に大きな影響が出るわけでもないし。こういう時にたぶん「アメリカのレジってほんとに!」と憤慨してしまう日本人の方は多いような気がする。日本では滅多にないだろう光景だし、「他の人に迷惑をかけない」というのが美徳だからだ。でも時々、あまり目くじらをたてる日本人(私)ってもしかするとけっこう心に余裕がないのかもしれないなあって思った。差別は自己愛の現れでもあるような気がする。人をけなす言葉は醜いし、それを口にする時のその人の表情も醜い。自分の子供に本当の意味で美しい心を持ってもらいたければ親の私もよその子や他人を批判したり、差別的な発言をしたりする部分を改めなくちゃなあと思う。ミーティングの最後に「いつ芽生えるかわからないけど、子供達の心の庭に毎日少しづつ良い種を植えていってあげるんだよ。悪い芽が出て来たら、小さいうちにそっと抜く。でも親自身もまた自分の心の庭をそうやってケアしていかなくちゃいけないんだ。」そういったあるお父さんの言葉がとても印象的だった。
2007.05.27
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2泊3日のヨセミテから帰って来た。やはりものすごくきれいなところでその大自然には圧倒されたけど、やっぱりちょっと短すぎた。最低でも3泊はしたい、何しろ300マイルの距離だから。金曜日の午後、家を出た私たちは、途中渋滞に巻き込まれながらも、なんとか7時半のかろうじて明るいうちに到着。さっさとテントをはり、寝袋やマットをセットし、グループの人たちが集まっている場所へ。今回は教会の「独身者の会」主催のヨセミテキャンプだ。実は毎年やっているそうだが、今までは不参加。もはや再婚願望のない私にとっては何となく気の重い集まり。それでも参加者の半数以上はシングルマザーだし、こういう機会を利用しなければ、春から初夏のヨセミテはなかなか予約も取れないので、今年から参加する事にした。キャンプファイヤーに行くと、みんながS'Moreを頬張っている。マシュマロをたき火で焼いて、チョコレートと一緒にグラハムクラッカーにはさんで食べる、あの超甘い、キャンプの夜のお約束だ。私は苦手なので、ホットチョコレートをもらう。これもまた脳天直下直撃型の甘さだったけど。テントに戻ると新顔さんが現れた。7歳と9歳の男の子連れのシングルママさん。子供達はちょっとうれしそうだ。やっぱり同じ歳くらいの男の子がいると違うのだろう。ちょっとだけお喋りして、テントに入る。翌朝そのお母さんが「ねえ、夕べは怖かったわね」と話しかけて来た。「え?夕べ?何かあったの?」と尋ねたら、笑われた。「あなた、全然起きなかったの?熊が出たのよ。何人か騒いで、音を立てて、追い払ったみたいだけど、こっちに来るんじゃないかと思って怖くて眠れなかったわ」全然、しりませんでした。(恥)豪勢な朝食(ブルーベリーパンケーキ、ベーコン、ソーセージ、たまご、フルーツ)の後は、幾種類か用意されているアクティビティを選ぶ。私は徒歩でしか行けないVernelとNevadaの二つの滝を見る事にした。他の滝は前回見たし、ちょっとハイキングもしたかったし。これがあんな苦行になろうとは、その時は想像もしなかった。最初のVernal Fall下流までは徒歩30分。楽勝。多少急な上り坂ではあるけれど、たいしたことはない。その勢いで、Vernel Fallの上まで行く事にした。降りて来る人がびしょ濡れで、多少青ざめているのが気になったけど、まあ、子供達もずんずん登っているし平気だろう。と、思ったのが大間違い。滝が近づくに連れて、私はもはや引き返す事しか考えられなかった。高所恐怖症気味の私は崖っ淵を歩くという事が何より苦手だ。でも息子達はずっと先を行っているし、もう景色も見ず、ただただ登って行く事で怖さを打ち消そうとしたのだ。降りる時の事は考えたくなかった。Vernel Fall、征服。おなじグループのおじさんが、「帰りは楽な道があるよ」と言うので安心し切って、お弁当のサンドイッチを食べたのだ。ところが、その「楽な帰り道」はこの上のNevada Fallを征服しなければならないとわかり愕然。上まで登るか、それともさっきの崖っ淵のびしょびしょを降りるか。高いところから見下ろすのが何より苦手な私は、迷わず上へ行く道を選んだ。こんな辛いハイキングは初めてだった。ただただ登る、延々と続く岩場のトレイルをひたすら登り続ける。途中で腹痛に襲われるけれど、トイレもなし。Nevada Fallにはトイレがあるという事なので、冷や汗をかき吐き気を催しながら、腹痛をなだめつつ、なんとか上までよじ上った。達成感と安堵でおもらしをしそうになる。トイレが天国に思えた。Nevada Fallの上では、先にグループの人たちと着いた息子達が座って休んでいた。