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自主保育:子供を幼稚園に通わせず、親たちで子供を預けあって保育する団体に所属しています。フィールドは、狭い公園や園庭などではなく、鎌倉の野山を中心にその日山歩きをしたり、1箇所で遊んだりしています。今日は、私が当番です(子供を保育する)他の大人(親当番2人)が20人の子供たちを連れて、鎌倉中央公園を出発、北鎌倉→葛原が岡神社→野村総合研究所跡地と3時間半、たっぷり歩きました。頭が空っぽになる山歩きは気持ちがいいです。でも、ここは鎌倉、腹きりやぐらの洞穴の前を通った時は、ただならぬ妖気を感じました・・・・子供20人を連れて歩くから何ともないけれど、やっぱり1人で鎌倉の赤道はあるけないと思います。誰かに見られているようで・・・・・
2004年09月30日
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私は責められることもなく、ただ「ありがとう」と彼のご両親に言われてなんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。みんなの雰囲気は、「Tはもう精一杯頑張った」という感じだった。その上かつての唯一彼の恋人が葬儀に訪れてくれたことでやるせない気持ちがちょっとだけ薄まったという感じ・・・・お父さんに食事を勧められたが、私は早々に失礼させていただいた。彼は私との関係が修復不可能となっていたことは実家のみんなには告げていなかったことだろう。でも、きっと家族みんな彼がもうカラダが持たなかったのだということも予想していたに違いない。それが、彼の実家に来て、彼の家に初めて泊まらせていただいた時に私が感じた違和感であったと気づいた。そのときの彼の家族の喜びようはある種異質だったし、年上の彼女ができたということでなんだか私は彼の全てを任されてしまったような、感じがしたものだった。きっとご両親は彼を育てるのに疲れ切っていたのかもしれない。幼少時代は原因不明の熱でよく倒れ、それからは八方手を尽くして治療を試みたと。終いには経済的にも負担がきつく、彼の治療費にも事欠く状態になったと、以前彼が話していたのを思い出した。両親は、最初は反対していた上京も、最後には彼の思い通りにさせた。そうするしかなかったのだろう。上京してからの彼はたくさんの素晴らしい友達ができ、私と出会った。そして精一杯私を愛そうとした。その一途さが重荷になることもあったが、その姿勢はうまくいかない恋愛に傷つき、満たされなかった私に人の愛しかたを教えてくれたように思う。でも、彼の実家にこれまで足が向かなかったのは、高校でて数年しかたたない彼を一人前として扱うあまり、彼の健康状態に危機感をもち本気で接することもなかった彼のご両親に疑問を持ってしまったからだと思う。そんなことを私の立場では言えないのかもしれないが、疲れを感じながらも希望を持って徹夜の仕事を続け、誰もいないオフィスで孤独になくなった彼を思うと不憫で、誰かを責めたい怒りの気持ちでいっぱいになった。クモ膜下出血は、倒れてもすぐに発見されれば蘇生される可能性もあったことは、もう何年もたってからテレビ番組で知ったことだが。彼の健康管理に関しての行動ははまるで自殺行為だったし、周りのみんなは彼を死に追い詰めたように思う。私も含めて。帰りの駅までの道は、下り坂で、その坂をずんずんわき目も振らず進みながら、私はこんなことを心の中で叫んだ。Tちゃん!今度生まれてくるときは絶対からだの丈夫な人で生まれて来なさいよ!!涙がとめどなくあふれてきた。グレーのハンカチは私の涙でぐしゃぐしゃになってしまった。そうして、かつて彼と阿佐ヶ谷のファストフード店でハンバーガーを食べながら話した会話を今思い出す。カラダの不調を嘆いていた彼は私がどんな忠告をしてもやる気が起きなかった。そんな彼を見かねて怒ってみたものの、彼の態度は頑なになるばかり。「いままでいいことなんか1つもなかった。良かったことはsamukoと出会えたことだけだ」と。そういう彼に向かって私は、「来世にはTちゃんはきっと健康で生まれるよ。きっと。」そういうしかなかった。なんの根拠があってこんなことを口にしたのか。私もどうしようもない絶望感に浸されてしまった一人なのか。今だったら多少の知恵もあって、生き抜く道を目指す知恵もあるだろうが、その時は私の幼さも手伝って彼をそのままにそっとしておく以外出来ませんでした。通夜からの帰り、静岡駅で彼の上司だった人に会った。私もかつてのバイト先のチーフだったこともあり、一緒に食事をしたこともたびたびあった。「samuko、どうだ、一緒にメシでも食って行かんか?」一瞬、楽しかったあの頃を思い出した。マージャン、パチンコ、競馬。当時の私を全く未知の世界に連れてってくれた人である。オヤジギャルというコトバが流行ったころで、女の私でもフツーは抵抗あるギャンブルの世界におもしろ半分入っていけたものである。その人の仲間の中で私とTは仲睦まじく過ごした、今思えばなつかしい。でも、私はうつむいたまま彼の誘いを断り駅のホームへ向かった。それでもこのまま家へ帰ることは出来ず、公衆電話(死語?そんなことない)から実家の母に電話をした。話している間にも涙があふれてきて止まらない。母は、黙って、私の話を聞いてくれた。それからどうやって自宅に戻ったかはわからない。暗闇の部屋のなかでぼーっとしていると玄関のドアが開いた。黒い人影は夫だった。海外出張から戻る日だった。さすがに彼の方からは疲労がにじんでおり、私は、何か彼にコトバをかけなければならなかった。でもそれが出来ず、私はメソメソ泣きながら、淡々と元カレの訃報を口にし、ピアノのそばでうずくまってしまっていた。「なんか、おかしいんじゃないの?」夫の一喝に、ハッと我に帰り、私は、元彼の事に関して思考を停止した。私は今目の前にいる夫の妻なんだ。その事実が私をもとの生活に引き戻してくれた。それっきり、夫は私に何もそのことに関して語らない。しばらくは、私は会社でも彼が亡くなる1ヶ月まえにくれたメールをメールボックスから開いては、空しい気持ちに浸った。数ヶ月して、また昔のバイト時代の友人から電話が私の会社に入った。「Tちゃんのご両親が、トウキョウ時代の彼の写真を欲しいといっている。samukoちゃん、持っていたら譲って欲しい」というものだった。私は、結婚前に全てTちゃんに渡してもう持ってない。と答えた。「そうか、わかった。ありがとう。」そう言って相手の友人は電話を切った。確かに、その当時彼に撮ってもらった私の写真を残して、あとは全て彼に渡していたので、遺品から見つからなければ、それは彼自身がその写真を葬り去ったのだろう。仲直りのきっかけに旅行したときの写真が今も私の手元にある。それは、日本海をバックに私の複雑な表情をした笑顔で私一人だけ写ったものである。そのときの彼は嬉しそうだったけど、なんとなく寒々とした雰囲気と海岸線の遊歩道に沿ってしつこいくらいに何本もの立て看板(いのちのホットラインの類い)があるのに不快な気分になった。なんでこんなとこにきちゃったんだろう。そんな私を他所に無邪気にはしゃいでる彼が許せなかったのかもしれない。今にして思えば全く未熟な二人だったと思う。彼は、私を恨んだろうか、悲しみに包まれ、絶望感に苛まれていただろうか。私に怒りと憎しみの気持ちを向けていただろうか。言い争いになったことは何度となくあったが、最後には必ず、「samukoに会えてオレは幸せなんだ。」と言っていた彼。真意はわからない。彼にとって私は生きるよりどころだったろうか、そんな場面もあったかもしれない。もしかしたら私なんかに出会わなかったほうが良かったかもしれない。世の中にはいろんな形の愛があるだろうけれど、今振り返っても、私と彼との間はあのときあれで精一杯だったということだ。何度も言うことになるが、今の私には、彼に対してもっと違う対応ができたのではないかという思いが残る。しかし、彼の死を通してそれは得た思いかもしれない。そして、今の私の彼を想う気持ちはとても静かなものである。毎年、秋が深まり肌寒くなる季節、彼の命日が近づくと、私はごく静かに、彼に心から感謝するのである。今、生きている喜びを彼にささげながら。<おわり>
2004年09月29日
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それから、私は全く違う相手と社内結婚することになり、彼にもそのことを報告した。「よかったな。」彼はいったかどうか・・・・今は覚えていない。そして、私は新居に移し、私たちがかつて過ごした町で会うことはなくなった。私が結婚した年の夏、私の会社に彼から電話がかかってきた。「samukoのとこでも社内メールぐらいやってるだろ、これ、オレのメールアドレス。開いてみてくれ。」当時、パソコンが1人1台にようやく普及して、同時にメールも本格的に個人でやりとりできる体制になった頃だった。私は早速、メールチェック。たわいもない挨拶メールだったと思う。今ではなんて書いてあったか記憶にない程度のことだと思う。夏休みには新婚旅行前のプチ旅行、そしていつになく仕事に追われる日々。そして退社後はどこにも寄らず家で過ごしていたように思う。夫が帰宅するのを待ってただろうし、私が夫より遅い時は急いでスーパーで買い物を済ませ帰宅していたことだろう。彼のことは、そんなうきうきした生活の流れの中で薄れていたように思う。思い出したところで、彼はきっと難なく過ごしてることだろうと思いたい。そんな願望が、彼を気にかけることを打ち消していたのかもしれない。その週、たしか夫は海外出張で家を留守にしていた。そしてその日の午前中、総務経由で私宛てに彼のもと同僚から連絡がはいった。そのとき、私はただならぬ予感を感じ取った。恐る恐る受話器を手にとる。「Tが亡くなった。通夜をTの実家でやるから、行って欲しい。」やっぱり・・・私は心の中でそうつぶやいた。そして、なんてばかなやつだ・・・そうは言ってもにわかに信じられない内容だった。彼の同僚は私の心の中を見透かしてか、「とにかく、このFaxを読んでくれ・・・」そう言って電話を切った。数分後には私の部署のファクスから案内通知が流れてきた。私はすぐにそれを手にとり、中身を読んだ。「9月27日未明、株式会社XXXX ○×T司がくも膜下出血のためYYYY病院にてXX時XX分永眠いたしました。享年24歳。彼のご冥福をいお祈りしますとともに、関係各位にご案内申し上げます。