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世界陸上最終日、女子マラソン団体銀メダルおめでとう!!個人ではメダルに届かなかったけれど、上位20名に5人が入るのって、やっぱり凄いと思います。見ていても、「なんか、日本人の密度濃い!」って感じに見えたし。日本人はマラソンがお家芸っていう意識があるし、メダルがとれないと、そのことだけで、「惨敗」って報道されてしまうけど、じゃあ、報道の人たちは何を見てるんだろう?って思ってしまいます。原さんはもちろん、最初から金狙いで走っててえらい!って思ったけど、記事を見ると、「原はいいけど、他の4人は消極的な走りで・・」とか、書いてて恥ずかしくないのかなあ・・。マラソンの何がわかってそんなことを書くのか・・。マラソンは、単に、タイムを競うだけの競技ではないのに・・。書くなら、弘山晴美さんが、どうして今までマラソンの選手としてオリンピックや世界陸上に出られなかったか、陸連の不思議な選考について、しっかり追求してよ。って感じです。5年前の選考も、本当に本当に酷かった。すべての長距離種目の日本新を出して、マラソンの結果も出して臨んだ選考。あの時、出してあげたかったです。あの理不尽な結果を越えて、今回、マラソンに出場して、8位入賞をもぎとったのは立派だと思います。本人としては、今回のレース、8位では納得していないと思います。これからも応援したいですね。【報道記事】【総評】(スポーツナビ)ラドクリフが大会記録で優勝 原は6位、弘山は8位で入賞 第10回世界陸上最終日は14日、女子マラソンがヘルシンキ市庁舎前をスタートし周回コースを経て五輪スタジアムにゴールする42.195キロで行われ、ポーラ・ラドクリフ(イギリス)が2時間20分57秒の大会新記録で優勝した。2位は前回優勝のキャサリン・ヌデレバ(ケニア)。日本勢は1997年アテネ大会から続いていたメダルを5大会ぶりに逃したものの、原裕美子(京セラ)が2時間24分20秒で見事に6位入賞。弘山晴美(資生堂)も最後に追い上げて、2時間25分46秒で8位入賞を果たした。大島めぐみ(しまむら)は10位、小崎まり(ノーリツ)は15位、江田良子(ヤマダ電機)は17位だった。 レース序盤は、飛び出したラドクリフに原が食らい付く展開。しかし、15キロ過ぎで原が遅れると、ヌデレバ、コンスタンティナ・トメスク(ルーマニア)らが先頭集団を形成した。ラドクリフは25キロすぎから後続を引き離すと、35キロからは独走状態となった。原は一時は7位まで後退したが、後半粘り、自己記録に迫るタイムでゴール。ベテランの弘山も最後に追い上げて、世界大会マラソン初出場を入賞で飾った。
August 15, 2005
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夏の甲子園もベスト16が出そろいました~☆暑い暑い甲子園の試合を見ながら、気になったこと。「甲子園名物のかちわりは生きているのか?!」昔は、かちわりを手に応援している人がすごくすごく目についたし、売り子さんもたくさんいた覚えが。調べてみると、このかちわり氷もちろんまだ健在のご様子。ここで遅ればせながら、かちわりについてご説明。かちわりとは、六甲山系の天然水を2日間凍らせた氷をかち割り、ビニール袋に入れたもの。昭和32年に登場。昔は、普通のビニール袋をたぶん重ねたようなものに氷を入れ、ストローをさして、口をゴムかひもかなんかで縛ったようにしてたのだが、最近は、ビニールバッグみたいなのに入ってるみたい。うーん、見た目をかわいくするより、昔ながらの普通の食品保存用に使うビニールの方がいい気がするけど・・。しかし、昨今では、凍らせたペットボトル飲料に押され気味で、かつては一日1万個売れたのが、今は千個ほどに落ち込んでいるんだとか。今でも、「やっぱり、甲子園に来たんだから、かちわりを体験したい!」という人は多いはず。一方で「でも、ただの水を凍らせただけでしょ」という意見もあるわけだが、これは単なる水ではないのだ。六甲山系の天然水!!「湯水のように使う」という言葉があるくらい、水が豊富な国、日本で、「天然水を売り出す」はしりとなった、六甲の水なんである。この六甲の水、昔、六甲山にトンネルを掘った時にわんさか出てきたらしいんですが、これがとっても性質がよくて、「腐らない水」ということで有名になったとか。当初はタダで配っていた、というか汲ませていたそうですが、いつの間にか、ハウスから「六甲のおいしい水」として売られるように。ペットボトルで「南アルプスの天然水」を売ってたりするらしいですが、せめて「六甲」にしてよ~って感じですね。ぱんとこは、かちわり買うと思うけど。
August 14, 2005
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男子マラソン、尾方さん銅メダルおめでとう!「足にきてたんで、前は追い掛けなかった」と言ってられたけど、全然そんな風に見えないくらい快調な走りでした。金メダルを期待された高岡さん、途中29キロくらいからガリブらがスパートかけて、32キロくらいだったかから、すこーしずつ遅れていって8位くらいになって、「うーん、メダルは難しいかな~」なんて思ってたのに!尾方の3位争いを追っているカメラの端に、高岡さんの姿が!映っていないところで猛然と追い掛けていたんですね!!!あの瞬間、ものすごく感動しました。織田さんも「鳥肌が立った」と言ってられたけど、ほんと!!結果は4位だったけど、解説の瀬古さんが、「(金メダルを)最初から狙っていったからこその結果。(3位と4位は)その違いです。本当によく頑張った」と仰ってて、はっとしました。そうなんだなあ。本当に、いけるかいけないか、ギリギリのところを突き抜けていかないと、金メダルはとれないんだ。守っていてはとれないものなんだ。男子4継の決勝も、3走の吉野さんとアンカーの朝原さんのバトンがうまくいかず、8位に終わったわけだけど、この決勝が始まる前、アメリカのバトンミスの話が出た時、解説の伊東さんが、やはり瀬古さんと同じ様なことをおっしゃってました。「しかし、丁寧に守っているだけでは、絶対に勝てないですから。いけるかいけないか、ギリギリのところを、賭けていかないと。ミスを恐れていてはダメ。末続君も調子がいいとコーナーで膨らむ傾向があるけど、それを気にせずに、思いっきり行った方がいいです」そして、8位に終わった時も、「バトンミスは、1位狙いで行ったということなんです。攻めていった結果だということを・・・みなさんわかってあげてください」と仰ってました。やはり、勝負の世界には、われわれ見てる側からはわからない繊細な分岐点・・・それも分岐点が最初からあるのではなくて、プロセスの中で結果として出てくるような分岐点があるんだな・・と思いました。すごいです。それから、男子マイルリレー!結果はすっごく残念だったけど、あの大阪高校の金丸君はすごい!