長男はあちこちの石をひっくり返しては虫を探し、次男は川のほとりで持参の笛を吹き、大物感を漂わせていた。帰り道は本当に楽だった。ひたすらの下り坂なので足は痛くなったけど、優しい林道で、気持がよかった。下に降りるとレスキュー隊が。何かあったのかと思ったら、どうやら人が滝から落ちたらしい。20歳くらいの男性だそうだ。川でふざけていて滑って流され、滝から落ちたらしい。あの滝から落ちてはまず助からないだろう。本当に気の毒だけれど、Mother Earthをなめてはいけない。大自然の威力の前では人間なんて本当に虫みたいなものだ。思わず息子達を抱き寄せた。夕飯は疲れ切っていて、何だかあまり喉を通らなかった。そのあとでタレントショーがあり、笑ってみてたけど、心底疲れていたので早く眠りたかった。子供達は、隣のテントの子供達とすっかり仲良くなった。翌日はキャンプ場でのんびりし、少し早めに出て、途中で滝を見ながら帰った。来年も参加しよう。でもせめて金曜日の朝家を出て、日曜日の夜も泊まるくらいのつもりで。7時間のハイキングをはさんで、片道4時間半のドライブ。なんだかこのキャンプ自体が苦行のようなものだったけど、まあ、来て良かったかな、と帰りの車の中でつぶやいた。
2007.05.22
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私は今週末キャンプに行く。行き先はあの「ヨセミテ国立公園」だ。(鼻息)しかも5時間もかけて行く。それだというのに、金曜日の午後に出て、日曜日の午前中にはあちらを出て来てしまう。向こうで遊ぶのは土曜日のみ。なんだかガソリン代の無駄遣いのような気もするが、まあいい。さて、問題はエアマットレスだ。私はエアマットレスというものにほとほと嫌気がさしている。なので、三つ折りのコンパクトなマットレス2つを愛用している。これはいい、最高だ、信頼できる。けれど、一つをサンフランシスコに住む友だちに貸してしまった。この2週間私は怒濤の日々を過ごしていたので、すっかり忘れていた。私の方からシティに住む彼女に会いに行く、と言っていたのに連絡をぜんぜんとらなかったのだから、私が悪い。そこで連絡をやっと入れたら、なんと緊急の出張中だと言う。彼女はものすごく罪悪感を感じて「もう一つ買ってくれ、お金は私が払う」と言ってくれたが、そこまでする必要はない。一応、あの、エアマットレスがあるし。エアマットレスのいいところは、場所を取らないことだ。たたんで広げて、ブイーンと空気を入れればできあがり。ウォーターベッドのようなものなのでちょっと寝にくいが、ざらざら、ゴツゴツが直に背中に伝わってくるよりはいい。問題は、空気が漏れるようになった場合だ。所詮、エアマットレスなんて、ビニールプールのようなものなので、傷はつきやすい。回りでも、長年使った人は一度や二度は修理をしている。私はそれが面倒くさくて放っておいたが、やはり前回のキャンプで、朝までには空気が少しずつ漏れだし、フニャフニャになった。これほど気持の悪いものはない。しかも二つ持っているが、二つともその状態なのだけれど三つ折りマットレスがない今、これを修理して持っていく他はない。己を奮い立たせ、昨日の午後に決行した。まずは小物から。シングルサイズのColeman製。Colemanは決して高級ブランドではないし、値段もお手頃で品質もそこそこなのだけど、夏限定お手軽キャンプ隊には十分のブランドだ。まずは適当に空気を入れる。そして水を張ったバスタブを用意し、端の方をくるくると丸めて、空気を片一方に寄せた。なかなか大変だ。沈んでいかない。タンクトップと短パンで挑んだが、すぐビショぬれに。私は殺人を犯した事も、試しみた事もないが誰かを水に沈めるという疑似体験を味わった。なかなかの力仕事である。15分の格闘後、ある裏側の1点から、あぶくがもれだしているのを発見。そこにバンドエイドを貼る。取りあえずの応急処置。外で乾かして、あとでそこを修理する。漏れ箇所はどうやらこの1点のみらしい。さて、と。次はクイーンサイズの大物である。こっちの方がたいへんだ。シングルの方は空気が抜けるのが早かった。なので、穴も見つけやすいだろうと思ったのだ。こちらの方は、ゆっくりゆっくりと空気が漏れる。それでも朝までにはだいぶフニャフニャに。これは最高に気持悪くて、体重がかかったところは深く沈み込み、空気は身体の回りに移動、気持悪い上、結局身体が地面に触れるので、何の役にも立たない。このマットレスは安物なので、作りもColemanに比べてもっとお粗末。<教訓>エアマットレスはいずれにしてもお勧めしないが、どうせ買うならせめてColemanクラスか、できたらそれ以上の価格のものを購入しましょう。さて、と。想像してみていただきたい。クイーンサイズのマットレスをバスタブに沈める。巨体のデブ女と泥レスリングをやるようなものだ。こっちに空気を寄せて沈めると、このデブ女は激しく抵抗し、私の尻を持ち上げてバスタブにひっくり返すこと3回。その度にバスタブの水が溢れ出し、床もビショビショ。そのうち私もどかんと頭に来て、本気でこいつをやっつけてやろうと沈める手に力が入った。今度は殺意まで疑似体験してしまった。格闘40分。1カ所の小さな漏れを発見。私の勝ちだ。私はこの小さなバスタブで、巨体女を踏みつけ、びしょ濡れになりながら、両手を高々とふりあげ、勝利のよろこびを味わった。<教訓>やはりエアマットレスなぞは買わない方が良い。
2007.05.17
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昨日の午後から今日にかけて、4年生のクラスのキャンプに行って来た。行き先はレッドウッド州立公園。今までずっと知らなかったのだけど、レッドウッドとはカリフォルニアの北部にしか存在していないのだそうだ。この辺の自然公園と言えば、レッドウッドとは切り離せない。中には10人もの人間で抱えるような大木もあり、雷でできた木のほこらなどもたくさんあって、子供達のいい遊び場なのだ。きのうは昼過ぎに付き、子供達はただひたすら再会を喜ぶかのように(毎日顔を合わせているくせに)はしゃぎ回って遊んでいる。大人は大人で草地を見つけて寝転がりおしゃべりを楽しむ。夕飯の後、キャンプファイヤーを囲み、歌を歌ったり、ゲームをしたり、インディアンの笛やアフリカの太鼓を聞いたりしたのだ。ばか騒ぎをするような酔っぱらいはここいらのキャンプ場ではめったにお目にかからない。(日本のキャンプはこれが嫌でした・涙)きれいな星空をあおぎながら静かに夜は更けていく。20代の頃からアウトドアに目覚め、カヤックでの川旅やキャンプを楽しんだものだけど、子供ができてからはその傾向が一段と強くなった。息子達が遊園地などの人工的な施設よりも自然公園やキャンプなどの方が好きなのは、成り行き的には当然のような気もする。息子達が通う学校もそういう趣向の人が多いので、キャンプ場の情報交換も盛んだ。自宅に農場があり動物もいるというお母さんは「みんな、おやすみ」といいながらいきなり地べたにマットと寝袋を用意してもぐりこんでしまった。「え、テントは?」と聞くと、「持って来たけど別にいらない。星がきれいだから、このまま寝るわ。」と言った。彼女の息子はすっかり疲れて車の中で熟睡していると言う。すごーく自然にそういう事をする人なのでなんだか格好いいなあと思った。こういうことは好き嫌いだし、アウトドアは嫌いな人も多いけど、レッドウッドの森のなかで、木々の間に瞬く星を見つめながら寝るなんてすごく贅沢な事だよなあ、と思う。私は人込みに行くとものすごく疲れるので、やはりこういうバケーションの方が好きだ。家に帰っても何となく気分がリフレッシュした気分になる。ところで夜に騒ぐ酔っぱらいにはめったにお目にかからないと書いたけれど、「困ったキャンパー」はどこにもいるものだ。以前ヨセミテに行ったとき、2日めから隣におおきなキャンピングカーが泊まった。嫌な予感は大きく的中。彼等は日中ジェネレーターを作動させ、車の中でテレビを見たり、ゲームをしたりしていた。さすがに夜は静かだったけど、いったいここまで来て何をやっているんだろうなあと思った。楽しみ方は個人の自由かもしれないけれど、キャンプというのは大方の人は自然を楽しみにくる。こんなところまで来てテレビを見ているのなら、家にいればいいのに、と余計なお世話だけれど、考えてしまう。だいいち、こちらの方もゲームの騒音などはキャンプ場などでは聞きたくないものだ。せめてジェネレーターは禁止にしてくれないかなあと思う。再来週にまたヨセミテに行くので、そんなキャンパーの隣にはなりませんように。(願)今日は朝ごはんの後、みんなでハイキング。3時間近くも歩いたろうか。日差しは強く、かなり暑かったけれど、レッドウッドの森の日陰はとても涼しく、森林のいい香りでいっぱいだった。一番年少の2年生の2人(一人は次男)がどうしても遅れを取るので、私も彼等に合わせてゆっくり歩いた。こんなに歩いたのは久しぶりだ。家に帰ってからは、夕方なのにみんなで1時間くらい昼寝。息子達は夕飯の後また寝てしまったけど、オトナのわたくしは、こんな時間まで。すっかり目が冴えてしまったぞ。今日は遠くに車の音を時折聞きながらの就寝。車でたった45分の距離なのに、なんだか別世界のようだ。キャンパーもいない、夜の森は今夜もひっそりと静まり返っているのだろうか。
2007.05.07
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