通夜 :9月28日 6:00~ 静岡県 自宅 にて告別式 :9月30日 14:00~ ZZZ寺」改めて活字になってみると、信じられるようになるものだうか・・・とにかく上司に許可を取り、そのあとは取るものもとりあえず新幹線に飛び乗り、静岡までの車中、どうして・・・なんで・・・そんな気持ちの中諦めのようなものが私を支配していった。静岡駅に下りると、私は売店でとあるデザイナーズブランドの刺繍が付いたハンカチを買った。グレーの、男物だった。これしかなかったのだ。それから最寄のファストフード店へ入り、コーヒーを買って啜った。手が震えている。寒さからか。それともずーっと行き来をしていなかった彼のご両親にこれから会うことに多少びびってるのか・・・とにかく、コーヒーを飲み干した後はタクシーを拾って彼の実家に急いだ。車を降りると、玄関先にはすでに何人かの弔問客が列をつくっており、大きめの提灯だけが周囲をほの暗く照らしている。私は、香典袋に嫁ぎ先の姓に代わった私の名前を記したものを受付に渡す。すると、受付の女の人は、「もしかしてsamuko?さん?・・・T子さん!(Tの母親の名)samukoさんが来て下さったよ!」そう言いながら私の手を引っ張ってアプローチの石段を進み、彼女のいる玄関先まで連れて行ってくれた。「まあまあ、samukoさん、よく来てくれたわ。Tが喜ぶわ!お父さん、samukoさんが来てくれたよ!」私は彼のお父さんと挨拶をした。彼は苦悩の表情をしながらも、なんとか笑顔をつくり、「やあsamukoさんか、わざわざ遠いところから、よくきてくれました。」と言った。お父さんは私を彼の棺の安置してある座敷に通してくれた。棺を前に、私の中で彼がなくなったという現実がしっかりしたものとなってきた。「さあ、Tに会ってあげてください」そう言われて、わたしは彼の亡骸と対面した。少しばかりやつれた顔だが、やすらかな寝顔のようだった。棺の前にはおばあさんと妹さんも並んで座っていた。「Tちゃんは、苦しまなかったですか?」私の問いかけに、お母さんは、「何でも夜中会社で仕事していて、倒れたらしくて、朝一番に会社に人がきたときには冷たくなってたっていうから・・・そんなに長い間苦しまなかったと思う」そう言っていた。私は、「そうですか、それはよかったです。」とだけ言うと、その場を失礼した。私の背中ににおばあさんと妹さんのすすり泣く声が刺さった。<つづく>
2004年09月28日
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それは学生のころバイト先で知り合った4才年下のTという男の子でした。男の子というのがふさわしい位、あどけなさが残る、SMAP慎吾似の19歳。当時遠距離恋愛をしていた私はその100Kmも遠くの恋人とくっついた離れたを5年も繰り返しており、心もカラダも疲弊していたときでした。相手を好きになるより、好かれるほうが女の子としては幸せなのかもしれない。今にして思えば、安易な考えだったかもしれない。そんな私を好きになってくれた年下の彼。高校を卒業して東京のソフト開発会社に籍を置きながらも半ばフリーでの活動、大卒のサラリーマンよりも収入が多いことを自慢していて、子供っぽくはあったけどそんな気骨ある彼の姿に私も惹かれたのだと思います。それからいつでも一緒にいたいという感情と私だけを見てくれているという安心感から、私の両親が反対しているとはいえ、私が社会人になってから同棲するのは当然のなりゆきだったと思う。でもそこからは私たちの試練の始まりだった。お互い育った環境が違うこともあって生活習慣のギャップにびっくりしたこともたびたびあったように思うがそれはなんとかやり過ごしていたけれど、彼は小さなころから腎臓が弱く、血圧が異常に高く、それが難治性のもであることそのため小学校はまともに通えず中学校は病院から通っていた、高校生活も制限が多かったことを知った。私は、そのとき「なんとか彼をささえていかなくては」と思っていた。しかし時はバブル崩壊の真っ只中。彼のいた会社は給料の「遅配」をはじめ、さらには彼が会社からもらえるというお金(出資金のようなもの?)も戻くるメドが立たなくなりとにかく生活を続けるため、会社員だった私の信用でローンを組み、サラ金まで借金をし・・・自暴自棄になる彼と私との衝突も目立ち始めた・・・ある日彼はストレスからか鼻血が止まらなくなり3時間もタオルを鼻に当て横になってた。そして白いタオルが真っ赤になった頃、このままではまずい・・・私は救急車を呼び、付き添いとして病院で夜を明かした。彼を信じてあげられたら、奇跡は起こっただろうか?私の力が及ばなかったのだろう。彼は喫煙はするし、仕事の多忙さにかまけて不規則な睡眠でも気にかけない、食事も気遣わない、病院へは、「今、診察に行ったら、即刻入院になる」といって薬もいいかげんな飲み方だった。私たちは、同棲はしていても、入籍はしていなかった。つきあって最初の頃、彼の田舎へ行って、ご家族に会った。彼の両親やおばあさんは私が訪ねたことを喜んでくれ、近所に住むおばさんまでもわざわざ呼び出しあいさつするほどの歓迎振りだった。そのあとで、その年社会人になったばかりという妹さんともあいさつを交わした。それでも、そのときから彼の家族に違和感を覚え、何かしっくり来ないものを感じていたのだろうと思います。「オレは、いままでいいことなどひとつもなかった。オレの一生の中でsamukoに会えたことが一番の幸せな出来事だ。」