あの股関節と膝から下の使い方は、ちょっと見たことがない!これからが本当に楽しみです。400メートルも層が厚くなってきて、そういう意味でも嬉しいですね。【報道記事】★尾方銅! 男子マラソン復活だ/世界陸上男子マラソンで銅メダルを獲得しガッツポーズする尾方(撮影・小沢裕) <陸上世界選手権>◇8日目◇13日◇ヘルシンキ 男子マラソンで尾方剛(32=中国電力)が銅メダルを獲得した。一時は8番まで順位を下げたが、粘り強い走りで後方から追い上げて2時間11分16秒で3位でゴールした。99年セビリア大会で3位に入った佐藤信之(旭化成)以来のメダルを日本にもたらした。ジャウアド・ガリブ(モロッコ)が2時間10分10秒で2連覇、日本記録保持者の高岡寿成(34=カネボウ)は2時間11分53秒で4位に入賞した。 尾方は追いかけなかった。その一瞬の判断が明暗を分けた。29キロすぎ、集団が動いた。前回覇者ガリブがスパート。アテネ五輪優勝のバルディーニ、高岡が続いた。尾方はグッと我慢した。「後半足にくる。1~2キロかけて追い上げればいい」。8番まで順位を下げた。 30キロをすぎて先頭集団が崩れ始めた。尾方は後方から1人ずつ抜いていった。31キロ付近で高岡もかわした。39キロすぎに単独3位に躍り出ると、そのままゴールまで駆け抜けた。「金メダルまでは追い上げられませんでした」。少し残念、でもうれしかった。 失敗を生かした。ガリブのスパートまで集団の最後尾を走った。「前はペースの上下動が激しいから」。03年の福岡。先頭集団のペースに過剰に反応して消耗して6位に沈んだ。アテネ五輪代表を逃した。苦い経験を大舞台で生かした。「彼は失敗も成功も無駄にしない。全部成長の糧にできる」と坂口監督は話した。 傷だらけの人生だった。山梨学院大2年で箱根駅伝優勝。アンカーの尾方はヒーローになった。その直後から走れなくなった。周囲の過度の注目からストレスを起こし、全身脱毛症を患った。中国電力入社後も五輪選考レースに2度敗北。「あの苦労があるから我慢ができた」と言った。 99年、芳子夫人との結婚が転機になった。生活環境が変わったことで記録が伸び始めた。昨年11月には長男杏丞(きょうすけ)くんも誕生。責任感が加わった。直後の福岡でマラソン9戦目にして初優勝。「帰国したら息子にメダルをかけてやりたい」と笑った。 挫折を乗り越えてのメダル獲得。しかし、満足はしていない。「銅メダルは最低限。僕はもっと上を目指していますから」。07年世界選手権大阪大会で再びメダルを獲得して、08年北京五輪へ挑む。尾方の成功物語はまだ完結していない。【首藤正徳】(日刊スポーツ) - 8月14日9時58分更新★高岡4位、終盤猛スパート/世界陸上<陸上世界選手権>◇8日目◇13日◇ヘルシンキ 金メダルを期待された高岡寿成(34=カネボウ)は、4位に終わった。一時は8位まで順位を落としながら終盤に浮上。「4番手は今の力ではないですかね。頑張れたので、何番でもいい。いい夢を見ました」と話しながらも、メダルを逃して「悔しいですねえ」と本音も漏らした。 スタートから先頭集団で走った。28キロすぎのガリブのスパートにも、ついていった。「ついていかないと、勝てないと思った」。日本記録でもある2時間6分16秒は、参加選手中最高のタイム。狙いは金メダルだった。31キロすぎに遅れ、35キロでは8位まで落ちた。しかし、そこから粘った。 代表の最有力候補と言われながら、昨年のアテネ五輪は補欠。わずかな出場の可能性を信じて調整した。その経験が1年後の大舞台で生きた。失敗にも嘆かずに、前だけを見据える気持ち。それが「いいレースでした」と高岡自身が振り返る挽回(ばんかい)につながった。 「ずっと世界で勝負したいと思ってきて、やっとスタートラインに立てた」。高岡の気持ちは、まだまだ前向きだ。「これじゃあ終われない。もう1回、勝負したい」。この日のレースが、日本のエースにさらなる勇気と意欲を与えた。(日刊スポーツ) - 8月14日9時58分更新★[ヘルシンキ 13日 ロイター] 陸上の第10回世界選手権は13日、当地の五輪スタジアムで男子400メートルリレーの決勝を行い、フランスが38秒08で優勝。日本(朝原、高平、吉野、末続)は38秒77の8位に終わった。トリニダードトバコが2位、英国が3位だった。★【ヘルシンキ=新宮広万】陸上の第10回世界選手権第8日は13日、ヘルシンキの五輪スタジアムなどで行われ、男子四百メートルリレー決勝で日本(末続、高平、吉野、朝原)は38秒77で8位に終わった。 男子千六百メートルリレー予選の日本(金丸、成迫、堀籠、佐藤)は失格。
August 14, 2005
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うわあああ!!!すっごい!みなさん、すごく気持ちのよい走りでした。解説の伊東さんも、「金メダルもねらえる」と言ってました。ひょっとしたらひょっとする。。。決勝は明日。期待しましょう!!アメリカは残念!!バトンパスがもともと下手なので大事に行きすぎて、2走の人がバトンを受けた時に、1走の人がバトンを離すのが遅くて落としてしまいました。モーリス・グリーン、今回はリレーだけだったのに・・・走らずに終わってしまって可哀そうでした。【報道記事】日本が決勝進出、優勝候補アメリカはまさかの失格=男子4×100mリレー2005年8月13日(土) 2時13分 スポーツナビ 第10回世界陸上(フィンランド・ヘルシンキ)第7日、男子4×100mリレーに出場した日本チーム(朝原宣治、高平慎士、吉野達郎、末續慎吾)は38秒46でB組3位に入り、翌日の決勝に駒を進めた。一方、優勝候補と見られていたA組のアメリカは、バトンを落とし、まさかの失格となった。以下は日本チームのコメント。■朝原「日本記録も狙える」 (一走で)違うドキドキ感で、どうやって走っていいか分かりませんでした。だんだん外にふれてきて、吹っ飛びそうでした。でも面白かったですね。コーナーで横に人がいないのは集中しやすい。一走と言われたのは3日前です。練習ではやっていたので、別に驚きはしなかった。(一走の)実戦は、陸上人生でも2回目ぐらいです。 みんないい状態だと思う。決勝でもっと攻めていけば、日本記録も狙えると思います。(為末が銅メダルを取った)7レーンに入れるといいですね。まだ余裕はある。(今日は)とりあえず3番狙いで行った。やってみないと分かりませんでしたが、(今までも)それなりのタイムは出ていたので、そんなに心配はしていませんでした。トリニダードトバゴとジャマイカは強いですけど、メダルは欲しいですね。取れる可能性はあると思うので、攻める気持ちを持っていければと思います。■高平「直線も面白い」 2走という世界がどんなものか知りたかった。抜きもしないし、追い抜かれもしない走りでいいと思っていました。ちょっと追いつかれたけど。疲れはない。こっちに来てから調子はいいです。