草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2016年10月10日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
第 九十三 回 目


 その時であった、百千の雷が一時に轟渡るかと、錯覚させるような、世にも恐ろしい

物音が、起こったのは。見ると、巨大な鬼が地獄の大門を、引き開ける所であった。

 罪人たちは、皆一様に大地に倒れ伏し、わななき震えている。西行一人が、辛うじて

よろめく足を踏みしめて、立ち続けている。破鐘の如き胴間声が、罪人たちの頭上に、

響き渡った―、「他人を恨まぬがよい。汝等自身の心が、爾らをして、この地獄に再び

帰らしめたのだ。うぬ等、愚かなる者共よ、こんどこそ、未来永劫、悔み続けるがよい!」

 ……、見るも恐ろしい鬼が、その目から大粒の涙を流しながら、地獄の方を指差している。

その瞬間、激しい風が、赤黒い炎をまくりあげ、見る間に罪人たちをひと舐めに、飲み込んで



―― その闇の彼方から、文字通りの阿鼻叫喚が、手に取るように聞こえてくるのである。

また、肉を炙り焦がす異臭が、鼻を衝く。西行は怺え切れずに、その場から逃れ去ろうとするが、

両足は金縛りにあった如く、寸毫も動こうとしない。いくら焦っても足掻いても、身動きが

ならないのである。―― こんな事ならいっそ自分が、地獄の火に焼かれた方が、どんなにか

楽であろうか…、余りの苦しさに、西行はそう思った。実際、どちらがより残酷な責め苦であるか、

容易には判定がつかない。

 こうして、地獄の扉を前にしての、西行の妄想が展開する……。

 先ず、黒い火焔の中に、男女が相擁しながら、焼けている。その隣では、煮え滾る銅(あかがね)の

湯に浸けられている者達がある。更にその向こうでは、舌を抜かれている者達、斧で唐竹割りにされ、

或いは、鋭利な剣で串刺しにされている者達、又、幾百とも知れぬ岩石の下敷きになっている罪人達の

群れ。男も、女も、尊きも賎しきも、時には親子・兄弟・夫婦が互いにそれと気付かずに、踵を接して



 それから、どれほどの時間が経過したのであろうか、西行はいつの間にか、意識を失っていたようで

ある。ふと気が付くと、辺は物音一つ聞こえない、完全な静寂が支配している。西行はゆっくりと

地面から身を起こすと、四方に視線を巡らせた。見渡す限り、物の姿らしいものは何一つ見当たらない、

空漠たる世界である。しかも、先程までの暗黒のそれではなく、どこからとも無く、仄かな光が

射し込んでいる。



と静寂のこの場所は、何処なのであろうか?……、やはりまだ自分は、地獄の一部に留まって

居るのか…、それにしても、何と清々しく心地よい風が、通って来ることか。

 西行はやがて、当てもなく風上の方角に向かって、ゆっくりと歩き始めていた。暫くそうして

歩いていると、足の下の地面が、俄かに波動し始めている事に、気づいた。いや、其処は既に

広々とした大海の上であった。その大洋の、重畳とした波浪の上を、西行は翼あるごとく、

鳥の様に軽々と進んでいるのだ。

 進むにつれて心が浮き浮きと、浮き立って、前へ前へと躯が自然に前進する。こんな調子では、

自分はこの儘空中高く舞い上がるのではなかろうか、という気さえして来る。

 遥かな彼方の水平線上に、島のような、雲の様な物が、微かに見て取れる。西行は理由も知らずに、

それが西方浄土である事実を、承知している。彼は今、その理想の楽土を目指して、まっしぐらに

駆け、且つ、翔んでいるのであった……。

 西行の夢は決まって、此処で終わる。こんな風な夢を、何度となく見るのだ。美福門院が逝って

から既に七年、西行は五十を越える老境に、足を踏み入れ始めていた。この年、仁安二年二月、

平 清盛は歴史上前代未聞の武臣の身で、太政大臣従一位に躍進している。なお形式的には

後白河上皇、六条天皇を主人として頭に頂いてはいるが、名実共に天下の支配権はこの時完全に、

彼、清盛の掌中に移ったと言えよう。

 時代の、その真の姿を、高野山に在って修行生活に明け暮れる生活を送っている西行は、正確に

把握していた。西行の胸には、感無量の深い想いがあった。噂の如くに、仮に平清盛が白河院の

落胤であることを認めたにしても、清盛は武士として活躍し、平氏という武士団の棟梁として、

現在の地位を築き上げた事に、変わりはない。

 勿論、清盛が現在の輝かしい栄誉を手にする為には、その下地として祖父・平正盛以来の

蓄積があった。それは間違いない事実だ。しかし、積年の軍事力・政治的立場・経済力を見事に

活かし、飛躍的に発展させ、開花させたものは、幸運だけでは無い筈だ。単に時流に乗った

だけとは言い切れない、清盛個人の卓越した手腕があった。周到な準備と、細心な計算が、

大胆で強靭な実行力の裏に隠されている。それを見逃す訳にはいかない。

 清盛と同年に生まれ、同じ階級に成人した西行には、その辺の事情が、極めて良く解るのだ。

同族の奥州藤原一門と言い、平氏と言い、現実社会を支配する強力な勢力の維持発展には、

必ず天才、乃至、強烈な個性の出現を条件としている。

 個人と時代との廻り合わせの不可思議さを、思わないでは居られない。動かしがたい運命、或いは、

個人の宿命ということを、考えない訣にはいかない。

 武人として現世での最高権力を掴んだ清盛と、出家して名も無き一僧侶としての人生を送る

西行と、この両者の懸隔は、たとえようもない程に、大きい。が、そこに在る表面上の差は、果たして

絶対的なものか?西行は「惨めな負け犬」であり、清盛は勝利に輝く「永遠の勝利者」であるか。

その答えは、然り。同時に又、否である。

 少なくとも、西行自身の立場からは、断然「否」である。確かに、武人としてだけ、清盛と

比べられた時の彼は、負け犬以下の、敗残者に相違ない。がしかし、西行は武人である以前に

一個の人間であった。人間としての生き方に関しては、未だ勝負がついていない。いや、人間と

しての生き方に、勝ち負けはない、と信じている。

 もし、自分の人生が清盛に劣り、敗北者のそれであると、認めざるを得ない時節が到来する

とすれば、それは、自分が己自身に「敗れた」時に外なるまい。西行にとって世人の、第三者

の評価など、物の数ではない。それだけの強い自負心と自惚れを、己の歩んできた人生に対して、

持っている。現在の西行にとって、自分の人生を自覚的に生きるとは、そうした生き方を意味

していた。がそれは、苦難に満ち充ち、険しい道程を、悲しみ嘆きつつ歩いて来た事と、矛盾

しはしない。

 この世での地位や名誉や財産とはかかわりなく、人は常に孤独である。孤独であることを意識

しない事と、孤独でない状態とは、決定的に異なる。

 西行の生き方が、人一倍その人の世の孤独に、敏感であった。そして、その自己の孤独を

噛み締める、己の心情に忠実過ぎるくらいに、忠実であった事だけは、確かである。

 清盛もまた、彼なりの流儀で、己の孤独と戦っているに、相違ない。唯、その違いが、各人の

個性的な人生を根本的に、規定しているのであるから。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年10月10日 02時55分57秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: