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2015年09月11日
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            第 八 回 目






  所で、浄土真宗に悪人正機(あくにんしょうき)の説があります。「悪人」こそが阿弥陀仏の救済の対象の中心な

のだとするもの。悪人とは、衆生(=末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫)の謂であり、正機とは、仏の教えや救いを受

ける資質を持つ人々を指す言葉。自力で「善い行いを積んで」仏になる道を行く者に対して、お釈迦様の有難い教えの

功徳が効果を及ぼさなくなる、悪ばかりが蔓延り、腐敗堕落した末の世、つまり現代に生きる私たちは皆が「悪人」で

あり、有難い阿弥陀如来の 他力 によって救われる他に、救いへの道は無いとする思想でありますね。ですから私な

どはさしずめ 悪人中の悪人 なのでありまして、生まれながらにして様々な「悪事」に手を染め続けなければ、生き

ていけない存在なのですよ、実際。


 が、悪とは何か? そして、善とは何か?辞書によれば悪は、「善の対 道に外れ、法に背く事、また、人に害を与



悪人」とは根本的に違っている。心が軟弱であり、欠点が多くある者、乃至は、誘惑に負けやすい、怠惰に陥りやすい

傾向が強い者、といった意味合いに解釈して良いのではないでしょうか。煩悩、仏教修行・精神安静の邪魔となる、一

切の欲望・執着や、怒り・妬みなどの悪しき情念で、具足、心の中が何時も一杯になっている、凡夫、欲望・迷いを捨

てきれない一般の人、こそ他ならない我々、通常人なのですから。





 『 哀しい哉 哀しい哉 復 哀しい哉  悲しい哉 悲しい哉 重ねて 悲しい哉 』 ― 空海のことばであり

ますが、これはその儘で大日如来の 慈悲心 大悲 の御心を人間の言葉に翻訳したもの、と私には聞こえます、確か

に。この「かなしい かな」は未来永劫に全宇宙に静かに、厳かに、響き渡っている…。





 聖女・マザーテレサは、「愛の反対は、憎しみではない。愛の反対は、無関心でいること」というような意味のこと

を言っていますが、最大限の関心を私たちに向けて居られる 絶対者 の声無き声を、強いて言語化すれば、それは 

広大無辺なる愛情 であり、 慈悲の御心とその現れ とでありましょうか…。


 中国古代の偉人・孔子も「仁」ということを聖人の教えの中心に据えて居られる。宜(むべ)なるかな、宜なるか







 遊びをせんとや 生まれけむ、戯(たわむ)れせんとや 生まれけん、遊ぶ子供の 声きけば、我が身さえこそ 動

(ゆる)がるれ ―― 梁塵秘抄の人口に膾炙した有名な歌でありますよ。伝によれば、遊び女(め)と呼ばれた籠の鳥

の境涯にある遊女が、外から聞こえて来る子供たちの如何にも楽しそうな声を耳にして、謂わば 全身全霊 を込めて

共感・共鳴している様を、文字通り 身を震わせるように大きな感動 に包まれて、不思議な感銘を受けている様子

が、まざまざとリアルに描写された傑作。毎日のように子供達と接していると、少年・少女たちの若々しい、元気一杯



生命の歓喜を最大限に感じ取り、人生を否応なく全肯定させずにおかない素晴らしいエネルギーが、どの子供からも、

その存在そのものから大人の側に伝わって来ているよう。躾にしても、教育にしても、子供たちが自然から与えられて

いる美質を減殺したり、否定するような接し方だけは、厳に慎まなくてはいけない。大人の一員として、心底、そう願

わずにはいられません。









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最終更新日  2015年09月11日 09時56分53秒
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