(200m予選を)21秒台で走っただけですから。カーブも面白いけど、直線も面白い。僕のいい部分を出さないと。(吉野とのバトンパスは)昨日(練習で)2回やって2回とも渡らなかった。ここが渡れば全部通すでしょう。これから4人で相談して、バトンパスをどうするか考えたいです。■吉野「個人種目も走りたくなった」 そんなに緊張せずに競技に入った。興奮していい感じでした。バトンパスを心配していたけど良かった。日本と同じパフォーマンスが出せました。(世界陸上で)個人種目も走りたくなりますね。一人ぐらいは抜きたいと思っていた。ナイジェリアとトリニダードトバゴの間でどれぐらいできるかが課題でした。■末續「アンカーは気持ちが違う」 僕としてはいい走りができました。200(m)より、こういう距離の練習をしていましたから。3番手争いだとは思っていた。(バトンを)もらったときは5番で、顔ぶれを見たら何とかなると思いました。個人種目とは別で、400継(4×100mリレー)の去年(アテネ五輪)の借りを次の試合(決勝)で返す。(アメリカがバトンミスしたが)そういうもんです。チャンスといえばチャンスですね。決勝を目指して、日本のためにやってきた。(メダル獲得へ)ひょっとしたらひょっとしますね。アドレナリンが出ました。アンカーは気持ちが違います。だって小学校のとき、うれしかったのはアンカーですから。 [ 8月13日 2時30分 更新 ]
August 13, 2005
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うーん、物凄い悪天候でしたね~。たしかに、身体の軽い澤野選手には不利といえば不利なのかもしれない。しかし、本来の陸上競技はこういうものだ、ということを、あらためて再認識させられました。陸上競技は、記録を作る為だけの実験でもなく、人間対人間だけの戦いでもなく、自然との戦いでもあるんだって。自分の外の自然と自分の中の自然の。澤野さんはきっといい経験をした。ここで簡単に勝てない方が、きっと大きな選手になるに違いないと思う。【報道記事】 澤野大地がメダルの代わりに得たもの男子棒高跳び決勝 2005年08月12日 (折山淑美) 男子棒高跳び決勝、5m35を2回目でクリアする澤野【 Photo:築田純/アフロスポーツ 】 決勝も予選に続いて波乱の幕開け 長かったというのか、短かったというのか……。男子棒高跳びの2日は、この競技の難しさを如実に見続けさせられた、とにかく疲れる時間だった。 一度は「ダメか!」とあきらめさせられた澤野大地(ニシスポーツ)の決勝進出。8月9日の予選は、強風と予想外の用具の故障で救われた。その運の強さをどう生かしてくれるかと期待した11日の決勝は、またまた用具の故障から始まった。 前日の女子棒高跳び決勝を、12日に順延させる原因になった悪天候は、11日になっても回復しなかった。昼前から雨が降り出し、強い風も吹き荒れるヘルシンキ。夕方になって雨は一時上がったが、競技開始の午後6時半になると再び、強い雨がグラウンドを濡らし始めた。それに加え、強い風は収まることを知らず、スタンドの最上段にズラリと立てられた参加国の国旗を激しくはためかせていた。 そんな中、午後6時35分から始まる予定だった棒高跳びは、出場選手の紹介が終わってもなかなか競技が開始されない。よく注意してみると、向かって右側の電動でバーを上げる装置の修理中だった。女子決勝が中止になった前日から、トラックの第2コーナー内側に準備されていた装置を、今さら修理しているとは……。何とも信じられない光景だ。冷静な判断が裏目に 男子5000m予選も始まり場内も騒然とする中、突然競技は始められていた。二人の係員は手動でバーを上げ下げするテストを繰り返していたが、気がつくと澤野はピットの上でポールを持って立ち、試技開始の制限時間を示すタイマーの数字は残り20秒を切っている。 午後7時ちょうどで、バーの高さは5m35。 7秒前になってやっとスタートした澤野だったが、途中で助走をやめ、時間切れで失敗を示す赤旗が上げられた。 何とも不吉な予感にとらわれたが、後に聞くと澤野自身は落ち着いていた。「あのときはいつ始まってもいいように、ずっと審判の様子を見てましたから、慌てることはありませんでしたね。でも、いかんせん向かい風が強過ぎて……。あれで無理に行ったらけがをすると思ったし、助走も届かないと思ったのでやめたんです」 だがこの1回目が、後に影響する。 決勝出場全12選手中、最初の高さである5m35に挑戦したのは2名だけだった。もう一人は、試技順12番目のケビン・ランズ(ベルギー)。澤野は、全員が同じ高さから跳び始めれば10番目に登場するはずだったのだが、この高さに挑戦したのが2名で、一番最初の試技者になったのが、第1の不運だった。早めに準備をして待っていたランズがクリアしたのに続き、澤野は2度目の挑戦でクリア。だが試技数が一つ多いため、その時点ではランズと順位差がつく2位にランキングされた。 澤野は5m35から試技を開始した理由をこう言った。「試合直前の足合わせの僕の順番のとき、風が強過ぎて足合わせもままならなかったんです。それで低いところから跳んでいこうと思ったんです」 それ自体は冷静な判断だったが……。 勝負に出た5m65の1回目 試合は、通常より時間に余裕がなく、あたふたとしたテンポで進められた。次の5m50は、半数の選手が失敗する中、澤野は1回でクリア。まだ十分余裕のあるジャンプで、上位進出の可能性を感じさせた。 全選手が強風で苦しむ状況で、澤野は次の5m65がキーポイントになると考えた。それを1回目で跳べば優位に立てる。そう考えた彼は、5m50の試技では体が上がっていたものの、使ったポールは柔らかいと感じたため、強気にポールを硬いものに替えた。「でも、向かい風でポールを握る手が力んでしまって、ただ踏み切っただけになってしまった。『アーッ』って感じで。硬いポールにするとちょっとした力みで崩れてしまうけど、攻められたことには後悔していません」 跳躍順1番のパトリック・クリスチャンソン(スウェーデン)が5m65の3回目を失敗した時点で、澤野の8位以内が確定した。だが澤野も3回目、「体も浮いたと思うし動きもしっかりできて。思い切った跳躍ができたから良かったと思います」というジャンプながらも失敗し、そのまま8位が確定してしまった。この高さをクリアしたのは4名のみ。もし5m35の1回目の失敗がなければ、澤野はほかの3名と試技数が同じになり、5位タイで競技を終えられたのだが……。 試合を終えて戻ってきた澤野は、ガックリ肩を落として「疲れました」と言う。「予選より難しかったですね。寒いし、向かい風や横風が強いし、雨が降ってるし。まだ力が足りませんね。あの強い風の中で戦うには、今の僕の体じゃ無理です。5m50は一発で跳べたけど、あんな風の中でも自分の使いたいポールをしっかり使えるようになり、しっかり助走を走れる力をつけないといけないですね」誰にでもチャンスがあったと涙 自分の競技を終わった後、タオルで顔を隠してグランドを歩いていた澤野の目に、涙が浮かんでいた。