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2016年05月14日
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 当時、最流行の蹴鞠は名人と言われた母方の祖父から直々に手ほどきを受け、

相当の腕前を既に有していたが、この頃から本腰を入れて学び始めている。

 何事にも人並み勝れた才能を発揮する義清は、持ち前の体力と敏捷さとで

群を抜き、この遊芸の道でも主人実能から認められ、一層愛されることになった。

 殊に義清が一番心を入れて修練した和歌は、ついに天下第一の貴人鳥羽上皇の

お目にとまる、栄誉に与かったのである。無論、年若い稀有の俊英を直属の

臣下に持った大納言の自慢を兼ねた、上皇への推挙があったればこその結果では

あるが…。



得意は天にも登らん程のものがあったが、ある意味では当人以上にそれを

喜び、感涙に噎んだのは父親の康清であった。彼、康清が左兵衛の志に任官できた

のは、二十歳も半ばを過ぎてからのことであった。長子のこの望外な出世を

目の前にしては、無欲豪胆な、この無骨な武人も柄にない虚栄心と、儚い、将来に

対する野望とを、たちまちに植えつけられてしまったようであった。

 武蔵守・鎮守府将軍、俵の藤太秀郷の嫡流で、代々、武勇の誉ある家柄とは言い条

その実は、今を時めく源平二氏に比しても力無き、二流の旧勢力にしか過ぎず

権門と貴顕に仕え、惨めな番犬を勤める、卑しい身分でしかなかった。口に

こそ出さねど、父祖以来の忍従の境涯に甘んじてきた左兵衛の尉・康清がその時

ことのほかに輝かしいと感じられた長男の前途に、宗祖再来、名門復活の

途方もない望みをかけたとして、それを誰が愚かと嗤い、身の程知らずと



若々しく燃え立った胸に、抱懐していたのであった。自己の才能と器量とに

強く頼むところのある、野心満々たる若者は、狂ったように駆け回る火の如き

血潮の滾りを身内に感じ、気の遠くなるような神経の昂ぶりを、抑えることが

出来なかった。


 あれは五月の初旬であったから、梅雨にしてはちょっと早い長雨が、四五日も



 午前中は風もなく、ムシムシとした嫌な天気だったが、昼過ぎからは、さわやかな

南寄りの風が新緑の梢を、幼子の掌のように閃かせて、教室の窓から流れ込んでいた。

眞木康臣は佐々木法子のいる、一年B組の教壇に立っていた。











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最終更新日  2016年05月15日 15時38分13秒
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