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今の仕事を始めた頃友人にこう豪語したのを覚えています。「前の会社みたく、明日休みたいとか思わなくなった!」いやー、素晴らしいことです。でも会社というのは長くいればいるほどいろいろ任されることが多くなったりします。新しく入ってきた方に教えること、とか裏方的な仕事、とか。特に「教える」ってかなり体力を使います。自分が調子のいい時はいいんですがなにしろ最近疲れていてちょっとつらい時があります。でも、新しく入ってきた方というのは右も左も分からず真白ですから自分だって教わったようにちゃんと教えてくれる人がほしいものです。わかってはいるんですけどね…。こう次から次へと来られるのもね…。ほかには、書類をひたすらチェックし続ける仕事があるのですがそれのおかげで遠視の目が、かなりキています(泣)昔、眼科で「あなたみたいな目の人は1時間仕事したら、30分目を休ませないとダメです」と言われました。そ、そんな仕事ないだろ…………突っ込みたかったけど、その時はやめときました。とにかく、極度らしいのでそれ用の眼鏡をかけても目の疲れ、頭痛がない時があまりありません。これは分岐点…なのか…?そうそう!でもそんなに深刻にならずなるべく楽しいほう、楽しい方に向ってみます!
2008.03.30
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最近なんとなく疲れが抜けなくて満員電車に突入する気が萎えてしまっています…短い区間だけど今日はグリーン車に乗ってますあ~、座れないけどのんびり~どっかでコーヒー飲んだと思えばま、いいか
2008.03.17
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武蔵小山に行って来ました。ちょくちょく行ってます。ちょくちょくちょく、です。パルムという名前の大きなアーケードの商店街があってとても有名です。よく撮影とかやっています。超!庶民派の私はここが大好きで行くたびにウハウハしてしまいます。……バッグを買ってしまいました。2000円!安いのにかわいい!(笑)おととしの夏ぐらいに駅が地下にもぐってしまったのでちょっと風情がなくなってしまいましたが実にいい街です。○○ヒルズとか○○タウンもいいけれどなんでも揃うムサコもいいですよー。
2008.03.10
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第20の手紙なにもしない時間こちらの世界にいて嬉しいのは、夢を見るひまや、自分自身を知るひまがたっぷりあることだ。もちろん、やることはたくさんある。だが、数年後には地上に戻るつもりでいても、自分を知るぐらいの時間はじゅうぶんある。地上にいたときも、自分を知る努力はそれなりにしていたが、こちらの世界ではとにかく面倒な雑事が少ない。着替えの手間ひとつとってもこちらの方が楽だし、自分や他人の生活費を稼ぐ必要もないのだ。きみも、そうできると思うなら、のんびりする時間をとるといい。自分でできると思うことは、だいたいなんでもできるはずだ。わたしの場合、例をあげると、何年かたったら、この四次元の世界の状態を一般的に知るだけでなく、わたしがこれまで生きたいくつかの人生に戻って、そこで学んだことを吸収し直したいと思っている。現時点までにわたしの自我が体験したことをすべて統合し、それをもとに、将来最も抵抗なくできることはなにか、判断したいのだ。今度生まれたときは、いまの知識をかなり取り戻せそうな気がする。きみに――あるいはきみたちの何人かに――次はいつ、どのあたりで、わたしを捜せばよいか教えておこう。いや、驚かないでほしい。いますぐという話ではない。すぐに戻ろうと思えばあわただしくなるが、わたしはあわてたくないのだ。むりやり戻ることもできるとは思うが、それは賢明なやり方とは言えない。むりに戻れば、望んだほどの力をもたない状態で戻ることになってしまう。作用があれば、それと逆向きに同じ強さの反作用が働くわけだし、力のまとまり、すなわち自我は、一定の時間には一定のエネルギーしか生み出せないので、力を備えて戻るだけのエネルギーをたくわえるまでは、この希薄な素材の世界で休んでいた方がよいと思うのだ。ただわたしは、ほかの魂たちのまねをする気はない。彼らは、以前地上に飽きてしまったように、こちらの世界でも飽きるまでとどまったあげく、リズムの波が抗しがたいほど強まったときに、ほとんど自覚のないまま地上に送り返されてしまう。わたしはそのリズムを自分でコントロールしたいのだ。わたしがここに来たあと、知り合いのある男が地上に戻って行った。初めて会ったとき、彼はもう出発を目前に控えていた。