草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2016年04月22日
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  そっと、閉じていた眼を開きかけると、誰かが枕辺に在って、義清の顔を熱心に窺っている様子である。義清は

又、瞼を閉じて、相手の気配を、聴いた。それが先程の少女であることは、直ぐに知れた。少女は身じろぎもせずに、

若者の稍蒼褪めてはいるが、凛々しい面を、打ち見ているのだった。そのようにして、どれほどの時間が経過したであ

ろうか、義清にはそれが一年にも、二年にも、あるいはもっと、遥かに長い、永遠に近い時の流れの様にも、感じられ

た。出来ればいつまでも、こうして眼を閉じて、美しい少女に見守られていたい。そう、胸底では熱望するものが確か

に有ったのだが、もう一方で、その儘の状態に耐え切れない、息苦しさが次第に募ってもいた。とうとう義清は瞼を大

きく見開いて、少女を見た。


 「そなたは人を殺めたのか」




清の胸を貫いた。


 「解らぬ、ただ、儂(わし)は危うく命を失う所であった」


 草の上に昏倒した儘手から離さなかった太刀には、ドス黒い血糊の痕が、はっきりと残っていた。確かに自分は賊を

切ったに違いなかった。が、果たして相手が死んだものか、或いは思いの外に浅傷であったのか、皆目見当がつかな

い。肺の臓も心臓も、膽も腸も、五臓六腑が捩くり返る、凄絶な死の恐怖からの、形振り構わぬ、唯闇雲な遁走の記憶

が殘るのみであった。全身泥まみれ、血潮に塗れた義清はこの少女に発見され、親身な介抱を施され、今こうして清浄

この上ない寝床の中にぬくぬくと、臥せっている。義清は、何か感謝の言葉を述べなければならない事に、初めて気が

ついた。


 「礼はいらぬ、そなたを此処へ招いたのは、妾(わらわ)なのだから…」


 身を起こして、激しい苦痛に顔を歪めながらも尚、感謝の言葉を探そうと努める若者の、殆ど必死の行為を宥め抑え

るように、少女は謎の様な言葉を発していた。少女は確かに 此処へ招いた と言った。しかし、「招いた」とは一体



け犬 にしか過ぎない。哀れに尻尾を巻いて逃げてきた、薄汚い負け犬―、そこまで考えた時、義清は急に己の若輩

と、それ故の非力と不様さとを、心に深く恥じた。その惨めな気持ちを美しい少女に見透かされるのが嫌さに、義清は

固く眼を閉じると、顔を深々と褥の中に埋めた。


 三日目の昼下がり、義清は年老いた忠実そうな老爺が手綱を引く、栗毛の馬に乗せられて、少女の邸を出た。別れし

なに義清は己の名を乙女に告げた、佐藤義清と。少女は、黙って僅かに頷いたが、当然のごとくに、自分の身分姓名は



女の声が、耳底に蘇って来る。


 無骨一辺倒で、普段は感情を決して露わにはしたことのない父が、息子・義清の無事を知ると、顔中をくしゃくしゃ

にさせて、大きな喜びの色を満面に浮かべた。若い舎人数人に支えられながら馬から降りる義清の胸の中に、ひ弱で、

二つ下の九歳の年齢にしては幼い弟の仲清が、大粒の涙を見せながら、飛び込んできた。病弱な母が、二日間、奥庭の

一角に建てられた小さな持仏堂に籠りっきりで、自分の無事を祈願していると聞くや、義清はまだ躯のあちこちが劇し

い痛みに苛まれているのを、無理に隠して、その儘直ちに、元気そうな笑顔を、母親の前に現した。青白く細い母の優

しい手が、静かに、いたわるように、義清の肩を抱いた。その時初めて、不覚の涙が、若者の瞳に湧き出た。大きな安

らぎと、限りない安堵感に浸って、若者は両肩を震わせて、泣いた。





 その事があってから、義清の武術に励む意気込みが、一段と厳しさを増した。何か言い知れぬ 殺気 の様なもの

が、日常生活の隅々にまでも溢れ、一種異常な迫力と威厳さえもが、若者の身辺に放射されていた。


 兼ねてから義清に目を留めていた中納言・徳大寺実能が、この変化に着目し、父・康清に乞うて、特に将来の随身と

して教育を施すべく、今から徳大寺家に通う方策を講じてくれたのであった。無論、義清本人に異存は無かった。家が

経済的に富んでいるとは言え、新興階級の、それも賎しい下級武士の家柄に生まれた義清にとって、通い書生の身分で

はあっても、名門貴族の徳大寺家への出入りを許された事は、大きな名誉であると同時に、己の天分を心ゆくまで伸ば

すことの出来る、願ってもない好機であった。


 代々、武を以て鳴り、それを唯一の誇りと、生甲斐としている当主・康清は、長男の栄達の道が武芸以外の所にもあ

ろうとは、夢にも考え及ばぬことであった。しかし、若輩ではあっても、才知と野心に満ち溢れた義清は祖父や父親が

生涯かけても望み得ない、左衛門の尉以上の地位を、既にして虎視眈眈と目指し始めていたのである。実能の一子・公

能と同年輩の、謂わば学友として、義清は学問と和歌の道に精進した。無論、本業である武の道も、諸々の兵法を学

び、中でも得意の弓術には抜群の成績を示し、腕を上げていった。


 十三歳で元服し、十六歳の春に、この時大納言に昇進した実能の随身として、正式に召抱えられたのを機に、主人の

媒酌で、妻を娶った。相手は聡明で、美しい娘であった。








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最終更新日  2016年04月22日 08時18分31秒
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