何度か私とケンカをしながらも、最後は決まってそういうのが彼の口癖でした。それでも、すぐに自暴自棄な行動に出てしまう彼の弱さに、私の心は次第に彼を許せなくなっていきました。そんな矢先、もともと肝臓を患っていた私の父がガンで入院し、余命あとわずかなのを、母からの電話で知りました。母は、私が同棲を決行してしまったことを父には内緒にしていました。そして、もうこれ以上隠すことはできないといいました。なんとか別れるように自分で始末をつけなさい、と言い渡されました。支払っても支払ってもなくなることのない借金、すぐに落ち込んでは倒れる彼氏。あるとき、自宅のある中野坂上地下鉄駅の出口、ときどき机を構えている男の易者さんが、会社から家路を急ぐ私に、「ちょっと、あなた、きなさい!」と命令口調で声をかけてきて、私のジャケットを掴むなりその易者用の机の前に私をしゃがませたのです。そして、自分はイスに座り、こう私に言い渡した。「あなた、いま、すごーく相が悪いよ、見過ごすことが出来なくて声をかけてしまったけど。」そして、今の私の眉間に「色情の相」がでていること、なんとかそれを断ち切るために、決断しなければならないことがあるはず、と言われた。「色情の相」・・・何のこと?「とにかく、すごく悪い。気をつけなさい・・・」そんなこと言われたって・・・今思い出しても身震いするほど怖くなる!なんでそんなこと言われなくちゃならないの?とにかく、そのあと、何度かその若い易者さんが駅前で机を出しているときは、以後自分から話しかけ、心の迷いを吐き出したりしつつも相談料を払って憂さを晴らしたりしたものだ・・・でも、彼は決まって、きっぱり今の生活を止めなさい。と私に言った。決断・・・父の入院を彼に告げ同棲生活を終わりにした。私は自分のアパートへ戻り、そして同棲していたマンションを引き払った彼は会社で寝泊りするようになった。でも、彼とはその後も会っていて、なんとか状況が良くなるようにと願いながら過ごしつつも、一度心に亀裂が入ってしまった私は彼につらくあたるようになって、彼の不摂生を責め続けた。そして、別れたいと私から言っても、彼は「絶対にsamukoとは別れない」の一点張り。いつものように私のアパートでケンカになってしまったある夜。彼は「もう。いいよ」私のアパートの玄関でそういい残して部屋を出て行った。そのときの彼の表情に一抹の不安を覚えたが、それがあんな形で私の眠りを破った・・ケンカをした翌朝、私は電話のベルで起こされた。「何度電話をしても、でないんだから!!!」その声は彼の会社の同僚だった。「とにかくO病院に行って!救急の話だとsamukoのアパートの前の道路でTが交通事故にあったらしいよ!」当時私の住んでいたアパートの前には青梅街道という交通量の激しい道路が走っていて、その夜私の家アパートをでてからその道路を渡っていたとき、バイクにはねられたらしい。全くその間私は布団の中で眠っていて彼がそんなことになっていたとは夢にも思わなかったが・・・玄関で別れたときのあの彼の暗い表情を思い出し何か不吉なことが起こる予兆のようなものを感じたことがそのときはっきり理解できたのだ。とにかく、彼は生きてる。そう思い直して、自分の会社に半休の連絡をしたあと、急いでタクシーでO病院へ急いだ。病室を突き止め大部屋のベッドの一つに横たわる彼を見つけ、彼に声をかけた。「あー。samuko、やっときてくれたー。何度も呼んだんだよー。」顔は包帯をぐるぐる巻きにされていて表情はわからないが、安心した様子だ。太ももから足先まで擦り傷で赤銅色の皮膚に変わり果て、体中の打撲とあごに骨折。痛々しいかぎりだが、とにかく、生きてた。よく生きててくれた。気が付くと、周りのベッドは老人ばかりだった。しかも男女一緒で、私の立っているベッドの横には小さくなったおばあさんがじっと天井を見たまま仰向けで寝ているかと思うと、彼のいるベッドの横には、横向きのままはだかでじっとしているおじいさん・・そのおじいさんのお尻がない・・・?!大きく赤茶けているのが見えた・・・あれは、床ずれ・・・かな。聞いたことがあったけれど本物は初めてみる。私は何故か恐怖が沸き起こった。なんでこんなところに私たちはいなきゃならないの?湿布のニオイに混じってなんともいえない荒廃したような異臭につつまれた病室の中で、私は悲しさいっぱいになってしまっていた。「samukoがきっときてくれる、って思ってたんだ。ゆうべのことはほんとうに覚えてないんだ・・・なんであの道路を渡ったのかも・・・」また不思議なことに、彼をひいてしまった方も都心から方向はまったく逆の千葉にお住まいの方で、その夜なぜかこちらへバイクを走らせてしまったのだという。病院の談話室にある自動販売機に缶コーヒーを買いに行ったとき、タバコを吸っていた中年のおじさんがガウンを着たなりをして私にこう言ったのを覚えている。「ここの病院は救急に指定されてるからしょうがないけどよ、ヤブだよ。早いとこ転院させないとダメだよ。」このままでいいのか・・・私といるから彼はダメになってしまうのか・・・それでも彼は、私を見るとうれしそうに顔をほころばせる。彼が回復してまもなく、相変わらずの業績の悪い会社で悪戦苦闘している彼に朗報が入った。取引のある会社の社長からの、引き抜きである。多少の支度金も出してくれ、アパートも用意してくれたとのことで、これで彼も再出発のメドが立った。それに前後して、私は彼にこう告白した。「好きな人が出来たの。別れたい。」彼は「そんなの絶対に良くない!オレは認めない!」私も意志を固くして、このまま彼が立ち直れば、私の気持ちも軽くなれる・・・との信念から、逃げるように喫茶店の店のドアを開け、駆け出した。その後、間もなく私の父の死。私はしばらく会社を休んで実家に帰省しており、彼ともそれで終わりになるかにみえた。それでも、会社帰りに彼の待ち伏せに合い、こう説得された「もう、オレとつきあわなくてもいいから、会ってくれ。借金も順調に返せるメドがたったんだ。給料の一部を毎月samukoに支払うから、月1回でいいから会ってくれ。頼む。」私の借金は、彼との同棲生活で車1台買えるぐらい膨らんでいたし、私もそれが容易に返せるのなら、それが彼のハリになるなら、と本当に彼と会って、喫茶店で近況を報告し合い、それだけだった。そのあとゲームセンターに行くぐらいは、楽しんだと思う。ときどき、つい、昔のお互い好きだった頃にもどってしまいそうな・・・雰囲気にもなったけど、ただ、毎月彼の仕事の話や私の仕事上の相談などをしあって別れた。
2004年09月27日
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先月2歳になったばかりの息子はかなりおしゃべりができるようになって、身内との意思疎通も問題なくできるようになっている。「えーとね」「ちがう ちがうよ」「あーあ、(残念)」「もうだめだー」「だって」真ん中のおにいちゃんが3才になってやっと片言を話し始めてたのを思えば、幼児にしてはかなり高度な表現もこなしている。でもうちの子は標準より小さめの体型。顔の造作も小さいせいか、いっぱしのことを言うんだけど、声がかん高い!とにかくどんなしぐさを見てもカワイくってしょうがない。いっぽうで、4才のお兄ちゃんのほうは私が何度話しかけても無視。自分の要求のあるときだけ私に迫ってくる。慢性中耳炎のせいもあるから、私の声が聞こえないのかしらと、つい大声でガミガミ言ってしまう。自分でもその姿がイヤで、夕方にはカガミの前で眉間のシワを伸ばし、こんな生活やダー。って叫んでる。3人の子供がばらばらに何かしでかしてしまうと、注意するにもつい大声になって、公園やスーパーでも歩いてるとき恥ずかしい思いをする。典型的なのが道路で車が近づいてるとき。背中にリュック、片手にスーパーのレジ袋、もう片方の手は3人の子供のうちの誰か。すると他の2人が勝手なスピードで前へ進んでしまう!!「そこでじっとしてなさい!」「あー、あぶないよ」あまりにも連呼しすぎると子供たちは慣れてしまうし。子供が事故にあうこともやだけれど、こわいのは散歩しているご老人の方々に走って突っ込んでしまうときなどに、あーおじいさんに骨折でもさせちゃったら、タイヘンだ!それがもとで寝たきりになって痴呆にでもなったら・・・・・鎌倉は子供より老人のほうが人口構成比では多いのだ。そして緑深く適度な山坂が続く道ではご老人たちのリハビリや健康維持には格好の環境なのだ。といろいろな心配をよそにホントニのびのびと過ごしているわが子達。なめられてはたまらないと時にはきつく叱ったりするのだが、自己嫌悪に陥る。かえってお互いによくなかったりする。1回自分がイヤになって子供の前で泣き出してしまったこともある。そのときは3番目の子がおなかにいて、里帰り中に何度言ってもいうことを聞かない子達に神経質になっていて精神的にも負担がかかっていたようにも思いますが。泣いてる母親をはじめてみた姉と弟(当時3才と2才)は「ママ、泣かないで」といってもらい泣き。親子3人でオイオイ泣いてたけど、子供のほうは数分後にはケロっとして、また同じ調子にもどって、また自分だけが取り残されたように気になってさびしい思いもした。はー。このダメダメ母ぶりを今になって思い出してしまった。こんなことでは先が思いやられるなあ。真ん中の息子は今日も青空幼稚園を休むといって聞かないので休ませた。家でダラダラさせるのもなんだし、休ませついでに予定していた耳鼻科に息子を診せた。真ん中のやる気のないお兄ちゃんに対して、義母は、「とにかくほめておだてて何事もやらせなきゃダメよ、このままじゃ学校行くようになってなまけぐせがつくわよ。」・・・それが難しいから頭痛いのに・・・夕べも真ん中の息子はまるで誰かと戦っているように寝言を叫び、泣き喚いて、暴れまくり母子共に夜あまりよく寝ていない。もしかして、私のせい?やっぱり末っ子にばっかりかまっているからかなー。ぼくのほうも見てよ!ってサイン?息子の好きなウルトラマンの唄(私はヒーローもの大嫌い)を一緒に歌ってやったり、昆虫図鑑を買ってやったり(私は虫嫌い)しても、息子にはそれとこれとは別って態度とられてるし。もう、この時点で彼のハートをがっちり掴んでないってことですね。あーもっと自分に自信持ちたい。
2004年09月25日