「泣いてたね」と話しかけると。「見られてましたか」と恥ずかしそうに答える。「最低ラインの目標だった入賞をクリアできて、去年のアテネより一歩前進したと思っています。でも、5m50しか跳べなかったのがすごく悔しいですね。誰にでもチャンスがあるということが分かったから、余計に……」 結局、5m50を3回目でやっとクリアし、5m65の2回目には体でバーを大きくはね上げながらも、奇跡的に落下させずに成功したレンス・ブロム(オランダ)が、5m80を跳んでチャンピオンになった。そのブロムの自己記録が、澤野より2センチ低い5m81だったと知ると、彼は悔しそうに天を仰いだ。そして再び視線を戻して言う。「この先やるべきことも考えてるし、やらなきゃいけないこともいっぱいある。次の大阪大会までの2年間を死ぬ気で頑張って練習して、絶対に、今僕より上にいる奴を見返してやりますよ」 決勝進出選手の中では、今季世界リスト2番目という状況で戦った澤野。彼はこの戦いで栄冠を獲得できなかったが、その代わりに、より強くなることへの大きな欲求を得た。
August 12, 2005
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2次予選があまりにギリギリでヒヤヒヤ。準決勝、1レーン・・・わあ~難しいレーンだよぉ。加速したい中間疾走のところにカーブが来るし、カーブもきつめになるし、最初のストレートが凄く長く見えて、外の人より長く走るような錯覚もあるんですよね。前半いい感じだったけど、後半がついてこない感じに見えました。しかし・・しかしです。末続さんは、やはり・・世界の人ですね。われわれみたいな一般ピープルの考えるようなところとは全然違う次元におられました。下記のインタビュー読んで・・そうだったのか・・と。【報道記事】末續、リスクを冒して見えたもの男子200m準決勝 2005年08月11日 (向吉三郎) 男子200メートルの準決勝で、2組6着に終わり決勝進出を逃した末続慎吾=五輪スタジアム【 共同 】 大舞台で試したかったことは? 得意のコーナーワークを生かし、前半から積極的に飛ばすのが末續慎吾(ミズノ)の200mのレース展開だが、準決勝ではコーナーを出た時点で7番目に位置していた。「1レーンということもあったんですけど、わざと抑えた」と末續は話す。その後に加速してトップをうかがったが、終盤にスタミナが切れて20秒84の6位。通過条件の4位までに入ることはできず、2大会連続メダルの夢はついえた。 大舞台でなぜ、そんなリスクを冒したのか。 「前回は銅メダルを取ったけど、何かをぶっ壊していかないと金は取れない」と末續。2007年の大阪大会、その翌年の北京五輪での金メダルを見据える。左ひざ痛で6月の日本選手権を欠場し、故障明けで臨んだ今大会は、勝負よりも「何かを試さなければ意味がない」と末續は力説した。 その結果、「前半は(いつも)速いんです。前半と後半の接着剤というか、その部分は今後」と課題が見つかったようだ。「足が速くなる方法は少し分かりました。(大会に)出て良かった」100mをパスする勇気 アメリカ勢を中心とした外国人選手のパワーに対抗するため、今季は本格的な筋力アップに取り組んだ。現在はその筋力と、ももを高く上げない独特のフォームをかみ合わせている状態だ。 「73年ぶりの日本人ファイナリスト」「夢の9秒台」――。今大会の末續の期待は100mに注がれていた。期待を一身に背負いながら、100mをパスするのには相当の勇気が必要だったはず。故障明けで100も、200もと無理をするより、得意の200mで自分の走りをつかみたい。目標はあくまで大阪と北京。末續と高野進コーチの強い意志が感じられた。 もちろん、勝負から逃げたわけではないだろう。「100の練習しかしていなかった」と末續が言うように、大会直前まで100mでの決勝進出の道を模索していた。200mでも「やっぱり帳尻を合わせただけでは勝たせてもらえない」と悔しそうな表情を見せた。 「もう少し時間がかかりますね。待っとってください」。熊本県出身の末續は最後を九州弁で締めた。今はその言葉を信じるしかない。
August 11, 2005
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この日、すごーく楽しみにしていたんですが、仕事の疲れで2時くらいに寝てしまいました~~。頑張って起きてたんですけど、凄いどしゃぶりで中断してたから、「順延かな」と思って・・・。そしたら、2時間後に決勝やったんですね!朝、6時頃起きてネットニュース見たら「銅メダル」の字が踊ってて。えええっ!!!あー悔しかったなあ~~~。是非とも生で見たかった。悔しくて悔しくて、TVで映像が流れないか待ってたんですが、朝出かけるギリギリにようやく!うわ~~。すごい、これまで見たことのないような表情をしてられました。これは、何か起きそう!いつも通り、物凄いスピードでトップで1台目を越えて・・・でも、国際映像、7レーンの為末も追いたいが、優勝候補のクレメントも追いたい!って感じで、端から端までカメラが飛んでました。最後の最後の執念のようなゴール。すごかった。感動しました。下記の記事のコメント読んで、びっくり。なんて凄いんだろうか。山崎さんのことも久しぶりに思いだしました。当時は山崎さん応援してましたよ・・・。【報道記事】為末が銅メダル獲得=世界陸上・男子400mハードル 第10回世界陸上は9日、五輪スタジアムで第4日の競技が行われ、男子400mハードル決勝で為末大(APF)が今季自己最高となる48秒10で3位に入り、2001年エドモントン大会以来、2大会ぶり2度目の銅メダルを獲得した。以下はレース後の為末のコメント。■為末「思い出が乗っかっている」 選手村で、日本選手権もこういう(豪雨の)天候で1位だったので、もしかすると言っていたら、怖いぐらいに予想が当たりました。雨が突然降って、若い選手が動揺していたので、最初にかっ飛ばせば、集中力とやる気がそがれるだろう。(後ろからスタートする選手は)パニックになるだろうと思っていました。 最初は、雨でレースの中止情報が流れて、(情報に何度か左右されて)アップをやめて荷物をまとめるのを何回も繰り返す選手もいました。経験で、正確な情報が出るまではじっとしていた。案の定、(ベテランのフェリックス・)サンチェス(ドミニカ)と僕だけがじっとしていました。 今回はかけ事に勝ったような感じです。生死の果し合いのような。まさか(メダルまで)順番が回ってくるとは。何が影響していたのかは分かりません。本当に力を出し尽くして、(取材を受けるために)階段を上がるのもつらかった。3番とすぐには分かりませんでした。(電光掲示板を見て)まさかとは思いましたが、「Dai」という名前は一人しかいませんので。誰かと競り合っているのは分かったので、すべり込んでゴールしようと思っていました。 (3位争いをしたカーロン・)クレメント(アメリカ)はあと5年すれば、もっとうまいレースをしている。あと10回走ったら違う。(今でも)10回やったら10回負ける。100回やって1回勝てる。その1回が来ました。決勝ってそういうものなんでしょうね。 スタートのときは、「人生で何回かしか、こんなことはない」と楽しむ余裕がありました。雨にさらされてサムライっぽいなとも思いました。(銅メダルを取った)4年前に(今日の雨のような)この状況だったらメダルは取れていない。若い選手たちは大会で何回も一緒なので、(雨で)心が揺れているのが目に見えて分かりました。試合数だけはこなしていますので、うまくはまりました。 (前回の3位と比べて)思い出は乗っかっています。前みたいにうれしいだけではない。次の大阪は、日本陸上界にとって大事な大会。日本で陸上がメジャースポーツとなるかどうかの勝負をかける。ゼロからいかないと。競技人生をかけるのは北京(五輪)です。 エドモントンの銅から4年もかかったというのが正直な気持ち。でも、あれがなかったら自分が陸上をやっている意味も分からなかったですし、陸上をやっていないかもしれない。プロでやりたいという自分のモチベーションにもなりました。無駄に思える4年間ではなかったと思います。プロになってから結果が出たのは重みが違う。思いどおりにいったメダルは大きいです。 [ スポーツナビ 2005年8月10日 7:10 ]■為末に銅メダル授与「金メダルは輝いて見えた」 表彰台で銅メダルを授与され、笑顔を見せた為末【 Photo:築田純/アフロスポーツ 】 世界陸上の男子400mハードル表彰式が10日、五輪スタジアムで行なわれ、同種目で3位となった為末大(APF)に銅メダルが与えられた。 2大会ぶりの銅メダルをあこがれの同種目元世界記録保持者・エドウィン・モーゼスからかけてもらった為末は表彰式の後、「隣のメダルが輝いて見えた」と話し、2年後の大阪大会での金メダル獲得に意欲を見せていた。以下は為末のコメント。為末「昨日は眠れなかった」 (エドウィン・)モーゼスとは、実は高校時代に電話で話したことがあるんです。はり(治療)の先生がモーゼスを知っていて、電話をつないでもらいました。(昨日は雨が功を奏したが)今日は雨でなくて良かったのに。前回もそう感じましたけど、(隣の)金メダルは輝いて見えました。 (レースを振り返って)ペースがガタガタでした。こんなに(ペースが)揺れることは2度とないでしょう。1台目の入りは今までで一番速かった。(次回の)大阪(大会)では47秒台が出ないと勝負できない。スピードのロスを削っていきたいです。昨日は(興奮して)頭がさえて眠れませんでした。メダルバブルはすぐにはじけるんで、地に足を付けていきたいです。
August 10, 2005
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為末大さん、決勝進出!!おめでとうございます!準決勝3組の上位2人プラス2の、タイムで拾われての決勝。でも、為末さんのいた1組目は、すごい速い人が多くて、47秒台が出てたし、他の組の2番目より為末さんのタイムの方がよかったもんね。スタート前の顔が、すごく集中して、自分の世界に入ってるなあ~~って感じでした。7台目まではトップだったんじゃないかな。8台目でちょっとバランスを崩して、その一瞬に遅れて、ぐんっっっと速い3人が前に出た感じでした。うーん、惜しい!!あそこで崩れてなかったら、もっと絡めてたんだろうな。でも、これで決勝が楽しみになりましたね~。決勝は9日の夜というか10日かな。期待しましょう!!【報道記事】為末が決勝進出「2001年と重みが違う」 第10回世界陸上は7日、五輪スタジアムなどで第2日の競技が行われ、男子400mハードル準決勝では為末大(APF)が1組4位ながら、48秒46のタイムで2001年エドモントン大会以来2度目の決勝進出を決めた。決勝では、2度目のメダル獲得を目指す。成迫健児(筑波大)は49秒00の2組3位で、準決勝敗退となった。以下はレース後の為末と成迫のコメント。■為末「2001年とは重みが違う」 (予選4位になって)状況が状況なんで運に任せるしかない。レースはしっかりコントロールできていて、これでダメなら仕方がないと思っていました。先行してかっ飛ばしていただけではない。最後はパワーの差です。(銅メダルを獲得した)エドモントンの(決勝の)残り方と比べてスカッとしないですけど、正直言って、比べられない感動です。頭で考えてやってきた分、重みが違います。ここで終わるかなと思っていましたが、良かったです。 (48秒23を目標にしていたが)ハードルの失敗があった。8台目で体が横に逃げてしまいました。(左足の靴のひもがほどけていたのが)ちらっと見えたが、まあ、地面を踏みしめるのには関係ない。スタートは雑念なく臨めました。(ゴールして)力出し切ったので(残らなくても)仕方がないと思っていた。運が良かったです。個人的には(同組3位の)フェリックス・サンチェスを倒したかった。彼を倒さなければ決勝には残れないと思っていました。48秒(46)で残るはずがないと半分あきらめていましたが、残ったときは、こういうこともあるんだな、と思いました。(決勝進出は)3組目が終わって、最初にアメリカのメディアの人が教えてくれました。自分の力で転がったわけではないのが申し訳ない。毎年、まじめに(決勝に残る)順番待ちをしていて良かったです。4番ではダメと、力出し切ろうと思って、そこで頑張ったのが良かった。4年前(のエドモントン大会)を思い出しますね。(今季の自己記録について)自分としては上出来です。 (引退は)アテネの時と成迫(健児)君を見たときに考えました。自分では体現できない体力を持っている。自分は分析力に優れていると思っているので、自分を超える逸材を見たら怖くなってきました。自分の終わりが見えてきたっていうか。でも、分析力がまだ足りないのか、何だかんだ言っても成迫君には勝てている。(2007年の)大阪に向けては、ここで決勝に残らなければ、(成迫に)ライバルという目で見てくれないというのもありました。 400mは読みにくい。経験が必要な種目だと思います。日本の競技場などは一方向の風が吹きますが、ここの風はめちゃくちゃ。そこで、(準決勝の)前半は風を受けないように重心を低くして走った。これは、いろんなレースを経験していないと分かりません。今年1番のレースがでした。数日前までは(決勝進出は)あぶないと思っていましたが、一気にここに来れて良かった。2、3位を狙っていたが、思っていたレースはできた。(記録で拾われたことは)「(ラスト)サムライ」と言われているぐらいですから、人が失敗するのを願っていてはダメなんですがね。 決勝では落選はないので、金メダルを取れると思って、スタートからとにかく行きます。できる限りのことをして、あとは何とか走りたいです。