ただ不思議なことに、本人は自分のそういう状態に気づいていなかった。いろんなことに飽きてしまった、もっと休みたい、彼はそんな愚痴を言った。物質界へ戻るドアを開けるには並々ならぬ努力が必要なので、休みたいというのはそれに備えるための本能的な欲求だったのだろう。こちらの世界に来るのは簡単だが、こちらからそちらへ行くときはかなり努力しなければならないのだ。師が教えてくれたので、その男がどこにいるかはわかっている。男のことはわたしから師に話したのだが、師はその前から彼の存在を知っていたようだった。それはかなり奇妙なことだった、というのも、あのような男に師がそれほど興味をもつとは思えなかったからだ。だが、先のことはわからない。もしかしたら、彼は次の人生で、彼らが教える哲学を本当に学び始めるのかもしれない。だが、こちらの世界はそちらよりひまが多いという話に戻ろう。きみたちも、生活の中でひまな時間をもう少し作るようにした方がいい。別に怠けろというのではないが、受動的な心の状態は、能動的な状態に劣らぬ価値をもっている。きみたちが受動的になってくれなければ、われわれは連絡をとれない。きみたちの心や体が常に忙しい状態にあると、魂のメッセージを認識させるのがむずかしくなる。1日の中で、なにもしない時間をもう少し多く作りなさい。なにもしないのもときには悪くない。心の中の潜在意識の部分が活動できるのは、そういう時間なのだ。潜在意識は、内面の生の存在を教えてくれる。なぜなら、地上にいる者が“所有して”いる内面の生は、われわれの住む世界とそちらの世界の接点にほかならないからだ。言い換えれば、2つの世界は接しており、しかも内面の生を通じて接している、ということになる。出て来るためには、まず入って行かねばならない。一種の逆説だが、逆説には多くの真理がひそんでいる。矛盾は真理ではないが、逆説は矛盾とは違う。人々がこちらの世界に滞在する期間には大きなばらつきがある。ホームシックについて言えば、地上の世界を恋しがってホームシックになる者もたしかにいる。そういう者は、ほとんど間をおかず地上に戻ったりするが、それはたいていの場合まちがっている。その魂が若くて、前回の人生で使い残したエネルギーをたっぷりもっていれば別だが、ふつうは地上に早く戻りすぎると回復力の不足に悩むことになる。地上にいる詩人や夢想家の一部は内面の生を恋しがっているのに、こちらに来た者は地上を恋しがるのだから、不思議なものだ。“内”と“外”という言い方はわかりにくいかもしれない。だが、思い出してほしい――きみたちがわれわれの世界に来るときは“入って”来るのであり、われわれがきみたちの世界に行くときは“出て”行くことになるのだ。こちらの世界にいるわれわれは、通常の状態では、ほぼ主観的な生を生きているが、きみたちの世界にふれるとだんだん客観的になっていく。きみたちは、われわれの世界にふれるとだんだん主観的になっていく。それさえ心得ていれば――つまり、自分の内部に深く降りて行けば――きみたちはほとんどいつでもわれわれの世界に遊びに来られるのだが。きみに実験する気があって、しかも怖がらずにいられれば、肉体がさほど意識を失っていないときに――つまり、深い眠りにおちていないときに――きみをこちらに連れ出すこともできる。その気になったら、わたしを呼びなさい。すぐに来なくても、がっかりしてはいけない。きみが呼んだとき、わたしは別のことをしているかもしれない。だがそんなときは、あとで行くから。急ぐ必要はない。それはぜひ心に留めておいてほしい。今年できなかったことは、来年にはできるだろう。しかし、次から次へと仕事に追われていると、それぞれの仕事の完成度はひじょうに低くなる。永遠という時間があれば、人間の自我はじゅうぶん発達できる。永遠はそのために設計されたと言ってもいいぐらいだ。むかしだれかが 「人生の目的は人生そのものだ」 と言ったが、まさにそのとおりだ。永遠について新たな角度から考察する機会を得て以来、わたしはそのことをより深く認識するようになった。その新たな角度から考えると、永遠、そして時間というものがよく理解できる。以前は、自分が時間をむだにしてはいなかったことがわからなかったが、いまではわかる。失敗も経験のうち、決して意味のないことではなかった。われわれは、取り戻すために失うのだ。人生に出入りして、その内と外を学んでいれば、力を得ることも失うこともある。どんなことでもそうだが、この点においても、人生の目的は人生そのものなのだ。急いではいけない。力や知識は、少しずつ身につけることもできるし、強引なやり方で一気に身につけることもできる。どちらを選ぶかは、その人の自由だ。しかし、ゆっくり成長した方が、反動は少なくてすむ。
2008.03.02
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