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なんだか心がざわざわしてしかたがないのです。ちょっと自分のペースではなくなっちゃてるのかなー。リンクしている方の日記を読みながら何も書けずにいました。ブランクは気分が乗ってきたら埋めよう。夫が風邪気味で不機嫌だから?「銀行での振込み」や「コンビニでのコピーとり」とか「締め切り」なんかに追われてこんなことになってるのかなー子供たちが車に乗っててチャイルドシートから抜け出してさわいでる。何とかしたいけどなにんもうつ手がない。時間をかけて対応できていない。なんだか夫とも話しが一方通行のような違和感。ちょっと私「成功法則」にかぶれすぎ?何が理由なのか私にもわからない・・・少し静かにじっとしてようって思ってしまいました。失敗するごとに気持ちが縮んでしまう・・・ゆうべは早くから目がさめてしまってアマゾンのサイトで本のレビューを読んだりしていた・・・便利な世の中だなー。しみじみ。
2004年09月24日
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じつに4日も日記をさぼっていたわけで。その間のことを思い出そうと思っても、スグにはやっぱりなんにも思い出せないのです。もともと覚えていたくてこの日記をはじめたわけですが。この飛び飛びの記憶はなんだろう・・・・・時間の感覚は個人個人違うんでしょーけども。
2004年09月23日
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2004年7月7日に楽天日記のこのページをはじめてはや2ヶ月が過ぎようとしています。アクセスが1000を超えたのは最近のこと。私の脳の世界は子育てオンリーの後遺症からか、よく使う数の概念が1~、1000までなんですね。(恥)1年に2~3回くらい家電買ったりするときに検討するのに1万円台の数字を使う程度。これではいけないと日記をはじめて、脳内リハビリをやっている次第です。それが、今では毎日ではないけれど続けられている。そして他の方の書いたものを拝見させて頂いて毎日に刺激を得ている・・・私の世界は確実に拡がりました。そしてこんなにも自分がいろいろ考えていたということも発見。それを発言したい!書き綴っていたいという欲求があったこと事実に気づいたこと、もっと文章がうまくなりたい!と思える自分にびっくりしています。まったく。脳みそふやけまくりです。でも続けていくことで他のことにもなんか自信がついてきたみたいです。まだ公開できないけれどいろいろ新しいことに挑戦!取り組んでいます。楽天日記。私にとって貴重な場です。
2004年09月19日
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金曜日息子の耳鼻科受診予定だったのを本日に変更。長女と次男を夫に預け、長男と日中過ごす。繁華街にある耳鼻科で処置を済ませたあと、今日はマイカーなしで駐車場の心配もいらずゆっくりショッピングを楽しむ。久々の駅ビル。たくさんの秋物商品が並ぶお店。お店。日ごろこんな時間は取れないもので、息子をあちこち連れまわし疲れさせてしまいました。ちょっと休憩ということでミスドに入ってドーナツを買い、とりあえずテーブルに座ります。するととなりに座っていた白いテンガロンハットをかぶった女性が私と息子との会話を聞いてくすっと息子に笑いかけました。彼女のテーブルにはアメリカンコーヒーの入ったカップがトレイに乗って置かれています。スリムなパンツをはいたその傍らにはベビーカーがあり、中にはちょっと大きめのむっちりした赤ちゃんが。靴をはいているので1才ぐらいでしょうか。その女性は、「あの、つい小さい男の子を見るとかわいくて話しかけてしまったりするんです。」といいました。「お子さんは女の子ですか?」と私が聞くと「そうなんです。今日はこの子だけでお出かけ。」そして上に高2と中2のお嬢さんがいること、やっぱり年のせいか3人目は上の子2人のと同じようには体力的に育てるのは難しい、今日もちょっと体調悪くてここで休んでいることなどを話してくれました。たかだか私は母親業6年ぐらい。彼女はもう17年近くをそうやってすごしているわけで。彼女は、もう人生の半分近くを子供と一緒に過ごしちゃってる。最近になって初めてだんな様が「むすめがカワイイ」とかいいだして3人目の子の世話を焼いてくれるが、いままで育児にたいして関わってこなかったくせに、ここへきてオイシイ思いするなってイジワルもしたくなる。「うっかりできちゃった3人目」なんですね。3人目の妊娠がわかったときに2番目のお嬢さんの私立受験が決まっていて、「おねがーい!やっぱ受験は諦めて!」とはいえなかったそうです。今の時代、3人目を生み育てるってことは家族の経済問題に深刻にかかわるんですよね。専業主婦と子供3人養うとすると、緊縮モードですすめないとあとあと家計に余裕はないことは明らか。いかにしてお金をかけないで子供を教育するかは私のテーマでもあるので、ここの部分は彼女といろいろ情報交換できてよかったです。子供の習い事にどこまで投資するかとか、お受験の話とか。最近新しい場所に引っ越して、若いお母さんたちとやってけるかどうか不安という彼女に、楽天日記の存在をお知らせしちゃいました。いろんなひとがいて、毎日励まされますよー。ってね。後悔:インターネットもチケット購入とかで利用している彼女ですから、私の楽天日記のページに遊びにきて!といえばよかったけど、そこまで積極的にはなれなかった・・・残念。でもお互いがんばりましょーってことで別れた。知らない人にそこまでつっこんで聞いて会話が盛り上がった例はなかったので、これも楽天日記やってる効果かしら?ちょっとワクワクどきどきできて、るんるん気分なSAMUKO6565でした。休みの日に夫に家にいてもらうと、とっても精神的にラクです。で、今日から3連休!!!ふだんより、子供たちのイタズラにも寛容になってるかなー(終わり)