■成迫健児「世界との差は近い」 最後、抜けると思ったのですが、近づきませんでした。(1レーンに関して)走る前は難しいとは感じていなくて、みんな13歩を使うので関係ないと思うのですが、僕の場合は1レーンが初めてだったので、ちょっときつかったです。前半のカーブでもっとスピードに乗らなければいけないことは最初から分かっていたので、リカバリーしようと思っていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。 予選はどこ見てるか分からないぐらい緊張していたのですが、先生たちに助けられたりして今日は大丈夫でした。(雰囲気は)予選とはまったく違いますし、(今日は)観客に俺を見てくれという感じで堂々とできました。(足は)つりませんでした。昨日ははりきってアップし過ぎちゃって。今日は試合前に軽部さんに来てもらって「いつもより弱めにアップしろ」と言われたので、そうしました。 1組で(為末の4)8秒46というのが見えて、1レーンだしこれは僕には出せないと弱気になってしまったんですけど、ジャマイカのマクファーレンを抜かせば、着順で(決勝に)行けると思った。でも、南アフリカの僕より年下の選手に負けてしまって……。年下に負けるのはとても悔しいです。まだまだ練習が足りなかったということですね。 (同部屋の為末から学んだことは)気持ちの余裕です。僕なんかガチガチだったのに、為末さんは「これから試合あるのか」というぐらいリラックスしていて、これからはそうしたいなと思います。(ここ一本にかける集中力が)全然違いますね。 準決勝でもそこそこ世界との差は近いということを感じられたので、スピードを強化して次につなげたいです。 [ スポーツナビ 2005年8月8日 5:10 ]
August 8, 2005
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ぶ~け1980年5月号の「ジャンボコレクション 沖倉利津子 2本立劇場」より☆★「聖子と吉三郎」 沖倉利津子初出 別冊マーガレット1979年6月号・7月号。幼なじみモノです。誰にも覚えのある、おそらくいつの時代にもある、思春期の気持ちと成長を描いた作品です。お名前は存じ上げてましたが、読んだことありませんでした。絵柄が、昔の槇村さとる先生にちょっと似てる気が。特に横顔。たぶん、同じ頃の作家さんなんですよね?★「この子野良ねこ」 沖倉利津子初出 別冊マーガレット1979年12月号。おお~~永遠のテーマ、青年期の自分探しモノですね。これはなかなかいい話ですよ。うん。こういう真面目なテーマって、意外に今ウケるんじゃないかなあって思います。本屋さんから昔のマンガが消えてしまって寂しいです。
August 7, 2005
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「かぼちゃ族のお茶会」/星川歩先日大人買いした昔の「ぶ~け」の、1980年4月号の巻頭カラー作品。80年ていうか、70年代的な雰囲気のほんわかラブコメっていう感じでしょうか。いまのマンガにはない雰囲気ですねぇ。かえって新鮮です。ぱんとこ、この作家さんは存じあげなかったのですが、少し調べてみたところ、1976年、「ライバル時代」で、第1回「別マ・新人長編まんが賞」佳作受賞。 「こっち向いてあなた!」(『別冊マーガレット』'76年5月号)で、デビュー。 「香川県でOL生活をしながら、まんがを描いてるガンバリ屋!」だったそうな。『別冊マーガレット』、『デラックスマーガレット』、『ぶ~け』等で活躍され、ぶ~けコミックスからいくつか単行本も出ていたみたいですね。「かぼちゃ族のお茶会」 1981年3月14日 「りんごの法則」1982年9月14日「モーニングコール」1983年12月12日 「ヒロイン未満」1984年12月12日「金木犀館ドリーム」1986年3月19日
August 7, 2005
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為末さん、400mハードル準決勝進出!うーん、綺麗な走りでした。ハードラーとしてはえらく背が低い選手だと思うのですが、ハードリングの技術の高さと、ハードル間の走りの質のよさの賜ですね。股関節と膝の柔らかさ、膝から下のしなやかさ。前半、向かい風になっていたようで、それで微妙に歩数が合わなくなる選手もいる中、すごく巧く調整してましたね。さすがだてに経験をつんでませんね。期待したいと思います☆【報道記事】為末、日本人初!4大会連続準決勝 世界陸上 第1日2005年8月7日(日) 13時30分 スポーツ報知 【ヘルシンキ(フィンランド)6日=ペン・日比野哲哉、カメラ・二川雅年】当地の五輪スタジアムで開幕。男子四百メートル障害予選で、01年エドモントン大会の銅メダリスト・為末大(27)=APF=が、49秒17の5組2着で、同種目の日本勢で初となる五輪、世界選手権を通して4大会連続の準決勝進出を決めた。新鋭・成迫健児(21)=筑波大=も49秒87で予選を突破。7日(日本時間8日午前3時)の準決勝で、短距離・障害種目では日本勢初のダブル・ファイナルを狙う。 条件を、レースを、自分を読み切った。最終5組の為末が、バックストレートのスピードを抑える堅実な走りで49秒17の5組2着。「48秒8を想定してましたが、風が舞っていたので無理に狙わなかった」と計算通りの予選突破に、納得の表情を浮かべた。 海外転戦で蓄積した多くの経験が、大きな武器になってきた。単身で、体調によって調整法を変え、気象条件、グラウンド状態、相手によって様々なレースパターンを試してきた。「昨年ぐらいから読みが当たるようになってきた」と実感。この日も「最後の直線だけ意識した」と準決勝で有利な3~6レーンに入れるタイムに持っていった。 この積み重ねが、また偉業達成に結びついた。世界選手権に限れば、苅部俊二(現・法大監督)が91年東京大会から4大会連続で準決勝に進んだが、その間の96年アトランタ五輪は予選敗退。同種目で五輪、世界選手権を通じて4大会連続は、為末が日本人初だ。 01年世界選手権で銅メダルを獲得後も「現状維持で満足できる性格ではない」と、さらなる進化を求めて試行錯誤を続けてきた。03年世界選手権(パリ)は、大会の約1か月前に父・敏行さん(享年54歳)を亡くした精神的ショックを引きずりながらの予選突破。今年は、2月中旬から約1か月間の高地トレ、6月下旬から約1か月の欧州転戦から帰国しないで世界選手権に臨むパターンとも初の試み。その中で準決勝を走り続けてきた価値は高い。 4年前の銅メダルを「若さゆえにできたこと」と振り返る。今は、計算し、自分をコントロールする強さを身につけた。予選の48秒台は、19歳のニュースター候補カーロン・クレメント(19)だけだったが、「予選は死んだふり。準決勝の通過ラインは48秒2~3。