撮り人の個人的な旅 by Sataiya
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「石を投げればオカマに当たる」と云いたくなるほどタイにはオカマが多い。正式な数字は解らない。たとえて云うなら、鈴木さんと佐藤さんを足した比率くらいいるのでは…と思う程である。縁あってタイの学校見学に行く機会が数回あったが、小、中、高、大学問わず何処へ行ってもクラスに二、三人はオカマがいた。今回はタイで初めて観た映画の話。▲ 『サトリーレック』(「鋼鉄の女神」という意味)日本では『アタック・ナンバーハーフ』というタイトルで上映された2000年3月26日、バンコクでの事だった。▲ 映画に連れて行ってくれたメンバー。左からニウ、ケング、プゥー、デーン。友人達は皆地方出身者。丁度この時、出稼ぎでバンコクに来ていた。ニウは短期出家を終え還俗したばかり。剃った眉や髪が未だ生え揃っていなかった。友人達が「どんな映画が観たい?」と問うので、「タイの映画なら何でもいいよ」と答えた。タイに来たからには洋画でなくタイ映画が観たかったからである。友人達のおすすめの映画は「サトリーレック」丁度その時タイで大ヒットしていた映画だった。それはオカマのバレーボールチームが全国優勝するという実話を映画化したものだった。選手はレギュラーメンバー一人を除いて全てオカマ。監督がオナベと云う嘘のような本当の話だった。映画のチケットは全席指定で100バーツ(約280円〈2000年当時〉)だった。安いと思ったが、その後、田舎で映画を観ると60バーツ均一だった。映画館は冷房がよく効いていて、座席はゆったりしていてた。程好く段差があって全席の人の頭が目障りになる事もなく快適だった。館内は満席だった。スクリーンに国王の写真が映写されると、先ず全員起立した。国家が流れ出したのだ。これはタイの決まり事で、催し物が始まる前は国家が流れるようになっている。その際は起立するのが基本。国家が終わると全員着席。その後、オカマ映画が始まった。国王の後のオカマ…。何だか滑稽で思わず失笑してしまった。映画はコメディ。館内は大爆笑の渦に包まれた。タイ人の笑いのハードルはあまり高くないと感じた。おバカでベタなコメディ映画だった。わかりやすい笑いの王道を行く映画だと感じた。タイの気さくな国民性、感情の豊かさ、寛大さが伝わって来る映画だと率直に感じた。その後、このカマさんバレー映画『サトリーレック』は日本で公開されました。タイトルは『アタック・ナンバーハーフ』となっていた。▲ 日本題『アタック・ナンバーハーフ』コメディー色を全面に出した広告となっていた。渋谷シネクイントと云う映画館へ観に行った。客はまばらだった。館内が大爆笑に包まれたタイとは違い、日本では笑い声すら聞こえてこなかった。何だか国民性の違いを感じた。さて、この映画はオカマのバレーボールチームが全国優勝する話。ならば、その実在の人物は?と興味はそっちに向いた。映画のエンディングにその実物がちらっと登場する。当時、オカマバレーチーム“サトリーレック”が活躍し優勝した時は、そりゃ地元は大騒ぎ、テレビや新聞、雑誌などでも話題になったらしい。聞いたら、それはランパーン県のチームだと言う。奇しくもランパーンには友人がいた。「“サトリーレック”について何でもいいから教えて欲しい。出来れば写真があれば…」と友人にメールを送った。返事は「ネットで調べたり、知り合いに尋ねたけど、写真が手に入らなくて…。もう10年も前の話だから、難しいかも…」という事だった。実際にネットで検索してもヒットするのは映画の“サトリーレック”ばかり。タイではあまりインターネットが普及していなかった十年も前の話題だから難しいかも知れない。 数日後、ランパーンの友人からメールが来た。知り合いのオカマからオナベを経由して、漸くチーム“サトリーレック”の写真を手にしたというので送って貰った。▲ 実物のオカマバレーチーム『サトリーレック』の活躍の様子話題を呼び会場は超満員のお祭り騒ぎ後に全国優勝を成し遂げました▲ 当時の新聞記事映画がヒットすれば、お約束でパート2。▲ 『サトリーレック2』日本では『アタック・ナンバーハーフ2』となりました カマさんバレ~!『サトリーレック2』まだ観てませ~ん アタック・ナンバーハーフ ワン・ツーBOX
2006.10.28
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