2004年09月18日
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今週全ての青空保育の活動の参加を中止して、家で子供たち3人を休ませる。喘息薬を飲ませ始めてもすぐには咳き込み症状は改善されないので過度な運動は控えさせるためです。月曜日:鎌倉の谷戸で自然観察:欠席 (Kさんのレクチャー付きだったのにー残念)火曜日:鎌倉のハイキングコース散策:欠席この日は予定を繰り上げて小児科に滑り込み受診。水曜日:私の皮膚科受診。この間山に入ったせいか手がかぶれてしまった。木曜日:今日ばかりは屋内なので子供たち3人参加。お友達と久しぶりに一緒で満足。金曜日:銭洗弁天周辺のハイキングコースを歩く。:欠席真ん中の息子を午後耳鼻科に連れてく。3番目の子の声がかすれ始めたら小児科再受診。自分でプランニングした予定、思い立ったやってみたいこと(今日は栗をつぶして混ぜ込んだパウンドケーキを焼こう、とか)(お布団をいっせいに干そうとか)などが、私の頭のなかでぐるぐるぐるぐる、ぱたぱたぱたぱた、入れ替わっていくんです。鎌倉郊外は車の運転は必須。行き先が変わるたびに私の頭の中で運転ルートが組みあがってたのをまた再構築して。山に囲まれた鎌倉は道路がきっと他の町より少ないんです・・・。そして1車線の道が圧倒的。調べたことはありませんが・・・。それで同じ目的地に行くのにサンデードライバーの夫が30分かかるところを15分内外で到着できます。スティーブン・R・コヴィーの 7つの習慣 最優先事項にでてくる、重要度と緊急度の2つの軸で4つの領域に分けるあのマトリックスでは、私の場合、常に第一領域の緊急かつ重要な事項が発生してきます。これを把握して事にあたらないと、子供の世話に明け暮れてインターネットに書き込むなんて時間はできないですね。もちろん、1日の計画が計画倒れに終わってばかりで子供に当り散らしていたでしょう。いま。私の信念は、時間は必ず作られるです。がんばっ!
2004年09月17日
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夕べの晩御飯は久しぶりの手作り餃子でした。娘6才と息子2才と一緒に皮に肉詰めしたりして。夫は餃子を口にした瞬間、「ん、うまいっ!これどこの餃子?」「これは私が作ったのよ。」と私。「うーん、満点だな。うまい。」あー、こんな瞬間を増やしていければ何もいうことはないんだけどなー。この時はこどももおとなも幸せ気分で食卓を囲めました。我が家のビデオデッキはもう5年選手。そろそろ退役間近か・・・すると、とうとう先日ビデオテープがはいらなくなっちゃいました。私は日々せわしなくてこんな程度の問題の追及は後回しにするたちなのでビデオは夫のいる週末までほおっておかれました。夫もビデオが見られないと不都合なので自分で点検してみることに。すると、、、、何とそこにはこどものままごと用の包丁が、、、入っていました。これで問題なくビデオテープは入るようになりましたが、今度はテープが巻きついて出てくるようになったので、結局ビデオデッキは買い換えることになりました。今では半分壊れたデッキはこども専用です。
2004年09月14日
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また、季節の変わり目で3人の子たちがくしゃみを連発。で、夏の疲れかなー。アレルギー症状だな。青空幼稚園をやすませちゃいました。今日は、サボりがちだった部屋の掃除を徹底的に行った。それで余計喉が痛くなった私。あーあ。また頻繁に掃除しなきゃいけない乾燥した季節が近づいてきます。いま傍らで寝ている次男の息遣いも苦しそうです。ぜんそくの発作が来ないうちにかかりつけの小児科に行きます。明日の青空幼稚園の予定は鎌倉駅からバスで遠出だそうで、やっぱり休ませることにしました。青空幼稚園:保育の時間を屋外で過ごす、自主保育の団体に上の子2人を通わせています。
2004年09月13日
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昨日の夫は晩御飯のとき、あまりに子供がうるさいので「もう、家に帰ってもうるさくて落ち着かないから、早く帰るのはやめようかな。」と私と子供たちの前で言った。夫は都心へ毎日通うサラリーマンをしている。子供が次々生まれてからは毎晩寝不足の日が続いていたはずだ。心の休まらない日々に嫌気がさして、何度か日常から逃げようとしていた。それでも、以前より早起きして会社のセクションの誰より一番に出社し、夕方6時30分ごろには退社。8時には自宅に戻ってくる。去年ぐらいまでは3人の子供を夕食後お風呂に入れてくれていたが、いまではそれも休みがちだ。子供もだんだん言うことを聞かなくなりイライラするからだろう。申し訳ないが、それが子供というものだ。今日は私も料理を充実させ(どうせそんなに食べてもらえないんだけど。私の自己満足)子供に言い渡して部屋の掃除、かたづけをさせおとなしくさせようと努力してみたが、毎日となると難しい。子供を寝かしつける時間までは家に帰ってこないでね。と彼に言うことは簡単だ。でもなんとかそう言うのは思いとどまっている。