今年一番のレースをしたい」と、また同種目で日本人初となる2度目のファイナリストを狙う。◆早狩アジア新で決勝 14年目の“雪辱”だ。初めて実施された女子三千メートル障害物の予選で、早狩実紀(はやかり・みのり、32)=京都光華AC=が同組4位でゴール。自らの日本記録を17秒51も更新する9分41秒21のアジア新で、同大1年で予選落ちを喫した91年東京大会三千メートル以来の世界選手権で、見事に決勝進出を果たした。 千五百メートルで11年続けて日本選手権に出場し、すべて6位以内の早狩が、三千メートル障害物に取り組み始めたのは今年3月。世界選手権の種目になったことを知り、挑戦した。それまで障害など飛び越えたこともなかったが、5月の初レースで日本新、その20日後に世界選手権の参加標準記録Bを突破。代表入りした。実は、この日が3レース目。「障害は、やっぱり怖かった」と苦笑いしたが、3戦連続の日本新で自信も深めた。男子百メートルの朝原と同大で同期の32歳は「決勝も積極的に走りたい」と夢の入賞に挑む。[ 8月7日 13時30分 更新 ]
August 6, 2005
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世界陸上☆開幕しました! ぱんとこ、小さい頃から陸上やってたのもあって、とっても楽しみにしてました。今年は、第1回大会が開催されたヘルシンキ。気候なんかも独得そうですね~~。何より驚いたのは、スタジアムの狭さ。これ、狭いよ。第8レーンのすぐ外がもう観客席。ぱんとこなんかは、競技場で、観客が気になることとかあんまりなかったけど、テレビで観てても、ちょっと騒がしいな~と思いました。通常、どんな大会でも、スタートの前に、選手の紹介をするものなんですが、それも一切ないので、観客も選手も、いつ何が始まるのかわかりにくそう。そういうこともあって、たぶん、スタジアム全体で競技をおこなう感じになりにくいのかなあ。せめて、スタートの時は静かにするよう、アナウンスか何か要るよ。あれじゃ、なんか、スターターのマイクにスタジアムの音が入ってしまって、集中しにくそう。あと、狭いために、風が舞ってて、その影響もあって、選手達は戸惑ってるという話でした。100mの朝原さんも、1本目走って、「えっ、そんな遅いの?」とびっくりしてたけど、普段の感覚で「これぐらいだろう」と思っているのと、だいぶ違うみたいでした。◆100m 朝原さん残念!!ぱんとこ、応援してた朝原さん、2次予選敗退。2次予選は、ちょっとスタート直後につんのめった感じになって、その反動で身体が起きてしまって、中間疾走で空気抵抗をモロに受けてしまった感じだったかな~。うーーーん、惜しい。朝原さん本来の走りは、中間から後半にかけて伸びるような、観ていてワクワクする走りなんですが、今季は調整がうまくいってないみたいでした。しかし、こんなに長い間、トップアスリートとして君臨しておられること自体、すごすぎる。アメリカみたいに、メダル候補が国内大会で落ちてしまうような国とは、事情が違うというのもあるけれど、1人の人間として、これだけ自分を保って、しかも向上させ続けているということは、本当に尊敬に値すると思います。外国の人から見ても、長く出てる人って、たぶん認識されてると思うな。昔、ぱんとこも、外国の選手で、特にメダル候補というわけじゃないけど、息が長くてなかなかよいプレイをする選手が出てるのを見て、「あ、今回も出てる」って、妙にほっとしたり嬉しかったりしたものです。今後、どうなさるのかな、朝原選手。気持ちとしては、もっと見ていたい。【報道記事】ヘルシンキで開幕した第10回世界陸上は、五輪スタジアムで第1日午後の競技を開始し、男子100m2次予選で朝原宣治(大阪ガス)は10秒58の1組6位に終わり、準決勝進出はならなかった。以下は朝原のコメント。■朝原「力不足という感じ」 前半は行けたと思ったけど、後半が伸びなかった。力不足という感じです。それくらいの力しかないのかなあ……。いろいろな原因があると思いますが、日本選手権を境に良くない。合宿でリカバリーしようとしたが、うまく結果につながらなかったです。(肌寒かったり、風が強かったりする天候は)気にはなりましたが、ほかの選手も一緒。トップギアに入らないで終わって、気持ち悪いことは悪いですね。(世界への挑戦は)来年のことも分からない。この後に何試合かあるので、その後で考えたい。去年のオリンピックでは持っている力を注ぎ込んだ。その後、冬の蓄えがなくて、ちょこちょこやっていたのでは難しいなと思いました。練習の走りもこれだというものもない感じ。世界陸上に向けて体調はだいぶ良かった。自信がない中で100パーセントの力は出し切れました。(2007年の)大阪(大会)のことは考えにくい。盛り上げ役に回った方がいいかも……。(今の気持ちは)これ以上は出ないなという、(力を)出し切った不完全燃焼という感じですね。2003年のパリ大会のときもそういう感じでした。 [ 8月7日 1時50分 更新 ] 朝原の闘志に火はついたのか男子100m 2005年08月07日 (向吉三郎) 世界陸上第1日、朝原宣治は男子100m2次予選で1組6位に終わり、準決勝進出ならず。手前はアテネ五輪覇者のガトリン(アメリカ)【 Photo:築田純/アフロスポーツ 】 五輪王者と互角のスタートを見せるも 運命のいたずらか、単なる偶然なのか。100mの2次予選で敗退した朝原宣治(大阪ガス)は2レースとも五輪王者のジャスティン・ガトリン(アメリカ)の隣を走った。朝原はガトリンのスタートを横目で見て、「頭が低い」と重心の低さに驚いたという。 スタートではひけをとらなかった。100mで準決勝進出を決めたアテネ五輪200mの覇者・ショーン・クロフォード(アメリカ)が「スターターの間合いが長い」とぼやく中、33歳の朝原は、ベテランらしく、落ち着いてガトリンと互角のスタートを見せた。「スタートの感触は悪くなかった」と振り返る。 だが、2レースとも後半、みるみる差を広げられた。「前半は行けたと思ったけど、後半が伸びなかった。力不足という感じです」と朝原は言い、「それくらいの力しかないのかなあ……」とつぶやいた。 記録は1次予選が10秒40、2次予選は10秒58。自己ベストの10秒02には遠く及ばない結果となった。険しかったファイナリストへの道 今回の敗戦を「冬の蓄えが足りなかった」と表現する。ファイナリストを目指して「持っている力を注いできた」というアテネ五輪の翌年。「練習の走りもこれだなというものが見つけられなかった」と話した。「これ以上出ないなという、(力を)出し尽くした不完全燃焼」(朝原)。 高校で走り幅跳びの選手として陸上を始めた。1993年の世界陸上は幅跳びに出場した。スプリンターとしての才能も徐々に芽生え始め、「日本で一番速く走りたい」「世界最速を決める舞台に立ちたい」との欲求から2001年から幅跳びを封印。世界陸上、五輪で4大会連続100mの準決勝に進出したが、ファイナリストへの道は険しかった。 ガトリンを「貫録みたいなものがありました。決勝に向けて計画どおりなんだろうなと感じた」と評する。 07年には地元・大阪で世界陸上が開催される。「大阪のことは考えにくい」と言う朝原だが、ささやかれる引退については名言を避けた。メダル獲得を目指す400mリレーも残る。五輪王者は朝原の心に再び火をつけたのだろうか。
