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2014年01月30日
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 私たちの思想や感情は、言葉によって表現されます。

そんな事は改めて言われなくても、当然の事ではないか、と

軽く受け流されてしまいそうですが……。本当に、あなたは

その事を自覚されておられるのでしょうか?日本に近代批評の分野を

確立した小林秀雄の畢生の作「本居宣長」を、今年の三が日に

三度目の熟読玩味をいたしましたが、言葉にならない「妄念・妄想」の類

がいかほど胸中に渦巻いていても、それは自己表現にはならない。勿論

自己理解にも繋がらない―、そのような記述がありました。本居宣長

の言葉を借りて、小林は自分自身を明瞭に語っているのであります。本居宣長



 ロシアの文豪・ドストエフスキーの研究に代表される「外国かぶれ」の

小林が晩年に突然のように「日本回帰」を遂げ、遺作として「古事記伝」の

大著で知られる国文学者・本居宣長をして、自己の一生を、その批評家・思想家

としての本質的なあり方を、仔細に、また懇切丁寧に解説しているのであります。

私は小林の「くどいようだが」と何度も念を押し、噛んで含めるように、煩を

厭わずに分かり易く本居宣長、否、小林秀雄本人の足跡を、思想のあり方の実際を

説明している。その優しさと、愛情を身に沁みて噛み締めながら、思わず知らず

涙がこぼれそうになりました、何度も。本居宣長ほど著名でありながら、そして

その偉大さを世に認められていながら、根本的な誤解と無理解とに囲繞され続けている

偉人も極めて稀な存在。小林は本能的に自己と酷似した姿を宣長に見たのでありましょう。

 小林は本居宣長は世の誤解を百も承知で、思想界の主役を勤めたのだと書いている。



何の関心も持たないの世間という厄介な代物が、自分勝手の鵜呑みの偏見で、あれこれと

揚げ足を取りにかかる。―本当に、実際、理解などという面倒な事柄は、とかくに

偏見と誤解しか生み出すことが無いかのように、世間を混乱と空騒ぎの坩堝に陥れる。

実に、実に、本来の自己理解など、誰も本気では取り組もうとしない。何故か?

一体何故でしょうか?一度、いや何度でも、篤とお考え下さい、皆さん。










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最終更新日  2014年01月30日 10時33分37秒
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