2004年09月08日
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メールボックスに見慣れない件名が。楽天アフィリエイトのレポート?samuko6565の8月度成果ですって。クリック数 9回へー。こんなページでも誰かしらクリックしてくれてるのね。誰かが日記読みに初めてアクセスされてたのに気づいたときもどきどきしたけど。アフィリエイトの仕組みををしって興味を持ってちょっと遊んだだけのような感じなんだけど。売り上げ他の数値はゼロ。これはまじめにご紹介してご購入していただいて喜んでいただけて、自分も儲かる!!これがホントに実現したらすばらしい仕組みだ!!!とやる気は出したものの、その内実はテンプレート使ってやってもうまく画像と文章がレイアウトできないし、だれにやり方きいていいかどう質問していいかすら要領を得ないので半分投げ出し!の状態。最初はページ作るにも徹夜状態で2、3日過ごしてこれじゃカラダがもたん!昼間の業務に支障がでるので、ぼちぼちやることにしました。いろんな情報を調べて子供を他に預けられない私としては、いい副業になりそうだということがわかり、今の私にはぴったりなので気を取り直して続けてみようとおもいました。しかし生半可な気持ちではそう簡単にいきそうもないことも分かりました(泣)当たり前だけど。そんなうまい話ないですよね。とりあえず楽天でいろいろ実験しながらHP作成の基礎から勉強しようと思います。えっと、ホームページビルダーを買うんだっけ。それははるか先の12月のオットのボーナスまでお預けダー。それまでは無料のナントカとかタダでナントカとかのページやツールなどを活用させていただきましょう。しかし手がかかる乳・幼児に昼も夜も縛られてるし、おサイフもがっちりオットに掴まれててままならないし。外出する時間もない。行動する場所は鎌倉の山に囲まれた中だけ。だってーうちの子は幼稚園にも通わせてないんですもん。山の中で毎日駆けずり回ってますよ。24時間365日私はほとんど子供と一緒に過ごしてます。最初は子供とスローライフでいこうーっていうつもりだったけど、マイホーム購入&家族計画で計算違い。ボタンの掛け違いですね。もうそんなことも言ってられなくなった。よーし。いっちょ成功するぞー
2004年09月07日
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3人子供を産んで自己啓発や勉強や仕事などとは無縁の数年間でしたが、最近自分の中で何か変わったことがあります。その産んだ子供をどうやって教育しようか・・・と言う前に自分を教育しなくてはならないっという事実を。そして毎日何がしかの本を読むことにしています。今日はポール・R・シーリィ著 神田昌典 監訳「あなたもいままでの10倍速く本が読める」常識を覆す 速読術「フォトリーディング」と、内藤みか トークライブ (講演録)「東京激安人生案内」でした。どちらも生活の中で実践できる内容で気に入っている本です。それぞれ3回ぐらい読んでます。大事なのは何事もコツコツ毎日続けることだなー。と思って頑張っています。もっと速く読めてもっと速く書きたい!!!アマゾンのベストレビュアーになりたいです。
2004年09月06日
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今日までで日記を4日も書くのサボってしまいました。今日こそは書こうと思って、オットと子供が寝静まった夜。さて、楽天日記でも書こうかな・・・・・と。でも、ゴロゴロカミナリ鳴ってて、瞬停も。やば、パソコンダメにしたくないしなー。今夜も読書しよ。それにしてもアクセスなさすぎ。さびしいもんですねー。最近、ひるまっから、アレを書こう、このことも書こうと思いつくのに、タイピングも遅いし、私書くのは一仕事になっちゃうからな。みんな、よく書き込めてますね。毎日。私もそうなれるかしらね。
2004年09月04日
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私の生活にとっては新鮮な内容の日記を書いてた最中、真夜中に次男の泣き声とともに寝室から床をドンドンたたく音が。わかってますよ。聞こえてますよ。2階で子供と寝ていたオットが1階のパソコンの前にいる私に知らせるサインです。いままで2年間もこの授乳をせがむ夜鳴きをガマンして受け入れているこの夫婦。次男は、毎晩9時に就寝。夜中の12時と2時の2回の授乳。これまでも私は断乳を試みるが、オットは次男の泣き声がうるさいからまだ授乳は止めなくていいと云ってここまできてしまった。それにしても、この日書いた日記は翌日見てみると消えてしまっていた。次男の授乳コールであわててパソコンの電源を消したので、登録されていなかったのだろうなー。(泣)またいつかチャンスがあったら、この日の出来事を書こうかな。はー。(終わり)。
2004年09月03日
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