August 6, 2005
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今年もこの日がやってきました。☆広島市ホームページよりhttp://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html平 和 宣 言被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明(ゆうめい)の界(さかい)を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻(とき)でもあります。この決意は、全(すべ)ての戦争犠牲者や世界各地で今この刻(とき)を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。その主旋律は、「こんな思いを、他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教や法律が揃(そろ)って説く「汝(なんじ)殺すなかれ」です。未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。9年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標(みちしるべ)です。しかし、今年の5月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器の保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マスコミを通して「核兵器が貴方(あなた)を守る」という偽りの呪(まじな)いを繰り返してきました。その結果、反論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさせられています。また、国連では、自らの我儘(わがまま)を通せる拒否権に恃(たの)んで、世界の大多数の声を封じ込めています。この現実を変えるため、加盟都市が1080に増えた平和市長会議は現在、広島市で第6回総会を開き、一昨年採択した「核兵器廃絶のための緊急行動」を改訂しています。目標は、全米市長会議や欧州議会、核戦争防止国際医師の会等々、世界に広がる様々な組織やNGOそして多くの市民との協働の輪を広げるための、そしてまた、世界の市民が「地球の未来はあたかも自分一人の肩に懸かっているかのような」危機感を持って自らの責任に目覚め、新たな決意で核廃絶を目指して行動するための、具体的指針を作ることです。まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネーブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。さらに国連総会がこの特別委員会の勧告に従い、2020年までに核兵器の廃絶を実現するための具体的ステップを2010年までに策定するよう、期待します。同時に私たちは、今日から来年の8月9日までの369日を「継承と目覚め、決意の年」と位置付け、世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、世界中の多くの都市で核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開します。日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器廃絶実現のために力を尽くすべきです。重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。被爆60周年の今日、「過ちは繰返さない」と誓った私たちの責任を謙虚に再確認し、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げます。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」2005年(平成17年)8月6日 広島市長 秋 葉 忠 利
August 6, 2005
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「ぶ~け」1980年3月号に、佐藤真樹先生の作品が3本立で掲載されてました~。作品リストも載ってたんですが、デビューが1972年!!たしか今も現役で描いておられると思うんですが・・・すごいベテランの先生だったんですね!!絵柄が、普遍的な感じだからか、時代を感じさせないというか、古びないですね~!1「空のいろの屋根の下」 「りぼん」1977年10月号 初出 なんていうか、佐藤先生のタッチってこんな感じだな~って思うんですが、サラ~~っとしてるっていうか。。。 実は中身が枚数に収まりきってない気が。 前・後編くらいの感じの中身なのに、読み切りなので、ぱんとこ的には消化不良ですぅ。もったいない~。 孤児院育ちの女の子の気持ちが、なんだか哀しくて。 同じ孤児院育ちの男の子が、主人公の女の子のことを好きになっちゃうのが、何となく解せない。 まあ・・・なんで好きになるかなんて、理由なんてないかもと思うんだけどね☆ 2「森の教室」 「りぼん」1979年4月号 初出 なんと!教育問題モノですよ! 最近、ドラマなんかではあるけど、マンガでこういうのってあるのかな? 勉強ねぇ。 中学や高校の勉強なんかは、競争するだけより、 お互い教え合ったりした方が、 教える方も教えられる方も身に付いたなあ~っていう記憶が。 楽しいしね。3「レイン・・・レイン・・・」 「りぼん」1979年6月号 初出 引っ込みじあんで、目立たないけど可愛い女の子が、 優しい男の子の目にとまって・・・。みたいな。 ほのぼの系のラブストーリー。 だけど、女の子は最後までず~~っと受け身なんよね。 誘われて、出かけてって、男の子の話にふと笑顔を見せて・・・。 うぉーー!それだけでいいのかぁ~~!! ぱんとこには、絶対できない芸当だわ~~。 つい要らぬサービス精神を出してしまうに違いない。 黙っていても、ステキな男の子がちやほやしてくれるなんていうのは、 可愛くて素直だから、イケるんだろうなあ。 世の中の男の子は、こういう女の子のこと、結構好きだったりするだろうなあ~~。
August 1, 2005
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