草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2016年03月12日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類









  その時です、私がまた善知鳥(うとう)の声を耳にしたのは。はっとして、瞳を凝らす私の眼に、上空高く、北か

ら南を指して真一文字に飛翔する、白い鳥の姿さえ映じたのでした。それは本当に、瞬きする間の短い、瞬時の出来事

でしたから、私はそれらが耳と眼の錯覚かも知れないと疑いました。しかし、それは気の迷いでも錯覚でもなかった。

何故なら、夜明け前の夜空を横切って消え去った流れ星の様な鳥の後を追うかのように、確かに身に覚えのある、仄白

い一陣の風が、陸奥湾の遥か彼方から、音もなく吹き渡ってくる気配を、感じ取ることが出来たのですから。そして、

何とも心地よく爽やかな白い風が、私をすっぽりと包み、身体の中を吹き抜けて行った際、頭の頂上から足の爪先ま

で、私の体中の細胞の一つ一つがことごとく、南部鉄で出来た風鈴の様に澄み切った音色を発し、得も言われない風の

唄を歌っているのが、私の心の耳にははっきりと聞こえていたのでした…。



 全く突然、私がそう心に誓ったのは、その時だったのです。

 一週間程前に、鉄平さんから葉書のお便りを戴きました。私が例の神田のお店宛に出した、婚約の挨拶状に対する返

事だったのですが、鉄平さんは先ずお祝いを述べるのが遅くなったことを詫び、今年になってから新しいお店に移った

こと、そして今度は見習いとは言え板前の端くれとして遇されていること、結婚したら夫婦して是非自分の料理を食べ

に来てくれるようにと書き、最後に、まだ野菜の皮を剥いたり魚を捌く時に、涙が滲むことがあるけれども、野菜や魚

が立派に成仏出来るような、魂のこもった本物の料理が作れるよう精進すると、述べておられました。

 考えてみれば、少女の頃から私が何か新しく事を始めるようになる前には、必ずあの眼に見えない白い風が吹いてい

たのでした。唯それをはっきりと自覚したのが、数年前はじめて上京する折だっただけなので。その白い風は私の行動

を促し、誘導するように吹くのではありません。私の内部に、或る事を始めようとする自発的な意志が萌し、その機が

十分に熟した瞬間、新しいスタートを祝福し、また勇気附けようとするかのように、何処からともなく吹き渡ってくる

風なのでした。とは申せ、私は最後の最後の瞬間まで、自分自身の心に向かって、問い続けないわけにはゆきませんで



どうとるのか?―― それは結局、私自身が心の底から満足できる人生を歩み、本当の幸福を自分の手にしっかりと掴

み取る以外にない。皆々様方のご好意とご親切とに報いる道は、そこにしか残されていない、そう最後の見極めを付け

ることが出来たのは、結婚式場の鶴屋旅館に着いてからだった

のです。そこで、あなたや、あなたの御両親やその他式に参列するために態々足を運んで下さった大勢の人達のお顔に

接した時、私はやはり自分自身で納得できる人生を生きなければと、最終的に悟ったのでした。



て、非情な大都会、私をあんなに苦しめ、寂しがらせた 極寒の街 に舞い戻ります。

 鉄平さんが果たして、私を迎え入れて下さるかどうか、それはわかりません。何年か経って、私と鉄平さんが首尾よ

く結婚でき、やがて宿願の旅館を自分たちのものとすることが出来るのか否か、それはもっとわかりません。しかし私

は、それで良いと思っています、ええ、それで。

 私は夢のような憧れに現を抜かし、厳しい現実を失念しているのではありません。私は、東京という世にも恐ろしい

巨大な怪物の正体を垣間見た、拙い体験を持ちました。同時に、鉄平さんという、心温まる人間味に溢れた人物の存在

が皆無でないことも、知り得ました。その上に、自分自身の意気地なさ加減も忘れてはいません。それは恐らく、終生

念頭を離れないことでしょう。その上で私は、もう一度自分の夢に挑戦してみようと、考えているのです。

 私は生まれ故郷での、あなたとの平和で安全な生活を捨て、常に危険を孕んだ茨の道を選んだのです。約束された微

温的で、確実な幸福(― どうか、こんな表現を使うことをお許しくださいませ)を犠牲にして、その見返りには、汗

と、涙と、血を流す、代価を支払って、自分の生涯の希望に挑戦する生き方に、賭けたのですわ。

 いま、車中のあちこちから乗客の立てる鼾や、気持ちよさそうな寝息が洩れています。先ほど仙台を過ぎましたの

で、東京はもう眼と鼻の先です―、私はまだ、少しも眠気を感じません。東京の夜明けの空に向けて、今、私という 

白い風 が吹き渡っている様子を、想像してみてください。暁の抜けるような空の青さと重なった瞬間、私は見る見る

紺青色に染まって、一陣の青い風に変わることでしょう。青は古く、「東、春、朝、陽気」などを表した色なのだそう

ですよ…。

 この手紙があなたの手元に届く頃、私は東京の街での新しい生活を、慌ただしく開始していることでしょう。どう

か、呉呉も御身体をお大切に………。私の意のあるところをお汲み取りいただけたなら幸いです。 かしこ。




                          《 善知鳥が啼いた 完 》






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年03月12日 10時48分27秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: